親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
自身の介護への備えは自宅の整理や断捨離を心身が元気な内に自分のペースで行う事です。高齢になってきたら、勿体ない、これは取っておくは禁句です。 周囲に声掛けして引き取り手のないものは 思い切って断捨離です。 少しずつ片付ける事が自分が要介護で介護施設への入所や病院への入院で自宅に帰れなくなった時、残された家族の負担減にもなるのです。
介護に備えての身辺整理や断捨離は自分の心身が健康なうちに無理なく計画的に行いましょう。 介護ストレスに侵されたり、気持ちが低下してくると身辺整理どころではありませんので、心身ともに充実した今、やるなら今でしょう。
世の男性諸君は特に家族を支える為にストレスを飲み込んで仕事をし、家族を支え、定年退職する頃には心身ともに要介護の一歩手前の状態となっている方が多いのです。それと女性に比べてストレスの解消が下手な事も影響していると思います。
長年勤めた会社を退職して、さ~これから悠々自適に好きな事を楽しもうと思ったのも束の間、長年の不摂生がたたり体はボロボロで要介護の一歩手前では悲しすぎます。いくら90~100歳まで生きても要介護で寝たきりでは残りの人生楽しくない。 あくまで健康長寿でなければ自分の好きな事は出来ない。
親の介護を鏡に、親の家族も今日から健康寿命を延ばすための取組を始めよう。食事や運動のメニューはハードルは低めに、そして何より長続きするメニューである事が重要で、ウサギよりも亀のような長期間でジワリと効いてくるメニュー作りが 要介護にならない心身共に健康寿命を延ばす事に繋がります。
平均寿命が長くても、自分の頭で考え、 見聞きしながら自分の手足で行動する健康寿命が長くなければ意味はない。 年金を繰り下げ受給して受給額がいくら増えたとしても、その年金で自分が楽しめない体調であれば意味はないのです。 健康に自身が活動出来てこその人生です。親の介護ストレスでお悩みの方も今からご自身の健康寿命を延ばす努力を必要とします。
友人との付き合い、会社関係の付き合い そのいずれもお互いが健康であってこその良好な関係なのですが、親の介護で介護する側の家族迄ストレスや心身を侵されたら、親の介護以外の生活や仕事での人との関係性も変わってきます。 ストレスというのは人生において楽しいとか、幸せといった気持ちを排除してしまいます。
親の介護は想像以上に辛く苦しいものでした。親の介護をしている家族がストレスや鬱にも似た症状を抱え、毎日が長く感じ、親の介護の事が頭を離れず、仕事でミスを犯す事も度々ありました。
私は不器用な人間で、親の介護においても周囲からは よく真面目過ぎる と言われました。 親の介護は仕事の休日に集中し仕事の疲れが取れないまま親の介護へ実家へ。 自分の体調もコントロール出来ないのに 親の介護なんて到底できるわけはなく介護から仕事、仕事から介護の繰返しで日々疲弊していった私。
両親の生前、私達家族が親の介護をしていた時のオンオフの切替、親の介護から翌日の仕事への切替や その逆もしかり。親の介護ストレスを抱えたままの仕事は想像以上にきつく、1週間が長く感じられました。
親の介護をストレスなく健康に行う為には、介護する側の家族も日頃から健康維持の為のルーティーンを実践する必要があります。介護する家族が体調不良やストレスに侵されれば、親の介護をする者がいなくなる事です。
親の介護、しかも在宅介護は親との1対1の退屈?な時間でつい無口な時間が多くなりがちです。 でもそんなところからストレスは溜まるものなのです。 独り言であろうが思った事はすぐに口に出してその場で吐出す事が、帰宅後の自分の家庭内や翌日の仕事に支障を与えない事に繋がります。
親の介護によるストレスは真面目な人ほど重症化して気持ちの疲弊に繋がります。そんな事態にならない為にも、おおらかな気持ちで、『失敗なんて気にしない、なんくるないさ』くらいの気持ちで 親の介護に臨むべきだと思います。 そうでないと真面目な人ほど各家庭に帰った後や仕事時にストレスを引きずってしまうおそれがあるからです。
親の介護ストレスを和らげる手段の一つにネットでの同じ境遇の方との繋がりを作る事も必要です。介護や荒天で外出が 出来なくてもスマホやパソコン1つでいつでも同じ境遇化の親の介護経験者の意見や相談を受けることが出来ます。 決して氏名や住所までさらけ出す必要はないですが、同じ境遇化の人の話は明日へのモチベーションになります。
親の介護を一人でため込まない為には介護ストレスを吐出せる相手を気付ける事、そして公的機関の介護相談なども有効活用すべきです。 親の介護をする側の家族が親より先に倒れるわけにはいきませんので、あらゆる介護に関する相談窓口や相談できる相手を見つけておく事。
親の介護をするその家族で特に家族の数が少ない人の場合は介護ストレスをため込み、吐き出す手段もない事から徐々に疲弊し介護する側にも関わらず病によるストレスに侵されて親の介護どころではなくなってしまいます。 ストレスを過度に溜めない為には普段から介護について話せる相手を見つけておく事。
親の介護は高齢化社会の日本では長期に渡るケースが多いです。そんな親の介護をストレスなく続けるためには、周囲の人々に自分の介護における現状を話し理解して貰う事、そして周囲の介護経験を親の介護の糧にする事である。
父親からの協力や労いの言葉1つ無い義母親の介護を押し付けられた母親の気持ちは長い間父親から離れたままでした。 辛い時こそ気持ちを共有し協力しあう気持ちが無ければ、ましてや血の繋がりのない、同じく感謝の気持ちもない義母親の介護は日々辛い作業?だったと思います。
母親は介護施設での死の直前まで『お義父さんとは別の墓にして』と言い続けていました。 その原因は母親が父親の実母の介護を押し付けられて、何のフォローもしない父親に愛想をつかしたためです。 母親が義母親の介護の事を父親に相談しようものなら、暴力でねじ伏せられ、母親任せの義母親の介護で、父親はすっかり家族からの信用を失いました。
母親の介護末期の事です。長男の私が介護施設へ面会に行ったときに母親は『○○お願いがあるの、私の妹(叔母)は身寄りが無いから最後まで見守ってあげて。それから○○さんのお義母さん(私の妻のお義母さん)の事もお願いね』と母親の最後のわがままを言うのかと思いきや、最期迄人の事を心配する母親。
私の母親が介護の末に亡くなったのは夏の終わりを告げる蜩のなく季節でした。 毎年蜩の鳴き声を聞くたびに、母親が病床で訴えていた『早く家に帰りたい、寂しい』というか細い声を思い出します。 あんなに元気だった母親が病気をきっかけにみるみるやせ衰えて弱っていった様を、蜩の鳴き声とともに蘇る。
姉(私の母親)と妹(母親の妹、私にとって叔母)は若い頃から高齢の今まで 冠婚葬祭やその他の行事を2人で切り盛りしてきました。 楽しい事、悲しい事 関係なく人が集う場には いつも2人で切り盛りして汗をかく姿がありました。 お互い家庭を持ち別々の暮らしがあっても、その関係性は変わりません。 そんな2日が『余生は2人で高級介護施設で楽しく』が口癖でした。
私の亡くなった母親は実の両親の介護経験がありません。私にとっては祖父母になりますが、祖父は癌で入院して10日足らずで、祖母は入浴中の心筋梗塞で亡くなったからです。 そんな母親の初めての介護は義母親、 父親の母親 私にとっては祖母です。 寝たきりの状態で我が家に同居する事になった祖母ですが、父親の協力が全くなく、母親の懸命の介護も 感謝の気持ちのかけらもない祖母に 毎日罵られ、母親はみるみるやつれていきました。
葬儀の打合せや行程が決まり、親戚、友人への訃報の連絡も終えて、私が介護施設に駆けつけて およそ12時間、ようやく母親の顔を見ることが出来ました。 私の幼少期から現在に至る迄の思い出話を母親とかわして、今日初めて母親の死を実感できた気がします。
介護施設での母親の死の連絡。仕事を早退し介護施設へ向かうと、私が母親と対面する前に父親から『喪主は出来ない』 と言われ、妹と悲しみを共有する間もなく、介護施設、葬儀屋との打ち合わせ、 近親者や友人への連絡等々、頭の整理をする間もなく次から次へとやる事が沢山あって、正直 気が狂いそうでした。
介護施設からの連絡で母親の訃報を聞き仕事を早退して介護施設へ向かいました。まだ健在の父親が喪主は出来ないと言い出し、長男の私が喪主をやる事になり、介護施設の引き払い期限や葬儀屋の選定、打ち合わせで母親の死に顔を見る暇もなく、 介護施設に駆けつけてから12時間 事務手続きや親戚、友人への連絡に奔走しました。
私の母親の生前、病名不明の病で病院を盥回しにされた苦い過去があります。 病名が判断できずに、ただ転倒しやすいという理由で整形外科にて体を酷使するリハビリを強要され更に体調悪化となる 事のないような介護、医療の体制を望みます。
平均寿命と言うのは親が最期まで健康に過ごす事の出来る寿命ではありません。 健康に過ごす事の出来る年齢の上限が本当の意味での平均寿命ではないでしょうか? 親が例え90歳まで生きても最後の10年が寝たきりや要介護であれば本人やその家族にとっては幸せな時間ではありません。
健康保険証制度が充実しているわが国では、医療の発達とともに処方薬での健康維持、高齢化社会になっていますが、そもそも病気のかからない体作りやサプリメントでの健康管理が遅れていると思います。 医療や薬の進化によって寿命は延びたが、基礎体力や病気に強いからだ作りは行っていない為に、最期の10年ほどは闘病や介護にて人様の助けを借りなければ生きられない状況です。
健康寿命が平均寿命と差のない事が親にとって一番幸せな人生ではないでしょうか?100歳まで生きても最後の十年が寝たきりで要介護であったら、親本人もその家族も日々の生活に支障をきたしながら介護をしていかねばなりません。 高齢でも最期まで自身で何でも出来る健康な体の維持こそが一番の家族の幸せではないでしょうか?
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親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。