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  • 境港の旅

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事の翌日、境港を再訪した。 境港へは令和4年(2022年)以来2年ぶりの訪問だった。 米子 米子駅 この時は米子駅横のホテルに泊まったので、窓の外からは後藤総合車両所米子支所の景色がよく見えた。 作者の青山剛昌先生が鳥取出身なので走っている『名探偵コナン』ラッピングの列車も止まっている。 この車両所には、現代では珍しい扇形車庫と転車台もある。 米子駅からJR境線に乗り、境港駅へ向かう。 米子駅は、新駅舎になってからは初めて訪れた。 (2022年撮影) なお前回令和4年に訪れた際は、上掲の写真の通り仮駅舎だった。 Hippopot…

  • 皆生温泉おーゆ・ランド内の湯薬師

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた皆生温泉の龍神祠から移動し、同じく皆生温泉にあるおーゆ・ランドへ向かった。 湯薬師 おーゆ・ランドは海沿いというよりは少し内陸側にある。 地元の人も結構利用しているだけではなく、ホテルも併設されていて観光客も多く利用しているようだ。 おーゆ・ランドの入口入ってすぐのところに、湯薬師が祀られた御堂がある。 堂内の真ん中に湯薬師が、そしてその両脇にそれぞれ2尊ずつの仏像が祀られている。 由緒書によると、この湯薬師は元々は皆生海岸に漂着した仏像であるという。 これを、大正13年(1924年)に皆生温泉の開発者である有本松太郎…

  • 皆生温泉の龍神祠

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた米子の天満屋に行った後は、用事があり海沿いの皆生温泉(かいけおんせん)へと向かった。 皆生温泉へは2022年の初訪問時に記事を書いているので、実に2年ぶりの訪問となった。 なお前回は泊まりだったが、今回は日帰りだ。 龍神祠 米子市内の海沿いにある皆生温泉は海のすぐ傍にあり、オーシャンビューが人気……なのだが、この日は生憎の暴風雨の一日だった。 雨は絶え間無く降り続き、風はその雨を横へ横へと吹き付け、海は白波を荒れ狂ったように消波ブロックへと打ち付けている。 車から降りて荒れた海を撮りに行った一瞬でびしょ濡れになり(傘は…

  • 米子しんまち天満屋の儉徳稲荷大明神とスパイラルエスカレーター

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 昨年秋、久しぶりに山陰へと行ってきた。 2022年以来、実に2年振りの探訪だ。 米子空港へ 羽田空港のターミナルビルから飛行機へはバスで向かう。 飛行機に搭乗し、米子鬼太郎空港へ。 空港では、その愛称の通り目玉おやじや鬼太郎が出迎えてくれる。 今回行ったら、すち子と吉田裕のドリル広告も発見。 相変わらずすごい人気だ。 この2人を最初見た時、2人はコンビなんだと思っていたら違うと後から知って驚いた記憶がある。 天満屋 儉徳稲荷大明神 レンタカーで米子市内へ向かい、米子しんまち天満屋へ。 駐車場の片隅に社殿が建っているのを発見。 扁額を見る…

  • 大地の芸術祭『もう一つの特異点』と高靇神社とMonET

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた『夢の家』を見た後、同じく「大地の芸術祭」の作品である『もう一つの特異点』を見て、高靇神社へと参拝し、越後妻有里山現代美術館 MonETへと向かった。 もう一つの特異点 『もう一つの特異点』はイギリスのアントニー・ゴームリーによる作品だ。 古民家の中に入ると、なんと無数のワイヤーが張り巡らされていて圧巻だ。、 そのワイヤーに触れないように内部を覗いてみると、中央部は何やら人間のような形をしているように見える(写真では分かりづらいが)。 解説を見るに、中央の人体は作家自身を象っているらしい*1。 またこの題名も、宇宙の起源を示すものであるという…

  • 大地の芸術祭『農舞台』と『夢の家』と『エリクシール』

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前々回の記事で書いた松之山温泉を出た後、昼食を頂くために文化施設である『農舞台』へと向かった。 農舞台 『農舞台』は北越急行ほくほく線まつだい駅のすぐ傍にある、美術館・郷土資料館・レストランなど様々な施設が入る文化施設だ。 設計はオランダのMVRDVが手掛けている。 ここの屋上からは、辺りの田園風景を見渡すことが出来る。 奥の棚田に見える作品はその名もズバリ『棚田』という作品で、ソ連出身のイリヤ&エミリア・カバコフの手による*1。 なおカバコフの他の作品は、農舞台の内部においても通年公開されている*2*3。 ここは「越後まつだい里山食堂」というレストランだ。 …

  • 月姫リメイクのフードコートのモデルがmozoワンダーシティだと思われる件についての考察

    聖地巡礼:記事一覧 はじめに 以前、月姫リメイク(以下、月姫R)の聖地巡礼記事を書いた時に、フードコートのモデルは名古屋市内のmozoワンダーシティ(以下、mozo)のフードコートではないかといった内容を書いた。 その件に関して、そう判断した理由をちゃんと書いていなかったなと思い至り、今回の記事を書いている。 月姫R内のフードコートの配置 月姫Rでは、フードコートの描写において以下の店舗が確認できる(括弧内は提供される料理)。 ・チャオチャオ(不明) ・店名不明(釜揚げうどん) ・店名不明(ステーキ?) ・たこ七(たこ焼き? ※店名からの推測) ・サーティンアイスクリーム(アイス) ・MUSH…

  • 大地の芸術祭『最後の教室』と松之山温泉の馬頭觀音碑

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた大宝神社に参拝後、1kmほど南にある「大地の芸術祭」の作品である『最後の教室』を見て、更に松之山温泉へと向かった。 旧東川小学校 最後の教室 『最後の教室』は、共にフランス出身のクリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマンによる平成18年(2006年)の作品だ。 かつて平成9年(1997年)まで東川小学校として使われていた建物が、ほぼ丸々作品の舞台に使われている*1。 体育館 まず最初は体育館から作品は始まる。 足元は不思議な柔らかい感触がするが、かなり暗いので目が慣れずよく分からない。 次第に目が慣れてきて見える景色は、天井から吊るされた…

  • 大地の芸術祭『家の記憶』と大宝神社

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた清津峡を後にし、「大地の芸術祭」の作品である『家の記憶』と、その近くにある大宝神社を見るために、車で下松之山鰕池へ向かった。 松之山町(合併して十日町市になる前は松之山町だった)の広報誌『広報まつのやま』によると、地域名の「鰕池」(えびいけ)はかつてこの地にあった淡水エビが生息する「下の鰕池」に由来するとのこと(なお現在の上鰕池に「上の鰕池」もあったらしい)*1。 家の記憶 『家の記憶』は日独で活躍する芸術家・塩田千春氏の作品で、2009年の「大地の芸術祭」の時に制作された。 この作品は古民家の内部に黒い毛糸が張り巡らされており、その毛糸に色…

  • 清津峡渓谷トンネルと大日如来碑

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた清津薬師堂から更に道を進んだ先に、清津峡渓谷トンネルがある。 清津峡渓谷トンネル 清津峡は黒部峡谷や大杉谷と並び日本三大渓谷と称される場所の1つだ。 両岸の柱状節理の間を川が流れ行く様は本当に迫力がある。 そんな清津峡に平成8年(1996年)に竣工したのが観光用のこのトンネルだ。 元々清津峡は登山道があってそこから渓谷の景色を眺めることが出来たが、昭和63年(1988年)の落石事故以降通行止めとなった。 そんな状況の中、渓谷の景観を観光客が安全に眺められるようにするため、清津峡渓谷トンネルは造られることとなった*1。 しかし完成後、年を経るご…

  • 清津峡の清津薬師堂

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 8月の終わり頃、新潟旅行に行ってきた。 旅の始まりは崎陽軒のシウマイ弁当と共に上越新幹線で。 東京駅から1時間半弱で越後湯沢駅へ。 湯沢町からはレンタカーを借りて十日町市の清津峡を目指す。 途中通る道は、スピッツのインディーズ時代の名曲『353号線のうた』にも歌われた国道353号だ。 清津峡の辺りに無事到着。 しかし清津峡の駐車場は満杯であり、清津公園トンネル手前の駐車場に案内される。 駐車場から歩くこと数分で清津峡に到着。 看板によれば、この辺りは上信越高原国立公園に含まれているらしい。 なお、上の看板の台座には「新泻縣」と刻まれた石板が嵌め込まれていた。 …

  • 橋本七夕まつりと七夕神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに まだ夏も盛りだった8月3日、相模原市緑区の橋本駅の辺りで開催された橋本七夕まつりを見に行った。 橋本七夕まつりと七夕神社 橋本七夕まつり 橋本七夕まつりは昭和27年(1952年)から開催されており、相模原の4大祭りの1つであるらしい*1*2。 なお他の3つの祭りが何かは不明(上溝夏祭り、相模湖湖上祭、相模原納涼花火大会だろうか)。開催エリアはかなり広く、MOVIX橋本の辺りから神明大神宮までの東西1kmほどの区間が歩行者天国となり、周辺の店舗が出した露店が並ぶ*3。 来場者はかなり多く、何処を通っても人でごった返していた。 さらに隣接…

  • 五反田TOCビル屋上にあった氷川神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 五反田にTOCビルと呼ばれるビルがあった。 昭和45年(1970年)に竣工したこのビルは、テーオーシー(星一が創業し後に息子の星新一も社長を務めたこともある星製薬が、子会社の東京卸売センターと合併した後の社名)という会社のビルで、令和6年(2024年)3月をもって惜しまれつつ閉館した…… ……はずだったのだが、建築費高騰等を理由に令和15年(2033年)まで建て替えが延期されてしまった。 それどころか、なんとこの9月から営業を再開したのだ*1。 これには元々入っていたテナントも困惑したらしい*2。 ところで、このビルの屋上には氷川神社…

  • 築地の波除稲荷神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 先日、大学時代ぶりに築地へ行った。 築地といえばかつては代名詞とも言える築地市場があったが、2018年の豊洲市場への移転と共に83年間の歴史に幕を下ろした。 築地市場は無くなったが築地場外市場はまだ残っている。 レトロな街並みで、歩いていると不思議と懐かしい感じがする。 そんな築地には、築地の氏神である波除稲荷神社が鎮座している。 http://www.namiyoke.or.jp/jinjyanogosyoukai.php なお、境内の社殿や石碑の解説は上記の公式HPのものが詳しいが、配置は現在のものとは異なっている。 波除稲荷神社…

  • 三原小路のあづま稲荷大明神

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前に紹介した靏護稲荷神社があるGINZA SIXの足元には、あづま通りが北東へ向かって伸びている。 このあづま通りから三原小路という路地に入ってすぐの所に、あづま稲荷大明神が祀られている。 あづま稲荷大明神(東稲荷大明神) あづま稲荷大明神(扁額の表記は「東稲荷大明神」)は、戦後あづま通りと三原小路に火事が頻発したため伏見稲荷大社から御分霊を勧請して祀られ始めた。 これはかつてこの一角に稲荷が祀られていたことに因んでいるらしい。 なお、祀り始めてからは火事が無くなったようだ。 御利益は火防と盗難守護とのこと。 【あづま稲荷大明神(東稲…

  • 地上と屋上に鎮座する朝日稲荷神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回も前回の記事に続き銀座の神社を紹介。 今回は大広朝日ビルに鎮座する朝日稲荷神社について。 朝日稲荷神社 朝日稲荷神社は倉稲魂命を御祭神としている*1。創建年は不明。 安政の大地震(恐らく安政2年(1855年)の江戸地震)において社殿が倒壊した上に三十間堀(かつて銀座にあった堀)に埋没し社地は荒廃。 大正6年(1917年)の大海嘯(高潮)によって霊体(御神体)が三十間堀より姿を現したため再び奉安された。 のち大正12年(1923年)の関東大震災の影響で東京市の市有地へ遷座。 その後は当地に鎮座していたが、昭和58年(1983年)に現…

  • 銀座三越の三囲神社と地蔵堂

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事に続き、銀座の屋上神社シリーズ。 今回は銀座三越の屋上の三囲神社(みめぐりじんじゃ)と地蔵堂などについて。 三囲神社と地蔵堂など 三囲神社 銀座を代表する百貨店である三越。 その屋上には、三井財閥の守護神である三囲神社が祀られている。三囲神社の本社は向島にあり、平安時代に弘法大師が創建したと伝えられている*1。 南北朝時代に再興された際には、地中から掘り出された神像の周囲を白狐が3度回ったため、三囲神社という社名になったという*2。 江戸時代に入り、三井家が日本橋の鬼門である北東の方角にある三囲神社を信仰したことで三井との関…

  • 銀座松屋の龍光不動尊

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回、前々回の記事に続き、銀座の神社仏閣を紹介。 今回は松屋銀座の屋上の不動明王について。 龍光不動尊 松屋銀座の屋上へ上がると、自販機が並ぶ辺りの向かい側に龍光不動尊の立派な社殿が建っている。 この社殿は平安神宮や神田明神を設計した青池安太郎(宮内省勤務の技術者)の手によるものだ*1*2。不動明王を祀るので神社というよりは御堂なのだが、毎年銀座で行われている「銀座八丁神社めぐり」というイベントには毎年エントリーされている*3。由緒書の掲示によれば、ここに祀られる龍光不動明王像は鎌倉時代の作で、高野山龍光院に祀られていたものを昭和4年…

  • ジェイテクトビル屋上の神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いたGINZA SIXの屋上からは、360度四方を見渡すことができる。 そんな屋上をぐるりと一周していて気付いたのが他のビルの屋上にある神社の存在だ。 ジェイテクトビルの神社 GINZA SIXの屋上の南角から外を見下ろすと、銀座7丁目の辺りのビルの屋上に神社があるのが見えた。 調べてみると、ここはトヨタグループのジェイテクトの東日本支社があるビルらしい*1。勿論ながら、この神社に関する情報は無い。 トヨタ自動車であれば豊興神社(御祭神:熱田大神・金山彦神・金山比賣神)があるが、ジェイテクトの神社は不明だ*2。目の前で拝…

  • GINZA SIX屋上の靏護稲荷神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 銀座中央通りに大正13年(1924年)に銀座初の百貨店としてオープンした松坂屋銀座店は、平成25年(2013年)に再開発のため閉店した。 その松坂屋銀座店の跡地には、平成29年(2017年)にGINZA SIXがオープンした。 GINZA SIXの名称は、建物が銀座6丁目にあることに由来するが、「五感を超越した喜びや満足など新たな価値を提案する」と「6つ星級の価値をもった施設である」という意味も込められているらしい*1。 この建物の屋上は庭園になっており、その面積は4000㎡に及ぶ*2。 靏護稲荷神社 その屋上の一角には、靏護稲荷神社…

  • 都立芝公園19号地の蛇塚・観音堂など

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 東京タワーは誰しもが知る日本の人気観光地だ。 個人旅行はもちろん、修学旅行で行ったという人も多いかもしれない。 更に国内のみならず、海外からの観光客も多数訪れている。 そんな東京タワーの足元、道路を挟んだ向かい側には、実は自然豊かな渓谷がある。今回は2020年の記事で書いた蛇塚に再訪するとともに、前回は時間の関係で見られなかった芝公園を散策することにした。なお芝公園のマップは東京都公園協会HPが詳しい(但し全体図だが)。 都立芝公園19号地 芝公園は明治6年(1873年)の太政官布告で造成された都内でもかなり古い公園だ*1。 その中で…

  • アトレ信濃町のつば九郎神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 散歩がてらアトレ信濃町に寄ったところ、館内に東京ヤクルトスワローズのマスコットであるつば九郎の神社があるらしいことに気が付いた。 つば九郎神社 館内に入り、エスカレーターで2階に上がる。 バーガーキング裏にある空間に向かうと、つば九郎神社はそこに鎮座していた。 つば九郎神社はみなとみらい勝利神社やコンサドーレ神社と同じような神社で、東京ヤクルトスワローズの必勝を祈願する場所だ。 創建は2022年5月31日となっている*1。 御祭神は不明(つば九郎でいいのだろうか?)、というか神を祀るというより必勝祈願所だろう。 自分はヤクルトは贔屓球…

  • 町田街道沿いの石仏群

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた地蔵堂から町田街道を相原方面へ進む。 地蔵堂より200〜300mほど先にある三ッ目交差点まで来たところで、すぐ近くに石仏が並んでいることに気が付いた。 石仏群 庚申供養塔 石仏の一番左には覆屋があり、その中に石塔が祀られている。 花立てらしきものもあるので、付近の方が管理しているのだろうか。 ここの他の石仏もそうだが、由緒書等は見当たらない。 石塔の文字は風化しており読み辛いが、どうやら「庚申供養塔」と書いてあるらしい。 建てられた年月などは見えなかった。 秋葉大権現常夜燈 庚申供養塔の右側には、「秋葉大權現」と刻ま…

  • バス停の由来になっている地蔵堂

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 東京都と神奈川県の県境近くを走る町田街道を通った際に、「堂の前」という名前の神奈中バスの停留所を見かけた。 気になって周囲を見てみると、本当に御堂の目の前にあるバス停だった。 恐らくこの御堂がバス停の名前の由来なのだろう。 地蔵堂 扁額によると、地蔵尊を祀る地蔵堂であるらしい。 由緒書等は見当たらなかったため、由緒や創建年は不明だ。 堂内には地蔵尊像が丁重に祀られており、多数の提灯が吊り下げられていた。 今でもきちんと管理され、お祀りされているのがよく分かる。 【地蔵堂】 住 所:東京都町田市小山町3555-1前 御本尊:地蔵尊 社祠…

  • 御徒町の猿田彦神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 上野から秋葉原へ向かって歩いている途中、御徒町駅南口から30秒ほどの所にあるビルの1階に神社が鎮座しているのを発見した。 どうやらこの神社は猿田彦神社というらしい。 猿田彦神社 猿田彦神社は由緒書等は見当たらなかったため創建年など詳細は不明ながら、名前からすると猿田彦大神を祀るものと思われる。 社殿の所に「椿大神社」の文字が見えるので、伊勢国一宮である鈴鹿市の椿大神社から勧請したのかもしれない。 社殿の横には大きな木彫りの猿、布袋尊、不動尊、ガネーシャなど様々な像が置かれていてインパクトがある。 【猿田彦神社】 住 所:東京都台東区上…

  • MARK ISのみなとみらい勝利神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 横浜・みなとみらいにあるグランモール公園に隣接して、「MARK ISみなとみらい」という三菱地所の商業施設がある。 そんなMARK ISの1階に、2023年4月22日に神社が建立された*1。 その名を「みなとみらい勝利神社」という。 なお、「勝利」は「ビクトリー」と読むらしい。 みなとみらい勝利神社 みなとみらい勝利神社は由緒書によればスポーツ必勝祈願の神社だ。 また、試験など大一番の際の祈願も良いらしい*2。御祭神は不明、というかそもそも勝利を願う祈願所のようなものだろう。 御神体はガラス製と思しき神社名と建立日が刻まれたオブジェだ…

  • Googleマップで見かけた府中の稲荷社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた木祠に向かう途中、Googleマップで「稲荷大明神」の表記を発見した。 しかし拡大してみると、稲荷大明神があるはずの場所はワインバーとなっている。 これはどういう事だろうか。 ストリートビューを見たところ疑問が解けた。 ワインバーの向かい側に荒れた稲荷社があり、おそらくそれの位置ズレだったのだ。 稲荷社跡地 意気揚々と向かった私が見たのは上の光景だった。 稲荷社はとうの昔に無くなっていたのだ。 どうやら無くなったのがGoogleマップに反映されていなかったらしい。 2020年10月のストリートビューには少し遠いが、社…

  • 府中駅近くの詳細不明な木祠

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた菊地稲荷の100〜200mほど西に大国魂神社東という丁字路があり、その辺りから住宅地へと続く路地が伸びている。 この路地を進んで行く。 すると路地を抜けた辺りで正面に何かがあるのに気が付いた。 詳細不明の木祠 近付いてみると、それは覆屋だった。 中を見てみると、木祠や蛇の置物などが置かれている。 由緒書や扁額は一切見当たらず、御祭神はおろか名前すらも分からない。 もしかすると元々は邸内社かもしれない。 【木祠(名称不明)】 住 所:東京都府中市宮町2-7-3横 御祭神:不明 社祠等:無し 創 建:不明 H P:無し …

  • 菊地稲荷と巨大な榎

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 先日府中駅周辺に行った際に、マンションに囲まれた駐車場の奥の方に朱色の鳥居らしきものを見かけた。 近付いてみると、それは間違いなく鳥居であった。 当然ながら、鳥居の向こうには社もある。 菊地稲荷 この社は菊地稲荷という名前らしい。 由緒書等は無く詳細は不明だが、稲荷社なので御祭神は倉稲魂命だろうか。 もしかすると元々は邸内社だったのかもしれない。 社の横には巨大な榎が聳え立っている。 「府中の名木百選」にも選ばれており、選定された昭和63年(1988年)時点で高さは12mを超えていたようだ。 菊地稲荷の御神木ということなのかもしれない…

  • 新しい第六天社と思しき神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 先日入谷の辺りに用事があったため、言問通りを歩いていた。 何気なしに中入谷の交差点を曲がると、なんと目の前に社が鎮座していた。 第六天社? 中々に新しそうな社殿だ。 この神社については特に由緒書等は見当たらなかったため、詳細は分からない。 扉が開いていたため中を見てみると、武蔵第六天神の商売繁昌祈願の御神札が納められていた。 ということは、武蔵第六天神社の御祭神である面足尊と吾屋惶根尊(共に神世七代の第6代目の神で神仏習合では第六天に習合された)を祀るのだろうか*1。 なおストリービューを見てみると、令和4年(2022年)8月にはまだ…

  • 町会会館前の正一位小寶稲荷

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた豊繁稲荷前の道を100mほど北へ向かうと、右手側に小寶稲荷が見えてくる。 正一位小寶稲荷 小寶稲荷は町会会館前に鎮座する、とても小ぢんまりとした神社だ。 由緒書等は見当たらなかったため、神社の詳細は不明だ。 ただ、奉納額と扁額から正一位稲荷大明神を祀るらしいことと、昭和5年(1930年)5月には存在していたことは分かる。 ところで、扁額に書かれた「稲」の字は、「ツ」の部分が「|├」となっていて、珍しい形をしているのが興味深かった。 【正一位小寶稲荷】 住 所:東京都港区西新橋1-8-10前 御祭神:正一位稲荷大明神 …

  • ビルの谷間の豊繁稲荷

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた鏡照院から500mほど北に、豊繁稲荷という稲荷社が祀られている。 豊繁稲荷 豊繁稲荷はビルやマンションに囲まれた小さな緑地の一角にある。 社殿の前には榊も供えてあり、社殿自体も綺麗に保たれていることから、きちんと管理されているらしいことが分かる。由緒書は見当たらないので歴史や御祭神については一切不明だ。 稲荷社なので倉稲魂命を祀っているのだろうか。 【豊繁稲荷】 住 所:東京都港区西新橋1-23-7 御祭神:倉稲魂命? 社祠等:無し 創 建:不明 H P:無し 脚注 無し

  • 西新橋の身代山鏡照院と稲荷社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた愛宕神社の方面から、道路の向かい側にある路地を東へと歩いていく。 暫く進むと、右側に身代山鏡照院という寺院がある。 身代山鏡照院 鏡照院本堂 鏡照院は真言宗智山派(総本山:智積院)の寺院で、御府内八十八ヶ所霊場の第20番札所にもなっている。 由緒書の貼紙によれば応永6年(1399年)に発見された身代不動明王を常陸国笠間で祀ったことに始まり、慶長8年(1603年)に愛宕山の麓に寺が開かれ、のち平成6年(1994年)に現在地に移転したという。 御本尊は弘法大師の作と伝わる身代不動明王像で、災厄に対し身代わりになってくれる…

  • 港区愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 港区に愛宕山という山がある。 標高は25.7mしかないが、自然地形の山としては都内最高峰となっている*1。 この山は江戸の頃から「伊勢へ七度 熊野へ三度 芝の愛宕へ月参り」(最後は「愛宕様へは月参り」とも)と言われ、多くの錦絵に描かれているほどの人気がある(上の画像は昇亭北寿画『東都芝愛宕山遠望品川海図』)*2。 また明治以降では、『鉄道唱歌』1番の「汽笛一声新橋をはや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる月を旅路の友として」という歌詞でも有名だ。 そんな愛宕山には、江戸時代から愛宕神社が鎮座している。 周辺は再開発が進んでいるし、愛…

  • 東京ワールドゲートの葺城稲荷神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は前回の記事で書いた大雄院のすぐ傍の、東京ワールドゲート内の葺城稲荷神社について。 葺城稲荷神社 虎ノ門に、神谷町駅直結の神谷町トラストタワーを中核とした東京ワールドゲートという場所がある。 ここはオフィスや飲食店、ホテル等が揃った森トラストの複合施設だ。 敷地内の「葺城の森」というエリアでは、なんと草木が茂る中を小川が流れていて、都心に居るとは思えないほど静かで良い空間だ。 そんな東京ワールドゲートの一角には、葺城稲荷神社という社が鎮座している。 江戸時代の天和3年(1683年)に円城寺の住職により創建され、妻恋稲荷と称した*1…

  • 神谷町駅近くの大雄院と五塔稲荷神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は神谷町駅すぐの所にある大雄院と、そこに祀られる五塔稲荷神社について。 大雄院 神谷町駅直結の神谷町MTビルの出口の向かい側に、大雄院という寺院がある。 大雄院(道了大薩埵奉安所) 大雄院は文京区の寶林山霊雲寺を総本山とする真言宗霊雲寺派の寺院だ*1。 元々は愛宕神社の「出世の石段」のすぐ横(愛宕1-7-1)にあったが、再開発に伴い令和5年(2023年)5月に虎ノ門3-16-3に遷座、同年10月に現在地に再遷座したらしい*2。 なおHPには「本堂仮移転」とあるので、後々はまた別の場所に遷るものと思われる*3。 さて、そんな大雄院の…

  • 狸穴公園の狸穴稲荷

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は短めの更新で、狸穴公園内にある狸穴稲荷大明神について。 狸穴稲荷大明神 港区は麻布十番から麻布台ヒルズの方へ向かって行くと、道中に噴水のある公園が見えてくる。 これが狸穴公園(まみあなこうえん)だ。 狸穴というのはこの辺りの地名の麻布狸穴町によるが、この狸穴の由来はかつて木立の多い谷だった当地に魔魅(アナグマ)がいたことによるらしい*1。 その一角に、今回参拝した狸穴稲荷大明神が祀られている。 稲荷というだけあって、赤い鳥居が幾つか並んでいる。 由緒等については現地に説明書も無く、調べてもよく分からなかった。 御祭神は、扁額にあ…

  • 佐久間公園の草分稲荷神社と戦災殉難者慰霊碑

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は、公園内にある草分稲荷神社と戦災殉難者慰霊碑について。 草分稲荷神社 秋葉原からJR総武線の高架沿いに東へ歩いていくと、右手に佐久間公園が見えてくる。 この公園の一角にあるのが草分稲荷神社だ。 きちんと綺麗に管理されており、お供物も置かれている。 御祭神は由緒書の掲示によれば宇迦之御魂命だ。 創建年は不明だが、『東京名所図会』によると文政6年(1823年)の年号の入った石鳥居があったようだ*1。 なお、現在地には昭和36年(1961年)に遷座。 『千代田の稲荷』によれば、少なくとも2008年頃には町会により初午祭と餅つき大会が行…

  • 下高井戸駅前市場内の稲荷社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は、下高井戸駅前市場内の稲荷社について。 下高井戸駅前市場 下高井戸は名前こそ知っているが行ったことのない街だったので、ふと訪れてみることにした。 駅の窓からは下高井戸駅前市場が見える。 市場の入口はこのような感じで、いかにもレトロな造りだ。 看板もかなり年季が入っている。 それもそのはずで、この建物は昭和31年(1956年)に建てられたものだ*1。 そんな下高井戸駅前市場だが、なんと今月末で閉鎖になってしまうらしい。 全然この土地と無関係な者ながら何となく寂しい気持ちにはなるが、この先も街の営みが続く為には已むを得ないのかもしれ…

  • 秋葉原の屋上神社(詳細不明)

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに またまた久々のブログ更新。 今回は秋葉原のビルの屋上の神社について。 屋上の神社 ベルサール秋葉原の横を神田明神通りに沿って西へ進むと、箸勝本店がある。 ここは皇室やホテルに箸を納めた実績もある、箸の専門店だ。 因みに元々は初代が後醍醐天皇に付き従って吉野へ向かい、そこで代々材木関連の業務を行っていたらしく、かなり由緒がある*1。 そんな箸勝本店の向かって右隣の土地は、現在絶賛工事中で、建物が解体されて更地になっている。 さて、道路の向こう側からここを見ると、奥の方のビル上に神社が祀られているのが見える。 神社の詳細は分からないが、赤…

  • 稲荷神社のトマソン

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 久々のブログ更新。 本当は秩父の神社の続きを書きたかったが、忙しいのでまたいつか。 今回は短めの更新。 世田谷文学館 さて、世田谷文学館で「江口寿史展 ノット・コンプリ―テッド」を見てきた。 江口先生の描く絵は本当に上手くて、今見ても古く感じないのが本当に凄い。 超芸術トマソン 江口寿史展を見た後は、徒歩で下北沢方面へ。 天気も良く、こんな日は絶好の散歩日和だ。 途中、京王井の頭線東松原駅の近くで祠らしき外観の構造物を発見。 お稲荷さんかお地蔵さんだと思い中を覗くと、そこには何も無かった。 こんなことがあるのだろうか。 これではまるで…

  • 聖観音を祀る松風山音楽寺

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事の椋神社の次は、秩父三十四ヶ所の23番札所の松風山音楽寺へ向かった。 松風山音楽寺 本堂 音楽寺は聖観世音菩薩を御本尊としている。 由緒書の掲示や『新編武蔵国風土記稿』によれば、天長年間(824〜834年)に慈覚大師(円仁)が関東の霊地開拓の際に秩父にも来訪しており、自らの手で彫った観音像を御堂に祀ったことに始まるとされる*1。 音楽寺の名の由来は、秩父札所の開設者が当地の松風を菩薩の奏でる音楽のように感じたことに由来するらしい*2。 なお音楽寺は椋神社と同じく秩父事件所縁の地で、秩父困民党の群衆がこの寺の鐘を鳴らしてから大…

  • 龍勢と秩父事件の地・下吉田の椋神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 令和5年(2023年)7月中旬、西武鉄道に乗って秩父まで行ってきた。 秩父は平成26年(2014年)に大学のゼミ合宿で行って以来なので、実に9年ぶりの再訪だ。 車窓からは高麗駅前の天下大将軍・地下女将軍像も見える。 これらは朝鮮半島の将軍標と呼ばれるものだ。 恐らく高麗駅のある高麗郡が高句麗からの渡来人が住んだことに始まるため、朝鮮半島との所縁ある地として建てられたのだろう*1。 高麗駅の隣の武蔵横手駅では、駅の「やぎの家」などを眺めていた。 そうこうする内に西武秩父駅へと到着。 かつては味わいのある食堂や土産物屋が並んでいた西武秩父…

  • 吉祥寺の東急屋上の吉祥寺観音

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 吉祥寺唯一の百貨店である東急百貨店吉祥寺店。 この東急百貨店の屋上には芝生が敷かれた「太陽の広場」が存在しており、更にその一角に吉祥寺観音という小さなお堂が鎮座している。 吉祥寺観音 吉祥寺観音は不空羂索観世音菩薩を御本尊としている。 創建は昭和34年(1959年)で、当時この場所に建っていた吉祥寺名店会館に祀られたことに始まる。 吉祥寺名店会館は昭和46年(1971年)に閉店・取り壊しとなり、3年後の昭和49年(1974年)に東急百貨店吉祥寺店がオープンした*1。由緒書の看板によれば、埼玉銀行頭取・名栗村村長・参議院議員などを歴任し…

  • 都筑中央公園の一角の茅ヶ崎杉山神社(式内社論社)

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 横浜市営地下鉄センター南駅の北にある都筑中央公園の一角に、茅ヶ崎杉山神社が鎮座している。 茅ヶ崎杉山神社 茅ヶ崎杉山神社 茅ヶ崎杉山神社は少し高い地点にあるので、第一鳥居から社殿の間に階段が伸びている。 茅ヶ崎杉山神社は五十猛命を主祭神とし、合祀祭神として天照皇大神(神明社御祭神)・素戔嗚尊(天王社御祭神)・稲倉魂命(稲荷社御祭神、倉稲魂命)を祀っている。 なお、何故か神奈川県神社庁の神社情報のページでは天照大神のみが御祭神とされている*1。 『新編武蔵風土記稿』によると、神社の創建は白鳳3年(674年)の天武天皇の御代に、天日鷲命の…

  • センター北駅の目の前の大棚・中川杉山神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 横浜市営地下鉄センター北駅のロータリーの目の前に、大棚・中川杉山神社という神社が鎮座している。 ここは武蔵国に多数存在する杉山神社の1つだ。 大棚・中川杉山神社 大棚・中川杉山神社社殿 大棚・中川杉山神社は日本武尊と五十猛命主祭神とし、配神として伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀っている*1。 日本武尊は第12代・景行天皇の皇子にして第14代仲哀天皇の父であり、日本神話における英雄の1人として有名だ。 五十猛命は素戔嗚尊の子で、新羅渡ったり植樹を行ったと伝わる神(詳細は出雲大社神楽殿の記事の天夷鳥命社・荒神社の項目を参照)であり、境内の杉山神社移…

  • 過去記事の整理・追記などについて その3

    今回は、その1に引き続きブログの記事の整理・追記についての報告。 今回は7つの記事について、以下の通り内容の改訂を行った。 月輪山泉涌寺 hayabusa8823.hatenablog.com 皇室の菩提寺である泉涌寺の記事は、山号について追記した。 畝傍山東北陵(神武天皇陵) hayabusa8823.hatenablog.com 神武天皇陵とされる畝傍山東北陵の記事は、文章の改訂を行った。 また、神武天皇の没年などを追記した。 出雲大社 hayabusa8823.hatenablog.com 神代より続くとされる出雲国一宮の出雲大社の記事は、本殿内の御客座や心御柱に祀られる神について追記し…

  • 鳥取島根の旅ラストは出雲大社境外摂社・阿須伎神社(阿式社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回で2022年鳥取・島根巡りの一連の記事もラスト。 また、出雲大社の境内境外摂末社も全て参拝したはずだ。 前回の記事で書いた出雲井社の辺りから、国道431号を2kmほど東へ進み、阿式谷川と交わる所で左折する。 そのまま山に向かって進むと、出雲大社境外摂社にして延喜式内社の阿須伎神社の鳥居が現れる。 阿須伎神社 阿須伎神社 阿須伎神社は別名を阿式社(おとみのやしろ)という*1。 阿須伎神社の創建年は分からないが、延長5年(927年)完成の『延喜式』にも記載のある延喜式内社であり、また天平5年(733年)完成の『出雲国風土記』にも記載のあ…

  • 岐神を祀る出雲大社境外摂社・出雲井社(出雲路社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた乙見社から北東に300〜400mほどの所に、出雲大社境外摂社の出雲井社(いずもいのやしろ)が鎮座している。 出雲井社(出雲路社) 出雲井社は別名を出雲路社(いずもぢのやしろ)という。 現在の社殿は延享元年(1744年)の御遷宮で建てられたものだ*1*2。 なお創建年は不明。御祭神は岐神(くなどのかみ)を祀る。 岐神は塞の神・道路の神(道祖神)とされる*3。 『日本書紀』神代上第5段一書第6では岐神(ふなとのかみ)の名で登場し、伊弉諾尊が黄泉比良坂にて伊弉冉尊への進入禁止の境界として投げた杖から生まれたとされる*4。 同…

  • 川の近くに鎮座する出雲大社境外摂社・大穴持御子玉江神社(乙見社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲市内を走る国道431号沿いに、みせん広場という観光客の為の駐車場がある。 この「みせん」という名は、背後に聳える弥山に由来するものらしい。 広場東側の交差点から南へ向かい、堀川に架かる乙見橋を渡る。 地味な橋だが、橋からの景色は中々良いものだった。 橋を渡り少し進むと、右手に出雲大社境外摂社の大穴持御子玉江神社(おおあなもちみこのたまえのかみのやしろ)が現れる。 大穴持御子玉江神社(乙見社) 大穴持御子玉江神社は別名を乙見社という。 「乙見」の名は、元々この辺りにあり江戸時代に開発された乙見山に由来するものだろうか。大穴持御子玉江神…

  • 日御碕神社の出雲日御碕大神宮教

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 日御碕神社の道路を挟んで向かい側に、出雲日御碕大神宮教の建物が立っている。 出雲日御碕大神宮教 出雲日御碕大神宮教は天照大御神と素盞嗚尊を奉斎し、日御碕神社の御神徳宣揚を目指す教団だ*1。 この建物は扉こそ閉まっているが賽銭箱が置いてあるので、出雲大社北島国造館の御神殿のような施設なのだろうか。 とすれば、神殿に天照大御神と素盞嗚尊を祀るのかもしれない。出雲日御碕大神宮教は元々は日御碕神社神職家の小野氏が明治6年(1873年)に組織した講社であり、後に出雲日御碕教本院、日御碕神社付属講社の名を経て昭和28年(1953年)に宗教法人の出雲…

  • 藪の中の日御碕神社境外末社・立虫神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた日御碕神社御神場御旅所のすぐ近くに、藪の中へと続く道がある。 その先には石階段があるので、これを上って行く。 上まで上がっていくと、社殿が見えてくる。 この小さな社が日御碕神社境外末社の立虫神社だ。 立虫神社 御祭神は少童命(わたつみのみこと)を祀る。少童命はその名の通り海の神だが、神話を読むと色々とややこしい。 恐らく「わたつみ」を冠する海の神が複数存在するという事なのだろう。 『日本書紀』神代上第5段一書第6では、伊奘諾尊・伊奘冉尊の神生みの際に少童命が生まれたとする一方、伊弉諾尊が黄泉国から帰還して禊をする際に底…

  • 日御碕神社の御神場御旅所

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 宇龍漁港から伸びる坂道を上って暫く道なりに歩いて行くと、右手側に柵の置かれた小さな広場のような場所が見えてくる。 日御碕神社御神場御旅所 この場所こそが日御碕神社の御神場御旅所だ。 看板の大意としては(掠れて読みづらいが)、天葺根命が天照大御神を経島に祀った事に始まる夕日の祭において、この場所で天葺根命の神輿を迎えて神事を行うと書かれている。 この夕日の祭というのは神幸神事(みゆきしんじ)の事で、8月7日18時頃に神輿に乗った天葺根命の御魂代が御旅所に到着後、経島に祝詞を奏上し、同時に神職が経島で神事を行うものであるらしい*1。なお経島…

  • ウミネコの島に鎮座する経島神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前々々回の記事の最後に書いた宗像神社から宇龍漁港へ出ると、右手の方に大きな島があるのが見える。 これが経島(ふみしま)だ。 経島神社 観光案内の看板によれば、島名の由来は石英角斑岩の柱状節理がまるで積み重ねたお経の巻物のようだったからとのこと*1。 島名については、経島表記以外にも文島、鴎島、お経島、日置島などと書かれたり呼ばれたりもするらしい*2*3*4。 また冬から初夏にかけてはウミネコの繁殖地として有名で、天然記念物にも指定されている(鴎島の名の由来もウミネコから来ているのだろう)*5。 島には経島神社という日御碕神社の摂社が鎮座…

  • 日御碕神社近くの祖霊社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は、日御碕神社の境内入口手前に鎮座している祖霊社について。 祖霊社 入口の門に「祖霊社」とあるが、由緒書等は無く詳細は不明だ。 位置的には日御碕神社と関係があるのかもしれないが、それも分からない。 もしかすると出雲大社教や出雲教の祖霊社同様に、日御碕神社の教団である出雲日御碕大神宮教の信徒の御霊を祀るのかもしれない*1。 【祖霊社】 住 所:島根県出雲市大社町日御碕381向かい 御祭神:出雲日御碕大神宮教信徒の御霊? 社祠等:無し 創 建:不明 H P:無し 脚注 *1:若原茂ほか編『紀要第43号 宗教法制研究 教憲・教規 神道篇 …

  • 日御碕神社復興の功労者を祀る順式社と詳細不明の稲荷社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 日御碕神社の境内入口の手前、土産物店の左側に順式社と稲荷社が鎮座している。 順式社・稲荷社 順式社 順式社は権大僧都の順式慶雄和尚を祀る。 順式和尚は江戸時代の僧で、日御碕神社の神職である小野氏第82代・小野政久の孫だ。 順式和尚は戦国時代に荒廃した日御碕神社の復興を幾度も江戸幕府に請願し続け、遂に徳川家光の時代に至って幕府の支援により日御碕神社の復興を成し遂げたという重要な人物だ。 現在でも、日御碕神社の上下本殿はこの時の造営のものとなっている。 順式和尚は貞享2年(1685年)に81歳で亡くなったとのことなので、それ以降にこの社が建…

  • 日御碕神社の数多の摂末社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は前回の記事の続きで、日御碕神社の境内摂末社について書いていく。 前回同様日御碕神社のマップは、由緒書の掲示に載っていた上掲のものが分かりやすかった。 (※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。) 日御碕神社境内社 門客神社 日沉宮へ向かう参道の楼門を越えた先の左右に門客神社が鎮座している(写真を撮り忘れたので画像は無い)。 御祭神はそれぞれ櫛磐間戸神と豊磐間戸神を祀っている。 『古事記』では邇邇芸命(瓊瓊杵命)の天孫降臨に付き従った門の守護神である天石門別神(あめのいわとわけ…

  • 出雲日御碕灯台と日御碕神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 日本海に面した島根半島の西端に、日御碕(ひのみさき)という風光明媚な岬がある。 古くは『梁塵秘抄』において聖が住むと詠まれた土地だが、この清らかで美しい岬を見ると確かに昔の人が聖の住まいと思ったのも頷ける*1。 この岬では、白亜の塔が潮風を受けながら、その巨躯を青空へと突き刺している。 その名を、出雲日御碕灯台という。 灯台の真横は断崖絶壁になっているが立入禁止ではなく、誰でも崖まで行くことができる。 間違っても躓いたり、一歩でも足を滑らせれば海の藻屑となるのは間違い無しだ。 崖から海を覗き込めば、そこには絵画に描かれるような青海原に白…

  • 港町の出雲大社境外摂社・大穴持伊那西波岐神社(伊奈西波岐神社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた三歳社の横の山道を、峠を越えて海に出るまでひたすら突き進むと、そのうち鷺浦という静かな港町に出る。 鷺浦は、かつては北前船の港として賑わっていたらしい*1。 そんな鷺浦には、出雲大社の境外摂社の大穴持伊那西波岐神社(おおなもちいなせはぎのやしろ)が鎮座している。 大穴持伊那西波岐神社 随神門 参道を進み、手水舎を超えた辺りに随神門が建っている。 随神門の内部の両側には祠が納められている。 恐らくこの中に随神像が祀られているのだろう。 大穴持伊那西波岐神社社殿 随神門を抜けて進んで行くと立派な拝殿がある。 そして拝殿後方…

  • 山の中の出雲大社境外摂社・大穴持御子神社(三歳社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲大社と神楽殿の間には素鵞川が流れている。 この川をから上流に向かうと、山の中に出雲大社の境外摂社・大穴持御子神社(おおなもちみこのかみのやしろ)が鎮座している。 大穴持御子神社(三歳社) 大穴持御子神社は別名を三歳社というらしい。 御祭神は高比売命・事代主神・御年神の3柱を祀っている。 高比売命は別名を下照姫や稚国玉といい、大国主大神と多紀理毘売命との子神で、天稚彦の妻とされる*1*2*3。 事代主神は大国主大神の子神(母神は『日本書紀』では記載無し、『古事記』では神屋楯比売命、『旧事紀』では高津姫神)で、国譲りの際に天照大御神に従…

  • 稲佐の浜の弁天島に鎮座する沖御前神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲大社から西へ進むと海に出るが、この海岸の砂浜は「稲佐の浜」と呼ばれている。 沖御前神社 稲佐の浜は『日本書紀』では「五十狭狭の小汀」「五十狭田の小汀」、『古事記』では「伊那佐の小浜」、『旧事紀』では「五十狭田の小汀」として登場し、国譲りの舞台となっている*1*2*3。 更に『出雲国風土記』にて語られる国引き際に使われた綱である「薗の長浜」ともされている*4。 神在月には神迎神事(その名の通り出雲に訪れた神々を出迎える神事)も行われる、出雲大社にとっても重要な海岸だ*5。 そんな稲佐の浜に、弁天島という島が浮かんでいる。 正確に言えば…

  • 駐車場の中の水神碑

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた松江杵築往還を進んでいくと丁字路に突き当たるので、右に曲がる。 そこから進んで行くと、右側に仮之宮公会堂という集会所の建物が見えてくる。 そして公会堂の向かい側には小さな駐車場が存在している。 水神碑 その駐車場の一角の塀の陰の気付きにくい場所に、水神碑が祀られている。 石碑の周りに由緒書等は無く、詳しいことは分からない。 目の前に覆い屋根の付いた構造物があるが、もしかするとこれは井戸で、その井戸を守る水神様なのかもしれない。 【水神碑】 住 所:島根県出雲市大社町杵築北仮之宮2808 御祭神:水神 社祠等:無し 創 …

  • 安養寺墓地に祀られる地蔵尊らしき石仏

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前々回の記事で書いた十王堂から道路を渡った向かい側に、墓地(市営の安養寺墓地というらしい)の横を通る小道がある。 実はこの小道は因佐神社の記事や大歳社の記事でも触れた、松江杵築往還という道の一部であるらしい(大歳社からこの小道までは国道431号と重なっているようだ)。 そんな松江杵築往還に沿って幾つかの帝国陸軍の兵隊さんの立派な墓石が並んでおり、その間に石仏が祀られている。 地蔵尊? 祀られている石仏は墓石に比べるとかなり小さく、よく見ていないと見落としてしまいそうだ。 見たところ地蔵尊のようだが、由緒書等は無いため詳細は分からない。 …

  • 玉依姫命を祀る八大荒神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた十王堂の右横に石鳥居と階段がある。 これが八大荒神社だ。 八大荒神社 八大荒神社社殿 八大荒神社の社殿はかなり立派で、出雲らしく太い注連縄も取り付けられている。 これだけ立派な神社ということは、この周辺の地区を氏子としているのかもしれない。 今回行った時には由緒書の掲示も無く、全く詳細が分からなかった。 しかしGoogleマップでストリートビューを見ると、少なくとも令和元年(2019年)までは入口の鳥居の横に由緒書の掲示が立てられていたらしいことが分かる。 また、Googleマップに他の人が上げていた由緒書の写真によれ…

  • 元・出雲大社境内堂宇の十王堂

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた大歳社から東に50mほど行った奉納山の麓に、十王堂という堂宇が鎮座している。 十王堂 十王堂にはその名の通り十王の像が祀られている。 十王とは人の死後にその罪を裁く役割を負った10尊を指す。 十王の面々は由緒書によると、秦廣王・初江王、宗帝王・五官王・閻魔王・変成王・太山王・平等王・都市王・五道転輪王の10尊で、それぞれ本地仏は不動明王・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・弥勒菩薩・薬師如来・観世音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀如来となっている。 なお十王堂に祀られている十王像は旧・大社町(平成17年(2005年)に出雲市…

  • 出雲大社境外末社の大歳社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた上宮から松江杵築往還を50mほど東へ進むと、大歳社が右手側に鎮座している。 なおこの記事を書いている2022年2月22日現在、Googleマップのマーカーは位置がずれてしまっているのが残念だ。 大歳社 大歳社は出雲大社の末社だ。 御祭神はその名の通り大歳神を祀っている。 大歳神は『古事記』によれば素戔嗚尊の子であり、宇迦之御魂神の兄だ*1 *2。 五穀豊穣を司る神とされる。なお更に詳細な情報はないかと『出雲大社由緒略記』を確認したが、特にこれ以上の情報は無かった*3。 【大歳社】 住 所:島根県出雲市大社町杵築北296…

  • 神在月の神議の場となる出雲大社摂社・上宮(仮宮)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前々回の記事で書いた下宮から東へ向かう道(この道は前回の記事冒頭に書いた道と一続きで「松江杵築往還」という名前らしい)を進むと、上社の立派な社殿が左側に現れる。 上宮(仮宮) 随神門 上宮は随神門を備えている。 門の内側には格子がありその向こうに扉が見える。 この中に随神像が祀られているのだろう。 上宮社殿 上社は出雲大社の摂社となっている。 社殿は拝殿と本殿が建つ。御祭神は素戔嗚尊と八百万神を祀る。 神在月(陰暦10月)には出雲大社本社及びこの上宮にて神在祭が行われ、全国の神々が一堂に会する。 この際に上宮では神議り(かむはかり、神々…

  • 国譲りの地・屏風岩と出雲大社境外摂社・因佐神社(速玉社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた下宮の前の道(松江杵築往還というらしい)をまっすぐ進んで行くと、右側に屏風岩が見えてくる。 屏風岩 屏風岩は大国主大神と建御雷神が国譲りについて話し合いをしたと伝えられる地だ。 この岩についての伝承がいつ頃からあるのかは分からないが、出雲が神話と地続きの地なのだということを改めて実感させられた。 ……のだが、よくよく考えると『古事記』に屏風岩が登場するシーンはあっただろうか。 試しに手元にある岩波文庫の『古事記』をめくってみると、国譲りの冒頭の場面では大国主大神は子神の八重言代主神の意見を聞くようにという事しか言ってい…

  • 稲佐の浜近くの出雲大社末社・下宮

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲大社から西に約1km、稲佐の浜に程近い住宅地の路地に面して、下宮という神社が鎮座している。 下宮 下宮は出雲大社の末社だ。 御祭神は素戔嗚尊の姉にして皇室祖神の天照大御神を祀る。この社については現地の看板を見ても祭日くらいしか新しい情報は無く、出雲大社のHPを見てもさしたる情報はない*1。 『出雲大社由緒略記』も確認したが位置や御祭神が書かれているのみで、やはり詳細はよく分からなかった*2。 【下宮】 住 所:島根県出雲市大社町杵築北2963横 御祭神:天照大御神 社祠等:無し 創 建:不明 H P:出雲大社HP「摂末社」 脚注 *…

  • 身逃神事で有名な湊社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲大社から3kmほど南の出雲市大社町中荒木に、八通山というそれなりに大きな山林がある*1。 この八通山の東側の住宅と畑が多い辺りに湊社はある。 湊社 湊社(みなとのやしろ)は出雲大社の境外摂社で、御祭神は櫛八玉神を祀る。 櫛八玉神は水戸神(速秋津日子神・速秋津比売神)の孫で、大国主大神の国譲りの際に大国主大神を祀る宮殿の調理を司った神とされる*2。湊社は、火継式(新国造就任の際の儀式)終了後に出雲国造が参拝したり、毎年8月14日に行われる神幸祭の身逃神事の際に禰宜が参拝することでも知られている*3。 身逃神事は禰宜が大国主大神の供奉と…

  • 大社駅の名残の駅前稲荷神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲大社の一の鳥居(宇迦橋の大鳥居)から川を渡り真っ直ぐ南へ歩いていくと、酒屋さんの横の小道の先に神社が建っているのが見える。 駅前稲荷神社 この路地の先にあるのは駅前稲荷神社だ。 出雲市HP内の「出雲市の伝統芸能」というページの解説によれば、昭和5年(1930年)に岡山県の最上稲荷(最上稲荷山妙教寺)から最上稲荷大明神を勧請したことに始まるという*1。 実際、鳥居の前には駅前稲荷勧請記念の昭和5年の記念碑が建っている。 なお、神社名の「駅前」とは、かつてこの近くにあった省線大社線の大社駅の駅前という意味だ。 出雲大社の記事でも紹介した…

  • 出雲大社前駅近くの馬場氏神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 一畑電車の出雲大社前駅から100mほど北、神門通りに面して写真館と蕎麦屋が並んで建っている。 その間の道を真っ直ぐ進んで行くと、右側に馬場氏神社が見えてくる。 馬場氏神社 馬場氏神社社殿 石鳥居の向こう側に馬場氏神社の社殿が建っている。 なお社殿は戸が閉められており、中の様子を窺い知ることもできない。馬場氏神社の由緒等に関しては、全くもって不明だ。 境内に由緒書の掲示も無ければ、インターネットにも情報が載っていない。 名前だけ見ると馬場氏なる一族の氏神を祀るのかもしれないが、その馬場氏が何者かも分からない。 出雲惠美須神社、出雲御國稻荷…

  • 茂みの中の水神碑

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 千家国造館から祖霊社方面に伸びる道を真っ直ぐ進んで蕎麦屋の前の交差点を渡る。 更に少し進んで右手側の住宅の塀に貼られた酒屋さんの広告看板を過ぎた辺りに、水神の石碑が祀られている。 水神碑 この水神碑は「出雲國造公御墓處」の看板が付いた電柱の横の植木の茂みの中にあり、パッと見では気付きにくい。この水神碑に関する由緒等は全く不明だ。 かつてこの場所に井戸があったのか、或いは何処か別の場所から移設したのかもしれない。 【水神碑】 住 所:島根県出雲市大社町杵築東500横 御祭神:水神 社祠等:無し 創 建:不明 H P:無し 脚注

  • 薬師谷川沿いの本郷荒神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた佐草稲荷神社から南東に少し歩いていくと、小さな川(薬師谷川というらしい)があるので左折する。 川沿いに100mほど進むと、木の鳥居が見えてくる。 ここが本郷荒神社だ。 本郷荒神社 本郷荒神社の歴史等については、由緒書の掲示が無いためよく分からない。御祭神は、島根県神社庁のHPによると素盞嗚尊・奥津彦命・奥津姫命・土祖命の4柱を祀る*1。 素戔嗚尊は言うまでもなく伊弉諾尊・伊弉冉尊の子神で、出雲大社に祀られる大国主大神の父神(又は一説に大国主大神の6代前/7代前の祖神とも)だ。 奥津彦命・奥津姫命・土祖神は3柱とも大年神…

  • 朱の鳥居が並ぶ佐草稲荷神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた若宮社から南東に道なりに100mほど進んだところに、佐草稲荷の朱の鳥居が見える。 道が2本あってそれぞれに鳥居が立てられているのは伏見稲荷の奥宮〜奥社奉拝所間の千本鳥居を模したのだろうか。 佐草稲荷神社 佐草稲荷神社については、境内に由緒書の掲示も無く、扁額もないため詳細は分からない。 神社名についてもGoogleマップには佐草稲荷神社と書かれているが、現地では特に名前が書かれたものは見当たらなかった。 ただ、社殿の手前に狐の像が多数置かれていたので稲荷社であることは確かなようだ。 御祭神も稲荷大神を祀るのだろうと思わ…

  • 路地の先の若宮社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた真名井前の道の更に先の道(北島国造館〜真名井までは社家通りと呼ばれているが、そこから先の道がどう呼ばれているかは不明)を東に進んでいくと、民家の間に社へと続く細い路地が伸びている。 若宮社 路地の先の階段を上ると、小ぢんまりとした社殿が建っている。 これが若宮社という神社らしい。 ただ、神社名に関しては現地に由緒書の掲示がある訳でもなく、扁額が付けられている訳でもない。 だが、平成24年(2012年)の神話博しまねのHPの地図では若宮社と書かれているので、今回はそれに従った(Googleマップでも若宮社となっている)*…

  • 古来より名高き真名井の清水

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた命主社から東に200mほど社家通りを進むと、真名井の清水という水が湧き出る場所がある。 真名井 真名井は古くから清水の湧き出る場所だ。 江戸時代の儒者・黒沢石斎による『懐橘談』という地誌でも、出雲大社境内の3つの井戸として、鶏卵井(御供物を炊くのに使われていたらしい。現状不明)や御手洗井(拝殿近くに現存)と並んで真名井が記されている*1。 そもそも『懐橘談』が伝えるところによれば(江戸時代に伝わっていた話としては)、天照大御神と素戔嗚尊の誓約の際に剣を濯いだ際の場所も、この真名井であるという*2。 ここから湧く水は、昭…

  • 神皇産霊神を祀る神魂伊能知奴志神社(命主社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた北島国造館前の社家通りを東へ100mほど進む。 すると左側に境内への入口が見えるので、そこから参道へ。 参道を行くと、社殿が見えてくる。 神魂伊能知奴志神社(命主社) 神魂伊能知奴志神社社殿 神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ、現地の由緒書の掲示では「かみむすびいのちぬしのやしろ」)は通称を命主社(いのちのぬしのやしろ)という。 延喜式内社で、御祭神はその名の通り神皇産霊神(かみむすびのかみ)を祀る。 神皇産霊神は天地開闢の際に現れた造化三神の1柱であり、大国主大神が八十神の謀略で命を落とした際には…

  • 出雲大社北島国造館に参拝

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 新年明けましておめでとうございます。 今年も沢山記事を更新していく所存ですので、何卒よろしくお願いします。 今回は出雲大社の東側にある出雲大社北島国造館の御神殿と、その境内社について。 出雲大社北島国造館 出雲大社の東側に北島家の敷地が広がっており、北島国造館として開放されている。 天穂日命後裔の出雲国造は元々一つの一族だったが、南北朝時代に分裂した際に一方が北島国造家、もう一方が千家国造家となった。元々北島国造館は出雲大社後方の八雲山の麓にあったが、出雲大社寛文御造営に伴う境内拡張のため寛文4年(1664年)に現在地に移転したとのこと…

  • 出雲大社教祖霊社と都稲荷社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた千家國造館の近くに、出雲大社教祖霊社と都稲荷社が鎮座している。 出雲大社教祖霊社 祖霊社社殿 祖霊社の境内入口には両脇に「萬古之命脈」「千古之祖心」の石柱が立てられている。 祖霊社の社殿前にも石柱が立てられており、「敬神崇祖」「報本追遠」と刻まれている。由緒書の掲示によれば、祖霊社は明治6年(1873年)に鎮座した社だ。 御祭神は出雲大社教信徒の祖先と代々の霊神を祀る。出雲大社に祀られる大国主大神は幽界を司る神でもあり、幽冥主宰大神(ゆうめいしゅさいのおおかみ)とも呼ばれる。 この祖霊社は、死んだ人々の御魂は幽冥主宰大…

  • 出雲大社神楽殿と千家國造館

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた出雲大社の続き。 今回は本殿の西側から境外に出て、素鵞川を渡った隣接地にある神楽殿などについて。 祓社 神楽殿前の手前には祓社が鎮座している。 出雲大社の下り参道にある祓社のと同様に、瀬織津比咩神・速開都比咩神・気吹戸主神・速佐須良比咩神の4柱を祀っている。 こちらの祓社は平成26年(2014年)に創建された新しい社だ*1。 金刀比羅宮 祓社の左側には金刀比羅宮が鎮座する。 御祭神は大物主神で、この神は大国主大神の幸魂・奇魂のこととされている。 漁業や航路安全に御利益があるとされている。 神楽殿 神楽殿は広さ270畳も…

  • 神代より続く出雲大社に参拝

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 「海、山、旅のドラマは米子駅から」ということで、米子駅から山陰本線を行く特急やくも号に乗車。 因みに今回の検札印は、伯備線電化40周年記念の記念スタンプになっていた。 出雲市駅からは電鉄出雲市駅へ向かい、一畑電車に乗車。 小さな電車は北松江線〜大社線へと直通で進んで行く。 20分弱で出雲大社前駅へと到着した。 出雲大社前駅を出ると参道が伸びており、神域入口の鳥居に至るまでは道路の両側に土産物屋や飲食店がズラリと並んでいる。 その途中、俵屋という和菓子店で大国様が腰掛ける俵を模った「俵まんぢう」が売られていたので買ってみた。 これが甘すぎ…

  • 皆生温泉の氏神・皆生温泉神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事に続き、皆生温泉にて。 皆生温泉の一角、皆生風雅というホテルの隣に皆生温泉神社が鎮座している。 皆生温泉神社 皆生温泉神社社殿 皆生温泉神社はその名の通り皆生温泉一帯の氏神だ。 御利益は長寿や家庭円満であるらしい*1。御祭神は、境内の掲示によれば大国主命を祀る。 また「伯耆ふるさと伝承プロジェクト」によれば、貴布禰神も祀られているらしい*2。 なお創建は昭和2年(1927年)で、有本松太郎(皆生温泉の開発に尽力した鳥取県議会議員)により建立されたとのこと*3。 境内に社務所は無いため、御守や絵馬は近くの別の場所で売られている。…

  • 皆生温泉の旧湯薬師(遷座)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 皆生温泉(かいけおんせん)は米子市中部の海沿いにある。 明治時代に開かれた比較的新しい温泉郷ながら立派な施設が立ち並んでおり、目の前の浜は海水浴シーズンになると人で賑わう。 そんな温泉街に神社らしき建造物を見かけたので、ホテルに泊まった翌朝に散歩がてら見に行ってきた。 旧湯薬師 旧湯薬師 貼紙を見て分かったが、これは神社ではなく薬師堂の跡地だった。 ここには湯薬師と呼ばれる薬師如来が祀られていたが、平成20年(2008年)におーゆ・ランドという近くの温存施設に遷座してしまった。 なお、OUランドのHPでは湯薬師が現在どのように祀られてい…

  • 米子駅近くの塩町大師堂と荒神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 米子駅から500mほど北西へ行くと塩町という地区があり、その交差点に面した一角に塩町大師堂が鎮座している。 塩町大師堂/荒神社 ここには塩町大師堂と荒神社が並んでいる。 見たところ、自治会が管理しているものと思われる。 どちらも綺麗に手入れされており、地域の崇敬の篤さが伺える。 塩町大師堂 塩町大師堂には2尊の石仏が祀られている。 1尊は大師堂の名の通り弘法大師が祀られている。 もう1尊については、米子商工会議所の「米子・加茂川 地蔵さん巡り」のHPには塩町地蔵が塩町大師堂に祀られている旨の記載があるので、恐らく地蔵尊なのだろう*1。 …

  • 米子市中心部近くの本教寺

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 米子市中心部から西へ行くと、寺町という寺院が密集している地区がある。 その寺町に隣接する地区に岩倉町という地区があり、ここにも2つの寺院が鎮座している。 そのうちの1つが本教寺だ。 なお今回は法事で行ったため、写真は1枚しか撮る暇が無かった。 覚応山 本教寺 本教寺は日蓮宗寺院なので、大曼荼羅を御本尊としている。 また、大曼荼羅の前には日蓮聖人の像も祀られている。『米子市史』によれば、元は吉川元春家臣の古曳吉種(後に米子城主、文禄の役で戦死)が母の供養のために飯山砦内に造営した、日窓上人を開基とする浄昌寺という寺院だったとのこと*1。 …

  • 加茂川沿いの延命院地蔵

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに ひょうたん小路地蔵から北に500mほど歩いた辺りの加茂川沿いに、延命院地蔵を祀った地蔵堂が鎮座している。 延命院地蔵 地蔵堂には石仏が3尊並んで祀られている。 恐らくどれも地蔵尊ではないかと思われる。 延命院地蔵というだけあり、延命に御利益があるようだ。材質は「米子・加茂川地蔵さん巡り」のHPによれば、黒凝灰岩で造られているらしい*1。 地蔵堂の横には「梅の宮」と書かれた石碑が置かれているが、詳細は不明だ。 また記事冒頭の写真にも少しだけ写っているが、この地蔵堂の近くには大正15年(1926年)に当時の米子町により設置された水管橋が現存していて、米子市指定有形…

  • 米子駅近くのひょうたん小路地蔵

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 水木しげるロードから戻った翌日は、米子駅近くのホテルを出て少し散歩してみた。 ひょうたん小路地蔵 米子駅から北へ500mほど行った辺りに小道があり、その道沿いに地蔵堂が鎮座している。 ここは「ひょうたん小路地蔵」と呼ばれていて、安産や悪疫退散に御利益がある地蔵堂だ。 毎年8月23日は地蔵盆で、その翌日には5mの大数珠を回しながら百万遍念仏が行われているとのこと*1。中を見てみると中央に金色の仏立像、右側には少し大きめの石仏とその前に3尊の小さな石仏、左側には石仏が収められた逗子と金色の仏立像が収められた逗子がある。 米子商工会議所の「米子・加茂川 地蔵さん巡り…

  • 大港神社再訪〜米子駅(仮駅舎)

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いたゲゲゲの妖怪楽園を満喫した後は、水木しげるロードの1本北側の通りに面して鎮座している大港神社に参拝した。 こちらも4年ぶりの参拝だ。 大港神社 随神門 まず境内に入ってすぐの所に随神門があり、左右に随神が祀られている。 像の前にはきちんと賽銭箱も置かれている。 大港神社社殿 創建年は不詳とされるが、少なくとも慶安2年(1649年)の棟札が存在している*1。 また大正4年(1915年)の『境港沿革史』には鎌倉右大将家(鎌倉将軍家)の勧請であるという伝承が載っているが、これが事実なら鎌倉時代の創建ということになる*2。 また、かつては大港神社では…

  • ゲゲゲの妖怪楽園と永禄塚

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた日ノ出広場近くで昼食を食べた後、水木しげるロードへと戻った。 水木しげるロードは様々な妖怪の像が立っていて、見ているだけで中々楽しい(上の写真は個人的に気に入っている瀬戸大将の像だ)。 ゲゲゲの妖怪楽園と永禄塚 ゲゲゲの妖怪楽園 水木しげるロードから水木しげる記念館の傍の小道に入り、少し行った場所(位置的には水木しげる記念館の隣接する真北)に「ゲゲゲの妖怪楽園」というテーマパークがある。 ここは『ゲゲゲの鬼太郎』にフィーチャーした施設で、売店ではここでしか買えないグッズや飲食物もある(『鬼太郎』以外にも、『河童の三平』関連のものもある)。 今…

  • 日ノ出広場近くの石碑・石仏

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた水木しげる記念館の100mほど南に日ノ出広場という公園がある。 この公園には巨木が立っており、Googleマップでは「妖木の公園」とすら書かれている。 実際、この公園では「ゲゲゲの鬼太郎 ゲタ飛ばし大会」というゲタ飛ばしを競う大会も開かれている。その公園とすぐ傍の市営日ノ出駐車場の間くらいに、幾つかの石碑と石仏がある。 さんこの碑 まず、さんこの碑が左側に立っている。 石碑裏面によると「さんこ」は今から260年ほど前に実在したという女性で、この女性が即興で口ずさんだ歌が後に境港の伝統芸能の『境さんこ節』になったということらしい。 鳥取伝統芸能…

  • 妖怪神社と水木しげる記念館再訪

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた通り、JR境線河崎口駅から子泣き爺列車に乗り、終点の境港駅まで来た。 境港駅には鬼太郎駅の愛称が付いている。 流石に水木しげる先生が育った地だけあって、其処彼処に水木作品関連のものがある。 駅前には執筆中の水木先生の像もある。 そして駅前から東に向かって、妖怪像が無数に立つ「水木しげるロード」と名付けられた道が伸びている。 妖怪神社 そんな水木しげるロードに面して、妖怪神社が鎮座している。 妖怪神社は2019年以来、4年ぶりの再訪だ。 なお、鳥居の上部はよく見ると一反木綿になっている。 HPを見る限り、まず参拝前に手水舎的な存在である「目玉お…

  • 河崎口駅近くの交通安全地蔵尊

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた粟嶋神社から北東に20分ほど畑と住宅地しかない道を進んでいくと、JR境線の河崎口駅に辿り着く。 そんな河崎口駅近くの踏切の横に鎮座するのがこの交通安全地蔵尊だ。 交通安全地蔵尊 「交通安全地蔵尊」と書かれた石柱の傍に小さな地蔵堂が建っている。 像には「昭和四十二年五月吉日」とあり、今から半世紀以上も前の昭和42年(1967年)に祀られたことが分かる。交通安全地蔵尊は踏切の横という場所からしても、鉄道事故の無いように、そして亡くなった方々を慰霊するために建てられたのではないかと思うが、由緒書等は無いため詳細は不明。 河崎口駅のホームからも、すぐ…

  • 米子市彦名町の粟嶋神社に再訪

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 先日、法事のため山陰地方に行く機会があった。 当日は羽田空港からのフライトだ。 降り立った米子鬼太郎空港の荷物受取場では、目玉のおやじが迎えてくれる。 到着したのは夜だったのでそのままホテルへと直行。 翌日ら朝から4年前にも参拝した粟嶋神社へと向かった。 粟嶋神社は米子駅から車で10分ほど北西に向かった位置にある。 現在でこそ粟嶋は地上から地続きで行くことができるが、宝暦年間(1751年〜1764年)に干拓されるまでは中海の小島であり、参拝者は旧第一鳥居(現在の米子市彦名町1238付近)から小舟で粟嶋へと向かっていたらしい。 標高36mの山の頂上にある社殿に参…

  • 下北沢の庚申堂

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 下北沢駅を出てすぐの場所から南方向には、下北沢南口商店街が伸びている。 そしてその商店街を進んでいくと、今回の目的地が見えてくる。 庚申堂 ちょうど道がY字路のようになっている場所に庚申堂が鎮座している。 由緒書の看板には庚申堂の一般的な解説しか書かれていなかったため、創建年や御祭神は不明だ。 なお、名前はGoogleマップでは「北澤庚申堂」となっているが、現地の看板や扁額には「庚申堂」としか書かれていない。 庚申堂というと一般的には猿田彦大神や青面金剛を祀っていて、堂内には石像や「庚申」と刻まれた石碑が置かれていたりする印象だが、こ…

  • 過去記事の整理・追記などについて その2

    今回は、その1に引き続きブログの記事の整理・追記についての報告。 今回は6つの記事について、内容の改訂や追記を行った。 稲荷山表参道 hayabusa8823.hatenablog.com 稲荷山の表参道の記事は、文章の改訂を行った。 また、最近入手した大鳥居の古写真と文章を追加した。 稲荷山御幸辺 hayabusa8823.hatenablog.com 稲荷山の御幸辺の記事は、上記同様に最近入手した三徳社の古写真と文章を追加した。 稲荷山三ノ峰 hayabusa8823.hatenablog.com 稲荷山の三ノ峰の記事は、同様に下社神蹟の古写真と文章を追加した。 苫小牧駅構内神社 haya…

  • 代田の路地の小さな神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 小田急小田原線の下北沢駅周辺は線路の地下化に伴う再開発により、近年かなりその姿を変化させてきた。 特に東北沢駅〜下北沢駅〜世田谷代田駅の間は、線路跡地が「下北線路街」として整備され、商業施設や広場が誕生している。 そんな線路街を世田谷代田駅方面に歩いていると、線路街と小道が交差する辺りで住宅地の方に立派な門が建っているのが見える。 稲荷神社? 門まで近寄ってみると、その傍に路地に向かって小さな神社が鎮座している事に気が付いた。 鳥居の所に柵が置いてあるため、その手前から拝むしかない。門のある屋敷の邸内社か、或いは町会の神社だろうか。 …

  • 元竹田町の路地の最奥の大神宮

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 八坂神社御手洗井の東、元竹田町を貫くように東洞院通が通っている。 その東洞院通の途中(ちょうど上掲のストリートビューの位置)から、ビルの谷間に向かって路地が伸びている。 そしてその突き当たりに、良く見ると鳥居のようなものが見える。 路地を進んでいくと、やはり奥にあったのは鳥居だったことが分かる。 そしてここが今回紹介する大神宮だ。 大神宮 大神宮については、鳥居の先の入口の壁に掛かる掲示に「大神宮」「御鎮座 明治二十五年」「奉斎日 十月十五・十六日」「元竹田町」と読めるか微妙なかすれ具合で書かれているのみで、それ以外の由緒は分からない。 御…

  • 烏丸通沿いの八坂神社御手洗井

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 地下鉄烏丸線四条駅・阪急京都本線烏丸駅から烏丸通沿いに150mほど北へ行った所に、八坂神社の御手洗井が存在している。 御手洗井 井戸の前に鳥居が建っており、扁額には「八坂神社 御手洗井」とある。 普段は扉を閉じられており、祇園祭の時期の毎年7月15日〜7月24日のみ開放される。掲示によれば、御手洗井はかつては今よりも西側にあったが、明治45年(1912年)3月に烏丸通拡張工事に伴って現在地に移設されたとのこと。 元は祇園社(現在の八坂神社)御旅所の神職の藤井助正の屋敷であり、藤井はこの井戸水を毎朝庭先に祀った牛頭天王社にお供えしていたらしい…

  • 先斗町の路地の狸を祀る社

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 先斗町通の「ますだ」という店の横に先斗町で15番目の路地が伸びていて、そのまま木屋町通まで抜けることができる。 そしてこの路地の途中には、小さな社が鎮座している。 十五大明神 十五大明神はその名の通り十五大明神を祀っている。 十五大明神の神名は先述した15番目の路地に由来するものだろう。この社についてネットで調べた限りでは、十五大明神は狸神であり「そごだいみょうじん」と読むらしい。 路地の入り口にあった「ますだ」が祀っているようで、祀られている狸は火除の狸であるとのこと。 ただ社の辺りに由緒書等は無かったので、その情報が正しいのかは自分には…

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