chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
フロムYtoT 二人に残された日々 https://blog.goo.ne.jp/yujin53113

私と妻と家族の現在と過去を綴り、これまで書きためた私の未完の小説の完結を目指したいと考えています。

yousan
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/10/07

arrow_drop_down
  • 送別会 2

    昨日のブログで、明日、会社に行って、私が記憶を失っていた時に粗相がなかったか確認しすると言っていましたが、今日、昨日の出席者三人に聞きました。ところが三人とも私がちゃんと最後の挨拶をし、他の出席者にエールを送って、自分で車に乗り込んだというのです。しかし覚えていません。ネットで調べると、これをアルコール関連のブラックアウトというのだそうです。アルコール関連のブラックアウトは、酔っているときに起こった出来事ついて、記憶が飛んでしまうことを指します。この一時的な記憶の空白は、海馬と呼ばれる脳領域で、短期記憶保存から長期記憶保存への記憶の移動を一時的に阻害する(記憶の固定)のに十分なアルコールを摂取した場合に生じますと書かれています。(要するに酒の飲みすぎが原因)takaちゃんにこのことを話すと、「そんなことど...送別会2

  • 送別会

    昨日は、社長の次男の専務が主催する、私と、私と同じ銀行出身の五十代手前の出向者で銀行に戻る行員の送別会で、九州地区の幹部職員が出席していました。おいしい焼肉とワインで送別会は盛り上がっていました。私は、皆さんの私に対する思いやりが胸にしみて、気分が高揚していたのだと思いますが、赤ワインをがぶ飲みしていました。(たぶん私だけで飲んだ量は赤ワイン1本は超えていたと思います)それから私の記憶がまだらになっていきました。かすかに記憶があるのは、記念品と花束の贈呈を受けた場面、自宅マンションの入り口付近で転倒してしまった場面、マンションの住人の方に私の住む家の階まで送っていただいた場面、takaちゃんに叱責(罵倒?)されながら傷の手当てをしてもらってた場面です。以前に私が自分の意識が飛ぶほど酩酊したのは二十年以上前...送別会

  • 義父の施設探し 8

    義父の施設探しを始めてから一カ月余り。今日、義父が施設に入居しました。義父が我が家に来て三カ月近く。施設選びから始まって、施設に入れる家具の組み立てや、電化製品の接続などをして、やっと義父を施設に送る用意ができました。私は私の確定申告や仕事での官庁への提出書類のチェックが捗らず、イライラする自分の気持ちを抑えるのに苦労していました。昨日はtakaちゃんが我が家と義父の施設に飾る黄色いラナンキュラスを買ってきていました。また、少し前から私たちの子供に義父の入居施設に飾る写真や色紙を依頼していて、義父に対する温かい言葉と写真を用意してくれていたのです。義父に対する鬼娘のtakaちゃんの親子の愛を感じました。今日、私が自宅から義父を施設に送るときには、近くにいる長男の嫁と孫娘三人が見送りに来ていて、孫たちがたち...義父の施設探し8

  • 夫婦喧嘩

    前にもブログで投稿しているのですが・・・・・私はロマンチストでセンチメンタリストで女々しい。takaちゃんはリアリストで母性本能旺盛で雄々しい。自分で言うのも憚れるが、私は忍耐強くて、上昇志向が強い。takaちゃんは周りにいる子供や孫たちに愛情を注ぐが、上昇志向はほとんど見られず、今を最大限、幸せに生きたいと願っていると思う。私とtakaちゃんは大学時代に知り合ってから50年、結婚してから45年を経過している。末娘が一人暮らしを始めてから15年以上、週末や祝日に子供や孫が来ることはあっても、日常生活を2人で暮らしている。けんかをすることはあっても長引くことはない。先日、ちょっとしたけんかで、「youさん、酒の飲みすぎやろが」「youさん、隠れてたばこ吸いよろうが」「youさん、寝るのが遅すぎやろが」等等、...夫婦喧嘩

  • 愛を読む人 2

    本日は午後から義父が入居する施設に備える家具等を選定するために一人で出かけていました。安くてよいものをそろえたいと思っているのですが、三か所を回って、結局決めきれずに帰ってきました。夕方に入居する施設の責任者がやってきて、入居関連の書類に押印をしました。これで入居が確定です。三月の中旬の入居予定となりました。(義父さん、頑張って・・・・)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・前回の投稿から随分と時間が経ちました。この間に、この作品の原作であるベストセラー小説の「朗読者TheReader」を再読し、その中でマイケルがハンナに読み聞かせたチェーホフの「犬を連れた奥さん」を読み、ホメロスの「オデッセイア」(概略)などを調べたりしました。私は読...愛を読む人2

  • 退職

    今日は午前中の出勤で、そろそろ退社をしようかと思っていたところに副理事長がやってきて、「youさん、言いにくい話なんだけど、官庁への申請事務も三月末で一区切りつくと思うので、三月末で退職してもらえないだろうか」というのです。やっぱりその話かと思いました。週に二日、しかも一日四時間の勤務では責任ある仕事はできません。仕事といえば、担当者が解らない事項の相談や、出来上がった資料のチェックぐらいで、時間ができた時にはネットを観ています。「私は指示にしたがいます」と答えました。自宅に戻って帰って、takaちゃんに報告すると、「youさん、良かったやん。銀行時代も、今も身を削りながら仕事をしてきたんやけん、もうゆっくりせんと」と歓迎をしてくれます。私の社会人としての人生は、銀行時代も今の職場でも大きなプロジェクトを...退職

  • 私の病気について 1

    本日は早朝から、わたしが一昨年の八月まで在籍していた総合病院で、眼科、肝・胆・膵内科、糖尿病内科を半日がかりで受診しました。この病院の立上げ者として、先生たちも私に気を使ってくれます。結果は良好で、受診した結果は、眼科は緑内障で、眼圧は正常で視力も変わりなし、肝・胆・膵内科、糖尿病内科関係は、一時的にγーGTPが300近くまで上昇していたのですが許容範囲の90まで回復していました。眼についてですが、私の視力は右が1.2、左が1.5と普通の人よりかなり視力は良いのです。(70歳という年齢から老眼鏡は離せません・・・・)ただし、左目だけを閉じると右目の左目頭から下瞼にかけて黒っぽい影が見えるのです。眼の中心部は影がないので視力検査にはあまり影響がありません。(皆さんも一度片目を閉じて、影があるかどうかを確認し...私の病気について1

  • 義父の施設探し 7

    本日はtakaちゃんと、「丸源ラーメン」で昼食を食べた後、義父が入居を予定している施設に介護ベッドが入ったので、ベッドの寸法と部屋の寸法を測りに行きました。というのも部屋が狭いので、実家にあるテレビ台や水屋などの収納家具は大きすぎて入らないと思い、新しく収納可能な家具を買いそろえる必要があると思ったからです。その通りでした。一番広い部屋なのですが、それでも狭い。ネットで揃えるべき家具をすぐを検索して、これから揃えていこうと思っています。施設の方も「直接施設に送っていただいても良いですよ」と言われるので、そうさせていただこうと考えています。97歳の義父は一人娘にできるだけ資産を残そうと思っているので、自分のための散財はできるだけ避けたいようです。(父が残す財産は、私が残す財産がなくても、takaちゃんは充分...義父の施設探し7

  • 愛を読む人

    愛を読む人昨日から熊本にいる末娘と孫が来ていました。我々夫婦にとっては6番目の孫(すべて女の子)で、二歳の可愛い盛りです。97歳の義父も、普段は昼は寝たり起きたりなのですが、終始テーブルに腰かけて、孫娘を笑顔で見守っていました。私は、やらなければならないことを後回しにする性格が出て、先週持ち帰った仕事があるのですが、末娘が帰った後、仮眠をとって、ブログを更新しています。罪悪感はあるのですが、明日一日時間があるので(火・水の二日勤務です)、なんとかなると自分に言い聞かせて、ブログと向き合っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本日は「愛を読む人」です。この映画の原作は『朗読者』というベルンハルト・シュリンクが書いた私小説で、ベルハント・シュリンクはドイツの法学者(専...愛を読む人

  • 義父の施設探し6

    本日、午前中に義父の入居を考えている施設から施設長とケアマネさんがやってきて打ち合わせをしました。いろいろとその他の経費が必要で資料で観ていた金額よりも高額だとわかりました。その他にも家具や家電をそろえる必要があるようです。実家から持ち込めるものもあるのですが、大きすぎて持ち込めないものがあり、かなり買いそろえる必要があるようです。仕方ないですね。義父は元国家公務員で年金は多いのですが、それでも少し赤字になるようです。義父の預金は一人娘のtakaちゃんが管理しており、それが減るのが不満のようです。「義父さんが貯めたお金だから、義父さんのこれからのために減っても仕方なかろうもん」というと、takaちゃんは笑いながら、「いや~ん」と返します。愛するtakaちゃんといえども少し私の将来に不安を感じます。(・・・...義父の施設探し6

  • 義父の施設探し5

    一昨日、義父が代々受け継いでいる田んぼの確認と妻の実家の整理に出かけました。義父の実家は義父も義祖父も農家は生業にしておらず、今、残っているのは四筆一反程度の田んぼなのですが、義父も毎年固定資産税にも満たない僅かな年貢(?)を頂いているだけで、代々受け継ついだ田んぼを、あの辺としいうことしか程度しか理解していないのです。田んぼを貸したのは義父の三代前のことだというのですから、100年以上前の話です。私もtakaちゃんも、周りの方に迷惑をかけるかもしれないし、今後のことを考えると、買っていただける方がいたら無料でもお譲りしたい気持ちです。妻が色々と近所の方々に連絡を入れ、漸く義父の田んぼを耕していただいている農家さんに連絡が取れ、今日、日ごろのお礼を兼ね、現場確認に行ってきました。家の前にお父さんと娘さんが...義父の施設探し5

  • 二人が仲睦まじくあるためには

    私とtakaちゃんは知り合ってから50年、結婚してから45年を経過している。そして末娘が一人暮らしを始めてから15年以上、週末や祝日に子供や孫が来ることはあっても、日常生活を2人で暮らしている。けんかをすることはあっても長引くことはない。私はロマンチストでセンチメンタリストで女々しい。takaちゃんはリアリストで母性本能旺盛で雄々しい。私は義父とこれからも一緒に暮らしてもよいと最初は言っていたのだが、takaちゃんの義父を大声で詰る姿に心を痛め、同居は無理だと思うようになった。私が「ずっと胃の調子が悪くて唇と口角にできものができた」というと、「youさん、それストレスやが。私も体調が悪い」というのです。私はこれまでの人生の中でストレスフルな生活を送ってきて、ストレス耐性は人一倍強いと思っていたのですが、t...二人が仲睦まじくあるためには

  • 義父の施設探し4

    一昨日、義父を連れて妻と実家へ行ってきました。この日の仕事は、義父の病院とデイサービスの最後の手続きをすること、市役所へ行って住民票の転出手続きをすること、公共料金や新聞などの廃止手続きをすること、近隣の方に経緯を説明することです。妻はそれぞれに手土産を用意しています。まずコンビニによって昼飯を買って、病院で診察をして薬を頂いて、デイサービスにに行って預けていた荷物や薬を回収。義父の自宅につくと、近くに住んでいる義叔母と合流。義叔母はちらし寿司や煮物などを用意して待っていました。(当分、兄に会う機会はないかもしれない、ひょっとしたら生きているうちに合うのは最後かもしれないと思っていたのかもしれません)義父は4人兄弟の長男で、他は3人とも妹です。1人は数年前に亡くなっていますが、あとは義父の97歳を筆頭に3...義父の施設探し4

  • 義父の施設探し3

    昨日、義父を連れて車で妻と施設見学に行きました。場所は自宅から車で10分内外のところです。施設は町中の閑静な住宅街にあり、定員は30人程度のこじんまりとした3階建ての施設で、運営母体も私も知っている堅実な会社です。部屋は前回の訪問で目星をつけた南側3階の角部屋で、南側にベランダがあり、東側には窓があります。この施設の中では一番良い部屋とのことです。自宅からバスでも1本(15分内外)で行くことができます。(私は、妻のためにも、義父のためにも、ここが良いのではと思っています。)義父の施設探し3

  • 映画 「哀愁」

    映画』哀愁私と映画との出会いは高校に入学してからのことです。洋楽との出会いは中学生の頃題名は忘れましたが、テレビで放映されていたモンキーズが主演のドタバタコメディで流れるDaydreamBelieverなどの曲や、「シャボン玉ホリデイ」で流れる外国の曲を聴いて、はまってしまいました。その後、「ラヴ・ミー・ドゥ」などの曲でビートルズに出会い、サイモン&ガーファンクル、クイーン、ピンクフロイドなどを聞くようになりました。私の家は貧しかったのですが、高校生になったときに、母は、おこずかいを2,500円に上げてくれました。私は地元の三角公園の近くにある、洋画映画館の500円の学生会員に入会して、それから休みの日は朝から晩まで1日で3作、映画館で映画を見ていました。その当時の映画館は一回入ったら出るまで同じ料金で、...映画「哀愁」

  • 義父の施設探し2

    あれからネットで施設を散々探しました。息子の嫁も、娘も一生懸命探してくれました。妻は実家に戻って、介護職のパートをしている友達と一緒に施設を見学してくれました。それから20を超える施設をリストアップし、絞り込んで訪問しました。最終的には、アポをとって、郊外の施設と近郊の2施設に絞りました。義父に聞くと義父は、「近隣の施設が良い」といっているのです。鬼娘(妻)でも娘の言葉には従順な義父です。妻に聞くと、「私は近くは便利もいいし、近隣の施設が良いかも、youさんどう思う」と言います。ということで、明後日、近郊の施設に義父を連れて行きますます。妻は私がいるときでも義父を罵倒します。大声で、「こら、また、かみ砕かんで食べ寄ろうが」「一気に飲みよろうが。喉詰まらせて死ぬよ」などと義父を詰ります。義父は、「おう。おう...義父の施設探し2

  • 平成6年能登半島地震によせて

    能登半島地震の発生から13日をすぎ、亡くなった方は220人、このうち災害関連死は13人、安否不明は26人となっています。13日の被災地は厳しい寒さとなり、避難生活や支援活動などに影響が出ています。自然の力はそこにいる人たちの希望や夢を打ち砕いてしまいます。家族5人を失った男性の悲痛なる言葉には自らの嗚咽を禁じえませんでした。心からお悔やみを申し上げますとともに、能登の復興と、被災された方々の今後のご多幸をお祈り申し上げます。東日本大震災の時にワンオクロックが歌った詩を添付します。支える力になっていただければ幸いです。東日本大震災希望ONEOKROCK/Bethelight(youtube.com)出典RARE6SIXTH平成6年能登半島地震によせて

  • 義父の施設探し

    義父は97歳です。2006年に義母が77歳で亡くなってから、20年近く妻の実家の直方市の自宅で一人暮らしをしていました。ところが昨年秋に入院してから徐々に足腰が弱り12月の初旬には転倒して、自ら携帯電話で救急車を呼んで入院していました。年末に私の自宅に連れて帰ってきたときには、頭大丈夫だけど足腰が弱っていて、もう一人暮らしは無理だという状況でした。私は19歳の時に妻と出会い、まだ大学生の21歳の時に妻の実家に結婚を前提とした付き合いをさせてほしいとお願いに行きました。妻は義夫婦の一人娘でした。その時に了解はいただけませんでしたが、4年後に就職が決まって、一年半後の25歳の秋に結婚を果たしました。私と妻は一人息子と一人娘でしたが、結婚に際して、妻に、「俺は俺の両親と同じように、お前の両親を大切する。」と誓っ...義父の施設探し

  • 社会人としての人生を卒業しました。

    7月末の土曜日です。4か月後に69歳の誕生日を控えています。前回の投稿は2年近く前です。私が部屋にこもっていると、「どうしたト」と妻が心配そうに聞いてきました。「俺、会社辞める。今、役員の退任届と退職願と始末書を書いている」「なんで会社を辞めんといけント」「俺のポカで会社に迷惑をかけた」「何があったト」「お前に言うてもワカラン。聞かンでくれ」私はある省への提出書類の間違いを見過ごしてしまい、申請が取下げになってしまったのです。「良かったヤン。youさん、そろそろ会社辞めたいって言いヨッタヤン」「それもそうヤネ」そんな問題ではないのです。こんな結末で社会人としての結末を終えたくない。それから妻は、子供たちに私の退職をラインで拡散し、私の退職祝いを考えているようで、何度も「どうなった?」と聞いてきます。一昨日...社会人としての人生を卒業しました。

  • 眼瞼下垂の顛末

    二か月ぶりの投稿です。私は2年ほど前に妻からうつされて、ひどいウイルス性結膜炎を患い1週間ほど休みました。それまで年齢からすると視力は驚くほど良好で、年相応に老眼鏡は使っていましたが、これまで眼科の診療は一度も受けたことがありませんでした。その時に、少し眼圧が高いという診断が出て、持病に糖尿病があるので緑内障のリスクがあるということで定期的な受診を勧められました。それからずっと定期的に眼科受診をしていました。しばらくして視野検査で異常が現れるようになりました。その後、運転をしているときに、少し視野が欠けていることに気づきました。右目と左目を交互につぶって視野を確かめると、右目の視野が上から3分の1がクモっていることに気づきました。右目を見開くと右目のクモりが消えるのです。定期健診の時に、「先生、どうも私の症状は...眼瞼下垂の顛末

  • 11月の花火

    今日、ブログを覗いてみるとコメントを頂いていました。私にとってこのブログでは初めてのコメントです。時折訪問させていただいているブログの方からですが、私が好感をもって拝見させていただいた方からのコメントで嬉しかったです。ありがとうございました。2020.11.0111月の花火です。75発、5分弱の花火ですが、一般への周知は一切行わず、医療従事者だけを対象に感謝の気持ちを込めて、地元のテレビ局に打ち上げていただいた花火です。百道浜の浜辺には200名を超えているのではと思える人が集まっていました。たぶん地行浜、豊浜などの博多湾には、今年初めで最後の花火を見物に来ていた医療関係者は少なからずいたと思います。このテレビ局に感謝です。このテレビ局はコロナ第1派が静まりを見せるまでの間、テレビ局のテラスから毎週金曜日に私たち...11月の花火

  • ドライブインシアター

    2020.10.30私の仕事場の近くに地元の放送局が2社あるのですが、その1社から医療従事者の方限定でドライブインシアターを計画しているので、病院の方に来ていただけませんかという案内があって、病院で募集をかけましたが、開始時間が19時からで、病院従事者には観にいくには時間的に難しくて、私の病院からは10人ほどしか集まりませんでした。私は妻と2人で出かけましたが、風が強くて開催が危ぶまれる状況でした。作品は「僕のワンダフルジャーニー」という作品で、犬が主人公の物語です。私は学生時代から映画が大好きで、好きな映画のDVDやダウンロード版は数多く持っています。映画が始まって、しばらくは駄作だと思ってみていました。ところが後半になって、はまってしまいました。私はもともと涙腺が緩いタイプです。涙をこらえられなくなって、最...ドライブインシアター

  • コロナにつて

    前回の投稿からずいぶん時間が空きました。私は医療関係と教育関係の仕事を兼務しているのですが、8月から仕事の中心が教育関係に移り、週の3分2には教育関係の仕事をしています。その間、2度発熱をしました。発熱といっても37.5度以内なのですが、医療機関にも所属している私にとって、37.0度を超えるとコロナ検査を受ける必要があります。それで、その都度、コロナ検査は受けました。陰性でした。業種柄、毎朝、体温測定をして仕事に行くのですが、先週、今回は37.8度まで上がっており、とりあえず休みを取ることにしました。たぶん、風邪かなと思って売薬を飲んでいたのですが、次の日も熱が下がりません。発熱外来に電話を入れると、「常務、いつから熱があるのですか」「昨日の朝からです」「37.0以上の熱が出たら、すぐにコロナ検査を受けるのが病...コロナにつて

  • フリオとの別れ

    「スペインに戻って仕事を見つけたら連絡する。必ずスペインに来てほしい。そしてボクと結婚してほしい。」フリオがスペインに戻って三ヶ月あまり経った。その間、優子の誕生日に家族と一緒に写った写真を添えた手紙が送られてきたが、写真の中に収まったフリオは見るからに幸せそうで、その中に優子の入り込む余地は無いように感じられた。「なかなか就職が決まらないので、もう少し待ってほしい」手紙の内容は簡単なものだった。フリオとのことは夢の中の出来事だったのではないか。もし現実であったとしても、フリオがスペインに戻って、心変わりをしているのではないか。そんな思いが過ぎっていく。十月に入って、待ちに待った手紙が届いた。手紙には仕事も決まり、両親や家族も優子がスペインに来ることを待ちわびているという内容だった。無邪気に喜べない自分がもどか...フリオとの別れ

  • 父への日記

    今日は帰りが遅くなり、孫たちがいなくなったらギターの練習をしようと思っていたのですが、食事をして自室に戻ったのは10時近くで、近所迷惑になると思い控えました。週に2回から3回は練習をしていて、左手の指にタコができはじめているのですが、まだコード進行がスムーズにできるレベルにはありません。過去の日記を見ていて、この日記をコピペして更新をしようと思い、投稿しています。父は90歳で他界しました。その前は、母が父の介護で体を壊し、父は老人ホームに入っていました。時折、母や妻や子供や孫を連れて訪れていたのですが、体調を壊して亡くなる前に母と妻と訪れた時に、「おまえ、今、なんしヨウトカ。名刺もっとるならクレンカ」というのです。休日なので名刺入れは持ってきていないのですが、免許証入れに万が一のために名刺を入れていたので、父に...父への日記

  • 5人目の孫

    2020.10.18(日曜日)14日に長男の第3子が生まれ、長男の嫁が入院中、孫2人を預かっていました。長男の子供たち2人は天真爛漫で、10分ごとに喜怒哀楽をくり返しています。微笑んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、そして、走ったり、跳んだり、叫んだり・・・・。妻は、いつもより朝早く起きて、2人を幼稚園に送り出す準備をしています。昼間は洗濯や掃除をしても幼稚園のお迎えに出かけます。孫が帰ってくると、妻の言うことを聞かない孫を、妻は叱ったり、抱きしめたり、抱っこしたり、たべもので-服従させたり、いつもとは違った姿で頑張っています。気疲れしていると思います。(妻の母性には頭が下がります。私のことは、そっちのけで、孫に対する母性を全開にしています。私にとっては、少しだけありがたい・・・・)私と妻の家族は、私たち夫婦...5人目の孫

  • 「セカンド ステージ」

    以下は私が50歳、20年近く前に妻に書き連ねた日記です。このときに考えていたような人生は歩んでいませんが、妻とはケンカをしながらも仲良くやっています。まあ、人生とはそんなものだと思っています。「セカンドステージ」平成十五年十一月一六日僕は後一ヶ月余りで五十歳を迎えようとしている。小学生の頃、僕は社会科の先生になりたかった。建築家になりたかった。中学生の頃、僕は小説家になりたかった。映画監督になりたかった。高校生の頃、僕は自分が嫌で嫌で仕方なく、自分自身を見失っていた。大学生の頃、僕は商社マンになって世界を駆けめぐりたいと思っていた。おまえと出逢うまでの僕の将来の夢と言えばこんなものだったと思う。中学生の頃からおまえと出逢うまで書き続けてきた何冊もの日記帳も、今では何処に行ってしまったのかも分からなくなって、その...「セカンドステージ」

  • 第三章 優子とフリオ 出会い(2001年4月)

    今日は8時半に起きて朝食を済ませたのち、午前中を妻とだらだらとテレビを観ながら、途中うとうとしたりして過ごしていました。昼食の後、妻はソフトバンクの試合をテレビ観戦をしたいというので、私は一人でお気に入りの糸島の浜辺の一つへ出かけました。台風14号の影響か、浜辺には強い北西の風が吹ていて、押しては返す波の騒めきや、吹き付ける風の唸り声を浴びながら、玄海島や糸島の小高い山並みを眺めて、一時を過ごしました。(心が洗われました)帰って来ると、長男から、孫2人の幼稚園の運動会の様子を様子がラインで送られてきており、2人で孫の動画を何度も繰り返し見ていました。第三章優子とフリオ出会い(2001年4月)優子は大学を出てから何度も職を変えている。最初は地元最大手の銀行。その銀行にはちょうど三年間働いた。それから四年間は、三ヶ...第三章優子とフリオ出会い(2001年4月)

  • 息子への想い

    2日前から私にとって5人目の孫ですが、息子の嫁が陣痛で入院し(陣痛は落ち着き退院しました)、長男の孫を2人預かっていました。今夜は久しぶりに2人だけの夜です。騒がしいけれど、たのしい2日間でした。妻は、この2日間、急に、子供のように手がかかる夫(私はそうは思っていませんが、妻はそう思っていると思います。私は一人で机に座っているのが好きです)の他に、孫のために朝早く孫のために起きて朝食の準備をし、孫の幼稚園の送り迎え、子守などが加わり、大変だと思いいます。2人だけの生活に戻り、私が赤霧島の水割りを作りに台所に行ったついでに妻のお尻をちょっとだけ触りました。妻は、「youさん。ナンシヨット。触ランデ。警察言うよ。タバコ吸いヨロウガ。酒も飲みすぎ、臭いよ。皆に嫌われトウヨ」と次々に責め立てます。私は妻の言葉を背に自室...息子への想い

  • アルブニヨルの谷間 フリオとその家族

    弟二章アルブニヨルの谷間フリオとその家族優子はいつものスーパーに向かう坂道を自転車で下っていた。大通りを通って行くこともできるのだが、カルロスの自動車修理工場の手前から細い道を下っていけばスーパーまでの近道になるので、いつもカルロスの店の前から右折して急な坂道を下っていた。ホセのレストランを過ぎたところだった。人がやっと一人通れるぐらいの細道から、突然、ホセの娘のマルティナが笑いながら飛び出してきて通せんぼをした。たぶんマルティナは、悪気はなく、優子を脅かそうとしただけだったのだろう。優子が急ブレーキをかけると自転車の後輪が浮き上がり、ほほ一回転する形で転倒した。流産をしていることは病院のベッドで眠りから覚めて間もなくフリオの口から告げられた。「ごめんなさい」やっとの思いでフリオに言った。「優子は謝る必要は無い...アルブニヨルの谷間フリオとその家族

  • 妻との旅行 1

    私は妻と結婚してから、3年前までは、妻と海外旅行をしたことは2回しかありませんでした。1回は40年以上前の新婚旅行で行った香港・澳門(当時はカメラはフィルムの時代で、途中でフィルムが引っかかり、うっかり開けてしまい、妻との大事な想い出の3分の1を失ってしまいました。・・・・私はいつも肝心なときにとんでもないミスをしてしまうのです)。そして、もう1回は台湾。国内旅行は家族を連れて良く出かけていましたが、当時は、仕事で一杯一杯の状態で、妻と長期で旅行する気持ちの余裕はありませんでした。私は、仕事で中国に3回、韓国に1回、台湾に1回、それとスキューバダイビングのライセンスを取りに息子とグアムに1回です。妻は台湾に数回、韓国に数回、ベトナムに1回、子供たちや友達と出かけています。私は銀行にいたときも大型のプロジェクト案...妻との旅行1

  • 3連休~その1~ここ1ヶ月で体重が3キロ以上増えました

    2006.01.10私は7日は、○○○○○会という集まりの新年会で、正午から夜の10時過ぎまで飲んでいました。その大半を家の近くのリゾートホテルで飲み食いをしていまして、途中、一時間ほどホテルの大浴場で風呂に入っていました。ホテルの最上階の見晴らしの良い部屋を借り切っての新年会で、部屋からは福岡市の南側と西側を一望することができます。南側は、遠くに、まるで水墨画のように中腹まで雪に覆われた背振山系の山並みが見渡せ、近くに、福岡市の町並みが広がっています。西側は、遠くに、博多湾に浮かぶ能古の島や糸島半島のなだらかな山並みや生の松原、近くに、私の住むタワーを中心としたベイサイドエリアが広がっています。景色だけでも幸せな気分になります。そのうえ、ホテルが北海道フェアを催していまして、北海道の幸を使った中華料理が最高で...3連休~その1~ここ1ヶ月で体重が3キロ以上増えました

  • 憧れのギター

    連休2日目私は50年近く前に、兄からヤマハのクラッシックギターを買ってもらいました。大学時代は読書とギターと麻雀に明け暮れていました。勉強は、ほぼ一夜漬けでした。妻と知り合ってからは、下宿で小椋佳やかぐや姫や井上陽水やさだまさしの曲をクラッシックギターで弾いて、妻と一緒に歌っていました。就職をした後、ギターを弾くこともなくなって、暫く経ってギターを出してみると、調弦をしてギターを弾いた後、何年もそのままにしていて、ネックが反って、とても弾けない状態になっていました。粗大ゴミと化していました。5年ほど前に、またギターを始めてみようと、初心者向けのギターセットを買いました。これがまた、○○国製で、弦高が異常に高く、コードを押さえても押さえられず諦めました。(今回、解ったのですが、このギターは定価1万円の合板製のギタ...憧れのギター

  • 墓参り

    4連休の初日。私と妻は、妻の実家がある直方に出かけました。妻の実家にはこれまで1ヶ月に1回程度は行っているのですが、今回は、コロナの影響もあり、2ヶ月以上間隔が空いてしまいました。義父は、私たちが預けた携帯電話で朝起きたら必ず安否確認の電話をしてくれます。毎日、私が仕事に行く前に安否確認を知らせる電話があり、94才になった義父の変わらぬ気丈さが窺えます。妻は実家に戻った直後から義父に教育的指導を畳み掛けます。「お父さん。自分で梅の木やら柿の木やら切ったろうガ。ケガしたらどうするト」「畑も止めリィ。お父さんから貰ワンでも店で買えるトヤカラ。解ットウトといった会話が続きます。義父は、「オウ。オウ。解トウ」と繰り返しています。私は義父がかわいそうで、二人の話が聴きづらくなって、外にでました。私に妻が同じことを言ったら...墓参り

  • 第一章 ひまわり畑 (2004年7月)

    第一章ひまわり畑(2004年7月)バスは右折するとオリーブ畑の中を抜けて海が見渡せる海岸沿いの道路に出た。すると急に大きく視界が開け、空と海、山並みや丘陵、水平線や岬や島影が焼き付くような鮮やかさで飛び込んできた。道路は丘陵地が海に落ち込む海岸沿いの高台を走っているので、バスの窓からはビーチを見下ろすことができない。水平線近くの淡い水色から天空へ向かって次第に瑠璃色へと変化する空。エメラルドグリーン、コバルトブルー、群青色、藍色と様々な色彩を見せる海。空も海もいつも通りの吸い込まれるような青さで、深緑の島影、赤茶けた岬、黄土色の山肌、灌木に覆われた常磐色の丘、岬の突端に立つ白い灯台、朱色の屋根に亜麻色の外壁の別荘、小さな集落の目映いばかりの白い塗り壁と樺色や鳶色の屋根瓦を、それぞれに鮮やかなコントラストをつけて...第一章ひまわり畑(2004年7月)

  • 息子の15才の頃

    今日はgooブログで、いろんなところの旅の話や自分が買っているネコの話などを題材にしておられる女性のブログを拝見しました。爽やかな話が多くて、感激して、異常なくらいに、ポチッを送りました。たぶん「誰だ、コイツ」と思っておられると思います。(私です)まだ、このブログを初めて2ヶ月あまりなので許してください。これから何回かに分けて、息子の記事をアップしようと考えています。息子は中学時代、県下でトップの高校(毎年、国立の医学部だけでも、かなりの数が合格します)に一番合格者を出す中学校に通っていました。身長は私に似てホビット族に近いのですが、顔はカワイイ(私に似て?)、成績は常に10番前後、スポーツは万能、生徒会では2年間副会長を務めていて、妻も私も、末は博士か大臣(トンビが鷹の子?)かと思っていました。妻は近所のママ...息子の15才の頃

  • 台風10号 狂騒曲 2

    今日、妻と一緒に部屋の整理をするために、少し早めに会社を出て自宅に戻りました。自宅に戻ると、部屋に残ったベランダの残置物は、燃えるゴミ、燃えないゴミ、大型ゴミに仕分けされて、大型ゴミの回収も、妻は手配済みだというのです。「よう、頑張ったね。ありがとう」というと、妻は、鼻をヒクヒクさせて、満面にドヤ顔を浮かべていました。(チョットだけカワイイ!!!)ベランダ沿いの窓に貼ったガムテープは、そのままだったので、「窓のガムテープ、俺が剥がそうか」というと、「もう一回、台風が来るかも知れんケン、当分、残しトコうと思っトウト。」(なるほど)夕方、とりあえず4袋の「燃えるゴミ」を二人で捨てに行きました。総括すると、これまでの台風被害の中では、被害に遭われた方々には申し訳ないですが、我が家にとっては最小限の被害でした。これから...台風10号狂騒曲2

  • 台風10号 狂騒曲

    妻は金曜日から頭の中は台風10号でいっぱいです。妻は、おそらく、マスコミや気象庁の、「かって経験したことがない」とか、「特別警報級の勢力」とか、「命を守る行動」とかいった報道に怯えています。金曜日、仕事から私が帰ってくると、LINEで子供たちや友達との台風10号に関する情報交換(LINEが頻繁にピコピコとなっています)や、義父に電話で防災に関する詳細にわたる教育的指導を行っていました。(義父は94才ですが、頭はしっかりしています。妻の父親に対する愛情からだと思いますが、子供扱い、言葉がきつい!!かわいそう!!聞いている私がつらい。私が義父だったら、黙って、そっと電話を切ります)妻は、既に買い物リストを作っています。「youさん。明日、10時前には出て行って、○○ラパスと、○○ディと、○○○タウンに買い物行くョ。...台風10号狂騒曲

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、yousanさんをフォローしませんか?

ハンドル名
yousanさん
ブログタイトル
フロムYtoT 二人に残された日々
フォロー
フロムYtoT 二人に残された日々

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用