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  • テール灯 つぶらな瞳は 何を見る。

    (車掌の仕事@上総中野駅)上総中野の駅にて、ステップに足を掛けながら尾灯の反射板をパタリとひっくり返す車掌氏の仕事風景。小湊鐡道のキハ、尾灯の代わりに、こうして片目だけ反射板をひっくり返して尾灯代わりにしているのが凄く好き。この白く縁取りの付いた丸い目玉がテールにあるだけで、何と言うかすごく「田舎の気動車」という雰囲気が出るような気がする。子供の頃に読んだ鉄道の図鑑の中で、今はなき江若鉄道とか筑波鉄道とか同和鉱業の片上とか、地方のローカル非電化私鉄のキハはみーんなこの「反射板型」の尾灯を付けていたような気がする。今どきこんなレトロなアイテムを使っているところってココくらいのものでしょう。折り返しの準備を終えて発車待ちのキハ200。反射板は両方の尾灯に装備されているのだけど、小湊の場合、反射板を反転させるの...テール灯つぶらな瞳は何を見る。

  • 皐月風 上総爽やか 吹き抜けて。

    (初めて見た新顔@上総牛久駅)GWに和歌山~大阪南部方面へ出掛けてから、その後に何をやっていたかと言うと、まあ近所をブラブラしておったのですけど、正直体調があまり良くなかったんですよ。遠出する元気のない中で、一番遠出したのが房総半島と言う・・・でも、房総の方に出掛けたのって久し振りだったなあ。あっち方面って、撮影してからの帰りのアクアライン渋滞がとにかく嫌であまり足が向かないとこがありましてね。コロナ禍に突入してから一回も来てなかったんじゃないかなあ。そんなこんなの小湊鐡道、いつの間にか小湊の永遠のスタンダードでもあったキハ200に、元国鉄のキハ40が混じり始めていました。いや、知ってたんだけど見るのは初めてだったなあ。只見色のキハ40、郡山からの移籍組。他には秋田から移籍して来た男鹿線組もいたりするよう...皐月風上総爽やか吹き抜けて。

  • 名阪に 轟く我が名は フェニックス。

    (次世代名阪特急「ひのとり」@近鉄・大阪難波駅)阪堺電車でモ161と戯れていると、時間はあっという間に過ぎて帰りの時間が近付いてきました。住吉公園から南海なんばに出て、そのまま御堂筋線で新大阪へ向かっても良かったのですけど、もう一個くらいイベントが欲しくなって近鉄の大阪難波駅へ。ここからは近鉄の新型特急「ひのとり」で名古屋へ出る事にしました。今までのアーバンライナー(UL)からグレードアップした名阪特急の最新型特急車両。4年前に鳥羽に行った際に「しまかぜ」は乗ったので、この車両にも乗ってみたいと思っておったのよね。ってか、近鉄はホント特急車への投資は惜しまないよなあ、と感心してしまう。その分一般車両は年季が入ってるボロばかり(失礼)なのだけど。そうそう、さすがに近鉄も先日一般車両の新型を発表していましたね...名阪に轟く我が名はフェニックス。

  • 思い出は 遥か松虫 風の中。

    (一瞬の静寂@住吉鳥居前電停)賑やかな住吉界隈、休日の午後。クルマや人波が一瞬途切れた静寂、我孫子道から返して来たモ161が住吉鳥居前の電停にやって来た。住吉さんの森の緑も鮮やかな季節、深い緑のボディが黄色味を帯びた若葉と良いコントラスト。遠目からでも分かる車内の混雑に、この古典車両の人気の高さが伺い知れるのであります。大きな一灯ライトを輝かせてやって来た天王寺駅前行き、住吉電停からモ161に乗り込む。味のしみた板張りの床。勿論、デビューしてから何回も何回も張り替えられてはいるのでしょうけど、脂が染み込んだしっとりとした風合いに、人の流れや移ろいが入り混じったような小傷がたくさん。90余年の車歴の中で、どれほどの人を運んだか分かりませんが、皐月の風吹き抜ける車内で、私もその悠久の歴史の中の一人になりました...思い出は遥か松虫風の中。

  • 阪堺の 大長老の お出ましじゃ。

    (何とも味の染みた暖簾@住吉大社前)南海住吉公園駅前、そして阪堺電車の住吉鳥居前電停に面した不動産屋の暖簾。「南海商事」という名前は別に南海の系列・・・って訳でもないのでしょうが、なんとなくこの街が南海電車とともにある事を示しているような気がしますね。水間鉄道の訪問を終えて、あとは新幹線に乗って神奈川に帰るだけなんだけれども、夕方まで住吉界隈で阪堺電車を撮る事にしました。住吉大社の石灯篭と、三井住友トラスト不動産ラッピングの500形。阪堺に来るのは久し振りだったけど、何気に色使いがレモンイエローとスカイブルーで、これが最近流行りのウクライナカラーってやつですかい?と勝手に邪推してしまう。そんなメッセージ性があるのかどうか。まあ広告主もそこまで考えちゃいないと思うけど・・・ウクライナカラーって言えば、700...阪堺の大長老のお出ましじゃ。

  • 泉南の 路地裏ぶらり 水間旅。

    (水鉄ぶらぶら・・・@名越駅)水間観音にお参りに行った後は、貝塚へ戻りがてら水鉄沿線をブラブラ。改造顔と原型顔の交換が行われる、路線内唯一の交換駅・名越駅。「なごし」ではなく「なごせ」。微妙に難読駅。水鉄は区間短い割には結構読みにくい駅名が多いような・・・ここ名越に限らず「近義の里(こぎのさと)」「石才(いしさい)」「清児(せちご)」とかね。雨降る泉州、名越の街並み。水鉄の踏切を挟み駅前には牛乳屋とタバコ屋があって、やけに古いセピアの街並みが続いている。歩いてみると、この地域は立派な瓦屋根の歴史ありげな民家が多い。聞けば、泉南地域(現在の阪南市方面)では江戸時代から良質の粘土によって「泉州瓦」と呼ばれる瓦が生産されており、泉州の家屋は一階部分と二階部分の間に、この泉州瓦をふんだんに使った「錣(しころ)屋根...泉南の路地裏ぶらり水間旅。

  • 小糠雨 空に祈りて 水間寺。

    (濡れて輝く新緑哉@水間の街並み)水間観音に向けての参道。参道って言うと、道の右や左に商店や土産物屋が並んで・・・みたいな賑やかな雰囲気を想像してしまうのだけど、ここ水間観音の参道はそういったものは極めて少なく、雨に濡れた路地の脇に板塀の古い家並みとか、個人で小さく営んでいるような喫茶店とか、そういったものが慎ましやかに続いている。路地を流れる水は、近木(こぎ)川から引かれた農業用水だろうか。青紅葉に包まれた大きな商家が美しく、暫し歩みを止めて鑑賞。近木川を渡る石橋の向こうに水間観音。本堂と三重塔が聳えます。聖武天皇の詔勅により、僧行基によって開山された水間寺。建立が天平年間の744年と言うから相当に歴史のある寺院である。行基は日本の歴史上では東大寺の大仏の建立を手掛けた、というコトで山川の教科書なんかに...小糠雨空に祈りて水間寺。

  • 塔屋立つ そぼ降る雨の 名駅舎。

    (雨降り泉州・原型顔が行く@名越~森間)もう6月になってしまったけども、未だにGWの話なんかをダラダラと続けている(笑)。それも、仕事が忙しくなったりしているので遅筆になってしまった。うん、水間鉄道の話。水間の沿線、終点の水間観音まで、何かあれば降りて撮り歩こうと思ったけど、雨に気勢を削がれて駅の周りをウロウロするのみ。途中、名越の駅で交換したのが原型顔の1001編成だったので、次の森駅で下車して貝塚から折り返して来るのを待ってみた。雨のそぼ降る駅で待つこと30分、懐かしい東横線のあの顔が、重々しい瓦屋根の家並みの中を走って来ました。水間観音からの返しは三ヶ山口の駅近くで。基本的に沿線には家が立て込んでいて、そう引きで開けた場所がある訳でもない水間鉄道。東急のお古がのんびり往復する程度の路線なので、電車待...塔屋立つそぼ降る雨の名駅舎。

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