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  • 風呂敷でコロナ包んで暑気払い

    わたしは、水をはじく、いわば防水機能のある風呂敷というものの存在を知って、風呂敷をよく使うようになったという話を、先日、書いた。 では、わたしが実際に使っている風呂敷とは、どんなものをどんなふうに使っているかということを書いておきたいと思う。 風呂敷の大きさはいろいろあるのであるが、よく見かける風呂敷は、1辺の長さが70センチメートルくらいのものが多いと思う。広げたときの面積は、4900平方センチメートルである。ちなみに、ハンカチーフは、男用だとだいたい1辺45センチメートルであろう。広げたときの面積はだいたい2000平方センチメートルになる。 さて、わたしがよく使って重宝している風呂敷は、1…

  • 風呂敷が水をはじいて夕立や

    わたしは、風呂敷が好きである。 わたしが子どもの時代には、身の回りでけっこう風呂敷が使われていたと思う。お客さんが来たときなども、手土産のお菓子は風呂敷に包まれていたように記憶している。布団を包むのも、大きな風呂敷だったような気がする。 それが、服装から和風が消えるのとほぼ同じくして、風呂敷が使われることもどんどんなくなっていったような気がする。わたし自身も若いころは風呂敷にはほとんどお目にかかっていないし、もちろん自分で使うということもほぼなかったと思う。 それなのになぜ今ごろになって風呂敷が好きになったかというと、こんな風呂敷があることを知ったからである。 www.musubi-onlin…

  • 想像のアファンの森や夏木立

    わたしは、少し前に、コナラの苗木を買ってきたという話を書いた。 高さはまだ50センチメートルくらいの赤ちゃんである。でも葉っぱはしっかりコナラの葉っぱであると思う。成長をたのしみに、毎日のように見たり触れたりしている。が、もちろん一日でそんなに伸びるわけはないのであるから、ほとんど高さは変化していない。それでもなんだか見たり触れたりすると、気持ちが落ち着くのである。なぜだろうか。 〔これはコナラの大木〕 そんなふうに、小さいながらもちゃんとコナラである木を見ながら、大きなコナラなどの木のある森に行きたいなあと、思っているのである。 わたしが、まだ行ったことがなくて、行きたいと願っている森がある…

  • 動く物皆生かされて万緑や

    わたしは最近、植物のことを想っていることが多いのである。といっても、コロナ禍で出歩けなくて、わたしが植物になったような気がする、とかいうわけではない。 環境問題に関心が大いにあるということが大きな理由かも知れないとも思う。が、それは置いておいても、とにかく植物がいなければ、人間というか、動物は生きていけないのだから、みんなもっと植物に感謝しようよと声を大にして言いたいのである。生物が生きるための、食べるものを生み出せるのは植物だけなのだ。 植物は、なんと太陽の光から生物が生きていくのになくてはならない炭水化物を創り出せるのである。光合成という働きである。こんなことは動物にはできない。だから、動…

  • 「蟻食べてツキノワグマは命あり」『人はクマと友だちになれるか?』の紹介

    わたしは、きょうは、最近読んだ本の紹介をしようと思う。その本とは、これである。「イワサキ・ライブラリー」という子ども向けのシリーズの1冊である。漢字にはルビが付いている。 『人はクマと友だちになれるか?』 太田京子、岩崎書店、2004年7月。 「人はクマと友だちになれるか?」と問いかけられたらいったいどう答えたらいいのだろうか? クマは、犬や猫と違って、ペットではないのだから、それは無理だろうと、わたしは思うのだが、友だちとまでは行かなくとも、共存はしたいと思う。 地球に生きるもの、いや、あるものと言ってもいいかも知れないが、できることならばすべてのものが共存し続けられるといいなあと思っている…

  • コロナ禍に昼に営業夜店かな

    先日のことである。わたしが、お昼ごはんを食べようと思って、どこのお店にしようかなと、きょろきょろとしながら歩いていたところ、いつもはこんな昼の時刻には空いていない、小さな店に暖簾がかかっていた。そう、営業しているのである。あれ、どうしたんだろうと、不思議に思って店の前に行ってみた。確かに営業していることを確認した。 この店は、営業時間は夜のみで、午後7時ころから、夜中の2時か3時ころまで営業しているお店だったのだ。だから、なかなか行く機会がなくて、昼にもやってくれるといいのになあ、などと思っていたのである。 そうか、東京都はコロナ禍の緊急事態宣言で、飲食店の営業時間は午後8時までという要請を出…

  • 緊急事態宣言片かげり

    わたしは、最近、電車に乗ってお出かけをして、数人の友人と会って、久しぶりに楽しいお話をする機会をもった。久しぶりのことで、なんだかとても元気をもらえたような気がしている。直接会って、表情をみながら会話することの大切さをしみじみと感じたのであった。いやあ、ほんとに楽しかった。人間、やっぱり、触れ合うことはやめられないのだなあと、思う。 そういえばその日、わたしは、東京都内を電車に乗って出かけたのであるが、途中の電車の中も、歩いた道すがらも、なんだかふつうに人がたくさんいたような記憶がある。うーむ、そういうこともあってか、わたしは、東京都には緊急事態宣言が出ている最中であることを、この日、一日はす…

  • コロナ禍を離れる一夜夏芝居

    わたしは、最近、芝居を見に行ってきた。満席だった。といっても、もちろんぎゅうぎゅう詰めというわけではなくて、三分の一くらいの席はもともと空けているようだった。 わたしが芝居を見に行くのはもちろんかなり久しぶりであったのだが、演じる役者さんもかなり久しぶりに舞台に立ったようであった。演じる方も、見る方も、共にとても幸せな時間を過ごすことができたと思うのである。観に行ってほんとに良かったと思った。 このような楽しみごとが世の中から消えてしまうかも知れないと思う日々が、もう1年も続いているのである。このままでは、生きる喜びのないままに過ごす時間ばかりがどんどんふえていくことになってしまうのではないだ…

  • 平日の散歩の自由風薫る

    わたしは、今日は仕事を休んだ。で、ちょっと用事があったので、散歩を兼ねて外に出かけた。そう、平日の昼間に散歩をしてみたのである。いまは、風薫る季節である。とても気持ちがよかった。爽やかな風をうけながら、濃い緑を見たり、手で葉っぱをちょっとなでたりしながら歩いてみた。 こんなふうに気持ちよく歩いている、わたしの頭に浮かんできたことばは、「自由」であった。そう、たしかに前に進もうと後ろに戻ろうと、右に曲がろうと、左に曲がるも、わたしの自由である。 いつもならば、仕事で、イスに座ってパソコンに向かっている時刻なのに、きょうは、平日の昼間に散歩できたというだけで、こんなに気持ちがいいとは。 いや、しか…

  • 眩しきや花嫁立てり青芝に

    わたしは、先日、結婚式に参列したのだが、なんと、お酒の出ない結婚式であった、という話をブログに書いた。 kwsk.hatenablog.jp こんな、お酒の出ないという結婚式は初めてであったのであるが、しかし、アルコールがないということ以外は、もう普通の、たのしい結婚式であった。ノンアルビールや、ノンアルシャンパン、ノンアル赤ワイン、ノンアル白ワインをしっかりと飲んで、やっぱりちょっと物足りないねえ、などとぶつぶつ言いながらも、美味しい野菜や柔らかいステーキ肉などの料理をたくさん食べて、これまた美味しいデザートも食べながら、新郎新婦の友人たちの余興を楽しませてもらったのである。結婚式っていいも…

  • 五月闇ぼくの好感度見失い

    わたしが、最近見て面白かったテレビドラマの紹介をしたいと思う。 NHKの「今ここにある危機とぼくの好感度について」というドラマである。 本来ならば、まだ見ることができるようなときに紹介したかったのであるが、わたしが、うかうかちょろちょろしていて、先週の土曜日、5月29日に終わってしまったテレビドラマなのである。が、わたしにはとても面白かったので、やはり記録しておきたいと思う。 主人公は、ある大学の広報の仕事をしている若い男の人である。大学に勤める前は、テレビ局のアナウンサーをしていたらしい。テレビ局のアナウンサーであるからかどうか、詳しいことはわからないが、自分の好感度をとても気にして生きてい…

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