chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
又山昇
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2021/01/19

arrow_drop_down
  • 西上州の岩山毛無岩(2003年12月4日)

    これは21年前の12月なので季節外れなのだが、前回のと同じ岩山つながりということで投稿する。西上州には岩山が多いが、その中でもひときわ立派な岩峰が毛無岩だ。その姿は、堂々としたバットレスをめぐらして、ヨセミテのエルキャピタンを思わせる。といってもヨセミテ行ったことないけど・・・もちろん実際のスケールでは比較にならいないだろうが、写真だけならどうだ。ヨーロッパの古城のような風格があると思うのだがいかがだろうか。毛無岩があるのは、荒船山の南東。荒船山の最高点、行塚山から黒滝山へと東へ伸びる稜線の上。荒船山の北東端の岩場に行けば稜線上に飛び出した姿を見ることができる。この毛無岩に、南の道場から沢ルートで登り、尾根ルートでくだった。21年前の12月だった。自宅を5時ごろにでて、7時すぎ下仁田にむかう途中、鹿岳、四...西上州の岩山毛無岩(2003年12月4日)

  • 今は使われていない信仰の道で両神山西岳へ(2020年5月29日)

    (4年前の記録に手を加えて再投稿)山の経験豊富な友人から、秩父の両神山へ行こうと誘われた。一般ルートではなくて、尾ノ内沢をたどって西岳に登るという。昔の人が夢のお告げに従うためにこの尾ノ内沢を伝って西岳の一角にある岩峰に祠をたてて神を祀ったそうで、その後年に一度は尾ノ内の人々が祭礼のために登っていたルートだそうだ。今はほとんど使われていない。7:15尾ノ内沢にはいる地点に龍頭神社があった。西岳にある祠はこの神社の奥社らしい。背後にはこれから登る両神山から東に延びる天武将尾根の天理岳らしい山が見えていた。秩父の神社の常だが、狛犬はオオカミだった。7:30出発。尾ノ内からしばらくは林道があり、その終点付近の沢には冬場氷柱が観光目玉とされているらしい。そこまでは遊歩道が整備されている。この吊り橋付近で冬場、氷柱...今は使われていない信仰の道で両神山西岳へ(2020年5月29日)

  • 道志の森キャンプ場から畦ヶ丸山へ(2006年5月31日)

    一時期、道志川の谷から西丹沢にせっせと通って、檜洞丸、大室山、加入道山などに登った。神之川林道の奥の長者舎から出発することが多かった。何回か通ううちにもう少し奥の山を歩いてみたくなって、2006年5月に道志の森キャンプ場から入って畔ヶ丸山を往復した。神奈川県から山梨県道志村に入ってしばらく走り、キャンプ場の案内に導かれて国道からわかれて三ヶ瀬川にの谷に入る。車は、キャンプ場の手前にある広い駐車スペースを利用した。キャンプ場の奥で谷は二股にわかれ、右の谷は、菰釣山に源流がある。私は左の谷にはいって城ヶ尾峠をめざす。水の流れも細くなるが、きれいに澄んでいる。林道を2kmほど歩くと、林道が大きくまわりこんでいくところに城ヶ尾峠登り口の標柱がたっていた。少し登ると展望が開け、すぐ下に歩いてきた林道の続きの部分がみ...道志の森キャンプ場から畦ヶ丸山へ(2006年5月31日)

  • 地理院の地図に誤り発見

    先日投稿した百蔵山に登ったころの話し。そのころ山に出かけるときは国土地理院の5万分の1の地形図を使用していた。今はほとんど2万5千分の1を利用しているが、そのころは発行されているエリアも限定されていた。百蔵山は5万分の1地形図の「都留」図幅にはいる。右上の隅の方だ。私の図幅は、明治21年測量、昭和48年編集のものなのだが、この地図では百蔵山の百の字のふりがなが「とつ」となっていた。拡大した写真をご覧いただきたい。権威ある国土地理院の地図なので、私は歴史的理由があって「とつくらやま」と呼ばれているのかと思った。でも、ほかではそういう呼び方を目にしないし、耳にもしない。そのうち2万5千分の1が主流になったので「大月」図幅を買ってみたら、なんのことはない百の字には「もも」とフリガナがふってある。間違いだったのだ...地理院の地図に誤り発見

  • 富士山展望の一等地、百蔵山へ(1995年12月23日)

    前回投稿した秋の大菩薩と同じ年の年末に同じメンバーで猿橋駅の北にある百蔵山にでかけた。この時の記録をもとに書いてみる。百蔵山には、私は前に一度登っている。その時は猿橋から登って扇山へと歩き四方津駅へとくだった。そのとき、百蔵山からの富士山の眺めが素晴らしかったことや山頂に桜が植えてあったことを思い出した。埼玉から武蔵野線経由で高尾発8時24分の電車に乗った。12月なので山歩きの以外の行楽客の姿はほとんどない。相模湖駅でかなり大勢が降り、その後も藤野、上野原や四方津でぱらぱらと降りていく。猿橋では十数人が降りた。その大部分が百蔵山に登るのだろう。風もなくおだやかに晴れ上がった青空にこれから登る百蔵山がすっきりと仰ぎ見られる。途中の日当たりのいい石段で小休止し、おにぎりを食べて腹ごしらえ。そこから山に近づくと...富士山展望の一等地、百蔵山へ(1995年12月23日)

  • セッカニワゼキショウ(雪花庭石菖)

    私の好きなヒトリシズカやイカリソウ、ニリンソウの花が姿を消し、葉を旺盛に茂らせてきた。季節は移って5月。ニリンソウと同じ場所に違う草が花をつけた。アメリカフウロだ。ニリンソウやイカリソウより少し背を高く伸ばし、その先に白い5弁の小さな花をつけている。こちらはアマドコロ(甘野老)。でももう写真を撮るには手遅れだったみたい。花がしおれている。日当たりのいい場所のものはすっかり花を落としてしまっていた。そっくりなものにナルコユリがあるので念のた茎にさわって確かめた。角がある。アマドコロだ。芝生の中に白い小さな花が目についた。白いニワゼキショウ。森昭彦さんの本で調べるとセッカニワゼキショウというらしい。漢字ににすると「雪花庭石菖」。花の中心(ノドというらしい)がレモン色をしている。ほとんど手入れをしていない小さな...セッカニワゼキショウ(雪花庭石菖)

  • 妻姉妹3人を連れて秋の大菩薩へ(1995年9月30日)

    同じ年の7月に妻と出かけた大菩薩が楽しかったので、妻の姉妹やそのパートナーに声をかけ、秋の大菩薩を再訪した。姉のパートナー氏は仕事が忙しくて参加できなかったので女性三人と私というメンバーになった。このときは埼玉を5時半すぎに出発し、環八から調布インター経由で中央道。勝沼から上日川峠にむかう。ぶどう畑で小休止したが、曇っていて南アルプスも見えなかった。7月に来た時にはまだ工事中だった建物は完成目前だった。峠から福ちゃん荘への道を歩く。この道は舗装されていて車もあがる。福ちゃん荘から峠に向かう道から分かれカラマツ尾根にはいる。樹林帯ではあるが足元には秋の花々が。視界が開けてきたころ振り返ると低くたなびくもやのかなたにうっすらと富士山の姿が。右手に目をやると重なりあう山なみが幾重にも浮かび上がっており、その先に...妻姉妹3人を連れて秋の大菩薩へ(1995年9月30日)

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、又山昇さんをフォローしませんか?

ハンドル名
又山昇さん
ブログタイトル
毎日が山のこと
フォロー
毎日が山のこと

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用