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2021/02/26

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  • テスト

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  • 帰国の途に (2024ジャワ島no21)

    ジャカルタ行きチケットの発給をうけます。そして手荷物検査。2014年に供用開始されたという美しい空港だ。ここにも春節を祝うお飾りが・・・18:40ジャカルタに向かいます。Aー330型機でジャカルタまで1時間30分の飛行。この飛行時間は羽田=新千歳とほぼ同じ時間だ。ジャカルタ空港。日本に向かう若者がいた。背に「訪日労働者向け日本語教育センター」とプリントされたユニホームを着てた。仲間は確か9名といってた。日本での生活もほぼ大丈夫だろうと思える日本語の使いっぷりには驚いた。そこに写ってるニッコリ彼女は広島のお弁当屋さんが就業先だといってた。お見送りに来たご家族とのお別れの時だ。期待に違わぬ日本での生活が送れることを祈るばかりだ。23:35に飛び立つ便が4本並んでた。全日空、日本航空、ガダール・インドネシアそし...帰国の途に(2024ジャワ島no21)

  • 民族文化博物館 (2024ジャワ島no20)

    午前中の時間を持て余しスーパーマーケットに行ってみようと外に出てみた。マンホールの蓋がこれなのか。設置されてからまだ日は浅い。サメとワニの絵柄、これがこの町のシンボルだといいます。パックにいっぱい入っているミカンが40円、リンゴらしきが1個50円の値札が付いていた。インドネシアのお正月は4回あるという。西暦の、イスラム暦の、ヒンドゥーの、そして中国暦のお正月。このスーパーのお飾りは中国の春節に向けての前祝いか。ぐるぐる回るテーブルいっぱいのお料理。まだ出て来るのですがこの辺でパチリ、見ただけで飽食気味。お昼のお弁当をいただいてから「民族文化博物館」にやってきた。館内の説明か、歴史を物語っているのか。な~んも分かりません。更紗織りの展示もあった。なんとなく写したショット。歩道の外はゴミ捨て場か。旅の終わりに...民族文化博物館(2024ジャワ島no20)

  • スラバヤの朝 (2024ジャワ島no19)

    朝ご飯はビュフェ。誰もいないレストランで盛り付け配色も楽しい食材を写して回りました。とにかく食材の並びに何ともいわれぬ品が。こんな楽しげなビュフェ会場は初めての体験でした。今日午前中は各自ご自由にどうぞ。の時間でした。レストランを出たところには歴史あるホテルの写真が並んでいました。注目は右上の写真。ホテルの塔のポールに掲げられていたオランダ国旗の青色の部分を切り取ってインドネシア国旗に変えたというのです。その背景はいろいろあるのですが、この青年たちの行動が以後の独立戦争に結びついた歴史的事件として伝えられているとのことです。でも、日本軍が接収していたというホテル。その時は日の丸が掲げられていたのではないだろうか。こちらは絵画。白と赤のインドネシア国旗の下で「バンザイ」の市民。次の写真がオランダ国旗。なるほ...スラバヤの朝(2024ジャワ島no19)

  • ホテル・マジャパヒト (2024ジャワ島no18)

    インドネシア最後の夜を迎えるホテル・マジャパヒトにやってきた。今日1日見学してきた「マジャパヒト王国」と同じ名前のホテルだ。1911年創設というなんとも歴史あるホテル、もちろん何回も改装を重ねてきたでしょうが、そんなホテルが太平洋戦争時日本軍の施設「大和ホテル」として使われていたというのです。中国、かっての満州国にも大和ホテルはいくつもある。これも戦争という行為のなせる悪しき業。添乗員とガイドさんがお部屋のキーを受け取りに・・・お部屋に入ってびっくり。スタンダードではないことは間違いないでしょうが、スイートであるはずもない。セミスイートか、あるいはその下か。いずれにしても立派な立て付けに驚いてしまい、いっぱい写真に留めてしまった。ベッドルームの奥のバスルーム、立派な洗面台にも驚き。トイレとシャワールームが...ホテル・マジャパヒト(2024ジャワ島no18)

  • 遺跡めぐり (2024ジャワ島no17)

    ここは公園の入口、食べ物であることは間違いないんだけれどなんだろう。バスから撮影。「ティクス寺院」ティクスとはネズミの意だといいます。20世紀初めに発掘されたときネズミの大きな巣があったことからこの名前がつけられたという。インドにもいっぱいあったなぁこんな沐浴場。ここには珍しくも学生等がいっぱいいた。もう誰もいなくなった。下に降りてゆく沐浴場の階段があった。こちらが正面らしい。きれいに整備された中に、こちらも「マジャパヒト王国」の遺跡だ。私はいつも一番後ろからゆっくりユックリ。こんなにきれいな公園だというのにお客さんは私たちだけ。「パジャン・ラトゥー門」高さは16.5m。それにしても不思議でならない。王国の遺跡がこうしてポツンポツンとしか残っていないのはなぜでしょうか。分かりません。人ひとり、馬一頭しか通...遺跡めぐり(2024ジャワ島no17)

  • トラウラン遺跡 (2024ジャワ島no16)

    「サンサガ・パギ号」で3時間20分、列車ダイヤどおりピタリの10:06にモジョケルト駅に着いた。毎度のことながらその正確さには驚きだ。何に使う壺なのかシャッターを切っていました。三人乗りはごく普通らしい、お父さんとお母さんの間にもう一人挟まっての四人乗りなんてのも目にするのでした。稲苗は緑に育ち、奥にはサトウキビ畑だ。「トロウラン遺跡」といっても、ここにはこれがあるだけ。塔のように見えますが、王宮への門だったと考えられているそうです。イスラム教の伝来前に存在したインドネシア最後のヒンドゥー教の王国として知られている「マジャパヒト王国」それは最盛期には東南アジア最大の領土を持つとして繁栄した王国だったというのです。赤レンガが積み上げられた門の足元へ行っての撮影です。周りをサトウキビ畑が囲む公園の中にポツン。...トラウラン遺跡(2024ジャワ島no16)

  • 再び列車で(2024ジャワ島no15)

    ジョグジャカルタでの観光が終わりました。3日間通してガイドいただいたミントさんが車内でお話しになったことを断片的に綴ってみます。○古都ジョグジャカルタはバリ島に次ぐ人気観光地○物価の安い町で大学は64もある。60%は大学に行く、就学期間は5年、学生の一番人気の職種は公務員○自動車を持っている家は15%の豊かな階層中間層は40%程度○国民はオートバイ大好き○22~24歳結婚新婚旅行は考えていない、自動車を買いたい○給料高卒200万ルピア(約2万円)大卒400万ルピア(約4万円)○定年は55歳、教員は60歳○最低賃金はここ10年で4倍ぐらいになっているこんなことがメモってあった。ジョグジャカルタ駅にやってきた。きれいな駅舎だ。何故か人がいません。ここが始発の特急列車にお客さんは少ないのでしょうか。きれいなホー...再び列車で(2024ジャワ島no15)

  • パティック (ジャワ更紗) 工房 (2024ジャワ島no14)

    ランチのとき、ビールは美味しいけど、取り分けたお料理の方はちょっとね。ユネスコの世界無形文化遺産に認定されているという「ろうけつ染め」のジャワ更紗。素材はコットン、シルク、レーヨンが使われているそうだ。それぞれちょっと触ってみた。間違いなくその素材の違いは知ることが出来るのでした。下絵に沿ってロウを塗布して模様づくり。染めずに残したいところに色づけするのだそうです。なかなかどうしてきれいなものだ。これの用途は何だろう。トイレをお借りしたらこれだった。たまには体験するこの様式。バスに乗ったらスコール。神は我に微笑みかけているのだ。雨期だというのに観光中は初日を除いて一滴の雨もないんだから。観光を終えてホテルに向かっています。信号待ちで停車している自動車の脇で新聞売りらしき男性が。パティック(ジャワ更紗)工房(2024ジャワ島no14)

  • ムンドゥン寺院ほか (2024ジャワ島no13)

    ボロブドゥール寺院遺群のひとつ「パウォン寺院」周りにはお土産屋さんとあとは民家の中にひっそり。これが世界遺産なのといった感じ。高さ12mというこじんまり寺院の中には何もありません。ガランとした空間だけ。お客さんもガランでした。階段の側面のレリーフ。民家のお庭を拝見。ランブータンの実かな。こんなに大きな木になるのか。清々しいアデニウムの花。こちらも世界遺産群のひとつ「ムンドゥッ寺院」パオン寺院と同様西向きでボロブドゥール方向に向けて建てられているという。ボロブドゥール、パオンそしてここムンドゥン寺院が一直線上にあるという事らしいです。こうしたレリーフがあるのはどこの寺院も一緒だ。中には三体の石仏。ガイド本によると、日本の仏教関係者が「世界で最も美しい仏像のひとつ」と驚愕したというジャワ美術の最高傑作だと説明...ムンドゥン寺院ほか(2024ジャワ島no13)

  • ボロブドゥール遺跡 その3 (2024ジャワ島no12)

    皆さんが仏塔見学に行っている間、登らなかったもう一人の方とベンチで談笑。30年前とおっしゃったっけ、ここ訪ねているんですって。周囲が随分きれいに整備されていると驚いていました。もちろんサンダル履きへの履き替えなんかなかったとのことでした。登り口には次の時間のチケットを持っている人たちが集まってきているようです。これには驚いてしまった。お父さんが赤ちゃんを抱っこ。小さな男の子二人。あの階段を子供三人と乳母車を抱え、更にカメラ用の三脚まで手にして上ってきたのかと驚きのカメラ撮影でした。皆で遺跡の全体像を収めて、このばかでかい寺院とお別れです。前にも紹介したように密林と火山灰に埋もれていた寺院、1814年に発見されて1968年ユネスコの下で本格的な修復がなされ、1991年に世界文化遺産として指定された。それにし...ボロブドゥール遺跡その3(2024ジャワ島no12)

  • ボロブドゥール遺跡 その2 (202no11)no11)

    遺跡への階段のゲートが間もなく開きます。11時のチケットを持っている人たちがワッと集まってきました。しかし私はこの群れの中に混ざることを辞退するのでした。どんどん登り始めました。私はスマホを添乗員氏に預けて「空いている時間があったら写してきて」とお願いするのでした。この写真までが私が撮影した写真。くぼみが作られている中には仏像が納められており、これが432体、ストゥーバにも72体が納められ合わせて504体にもなると言います。次の写真からは、スマホに留めてきてくださった添乗員撮影の貴重な写真です。5層に積み重なっている方形壇の回廊とはこんな姿なのか。両面に彫り物がびっしり。とてもじっくり観察なんて時間はとれないでしょう。各階にあるこの回廊を全部回ると5kmにもなるというのです。この壁面には仏教説話に基づいた...ボロブドゥール遺跡その2(202no11)no11)

  • ボロブドゥール遺跡 その1 (2024ジャワ島no10)

    ジョグジャカルタのホテル3日目の朝食。男性専用レストランでもないのに、なぜか女性がいません。イスラムの皆さんは頭に被り物を載っけている。ホテルのお庭がこちら。きれいなプールもあった。朝の街、バイクが多いのは当たり前の景色だ。今日は1月30日、2月14日の大統領選挙に向けてポスターびっしり。人口では世界第4位の大国、国内GDPも世界第16番目、そのうち日本も追い越されるのではなんて記事も見た。30年間沈み続けていると言われている日本ですが、まさかそんなことはないでしょうが。カメラの設定の誤りか、何とも暗い画像が続いてしまいましたが、ガードレールにくっ付いたこの旗も選挙がらみのもの。あちこち賑やかなんです。世界遺産ボロブドゥール遺跡にやってきた。靴を履いての入場は出来ないとのことでサンダル(草履)が提供された...ボロブドゥール遺跡その1(2024ジャワ島no10)

  • ジャコウネコ (2024ジャワ島no9)

    ジャコウネコのコーヒー工房にやってきた。入ったそこにネコがいた。猫らしからぬ顔つきだ。ジャコウって香料らしいんだけど、北極圏地方の寒冷地に暮らしているジャコウウシってのがいるんだけど、ネコとなんか関係があるんだろうか。こちらは他のゲージにいるネコ。何とも巨大猫だ。ジャコウコーヒーってのを検索してみたら、こんな写真をつけて商品PRをしてた。なんか私が撮影した小さい方のネコと似てるんだけど。ネコにバナナをあげた。ムシャムシャ美味しそうにあっという間に食べてしまった。ここに完熟したコーヒーの枝を持ってきてあげれば、次の写真のような「ウンチ」ができあがるでしょうか。これがネコの「ウンチ」完熟したコーヒー豆の果肉部分を食べて、豆だけが消化されず糞として排泄されると言う。お店の人の説明によると、ネコは果物をよく食べる...ジャコウネコ(2024ジャワ島no9)

  • カスナナン王宮 (2024ジャワ島no8)

    カスナナン王宮にやってきた。王宮のニコニコ顔の日本語ガイドさんの案内を受けます。手前の方がジョグジャカルタ3日間のガイドを務めてくださったミントさん。入るときには女性は腰に布を巻いて、日本流にいえば腰巻きってとこか。王宮のジオラマ。現在の立ち位置はわかりません。たぶんこれは古の宮殿でしょうが、その壮大さがうかがえます。ガジュマルの大木があった。「幸せを呼ぶ木」なんて言われているようですが、インドネシアでもそんなおめでたい木なんでしょうか。この子たち何してるのって聞いてみた。この王宮に実習というのか勉強に来ているそうだ。結構長い期間ここで過ごすらしい。学校へ帰ってレポート提出。はい君は何点って評価されるんでしょうか。博物館には伊万里焼なんかも展示されていた。帰りの時間。出口には実習中の女学生。先ほどの男の子...カスナナン王宮(2024ジャワ島no8)

  • 古都ソロで (2024ジャワ島no7)

    ジョグジャカルタに並ぶ古都ソロ⦅現在はスラカルタと呼ばれている⦆に向かいます。地球の歩き方には、ジャワ原人、ブンガワン・ソロなんて言葉が印字されている。ジャワ原人の化石はソロ川の流域で発見されたという。また、おなじみのブンガワンソロはソロ川のことで、インドネシアの国民歌らしい、戦時中駐留していた日本兵の間でもふるさとを偲ぶ歌として歌われていたという。帰国した彼らの間から発せられたメロディーを「松田トシ」が誌をつけて歌って大ヒットとのこと。楽しいね調べてみると。ひとつの町に、ジャワ文化の精緻を極めたという王宮が18世紀にふたつも建てられたという。そんなふたつの王宮をこれから訪ねます。ジョグジャカルタを8時に出発でした。何の代わり映えもない市内の風景。約2時間でソロの町に到着。まず、マンクヌガラン王宮にやって...古都ソロで(2024ジャワ島no7)

  • プランバナン寺院群 その2 (2024ジャワ島no6)

    帰りの時間になりました。帰りの路からは寺院群の壮大さかよくわかります。まさに世界遺産だ。石がゴロゴロ転がっています。かってはここにも仏塔があったのかもしれません。1937年から遺跡の修復をし続けているといいますが、度重なる地震などでたびたび崩れてしまい、今もなお修復は続いているとのこと。石を積み上げただけでは、またやられてしまうのでは・・・といらぬ心配をしてしまう。世界遺産とのお別れのときです。ちょっといい雰囲気の写真だと撮影者は思うのですが。お土産売り場が並んでいました。果物売り場かな、どのお店にもココヤシがずらり。手前の赤いのライチと思いきや「ランブータン」というらしい。その奥の茶色い奴は「サラク」インドネシアでは人気とか。プランバナン寺院群その2(2024ジャワ島no6)

  • プランバナン寺院群 その1 (2024ジャワ島no5)

    ジョグジャカルタ駅についてすぐに観光へと出発でした。ジョグジャカルタはジャワ島のほぼ真ん中、中部ジャワと呼ばれる位置にある。この地は無限の魅力からジョグジャ(悠久のアジアの意)という合い言葉で親しまれているといい、「平和の町」と呼ばれいるそうだ。京都とは姉妹都市の縁を結んでいるという古都。自動車もバイクも皆きれいだ。自動車はトヨタがほとんどたまにホンダ。停車しているバスの横にオートバイが6台見えている。一人乗りは2台だけ。これが当たり前の風景、時々3人乗りなんてのもある。とにかくオートバイが大好きらしい。彼らが経済的に豊かになり自動車に乗るようになったら、道路上は車があふれてしまうのではないでしょうか。雨上がりの清々しい空気の中、1991年に世界遺産として登録されている「ブランバナン遺跡群」にやってきた。...プランバナン寺院群その1(2024ジャワ島no5)

  • 6時間の列車旅 (2024ジャワ島no3)

    旅の3日目、1月28日⦅日⦆朝早い旅立ちだ。5時から朝ご飯をいただいて6時にはホテル出発だった。うれしいことに、今日からはスーツケースから取り出した予備のカメラとスマホとの併用撮影が出来ることになった。バンドン発は、この駅始発列車の「アルゴ・ウィルス号」機関車のところまでまで歩いてみた。機関車から後ろを振り返ってみた。さて何両つながっているんだろうと、でも発車されてはこまる。10両ぐらいあるな。を確認して引き返した。7時40分に出て13時35分にジョグジャカルタ駅に到着する。手元に届けていただいた列車ダイヤを見ると、6時間走る間に停車する駅は6カ所だけだった。田舎なのにびっくり、こんな建物があった。上に付いてる黒いのソーラーパネルかな。車内販売が来た。残念ながらアルコールの販売はありません。さもありなん8...6時間の列車旅(2024ジャワ島no3)

  • バンドンに向けて (2024ジャワ島no3)

    ホームに立ちました。左に明かりを反射してピカピカ光ってるのがこれから乗車する「アルゴ・パラヒャンガン号」乗車券と時刻表を下記に。指定席券3D席何号車っての何処に印字してあるんだろう。当初の乗車予定が15:10発、これが運休になったため13:10に変更になったということです。この裏面にも続いている時刻表ですが、さすが特急ほとんど止まりません。バンドン到着が16:12この間3時間、停車駅はわずか3カ所だけ。画像はよくありませんが、旅行社のお誘いパンフの表紙写真。ディーゼル機関車1台が10両ほどの客車を引きます。早速お弁当をいただきました。その上等さに驚いてしまった。いやぁ~美味しかったね。郊外に出たところの家並み。ゴチャゴチャ感あり。川はどの川もこんな濁り水。乾季になれば水量は減るでしょうが清らかな水の流れに...バンドンに向けて(2024ジャワ島no3)

  • ジャカルタ観光 (2024ジャワ島no2)

    6月27日(木)ジャカルタでの朝が来た。廊下をパチリ。お泊まりは「ホテル・ボロブドゥール・ジャカルタ」ホムページからいただきました。ホテルから眺めた街の風景。大きな公園の向こうに市街地が。朝ご飯はビュフェがどこでもほぼお決まりスタイル。外に出て車寄せから庭を眺めた。ジャワ島の目玉、ホテルと同じ名前のボロブドゥール遺跡のミニ版がお庭にあった。昨夜雨だったのかな濡れてる感じ。17000を超える群島から成るというインドネシアの首都ジャカルタ市内観光にバスで出発、ポツリポツリと雨が。中国の春節、90億人が大移動ともいわれているこの行事をここでも祝うのか、雨よけを掛けられたテントの中には中国らしき商品がズラリ。高架道路の下には雑貨売り場がず~っと。今日の観光は旧市街地のバタビア歴史地区めぐり。雨期のインドネシア、雨...ジャカルタ観光(2024ジャワ島no2)

  • インドネシアへ (2024ジャワ島no1)

    「乗り鉄」でも「撮り鉄」というわけでもありませんが、列車旅が大好きな私。某旅行社がジャワ島の東西1040kmのほぼ端から端までを走る列車に乗るというツアーの発表があった。国内外多くの列車に乗って来てはいるのですが、まだ、アジアでの列車体験はありませんでした。てなわけで即参加を決定。参加者は17名。男性はなんと7名、その多さに驚いてしまった。それはさておき、旅のはじめから大きな失敗をしてしまった。カメラの紛失、間違いなくホテルでの置き忘れ。添乗員にいろいろ心配していただいたけど出てこなかった。「こういう国では仕方ありませんよね」となぐさめられた。予備のカメラを持参していてよかったのですが、その彼は2日間はスーツケースの中でお休みしてたので、その間はスマホでの撮影で対応でした。でも、残念なのは日本出発からの2...インドネシアへ(2024ジャワ島no1)

  • 瑠璃光寺 (2023山陰道no24)

    山口市の瑠璃光寺にやってきた。なんと響きのいいお名前のお寺さんだこと。見事な御朱印をいただいた。出雲大社でもいただいたのですが何とも哀れでしたので紹介しませんでしたが、ひょっとしたら見習いさんが書いたのかな。なんて思ってしまった。令和の大改修とやらで檜皮葺屋根の全面葺き替え中できれいに頬被りしていました。2005年(平成17)に訪ねたときの写真がこれ。この五重塔が日本三名塔のひとつだそうです。国宝と言われるこの塔、池に映り緑に囲まれ、何ともきれいなお姿ですこと。ちなみにほかのふたつの塔は法隆寺五重塔、醍醐寺五重塔とのことです。話は全く変わりますが、2014年1月9日ニューヨーク・タイムズが「2024年に行くべき52カ所」を発表し、日本からは山口市が唯一選ばれたそうです。1位皆既日食が見られる北米、2番目オ...瑠璃光寺(2023山陰道no24)

  • 津和野にて (2023山陰の23)

    日本海を望む国民宿舎での朝。ここ畳ケ浦は環境省が「かおり風景100選」に島根県で唯一選ばれた国の天然記念物に指定されている景勝地だと紹介されている。「かおり風景」その定義はなんぞやですけど。山陰の小京都とも言われるらしい津和野町にやってきた。2005年(平成17)以来の来訪だ。こんな立派な駅舎いつ造ったのと調べてみたら駅開業100周年、森鴎外没後100年を迎えることを記念して令和4年(2022)に竣工したそうだ。なるほど1年前の竣工だもの金ピカ駅の訳だ。現地ガイドさんのお迎えだ。山陰道36ある宿場町の34番目の宿が、ここ津和野だ。残すは山口そして終着宿が小郡となるのです。小京都、なるほどおなじみの絵柄だけど、お客さんの姿がないんだよね。まず、津和野カトリック教会、畳敷きとは珍しや。水路を泳ぐ錦鯉。これもお...津和野にて(2023山陰の23)

  • 石見神楽 (2023山陰道no22)

    夕食のあと周布鳶巣(ふすとびのす)神楽保存会の皆さんによる神楽を鑑賞しました。石見神楽の起源は定かではないそうですが、平安末期から室町時代に形作られたようです。全国にその名が知られるようになったのは、昭和45年(1970)大阪万国博覧会への参加があってからとのことで、いまでは日本国内はもとより世界各地で上演されてているそうです。最初の演目がこちら。武勇の神(八幡麻呂)が異国から飛来し人々を苦しめる悪魔王を退治するという物語。旅行社はおいくらでお願いしたのでしょうか。私たち9名のために演じていただけるのです。登場する演者はおふたり、武勇の神(八幡麻呂)のひとり踊りからのスタートでした。こちらが悪魔王。怖いお面だ。両者の戦いが始まります。弓矢を使って悪魔を仕留めんとする。もうお腹はいっぱい。食べ終えたテーブル...石見神楽(2023山陰道no22)

  • 29番目の宿場町 (2023山陰道no21)

    京都を出てから29番目の宿場町「温泉津」にやってきた。36ある宿場町ももう終盤であと7カ所だけになった。さあ追い込みだ。「ゆのつ」と読ませるこの街は日本海をそこに控えた港町。産出された銀が運ばれて来て海へと送り出される世界遺産の町だ。観光案内所で現地ガイドさんのお話をききました。これ船です「北前船」のミニ版、この船に載っかった銀が全国各地に送り出されていたということだ。1000年以上前からその名を知られ、石見銀山の港として発展。と書かれ、江戸幕府は陸路を、明治時代になると鉄路による輸送にと、時代は移り海運は終わりを迎えたということのようです。「男はつらいよ」第13作「寅次郎恋やつれ」(昭和49年=1974)の撮影舞台のひとつとしてここ温泉津の街が使われたとのこと。ちなみにこの映画のマドンナは吉永小百合さん...29番目の宿場町(2023山陰道no21)

  • 石見銀山その2 (2023山陰道no20)

    ポツポツ雨が降ってきた。重要伝統的建造物群保存地区の大森の町並みを歩きます。もちろん世界遺産登録地域だ。ザブザブ降ってきた。大森の町並みは、武家と町家が混在している江戸時代の風情を残す姿だといいますが、スニーカーをびっしょにしての歩きは辛い。皆から離れたところから雨脚を写す私のカメラ。雨にも負けずに歩いているのは私たちだけだ。粗い画面になってしまいましたが、いただいた資料の中の小さな写真を写し取って拡大してみました。両側から山が迫っている。かっては20万人〘ほんとかなと疑ってしまうのですが〙が住んでいたとのことですが、現在は400人ほどだともお聞きしました。この小さな町並みに銀山の歴史が詰まっているのでした。世界遺産に登録され、国の伝統的建造物群保存地区に指定されていては、家屋に勝手に手をつけることは出来...石見銀山その2(2023山陰道no20)

  • 石見銀山 (2023山陰道no19)

    江戸時代の山陰道を巡る旅ですが、たまにはこんな道路も走ります。宿を出てから約1時間の走行で太田市の「石見銀山世界遺産センター」に到着した。2007年(平成19)世界遺産登録された石見銀山全体を示すジオラマを見ながら説明を受けます。赤く灯っている点線が銀山の範囲のようだ。そして海に向かって黄色に点灯している2筋の流れが銀を海に向かって運び出した路だ。右の白色点灯の範囲が大森銀山重要伝統的建造物群保存地区になる。このセンターの見学のあと保存地区を歩きます。センター内で諸々のお話を受けています。後ろにある大きなパネルは「山中に残された16世紀の銀採掘跡」と説明している。スペイン人が残した地図らしい。「スペイン人は、日本を銀の島と呼んでいます」1552年フランシスコ・ザビエルの書簡より・・とプリントされている。さ...石見銀山(2023山陰道no19)

  • 出雲大社その2 (2023山陰道no19)

    なに願う・・・願い事がご覧の通り。昭和56年(1981)に造営されたという神楽殿にやってきた。日本一とも言われる大注連縄はおなじみだ。こうして造るんですよと写真を示すガイドさん。その注連縄は迫力いっぱい長さ13m、重さ5.2トンと聞きました。古代出雲歴史博物館にやってきた。いつ開館した博物館なのか知りませんがここは初めての訪問だ。この写真を見ると大社のすぐ隣だった。入館したすぐそこにこれがドンとあった。2000年の発掘調査で見つかったという鎌倉時代に造営されただろうとされる大社の「宇豆柱」国重要文化財とされるこの柱が見つかったことから、平安時代中期に書かれた書物が示している当時の建物ベスト3、1位が出雲大社本殿、2位東大寺大仏殿、3位京都御所の大極殿とする順番がうなずけるらしい。多分高さの順番でしょうが。...出雲大社その2(2023山陰道no19)

  • 出雲大社その1 (2023山陰道no17)

    駐車場には、出雲の語り部さんが待っていてくださった。出雲大社以下いくつかの観光用資料をいただいた。一番のお気に入りがこれだった。語り部さんについて大社に向けて神門通りを歩き始めました。そこに二の鳥居。鳥居の前に出雲全日本大学選抜駅伝のスタートラインがあった。10月9日ヨーイドン、スタートした選手はまっすぐ伸びている緩い坂道を下り降りてゆくのです。今年の優勝は駒澤大学だった。11月伊勢路を走った大学駅伝も駒沢が優勝。箱根駅伝も優勝だろうとの大方の予想が覆って青山学院大学に先を越されてしまった。明日(14日)は京都で都道府県対抗女子駅伝がある。駅伝競技ってのはやはり面白い。この花「つわぶき」があちこちで咲いていた。三の鳥居付近から、歩いてきた下り参道を振り返ってみました。そして次の写真、松の参道を歩きます。手...出雲大社その1(2023山陰道no17)

  • 木綿街道 (2023山陰道no16)

    もう何回宍道湖を眺めながら走ることになったんだろう。これが最後の宍道湖からの遠望だ。江戸時代から明治にかけて木綿の集積地として栄えたという出雲市平田にやってきた。この地は日本海と宍道湖に挟まれているという。このマップに示されている川(運河)は宍道湖に通じ、物資の流通がなされ、木綿業を中心にした商人らによる文化の全盛期があったといいます。「木綿街道」との命名は約20年前に遡るという。そんな歴史ある町並みを歩きます。かってはこんな街並みだったんですよと。写真を示すガイドさん。国登録有形文化財「本石橋邸」の見学です。木綿街道で最も古い建物だという。雲州木綿の集荷を中心とした荷宿を営み、江戸後期から昭和初期にかけて隆盛を誇った大地主の家とのこと。三畳の茶室、趣有りでした。写真にはありませんが奥座敷は、松江藩主の御...木綿街道(2023山陰道no16)

  • 松江市内巡り(2023山陰道no15)

    二夜を過ごした駅前ホテルはこちら「エクセルホテル東急」でした。昨日立ち寄った山陰道「宍道」のひとつ京都寄りの宿場町「松江」の街歩きの始まりです。お城の駐車場には「ぐるり松江堀川めぐり」と並んで「しじみ汁」と書かれた幟が並んでた。国宝松江城にやってきた。この季節になればあちこちにある菊花展だ。展示期間は11月12日までとしてあった。あと3日たてばお片付けだ。私が難所とする石段を随分登ってきた。手すりがなければ降参して遙か上に見えるお城を悔しい思いで眺めていただけだろうに。私の仲間がお城を眺めてる。それにしてもお客さんは少ない。築城は今から412年前とのことで、全国に現存する12天守のひとつだとパンフが説明している。もちろんこの城も明治政府が発した廃城令によって取り壊しの危機にあったのは、どこのお城とも同じこ...松江市内巡り(2023山陰道no15)

  • 絲原記念館と八雲本陣 (2023山陰道no14)

    午後の見学は絲原記念館。大きな木々に囲まれたそこにありました。記念館は、国の登録有形文化財として登録されている絲原家住宅でした。この屋敷構えは、たたら製鉄場の鉄師頭取のたたずまいを今に伝えている。と注意書きされている。絲原家は、さきに紹介していた田部家と桜井家を合わせた「鉄山御三家」として藩の財政に大きく貢献していたのだといいます。記念館の案内は、まだ30~40代ぐらいに見える16代当主のご主人にお家の内外を細部に渡って説明いただいた。記念館に入ったそこには、絲原家のたたら製鉄の歴史が綴られていました。大正12年までの13代約290年間にわたってたたら製鉄操業を行っていたという。その後は広大な(5千ha)山林資源を生かし、家庭用の木炭生産を続けていたが、時代は変遷する、家庭用ガスの普及によって業が成り立た...絲原記念館と八雲本陣(2023山陰道no14)

  • 鉄の歴史博物館 (2023山陰道no13)

    山を下って雲南市の吉田町にやってきた。そこには観光ガイドさんがいらっしゃった。「来ていただいてありがとう」といい、「ごゆっくりどうぞ」といってるようだ。方言というのは、見当はつくんだけど調べてみなければ、確かなことはわかりません。その町は山に囲まれた600世帯、1400余人という小さな町だった。でも、歴史はいっぱいだ。鍛冶屋でできた鉄はこうして馬による運搬がなされ、川まで運ばれて船で港に着くと北前船で全国各地に運ばれたのだそうです。田部家のまばゆい白壁の土蔵が連なっていた。昭和61年(1986)に「鉄の歴史村」を宣言した旧吉田村の象徴といえるのが田部家だと紹介されている。ガイドさんがおっしゃっていた「田部家の所有していた山林は大阪府の面積ぐらい」だと。吉田の町を歩きます。誰もいません、私たちだけ。なるほど...鉄の歴史博物館(2023山陰道no13)

  • たたら製鉄その2(2023山陰道no12)

    高殿の見学を終えて村の中に入ります。かっては40戸ほどの人たちの生活の場だったそうですが、現在は9戸19人の集落になってしまったそうです。過疎化の波は日本各地を覆ってしまうようです。元小屋と称するお家の見学です。次の写真に説明書きしていますが、この地区の最高責任者の住居と事務所を兼ねた建物だという。かまどと炊事場かな。でもちょっと貧弱すぎるんだけど。次の写真、お部屋はひろびろ。背中に「鐵」を背負ったガイドさんでした。最後に全体像を写してさよならでした。ここまで「鉄」を勉強しにどれほどの人たちが訪れるのでしょうか。このあとも「鉄の歴史博物館」なんかも見学しますが、この歳(83)になって勉強はもういいんだけどね。まぁこうしてブログに残しておけば、いつでも振り返ることができるからと・・・こんな記録を綴ることが励...たたら製鉄その2(2023山陰道no12)

  • たたら製鉄 (2023山陰道no11)

    松江市での朝。ホテルのすぐそこに松江駅のホームが見えている。今日からの4日間はスサノオ観光のこのバスで巡り歩きます。大型バスにお客さんは12名ユルユルのんびりの車内です。今日も宍道湖を眺めながらのスタート。湖面には、この池を越冬地に選らんだ水鳥たちがいっぱい。何を目的に写したのか記憶にありませんが、バスはズンズン山の中に向かって進むのでした。もうしばらく走ると広島県に入るらしい。そんな県境の町、雲南市吉田町の山奥まで入ってきた。そこはこんな家屋のたたずまい。左下の大きな建物が「高殿」と呼ぶ製鉄場、大正12年まで操業していたというその現場をこれから見学です。この大木がこの集落の象徴か。鉄を司る神が降り立ったと言われる「桂のご神木」桂の木は、たたら場の近くには必ず植えられていたそうです。「たたら」とはなんぞや...たたら製鉄(2023山陰道no11)

  • 足立美術館 (2023山陰道no10)

    15:09日の入りは早い。人影が伸び始めてきたころ足立美術館にやってきた。駐車場は、ご覧のとおりのバスの並び。その人気のほどがうかがえます。すごいですね。米国の日本庭園専門誌が全国1000カ所以上の庭を対象にして選定しているという。今年2023年まで連続20年間日本の1等賞を続けているんですって。来年も1等賞だったらこの告知板を取り替えなっきゃぁだね。こんな感じで時はゆっくり流れます。どこへ行ってもこいつ「カメムシ」には悩まされた。巡ってきたどのお寺さんでも踏み潰してしまわないように足元注意だったのです。四季折々の姿がこんな感じに紹介されていました。枯山水のお庭を眺める。こんな額絵にうう~んでした。ちょっと眺める場所を変えると、全く違う庭園にその姿を変えてしまう。ここから眺める庭を「白砂青松庭」と紹介して...足立美術館(2023山陰道no10)

  • 倉吉から安来市へ(2023山陰道no9)

    お昼ご飯をいただきます。そこはレストラン「白壁倶楽部」交差点の角に建つこの白壁のお家。そのお店の入り口にはこんなプレートが埋め込まれていた。明治時代に建築された旧国立第三銀行倉吉支店の建物を利用したレストラン。私たちと、もうひとつのグループで満席。文化財なので床板を張り替えるわけにはいかないのか、銀行がそのまま残っている板張りの床、こぢんまりと雰囲気ありのレストランだった。外に出たところでお店の側面を写してみた。やはり銀行だ。窓には鉄格子ががっちりと。次に訪問したところは、なんと琴櫻記念館。「琴櫻」ってなに⁇ってお若い皆さんはおっしゃるでしょう。琴櫻の土俵入りの姿があった。なんと生まれ年が私と同じだった。でも2007年には亡くなられている。67歳ちと若すぎた。昭和48年(1973)横綱昇進時32歳2ヶ月、...倉吉から安来市へ(2023山陰道no9)

  • 伯耆の国倉吉で (2023山陰道no8)

    倉吉市にやってきた。そこには現地ガイドさんが待っていてくださった。この町ではなんといっても白壁と赤く葺かれた石州瓦屋根の連なりだ。大きな杉玉、もちろん酒蔵だ。奥の白い建物「くら用心」っていうんだって、何を意するのでしょう面白い呼び名。町家を参考に復元されたといい、現在は地域の防災センターとして機能しているとのこと。赤瓦に印されているカニさんマークはこの瓦の専売特許(?)とか。町家の並びには歴史観いっぱい。いつまでも保存してほしい景観だ。機織り機だ。懐かしい、我が家にもあったっけ。祖母が足で踏みながらトントンと織ってたっけ。今までとっておけば博物館行きかも。倉吉の町家はどんなものか地方弁で説明していた。間口が狭くてうなぎの寝床みたいなところに母屋、中庭、土蔵と連なっていたんですって。七五三のお参りかな。何だ...伯耆の国倉吉で(2023山陰道no8)

  • 白兎神社(2023山陰道no7)

    旅三日目の朝は青空がいっぱい。ホテルのすぐそこがJR鳥取駅ホーム。「ホテル・ニューオオタニ鳥取」の朝、差し込む朝の光のそこには寝乱れたベットの姿があった。バスは国道9号線、日本海を窓外に観て走ります。神話「因幡の白うさぎ」の白兎神社にやってきた。そこには白ウサギの砂像、渦巻く波の上に白うさぎ、その奥には大国主命がいらっしゃる。ここ鳥取には「砂の美術館」なんてのがあるほど砂の芸術は有名なのだ。神話に登場する大国主と八上姫の縁を結んだ神様と言われているのが白うさぎだというのだ。こんなウサギちゃんがあちこちに。この白い石は何だろうか、願いを叶えるがための石なのか、聞くのを怠ってしまった。白うさぎは縁結びの神様だ。どうかよき縁がありますように。若い姫たち。石段を登ったところに拝殿。白兎神社は、古事記や日本書紀に記...白兎神社(2023山陰道no7)

  • 余部鉄橋(2023山陰no6)

    江戸時代の山陰道の旅のはずなのに、山陰近畿自動車道を走ってきた。まだ14:30だというのに厚い雲のしたでは夕暮れ気分。遠くに余部鉄橋が見えてきた。空の駅周辺案内図だ。「空の駅」って全国でここだけだと思ったら、ここを含めて5カ所もあった。いや驚き。~高さ41mの浮遊感へご招待~としてこんなきれいな「空の駅」のご案内パンフをいただいた。そこには約100年の歴史を刻んだ「余部鉄橋」が生まれかわりました・・・としていた。この階段室に12基のLED投光器によって季節ごとに春=グリーン、夏=ブルー、秋=オレンジ、冬=ホワイトに変身するという。今は秋のオレンジ色だ。私たちは階段利用は御免被りエレベーターで41mを。エレベーターを降りて「海の駅」に向かいます。この鉄路が平成22年(2010)に完成した新しい線路だ。両壁が...余部鉄橋(2023山陰no6)

  • 出石散策と大乗寺(2023山陰道no5)

    引き続き「出石伝統的建造物保存地区」を歩きます。そこには大きな時計台が見えてきた。次の写真でその説明書き。ちょっとした公園になっており、豊岡市役所出石庁舎があった。廃城となった出石城の石垣を利用して、明治4年(1871)に建設。4階建ての楼閣の最上階から太鼓を鳴らして時を知らせていたという。その後明治14年(1881)に時計の寄贈をうけ、札幌の時計台とともの日本最古の時計台として親しまれている・・・と書かれている。マンホールの絵柄はこの時計台と町の花「てっせん」そして歩を進めた山裾の小高い丘に出石城跡が石垣も見えている。ここのお城も廃城令によってすべて取り壊されたといいますが、隅櫓、登城門などが復元されたといいますが、ここから眺めただけでお城へは行きませんでした。有子橋を渡って先に進むと。お城への登り口の...出石散策と大乗寺(2023山陰道no5)

  • 丹波から但馬の国へ(2023山陰道no4)

    昔風にいえば丹波の国から但馬の国にやってきた。京都府福知山市から兵庫県豊岡市へ。そしてここでは「但馬の小京都」といわれる出石(いずし)の町並み散歩だ。ここではお若いガイドさんだった。地元で撮影された映画にエキストラとして出演(?)したなんて、楽しくお話もしながらの町並歩きの始まりでした。そして訪れた「永楽館」兵庫県が重要有形文化財として指定している芝居小屋だ。小屋に入ったところには、すでに公演を終えている歌舞伎の立て看板があった。出演者が「片岡愛之助」この役者さんは、毎年この舞台に訪れるとのことでした。切符は即売ですぐ満員になるんでしょうね。この座布団の裏には席ナンバーが縫い付けられているのです。もちろん今時のことちゃんと椅子席になっている。昭和か、いやいや明治の姿なのかレトロな空気がいっぱいだ。五右衛門...丹波から但馬の国へ(2023山陰道no4)

  • 福知山城(2023山陰道no3)

    ちょっと高台にあるあるホテルでの朝。福知山市の一部でしょうが望めます。昨夜ライトアップされてかすかに見えていた福知山城も遠く向こうの山裾に。今日からの2日間私たちを運んでくれるJAPAN観光バスでホテルから10分ほどの福知山城見学の駐車場に。なんといっても明智光秀だ。まず恐怖がやってきた。階段は絶対いやだという私に、この太鼓橋を上れという。老人に優しくない、ちょっと大げさに言えば、やや身体障害者になりかけだという我にはつらい。でもおかしなもので、旅ということになると、日常ではあり得ない気力が沸いてくる。手すりがあってよかった。これがなければもう観光拒否だ。一番後ろからトボトボ。20.2m鉄筋コンクリートの4階建てのお城は、市民による「瓦一枚運動」によって市のシンボルとして昭和61年11月(1986)に竣工...福知山城(2023山陰道no3)

  • 亀岡宿から園部宿へ(2023山陰道no2)

    亀岡宿にやってきた。ここでは臨済宗天龍寺派の金剛寺を訪ねた。門前にたつモデルが我が相棒。襖や屏風は「圓山応挙」の絵で埋め尽くされていた。右の襖が「波濤図」正面の屏風絵が「群仙図」と観たが如何に。この図に「山水図」加えたものが、いずれも国の重要文化財に指定されているといいます。ここで目に触れているのは、もちろん復元したもの。「丸山応挙」を説明しています。江戸時代中期の絵師で、この寺で小僧時代を送ったという縁があるといい、この寺は別名「応挙寺」とも呼ばれているという。応挙の絵は写真性を重視した親しみやすい画風が特色だと説明している。住職さんのお話を聞きます。「波濤図」の前で住職がその説明。この絵の前を行ったり来たり「波が動いているように見えませんか」と。帰り際に「波濤図」全体像を写してみた。この絵と「山水図」...亀岡宿から園部宿へ(2023山陰道no2)

  • 京都を発つ(2023山陰街道no1)

    旅行社のパンフに面白いコースの紹介があった。ふらふらっとそんな旅に乗っかることにした。たまたま友達の家に遊びに行って旅の話題になったら「俺もいく」と即決。彼も私と同じ独り者。いやぁ~驚いた。旅の中身も何も知らないのに。私には絶対できない決断だ。・・・というわけで世にも珍しい男二人での参加。そうなんです女性同士ってのはいくらでもあるんですが、男ってのはまずないんです。というわけで私83歳相棒は82歳の珍道中が始まります。新横浜からの新幹線にはお客さん少々。長野県から横浜へ出てきて1年10ヶ月、これまでは前泊か後泊は必須だったのにずいぶん楽になった。旅の始まりは京都駅集合が12時。新幹線は11:12に到着。連れの男性はどの列車で来たのか知りません。11月5日は3連休最後の日、京都駅は多くの人で埋まっていました...京都を発つ(2023山陰街道no1)

  • 紫竹ガーデン その2(2023北海道no19)

    ヒメウツキアザレアクロユリは向こうを向いていました。ニセアカシアスイカズラ園内散策を終えて売店に「ネペタ」園内のレストランでランチを済ませて、ガーデンのお別れにもう一枚写しちゃった。これはおばあちゃんのお孫さんに強要されての果てでした。帽子で顔を隠したおばあちゃんがそこにいた。帽子をお返しして、お孫さんとのお話が弾んでいるようでした。この方お父さんに負けず劣らずの話術の豊かさ。まあこのお二人なら紫竹ガーデンの発展間違いなしと私はみた。旭川から帯広まで北海道ガーデン街道208㎞8カ所のガーデンを楽しく見学が終わりました。たかがガーデンというなかれ、されどガーデンなのでした。とかち帯広空港発15:25が50分発となり羽田へは17:20の到着となりました。毎日よく歩きました。均してみたら12000歩/日になって...紫竹ガーデンその2(2023北海道no19)

  • 紫竹ガーデン(2023北海道no18)

    ズーっと彼方まで真っすぐ延びる道路。こんな変化に乏しい道路では睡魔が襲う運転注意だ。これは間違いなく馬鈴薯だ。8カ所目ガーデン街道めぐりもここが最後だ。紫竹昭葉(あきよ)さん。2021年にお亡くなりになっている。元代表取締役社長、彼女の手によって1987年(昭和62)に手がつけられて今日の日があるといいます。ここで記念撮影することが義務付けられているみたいにセットされている舞台。帽子は昭葉おばあちゃんの象徴。おばあちゃんの息子さんに園内ガイドをいただくのでした。その巧みな話術、これがなんとも楽しい時となるのでした。クレマチスヒナゲシネモフィラ紫竹ガーデン(2023北海道no18)

  • 六花の森(2023北海道no17)

    中札内村にやってきた。近くには村役場があり、道の駅もある。あのお菓子で有名な「六花亭」のガーデン「六花の森」に到着だ。入り口がこんなに質素だったっけ。2019年にオープンしたというまだ若いガーデンだ。お花は「十勝六花」のみの紹介。お花の紹介はあまりしていませんでした。○○館○○館とする建物が並んでいます。立札を立てて丁寧に花の紹介はしていますが・・・「六花の森」では、あの包装紙に描かれているエゾリンドウ、ハマナス、オオバナノエンレイソウ、カタクリ、エゾリュウキンカ、シラネアオイの「十勝六花」をはじめたくさんの草花が観察できます・・・としているのですが時が少し早すぎたのか、お花にはあまりお目にかかりませんでした。「ハマナス」がブワァーと並んでたまだ花の「は」の字もありません。まだ若いハマナスたち最初に入った...六花の森(2023北海道no17)

  • 愛の国から幸福へ(2023北海道no16)

    朝湯をいただいた。こんな時間になればもう誰もいません。「モール泉」アイヌの人たちから「薬の沼」と言われていたといい「北海道遺跡」に登録されているという。「モール」とはドイツ語で亜炭などを含む泥炭のことで、地中の亜炭層を通って湧出する温泉をモール泉という。コーラ色と言えばいいのか、お肌ツルツル、すごく薬効ありと思われるような気分にさせてくれる。モール泉は現在全国各地にあるそうですが、発祥の地はここ十勝だといいます。朝ごはんはおひとり様席でいただいた。外の緑もきれい気分よし。やはり「でっかいどう」薄い色の畑は麦でしょうか。馬鈴薯かな、ビートかな今日のスタートは幸福駅から。まだまだその人気は続いているらしい。この村は「幸震」と呼んでいたようですが、この地に福井県の人たちの入植が多かったことから、「幸」の字と「福...愛の国から幸福へ(2023北海道no16)

  • 十勝ヒルズ その2(2023北海道no15)

    ギボウシ「ラバーナム」まるで藤みたいNHK朝の連ドラ「舞いあがれ」でもこのガーデンが使われたそうですが、樹木も少なく森の中といった感があまりしなかった約45分間のガーデン見学が終わります。帯広市のホテルにやってきた「森のスパリゾート・北海道ホテル」ホテルのホームページでは、十勝の歴史と共に120年とし「その歴史は1899年(明治32)に誕生した”北海館”に始まる。鉄道の開通に伴い帯広駅前で開業したあと、1966年(昭和41)に現在地に移転・・・」などとその歴史を紹介していました。三番目に出てきたのが「お造り」私はワイン、両隣の方から日本酒とビールの差し入れがやってきた。7番目に「お食事」として出てきたのがこれ。そして締めが「水ようかん生クリーム・ピスタチオ飾り果実」お部屋が少々寒かった。こんなストーブの提...十勝ヒルズその2(2023北海道no15)

  • 十勝ヒルズ(2023北海道no14)

    何を耕作しているのか分かりませんが、畑の中の2本線は防除時に噴霧装置を後ろにつけてトラクターが走る痕跡。他の圃場で実際に消毒中の姿を目にするのでした。帯広市の隣に位置する幕別町「十勝ヒルズ」にやってきた。ガーデン見学も六カ所目、そろそろ見疲れ感ありの時間になりました。アリウムヤマボウシヤマボウシ「サトミ」手前には「ケシ」奥の薄紫は「クナウティア・アルベンシス」でいいのかな。蓮池と思いきやスイレン池ですって。スイレンと蓮の違いを学習した「アサザ」これ一日花らしい十勝ヒルズ(2023北海道no14)

  • 真鍋庭園 その2(2023北海道no13)

    ヤマアジサイレッドカエデエゾリスを見つけた。このあとサァーっと滑り降りて消えてしまった。その速さに全体像を捉えることはできませんでした。タニウツギロサ・パルストリスアメリカテマリシモツケ「コロラドトウヒ」この種には、園芸品種として多々あるようですが、このガーデンにも大小さまざまな、このトウヒがあるのでした。ヨーロッパ産のセイヨウシロヤナギ”トリステス”、樹木が主役だといわれるこの庭園のまさに主役のシダレヤナギ。その大きさには驚きでした。奥に見えている黄色の葉のついた木、何でしょうか。新芽があの色なのでしょうか。最後は「モンスターガーデン」樹種は何か知りませんが不思議な樹形をした木々の集まりでした。真鍋庭園その2(2023北海道no13)

  • 真鍋庭園(2023北海道no12)

    十勝平野はやはり平らだ。手前は麦畑か、奥にはビート(甜菜・サトウダイコン)かな。この地方の作物は、小麦・豆類・馬鈴薯・甜菜が主要4品目だという。ああ~気持ちいい景色。心洗われるのときだ。帯広市のとなり芽室町に入った。そこに「美生開拓100年の碑」ってのが見えた。ここに入植の鍬が下ろされたのは明治31年(1898)だったらしい。今日の発展は、先人の労苦が偲ばれるというもの。1913年(大正2)築だという落ち着いたお店「松久園」は蕎麦とニジマスのお店なるほどニジマスのアライと唐揚げだ。ここのマス池に大鵬さんもいらっしゃのだ。「さすが関取」と書いてあるので十両か幕内のときかと思いきや、よく見ると横綱大鵬と書いてある。裸足で付き人は一人らしい。へぇー大横綱にもこんなおおらかな時間もあったのですね。ほかにも昭和40...真鍋庭園(2023北海道no12)

  • 十勝千年の森 その2(2023北海道no11)

    このガーデンも開花している花の種は少ないようです。1か月過ぎに訪ねたら一面の花かもしれないけど。アケボノフロウちょっとピンボケ「ホソバナデシコ」ルビークラウドクモの巣に雨粒がきれいに乗っかっていた。ユーフォルビアが一面にアルケミラヨウシュハクセンレンテンローズ(クリスマスローズ)見学を終えてビジターセンターに帰ってきた。そこには新聞社の本領発揮、記事から抜粋の展示があった。「本場英国で高い評価」として英国のガーデンデザイナーズ協会賞選考会の最終選考に残った・・・としている。こちらでは日本芝草学会による2015年度「日本芝生文化大賞」受賞。その隣では土木学会の景観・デザイン委員会が主催する「土木学会デザイン賞2017」の最優秀賞受賞としている。そして、次の観光に向けてバスに戻ります。十勝千年の森その2(2023北海道no11)

  • 十勝千年の森(2023北海道no10)

    大雪山国立公園の中の十勝岳連峰からの日の出らしい。我は何故こんな時間に目覚めていたのだろう。窓際にこんな案内板があった。前の写真の一番ノッポの山が十勝岳2077mだ。きれいにラインを引いたように覆いかぶさっている雲と連山とのわずかなすき間から太陽が・・・ホテルの部屋の中にこんなマップが挟まっていた。二重丸印が私たちのホテルだ。壁に張り付いていたこの画を眺めていたら、ミスホテル(私の目がそういった)らしき方がこの資料を持ってきてくださった。「パウダースノーの雪を好んで外国の方も多くやってくるんですよ」との説明を残して帰っていった。北海道と言えばニセコが有名なんだけど、ここも負けていないらしい。我が信州にもパウダースノー雪質のスキー場はいっぱいあるんだけど、まあいいや。珍しくも水田があった。道路際に防風・防雪...十勝千年の森(2023北海道no10)

  • 風のガーデン その2(2023北海道no9)

    お家の中を見学して出てきて振り返ってみました。ツタがいっぱい絡まったハウスはなんとも趣ありです。この家の中であのドラマは展開されたのかと思うと感無量ってな・・・この視界の中に見えるお花はシャクヤクだけ。本来であれば全体がお花まるけだろうに、春先のこの花しかありませんでした。~今咲いているバラたち~と紹介していた。そこにカンボクの白い花が咲いている「薔薇の庭」の入り口。バラはどこでも鑑賞できる。とここではさして関心がなく写真は一枚もありません。クレマチスとラムズイヤーセイヨウカンボクヨーロッパの原種系のバラ「ロサ・カリーナ」一面に咲き乱れる「ルピナス」の中にエゾシカがいた。近づいても逃げてゆく気配は全くなくお食事が続くのでした。約1時間のガーデン見学を終えてホテルにチェックイン。お部屋から富良野の町を眺めま...風のガーデンその2(2023北海道no9)

  • 風のガーデン(2023北海道no8)

    スキー場の裾にあるホテルまでやってきた。このガーデンは、今日のお宿「新富良野プリンスホテル」の隣にありました。ピクニックガーデンとしてホテルが運営しているらしい。「風のガーデン」は、倉本聰さんが上野ファームの上野砂由紀との出会いによって、彼女にゴルフ場跡地への庭づくりのため、そのデザインを依頼したことに始まるといいます。庭づくりの打ち合わせを重ねるうちに、アイデアが膨らみ、この庭を舞台にしたドラマへと発展したのだそうです。ガイドパンフを開くとこれ。2006年春から2年間をかけて365品種、約2万株の花々が植えられ、完成した庭でドラマの収録が行われたという。時を経た今は450種類を超える花々が季節ごとに次々と咲きほこるといいます。ここでも「今日咲いているお花」が案内されていました。「野生のエゾシカが時折現れ...風のガーデン(2023北海道no8)

  • ファーム富田(2023北海道no7)

    北海道ガーデン街道国道38号を走っています。「そらち川」との標示の奥には冬になればスキーヤーが集うであろうゲレンデが山肌に張り付いています。今日はそのふもとまで走ります。そしてやってきました中富良野町のファーム富田。この花園はカーデン街道のひとつとしてはカウントされていません。何故だろうと考えてみるに、きれいに苗が植栽され栽培されているお花畑であることが、その因だろうと推察するのですが。さてどうでしょうか。ガーデン街道の8カ所のお花は、ほぼ宿根草で構成されていて、秋には枯れて春に芽吹くの繰り返し、苗を植えての新たな栽植はあまりなされていないらしい。ラベンダーを目玉とするお花畑がいっぱい。このファームから徒歩7~8分のところにJRラベンダー畑駅というのがある。もちろんJRが運行している観光列車「ノロッコ号」...ファーム富田(2023北海道no7)

  • 白金青い池(2023北海道no6)

    旭川から富良野を結ぶ富良野線の踏切を渡ります。そこには小さな駅舎「美瑛駅」人影は見えません。きれいな街並みが続いていました。その家屋には1936年右のお家は1928年と刻まれていました。こんな新しいお家、建築された年ではないでしょうね。さて、北海道に入植された年かも。ガイドさんに聞いてみればよかったのに。ドイツだったかな、こんな年号の入ったお家が並んでいるの見たことがあったっけ。この街そんなんの真似たんでしょうか。ランチは「美瑛和牛」のビーフシチュー。飛騨牛、松阪牛などなどご当地牛はどこにでもある。同じ黒牛どこ産の肉だって一緒だと思うんだけどね。リンゴやミカンなら品種によって赤の他人になっちゃうんだけど。まさに「でっかいどう」の風景。心が洗われる気分にしてくれます。「青い池」十勝岳の防災工事(1989年・...白金青い池(2023北海道no6)

  • 上野ファーム その2(2023北海道no5)

    サルビア・メモローサネペタお花の手入れを職員の方が・・・丘の上まで色鮮やかな「ルピナス」いっぱい。そこのお二人さん、歩道を外れての侵入はいけません。日本人はあまりこんな行動はとらないと思うんだけどね。お見事、人間の背丈ぐらいありそうだ。誰か近くに並んでの撮影が欲しかった。射的山をどんどん登ると丘の上には「虹色の椅子」の風景。椅子の背後には北海道の風景旭川が拡がっていた。だが大雪の連山は雲の中。帰り道でも、また写してみました。上野ファーム6月21日のFacebookでは「このルピナスはもう終わりに近づいていますが、まだまだ華やかでいい香り」と伝えていました。また、7月23日放送のNHK趣味の園芸にここのファームが登場するとも言ってます。ここでの見学も約1時間。もとは畜舎だったという建物の横の壁には、いま咲い...上野ファームその2(2023北海道no5)

  • 上野ファーム(2023北海道no4)

    アートホテル旭川での朝ごはん。ずーっと街の広がりが見えました。ビュッフェで盛り合わせてきたお食事がこれ。ガーデン街道の二つ目のお花畑がこちらの「上野ファーム」稲作や畜産業を生業にしていたという上野家が娘さんの英国留学での勉強を経て、2001年一日限りのオープンガーデンを開いたのが始まりだといいます。そしてお母さんと共にこんな素晴らしいお花の園を作り上げたのだと言います。上に貼ってあるカタログに配されている花園、年間を通せば2000種以上もの花が咲くという、そんな花の路をガイドさんの案内で回ります。あんりゃ。掃除機みたいな自動草刈り機が最初の出会いだ。びっくり。「ノームの庭」この三角屋根の小屋がこのファームのシンボルらしい。ここには綴りませんが、この「ノーム」というのも調べてみると奥深い話ありでした。背の高...上野ファーム(2023北海道no4)

  • 森のガーデン その3(2023北海道no3)

    花園は森の中に拡がっています。空が青ければ大雪の山々が望めるはずでしたがあいにくの曇天。せめて雨無しを吉とすることといたしました。マムシグサセンダイハギのそこで、親切なご案内をいただくガーデンガイド嬢はこんなスタイルでした。セイヨウカンボクオストロサンサス・アコリフォリウス約1時間とちょっと満足いっぱいのガーデンを後にします。旭川のホテルのメニューはこれ。こんな非日常のときがあと3日間続きます。メニューの後ろから三番目がこれだっけ。森のガーデンその3(2023北海道no3)

  • 森のガーデン その2(2023北海道no2)

    とにかく被写体はいっぱいあります。スルーしてしまう花もいくつかあるんですが、枚数をボツにしてはお花ちゃんが可哀そう。よってドンドン張り付けてみます。イブキトラノオモクセイ科ジャスミンの一種らしい真ん中の紫花なんていうんだろう?アネモネエゾムラサキ手前のゴチャゴチャした花アジュガかなフランチ・タイムユーフォルビア・ポリクロマ手前の紫花カマッシア巨木に巻き付いていた。開花はポチポチのツルアジサイアリウム・アフラチュネンセ森のガーデンその2(2023北海道no2)

  • 大雪 森のガーデン(2023北海道no1)

    羽田発10:55のJAL機が定時を約30分遅れて飛び立ち北海道に向かいました。機長が機内で伝えていたようにスピードアップ。だいぶ時間を稼いでくれて旭川空港到着。遅れは10分程度となっていた。旭川市のご当地キャラ「あさっぴー」旭山動物園のホッキョクグマとゴマフアザラシを合体させたような外見だそうだ。温度計はなぜか数字が欠けて写っていますが21℃を示していました。4日間のバス移動のはじまり、上川町に向かいます。車内に北海道地図が張り出されていて、私たちが走る全行程が色別に示されていました。私たち9名の今回の旅がこれ「北海道ガーデン街道」全長約250kmを走ります。毎度のことですが男性の参加者は少ない。今回は我ひとり、元気なおばあちゃんたちに囲まれてジジぽつり。このガーデン街道は、イギリスの美しいガーデンの数々...大雪森のガーデン(2023北海道no1)

  • 成田へ(2023セイシェルno33)

    真夜中の飛行時間11時間余、韓国は仁川空港が近づいててきた。乗り継ぎ「成田」行きはこちらですよ。とのご案内。何の催しがあったのでしょうか。あるいはあるのでしょうか、民族衣装の行列。搭乗するとウエルカムドリンクがやってきた。駐車場には車がいっぱい。成田空港到着。旅行社から渡されたこのQRコードには何が書かれているのか、これを提示したらさっさとパス。10月フランスからの帰国時よりも随分簡易になったことは確かだった。が、フランスとセイシェルにはこんな関門はなーんもなかった。コロナ対策の関所がここ、撮影禁止、防犯カメラ設置、監視カメラ作動中としてある。どんな所作をした人が確保されてしまうのか、こうして撮影した私が何故別室へと言われなかったのか。まあ何はともあれ旅は終わりました。こんなパンフレットに誘われての旅でし...成田へ(2023セイシェルno33)

  • 帰りのときです(2023セイシェルno32)

    空港に向かう径筋でちょっと寄り道した。その施設というのかお店にはココヤシの葉でできた作品が並んでいた。こうしてヤシの葉っぱを乾燥させて加工しているらしい。ココヤシの実がついていた。この果実をココナッツというそうだがまだ子供のようだ。ビクトリアの町から国際空港まで、今日はこんなふうにマヘ島の南部をぐるっと回った。これで船旅の前に走った北部めぐりとあわせてほぼ全島を走破したこととなった。言ってみればほんとに小さな島だ。日本国の市町村面積と比べてみたら長野県軽井沢町や宮城県蔵王町と同じくらいの大きさだと知った。予想を覆して連日の好天、旅行日和だった旅を終えて国際空港にやってきた。お土産には亀のぬいぐるみが一番らしい。待合室はこんな感じ。しゃれたラウンジなんかないようだ。飛行機は3本だけだ。エチオピア航空がアジス...帰りのときです(2023セイシェルno32)

  • スパイスガーデン(2023セイシェルno31)

    山を下って海に出てきた。きれいな墓地に出逢った。お花は生花か造化か。生花だとすれば毎日お花を抱えてお参りするのでしょうか。とにかくきれいにお花が飾られている。スパイスガーデンにやってきた。さて何でしょ「文旦」かな?ではないでしょうね。ヘリコニア・ロストラータ。何に使われるのか分かりません。ストレリチア。漢字では「極楽鳥花」と書くそうだ。レッドジンジャー。これがあの香りを醸し出すのか。ここにも亀がいた。オタカンサス=ブルーキャッツアイヒスイラン属だといってた。おなじみのブーゲンビリア。こちらもおなじみの熱帯花。海辺に出てきた。Hを崩したエンブレムをつけた韓国現代自動車がいた。この国ではこの自動車が幅を利かせていた。残念ながら日本車は少なかったように思う。スパイスガーデン(2023セイシェルno31)

  • そこには歴史が(2023セイシェルno30)

    次の見学場所に着いた。ガイドの彼女にはセイシェルに着いた初日からマヘ島内での観光に携わってもらった。この島の歴史の一部を知る公園にやってきた。チケット売り場があった。うん素朴素朴。ヘンリー・ベン(宣教師かな・・?)を記念して造られた公園らしい。年を追って諸々の説明が書かれている。解放奴隷記念碑。2021年8月に除幕されたという。奴隷制が廃止されたのが1835年だというのに、なぜ2021年に記念碑なんだろう。1742年フランス人プランターとそのアフリカ人奴隷がセーシェルに定住したのがこの国のはじまりらしい。そして1814年イギリスが主権国に。1976年(昭和51)セーシェルがイギリスから独立・・そんな歴史を持つという若いこの国だ。苦難の路を歩いたであろう記念碑の後ろ姿。この地に解放奴隷の子弟のための学校や寮...そこには歴史が(2023セイシェルno30)

  • 下船(2023セイシェルno29)

    下船のときがやってきた。廊下に各自の荷物が並びます。船中泊8日間ともなれば、スタッフとの別れの時もそれなりの思いがあるというもの。タラップを降りてサヨナラのときだ。これから観光に出かけるため小型バスに乗り込んだ私たちをスタッフのお見送り。ヴィクトリアの街中にやってきた。あの時計塔との再度の出会いだ。お買い物組と教会派に分かれての街歩き。私は教会を選択。皆さん出て行ったあとカメラを手にフラフラしてて外に出たら誰もいなくなってしまった。ハグレ鳥ただ一羽の状態に。こんな時はどこえも移動しないことが肝心だ。みんなでお土産屋さんだったんですって。次の観光場所に行く途中、墓地だろうか。が目にとまった。下船(2023セイシェルno29)

  • 最後の夜(2023セイシェルno28)

    シェフの特別サービスでサーモンのお刺身(日本人でなければお刺し身なしの船だから)を提供いただいたランチをすませてから操舵室を見学することとなった。知りませんでした、私のキャビン502号室の隣が操舵室だったとは。船長さんの帽子をお借りしての撮影タイムはありませんでした。そして下船に向けての説明会。いやぁ驚きの特別出演、私たちの仲間の演舞があるではありませんか。まずは「白虎隊」でした。「人は石垣人は城情けは味方仇は敵仇は敵」武田節が力強く舞われました。思わぬ出し物だったでしょう。外国の皆さんからは拍手喝采がいっぱいでした。スペイン産生ハムの試食会もありました。もう随分前からビクトリアの港に入っているようでした。睡眠の時を過ごせば明朝には下船が待っている。最後の夜(2023セイシェルno28)

  • さらに自然保護区を歩く(2023セイシェルno27)

    幹に直に花が咲き実をつけるジャックフルーツにも出会った。これ何を写したんだろう。思い出せないんだけど、ここの森の代表選手のヤシの切り株だと思う。丸く無数に開いている穴は道管って言うんだろうか。ヤシってのには年輪ってのないのでしょうか。落ちたヤシの葉がいっぱい積み重なっていました。フタゴヤシにイモリかなヤモリかもしれないが乗っかっていた。その実は、雄株から飛んできた花粉を受けてから7年もたたなければ成熟しないというのです。いやはや驚いた。成熟して落果すると実がパカッと割れて中からあの硬い種(入園時に見た種子)が出てくるといいます。さらに驚くことに発芽してから1年に1枚ずつ葉を増やすんですって、よって、その枚数を数えると樹齢が分かるんだそうだ。発芽したフタゴヤシは、25年もたってからようやく花をつけ、受精して...さらに自然保護区を歩く(2023セイシェルno27)

  • 二番目に大きな島へ(2023セイシェルno26)

    旅も11日目を迎え残りわずかな時間になってきた。最後の島での観光、セイシェルで2番目に大きな島であり、人口も2番目に多い7500人が生活しているという「プララン島」にテンダーボートに乗って向かいます。何台もの小型バスに分乗して観光の基地にやってきた。ビジターセンターには1983年(昭和58)に世界遺産として認定されている「ヴァレ・ド・メ自然保護区」の証が標示されていました。なお、この国にはもう一カ所ゾウガメの生息している4つの珊瑚島が構成している「アルダブラ環礁」が世界自然遺産として登録されているのです。ヤシの葉で葺いている屋根かな。ここが公園への入口でした。入口にこんな案内板があった。位置は島のほぼ真ん中、赤丸で囲ってみました。見学コースは3本あるとし、1,2,3時間コースと説明しています。公園の規模は...二番目に大きな島へ(2023セイシェルno26)

  • 船長主催の催し(2023セイシェルno25)

    船での夜は今日を入れてあと二夜になった。今宵はお別れを前にして船長主催によるフェアウェルカクテルとフェアウェル祝祭ディナーのはじまりです。船長主催といっても我々がお支払いした旅費が使われているんだろうな。なんていらぬ邪推をしてしまう悪い男がいるのです。多くの皆さんがプールサイドに集まってきた。シャンパン片手に三々五々。そんなホールの天井も一緒に撮影したら鑑賞するのにくたびれてしまう写真になってしまった。こちらはもろに天井に向かって写した写真を180度回転させたらこんな写真になった。写真上方にチラッと見えている頭などがほんとの正常位なんです。そして乗務員の皆さんの紹介だ。多くの皆さんが揃ったところで船長からのご挨拶があるのでした。そして会場を移してフェアウェル祝祭ディナーの時間になるのでした。特別のディナー...船長主催の催し(2023セイシェルno25)

  • 再びラ・ディーグ島へ(2023セイシェルno24)

    ラ・ディーグ島への往復を担っている私たちの赤いテンダーボートが走っている。ランチの後、私たちのグループから何人の方が参加されたのか知りませんが、再びラ・ディーグ島に向かいます。私はひとり街の中をブラブラ歩くことが観光だったのです。海辺でお魚を売ってた。魚種は分かりませんが、集まる蠅を竹の葉で追い払っている。島に滞在中のご婦人らしきが購入しようとしていた。これが日常なのでしょうが、私にとってはどうもどうもでした。ベンチで休んで先方のお店を観察していたらお巡りさんの車がとまった。この町にはこんな立派な車はまず走っていません。現在地はラ・ディーグ島、明日のプララン島での観光を経て、最終日にマヘ島。11日間のセイシェルでの日を終えます。やはり自転車社会だ。地元の人も観光客の人たちも自転車を使えば島内を全部回れてし...再びラ・ディーグ島へ(2023セイシェルno24)

  • 岩・白砂そして青い海と空(2023セイシェルno23)

    この島の目玉「アンススースダンジャル海岸」にやってきた。私たちの乗ってきたトラックバスと自転車がいっぱい。この島ではこのレンタル自転車が主要交通手段だといいます。もうそこがビーチ。ワンちゃんと遊ぶ女の子がいた。この犬の海泳ぎが素晴らしいのです。海辺に沿って歩いてみます。風雨に浸食された花崗岩の巨岩の並びが美しい。首都のあるマヘ島から近いこともあってこのビーチには観光客がワサワサいらっしゃる。沖にサンゴ礁が連なっているため波が穏やかな遠浅の海だといいます。みごとみごと犬の海水浴だ。少女たちと一緒にワンちゃんがこんなに奥まで泳いできた。巨大な花崗岩がゴロゴロ並ぶ遊歩道を歩いてみました。このビーチがセイシェル諸島のなかでもno1だと謳われている。2014年にこの国が一躍有名になる出来事が起こったという。それが2...岩・白砂そして青い海と空(2023セイシェルno23)

  • ラ・ディーグ島 その2(2023セイシェルno22)

    周りの木々を写してみた。黄色く熟れかけたのもある。これは間違いなくマンゴーだ。これも果物らしい。後刻調べてみたのですが「ウルの木」というらしい。日本語だと「パンの木」といい、生食でなく、焼く、揚げる、茹でるなどして食するようだ。真っ二つに切ったナッツの実のきれいなこと。この白い部分は食べられるようです。お味はどんなだったのでしょう。私はカメラが忙しくて食していませんが。乾燥させてるらしいんだけど・・・?このあとどうなるのでしょうか。プランテーション農園当時の家屋か・・・中に入ってみた。リビングルームかな。次の写真がベットルーム。海辺に出る途中にゾウガメ飼育場があった。こんな枯葉おいしいんでしょうか。いくら食べても血や肉にならないのでは?ラ・ディーグ島その2(2023セイシェルno22)

  • ラ・ディーグ島 その1(2023セイシェルno21)

    無人島ばかりを巡り歩いていたクルーズ。始めて人の生活のある島の観光です。まず、居住者が2000人というラ・ディグ島。首都のあるマヘ島から高速艇で1時間30分だといいます。明日3月1日にはその隣の島、プララン島の観光へと続きます。こちらが今日の観光となるラ・ディグ島。この島の目玉は花崗岩に囲まれた美しいビーチ。だとされている。すぐそこに見えている島へ。今日は今までのゾーディアックボートではなくテンダーボートを利用してラ・ディグ島の埠頭を目指します。ボートの中はこんな感じに多くの人数が座れます。マスク姿は日本人、私の仲間。ほかにはだ~れもマスクはしていません。やはり奇異に映ってしまいます。島に接岸。生活のある島にはこうした乗降ホームは当たり前にあるということでしょう。すぐそこに見えている開放感いっぱいのトラッ...ラ・ディーグ島その1(2023セイシェルno21)

  • グランド・スール島 その2(2023セイシェルno20)

    私は泳ぎはだめだけど、青い海と空、白砂。波に任せての泳ぎ、気持ちいいだろうな。手前の白いTシャツのひと、レシバーもって監視の人。私はお帰りですがシュノーケリングを楽しむ人たち。こんな浅い海では砂が見えるだけでお魚いないでしょうに。ランチ以後のプラスリン島への観光はパス。よってお酒が飲めます。そうはいってもこの船にお客さんが何人乗っているんだろう。って知りたくてフロントを訪ねてみた。そこでメモしてくれたのがこれ。日本16、アメリカ26、フランス83、合わせると125人になるんだけどTotal123って書いてある。()の中は内数ということだろうけど何だろう。ゲスト定員184としている船だからほぼ満室だったかも知れない。日本のお客さんは、ほとんど一人で一室だったから。夕食前にチロっとキャビアの試食でした。夕食の...グランド・スール島その2(2023セイシェルno20)

  • グランド・スール島(2023セイシェルno19)

    旅も8日目の朝。今日も快晴だ。ジンベイザメがいた。ボートのお兄さんと戯れているのか、まだ子供のサメらしい。島への上陸。砂浜までが意外に深くて大変でした。腰の辺まで濡れちゃうんだよね。無人島のはずなのにニワトリがいた。お母さんはこんなに何羽もいるヒヨコをみな自分の子供だって思ってるんでしょうか。ここにもゾウガメ。登録人口が2人だというこの島、奥のお家に一人で住んでいるというおじさんがいた。これ交尾中なのかな。ただのお遊びなのか。おじさんはお家に入ってしまって教えてもらえません。可憐な花。そういえば花との出会いはなかったのを思い出します。大きな花崗岩の奇妙な岩。手前右は落ち葉の山、左の山はヤシの実。人が住んでいなくても観光の島、よく人の手が入っているようです。グランド・スール島(2023セイシェルno19)

  • 帆船とのご対面(2023セイシェルno18)

    遠くに帆船ありき。この船会社所有の帆船だという「ル・ポナン」1443トン乗客定員64名帆船なれどラグジュアリークラスだというから最高級船だということだ。「セイシェルの夕陽」いや夕焼けを背景にした帆船の姿もまたかっこいい。今宵はホワイトイブニングのとき。白い衣装に身を整えた皆さんがデッキに出て帆船を眺めています。なんともいい雰囲気。宴に向けてシャンパンの準備が進んでいました。時間は経過して、窓際に演奏者が二人いるだけ。ホワイトイブニングのときだというのに私のディナーはスープと野菜と果物だけみたい。奥の器は何だったろうか、そんなささやかな夕食をいただいていたら着飾った帆船が目に入った。4Fのレストランでコース料理をいただいていたらこの帆船が目に入らなかったかもしれない。今日の歩きは7096歩。毎日よく歩かせて...帆船とのご対面(2023セイシェルno18)

  • アリッド島 その2(2023セイシェルno17)

    真っ白な砂浜に海鳥が憩っていた。男性のガイド氏。胸のマークがアジサシだ。こちら17歳だというガイド嬢。気持ち悪。このぬるぬると思しきやつ、手で捕まえて乗っけちゃうんだもの。こちらはまさに自然界のゾウガメだ。モフモフ赤ちゃん。少し大きくなった赤ちゃんとお母さんとの距離感はこんな感じ。この鳥はあちこちで観察できるのです。こんなジャングルの中を緑に埋もれながらの歩きなのです。今度は黒い鳥。逃げて行きません。「セイシェルシキチョウ」足輪着けていた。絶滅危惧種で管理下に置かれているのか。餌も頂戴しているのかもしれない。逃げようとしないんだもの。セイシェル諸島の動植物はまさに人間と共存しているとの感を強く持つのでした。赤道直下といってもそんなに暑くありません。毎日が一日中27~8度で経過。一年中ほぼこんな気温での日々...アリッド島その2(2023セイシェルno17)

  • アリッド島 その1(2023セイシェルno16)

    赤道直下といってもいいくらいこの国で赤道に最も近い島にやってきた。珍しくも早起きして日の出を眺めてみた。今日も快晴間違いなしだ。比較的平坦なジャングルウォーキングの1.2㎞がはじまります。「何を写そうとした写真なの」と聞かれてしまう。真ん中の腐食木のそこにある白いのが撮影の標的。次の写真のような姿になるのだとガイド嬢からの説明でした。何者であるのかは聞き漏らしています。わぉー何故ここにこんなに。ジャングルの中のヤドカリ集団だ。白アジサシ。この鳥がこの島の象徴らしい。次の写真はご夫妻かもしれない。時々浜辺に出ながらの歩きが続くのでした。アジサシの卵があった。抱卵放棄したのかな。これもヤドカリ。こんな大きな体してて借りているお家の中にすっぽり入れるのでしょうか。ちょっとつついてみればどんな反応するのか観察でき...アリッド島その1(2023セイシェルno16)

  • ルミール島 その2(2023セイシェルno15)

    かっての大統領の時代、鉱物資源の採掘があったといい、セスナ用の滑走路ができた。左右にカメラを振って写してみました。両側の芝を見ると管理してるみたいだけど、今は不良資産ってなところでしょうが、観光立国としては草ボーボー自然のなすままってな訳けにはいかないでしょう。外国のおじさんがヤドカリを捕まえて見せてくれた。首から下がった双眼鏡はニコンだ。きれいな砂浜に「ヤドカリ」があちこちにいました。青い空に波静かな海の色が映えます。珍しくもプールを使ってる方がいらっしゃった。このとき船はスクリュー4枚を回して全速力なんてことは知りませんでした。午後の観光は、沖合でのシュノーケリングだった。私はもちろん不参加。浜辺ではなく足が立たない「沖合」だったのがいけなかった。私たちの仲間が溺れてしまったという。そんな事態に参加者...ルミール島その2(2023セイシェルno15)

  • ルミール島で(2023セイシェルno14)

    船はルミール島沖合に停泊。平坦な小さな島が見えている。この島での歩きなら私も大丈夫でしょう。旅の初めに見た週間天気予報は全くのはずれだった。今日も快晴、もう乾季のときを迎えているのかもしれない。次のボートがやってきている。浜辺に立っている人たちの手助けを受けて、浜に降り立つのです。約2㎞の自由散策が始まった。この島は海鳥の楽園だと教えられていた。名前は不明ですが白い鳥が子育て中。周りにいる黒い鳥を数えてみると10羽もいる。確かに鳥の島なんだ。平坦なヤシの林の中を歩きます。木の根元にはヤシの実が積まれていた。空を見上げると鳥の姿がいっぱい。木の枝先にもズラリ。名前は不明なんですが、ひょっとしてグンカンドリの一種だろうか。白いのも飛んでいた。ルミール島で(2023セイシェルno14)

  • キュリーズ島で(2023セイシェルno13)

    午前の部の人たちが観光に向かっています。熱帯雨林やマングローブの森などを歩くコースは1.5㎞との説明に私は不参加を決め込むのでした。私が時々一人で食事をいただくところは、こんなにテーブルが並んでいるのです。午後の部のはじまりです。こちらには私も参加。乗船しようとする頃になると不気味な雲がやってきて周りが暗くなった。ボートに乗るころになると叩きつけるようなスコールがやってきた。カッパ着用も下半身はずぶ濡れ。これも熱帯での貴重な体験。スコールも小降りになった。この浜への上陸が大変。スコールがためか波が高くなった。次のボートがやってきている。浜辺に立っている3人の方が補助してくれるんですが腰の近くまでしっかり海水をいただくのでした。スコールがだんだん去っていった。海辺の左の方では海水浴、シュノーケリングを楽しん...キュリーズ島で(2023セイシェルno13)

  • 夜の部(2023セイシェルno12)

    夜の部のはじまりです。私がよく食事をいただく3Fプールサイドで船長主催のウェルカムカクテルが始まります。プールサイドへの出口に乗務員さんが並んでお迎えでした。シャンパンの準備が進んでいます。お酒はいつでもどこででもいただけるのですから、プログラムの始まる前からいただいている方多数でした。二人のお嬢ちゃん。お客さんの中で子供はこの二人だけでした。船長さんのご挨拶。そして、3Fのレストランでディナーをいただきます。その入り口のワインセーラーにはボトルがゾロゾロ。そして、シアターでショーをながめて今日の日を終えるのでした。夜の部(2023セイシェルno12)

  • 初めての上陸(2023セイシェルno11)

    ゾーディアックボートに乗ってすぐそこに見えているサンタンヌ諸島のひとつの島に向かいます。その奥に連なっているのは、セイシェル国の本島マヘ島です。10名ぐらい乗れるのかな。ゴムボートの上は、つかまるところないから後ろへ落っこちそうで怖い。エンジンは「ヤマハ」が付いていた。このヤマハさんのエンジンは、世界各地でボートに乗るとき拝見できるのです。モイエン島と読むのかな。ナショナルパークとも書いてある。「アブラブダゾウガメ」というらしい。陸で暮らしているから「陸ガメ」とも呼ぶようだ。ゾウガメと言えばガラパゴスかと思っていたら、ここにも観光の目玉として彼らが生息しているのでした。見学のお客さんが餌をあげていた。硬そうな葉っぱだ。マヘ島のヴィクトリアからボートツアーでこの島へやってくる人が多いという。ここにはホテルな...初めての上陸(2023セイシェルno11)

  • 一夜明けて(2023セイシェルno10)

    マヘ島にある首都ビクトリアのすぐそこのサンタンヌ諸島にやってきています。・・・6つの島から構成されているサンタンヌ国立海洋公園は周りを珊瑚礁で囲まれています。自然価値の希少性から「この島に残していいのは砂浜の足跡、持ち帰っていいのは写真と思い出だけ」と言われています・・・なんて紹介されている。島めぐりツアーのパンフレットを開くとこんな感じで8ページにわてって紹介。クルーズ全行程を終えて振り返って写真を見ると「ふむふむ」でした。朝ごはんはデッキ4にあるメインダイニングにはいかず、デッキ3のグリルレストランでひとり静かにいただくのでした。朝ごはんとランチはいつもビュッフェスタイル。私はチロっととってくればそれで充分。「プールもあります」と、まあ言い訳程度の大きさ。こんな小さな船にはなくってもいいと思うんだけど...一夜明けて(2023セイシェルno10)

  • 乗船(2023セイシェルno9)

    港にやってきた。そこには、こじんまりしたグループの歌と演奏の出迎えが待っていた。フランスの客船「ル・ビーゲンビル」への乗船が始まりました。船はあまり大きくありません。でも、砕氷船でもあるといい、南極や北極へも旅するというたくましい船なのです。2019年ノルウェー生まれという言ってみればまだ新造船といってもいいでしょう。それは9976トン、乗客定員184名。乗組員110名。飛鳥Ⅱは5万トン872名。にっぽん丸は2.2万トン449名と聞いた。私のキャビンは5Fの502号室赤丸のところ、船の先端でした。後で気づいたのですがすぐ隣が操舵室だったんです。隣の部屋504は車いすでも入れる少し大きな部屋らしかった。ベットのすぐそこ大きな鏡のあるそこがシャワールーム。その奥に洗面所とトイレが配されていました。キャビンのキ...乗船(2023セイシェルno9)

  • 北部地域の海岸線ドライブ(2023セイシェルno8)

    自由行動とされていた午後、島の北部海岸線のドライブが待っていた。ガイド嬢の髪の毛、エチオピア航空の客室乗務員と一緒だけど、この方は頭の上にドーンとのっけている。空は青空。海はきれい、石もきれい、砂浜もしかり。南国の画だ。ホテルのある四角印を出て、現在丸印のところ。道中ではヒルトンホテルなどの紹介も受けながら、ぐるっと回ってビクトリアまでのドライブ。小学校らしきの校門だ。授業を終えた子供たちのお帰りだ。どれが学舎なんでしょうか。近くにスクールバスがいた。お母さんが子供のお迎えだ。この地に来て驚いたのでこの地図を貼り付けました。バスは丸印にいます。この島に次の建物があったのです。アンダーラインを引いているところがビクトリアクロックタワー。真ん中に最高裁判所。人口が10万にも満たない国に、この大きな裁判所。裁き...北部地域の海岸線ドライブ(2023セイシェルno8)

  • ヴィクトリア街歩き その2(2023セイシェルno7)

    街歩きが続きます。漢字と英語のかけ合わせなら読める「中国文化センター」があった。セイシェル、この国のはじまりは1756年、江戸時代のことだ。フランス領と宣言されたのが始まりだとされ、1814年に英領に移行されいう。そして独立国となったのが1976年(昭和51)という若い国だ。ヨーロッパ人とアフリカ人の混血の人が人口の大部分を占めるといいますが、インド、中国、ポリネシア、アラブなど多方面からの人たちが混在しているという。中国文化センターのすぐ近くに、1992年(平成4)に造られたという華やいだヒンズー教寺院「アルルミグ・ナバサクティ・ビナヤガル」中には入りませんでしたが、色あざやかで精密な彫刻、豪華に装飾された作りは素晴らしい。プロテスタントの教会だと聞いたつもり。後日入場見学します。常夏の国、真冬の欧州か...ヴィクトリア街歩きその2(2023セイシェルno7)

  • ヴィクトリア街歩き その1(2023セイシェルno6)

    今日は終日自由行動とされている。昨夜「明日どこかへ行ってみたい人いますか」と誘われていた。昨日終日をホテルで過ごしていた方と二人で街へ行ってみることにした。タクシーで山を登ってきて下っています。もちろん添乗員氏も一緒。お聞きしたり調べてみたセイシェル事情を少々。そもそもこの国がアフリカ圏とは知らなかった。でも、観光で生きているこの国すごいんです。一人当たりGDPがアフリカで1番なんです。世界で59番目、アフリカでの二番目は78番目のガボン。では、日本国はと調べてみたら27番ですって。2000年には世界で2番目なんて、今思えば夢のような時もあったのに、以後全くの低空飛行。高齢化とか少子化とか、さらには軍需費の増強。高齢化は自然の流れ、でも、少子化っていうのは、社会がそうしちゃっているのではないだろうか。どう...ヴィクトリア街歩きその1(2023セイシェルno6)

  • ディナータイム(2023アフリカno5)

    ディナーの時間になった。お魚たちが並んでた。いつからここにいるの、大丈夫だろうかとふと思う。外気と一緒、開放的なこんなテーブルで、次から次へと出てくる料理をいただくのでした。プールが青い。右側の建屋が私たちの海鮮料理のお店。ディナータイム(2023アフリカno5)

  • マヘ島での一日(2023セイシェルno4)

    アフリカ大陸から1300㎞。地図を開いても探し出すのが大変な国。そんな国の軽井沢町と同じくらいの面積だという首都のある島、マヘ島はこんな島。青丸が首都ビクトリア、赤丸のところに私たちのホテルがある。ホテルのホームページからいただいた。真上から見るとこれだ。敷地も広いし建物も多い。次の写真が海側から眺めたホテルだ。観光で成り立っている国だといいます。次の産業が漁業、マグロが多く日本へ輸出されるそうだ。日々どんな天気が続くのだろうかと調べてみたらこれだった。一日中温度差のないのには驚いてしまう。この時期は雨季から乾季に移り変わる境目の頃だと教えられた。なるほど晴れマークはひとつもない。降っても日本の梅雨とは違うというが、毎日スコールってなことか。「サヴォイ・セイシェル・リゾート&スパ」ホテルの入り口がここ、正...マヘ島での一日(2023セイシェルno4)

  • セイシェル国到着(2023セイシェルno3)

    ほぼ満席近いってな感じ。セイシェルには国際線が14路線乗り入れているというのですが、あの小さな国にこんなにお客さんが行くんだと、少々の驚き。アジスアベバとの時差1時間という国に向かってインド洋に出た。標示している時間はどちらの国の時間なのか不明。目的地が近づいた。あと10分との表示が出ている。周りにはいくつもの島々。以後これらの島を巡り歩くのです。マヘ島にある空港は海のすぐそこ。首都ヴィクトリアにやってきた。そもそもセイシェル共和国は小さな国だ。115もの島からなるこの国の大きさは、島を全部集めても種子島と同じくらいだといい、人口は10万人に満たないようだ。首都のあるマヘ島の面積は長野県軽井沢町程度の157k㎡。とにかくミニミニ国家なのだ。バスに乗って今宵の宿に向かいます。首都としての人口が世界で2番目に...セイシェル国到着(2023セイシェルno3)

  • インド洋へ(2023セイシェルno2)

    仁川空港では約1時間40分構内をブラブラ。そして搭乗口に向かったら、その入り口に私のザックが飾られていた。同じ座席に座るんだからと貴重品以外は機内に置いてきた。収納棚に入れたもの以外は全部持ち出さなければいけないんですって、ドジなひともいるのでした。座席に置いておいた読みかけの冊子ちゃんと届けてくれた。それは機内清掃に携わったであろう韓国のお嬢さんだった。そして0時40分に飛び立って13時間余の飛行時間。お酒のおともに、ボリュームいっぱいのお夜食をおつまみ代わりに少々いただいて就寝の時間になりました。予定より30分ほど早くエチオピアのアジスアベバ空港に到着してバスに乗ってターミナルに向かいます。成田から私たちを運んでくれた飛行機がこれ。荷物おろしが始まっている。空港はすごい人だった。同じ機内にタンザニアへ...インド洋へ(2023セイシェルno2)

  • お出かけ(2023アフリカno1)

    「セイシェルへ行ってくる」と息子と娘に言ったら「松田聖子」との声が二人から返ってきた。何でと聞いたら歌だそうだ。後刻調べてみた。あった「セイシェルの夕陽」島をめぐる白い船が岬を回って消えてゆく・・・と唄い始める。1983年(昭和58)に発売されたという。彼女にはとんと関心がなかったから、私が知らないのは当たり前。旅行社から送られてきた広報誌をペラペラめくっていたら、「セレブティが愛したインド洋の宝石」と誘っていた。面白いところに行くツアーがあるんだと、目が大きく開いた。もちろんセイシェルがどこにあるのかも知らない国だった。でも、普通であればドバっと取られるはずの、船のおひとり様追加料金はいらないという。全然知らない、名前も聞いたことがなかったところに引かれ、追加料金なしに飛びつくのでした。何年ぶりかな。久...お出かけ(2023アフリカno1)

  • 帰ります(2022フランスno39)

    シャルルドゴール空港に到着した。JAL機へご搭乗の皆様はこちらですよ、とのご案内。かっては日本語だったのに中国さんに変わってしまった。14億対1億では競争にならないもんね。しかも相手は世界第2位の経済大国。大きく引き離されて3番目が日本なんだけど、その差異は絶望的だ。一人あたりでみるとまだ優位なんだけど・・・私たちの搭乗口がK45。離陸する前だったかな「本日は満席です」とのアナウンスがあった。離陸約1時間半後に食事の時間になった。まだ10時間53分も飛ばなければならない。行程表によると日本までの所要時間は13時間としてある。ちなみに北周りでパリにやってきたときの所要時間は15時間15分としてあった。距離が違うのかな。偏西風の関係なんだろうか。飛行機はイスタンブール上空を飛行している。あと2時間ほどで東京羽...帰ります(2022フランスno39)

  • 朝のオペラ座(2022フランスno38)

    帰国日の朝が来た。朝ごはんはビュフェスタイルだった。私はこんなものをいただいてきた。食事場所は道路に面したこんなところだった。この時間、何人お出かけになったのか知りませんが、希望者は「マルモッタン・モネ美術館」に向かっている。食事の後オペラ座前にやってきた。劇場前から写しているのは、太陽に向かってまっすぐ伸びているオペラ通り。オペラ座を何枚も撮影してみた。正面に並んでいる8体もの刻像は見事なものでした。入口らしきところの一方に飾られているのがこの像。これがオルセー美術館に鎮座していた次の写真。多くのの観光客が乗った観光バスがやってきた。オペラ通りには、こんな華やいだショーウインドーもあった。なんも買うものがないのにお店に入っての時間つぶしも疲れるものです。ホテル入り口(次の写真)から見たオペラ座。何か工事...朝のオペラ座(2022フランスno38)

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