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  • 港区愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 港区に愛宕山という山がある。 標高は25.7mしかないが、自然地形の山としては都内最高峰となっている*1。 この山は江戸の頃から「伊勢へ七度 熊野へ三度 芝の愛宕へ月参り」(最後は「愛宕様へは月参り」とも)と言われ、多くの錦絵に描かれているほどの人気がある(上の画像は昇亭北寿画『東都芝愛宕山遠望品川海図』)*2。 また明治以降では、『鉄道唱歌』1番の「汽笛一声新橋をはや我汽車は離れたり 愛宕の山に入りのこる月を旅路の友として」という歌詞でも有名だ。 そんな愛宕山には、江戸時代から愛宕神社が鎮座している。 周辺は再開発が進んでいるし、愛…

  • 東京ワールドゲートの葺城稲荷神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は前回の記事で書いた大雄院のすぐ傍の、東京ワールドゲート内の葺城稲荷神社について。 葺城稲荷神社 虎ノ門に、神谷町駅直結の神谷町トラストタワーを中核とした東京ワールドゲートという場所がある。 ここはオフィスや飲食店、ホテル等が揃った森トラストの複合施設だ。 敷地内の「葺城の森」というエリアでは、なんと草木が茂る中を小川が流れていて、都心に居るとは思えないほど静かで良い空間だ。 そんな東京ワールドゲートの一角には、葺城稲荷神社という社が鎮座している。 江戸時代の天和3年(1683年)に円城寺の住職により創建され、妻恋稲荷と称した*1…

  • 神谷町駅近くの大雄院と五塔稲荷神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は神谷町駅すぐの所にある大雄院と、そこに祀られる五塔稲荷神社について。 大雄院 神谷町駅直結の神谷町MTビルの出口の向かい側に、大雄院という寺院がある。 大雄院(道了大薩埵奉安所) 大雄院は文京区の寶林山霊雲寺を総本山とする真言宗霊雲寺派の寺院だ*1。 元々は愛宕神社の「出世の石段」のすぐ横(愛宕1-7-1)にあったが、再開発に伴い令和5年(2023年)5月に虎ノ門3-16-3に遷座、同年10月に現在地に再遷座したらしい*2。 なおHPには「本堂仮移転」とあるので、後々はまた別の場所に遷るものと思われる*3。 さて、そんな大雄院の…

  • 狸穴公園の狸穴稲荷

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は短めの更新で、狸穴公園内にある狸穴稲荷大明神について。 狸穴稲荷大明神 港区は麻布十番から麻布台ヒルズの方へ向かって行くと、道中に噴水のある公園が見えてくる。 これが狸穴公園(まみあなこうえん)だ。 狸穴というのはこの辺りの地名の麻布狸穴町によるが、この狸穴の由来はかつて木立の多い谷だった当地に魔魅(アナグマ)がいたことによるらしい*1。 その一角に、今回参拝した狸穴稲荷大明神が祀られている。 稲荷というだけあって、赤い鳥居が幾つか並んでいる。 由緒等については現地に説明書も無く、調べてもよく分からなかった。 御祭神は、扁額にあ…

  • 佐久間公園の草分稲荷神社と戦災殉難者慰霊碑

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は、公園内にある草分稲荷神社と戦災殉難者慰霊碑について。 草分稲荷神社 秋葉原からJR総武線の高架沿いに東へ歩いていくと、右手に佐久間公園が見えてくる。 この公園の一角にあるのが草分稲荷神社だ。 きちんと綺麗に管理されており、お供物も置かれている。 御祭神は由緒書の掲示によれば宇迦之御魂命だ。 創建年は不明だが、『東京名所図会』によると文政6年(1823年)の年号の入った石鳥居があったようだ*1。 なお、現在地には昭和36年(1961年)に遷座。 『千代田の稲荷』によれば、少なくとも2008年頃には町会により初午祭と餅つき大会が行…

  • 下高井戸駅前市場内の稲荷社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は、下高井戸駅前市場内の稲荷社について。 下高井戸駅前市場 下高井戸は名前こそ知っているが行ったことのない街だったので、ふと訪れてみることにした。 駅の窓からは下高井戸駅前市場が見える。 市場の入口はこのような感じで、いかにもレトロな造りだ。 看板もかなり年季が入っている。 それもそのはずで、この建物は昭和31年(1956年)に建てられたものだ*1。 そんな下高井戸駅前市場だが、なんと今月末で閉鎖になってしまうらしい。 全然この土地と無関係な者ながら何となく寂しい気持ちにはなるが、この先も街の営みが続く為には已むを得ないのかもしれ…

  • 秋葉原の屋上神社(詳細不明)

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに またまた久々のブログ更新。 今回は秋葉原のビルの屋上の神社について。 屋上の神社 ベルサール秋葉原の横を神田明神通りに沿って西へ進むと、箸勝本店がある。 ここは皇室やホテルに箸を納めた実績もある、箸の専門店だ。 因みに元々は初代が後醍醐天皇に付き従って吉野へ向かい、そこで代々材木関連の業務を行っていたらしく、かなり由緒がある*1。 そんな箸勝本店の向かって右隣の土地は、現在絶賛工事中で、建物が解体されて更地になっている。 さて、道路の向こう側からここを見ると、奥の方のビル上に神社が祀られているのが見える。 神社の詳細は分からないが、赤…

  • 稲荷神社のトマソン

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 久々のブログ更新。 本当は秩父の神社の続きを書きたかったが、忙しいのでまたいつか。 今回は短めの更新。 世田谷文学館 さて、世田谷文学館で「江口寿史展 ノット・コンプリ―テッド」を見てきた。 江口先生の描く絵は本当に上手くて、今見ても古く感じないのが本当に凄い。 超芸術トマソン 江口寿史展を見た後は、徒歩で下北沢方面へ。 天気も良く、こんな日は絶好の散歩日和だ。 途中、京王井の頭線東松原駅の近くで祠らしき外観の構造物を発見。 お稲荷さんかお地蔵さんだと思い中を覗くと、そこには何も無かった。 こんなことがあるのだろうか。 これではまるで…

  • 聖観音を祀る松風山音楽寺

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事の椋神社の次は、秩父三十四ヶ所の23番札所の松風山音楽寺へ向かった。 松風山音楽寺 本堂 音楽寺は聖観世音菩薩を御本尊としている。 由緒書の掲示や『新編武蔵国風土記稿』によれば、天長年間(824〜834年)に慈覚大師(円仁)が関東の霊地開拓の際に秩父にも来訪しており、自らの手で彫った観音像を御堂に祀ったことに始まるとされる*1。 音楽寺の名の由来は、秩父札所の開設者が当地の松風を菩薩の奏でる音楽のように感じたことに由来するらしい*2。 なお音楽寺は椋神社と同じく秩父事件所縁の地で、秩父困民党の群衆がこの寺の鐘を鳴らしてから大…

  • 龍勢と秩父事件の地・下吉田の椋神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 令和5年(2023年)7月中旬、西武鉄道に乗って秩父まで行ってきた。 秩父は平成26年(2014年)に大学のゼミ合宿で行って以来なので、実に9年ぶりの再訪だ。 車窓からは高麗駅前の天下大将軍・地下女将軍像も見える。 これらは朝鮮半島の将軍標と呼ばれるものだ。 恐らく高麗駅のある高麗郡が高句麗からの渡来人が住んだことに始まるため、朝鮮半島との所縁ある地として建てられたのだろう*1。 高麗駅の隣の武蔵横手駅では、駅の「やぎの家」などを眺めていた。 そうこうする内に西武秩父駅へと到着。 かつては味わいのある食堂や土産物屋が並んでいた西武秩父…

  • 吉祥寺の東急屋上の吉祥寺観音

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 吉祥寺唯一の百貨店である東急百貨店吉祥寺店。 この東急百貨店の屋上には芝生が敷かれた「太陽の広場」が存在しており、更にその一角に吉祥寺観音という小さなお堂が鎮座している。 吉祥寺観音 吉祥寺観音は不空羂索観世音菩薩を御本尊としている。 創建は昭和34年(1959年)で、当時この場所に建っていた吉祥寺名店会館に祀られたことに始まる。 吉祥寺名店会館は昭和46年(1971年)に閉店・取り壊しとなり、3年後の昭和49年(1974年)に東急百貨店吉祥寺店がオープンした*1。由緒書の看板によれば、埼玉銀行頭取・名栗村村長・参議院議員などを歴任し…

  • 都筑中央公園の一角の茅ヶ崎杉山神社(式内社論社)

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 横浜市営地下鉄センター南駅の北にある都筑中央公園の一角に、茅ヶ崎杉山神社が鎮座している。 茅ヶ崎杉山神社 茅ヶ崎杉山神社 茅ヶ崎杉山神社は少し高い地点にあるので、第一鳥居から社殿の間に階段が伸びている。 茅ヶ崎杉山神社は五十猛命を主祭神とし、合祀祭神として天照皇大神(神明社御祭神)・素戔嗚尊(天王社御祭神)・稲倉魂命(稲荷社御祭神、倉稲魂命)を祀っている。 なお、何故か神奈川県神社庁の神社情報のページでは天照大神のみが御祭神とされている*1。 『新編武蔵風土記稿』によると、神社の創建は白鳳3年(674年)の天武天皇の御代に、天日鷲命の…

  • センター北駅の目の前の大棚・中川杉山神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 横浜市営地下鉄センター北駅のロータリーの目の前に、大棚・中川杉山神社という神社が鎮座している。 ここは武蔵国に多数存在する杉山神社の1つだ。 大棚・中川杉山神社 大棚・中川杉山神社社殿 大棚・中川杉山神社は日本武尊と五十猛命主祭神とし、配神として伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀っている*1。 日本武尊は第12代・景行天皇の皇子にして第14代仲哀天皇の父であり、日本神話における英雄の1人として有名だ。 五十猛命は素戔嗚尊の子で、新羅渡ったり植樹を行ったと伝わる神(詳細は出雲大社神楽殿の記事の天夷鳥命社・荒神社の項目を参照)であり、境内の杉山神社移…

  • 過去記事の整理・追記などについて その3

    今回は、その1に引き続きブログの記事の整理・追記についての報告。 今回は7つの記事について、以下の通り内容の改訂を行った。 月輪山泉涌寺 hayabusa8823.hatenablog.com 皇室の菩提寺である泉涌寺の記事は、山号について追記した。 畝傍山東北陵(神武天皇陵) hayabusa8823.hatenablog.com 神武天皇陵とされる畝傍山東北陵の記事は、文章の改訂を行った。 また、神武天皇の没年などを追記した。 出雲大社 hayabusa8823.hatenablog.com 神代より続くとされる出雲国一宮の出雲大社の記事は、本殿内の御客座や心御柱に祀られる神について追記し…

  • 鳥取島根の旅ラストは出雲大社境外摂社・阿須伎神社(阿式社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回で2022年鳥取・島根巡りの一連の記事もラスト。 また、出雲大社の境内境外摂末社も全て参拝したはずだ。 前回の記事で書いた出雲井社の辺りから、国道431号を2kmほど東へ進み、阿式谷川と交わる所で左折する。 そのまま山に向かって進むと、出雲大社境外摂社にして延喜式内社の阿須伎神社の鳥居が現れる。 阿須伎神社 阿須伎神社 阿須伎神社は別名を阿式社(おとみのやしろ)という*1。 阿須伎神社の創建年は分からないが、延長5年(927年)完成の『延喜式』にも記載のある延喜式内社であり、また天平5年(733年)完成の『出雲国風土記』にも記載のあ…

  • 岐神を祀る出雲大社境外摂社・出雲井社(出雲路社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた乙見社から北東に300〜400mほどの所に、出雲大社境外摂社の出雲井社(いずもいのやしろ)が鎮座している。 出雲井社(出雲路社) 出雲井社は別名を出雲路社(いずもぢのやしろ)という。 現在の社殿は延享元年(1744年)の御遷宮で建てられたものだ*1*2。 なお創建年は不明。御祭神は岐神(くなどのかみ)を祀る。 岐神は塞の神・道路の神(道祖神)とされる*3。 『日本書紀』神代上第5段一書第6では岐神(ふなとのかみ)の名で登場し、伊弉諾尊が黄泉比良坂にて伊弉冉尊への進入禁止の境界として投げた杖から生まれたとされる*4。 同…

  • 川の近くに鎮座する出雲大社境外摂社・大穴持御子玉江神社(乙見社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲市内を走る国道431号沿いに、みせん広場という観光客の為の駐車場がある。 この「みせん」という名は、背後に聳える弥山に由来するものらしい。 広場東側の交差点から南へ向かい、堀川に架かる乙見橋を渡る。 地味な橋だが、橋からの景色は中々良いものだった。 橋を渡り少し進むと、右手に出雲大社境外摂社の大穴持御子玉江神社(おおあなもちみこのたまえのかみのやしろ)が現れる。 大穴持御子玉江神社(乙見社) 大穴持御子玉江神社は別名を乙見社という。 「乙見」の名は、元々この辺りにあり江戸時代に開発された乙見山に由来するものだろうか。大穴持御子玉江神…

  • 日御碕神社の出雲日御碕大神宮教

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 日御碕神社の道路を挟んで向かい側に、出雲日御碕大神宮教の建物が立っている。 出雲日御碕大神宮教 出雲日御碕大神宮教は天照大御神と素盞嗚尊を奉斎し、日御碕神社の御神徳宣揚を目指す教団だ*1。 この建物は扉こそ閉まっているが賽銭箱が置いてあるので、出雲大社北島国造館の御神殿のような施設なのだろうか。 とすれば、神殿に天照大御神と素盞嗚尊を祀るのかもしれない。出雲日御碕大神宮教は元々は日御碕神社神職家の小野氏が明治6年(1873年)に組織した講社であり、後に出雲日御碕教本院、日御碕神社付属講社の名を経て昭和28年(1953年)に宗教法人の出雲…

  • 藪の中の日御碕神社境外末社・立虫神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた日御碕神社御神場御旅所のすぐ近くに、藪の中へと続く道がある。 その先には石階段があるので、これを上って行く。 上まで上がっていくと、社殿が見えてくる。 この小さな社が日御碕神社境外末社の立虫神社だ。 立虫神社 御祭神は少童命(わたつみのみこと)を祀る。少童命はその名の通り海の神だが、神話を読むと色々とややこしい。 恐らく「わたつみ」を冠する海の神が複数存在するという事なのだろう。 『日本書紀』神代上第5段一書第6では、伊奘諾尊・伊奘冉尊の神生みの際に少童命が生まれたとする一方、伊弉諾尊が黄泉国から帰還して禊をする際に底…

  • 日御碕神社の御神場御旅所

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 宇龍漁港から伸びる坂道を上って暫く道なりに歩いて行くと、右手側に柵の置かれた小さな広場のような場所が見えてくる。 日御碕神社御神場御旅所 この場所こそが日御碕神社の御神場御旅所だ。 看板の大意としては(掠れて読みづらいが)、天葺根命が天照大御神を経島に祀った事に始まる夕日の祭において、この場所で天葺根命の神輿を迎えて神事を行うと書かれている。 この夕日の祭というのは神幸神事(みゆきしんじ)の事で、8月7日18時頃に神輿に乗った天葺根命の御魂代が御旅所に到着後、経島に祝詞を奏上し、同時に神職が経島で神事を行うものであるらしい*1。なお経島…

  • ウミネコの島に鎮座する経島神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前々々回の記事の最後に書いた宗像神社から宇龍漁港へ出ると、右手の方に大きな島があるのが見える。 これが経島(ふみしま)だ。 経島神社 観光案内の看板によれば、島名の由来は石英角斑岩の柱状節理がまるで積み重ねたお経の巻物のようだったからとのこと*1。 島名については、経島表記以外にも文島、鴎島、お経島、日置島などと書かれたり呼ばれたりもするらしい*2*3*4。 また冬から初夏にかけてはウミネコの繁殖地として有名で、天然記念物にも指定されている(鴎島の名の由来もウミネコから来ているのだろう)*5。 島には経島神社という日御碕神社の摂社が鎮座…

  • 日御碕神社近くの祖霊社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は、日御碕神社の境内入口手前に鎮座している祖霊社について。 祖霊社 入口の門に「祖霊社」とあるが、由緒書等は無く詳細は不明だ。 位置的には日御碕神社と関係があるのかもしれないが、それも分からない。 もしかすると出雲大社教や出雲教の祖霊社同様に、日御碕神社の教団である出雲日御碕大神宮教の信徒の御霊を祀るのかもしれない*1。 【祖霊社】 住 所:島根県出雲市大社町日御碕381向かい 御祭神:出雲日御碕大神宮教信徒の御霊? 社祠等:無し 創 建:不明 H P:無し 脚注 *1:若原茂ほか編『紀要第43号 宗教法制研究 教憲・教規 神道篇 …

  • 日御碕神社復興の功労者を祀る順式社と詳細不明の稲荷社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 日御碕神社の境内入口の手前、土産物店の左側に順式社と稲荷社が鎮座している。 順式社・稲荷社 順式社 順式社は権大僧都の順式慶雄和尚を祀る。 順式和尚は江戸時代の僧で、日御碕神社の神職である小野氏第82代・小野政久の孫だ。 順式和尚は戦国時代に荒廃した日御碕神社の復興を幾度も江戸幕府に請願し続け、遂に徳川家光の時代に至って幕府の支援により日御碕神社の復興を成し遂げたという重要な人物だ。 現在でも、日御碕神社の上下本殿はこの時の造営のものとなっている。 順式和尚は貞享2年(1685年)に81歳で亡くなったとのことなので、それ以降にこの社が建…

  • 日御碕神社の数多の摂末社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は前回の記事の続きで、日御碕神社の境内摂末社について書いていく。 前回同様日御碕神社のマップは、由緒書の掲示に載っていた上掲のものが分かりやすかった。 (※画像が粗い場合は、クリックした先で「オリジナルサイズを表示」を選ぶと大きいサイズが表示される。) 日御碕神社境内社 門客神社 日沉宮へ向かう参道の楼門を越えた先の左右に門客神社が鎮座している(写真を撮り忘れたので画像は無い)。 御祭神はそれぞれ櫛磐間戸神と豊磐間戸神を祀っている。 『古事記』では邇邇芸命(瓊瓊杵命)の天孫降臨に付き従った門の守護神である天石門別神(あめのいわとわけ…

  • 出雲日御碕灯台と日御碕神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 日本海に面した島根半島の西端に、日御碕(ひのみさき)という風光明媚な岬がある。 古くは『梁塵秘抄』において聖が住むと詠まれた土地だが、この清らかで美しい岬を見ると確かに昔の人が聖の住まいと思ったのも頷ける*1。 この岬では、白亜の塔が潮風を受けながら、その巨躯を青空へと突き刺している。 その名を、出雲日御碕灯台という。 灯台の真横は断崖絶壁になっているが立入禁止ではなく、誰でも崖まで行くことができる。 間違っても躓いたり、一歩でも足を滑らせれば海の藻屑となるのは間違い無しだ。 崖から海を覗き込めば、そこには絵画に描かれるような青海原に白…

  • 港町の出雲大社境外摂社・大穴持伊那西波岐神社(伊奈西波岐神社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた三歳社の横の山道を、峠を越えて海に出るまでひたすら突き進むと、そのうち鷺浦という静かな港町に出る。 鷺浦は、かつては北前船の港として賑わっていたらしい*1。 そんな鷺浦には、出雲大社の境外摂社の大穴持伊那西波岐神社(おおなもちいなせはぎのやしろ)が鎮座している。 大穴持伊那西波岐神社 随神門 参道を進み、手水舎を超えた辺りに随神門が建っている。 随神門の内部の両側には祠が納められている。 恐らくこの中に随神像が祀られているのだろう。 大穴持伊那西波岐神社社殿 随神門を抜けて進んで行くと立派な拝殿がある。 そして拝殿後方…

  • 山の中の出雲大社境外摂社・大穴持御子神社(三歳社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲大社と神楽殿の間には素鵞川が流れている。 この川をから上流に向かうと、山の中に出雲大社の境外摂社・大穴持御子神社(おおなもちみこのかみのやしろ)が鎮座している。 大穴持御子神社(三歳社) 大穴持御子神社は別名を三歳社というらしい。 御祭神は高比売命・事代主神・御年神の3柱を祀っている。 高比売命は別名を下照姫や稚国玉といい、大国主大神と多紀理毘売命との子神で、天稚彦の妻とされる*1*2*3。 事代主神は大国主大神の子神(母神は『日本書紀』では記載無し、『古事記』では神屋楯比売命、『旧事紀』では高津姫神)で、国譲りの際に天照大御神に従…

  • 稲佐の浜の弁天島に鎮座する沖御前神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲大社から西へ進むと海に出るが、この海岸の砂浜は「稲佐の浜」と呼ばれている。 沖御前神社 稲佐の浜は『日本書紀』では「五十狭狭の小汀」「五十狭田の小汀」、『古事記』では「伊那佐の小浜」、『旧事紀』では「五十狭田の小汀」として登場し、国譲りの舞台となっている*1*2*3。 更に『出雲国風土記』にて語られる国引き際に使われた綱である「薗の長浜」ともされている*4。 神在月には神迎神事(その名の通り出雲に訪れた神々を出迎える神事)も行われる、出雲大社にとっても重要な海岸だ*5。 そんな稲佐の浜に、弁天島という島が浮かんでいる。 正確に言えば…

  • 駐車場の中の水神碑

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた松江杵築往還を進んでいくと丁字路に突き当たるので、右に曲がる。 そこから進んで行くと、右側に仮之宮公会堂という集会所の建物が見えてくる。 そして公会堂の向かい側には小さな駐車場が存在している。 水神碑 その駐車場の一角の塀の陰の気付きにくい場所に、水神碑が祀られている。 石碑の周りに由緒書等は無く、詳しいことは分からない。 目の前に覆い屋根の付いた構造物があるが、もしかするとこれは井戸で、その井戸を守る水神様なのかもしれない。 【水神碑】 住 所:島根県出雲市大社町杵築北仮之宮2808 御祭神:水神 社祠等:無し 創 …

  • 安養寺墓地に祀られる地蔵尊らしき石仏

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前々回の記事で書いた十王堂から道路を渡った向かい側に、墓地(市営の安養寺墓地というらしい)の横を通る小道がある。 実はこの小道は因佐神社の記事や大歳社の記事でも触れた、松江杵築往還という道の一部であるらしい(大歳社からこの小道までは国道431号と重なっているようだ)。 そんな松江杵築往還に沿って幾つかの帝国陸軍の兵隊さんの立派な墓石が並んでおり、その間に石仏が祀られている。 地蔵尊? 祀られている石仏は墓石に比べるとかなり小さく、よく見ていないと見落としてしまいそうだ。 見たところ地蔵尊のようだが、由緒書等は無いため詳細は分からない。 …

  • 玉依姫命を祀る八大荒神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた十王堂の右横に石鳥居と階段がある。 これが八大荒神社だ。 八大荒神社 八大荒神社社殿 八大荒神社の社殿はかなり立派で、出雲らしく太い注連縄も取り付けられている。 これだけ立派な神社ということは、この周辺の地区を氏子としているのかもしれない。 今回行った時には由緒書の掲示も無く、全く詳細が分からなかった。 しかしGoogleマップでストリートビューを見ると、少なくとも令和元年(2019年)までは入口の鳥居の横に由緒書の掲示が立てられていたらしいことが分かる。 また、Googleマップに他の人が上げていた由緒書の写真によれ…

  • 元・出雲大社境内堂宇の十王堂

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた大歳社から東に50mほど行った奉納山の麓に、十王堂という堂宇が鎮座している。 十王堂 十王堂にはその名の通り十王の像が祀られている。 十王とは人の死後にその罪を裁く役割を負った10尊を指す。 十王の面々は由緒書によると、秦廣王・初江王、宗帝王・五官王・閻魔王・変成王・太山王・平等王・都市王・五道転輪王の10尊で、それぞれ本地仏は不動明王・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・弥勒菩薩・薬師如来・観世音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀如来となっている。 なお十王堂に祀られている十王像は旧・大社町(平成17年(2005年)に出雲市…

  • 出雲大社境外末社の大歳社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた上宮から松江杵築往還を50mほど東へ進むと、大歳社が右手側に鎮座している。 なおこの記事を書いている2022年2月22日現在、Googleマップのマーカーは位置がずれてしまっているのが残念だ。 大歳社 大歳社は出雲大社の末社だ。 御祭神はその名の通り大歳神を祀っている。 大歳神は『古事記』によれば素戔嗚尊の子であり、宇迦之御魂神の兄だ*1 *2。 五穀豊穣を司る神とされる。なお更に詳細な情報はないかと『出雲大社由緒略記』を確認したが、特にこれ以上の情報は無かった*3。 【大歳社】 住 所:島根県出雲市大社町杵築北296…

  • 神在月の神議の場となる出雲大社摂社・上宮(仮宮)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前々回の記事で書いた下宮から東へ向かう道(この道は前回の記事冒頭に書いた道と一続きで「松江杵築往還」という名前らしい)を進むと、上社の立派な社殿が左側に現れる。 上宮(仮宮) 随神門 上宮は随神門を備えている。 門の内側には格子がありその向こうに扉が見える。 この中に随神像が祀られているのだろう。 上宮社殿 上社は出雲大社の摂社となっている。 社殿は拝殿と本殿が建つ。御祭神は素戔嗚尊と八百万神を祀る。 神在月(陰暦10月)には出雲大社本社及びこの上宮にて神在祭が行われ、全国の神々が一堂に会する。 この際に上宮では神議り(かむはかり、神々…

  • 国譲りの地・屏風岩と出雲大社境外摂社・因佐神社(速玉社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた下宮の前の道(松江杵築往還というらしい)をまっすぐ進んで行くと、右側に屏風岩が見えてくる。 屏風岩 屏風岩は大国主大神と建御雷神が国譲りについて話し合いをしたと伝えられる地だ。 この岩についての伝承がいつ頃からあるのかは分からないが、出雲が神話と地続きの地なのだということを改めて実感させられた。 ……のだが、よくよく考えると『古事記』に屏風岩が登場するシーンはあっただろうか。 試しに手元にある岩波文庫の『古事記』をめくってみると、国譲りの冒頭の場面では大国主大神は子神の八重言代主神の意見を聞くようにという事しか言ってい…

  • 稲佐の浜近くの出雲大社末社・下宮

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲大社から西に約1km、稲佐の浜に程近い住宅地の路地に面して、下宮という神社が鎮座している。 下宮 下宮は出雲大社の末社だ。 御祭神は素戔嗚尊の姉にして皇室祖神の天照大御神を祀る。この社については現地の看板を見ても祭日くらいしか新しい情報は無く、出雲大社のHPを見てもさしたる情報はない*1。 『出雲大社由緒略記』も確認したが位置や御祭神が書かれているのみで、やはり詳細はよく分からなかった*2。 【下宮】 住 所:島根県出雲市大社町杵築北2963横 御祭神:天照大御神 社祠等:無し 創 建:不明 H P:出雲大社HP「摂末社」 脚注 *…

  • 身逃神事で有名な湊社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲大社から3kmほど南の出雲市大社町中荒木に、八通山というそれなりに大きな山林がある*1。 この八通山の東側の住宅と畑が多い辺りに湊社はある。 湊社 湊社(みなとのやしろ)は出雲大社の境外摂社で、御祭神は櫛八玉神を祀る。 櫛八玉神は水戸神(速秋津日子神・速秋津比売神)の孫で、大国主大神の国譲りの際に大国主大神を祀る宮殿の調理を司った神とされる*2。湊社は、火継式(新国造就任の際の儀式)終了後に出雲国造が参拝したり、毎年8月14日に行われる神幸祭の身逃神事の際に禰宜が参拝することでも知られている*3。 身逃神事は禰宜が大国主大神の供奉と…

  • 大社駅の名残の駅前稲荷神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 出雲大社の一の鳥居(宇迦橋の大鳥居)から川を渡り真っ直ぐ南へ歩いていくと、酒屋さんの横の小道の先に神社が建っているのが見える。 駅前稲荷神社 この路地の先にあるのは駅前稲荷神社だ。 出雲市HP内の「出雲市の伝統芸能」というページの解説によれば、昭和5年(1930年)に岡山県の最上稲荷(最上稲荷山妙教寺)から最上稲荷大明神を勧請したことに始まるという*1。 実際、鳥居の前には駅前稲荷勧請記念の昭和5年の記念碑が建っている。 なお、神社名の「駅前」とは、かつてこの近くにあった省線大社線の大社駅の駅前という意味だ。 出雲大社の記事でも紹介した…

  • 出雲大社前駅近くの馬場氏神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 一畑電車の出雲大社前駅から100mほど北、神門通りに面して写真館と蕎麦屋が並んで建っている。 その間の道を真っ直ぐ進んで行くと、右側に馬場氏神社が見えてくる。 馬場氏神社 馬場氏神社社殿 石鳥居の向こう側に馬場氏神社の社殿が建っている。 なお社殿は戸が閉められており、中の様子を窺い知ることもできない。馬場氏神社の由緒等に関しては、全くもって不明だ。 境内に由緒書の掲示も無ければ、インターネットにも情報が載っていない。 名前だけ見ると馬場氏なる一族の氏神を祀るのかもしれないが、その馬場氏が何者かも分からない。 出雲惠美須神社、出雲御國稻荷…

  • 茂みの中の水神碑

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 千家国造館から祖霊社方面に伸びる道を真っ直ぐ進んで蕎麦屋の前の交差点を渡る。 更に少し進んで右手側の住宅の塀に貼られた酒屋さんの広告看板を過ぎた辺りに、水神の石碑が祀られている。 水神碑 この水神碑は「出雲國造公御墓處」の看板が付いた電柱の横の植木の茂みの中にあり、パッと見では気付きにくい。この水神碑に関する由緒等は全く不明だ。 かつてこの場所に井戸があったのか、或いは何処か別の場所から移設したのかもしれない。 【水神碑】 住 所:島根県出雲市大社町杵築東500横 御祭神:水神 社祠等:無し 創 建:不明 H P:無し 脚注

  • 薬師谷川沿いの本郷荒神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた佐草稲荷神社から南東に少し歩いていくと、小さな川(薬師谷川というらしい)があるので左折する。 川沿いに100mほど進むと、木の鳥居が見えてくる。 ここが本郷荒神社だ。 本郷荒神社 本郷荒神社の歴史等については、由緒書の掲示が無いためよく分からない。御祭神は、島根県神社庁のHPによると素盞嗚尊・奥津彦命・奥津姫命・土祖命の4柱を祀る*1。 素戔嗚尊は言うまでもなく伊弉諾尊・伊弉冉尊の子神で、出雲大社に祀られる大国主大神の父神(又は一説に大国主大神の6代前/7代前の祖神とも)だ。 奥津彦命・奥津姫命・土祖神は3柱とも大年神…

  • 朱の鳥居が並ぶ佐草稲荷神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた若宮社から南東に道なりに100mほど進んだところに、佐草稲荷の朱の鳥居が見える。 道が2本あってそれぞれに鳥居が立てられているのは伏見稲荷の奥宮〜奥社奉拝所間の千本鳥居を模したのだろうか。 佐草稲荷神社 佐草稲荷神社については、境内に由緒書の掲示も無く、扁額もないため詳細は分からない。 神社名についてもGoogleマップには佐草稲荷神社と書かれているが、現地では特に名前が書かれたものは見当たらなかった。 ただ、社殿の手前に狐の像が多数置かれていたので稲荷社であることは確かなようだ。 御祭神も稲荷大神を祀るのだろうと思わ…

  • 路地の先の若宮社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた真名井前の道の更に先の道(北島国造館〜真名井までは社家通りと呼ばれているが、そこから先の道がどう呼ばれているかは不明)を東に進んでいくと、民家の間に社へと続く細い路地が伸びている。 若宮社 路地の先の階段を上ると、小ぢんまりとした社殿が建っている。 これが若宮社という神社らしい。 ただ、神社名に関しては現地に由緒書の掲示がある訳でもなく、扁額が付けられている訳でもない。 だが、平成24年(2012年)の神話博しまねのHPの地図では若宮社と書かれているので、今回はそれに従った(Googleマップでも若宮社となっている)*…

  • 古来より名高き真名井の清水

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた命主社から東に200mほど社家通りを進むと、真名井の清水という水が湧き出る場所がある。 真名井 真名井は古くから清水の湧き出る場所だ。 江戸時代の儒者・黒沢石斎による『懐橘談』という地誌でも、出雲大社境内の3つの井戸として、鶏卵井(御供物を炊くのに使われていたらしい。現状不明)や御手洗井(拝殿近くに現存)と並んで真名井が記されている*1。 そもそも『懐橘談』が伝えるところによれば(江戸時代に伝わっていた話としては)、天照大御神と素戔嗚尊の誓約の際に剣を濯いだ際の場所も、この真名井であるという*2。 ここから湧く水は、昭…

  • 神皇産霊神を祀る神魂伊能知奴志神社(命主社)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた北島国造館前の社家通りを東へ100mほど進む。 すると左側に境内への入口が見えるので、そこから参道へ。 参道を行くと、社殿が見えてくる。 神魂伊能知奴志神社(命主社) 神魂伊能知奴志神社社殿 神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ、現地の由緒書の掲示では「かみむすびいのちぬしのやしろ」)は通称を命主社(いのちのぬしのやしろ)という。 延喜式内社で、御祭神はその名の通り神皇産霊神(かみむすびのかみ)を祀る。 神皇産霊神は天地開闢の際に現れた造化三神の1柱であり、大国主大神が八十神の謀略で命を落とした際には…

  • 出雲大社北島国造館に参拝

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 新年明けましておめでとうございます。 今年も沢山記事を更新していく所存ですので、何卒よろしくお願いします。 今回は出雲大社の東側にある出雲大社北島国造館の御神殿と、その境内社について。 出雲大社北島国造館 出雲大社の東側に北島家の敷地が広がっており、北島国造館として開放されている。 天穂日命後裔の出雲国造は元々一つの一族だったが、南北朝時代に分裂した際に一方が北島国造家、もう一方が千家国造家となった。元々北島国造館は出雲大社後方の八雲山の麓にあったが、出雲大社寛文御造営に伴う境内拡張のため寛文4年(1664年)に現在地に移転したとのこと…

  • 出雲大社教祖霊社と都稲荷社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた千家國造館の近くに、出雲大社教祖霊社と都稲荷社が鎮座している。 出雲大社教祖霊社 祖霊社社殿 祖霊社の境内入口には両脇に「萬古之命脈」「千古之祖心」の石柱が立てられている。 祖霊社の社殿前にも石柱が立てられており、「敬神崇祖」「報本追遠」と刻まれている。由緒書の掲示によれば、祖霊社は明治6年(1873年)に鎮座した社だ。 御祭神は出雲大社教信徒の祖先と代々の霊神を祀る。出雲大社に祀られる大国主大神は幽界を司る神でもあり、幽冥主宰大神(ゆうめいしゅさいのおおかみ)とも呼ばれる。 この祖霊社は、死んだ人々の御魂は幽冥主宰大…

  • 出雲大社神楽殿と千家國造館

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた出雲大社の続き。 今回は本殿の西側から境外に出て、素鵞川を渡った隣接地にある神楽殿などについて。 祓社 神楽殿前の手前には祓社が鎮座している。 出雲大社の下り参道にある祓社のと同様に、瀬織津比咩神・速開都比咩神・気吹戸主神・速佐須良比咩神の4柱を祀っている。 こちらの祓社は平成26年(2014年)に創建された新しい社だ*1。 金刀比羅宮 祓社の左側には金刀比羅宮が鎮座する。 御祭神は大物主神で、この神は大国主大神の幸魂・奇魂のこととされている。 漁業や航路安全に御利益があるとされている。 神楽殿 神楽殿は広さ270畳も…

  • 神代より続く出雲大社に参拝

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 「海、山、旅のドラマは米子駅から」ということで、米子駅から山陰本線を行く特急やくも号に乗車。 因みに今回の検札印は、伯備線電化40周年記念の記念スタンプになっていた。 出雲市駅からは電鉄出雲市駅へ向かい、一畑電車に乗車。 小さな電車は北松江線〜大社線へと直通で進んで行く。 20分弱で出雲大社前駅へと到着した。 出雲大社前駅を出ると参道が伸びており、神域入口の鳥居に至るまでは道路の両側に土産物屋や飲食店がズラリと並んでいる。 その途中、俵屋という和菓子店で大国様が腰掛ける俵を模った「俵まんぢう」が売られていたので買ってみた。 これが甘すぎ…

  • 皆生温泉の氏神・皆生温泉神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事に続き、皆生温泉にて。 皆生温泉の一角、皆生風雅というホテルの隣に皆生温泉神社が鎮座している。 皆生温泉神社 皆生温泉神社社殿 皆生温泉神社はその名の通り皆生温泉一帯の氏神だ。 御利益は長寿や家庭円満であるらしい*1。御祭神は、境内の掲示によれば大国主命を祀る。 また「伯耆ふるさと伝承プロジェクト」によれば、貴布禰神も祀られているらしい*2。 なお創建は昭和2年(1927年)で、有本松太郎(皆生温泉の開発に尽力した鳥取県議会議員)により建立されたとのこと*3。 境内に社務所は無いため、御守や絵馬は近くの別の場所で売られている。…

  • 皆生温泉の旧湯薬師(遷座)

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 皆生温泉(かいけおんせん)は米子市中部の海沿いにある。 明治時代に開かれた比較的新しい温泉郷ながら立派な施設が立ち並んでおり、目の前の浜は海水浴シーズンになると人で賑わう。 そんな温泉街に神社らしき建造物を見かけたので、ホテルに泊まった翌朝に散歩がてら見に行ってきた。 旧湯薬師 旧湯薬師 貼紙を見て分かったが、これは神社ではなく薬師堂の跡地だった。 ここには湯薬師と呼ばれる薬師如来が祀られていたが、平成20年(2008年)におーゆ・ランドという近くの温存施設に遷座してしまった。 なお、OUランドのHPでは湯薬師が現在どのように祀られてい…

  • 米子駅近くの塩町大師堂と荒神社

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 米子駅から500mほど北西へ行くと塩町という地区があり、その交差点に面した一角に塩町大師堂が鎮座している。 塩町大師堂/荒神社 ここには塩町大師堂と荒神社が並んでいる。 見たところ、自治会が管理しているものと思われる。 どちらも綺麗に手入れされており、地域の崇敬の篤さが伺える。 塩町大師堂 塩町大師堂には2尊の石仏が祀られている。 1尊は大師堂の名の通り弘法大師が祀られている。 もう1尊については、米子商工会議所の「米子・加茂川 地蔵さん巡り」のHPには塩町地蔵が塩町大師堂に祀られている旨の記載があるので、恐らく地蔵尊なのだろう*1。 …

  • 米子市中心部近くの本教寺

    山陰山陽記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 米子市中心部から西へ行くと、寺町という寺院が密集している地区がある。 その寺町に隣接する地区に岩倉町という地区があり、ここにも2つの寺院が鎮座している。 そのうちの1つが本教寺だ。 なお今回は法事で行ったため、写真は1枚しか撮る暇が無かった。 覚応山 本教寺 本教寺は日蓮宗寺院なので、大曼荼羅を御本尊としている。 また、大曼荼羅の前には日蓮聖人の像も祀られている。『米子市史』によれば、元は吉川元春家臣の古曳吉種(後に米子城主、文禄の役で戦死)が母の供養のために飯山砦内に造営した、日窓上人を開基とする浄昌寺という寺院だったとのこと*1。 …

  • 加茂川沿いの延命院地蔵

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに ひょうたん小路地蔵から北に500mほど歩いた辺りの加茂川沿いに、延命院地蔵を祀った地蔵堂が鎮座している。 延命院地蔵 地蔵堂には石仏が3尊並んで祀られている。 恐らくどれも地蔵尊ではないかと思われる。 延命院地蔵というだけあり、延命に御利益があるようだ。材質は「米子・加茂川地蔵さん巡り」のHPによれば、黒凝灰岩で造られているらしい*1。 地蔵堂の横には「梅の宮」と書かれた石碑が置かれているが、詳細は不明だ。 また記事冒頭の写真にも少しだけ写っているが、この地蔵堂の近くには大正15年(1926年)に当時の米子町により設置された水管橋が現存していて、米子市指定有形…

  • 米子駅近くのひょうたん小路地蔵

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 水木しげるロードから戻った翌日は、米子駅近くのホテルを出て少し散歩してみた。 ひょうたん小路地蔵 米子駅から北へ500mほど行った辺りに小道があり、その道沿いに地蔵堂が鎮座している。 ここは「ひょうたん小路地蔵」と呼ばれていて、安産や悪疫退散に御利益がある地蔵堂だ。 毎年8月23日は地蔵盆で、その翌日には5mの大数珠を回しながら百万遍念仏が行われているとのこと*1。中を見てみると中央に金色の仏立像、右側には少し大きめの石仏とその前に3尊の小さな石仏、左側には石仏が収められた逗子と金色の仏立像が収められた逗子がある。 米子商工会議所の「米子・加茂川 地蔵さん巡り…

  • 大港神社再訪〜米子駅(仮駅舎)

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いたゲゲゲの妖怪楽園を満喫した後は、水木しげるロードの1本北側の通りに面して鎮座している大港神社に参拝した。 こちらも4年ぶりの参拝だ。 大港神社 随神門 まず境内に入ってすぐの所に随神門があり、左右に随神が祀られている。 像の前にはきちんと賽銭箱も置かれている。 大港神社社殿 創建年は不詳とされるが、少なくとも慶安2年(1649年)の棟札が存在している*1。 また大正4年(1915年)の『境港沿革史』には鎌倉右大将家(鎌倉将軍家)の勧請であるという伝承が載っているが、これが事実なら鎌倉時代の創建ということになる*2。 また、かつては大港神社では…

  • ゲゲゲの妖怪楽園と永禄塚

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた日ノ出広場近くで昼食を食べた後、水木しげるロードへと戻った。 水木しげるロードは様々な妖怪の像が立っていて、見ているだけで中々楽しい(上の写真は個人的に気に入っている瀬戸大将の像だ)。 ゲゲゲの妖怪楽園と永禄塚 ゲゲゲの妖怪楽園 水木しげるロードから水木しげる記念館の傍の小道に入り、少し行った場所(位置的には水木しげる記念館の隣接する真北)に「ゲゲゲの妖怪楽園」というテーマパークがある。 ここは『ゲゲゲの鬼太郎』にフィーチャーした施設で、売店ではここでしか買えないグッズや飲食物もある(『鬼太郎』以外にも、『河童の三平』関連のものもある)。 今…

  • 日ノ出広場近くの石碑・石仏

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた水木しげる記念館の100mほど南に日ノ出広場という公園がある。 この公園には巨木が立っており、Googleマップでは「妖木の公園」とすら書かれている。 実際、この公園では「ゲゲゲの鬼太郎 ゲタ飛ばし大会」というゲタ飛ばしを競う大会も開かれている。その公園とすぐ傍の市営日ノ出駐車場の間くらいに、幾つかの石碑と石仏がある。 さんこの碑 まず、さんこの碑が左側に立っている。 石碑裏面によると「さんこ」は今から260年ほど前に実在したという女性で、この女性が即興で口ずさんだ歌が後に境港の伝統芸能の『境さんこ節』になったということらしい。 鳥取伝統芸能…

  • 妖怪神社と水木しげる記念館再訪

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた通り、JR境線河崎口駅から子泣き爺列車に乗り、終点の境港駅まで来た。 境港駅には鬼太郎駅の愛称が付いている。 流石に水木しげる先生が育った地だけあって、其処彼処に水木作品関連のものがある。 駅前には執筆中の水木先生の像もある。 そして駅前から東に向かって、妖怪像が無数に立つ「水木しげるロード」と名付けられた道が伸びている。 妖怪神社 そんな水木しげるロードに面して、妖怪神社が鎮座している。 妖怪神社は2019年以来、4年ぶりの再訪だ。 なお、鳥居の上部はよく見ると一反木綿になっている。 HPを見る限り、まず参拝前に手水舎的な存在である「目玉お…

  • 河崎口駅近くの交通安全地蔵尊

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた粟嶋神社から北東に20分ほど畑と住宅地しかない道を進んでいくと、JR境線の河崎口駅に辿り着く。 そんな河崎口駅近くの踏切の横に鎮座するのがこの交通安全地蔵尊だ。 交通安全地蔵尊 「交通安全地蔵尊」と書かれた石柱の傍に小さな地蔵堂が建っている。 像には「昭和四十二年五月吉日」とあり、今から半世紀以上も前の昭和42年(1967年)に祀られたことが分かる。交通安全地蔵尊は踏切の横という場所からしても、鉄道事故の無いように、そして亡くなった方々を慰霊するために建てられたのではないかと思うが、由緒書等は無いため詳細は不明。 河崎口駅のホームからも、すぐ…

  • 米子市彦名町の粟嶋神社に再訪

    社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 先日、法事のため山陰地方に行く機会があった。 当日は羽田空港からのフライトだ。 降り立った米子鬼太郎空港の荷物受取場では、目玉のおやじが迎えてくれる。 到着したのは夜だったのでそのままホテルへと直行。 翌日ら朝から4年前にも参拝した粟嶋神社へと向かった。 粟嶋神社は米子駅から車で10分ほど北西に向かった位置にある。 現在でこそ粟嶋は地上から地続きで行くことができるが、宝暦年間(1751年〜1764年)に干拓されるまでは中海の小島であり、参拝者は旧第一鳥居(現在の米子市彦名町1238付近)から小舟で粟嶋へと向かっていたらしい。 標高36mの山の頂上にある社殿に参…

  • 下北沢の庚申堂

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 下北沢駅を出てすぐの場所から南方向には、下北沢南口商店街が伸びている。 そしてその商店街を進んでいくと、今回の目的地が見えてくる。 庚申堂 ちょうど道がY字路のようになっている場所に庚申堂が鎮座している。 由緒書の看板には庚申堂の一般的な解説しか書かれていなかったため、創建年や御祭神は不明だ。 なお、名前はGoogleマップでは「北澤庚申堂」となっているが、現地の看板や扁額には「庚申堂」としか書かれていない。 庚申堂というと一般的には猿田彦大神や青面金剛を祀っていて、堂内には石像や「庚申」と刻まれた石碑が置かれていたりする印象だが、こ…

  • 過去記事の整理・追記などについて その2

    今回は、その1に引き続きブログの記事の整理・追記についての報告。 今回は6つの記事について、内容の改訂や追記を行った。 稲荷山表参道 hayabusa8823.hatenablog.com 稲荷山の表参道の記事は、文章の改訂を行った。 また、最近入手した大鳥居の古写真と文章を追加した。 稲荷山御幸辺 hayabusa8823.hatenablog.com 稲荷山の御幸辺の記事は、上記同様に最近入手した三徳社の古写真と文章を追加した。 稲荷山三ノ峰 hayabusa8823.hatenablog.com 稲荷山の三ノ峰の記事は、同様に下社神蹟の古写真と文章を追加した。 苫小牧駅構内神社 haya…

  • 代田の路地の小さな神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 小田急小田原線の下北沢駅周辺は線路の地下化に伴う再開発により、近年かなりその姿を変化させてきた。 特に東北沢駅〜下北沢駅〜世田谷代田駅の間は、線路跡地が「下北線路街」として整備され、商業施設や広場が誕生している。 そんな線路街を世田谷代田駅方面に歩いていると、線路街と小道が交差する辺りで住宅地の方に立派な門が建っているのが見える。 稲荷神社? 門まで近寄ってみると、その傍に路地に向かって小さな神社が鎮座している事に気が付いた。 鳥居の所に柵が置いてあるため、その手前から拝むしかない。門のある屋敷の邸内社か、或いは町会の神社だろうか。 …

  • 元竹田町の路地の最奥の大神宮

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 八坂神社御手洗井の東、元竹田町を貫くように東洞院通が通っている。 その東洞院通の途中(ちょうど上掲のストリートビューの位置)から、ビルの谷間に向かって路地が伸びている。 そしてその突き当たりに、良く見ると鳥居のようなものが見える。 路地を進んでいくと、やはり奥にあったのは鳥居だったことが分かる。 そしてここが今回紹介する大神宮だ。 大神宮 大神宮については、鳥居の先の入口の壁に掛かる掲示に「大神宮」「御鎮座 明治二十五年」「奉斎日 十月十五・十六日」「元竹田町」と読めるか微妙なかすれ具合で書かれているのみで、それ以外の由緒は分からない。 御…

  • 烏丸通沿いの八坂神社御手洗井

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 地下鉄烏丸線四条駅・阪急京都本線烏丸駅から烏丸通沿いに150mほど北へ行った所に、八坂神社の御手洗井が存在している。 御手洗井 井戸の前に鳥居が建っており、扁額には「八坂神社 御手洗井」とある。 普段は扉を閉じられており、祇園祭の時期の毎年7月15日〜7月24日のみ開放される。掲示によれば、御手洗井はかつては今よりも西側にあったが、明治45年(1912年)3月に烏丸通拡張工事に伴って現在地に移設されたとのこと。 元は祇園社(現在の八坂神社)御旅所の神職の藤井助正の屋敷であり、藤井はこの井戸水を毎朝庭先に祀った牛頭天王社にお供えしていたらしい…

  • 先斗町の路地の狸を祀る社

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 先斗町通の「ますだ」という店の横に先斗町で15番目の路地が伸びていて、そのまま木屋町通まで抜けることができる。 そしてこの路地の途中には、小さな社が鎮座している。 十五大明神 十五大明神はその名の通り十五大明神を祀っている。 十五大明神の神名は先述した15番目の路地に由来するものだろう。この社についてネットで調べた限りでは、十五大明神は狸神であり「そごだいみょうじん」と読むらしい。 路地の入り口にあった「ますだ」が祀っているようで、祀られている狸は火除の狸であるとのこと。 ただ社の辺りに由緒書等は無かったので、その情報が正しいのかは自分には…

  • 小さな四ッ目地蔵尊

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 祇園近辺、八坂神社へ向かう四条通から1本北へ行った所にある富永町通のT字路の辺りに四ッ目地蔵尊が鎮座している。 四ッ目地蔵尊 四ッ目地蔵尊はとても小さな地蔵尊だ。 小ぢんまりした石のお堂の奥に、小さな石仏が置かれている。 残念ながら、暗いので像容はよく見えない。 花などはきちんと供えられているので管理している人がいるのだろう。 【四ッ目地蔵尊】 住 所:京都府東山区祇園町北側340 御本尊:四ッ目地蔵尊 社祠等:無し H P:無し 脚注

  • 伝説の妖怪・鵺を祀る鵺大明神

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 杉春稲荷から北に1kmほど歩いて行くと、二条城を超えた辺りに二条公園という広い公園がある。 その公園の北側の一番端に鵺大明神の社と、地蔵堂らしきお堂が祀られている。 鵺大明神 鵺大明神社殿 鵺大明神の創建は昭和に入ってからと比較的新しく、二条公園が造成された際に同時に創建されたとのこと*1。 現在の管理がどうなっているかは不明だが、京都新聞社が出した『京都・伝説散歩』と言う本によれば、本の元になった記事が連載されていた昭和45年(1970年)当時は社の周辺の5つの町で1年交代の当番制で管理していたらしい*2。 鵺大明神の社には、鵺大明神・玉…

  • 路地の奥の杉春稲荷

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 長野辨財天と同じ壬生馬場町にある路地の奥に、杉春稲荷という社が鎮座している。 ちょうど後院通から坊城通に入って3つ目の路地の奥だ。 杉春稲荷 杉春稲荷はとても小ぢんまりとしている。 もし周囲を気にして歩いていなければ、気付かずに見落としてしまいそうなほどだ。 狛狐の台座に「町内安全」とあるので、町会が管理しているものと思われる。扁額には杉春大神の名が見えるが、これが御祭神なのだろう。 由緒書等は無いため詳細は不明だが、石柱には「杉春稲荷」と刻まれており、また狛狐や白狐像も置かれていることからしても稲荷信仰の社なのが分かる。「杉」から始まる神…

  • 壬生馬場町の住宅地の中の長野辨財天

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 武信稲荷神社の100mほど南西の住宅地の中に、長野辨財天が鎮座している。 長野辨財天 扁額を見る限り、この社には長野辨財天と福丸大明神と春𠮷大明神の3柱が祀られている。 由緒書等は無いので詳細については不明だ。 社殿前に桶が整然と置かれていることからも、きちんと管理されていることが分かる。 もしかすると町会で管理しているのかもしれない。長野辨財天は名前からして弁財天ということだけは分かる。 福丸大明神は詳細不明で、上賀茂舟着町に同名の御祭神を祀る社があるようだが関連は不明。 春𠮷大明神も詳細不明で、折上稲荷神社の境内に同名の御祭神が祀られて…

  • 勧学院跡地の武信稲荷神社

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた地蔵堂の横には、武信稲荷神社という由緒ある神社が鎮座している。 武信稲荷神社 武信稲荷神社社殿 御祭神は、宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神の3柱を祀る*1。 この3柱は伏見稲荷大社の本殿に祀られる神だ。創建は貞観元年(859年)で、藤原良相が勧学院(良相の父の藤原冬嗣が創設した藤原氏の大学別曹)と延命院(良相が創設した療養所)の守護神として祀り、のち藤原武信なる人物が篤く崇敬したため武信神社と呼ばれるようになったとのこと*2。なお創建については昭和9年(1934年)に出版された『京都神社誌』では、勧学院・延命院鎮守…

  • 今新在家西町の地蔵堂

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた三森稲荷大神から北西200mほどの位置、武信稲荷神社の社号標の右側に地蔵堂と思しき堂宇が鎮座している。 地蔵堂? この堂宇の扁額には今新在家西町(いましんざいけにしちょう)と書かれており、町会が祀っているらしい。 また上掲の画像では見切れてしまっているが、「町内安全」と台座には刻まれている。由緒書等は無かったため詳細は不明だが、恐らく地蔵堂で地蔵尊を祀っているものと思われる。 なお、Googleマップには「今新在家西町地蔵尊」と書かれている。 内部はよく見えないが、とてもカラフルな仏像が祀られているらしいことは分かった。 …

  • 中京区因幡町の詳細不明な三森稲荷

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 元祇園梛神社の500mほど北東、蛸薬師通と神泉苑通がぶつかる丁字路の辺りに三森稲荷大神という社が鎮座している。 三森稲荷大神 三森稲荷大神社殿 三森稲荷大神は詳細不明な神社だ。 扁額を見る限り三森稲荷大神を祀るらしいこと、町会の賞状が飾られているので町会が神社を管理しているらしいことは何となく分かるが、それ以外については由緒書も見当たらず、何も情報が無い。 境内社(詳細不明) 境内社もあるが、こちらも全く詳細不明。 綺麗に管理されており、大事にされているのが伺える。 【三森稲荷大神】 住 所:京都府京都市中京区因幡町110-6 御祭神:三森…

  • 過去記事の整理・追記などについて その1

    今回は、ブログの記事の整理・追記についての報告。 今回は6つの記事について、内容の改訂や追記を行った。hayabusa8823.hatenablog.com 洞爺湖温泉街の外れに鎮座する洞爺湖神社の記事は、全体的に文を見直して改訂し、写真も見やすいものに差し替えた。hayabusa8823.hatenablog.com 先住民を慰霊・鎮魂するための神社である岩田木神社の記事も、全体的改訂と写真の差替えを行った。hayabusa8823.hatenablog.com 北欧神話のウルやスカディ等を祀る札幌藻岩山スキー神社の記事は、全体的に文を見直して改訂した。hayabusa8823.hatena…

  • 八坂神社の前身・元祇園梛神社と延喜式内社・隼神社

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 天道神社から猪熊通を北に向かい、四条通を西へ向かう。 嵐電四条大宮駅を越えて更に真っ直ぐ進むと、元祇園梛神社と隼神社が並ぶ境内が見えてくる。 元祇園梛神社/隼神社 元祇園梛神社 元祇園梛神社は素盞嗚尊(牛頭天皇*1)を祀り、更に稲田姫命・宇賀御魂命・瓊々杵命・伊弉冉尊・菅大神・誉田別尊・蘇民将来を配祀する。 御利益は厄除と縁結びとのこと。創建は平安時代の貞観11年(869年)。 京で疫病が広がった際に播磨国広峯から牛頭天皇を勧請した際に、神輿を梛林に祀ったことに始まる。 「元祇園」の名の由来は、この地から八坂へと遷座して祇園社(現在の京都市…

  • 長岡京から勧請された天道神社

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は今年2月に参拝した、天道神社について。 天道神社 住吉神社から醒ヶ井通を北に向かい、仏光寺通を西へと歩いて行くと、天道神社が鎮座しているのが見えて来る。 天道神社社殿 由緒書の看板によると、天道神社は天照皇大神・八幡大神・春日大神の3柱を祀っている。 また「京都観光Navi」によれば、中央に天照大神、左に正八幡大神、右に春日大明神を祀るとしている*1。なお、昭和9年(1934年)に出版された『京都神社誌』の天道神社の項目には天照皇大神・八幡大神・春日大神を祀るとした上で、「春日大神は天児屋根命にして八幡大神は彦火火出見命を祭るといふ」…

  • 和歌の神を祀る住吉神社

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は今年2月に参拝した、住吉神社について。 住吉神社 五條天神宮から松原通を西へ進み、堀川通の手前で醒ヶ井通を北へ進むと、住吉神社が見えてくる。 住吉神社社殿 住吉神社は御祭神として、天照大神・田霧姫神・底筒男神・中筒男神・表筒男神・神功皇后・武内宿禰命の7柱を祀る。 創建は保元2年(1157年)で、後白河天皇が藤原俊成に勅して摂津国の住吉大社から和歌の神として勧請したと伝わる。 かつては和歌所*1の別当が奉斎していたが応仁の乱で荒廃、のち永禄11年(1568年)に正親町天皇により現在地に遷座し復興したようだ。 人丸社 境内には柿本人麻呂…

  • 平安遷都時から鎮座する五條天神宮

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は今年2月に参拝した、五條天神宮について。 五條天神宮 前回の記事で書いた松原道祖神社から200mほど西に、五條天神宮が鎮座している。 正面の境内入口は恐らく西洞院通側だが、松原通側にも境内入口があり、こちらには「皇國醫祖神五條天神宮」や「筑紫天滿宮」と書かれた石柱が立っている。 五條天神宮本殿 五條天神宮は大己貴命・少彦名命・天照大神の3柱を祀る。 創建は平安遷都の延暦13年(794年)で、桓武天皇の勅命により、弘法大師が大和国宇陀郡から天神(天津神)を勧請したことに始まるとされている*1。 かつては天使の宮や天使社という名称だったが…

  • 宇治拾遺物語にも登場する松原道祖神社

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は今年2月に参拝した、松原道祖神社について。 松原道祖神社 新玉津島神社から松原通を200mほど西へ進むと、新町通と交差するあたりに松原道祖神社が鎮座している。 松原道祖神社の御祭神は猿田彦命と天鈿女命の夫婦神だ。 掲示によれば、御利益は旅行守護・厄災除け・夫婦円満・縁結び・商売繁盛などであるらしい。 かつては五条道祖神と呼ばれたようだが、これは現在の松原通が平安時代には五条大路であったことに由来する。創建は平安時代に遡るという。 古くから祀られていただけあって、鎌倉時代前期頃成立の『宇治拾遺物語』に「道命於和泉式部許読経五条道祖神聴聞…

  • 五條天神宮近くの地蔵堂

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 短めの更新。 今回は、今年2月に参拝した地蔵堂について。 地蔵堂 五條天神宮のすぐ近く、松原通に面して地蔵堂が鎮座していた。 マンションの敷地内にあるが、もしかするとマンションが建てられる前からずっとあるのかもしれない。この地域の人の崇敬が篤いのだろうか、きちんと花も供えられており、堂宇は清浄に保たれている。 提灯に「南無地蔵大菩薩」とあることから、ここが地蔵堂であることが分かる。 【地蔵堂】 住 所:京都府京都市下京区天神前町343-1 御本尊:地蔵大菩薩 社祠等:無し H P:無し 脚注

  • 稲荷山その29:現状不明な玉姫南

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 稲荷山記事一覧:記事一覧 はじめに 今回は玉姫南というエリアについて。 今までの稲荷山の記事はこちら。この記事は2022年7月に新規で書いたものだが、掲載位置は豊川エリアとあらきエリアの間が相応しいと思われるので「稲荷山その29」として書いた。 玉姫南 伏見稲荷大社が昭和41年(1966年)に行ったお塚調査の記録である『続お山のお塚』には「玉姫南」というエリアの記載があり、その別冊の塚台の配置図によれば、14基の塚台が存在していたらしい*1。 なぜ「らしい」と書いたかといえば、現在では行くのが中々困難なエリアになってしまっているからだ。 毎日稲荷社の…

  • 伏見稲荷関連の記事の整理・追記などについて その6

    先週の記事に引き続き、稲荷山関連記事の整理・追記についての報告。hayabusa8823.hatenablog.com なお、伏見稲荷関連は上記の記事にまとめてある。稲荷山記事のうち、今回はその24〜26を改訂・新設した。その24(御膳谷)については、地図を更新し、項目も大幅に増やした。その25(眼力)、その26(大杉)については、記事を分離独立させた上で地図を更新、分量が少なかったため記事を大量に追加。今後はその27(玉姫)以降の記事についても、順次改訂する。 今回は以上。

  • 伏見稲荷関連の記事の整理・追記などについて その5

    少し前の記事に引き続き、稲荷山関連記事の整理・追記についての報告。hayabusa8823.hatenablog.com なお、伏見稲荷関連は上記の記事にまとめてある。稲荷山記事のうち、今回はその20〜23を改訂・新設した。その20(劍石:長者社神蹟) その21(薬力) については、地図を更新し、本文・写真・脚注を追加。その22(傘杉) その23(春日峠) については、記事を分離独立させた上で地図を更新し、本文・写真・脚注を追加。その24(御膳谷奉拝所)以降の記事についても、適宜改訂を行っていく。 今回は以上。

  • 嵯峨野の有智子内親王墓

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 有智子内親王墓 京都は嵯峨野にある落柿舎*1のすぐ横に、有智子内親王墓がある。 有智子内親王は嵯峨天皇皇女で、漢詩人としても勅撰漢詩集の『経国集』に作品が収録されるほどの人物だ。また賀茂社斎院*2の初代でもあり、下鴨神社末社で歴代の斎院を御祭神とする賀茂斎院御歴代斎王神霊社*3に歴代斎院*4と共に祀られている。 墓の目の前は畑になっており、長閑な風景が広がっている。 メインの道路と違ってそこまで人も多くないので、散策にはもってこいの場所だった。【有智子内親王墓】 住 所:京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町 被葬者:有智子内親王 H P:無し *1:…

  • 茗荷谷の宗四郎稲荷

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 飯田橋から茗荷谷方面へ歩くと、途中で東京メトロの車両工事所の横を通ることになる。 そこから更に先へと進み東京メトロ丸の内線の高架を越えてすぐ左折すると、赤い幟が沢山立っているのが目に入る。 ここが宗四郎稲荷大明神だ。 宗四郎稲荷大明神 社殿 宗四郎稲荷大明神はこぢんまりとした神社で、由緒書等は何も見当たらない。 幟を見る限り、正一位宗四郎稲荷大明神を祀るということらしい。幟も20本近く立っていて、絵馬掛けにも絵馬が沢山掛けらていることから、恐らくこの地域の人々が崇敬しているのだろう。 境内には狐の像も幾つか置かれていた。 4体は狛狐だ…

  • 公園の中の第六天神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は2019年に参拝した第六天神社について。 第六天神社 第六天神社社殿 多摩モノレール柴崎体育館駅から東に500m程の位置に錦公園という公園があり、その一番奥に第六天神社が鎮座している。 第六天神社は淤母陀琉神と阿夜訶志古泥神*1を祀る。 第六天神社という名前からして、神仏分離前は第六天魔王を祀っていたのかもしれない。創建は文禄2年(1593年)2月10日とのこと。 詳しくは分からないが、もしかすると第六天神社の総社である現在の香取市に鎮座する山倉大神から勧請したのかもしれない。 境内社 本殿横には境内社が4社並んで祀られている。…

  • 神楽坂の横丁に鎮座する伏見火防稲荷神社

    はじめに 今回は神楽坂の伏見火防稲荷神社について。 伏見火防稲荷神社 神楽坂を上っていく途中に見番横丁という小路がある。 この見番横丁という名称は、芸者の手配等を行う見番があるために平成23年(2011年)に名付けられた*1。 そんな見番横丁には伏見火防稲荷神社という小さな神社が鎮座している。玉垣に「神楽坂三丁目自治会」と「東京神楽坂組合」とあるので、自治会と料亭・芸妓の組合が共同で管理しているのかもしれない。 玉垣には他にも料亭の名前が多数刻まれている。 由緒書等は無いので詳細は不明だが、提灯に書かれている通り正一位稲荷大神を祀っているものと思われる。 社の周りには狛狐以外にも小さな狐像が色…

  • 畝傍御陵前駅前の天竜稲荷大明神社

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は2019年に参拝した、橿原市の天竜稲荷大明神社について。 天竜稲荷大明神社 神武天皇陵の最寄駅である畝傍御陵前駅の目の前に、天竜稲荷大明神社という小さな神社が建っている。 名前からして稲荷神社なのは分かるが、それ以外の由緒は一切分からない。 「天竜」というと伏見稲荷山にある天龍社が思い出されるが、関係は不明だ。 もしかすると神社の左側には明善寺という浄土真宗寺院があるので、そこと関係があるのかもしれないが確証はない。 【天竜稲荷大明神社】 住 所:奈良県橿原市畝傍町8付近 御祭神:天竜稲荷大明神 社祠等:無し H P:無し 脚注

  • 烏丸駅北の大日・地蔵堂

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は、烏丸駅近くの大日・地蔵堂について。 大日・地蔵堂 阪急京都線烏丸駅から北へ向かい錦小路通を進むと、通りに面した立体駐車場の横に大日・地蔵堂が鎮座している。 由緒などは一切わからないが、扁額には大日尊と地蔵尊と書かれているので、この2尊を祀っているのだろう。 お堂も綺麗なので、付近の方々がきちんと管理しているのかもしれない。 【大日・地蔵堂】 住 所:京都府京都市中京区元法然寺町652 御本尊:大日村、地蔵尊 社祠等:無し H P:無し

  • 早稲田の穴八幡宮へ

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 一昨日の記事で書いた感通寺から夏目坂を上り馬場下町の交差点て向かうと、向こう側に穴八幡宮の鳥居が見える。 穴八幡宮 穴八幡宮本殿 穴八幡宮は應神天皇・仲哀天皇・神功皇后の八幡三神を祀る。創建は康平5年(1062年)で源義家が前九年の役から凱旋する途中この地に源氏の氏神である八幡神を勧請し、兜と太刀を納めたことに始まる。 穴八幡宮HPによると、その後慶長〜元和年間(1596〜1624年)頃までは神社の辺りに八幡祠が祀られていたとのこと*1」参照。))。 寛永13年(1636年)には御弓組のトップだった松平直次がこの地に的場を作った際に、…

  • 公所のビルトイン地蔵尊らしき石仏

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は、平塚市公所*1のビルトイン地蔵尊らしき石仏について。 地蔵尊? 平塚市公所の住宅地の細い道に面した住宅の塀の中に、地蔵堂らしき構造物が組み込まれている。 中には地蔵尊らしき石仏が鎮座しているが、由緒等は不明。 近所の人々が祀っているのかもしれない。 小銭が大量にお供えしてあるので、お参りする人がきちんと居るのだろう。それにしても、地蔵尊だとすれば見事なまでのビルトイン地蔵尊*2でとても味わいがある。 【地蔵尊?】 住 所:神奈川県平塚市公所348 御本尊:地蔵尊? 社祠等:無し 創 建:不明 H P:無し 脚注 *1:「公所」…

  • 夏目坂に面した感通寺

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 昨日の記事で書いた池立神社の近くの夏目坂に面して、感通寺という寺院が鎮座している。 感通寺 感通寺本堂 感通寺は寛永7年(1630年)に日建上人により開かれた日蓮宗寺院で、8年後には創建400年となる。 なお『牛込区史』には「寛永七年當所に建立、(これより先き市谷五段に在つたと云ふが仔細は不明)(後略)」との記述があるので、現在の防衛省の辺りにかつてあったという五段長屋の周辺に鎮座していた時期があるのかもしれない*1。御本尊は大曼荼羅を祀る。 境内は広々としており、とても落ち着いた雰囲気のお寺だ。 毘沙門堂 境内に入ってすぐの所に毘沙…

  • 結城秀康ゆかりの池立神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 東京メトロ東西線早稲田駅から夏目坂通りを南東に進み、感通寺前の路地を一本中に入ると、池立神社*1が鎮座している。 「池鯉鮒神社」という別名もあるようだが、これは勧請元の知立神社の旧称の池鯉鮒大明神によると思われる。 池立神社(池鯉鮒神社) 由緒書によれば、池立神社は鸕鷀草葺不合尊・彦火火出見尊・玉依比売命・神倭磐余彦尊を祀っている。 『東京都神社名鑑』には御祭神が池立大神と書かれているので、池立大神は上記4柱の総称ということなのだろう*2。池立神社は、江戸時代前期に徳川家康次男の結城秀康が母が知立神社神職だった縁で勧請したと伝わる。 …

  • 千駄ヶ谷、明治通り沿いの地蔵尊

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は千駄ヶ谷の地蔵尊と思しき像について。 地蔵尊? 代々木駅の南東、明治通りとJR中央線が交差する手前の辺りにASビルという建物がある。 このビルにはあかつき印刷という共産党の赤旗等を印刷している会社や、赤旗編集局が入っている。 そんなビルの一角に何故か地蔵尊と思しき石仏が祀られている。 由緒等は一切不明だが、線香立ての台座に「田島」とあるのは建立者の苗字だろうか。 こけしや兎のぬいぐるみが置かれているのも印象的だ。 【地蔵尊?】 住 所:東京都渋谷区千駄ケ谷5-18-21 御本尊:地蔵尊? 社祠等:無し 創 建:不明 H P:無し

  • 室蘭水族館と魚籃観音

    北海道内記事:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今回は室蘭水族館と、その敷地内に祀られている魚籃観音について。 室蘭水族館 北海道の胆振西部の室蘭市には、室蘭水族館という道内最古の水族館がある*1。 クラゲの展示はとても幻想的で、何時間見ていても飽きることがない。 カレイも中々に愛くるしい。 種類によってはかなりの数が居た。 ウツボの凶暴そうながら少し抜けた感じの表情も良い感じだ。 エビも赤々としていて、見ていて楽しい。 屋外にはトドも飼育されていた。 2019年5月に見た時は、この1頭しか居なかったような気がする。 このトドもこの後おたる水族館に嫁いでしまったらしく、現在室蘭水族館…

  • 伏見稲荷関連の記事の整理・追記などについて その4

    少し前の記事に引き続き、稲荷山関連記事の整理・追記についての報告。 hayabusa8823.hatenablog.com なお、伏見稲荷関連は上記の記事にまとめてある。 稲荷山記事のうち、今回はその15〜19を改訂・新設した。 その15(三ノ峰:下社神蹟) その16(間ノ峰:荷田社神蹟) その17(二ノ峰:中社神蹟) その18(一ノ峰:上社神蹟) については、地図を更新し、本文・写真・脚注を追加。その19(春繁:春繁社)については、記事を分離独立させた上で地図を更新し、本文・写真・脚注を追加。その20(劔石:長者社神蹟(御劔社))以降の記事についても、適宜改訂を行っていく。 今回は以上。

  • 平塚市南原の諏訪神社

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 前回の記事で書いた諏訪部神社の北西700mほどの位置の南原という場所に諏訪神社が鎮座している。 諏訪神社 社殿 諏訪神社は享保元年(1716年)に創建された神社だ。 御祭神は建御名方命・天照皇大神・大山咋命を祀る。社殿は今までに何度か建て替えられている。 元々の社殿は大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊し2年後に再建、その社殿は昭和20年(1945年)の空襲で焼失したため中原小学校の奉安殿*1を社殿に転用、昭和52年(1977年)になり現在の社殿が建てられたようだ*2。 狛犬 社殿前の参道には狛犬が置かれている。 向かって右側の…

  • 平塚の諏訪部神社と水天宮、そしてお茶婆さん

    東京・関東巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 今月の上旬に、平塚市の諏訪部神社に参拝した。 諏訪部神社のある大久保公園周辺に鉄道駅はないので、神奈川中央交通の向原バス停で降りると近い。 境内にはまだ桜がギリギリ咲いていた。 社殿の目の前にあるので御神木だろうか。 諏訪部神社 諏訪部神社は平塚城*1の鎮守として祀られた神社だ。 現在は創建時の御祭神の彦火火出見尊・伊弉諾尊・伊弉冊尊・素盞嗚尊に加え、諏訪頼重と犬頭霊神を祀る*2。諏訪頼重という人物は南北朝時代と戦国時代にそれぞれ諏訪氏の人物として存在するが、後者が生まれる前の文明10年(1478年)に平塚城は落城しているので、祀られ…

  • 哲学の道の始点・熊野若王子神社とその末社

    関西巡り:記事一覧 社寺祠堂巡り:記事一覧 はじめに 先日の記事で書いた哲学の道は熊野若王子神社から銀閣寺の辺りまで続いているが、今回はその熊野若王子神社について書いていく。 なおマップは、境内に掲示されていた上掲のものが分かりやすかった。 熊野若王子神社 熊野若王子神社には国常立神・伊佐那岐神・伊佐那美神・天照皇大神の4柱が祀られている。 熊野若王子神社は1160年(永暦元年)に後白河上皇が紀州の熊野権現を勧請したことに始まる*1。 神社南西に鎮座する禅林寺*2の鎮守社ともされた。 熊野神社、新熊野神社と並び洛中熊野三山の一つとされる。 御利益は学業成就と商売繁昌であるらしい*3。 本殿前に…

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