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2021/02/26

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  • 箱根目指して(2025東海道no3)

    箱根駅伝往路5区、復路7区の小田原中継所はここ、かまぼこの鈴廣のお店だ。毎年お正月の2日と3日、5区の山登りに向かう走者そして翌日6区山から下ってきた走者が7区のランナーにたすきを渡す中継所、毎年箱根駅伝のドラマが生まれる芦ノ湖まで登っていく登坂路。20.8kmを駆ける青春が楽しめるのです。選手にとっては楽しめるなんて言葉はないかも知れませんが。国道1号線を芦ノ湖まで走ってからこの道を上ってきた。この辺をかっての東海道路が通っていたのか1号線旧道にある「甘酒茶屋」でひと休み。「参勤交代諸大名休息処」看板は新しいものですが、やはりここには歴史があったことでしょう。お店の中にこんな写真が飾られてた。東海道膝栗毛に書かれる東海道街道と言うことでしょう。道路にはニワトリが数羽、のどかな景色です。朽ちてしまいそうな...箱根目指して(2025東海道no3)

  • 小田原城(2025東海道no2)

    日本橋を出てすぐに首都高そして東名高速は海老名SAで小休止、小田原厚木道路を走って小田原にやって来た。この間宿場は八つあるのですが、どこも宿場の影も形もないのでしょう、全部飛ばして小田原宿。といっても宿ではなく小田原城だ。小田原では老舗料亭だという「だるま」に到着したのがちょうど12時。名物だという天丼を含めた会席料理をいただき小田原城に向かいます。お城ではガイド協会さんによる説明を聞きながら小田原城見学。門の名前は分かりませんが、写真では遠くに見えている門を潜って中に入ります。門に入る前にはお堀があり、そこにはちょっとした太鼓になった住吉橋を渡るのでした。銅門、「あかがねもん」と読ませる。この門が有名らしい。次の写真で説明。平成9年(1997)に復元したと説明している。赤線のとおり歩いたのかどうか分かり...小田原城(2025東海道no2)

  • まずは日本橋から(2025東海道no1)

    2023年に山陰道を旅してから今回は東海道53次を旅することとなった。この旅行社はかって奥州・中山道などいくつかの「街道をゆく」をやっていた。山陰道の印象がすこぶるよろしかったためでもあるのですが、今回の東海道は出発当初からあまり期待はしていなかったのです。何故かって、日本の大動脈、もう発展し過ぎちゃってて古は遙か昔にあっちに行ってしまっているだろうと思えるからなのです。東京駅集合でした。何とも人影まばらな高層ビルに囲まれた東京駅。中学生か高校生かな旗を持って先導するガイドさんのあとを東京駅に向かって歩く、多分修学旅行生。外国の方たちのグループも何組か歩いていた。駅南口のドーム型の八角形天井、白い鳩らしきと思ってみていたらワシですって、が8羽。太平洋戦争で焼損した駅舎を大正時代創建当時の姿にと2012年に...まずは日本橋から(2025東海道no1)

  • 公園お散歩(2025/4)

    久しぶりに宿の近く、横浜の小さな公園のお散歩。桜の時を終えて春から初夏に向けての花々があちこちに。街路に咲き乱れていました。シャガと言うらしいのですが、私の生活の基地信州伊那の地では見たことがありません。ネモフィラがこっそり咲いてた。ひたちなか市の海浜公園に行けば地球まるごとこの花でしょうが。マガモっていうのかな。この池の近くでこの時期の風物詩、夫婦での子育てはナシらしい、父ちゃんの作業は「そのとき」だけなのか。母が連れ歩くようです。カイツブリ親子、この鳥はよく見かける。潜るとなかなか出てこないほど潜水の名人だ。どうやら水から出ることを好まないらしく陸に上がっているところは見たことなし。こちらご夫妻か。まだ産卵してないかも・・・ですね。「バン」これは初めて見た。足指の長いこと、これじゃ泳ぐことできないだろ...公園お散歩(2025/4)

  • ニューヨークの街その2(2025カリブ海no31)

    後ろ正面がロックフェラーセンター。バルブがはじける前、1989年日本の某企業が買収しちゃって物議をかもしたロックフェラーセンター、かっての日本はすごい時代だったんだ。今は見る影もなしってところか。手前はスケートリンク。ビルの真下に行って見上げてみました。2014年5月トップ・オブ・ザ・ロックの70階に上ってニューヨークの街を眺めた歴史がありましたので貼り付けてみました。正面にエンパイア・ステート・ビル。右にハドソン川左にイースト川が流れる。中央左頂部がグリーンに見えているところがエンパイア・ステート・ビル、このビルにも展望台があります。クリスマスツリーって書いてある。毎年ロックフェラーセンターを背景に巨大なクリスマスツリーを立ち上げるのがここかな。そこの壁に見えるのは浮世絵の波濤らしい⁇最後の夕食、全員で...ニューヨークの街その2(2025カリブ海no31)

  • ニューヨークの街(2025カリブ海no30)

    黒人居住地区ハーレムの「アポロシアター」ダンスホールが1872年(明治5)にアポロシアター劇場となったという歴史。アメリカ合衆国国家歴史登録財でありニューヨーク市歴史建造物という歴史ありのシアターだ。でも、歴史歴史といっても若いアメリカは日本の比ではありませんね。劇場入り口、今日は休館日なのかな。走るバスの中からかろうじての撮影。セント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂。高い塔にコロンブスの像があるコロンバスサークル、この奥がセントラルパークに続いているらしい。これがカーネギーホールですって。驚いてしまった。もっとドーンと重厚な建物かと思っていたのに・・・陽が落ちて夜のとばりを迎えたタイムズスクエアは華やいでいました。グランド・セントラル・ターミナルマンハッタン3大ターミナルのうち最大のもので、44面67線...ニューヨークの街(2025カリブ海no30)

  • メトロポリタン美術館その2(2025カリブ海no29)

    ルイサ・ロルダン「キリストの埋葬」バティスト・カルボー「ウゴリーノとその息子たち」エジプト館の前に来た。この字はなんだ。中国文字⁇落書き⁇この「デンドゥール神殿」は、アメリカ政府がヌビアの遺跡保護を支援した感謝の印として、エジプト政府からアメリカに贈られたものとのこと。両壁面にエジプトが並んでた。美術館を出たところで撮影、ランチを入れて4時間の滞在だった美術館での時間でした。食品を提供する屋台が並んでた。メトロポリタン美術館その2(2025カリブ海no29)

  • メトロポリタン美術館その1(2025カリブ海no28)

    メトロポリタン美術館にやって来た。ルーブル(フランス)、エルミタージュ(ロシア)と並んで世界三大美術館と言われているそうだ。これにプラド(スペイン)を加えれば四大となるという。これで奇しくも、この4つの美術館に入場するということとなるのでした。驚くことにこのメトロポリタン美術館は国立でも市立でもない私立の美術館だというのです。果たして入場料はいかほどだったのでしょうか。そんな館内のカフェテリアでのランチを済ませてからの見学となるのでした。写真撮影への制限は何もありません「ご自由にどうぞ」でした。目にとまった画をパチパチでした。その中から選び出して貼り付けていきます。この画はエミゥエル・ロイツェの「デラウェア川を渡る」アメリカ植民地と英国の戦争における重要な転換点を讃えている・・・とのことです。エル・グレコ...メトロポリタン美術館その1(2025カリブ海no28)

  • ニューヨーク観光その2(2025カリブ海no27)

    メトロポリタン美術館に向かってバスは走っています。屋台の右隅扉の開いているところにあるのは発電機かな⁇なんだなんだ。いっぱいの人溜まりがあった。そこには牛がいた。待ち合わせ場所、さしずめ「忠犬ハチ公」ってなところか。四つ足に力を込める何とも力強い雄牛の銅像だ。「チャージング・ブル」というそうだ。株式市場のエネルギー・力・不確かしさ表しているという。この後ろ足を踏ん張って突き上げるような体勢には株価を上昇させるという願望も含まれているとか。この雄牛に触れれば投資のもうけが確約されればわしも触りたいものだ。ニューヨークは三回目ですがこのビルにはまだお目にかかっていなかった。是非見えるところを走ってくれとお願いしていたら願をかなえてくれた。私はこの組織の常任理事国ってのが気に入らない。いっぱい平和が得られるだろ...ニューヨーク観光その2(2025カリブ海no27)

  • ニューヨーク観光その1(2025カリブ海no26)

    日本からニューヨークに到着したとき港まで案内していただいた日本人女性長谷川さんの案内でニューヨークの街、イースト川沿いを走って、川を渡る橋を走るとマンハッタンのビル街だ。マンハッタンのビル群をそこに見ながら橋を渡ります。下流に見えているのが多分ブルックリン橋。中華街もあった。ビルの谷間に埋まってしまいそうなセント・ポール教会。1766年に完成したというマンハッタン最古の教会建築だといいます。そしてやって来た。2001年9月11日アメリカ同時多発テロによって崩壊したツインタワーの跡地グランドゼロにやって来た。多発テロの10年後2011年にオープンしたという9/11メモリアルミュージアムがあった。飛行機がビルに突っ込む衝撃はテレビ画面で見た。残された痕跡等など多くの展示があるそうですが時間に余裕のない私たちは...ニューヨーク観光その1(2025カリブ海no26)

  • ブルックリン港到着(2025カリブ海no25)

    ニューヨークの灯りが近づいてきた。イースト川をまたいでいるブルックリン橋のライトアップが際立っています。ズームで少し引き寄せてみた。船はブルックリン港を目指してイースト川に向かって走っているのか、ハドソン川方向に立つ自由の女神さんが近くに見えてきた。マンハッタンのビル群がそこに見えるところまで走ってきた。朝の光に白く光っているのっぽビルが、あの航空機テロによって破壊されたワールドトレードセンタービルの跡地に建てられたビルだと聞いた。手前イースト川の隣のハドソン川の向こうのビル群も望める。画面中央の遠くに見えますか「自由の女神像」随分遠くになってしまった。その像を引き寄せてみるとこんな感じ。こんなに朝早い時間では周りに人影なしです。オレンジ色の朝焼けを背景にして女神さんが映えて見えます。そういえばこの像の作...ブルックリン港到着(2025カリブ海no25)

  • まもなくニューヨーク(2025カリブ海no24)

    「MSCメラビリア」の乗務員の皆さんとの記念撮影。左のロープのところに撮影順を待つ列ができていました。珍しくも波の高い海でした。きれいなお気に入りの写真がありましたか。デッキ10私のお部屋への出入りに何十回も乗降したエレベーターホール。明日早朝の下船に向けてスーツケースが並びます。時間は定かではありませんが船はこんなところを走っていた。赤印がケネディ国際空港。こんなところの島に米空軍基地があった。真夜中の訓練飛行か。何故航跡の色にこんな違いがあるのでしょうか。さて、出力の違いが色違いになるのだろうか。まもなくニューヨーク(2025カリブ海no24)

  • まだまだ航海(2025カリブ海n23)

    海の上、何もすることがありません。コンパクトにまとめられている洗面所を写してみました。右手にシャワー室があってトイレと洗面台ここで提供していただけるピザの美味しかったこと。これ何のゲームでしょうか。数字札を取ってきて捨て牌します。さてさて・・・デッキ5のエレベーターホールにいます。5Fと6Fにお食事処あり、15Fがビュフェレストラン。私のお部屋は10F航海最後の夜、ちょっとした趣向があった。テーブルクロスも華やいでいた。何故であったのか分かりませんが、皆さんナプキンを頭上でフリフリ。ユニフォームもちょっとおしゃれでした。デザートは毎度これアイスクリーム二個。私らが席を立つのはどん尻、お片付けが進みます。まだまだ航海(2025カリブ海n23)

  • 航海続く(2025カリブ海no22)

    飛行機雲がきれいに航跡を描いていました。珍しくもお昼ご飯をこのレストランで。ウォータースライダーがあった。水の流れはありますが、誰一人として滑り降りてきません。子供も若いお兄さんやお嬢さんも、あまり目に触れない船ですから、キャッキャ言って流れてくる人がいないのは当たり前だね。こんなお遊びの施設もあった。久しぶりにシアターを覗いてみた。舞台はミュージカル「アンコール」ですって。なんの感動とか感激もやってこない1時間30分。両側にお客さんの詰まっている席に座ってしまったのが運の尽き。途中退出もかなわず終演までじっと我慢の時でした。航海続く(2025カリブ海no22)

  • 終日航海初日(2025カリブ海n21)

    大西洋を終日走るだけの日を迎えました。特にコメントはありません。ただひとつビュフェに並んでいたリンゴの味には参ったことだけお伝えしておきます。おつまみはありません。終日航海初日(2025カリブ海n21)

  • ホワイトデー(2025カリブ海no20)

    オランダ領からフランス領に抜けてマリゴ・ベイという中心地での自由散策が計画されていたんですが、20-30分との所要時間が2時間もかかってしまうという大渋滞に引っかかってしまい、残念ながら港への直行になってしまいました。埠頭に降り立ったとき5:49太陽が地平線に向かって傾いていました。島での最後の夜。ベランダから写しています。こういう景色はやはり旅情をそそってくれます。旅立った船がまもなく私のベランダの視界から消えていきます。みな真っ白け。今宵はホワイトデー。こんなちっちゃな子も白まみれ。プールの周りに白が集まった。ホワイトパーティーの夜は更けゆく。大音響のもと歌えや踊れの時が流れる。カリブ海には1㎡の島を合わせれば、なんと7000もの島があるという。その中に存在している四つの島の観光を終えてお帰りの時を迎...ホワイトデー(2025カリブ海no20)

  • 頭上に飛行機その2(2025カリブ海no19)

    近くの島とを結ぶ飛行機か。プロペラ機がやって来た。小型機は滑走路を長く必要としないから、こんな高さからでも侵入できるのでしょう。フランス機が頭上を過ぎてから15分後につぎの飛行機がやって来た。14~15時頃が大型機が一番多く到着する時間帯だといいます。KLMオランダ航空だ。これもA330らしいけど定かではありません。隣の方の陰になってしまいこれ以上追いかけることができませんでした。以後30分待っても機影を見ることができません。お帰りの時間になってしまった。私は、まだ1時間いても全然平気なんですけど、団体行動には従わなければなりません。こんなところでの観察では、つぎのような迫力が・・・頂き物の写真です。私たちはバスの中、砂浜での撮影する時間はありませんでした。プロペラ機じゃあね。頭上に飛行機その2(2025カリブ海no19)

  • 頭上に飛行機その1(2025カリブ海no18)

    オランダ領のマホビーチ(赤丸印)にやって来た。このビーチが「世界一危険なビーチ」と言われている。以前テレビで見て行ってみたいなぁ。と大きな夢を持っていたところなんです。どんなビーチであるのか、まあ以下をご覧あれ。ミニバスのすぐそこ金網とバラ鉄線の向こうには飛行機ゾロゾロ。尾翼がバスの上に落っこちてきそうです。。この飛行機が離陸するときの強烈なジェット噴流によってケガ人も出るという。この金網に張り付いて観察する人もいるとかで、その危険性を注意喚起している看板も設置されているそうです。ビーチはご覧のとおり観光客でいっぱい。飛行機を見に来ているのか、泳ぎに来ているのか、まあ目玉は飛行機なんでしょう。砂場よりも上の方柵に沿って多くのひとが連なっている。初めてこれぞビーチとの感を受けるのでしたが、海に入っている人は...頭上に飛行機その1(2025カリブ海no18)

  • お船さんたち(2025カリブ海no17)

    アメリカ領バージン諸島セント・トーマス島の観光を終えてセント・マーチン島にやって来た(赤丸印)この島界隈はリーワード諸島というらしい。その島がこれ。北側(上)がフランス領で南側がオランダ領。島の大きさは88㎢福島県本宮市や岐阜県各務原市と同じ程度の面積だ。人口はふたつの国を合わせて66千人ほど、こんな小さな島をふたつの国で分け合っているところは地球上他にはないらしい。私たちはオランダ領に上陸です。朝ご飯をいただくレストランはディナー時のレストランより清々しい気分でいただけます。朝だからでしょうか。床や椅子の配色も良しだ。この旅最後の観光島にやって来た。午前中は自由行動。希望者は港町の散策に出かけたようですが、私はそれをパスして、ちょっとだけお出かけ。お船がいっぱい5隻ほど目に入りました。どこの島も観光立島...お船さんたち(2025カリブ海no17)

  • 夜の部(2025カリブ海no16)

    くどくも、また夜の部のご報告。私はビールだけでは物足りなくてウイスキーの水割りだ。毎夜私たちのテーブル担当のお兄さんは料理の手配、お嬢さんはお飲み物の注文担当。後ろにピタリ着いているノルウェージャンを写してみた。遅くに入港してきた船ノルウェージャンは、まだ出航しないでしょう。私たちの船は港を離れます。展望ジャグジーはご婦人方の談笑の場。どんどん港を離れます。ビールに焦点が合わなかった。夜の部(2025カリブ海no16)

  • セント・トーマス島その3(2025カリブ海no15)

    ここからは自由行動。希望者が募られてスカイライド・ケーブルに乗ってパラダイスポイントへ。先にミニバスで登ったビューポイントよりも、こちらの方がまさに絶景を楽しめるのでした。どうですかこの海の青、これぞカリブ海。この船ははるか彼方でした。ズームで引き寄せてみるに随分大きな船だ。ちょっとお飲み物をいただいて、しばしの休息。お休みしている間に船が近づいてきた。その船はノルウェージャン・エピック156千トン、乗客定員4070名、我らの船と同じくらいの大きさだ。私たちの船の後ろにピタリと着いた。セント・トーマス島その3(2025カリブ海no15)

  • セント・トーマス島その2(2025カリブ海no14)

    ここでもやはりビーチに来た。メイゲンズビーチ年中泳げる熱帯の海。泳いでいる人はパラパラ、日本の海水浴場とは大違いだ。驚くことにこれが砦ですって。フォート・クリスチャン砦。1672から1680年にかけて植民地時代のデンマークとノルウェーの砦だったという(何故かここでノルウェーが出てきた、デンマークの植民地だと思っていたのに)。中はどうなっているのか入場してみたいものです。現在アメリカの「国定歴史建造物」に指定されているそうです。「フレデリック福音ルーテル教会」ここも写真撮影だけ。デンマーク様式の教会とのこと。なるほど教会らしからぬ教会だ。メインストリート、きれいな町を歩きました。どこが「ゴミの島」なのでしょうか。アメリカ本土からみれば「ゴミの島」と言ってしまうお馬鹿さんもいるんでが。この町は租税回避地だとい...セント・トーマス島その2(2025カリブ海no14)

  • セント・トーマス島その1(2025カリブ海no13)

    アメリカ領バージン諸島にやって来た。そこはプエルトリコのすぐそば、160もの島や岩礁からなる諸島だという。この諸島の50の島々がアメリカ領で60の島を英国領とが分け合っているようだ。アメリカ領になるまえは250年もの長きにわたってデンマークの植民地だったといいます。前日の夜には、毎夜こんなペーパーがキャビンに投げ込まれる。主要部分は添乗員どのが日本語版にして翌朝までには届けてくださる。左側に気象情報など、温度は華氏で示されているけど摂氏にすると22~28度てなところか。次のポートはセント・マーチン島だと印し、日の出6:53日の入り18:11としている。そして7;00到着、18:30までには全員搭乗せよとし19:00出航としている。ページをめくると本日の諸々の催事が時間を追って綴られている。本日観光するセン...セント・トーマス島その1(2025カリブ海no13)

  • 船での夜は(2025カリブ海no12)

    手前に反欠けに見えている朱色の衣装を召している方、ドラムみたいなのを使って歌ってます。「オールインクルーシブ」飲み物無料のサービスですから、どこのバーも花盛り。フォトギャラリーには船内のプロカメラマン撮影のポートレート写真が並んでいました。まもなく出港、お部屋のベランダからの撮影。お隣にいた「マリナオブザシーズ」138千トンに別れを告げて港を離れます。船での夜は(2025カリブ海no12)

  • サン・ファン観光その2(2025カリブ海no11)

    国会議事堂、ここにも国旗は星条旗とプエルトリコ国旗だ。道路を挟んだ反対側には、次に紹介する写真。9体の立像が並んでいました。この島を訪れたアメリカ大統領。おなじみさんを紹介します。ジョン・F・ケネディさんは大統領に就任されたその年にいらっしゃったようです。大統領歴3年にも満たない、銃弾に倒れた「ダラスの悲劇」アメリカに残る暗く悲しい歴史がありました。オバマさんは2009年から2017年までの2期8年勤められた。現役の時に訪ねられていて終期が刻印されていない。この方もノーベル平和賞だ。不慮の死に見舞われたケネディの後を継いで1963~1969年のリンドン・B・ジョンソン新市街地を走り抜けてエスカンブロン・ビーチを訪れた。小さな島国なんだからこんなビーチはあちこちにあるのかも。サン・フランシスコ通りをみんなで...サン・ファン観光その2(2025カリブ海no11)

  • サン・ファン観光その1(2025カリブ海no10)

    旅は5日目の1月27日。プエルトリコの首都人口395千人のサン・ファンの港にやって来た。プエルトリコについて外務省に聞こうとしたけど、ホームページにこの国は載っかっていなかった。外交関係がないんだろうか。仕方なくウィキペディアにお聞きしてみた。この島もやはりスペインの植民地から始まっていた。当時のスペインは、どのくらいの国を植民地にしてしまったのでしょうか。まあ、現代においてもよその国に攻め込んでいる国もあるんだから、当時の制覇はやむ無しだったのか・・・横道にそれてしまったけど、国の面積は鹿児島県ぐらい、人口が319万人、鹿児島県は157万人らしいから人口密度では鹿児島はゆるゆるスキスキの隙間がいっぱい。まあそんな国のようです。余談になるのですが、先のアメリカ大統領選の終盤、応援演説に登壇したコメディアン...サン・ファン観光その1(2025カリブ海no10)

  • 船の朝は(2025カリブ海no9)

    早起きしてまだ陽の昇らないうちからブラブラする変わり者はあまりいないようです。下のフロアーではお掃除中。その上の階、フィットネスルームではもう運動している人がいる。ジャグジーバスには網がかけられていた。お兄さんたちがプール沿いにマットを敷いていた。船は太陽に向かって走っている。どこまでも青いカリブの海を船はゆきます。清々しい朝日を浴びてのお散歩。もう少し歩いて船の先頭に出ると次の写真。私は一回りしただけでした。周回路、走るコースと歩くコース、ひとまわりすると330mですって。朝ご飯を食べにビュフェにやって来た。こんな早い時間には誰もいない感あり。よせばいいのに、こんなにいっぱい取っちゃった。残してしまうだろうにどうしてもこうなっちゃうんです。船の朝は(2025カリブ海no9)

  • ドミニカ出航(2025カリブ海no8)

    観光を終えて港に向かって走ります。港近くは広い公園になっていた。もちろん売店なんかもいっぱいある。皆さんと行動を共にしない私は、そこに船が見えているのに、帰路が分からず散々な目に遭うのでした。客船の大きさには圧倒されてしまいます。左が私たちの船。ディナーの時間はこんな感じで迎えていただけます。迎えてくれる方はみな東洋系なんです。このとき6:37でした。後半組の皆さんのために大急ぎで準備が進みます。周りでザワザワ準備をされると、ゆっくり座ってはいられなくなるのです。14万トンの船が埠頭を離れてゆきます。遠ざかる客船。スクリーンでは、アメフト、アメリカンフットボールの試合を写していました。いや~皆さん大騒ぎ、次の写真のグリーンのユニホーム着てるおばちゃんち、何処かのチームのユニホームでしょう、大いに盛り上がる...ドミニカ出航(2025カリブ海no8)

  • ドミニカ観光その2(2025カリブ海no7)

    まず、ラム酒工場にやって来た。こんな果物らしきを見つけたけれども、何者であるのか分かりません。ラム酒がゾロゾロ。4年熟成とか8年熟成とかパイナップル、青リンゴ、ココナッツフレーバーのラム酒など試飲をさせてもらうのですが、このあと観光を控えていることから、私は一滴も喉を通しませんでした。中央公園、馬に乗っかっているようなおじさん。これなんでしょうね。もちろん作った馬らしきなんだけど。お偉さまの銅像でしょう、花輪に取り巻かれていた。「ファン・パブロ・ドゥアルテ」ドミニカ共和国の創始者の第一人者で、軍のリーダー、作家、政治家だったそうで紙幣にも描かれているそうだ。アンブレラ通りを歩いてみた。そしてすぐ近くのピンクの小路。どうってことはありません。ただ道路から建物まで赤く塗りたくってあるだけのこと。何のこともない...ドミニカ観光その2(2025カリブ海no7)

  • ドミニカ共和国到着(2025カリブ海no6)

    長い船旅を終えてまもなくカリブの島ドミニカに到着します。世界地図を開くとキューバのすぐ隣、島をハイチと二分している。私の頭の中にはドミニカといえばプロ野球選手しか浮かびません。ちなみに日本に何人いるのか調べてみたら29名と出てきた。それはそれとして、さてどんな国なのか、外務省ホームページを覗くとこの島は、1492年コロンブスによって発見されたとしている。面積は九州と高知県を合わせたくらいで、人口は大分県人口と同程度。仏領となったり、スペインやハイチに侵略されたり、米国による軍事占領ががあったり、幾多の内戦、クーデター。さてさていつ独立したのかぐちゃぐちゃ書かれていてよく分かりません。民族は混血73%、ヨーロッパ系16%、アフリカ系11%としてある。一人あたりGDPは世界で80番目、30年間も停滞が続いてい...ドミニカ共和国到着(2025カリブ海no6)

  • 出航3日目も終日航海(2025カリブ海no5)

    今日も終日航海の日。食事の姿しか記事にするものがありません。デッキ15のビュッフェでおひとりさまの朝ご飯。そのビュッフェには、こんなお酒コーナーがあります。何を頂いても無料といううれしいサービス。ランチにはビールを頂くのでした。お昼時にはピザのコーナーが開店します。焼きたては美味しい、時々いただくのでした。細かいものをつまむのには「マイ箸」が活躍します。夜も食事コーナー。つまんないですよね、食事コーナーばかりでは。珍しくもニューヨーク・ストリップ・ステーキというのに挑戦。いやぁこいつがジューシーでうまかった。隣の方にもお裾分け、やはり絶品といってた。味を占めて後日再度リクエストしてみたらパサパサの奴が出てきた。こちらが常なのかもしれない。隣の席で「HAPPYBIRTHDAY」航海中あちこちでありましたが、...出航3日目も終日航海(2025カリブ海no5)

  • 航海夜の部(2025カリブ海no4)

    シアターにやって来た。お客さんを案内している彼と記念にパチリ。飛鳥もそうでしたが、どの船に乗っても従業員のほとんどが東南アジアから働きに来ている皆さんだ。船長はじめ主要スタッフの紹介があった。シャンパンがいただけるのが常なのにこの船では何もいただけなかった。船内をブラブラ歩きます。「海渡」と書かれた寿司&鉄板焼きバーがあった。これも恒例、船長さんとの記念撮影。後刻ズラズラと写真が並んで購入を促します。何でも25ドルとか。3層吹き抜けのアトリウム、円形の天井のLEDスクリーンには、さまざまな映像が投影されるプロムナード。船の中でここが一番華やいでいるところ。ほほえまし家族写真らしきを撮影していた。失礼して横からパチリでした。もう散策をやめてお部屋に帰ってきた。長く続いている廊下には誰の姿もありません。ここを...航海夜の部(2025カリブ海no4)

  • 終日航海の日 (2025カリブ海no3)

    今日は朝から夜まで終日航海の日。なんの面白みもないレポートですが、私にとっては、10年たってからかな、いやいや95歳まで命はないだろうけど、振り返って思い出に耽るための大切な記録なのです。まあさらっと目を通してみてください。デッキ15のビュッフェでの食事としないときの朝昼は、F6にあるこのレストラン「ゴールデンオリーブ」早番は8時スタート。私たちが食事を終えて出てくると、次の順番の皆さんが待っています。お昼ご飯の時間です。まず前菜。主菜はこれをお願いした。とても完食はできません。これで降参するのでした。デザートはこちら。船の中で無為に過ごしてディナーの時間。ディナー時のレストランはデッキ5にあるメインダイニング「WAVES」主菜にこれを頂いた方がいらっしゃった。エビが苦手の私は次の写真のとおりスパゲッティ...終日航海の日(2025カリブ海no3)

  • 出航の時(2025カリブ海no2)

    ジョン・F・ケネディ空港からブルックリン港まで1時間半ほどは知ったでしょうか。途中こんな雪模様も。港に到着、スーツケースをポーターにお任せして、セキュリティ検査など乗船手続きを経て船に向かうのですが、4000人を超えるお客さんだという、いやはや大変です。そして船への一歩を印します。スーツケースはなかなかやって来ませんが、私のお部屋はここ、10Fの10287号室。窓の外にカメラを向けると・・・ベランダに出て写しました。奥左に洗面所とシャワー室があるこのキャビンで10泊の旅が始まります。15Fのビュッフェでご自由にとのランチを頂きました。このビュッフェ何回お世話になったことか・・・カーテンの影が少し映っている。この写真は10F自分のキャビンから写しているようです。16Fに上ってみました。遠くに自由の女神が見え...出航の時(2025カリブ海no2)

  • ニューヨークに向けて(2025カリブ海no1)

    羽田空港からのスタートです。下から4番目ニューヨーク11:05に私たちのJAL便が、最下段同じくニューヨークJFKに向けて11:35ANA便が飛び立ちます。ラウンジを間違えて「こちらはファーストクラスのお客様です」と言われてしまってアタフタでした。ニューヨークは寒いぞ。明日も明後日も晴天なれど終日マイナスらしい。ニューヨークまで10876km、所要時間12時間55分と日程表には書いてある。私の座席は主翼の上、外の景色をきれいには見せてくれません。座席は囲い込まれているなか。こんなの初めて乗ってみた。エアバス351の新型、導入されてまだ日が浅いらしい。座席周りの機能の説明がされていた。機内WiーFiサービスが可能であるはずだったのに、どうしてもつながらない。何人もの乗務員さんに試みてもらったのですが不可でし...ニューヨークに向けて(2025カリブ海no1)

  • 京都の紅葉no13(2024三十三間堂)

    下鴨神社を横に見て走り、鴨川を渡ります。この風景は京都市ではないでしょう、私の生まれ育った田舎と一緒の雰囲気だ。そして走るバスから歌舞伎の南座が見えた。何か公演中なのか役者の名前がズラズラ掲げられているようだ。京都駅近くの三十三間堂にやって来た。中学の修学旅行以来70年ぶりの訪問になる。記憶に乏しく懐かしさはよみがえってはきませんが・・・。正式には蓮華王院というそうだ。正面の柱間が33あるところから「三十三間堂」と通称されているとのこと。イヤーもう85に届くという我だというのに哀れにも知らなかった。堂内には1001体もの観音像が祀られているという。いやはや壮観そのものでした。でも撮影禁止とされている。そんな寺院が多い。何故でしょうか。カメラやスマホで撮影しても、被写体にはなんの悪影響も与えないと思うんです...京都の紅葉no13(2024三十三間堂)

  • 京都の紅葉no12(2024実相寺)

    妙満寺のすぐ近くの実相院門跡にやって来た。・・・門跡寺院とは、住職を天皇家の血を引く方々が務められていた、格式の高い寺院のことで、代々皇室から大きな支援を受けて栄えていました。・・・と紹介されていた。比叡山を借景にするというこの石庭も有名らしい。ここは撮影禁止とされているところ。座布団が敷かれているところに行っての「床もみじ」撮影でなければいいでしょうと撮影してみました。確かに開かれた帯戸の間から床に光っている緑が見える。お寺さんのホームページに載っかっている「床みどり」と「床もみじ」がこの2枚。床がこんなに有名とは幸せな床だこと。京都の紅葉no12(2024実相寺)

  • 京都の紅葉no11(2024妙満寺その2)

    前号で紹介した鐘の横にこの絵が飾られていた。女が大蛇と化して愛する男を焼き殺したという道成寺伝説を基にしているという歌舞伎「娘道成寺」を想して描かれた画らしい。一応紅葉の名所として案内されたはずですがお客さんの姿はありません。9時30分まだ朝早いからでしょうか。重要文化財「弥勒下生変相図」1294年としてある。もちろん複製、原画は京都国立博物館に寄託とのこと。下の書「花」は北野天満宮「月」は清水寺「雪」は妙満寺の住職さんの書のようだ。静かな静かな妙満寺でのひとときでした。京都の紅葉no11(2024妙満寺その2)

  • 京都の紅葉no10(2024妙満寺その1)

    顕本法華宗の総本山妙満寺にやって来た。法華宗なんてのは私にとっては初耳の宗派だ。門前に3,000株のツツジが植えられて、花の寺として親しまれている。と紹介されている。なるほど参道の左右にはツツジだ。でも残念ながら秋には「花の寺」にはなってくれません。なるほど池の周りはツツジまるけだ。康応元年(1389)に開創されたといいますが応仁の乱など安土桃山時代から江戸時代にかけての争乱などにより移転と再建を繰り返し、現在の寺院は、昭和43年(1968)に現在地に移転したという新しいお寺さんということになるのか。仏舎利大塔、インドのブッダガヤ大塔を模したものだといい、内部は納骨堂になっているそうだ。こんな立派な御朱印があるといいますが、私はごく平凡な御朱印を頂くのでした。このお寺さん道成寺と縁があるとのことで、その寺...京都の紅葉no10(2024妙満寺その1)

  • 京都の紅葉no9(2024今熊野観音寺)

    今熊野観音寺へやって来た。そこには大きく「紅葉祭」連なっている赤い小さな幟には「ぼけ封じ祈願」「厄除け祈願」等など。境内は随分広い、振り返ってみれば、ちょっと踏み込んだだけで帰ってしまったようだ。よって撮影した写真は、ほぼ無しって感じ。平安時代、弘法大師が熊野権現から観音尊像を授かり、嵯峨天皇の勅願により開運厄除けの寺として開創されたと書き、後白河法皇が云々などとかいてある。どこが「紅葉祭り」なのか、「南無観世音菩薩」が泣いていた。この石段のぼりには勘弁いただいて紅葉のない寺院をあとに帰り道となるのでした。そして高台寺にやって来た。高台寺から下に眺めたのは二年坂と聞いた。そこにはいっぱいのひと。写真からは切れちゃいましたが左奥には清水寺の三重塔が見えていた。こんな姿が折々見られます。貸衣装屋さんから調達か...京都の紅葉no9(2024今熊野観音寺)

  • 京都の紅葉no8(2024泉涌寺)

    次のお寺さんに向かってタクシーは走った。そこに五重塔が見えた。連写撮影をしていれば小路の真正面に塔を捉えることができたろうに、シャッターのタイミングがチト早すぎた。塔の正体は法観寺八坂の塔。「地球の歩き方」に、こんな写真が載っていた。清水寺の方からこんな感じで見えるのかな。飛鳥時代に聖徳太子が建てた日本最初の五重塔だと紹介していた。戦いや落雷で三度焼失、現在の塔は、室町将軍の足利義教によって1440年に再建され今日に至っているとのこと。「御寺泉涌寺」この御寺と呼ぶところがくせ者。鎌倉から幕末まで歴代天皇の葬儀を行った皇室の菩提寺であったことから「みてら」ともよばれる格式の高いお寺だと紹介されている。大門を抜けたすぐそこ左側に「楊貴妃観音堂」唐の時代の皇帝の妃・楊貴妃がモデルと伝わる楊貴妃観音像、これがこの...京都の紅葉no8(2024泉涌寺)

  • 京都の紅葉no7(2024湯葉懐石)

    お昼のお弁当を頂きに祇園に向かっています。たまたま八坂神社の前を走りました。鳥居があり参道もないからこちらは正門ではないらしいけど。西楼門っていうのかも。「花見小路」こんなところでタクシーから降ろされた。祇園らしい小路を歩いて・・・歴史ありがうかがえる「うえもり」の暖簾をくぐります。本日のメニューは「湯豆腐・湯葉懐石」美味しく頂くのでした。夏でもないのにまぶしいのかな、どの家にもすだれが降ろされていた。お店を出て、西松竹小路を歩いてきたら南国小路に突き当たった。舞妓さんは遠く方にその姿ありだった。京都の紅葉no7(2024湯葉懐石)

  • 前撮りの聖地なのかno6(2024毘沙門堂)

    山科の奥まったところまで入ってきた。まず目に入ったのがこちら。お手々つないでの幸せさんがいらっしゃった。しゃがんでいる方がカメラマンかな。どんな構図を狙っているんでしょうか。朱塗りの仁王門をバックにこちらもお二人さん。ここ毘沙門堂の創建は703年文武天皇の勅願によって開かれたといいますが、新婚さんがお参りすると幸せがいっぱい押し寄せてくる。とはどこにも書いてありませんでした。ここ本殿から入場します。ドーンと構えているとはいえないこのお社は徳川家寄進によるものだといい、本尊毘沙門天が祀られているとのこと。この地の紅葉は11月下旬~12月が見頃だと寺院のパンフレットには印刷されている。今日は25日、やはりちと早すぎたの感ありなのです。秀吉の母・大政所ゆかりの弁才天が祀られているという高台弁才天の屋根が木々の中...前撮りの聖地なのかno6(2024毘沙門堂)

  • 京都の紅葉no5 (2024永観堂)

    京都での二夜はザ・プリンス京都宝ヶ池。朝食は3ヵ所のレストランからチョイス。私は和食とした。三段重ねを載っけた大きいお膳が運ばれてきた。三段目がこれだった。美味しくて珍しくも完食となりました。レストランの朝はまぶしい緑。紅葉はありませんでした。今日の観光はバスでは近くまで行けないという穴場の寺院を選んで、こんなタクシーでの1日になるのでした。お寺さんの名前は禅林寺というのですが、何故か永観堂の方がとおりがいいらしい。3000本のもみじと「みかえり阿弥陀さま」が有名だという。そのお寺は、南禅寺の近くにありました。放正池の周りのもみじは随分色づいていました。池の中ほどの小島には弁天社がある。池の周りは人溜まり、女の子が多いようでした。お堂の入り口に向かっては人人人の感あり。靴を脱いでビニール袋に入れて持ち歩い...京都の紅葉no5(2024永観堂)

  • 京都の紅葉no4 (2024しょうざん)

    しょうざんリゾート内の料亭「千寿閣」で京会席料理をいただいて、すぐ隣のライトアップされた庭園を散策。樹齢450年という古木を混えた北山杉の林の中を廻遊していくのでした。いやびっくりでした「北山杉」ってこんなにグジャグジャに曲がりくねるのでしょうか。木をいじめ抜いてこんな形にしてしまったのではないのかなぁ・・・なんって思ってしまう。グジャグジャ杉からこんなに真っ直ぐな杉が伸びています。いじめなければはじめからこんな伸び方をするのではないのでしょうか。波立たない池に映る木々、まさに鏡だ。京都の紅葉no4(2024しょうざん)

  • 京都の紅葉no3 (2024龍安寺その2)

    画角が少しずれていますが、次の写真が2019年に撮影したもの。これも、次の写真も2019年のものです。適期に訪れればこんなにも紅色に染まるのです。「第3の龍」と説明している。さて、お部屋がいくつあったっけ。どこの襖もこの龍の絵でした。「龍雲図襖絵」は全40面あるといいます。4月1日から公開が始まり、今回が3期目となり11月1日から3月31日まで「第2から第8」までの32面とのことです。前の写真「龍雲の図」の上に掲げられている額の説明をしている。細川護熙筆としてある。龍安寺の開基細川勝元公550年遠忌記念として、1993年(平成5)内閣総理大臣に就任された細川氏が余生を送る中で2023年までに全40面を奉納されたといいます。余談になりますが、この写真の下面に細川家の家系図が置かれていた。どなたが作成したのか...京都の紅葉no3(2024龍安寺その2)

  • 京都の紅葉no2 (2024龍安寺その1)

    龍安寺への歩き。行く先に門が見えている。門をくぐるとちょっといい感じ。お池は「鏡容池」お寺さんの見学を終えたあと、この池の周りをぐるり。石段を上って庫裡に向かってます。この画にはどこにも紅葉はありません。2019年12月1日京都を訪ねました。その時も紅葉目的でしたが訪ねたところが被ったのは、ここ龍安寺だけでした。ほぼその場所と思われるところの写真を重ねていってみます。前の写真の庫裡に向かう石段、この時は落ち葉がいっぱいでした。龍安寺といえば「石庭」ここで数えれば間違いなく15個の石がある。でも・・・2019年の時はこの屏風絵はありませんでした。どなたが描かれたのだと思いますか。2019年の写真。石は11個しか目に触れません。京都の紅葉no2(2024龍安寺その1)

  • 京都の紅葉 (2024北野天満宮)

    9月24日京都の寺院めぐりをして紅葉を楽しもうとやってきた。紅葉は1週間から10日遅れていると報道を賑わしている。覚悟はしてきたのですが、やはり覚悟したとおりでした。桜花や紅葉、こいつはいかんともしがたい。旅行社は、多分1年も前から計画を組んでいるでしょうから何ともしがたい。「運」という奴にかけるしかないのかも・・・世界各地で異常気象の現象が見られている。みんなで温暖化を阻止しようと結ばれているパリ協定。トランプ大統領の時代、あの大国が「おら抜けた」と脱退宣言。バイデン大統領が復帰したと思ったら、何にも懲りないあのおじさんが、またゾロ脱退の準備をしているとの報がある。すべての事象についてこれからの4年間どうなるだろうと気がかりになってしまう。京都駅を出るとすぐに西本願寺だ。目の前の建物は「太鼓楼」新撰組ゆ...京都の紅葉(2024北野天満宮)

  • ドーハから関空へ(2024アイスランドno412)

    ドーハ空港到着タラップを降ります。ターミナルとの間をこんな立派な車での移動となるのでした。ターミナルはデカくて立派。こんなプールみたいなのもありでした。ターミナルにはこんな林もあった。ドーハ空港を発ちます。お休みタイムの照明はこれ。9時間30分を要して関空近くだ。窓外に見えている大きなリングは建設が進んでいる大阪万博の会場かな。ドーハから関空へ(2024アイスランドno412)

  • 帰国便(2024アイスランドno41)

    下船後バスで約2時間のドライブ、ロンドン・ガトウィック空港到着。聞いたこともない空港名だった。カタール航空のカウンターでチケットの交付を受けて・・・ドーハ行きの飛行機がそこで待っていた。B787機への搭乗です。座席前のモニターに映し出されているこのB787機の座席の様子。離陸前にシャンパンのサービス。動き出すと回収に来ます、飲み干すのに大忙し。飛行機が揺れました。グラスのワインがユ~ラユラ。まもなくドーハロンドンからの所要時間約6時間。飛行機は駐機場にピタリ。帰国便(2024アイスランドno41)

  • そして下船(2024アイスランドno40)

    最後の晩餐にはちょっとした趣向があった。みんなで明るく楽しく客船ではおなじみの姿だ。厨房の皆さんも集まってみんなで踊ります。15日間、最後の航路を終えて翌朝サウサンプトン港に到着。スーツケーなどの荷おろしが続きます。下船が始まりました。降ろされた3000人からの荷物はこのとおりだ。そして下船(2024アイスランドno40)

  • 観光全行程終わる(2024アイスランドno40)

    独り歩きも無事終えて、バス乗り場に来て車上の人となった。両側に整然と連なる建物はアパートでしょうか。その突き当たりには教会らしきがある。都市計画がなせる並びか、家屋がきれいに並ぶ。歴史ありの建物を写した。後日調べてみてびっくり「スチュワーツ・メルビル大学」私立の学校ですって、かっては何の建物だったのでしょうか。手前は牧草地、奥には麦畑が・・・鉄道橋のたもとに返ってきた。テンダーボートに乗って船に返ります。寄港地の記念プレートがいっぱい並んでいた。公開中プロによって撮影された写真がゾロゾロ並んでた。21:40になっても、まだ北の海は明かりが残っています。20:00に出航した船は最終航路をサウサンプトンに向けて走ります。よく歩かせていただきました。月ベストと表示されてる。観光全行程終わる(2024アイスランドno40)

  • 聖ジャイルズ大聖堂(2024アイスランドno39)

    独り歩きになりました。皆さんは添乗員共々まだ何処か遠くまで行くというので私はその歩きをキャンセルして帰路に着くこととしたのです。聖ジャイルズ大聖堂に入場しようとしてやってきた。この聖堂はロイヤルマイルのちょうど中間点に位置するという。1120年に創建されたというが宗教改革の最中に多くの装飾が破壊され、1385年に再建されたと言います。王冠の様な形をした搭が印象的な、石造りのゴシック様式の教会との解説があった。そこに横たわっている方はキリストさんでしょうか。大聖堂を出たらマグパイプ奏者を先頭にした歩きがあった。定かではありませんがお嫁さんとお婿さんも一緒に歩いているようでした⁇電話ボックスも歴史の街になじむって感じ。もう新市街地歩いているのですが、なぜかまたスコット・モニュメントの見えるところに出た。独り歩...聖ジャイルズ大聖堂(2024アイスランドno39)

  • エジンバラ城に向かって(2024アイスランドno38)

    歴史の町をどんどん歩きます。巨大なモニュメントは「スコット記念塔」小説家ウォルター・スコットの記念碑だそうです。スコットさんってどんな方か知りませんが、作家の記念碑としては世界最大、高さ61mもあるとのこと。正面に見える騎馬像はウェリントン侯爵とのこと。なんでも連合王国貴族の中では筆頭となる爵位だそうだ。歴史ありの随分立派な建物だと思ってパチリ。後日調べてみたら「バルモラルホテル」と出てきた。二階建てバスが連なってた。やはり観光地であることには間違いない街らしい。旧市街を東西にまっすぐ貫くメインストリート「ロイヤル・マイル」を歩いている。東端に王室が使用するというホリールードハウス宮殿があり、西端のエジンバラ城とを結ぶ1.6km、旧市街地には歴史的建造物が建ち並び見所の多い人気の観光地という。私たちは1....エジンバラ城に向かって(2024アイスランドno38)

  • ナショナルギャラリー(2024アイスランドno37)

    ここスコティッシュナショナルギャラリーは、スコットランド国立美術館の一部だそうです。ぐるりゆっくり鑑賞です。まずこの絵が目に入りました。レオナルド・ダ・ヴィンチの「糸巻き聖母」1501年はるか彼方の作品だ。・・・異常に大きな幼子キリストが十字架の形をした糸巻きをじっと見つめています。まるで自分が将来磔刑になることをすでに知っているかのようです・・・なんて説明しています。「ナイヤガラの滝、アメリカ側から」1867年アメリカの画家フレデリック・エドウィン・チャーチだそうです。「眠れるキリストを礼拝する聖母」1485年イタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリの作品絵画はいっぱい並んでいます。絵にはさして関心を持たない私ですので、ちょっと目を引かれる作品だけパチリ。横に書かれている作品説明もパチリ。後日翻訳機能を...ナショナルギャラリー(2024アイスランドno37)

  • エジンバラ散策 その1(2024アイスランドno36)

    バスで40分走ってスコットランドの首都エジンバラにやってきた。それにしても英国という国はおもしろい国だ。イングランド、ウェールズ、スコットランドそして北アイルランドの四つの国で構成されているという。そしてそれぞれの国に首都があるということらしい。ロンドンはイングランドの首都ということらしいが、議会や政府もないという。調べてみると全く奇妙な国だ。正面の空色の帽子を載っけた建物気になるのですが何者か分かりません。天麩羅屋さんがあった。ダルマの絵が描かれた提灯がいくつも吊り下げられていた。そして黄色のお店の名前の所には、izakayaと印され「いざかや」とフリガナされていた。どこをどう歩いたのか、また気になるドームの建物が見えてきた。もうここは旧市街地ということかな。1995年(平成7)に「エディンバラ旧市街と...エジンバラ散策その1(2024アイスランドno36)

  • テンダーボートに乗って(2024アイスランドno35)

    船はエジンバラ郊外のフォース湾に沖どめされてテンダーボートでしばらく走ってエジンバラに向かうのでした。まだ私たちの順番にはなりません。こんな感じで海面に下ろされます。上段のデッキに上ってみました。船内に閉じこもっているよりも気分は爽快です。先方にフォース橋が見えてきた。フォース鉄道橋を列車が走ってきた。この橋2015年に登録された世界文化遺産、全長2530m、海面から46mにある長大橋、1890年に開通し別名「鉄の恐竜」と呼ばれているといいます。船はこの鉄橋の下をくぐってまだ進みます。バスに乗ってからも鉄橋を振り返りました。橋脚の向こうに私たちの船が見える。テンダーボートに乗って(2024アイスランドno35)

  • インバネス街歩き その3(2024アイスランドno34)

    ネス川がゆるりと流れます。その河口にできた町が、ここインバネスだといいます。あっちにもこっちにもある教会を見て回ります。しかし中には入りませんでした。川に沿って歩いてくるとすぐそこに見えた。工事中で遮蔽壁に覆われていて見学できなかったインバネス城を振り仰ぐのでした。民家でしょうか、こんな造りのお家が並んでいました。船にかえってふらりと歩いていたら、ぬいぐるみの可愛らしいお土産がどっさり。18:00に出航した船は、このツアー最後の観光地スコットランドの首都エジンバラを目指します。インバネス街歩きその3(2024アイスランドno34)

  • インバネス街歩き その2(2024アイスランドno33)

    街歩きが続きます。ビクトリアマーケットに行こうとこんな路地を歩きます。少し華やいだところにやってきた。アーケイドの天井には小さな電飾等が並んでた。夜来たらどんな景色なんでしょうか。牛と鶏肉のお店の隣にお寿司屋さんがあった。そのお店のメニューを写したのが次。お寿司の単価は9.50から37.50と示していた。日本円に換算してみると1870~7390円ってことになるんだけど、びっくり。円安ってのの影響もあるんでしょうか。インパネスの鉄道駅がここにあるという。ロンドンまで走るのに8時間ほどを要するようだ。こぢんまりとしたこのお店に入ってランチの時間です。レストランというよりスナックってな感じ。スコットランド牛のサンドイッチを頂くのでした。サンド美味しかったけどボリュームありすぎて完食できなかった。ここにもスコット...インバネス街歩きその2(2024アイスランドno33)

  • インバネス街歩き その1(2024アイスランドno32)

    大聖堂(後ろ)を出たそこにキルト姿の青年がバグパイプを演奏していました。ネス川を渡る橋にはきれいな花が植栽されていた。ネス川といえばネス湖から流れ出る川。ここから8km遡るとネス湖だといいます。ネス湖へは1994年(平成6)に訪問している。朽ちそうなお城から湖を眺めたのですが、もちろんネッシーの姿はありませんでした。街中を歩いて坂道を上ってインバネス城に向かいます。お城に来たらこの有様。WELCOMEとして矢印示しているのに・・・・大きなトレーラーの向こうにお城が見えていますが。そこへ向かうのは不可らしい。工事中の遮蔽壁がグルッと取り囲んでいた。むなしさを抱えながら坂道を下り行きます。街歩きが続きます。牛の親子だ。ハイランドファミリー。スコットランドに生息する固有種だというハイランド牛、冬の厳しい寒さに耐...インバネス街歩きその1(2024アイスランドno32)

  • インバネス

    す。遠くに見えるのは、インバネス城。1057年にスコットランドのマール・コリュム3世によって建設されたと言われています。今日の寄港地インバーゴードンは、スコットランド北部一帯の地域を指すハイランド地方の玄関口です。インバーゴードンの町自体は小さいですが、大型船も停泊できる港があり、多くのクルーズ船が寄港します。ネス湖まではバスで約1時間。乗車してしばらくは広大な土地が広がっていました。途中ウィスキー工場の近くを通り、ハイランド地方の中心都市インバネスです。ネス川の河口に広がる町で、これが町の名前の由来となっているそうです。遠くに見えるのは、インバネス城。1057年にスコットランドのマール・コリュム3世によって建設されたと言われています。インバネス

  • セントアンドリュース大聖堂(2024アイスランドno31)

    バスを降りて最初の見学場所、ネス川沿いに立地している「セントアンドリュース大聖堂」が見えてきた。教会に入場しましたが、コメントする言葉がありません。味気なくもベタベタ写真を貼り付けるだけ。個室みたいな小さな祈りの場もありました。牧師さんがお話中でした。お参りした人たちが記帳していた。このページを一枚めくったところに、私も記帳してみた。日本語漢字で書いているひとなんかいないんだから貴重な一行になったかもね。翻訳して読んでくれるでしょうか。2019年がこの大聖堂ができてから150年の記念年だったのか。音符をつけて「ハレルヤ」と謳ってる。宗派ってのがあるかどうか知りませんが教会の位置にでしょうか色つきピンが刺さっていた。よく見たら日本国には三本たってた。。セントアンドリュース大聖堂(2024アイスランドno31)

  • インバネスでの観光始まる(2024アイスランドno30)

    上の方に散らばる島々がオークニー諸島、赤点地点が観光したカークウォール。下方の赤丸点が今日船が寄港したスコットランドのインバーゴートンという港。寄港地インバーゴードンの町は人口4000人という小さい町だそうですが、スコットランド北部一帯の地域を指すハイランド地方の玄関口だといい、大型船も停泊できる港があり、多くのクルーズ船が寄港するといいます。そんな港にやってきてスコットランド北部の文化の中心地といわれるインバネスの町での観光に出かけます。7月25日午前7時前にインバーゴートンの港に入ってきた。バスに乗ってインバネスに向かって45分ほど走るといいます。車中撮影のためピンボケ。赤い花と黄色の花がきれいでした。黄金色の絨毯は色づいてきた麦畑。このピンクの花ヤナギランでしょうか。。小さなスタンドに囲まれたサッカ...インバネスでの観光始まる(2024アイスランドno30)

  • 船の上で(2024アイスランドno29)

    船に帰ってきてランチを頂いて船内をブラブラ。船からの眺めはこんな景色が広がっているのでした。牧場の黒い点々は肉牛らしい。清々し眺めです。羊と黒牛、赤ちゃん牛もいっぱいいるようでした。15時を過ぎています。どこを見て歩くコースに参加した皆さんでしょうか。何カ国の国旗がはためいているのでしょう、帰船の時です。遊歩路に歩く人はいません。お掃除に励む乗組員さんだけでした。昼日中にはカジノを楽しむ人はいませんでした。船の上で(2024アイスランドno29)

  • 聖マグナス大聖堂(2024アイスランドno28)

    懐かしい景色があった。電話ボックスと郵便ポスト。正面の建物、1540年にスコットランド議会がここで開催されたそうだ。約70もの島で構成されているというオークニー諸島は、かってノルウェーの支配下にあったといいます。1468年に娘がスコットランド王と婚約したことによってオークニー諸島を娘の持参金代わりにスコットランドに貸与したとのことですが、その持参金の支払いがなされなかったため、以後スコットランド王国の一部になったとのことです。そんな奇妙な歴史を持つ島国なのです。聖マグナス大聖堂にやってきた。この聖堂はノルウェーの支配下にあった1137年ノルウェー人のオークニー伯爵ログンヴァルドが叔父マグヌスのために建てたといいます。赤と白の石灰岩を建材としたこの聖堂の円柱は、教会としてはちょっと変わった雰囲気を醸し出して...聖マグナス大聖堂(2024アイスランドno28)

  • イギリス最北の地(2024アイスランドno27)

    イギリス最北の地にやってきた。オークニー諸島という。アイスランドがそこにあり、ノルウェー海ですって、なるほどノルウェーがすぐそこだ。カークウォールの港に入ってきた。建物が近く遠くに2棟、何でしょうね。他に建物は何もありません。ズームで撮影した写真を次に貼ります。これ、灯台でしょうか。ちょっと立派すぎるんですが。近くに太陽光発電の小さな装置もあった。こちらはお城かな⁇何を養殖しているのでしょうか。海に浮かんでいる池。今日の観光に出かけます。地元のガイドさんのお出迎えがありました。こんなシャトルバスに乗って出かけます。車内でガイドさんと添乗員殿が打ち合わせ中。バスの中から我らが下船した船が望めた。ポストオフィス郵便局だった。こんな大きな庁舎なのに入口が小さすぎる。それに郵便物を投函する所もよく確認しなければよ...イギリス最北の地(2024アイスランドno27)

  • イタリアンレストラン(2024アイスランドno26)

    7月23日、旅も13日目を迎えての朝、天気はほぼ快晴、船上で過ごす時間であっても空の青と青い海はやはり気分爽快。絵画のオークションらしきだ。お客さんはチラホラと寂しい。今宵はクルーズ3回目のフォーマルの日。旅行社がイタリアン料理をセットしてくれた。レストラン「サバティーニ」の前で集合写真、そしてお料理を頂きます。支配人と記念にパチリ。以後次々と出てくるお料理を並べていって、本日のブログは終わります。船内での食事とは大違い、何とも美味しいメニューを楽しんでいただきました。終宴のとき、添乗員と支配人のツーショット。イタリアンレストラン(2024アイスランドno26)

  • 寄港ならず(2024アイスランドの25)

    昨夕キャップテンからアナウンスがあったそうだ。アイスランド最終寄港地であるセイジスフィヨルドの天候が思わしくなくテンダーボートによる運行が困難とのことで、急遽、抜港することになったとの放送が入ったとのこと。抜港(ばっこう)とは、寄港を取りやめるという港湾業務用語だそうです。最後の観光をパスするとは、そこがどんなに素晴らしい所だったろうかと悔やみが募る。観光をしようとしていたところは、フィヨルドの最奥部にある人口700人ほどの港町。周囲を山々に囲まれておりトレッキングの人気が高い。なんてガイド本には書いてある。さて、我々は何を見ようとしてたんだろうか。フィヨルドの奥まったところではとても接岸できるようなところではないでしょう。テンダーボートに乗って大波を食らって転覆なんて事態になっては、船長はもちろん安全第...寄港ならず(2024アイスランドの25)

  • フィヨルド沿いの町(2024アイスランドno24)

    船に向けての帰路、対向車にはまず出会わない緩い下り坂を行きます。すぐそこの山には残雪。このまま越年してしまう万年雪となるのでしょうか。バスには可愛らしい男の子が同乗。へぇ~こんな子も船に乗っていたんだ。緩い傾斜地には牧場が続きます。エイヤフィヨルズというフィヨルドは奥深く切れ込んでいた。地図を見るとずーっと島の奥まで入り込んでいるのが確認できる。フィヨルドの真ん中、人工島には国内線の飛行場があるそうだ。対岸にフィヨルドの最も奥に位置するというアークレイリの町が見えてきた。アイスランド第2の都市だという。でも人口はわずか2万人弱、さすが世界で4番目に人口密度の低い国の実情をみる思いがするのでした。フィヨルドにへばりつくように街がつながっていた。今朝のとおり3隻の船がまだ並んでた。手前が私たちの船。15時30...フィヨルド沿いの町(2024アイスランドno24)

  • 神々の滝を眺めに(2024アイスランドno23)

    珍しくも牧場があった。ここも乳牛ではなく馬だ。何故馬なのだ。分からん。植物園から40分ぐらい走ったでしょうか。滝に着いた。バスを降りる前に撮影。「ゴーザフォス」(神々の滝)の案内板だ。もちろん何も読めない。ガイド本によると9世紀頃入植してきたバイキングたちは多神教の人々だったとのこと。その後キリスト教が広がって宗教対立も。議会でアイスランドの宗教をどうするかが議せられ、キリスト教が国教とされたという。以後異教の神々を崇めることはできないとして、自分たちの携えていた神々の像をこの滝壺に投げ捨てたという伝承がある滝だそうだ。なるほどこの絵を見ると神の像を投げ入れている姿が描かれている。落差12m、幅は30mを超えるという。氷河の溶けた水の流れが集まってきているのでしょうか、アイスランドの滝の中でも唯一の美しさ...神々の滝を眺めに(2024アイスランドno23)

  • アークレイリ観光始まる(2024アイスランドno22)

    毎朝ひとりで通勤するレストラン「パームダイニング」テーブル担当のお兄さんとお話。日本で「飛鳥」に乗船して働いていたとのこと、住まいは横浜でしたって。満点の日本語ではありませんでしたが、意はお互い通じ合えたようでした。このバナナとゴッチャゴチャ盛り付けフルーツが美味しいのでした。毎朝かかせない一品となるのでした。港には2隻の旅客船が並んでた。どうやら同じ会社の船らしい。船体にかかれている船名を調べてみて驚いてしまった。「AMADEA」アマデア、1991年(平成3)三菱重工長崎造船所で竣工した初代飛鳥だったというではありませんか。2006年にドイツの会社に売却、旅客定員624名、29千トンという小柄な船で、ドイツへお嫁入り後も日本へ何回か里帰りしているらしい。今朝の集合場所もシアターでした。道路標識信号機の「...アークレイリ観光始まる(2024アイスランドno22)

  • 次の寄港地に向けて(2024アイスランドno21)

    テンダーボートに乗って船に帰ってきて船内ブラブラ。16時にグルンダルフィヨルズルを後にし、次の寄港地に向かいます。中国からのお客さん。麻雀とトランプで卓を囲んでた。多いときにはもう1卓。しっかり賭けて楽しんでいるのでしょうか。氷河が大きな山頂を覆っている(すべて氷河じゃなく雪もあるだろうけど)。世界自然遺産にも登録されている国立公園の象徴スナイフェルス山。象徴に違わぬ雄大さと美しさだ。火山の山がもうはるか彼方に。天気予報を調べてみた。7月末だというのにやはり寒々しい温度を示している。キラキラきらびやかなカジノだ。今宵は乗船後2回目のドレスコードはフォーマルの日。私はフォーマルでのメインダイニング行きは欠席してデッキ15でお好みに合わせてのビュッフェとするのでした。今日は乗船後9日目の夜、毎夜このシアターで...次の寄港地に向けて(2024アイスランドno21)

  • まだ自然の中に(2024アイスランドno20)

    原野の中に真新しい住宅の並び。寒冷のこの地では草の伸びが抑えられてしまうらしく、草刈り作業という煩わしさはないのでしょう。歩きの時間が続きます。少しガスが出てきたようです。奥に見えているのは灯台だそうです。アイスランドには三つの国立公園があるという。その中で一番大きいのがスナイフェルス・ヨークトル国立公園でなんとアイスランドの面積の14%を占めているという。そのビジターセンターに立ち寄りました。ウィキペィデアをひもとくと「アイスランドでもっとも良く知られている観光の名所であり」と記されている。この地図はスナイフェルス・ヨークトル半島。その象徴はなんといっても氷河に覆われているというスナイフェルス山ということらしい。こんなに山の連なりがあったっけ、山の中を走るという体験はなかったんだけどね。地図の中、海辺に...まだ自然の中に(2024アイスランドno20)

  • 自然界に触れて(2024アイスランドno19)

    旅も10日目を迎えた。7月20日6時グルンダルフィヨルズルに着いた。船は港に接岸することができず沖合いでの停泊となった。半島の先端に900人弱の住民が生活するという小さな町だ。観光に向けてシアターへの集合となった。テンダーボートへの乗船は船が整えば順次呼ばれてここの席を立ちます。港までは15分、ボートに乗ります。早い順番の人たちは2階席に向かうようです。海辺の村アルナルスタピにやってきた。バスの中から写しています。先に到着している皆さんの服装をみてください。涼しいのです。いや寒い。きれいな景色。スターパフェル山と聞いた。遠く山裾に見えているのがグルンダルフィヨルズルの町だろうか。たなびく雲がまるで目線の位置だ。走っている間お家は目に触れません。画像を拡大してみて確認。放牧されているのは牛ではなく馬でした。...自然界に触れて(2024アイスランドno19)

  • レイキャビック観光その2(2024アイスランドno18)

    アゥルバイル野外博物館にやってきた。名前のとおりその展示物は、この案内板のとおり野外に散らばる19~20世紀の建物が保存修復のためこの地に移築されて保存されているのだといいます。純朴な「welcome」さすが歴史を語る野外博物館の面目躍如。雨が降り始めたなかをガイドさんの案内で歩きます。干し鱈を手にして説明。このお家漁師さんの家屋だったのでしょうか。生まれが農家の私にはあまり見学意欲がわきません。広大な敷地の中にひつじやお馬ちゃんが遊んでた。冷暖房を兼ねるという草がいっぱい生え屋根の屋根の農家前でガイドさん。この農家さんのお家のに入ってみた。何をなす場所なのか皆目検討がつきません。そこに見えるのは、農耕のとき馬の背に乗っける鞍かな??こちらまだ新しい農家。1948年(昭和23)に人が住まなくなったといい、...レイキャビック観光その2(2024アイスランドno18)

  • レイキャビック観光その1(2024アイスランドno17)

    無いと思っていた写真が出てきました。私はカメラふたつとスマホで撮影しています。ちょっと重い一眼レフは持って行かなかっただろうという先入観から、そのカメラの中身を確認しないで前回のブログno16を書いていて、写真が無いといって不思議に思っていた訳なんです。てな事情で、幸い出てきた写真で再度アイスランド首都のレイキャビック観光を始めます。首都レイキャビックに近づいてきた。台地はきれい。海鳥が舞ってた。8:30頃接岸。前回のブログに書いたとおり9:25下船して市内半日観光に出かけます。第二次世界大戦中にイギリス軍が築いたといい、現在国内線滑走路として使われている走路の横を走りました。アイスランド最大、この町のランドマークだといわれているコンクリート製73mのハットグリムス大聖堂眺めながらバスは走りました。2階建...レイキャビック観光その1(2024アイスランドno17)

  • アイスランドに着いた(2024アイスランドno16)

    ほめられた地図ではありませんが、アイスランド国はこんな島だ。北海道と四国を合わせたくらいの島をフィヨルドが取り巻いていることが分かる島なのです。紫色にマークしたところをぐるりと観光して巡ります。船が寄港したところが赤丸印、この国の首都レイキャビック。人口12万余の小さな町、市内の暖房・給湯システムは地熱のエネルギーのみを使っているという。まさに火山国の恵みだ。周囲の市を含めた首都圏人口が21万人、アイスランドの全人口の2/3がこの一帯に集中しているといいます。首都としては世界最北の地に位置するといい、北極に一番近い首都ということになる。下船前に調べてみました。雨降り確率が高いし、やっぱり涼しいぞ。週間予報をみても日々微妙な天気だ。船会社が設定しているレイキャビックの半日観光に出かけます。これが参加用のチケ...アイスランドに着いた(2024アイスランドno16)

  • 船の中での3日目(2024アイスランドno15)

    終日船の中、何もすることがありません。よって写真はディナー時のこの2枚だけ。船の中での3日目(2024アイスランドno15)

  • 終日クルーズ2日目(2024アイスランドno14)

    6:182日目の朝、北大西洋を走ります。陸地なんか見えるはずがないんですが、島影が見えた。どこを航行してるんだろうか。12日乗船してからの付けがこうして記録されてゆきます。そうはいっても日本の日本の情報が欲しいとインターネットの契約をした。それが399.84ドルだ。そして昨夜のお医者さんへの支払いが1609.30との請求が来た。以後下船するまでの日々がこうして綴られるのです。試食・試飲会なのかな、アート&クラフト「花作り」、アフタヌーンティー、ビンゴゲーム、ラインダンス教室なんてのもある。こうした幾多のイベントがあるのですが、私は見向きもしないのでした。氷彫刻デモンストレーション。クルーズ船では当たり前の出し物だ。何を彫っていただけたのか、逆光での撮影位置からで哀れな姿しか写し出せませんでした。作者さんに...終日クルーズ2日目(2024アイスランドno14)

  • シャンパンタワー(2024アイスランドno13)

    今日から3日間終日航海の日が続きます。夜の部まで写真はありませんし、何も書くことがありません。今日は乗船して初めてのフォーマルナイト。ディナーのメニューもキャップテンのウエルカムメニューとされていて特別豪華なのかな⁇。このメニュー、朝と夜の食事の時英語版のメニューを添乗員嬢がこうして和訳して皆に配布してくれるのです。およそ見当をつけてこの中からピックアップするのでした。このデザートが甘すぎて勘弁してもらったことだけは覚えている。シャンパンタワーの催しが始まろうとしています。シャンパンを頂いているところを一枚写していただいた。このシャンパンが過ぎたのが後の祭りになるとは思ってもみませんでした。各階層に多くの人たちが集まってきています。中央に立つ青いドレスの方が総合司会をしていらっしゃった。船長が主なポストの...シャンパンタワー(2024アイスランドno13)

  • コーヴの街歩き(2024アイスランドno11)

    午後のコーヴの街歩きには参加するのでした。船を降りたそこから歩き始めるのでした。しばらく歩いて振り返ってみると・・・海辺に姉弟「アニー・ムーア」の像があった。1877年(明治10)生まれのアニーが幼い弟ふたりを連れて、両親と兄が待つアメリカへ旅立ったという。この事だけであれば、大西洋を渡ってのアメリカ移民は当時当たり前のことだったでしょうから、取り立ててどうってことないでしょうが、ニューヨークのエリス島に移民局が開設されての移民第1号として彼女は登録されたというのです。その船には多くの住民が乗っていたでしょうが、第1号とは奇跡という他ないでしょう。移民第1号として登録されたのが1892年(明治25)1月1日、その日が彼女の15歳の誕生日だったんですって。てなわけで、この像が有るのが理解できるのです。付け加...コーヴの街歩き(2024アイスランドno11)

  • アイルランド コーヴ寄港(2024アイスランドno11)

    旅が5日目になった。イギリスのすぐ隣の島、アイルランドにやってきた。午前中の観光はこの国で2番目に大きな都市コークの観光だといいます。聖アン教会とイングリッシュ・マーケットを見て回るという。教会の鐘楼には120段の階段があると説明されていた。その階段に恐れをなした私は、観光不参加を決め込むのでした。・・・が帰国後添乗員嬢が綴っておくってくれた旅日記には細部にわたって生々しい観光の様子が書き込まれているのでした。以後も、このブログを書くに当たって貴重な資料とさせていただくのです。ネットから拾い出した聖アン教会かこちら。皆さん123段の階段を登って鐘楼のてっぺんからコークの街を眺めたそうだ。私は午前中何もすることがない。お昼にはピザ屋さんでこんな切片を2枚いただいた。どちらのピザも美味しかった。接岸したそこに...アイルランドコーヴ寄港(2024アイスランドno11)

  • ショータイム(2024アイスランドno10)

    道路のロータリーにはどこにもアジサイ。船着き場まで1時間45分走ってテンダーボートに乗るのでした。船内はこんな感じ。20時から45分間のショーを観ようとシアターに行ってみた。2階席の一番後の席からの眺め、ほぼ満席のようだ。左側空席のある青いシート席は体の不自由な方の席らしい。歌手とダンサーによるプロダクションショーということでしたが、私にとっては、ただただ退屈な時間を過ごしただけでした。通路から離れた真ん中の席に座ったのが失敗でした。「ごめんなさい」といってひとさまの前を途中退席しづらいもんね。暇に任せて、飽きもせずまた夕日を撮影。21:39すっかり陽は落ちた。ショータイム(2024アイスランドno10)

  • セント・アイブス(2024アイスランドno9)

    岬から約1時間のドライブで「セント・アイブス」小さな町にやってきた。人口11千余の海に接した町、大型バスが入り込めません。途中でミニバスに乗り換えてやってきたのです。ご覧のとおりの小道を歩くのです。かっては漁業の町、現在では陽光の穏やかなリゾートの街として観光業に依存しているといいます。小径を歩いて行くとこんな教会があった。名前は不明。イギリスにおいては「南国」に当たるこの町には、多くの芸術家が集まったという。人間国宝に認定されたという濱田庄司氏もこの地で陶芸の技に励んだといいます。そんな縁もあってこの町は、2012年に益子焼の益子町と姉妹都市提携を結んだそうです。前の写真、看板を丸で囲んだレストラン「ARDOR」というお店でランチ。いや何とも美味しかった。船でもこんな美味しい食事がいただけないものかと、...セント・アイブス(2024アイスランドno9)

  • 地の果て岬(2024アイスランドno8)

    コーンウォール半島の先端ランズエンドを目指してのドライブです。刈り取りも近いかな、といった感じの麦畑が並んでいました。約30分のドライブで「ランズエンドへようこそ」と、この地がお迎えしてくれました。ランズエンドとは「地の果て」とのことで、イギリスの最南端の地だといいますが、ほんとかどうか知りません。「地の果て」の写真スポットで記念写真撮影中。ニューヨーク3147、多分km。他には今日の日付。あとは何が書かれているのか分かりませんでした。岬には、こんな花がいっぱいに広がっていました。近寄ってみれば分かったでしょうが、芝桜かも。観光地として、別にどうって感想もないんですが、土産物には、あの「地の果て」建て表示塔が使われて・・・地の果て岬(2024アイスランドno8)

  • セント・ミカエル・マウンテン(2024アイスランドno7)

    昨夜、ベランダから日の入りを撮影できていたので、まさか日の出の太陽を同じベランダから撮影できるとは思ってもみませんでした。西に沈む太陽と東から昇るはずの太陽を同じベランダから眺められるとは。摩訶不思、クルーズ船がグルッと方向転換したのでしょうか。どうしても分かりません。ズームしてみたら、こんなに真っ赤な画になった。まだイギリスにいる。コンウォール半島に位置するファルマスの港から少し離れたところにに停泊した。接岸できない船からテンダーボートに乗って観光の始まりです。私たちは7:45集合。一番早い出発時間のようでした。このボートには2階席もあるのです。なんと150人も乗っけられるらしい。もし遭難したときボートに乗客定員の何%は乗せられるようにとの決まりがあるのでしょう。多分ね。離れていくクルーズ船の船腹には、...セント・ミカエル・マウンテン(2024アイスランドno7)

  • 最初の寄港地観光はキャンセル(2024アイスランドno6)

    16泊17日間のクルーズの始まりです。サウザンプトン港を出て最初の寄港地がポートランド。そしてファルマス、次がアイルランドのコークに寄港して、以後3日間は終日クルーズと旅は続きます。観光に出かける皆さんの長い列が続いています。私は、別に体調不良というわけではありませんでしたが、この日の観光はキャンセルすることとしました。この日の観光は、ウェイマスの町歩きとポートランド城の見学ということでした。この町はドーバー海峡を渡るフェリーの発着場所だそうです。ポートランド城をネットで探してみたらこれでした。皆さん観光に出かけているのか、人影は全くありません。このスロープを上っていくと最上階18階のスカイウォーカーズ・ナイトクラブ。ナイトでなくても営業していました。pm4を過ぎています。観光を終えた皆さんが・・・フィッ...最初の寄港地観光はキャンセル(2024アイスランドno6)

  • カビリアンプリンセス号に乗船(2024アイスランドno5)

    一面に麦畑が広がっている、こんな景色を眺めながら船が待っているサウザンプトン港向かっています。信号待ちか、バスが低速に、港の近くのレストラン「Asahi辛口」がお客さんを呼んでいました。バタバタ忙しすぎて乗船する時の船の様子は写真に収めていませんでした。この港から船に乗るのは今回で2回目。指定されていたキャビンに入り、ベランダから港の様子を写していたら、遠くに大きな客船が見えた。ズームで捉えたのが次の写真「アンセム・オブ・ザ・シーズ」という船でした。168千トン、乗客定数4180人。私たちが乗船した船は113千トン、乗客定数が3140人とひとまわり小さな船でした。ネットで拾い出した私たちの船が次の写真。これが私たちの船113千トンのカビリアンプリンセス号。部屋の前にはこの表示。私のキャビンは9デッキのD7...カビリアンプリンセス号に乗船(2024アイスランドno5)

  • 聖ジョージ礼拝堂(2024アイスランドno4)

    お城から坂道を下ってきたところに聖ジョージ礼拝堂があります。正面の外壁の改装工事をしていましたが入場することができました。中での写真撮影は御法度。入場したすぐそこにこのパネルがありました。ここはまだ写真OKでしょうとパチリ。中はこの写真のとおりきらびやかなものでした。礼拝堂のなか、エリザベス女王殿下が眠っていらっしゃるところに墓石がありました。黒大理石か、御影石でしょうか黒い墓石のところでお休みになっているのでしょう。墓石にはエリザベス2世1926-2022と刻印され、その下にフィリップ1921-2021と刻まれていた。ここで女王と殿下がご一緒に黄泉の国での語らいを楽しんでいらっしゃるのでしょうか。この墓地へは天皇陛下がお参りされた。その墓参は公式行事ではなく、生前の女王夫妻から受けた温かいもてなしに感謝...聖ジョージ礼拝堂(2024アイスランドno4)

  • ウィンザー城 (2024アイスランドno3)

    ウィンザー城に向かうバスの中からこんなものを捕まえた。広い草原の中、なんだろう。拡大して観察してみるに、草で出来ているのではないらしいが材料はなんなのか分かりません。両手を広げて掲げたり、前にまっすぐ伸ばしたりの姿、そこには人間らしきちっちゃな頭がのっかているし、入口らしきもある。用途は何か、何かの芸術作品ということか。不思議な姿に出会いました。アンドイートン・セントラル駅というのかもしりませんが、ホーム横の通路を歩いて朝食を取るウィンザーホテルへ向かいました。朝食を済ませてお城の見学に出発。すぐそこに見えているのがヘンリー8世門。私たちはこの門から入ったのでしょうか。このお城は11世紀にウイリアム1世が要塞を築いて以来900年以上に及ぶ長い間、英国王室の居城として現在に至っているといい、休日にはには国王...ウィンザー城(2024アイスランドno3)

  • ロンドンヒースロー空港到着(2024アイスランドno2)

    深夜23:33カタール航空のホームグラウンド、ドーハ空港QATAR機がゾロゾロ並んでいました。大きな構内、私を含めた3名がこんな車や手押し車に載っけてもらっての移動でした。手押し車になってから何故か三者三様の移動になってしまったらしく私はひとりぼっち。車を押してくれたお兄さん、立ち止まってスマホを見たり、係員に何か聞いたりしていて、あっちやこっちへと行ったり来たり。時間が迫ってきているので不安は募るばかり。もちろんそのときには、飛行機が2時間も遅延になるなんて知ろうはずもありません。ラウンジまで届けてくれたけど仲間は誰もいない。そこで翻訳機能を使って「搭乗口まで連れてって」といったら「私はあなたを飛行機に乗せる義務があります」と返ってきてお別れ。そのうちに仲間も現れた、彼らもあたふただったとのこと。時間を...ロンドンヒースロー空港到着(2024アイスランドno2)

  • 関西国際空港を発っ(2024アイスランドの1)

    1940年生まれの身にとっては、海外への旅の都度、もうこれが最後かな。と思いつつもまだ病気が治らない。懲りもせず、また旅立つことになった。アイスランドってどんな国なんだろう。ほぼ何も知らない、飛行機の運航に大きな被害をもたらした大噴火は2010年だったそうで、これは覚えている。噴火は近時も街の中が地割れして。吹き出す真っ赤なマグマに襲われ避難する様子がテレビに流れた。この程度のことしか知識はない。もうすぐそこが北極圏で白夜や極夜のある国であることは知っているが・・・もう少し知識を得ようと今回は少々事前勉強をしてみた。国の大きさは北海道と四国を合わせた程度だといい、人口は38万人、岡崎市の人口とちょうど一緒ぐらい。何とも小さな国だ。でも、ひとりあたりGDPは、世界で2番目だという。なんと豊かな国なんだろう。...関西国際空港を発っ(2024アイスランドの1)

  • 関西国際空港を発って(2024アイスランドno1)

    1940年生まれの身にとっては、海外への旅の都度、もうこれが最後かな。と思いつつもまだ病気が治らない。懲りもせず、また旅立つことになった。アイスランドってどんな国なんだろう。ほぼ何も知らない、飛行機の運航に大きな被害をもたらした大噴火は2010年だったそうで、これは覚えている。噴火は近時も街の中が地割れして。吹き出す真っ赤なマグマに襲われ避難する様子がテレビに流れた。この程度のことしか知識はない。もうすぐそこが北極圏で白夜や極夜のある国であることは知っているが・・・もう少し知識を得ようと今回は少々事前勉強をしてみた。国の大きさは北海道と四国を合わせた程度だといい、人口は38万人、岡崎市の人口とちょうど一緒ぐらい。何とも小さな国だ。でも、ひとりあたりGDPは、世界で2番目だという。なんと豊かな国なんだろう。...関西国際空港を発って(2024アイスランドno1)

  • テスト

    テスト

  • 帰国の途に (2024ジャワ島no21)

    ジャカルタ行きチケットの発給をうけます。そして手荷物検査。2014年に供用開始されたという美しい空港だ。ここにも春節を祝うお飾りが・・・18:40ジャカルタに向かいます。Aー330型機でジャカルタまで1時間30分の飛行。この飛行時間は羽田=新千歳とほぼ同じ時間だ。ジャカルタ空港。日本に向かう若者がいた。背に「訪日労働者向け日本語教育センター」とプリントされたユニホームを着てた。仲間は確か9名といってた。日本での生活もほぼ大丈夫だろうと思える日本語の使いっぷりには驚いた。そこに写ってるニッコリ彼女は広島のお弁当屋さんが就業先だといってた。お見送りに来たご家族とのお別れの時だ。期待に違わぬ日本での生活が送れることを祈るばかりだ。23:35に飛び立つ便が4本並んでた。全日空、日本航空、ガダール・インドネシアそし...帰国の途に(2024ジャワ島no21)

  • 民族文化博物館 (2024ジャワ島no20)

    午前中の時間を持て余しスーパーマーケットに行ってみようと外に出てみた。マンホールの蓋がこれなのか。設置されてからまだ日は浅い。サメとワニの絵柄、これがこの町のシンボルだといいます。パックにいっぱい入っているミカンが40円、リンゴらしきが1個50円の値札が付いていた。インドネシアのお正月は4回あるという。西暦の、イスラム暦の、ヒンドゥーの、そして中国暦のお正月。このスーパーのお飾りは中国の春節に向けての前祝いか。ぐるぐる回るテーブルいっぱいのお料理。まだ出て来るのですがこの辺でパチリ、見ただけで飽食気味。お昼のお弁当をいただいてから「民族文化博物館」にやってきた。館内の説明か、歴史を物語っているのか。な~んも分かりません。更紗織りの展示もあった。なんとなく写したショット。歩道の外はゴミ捨て場か。旅の終わりに...民族文化博物館(2024ジャワ島no20)

  • スラバヤの朝 (2024ジャワ島no19)

    朝ご飯はビュフェ。誰もいないレストランで盛り付け配色も楽しい食材を写して回りました。とにかく食材の並びに何ともいわれぬ品が。こんな楽しげなビュフェ会場は初めての体験でした。今日午前中は各自ご自由にどうぞ。の時間でした。レストランを出たところには歴史あるホテルの写真が並んでいました。注目は右上の写真。ホテルの塔のポールに掲げられていたオランダ国旗の青色の部分を切り取ってインドネシア国旗に変えたというのです。その背景はいろいろあるのですが、この青年たちの行動が以後の独立戦争に結びついた歴史的事件として伝えられているとのことです。でも、日本軍が接収していたというホテル。その時は日の丸が掲げられていたのではないだろうか。こちらは絵画。白と赤のインドネシア国旗の下で「バンザイ」の市民。次の写真がオランダ国旗。なるほ...スラバヤの朝(2024ジャワ島no19)

  • ホテル・マジャパヒト (2024ジャワ島no18)

    インドネシア最後の夜を迎えるホテル・マジャパヒトにやってきた。今日1日見学してきた「マジャパヒト王国」と同じ名前のホテルだ。1911年創設というなんとも歴史あるホテル、もちろん何回も改装を重ねてきたでしょうが、そんなホテルが太平洋戦争時日本軍の施設「大和ホテル」として使われていたというのです。中国、かっての満州国にも大和ホテルはいくつもある。これも戦争という行為のなせる悪しき業。添乗員とガイドさんがお部屋のキーを受け取りに・・・お部屋に入ってびっくり。スタンダードではないことは間違いないでしょうが、スイートであるはずもない。セミスイートか、あるいはその下か。いずれにしても立派な立て付けに驚いてしまい、いっぱい写真に留めてしまった。ベッドルームの奥のバスルーム、立派な洗面台にも驚き。トイレとシャワールームが...ホテル・マジャパヒト(2024ジャワ島no18)

  • 遺跡めぐり (2024ジャワ島no17)

    ここは公園の入口、食べ物であることは間違いないんだけれどなんだろう。バスから撮影。「ティクス寺院」ティクスとはネズミの意だといいます。20世紀初めに発掘されたときネズミの大きな巣があったことからこの名前がつけられたという。インドにもいっぱいあったなぁこんな沐浴場。ここには珍しくも学生等がいっぱいいた。もう誰もいなくなった。下に降りてゆく沐浴場の階段があった。こちらが正面らしい。きれいに整備された中に、こちらも「マジャパヒト王国」の遺跡だ。私はいつも一番後ろからゆっくりユックリ。こんなにきれいな公園だというのにお客さんは私たちだけ。「パジャン・ラトゥー門」高さは16.5m。それにしても不思議でならない。王国の遺跡がこうしてポツンポツンとしか残っていないのはなぜでしょうか。分かりません。人ひとり、馬一頭しか通...遺跡めぐり(2024ジャワ島no17)

  • トラウラン遺跡 (2024ジャワ島no16)

    「サンサガ・パギ号」で3時間20分、列車ダイヤどおりピタリの10:06にモジョケルト駅に着いた。毎度のことながらその正確さには驚きだ。何に使う壺なのかシャッターを切っていました。三人乗りはごく普通らしい、お父さんとお母さんの間にもう一人挟まっての四人乗りなんてのも目にするのでした。稲苗は緑に育ち、奥にはサトウキビ畑だ。「トロウラン遺跡」といっても、ここにはこれがあるだけ。塔のように見えますが、王宮への門だったと考えられているそうです。イスラム教の伝来前に存在したインドネシア最後のヒンドゥー教の王国として知られている「マジャパヒト王国」それは最盛期には東南アジア最大の領土を持つとして繁栄した王国だったというのです。赤レンガが積み上げられた門の足元へ行っての撮影です。周りをサトウキビ畑が囲む公園の中にポツン。...トラウラン遺跡(2024ジャワ島no16)

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