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フロムYtoT 二人に残された日々 https://blog.goo.ne.jp/yujin53113

私と妻と家族の現在と過去を綴り、これまで書きためた私の未完の小説の完結を目指したいと考えています。

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2020/10/07

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  • フリオとの別れ

    「スペインに戻って仕事を見つけたら連絡する。必ずスペインに来てほしい。そしてボクと結婚してほしい。」フリオがスペインに戻って三ヶ月あまり経った。その間、優子の誕生日に家族と一緒に写った写真を添えた手紙が送られてきたが、写真の中に収まったフリオは見るからに幸せそうで、その中に優子の入り込む余地は無いように感じられた。「なかなか就職が決まらないので、もう少し待ってほしい」手紙の内容は簡単なものだった。フリオとのことは夢の中の出来事だったのではないか。もし現実であったとしても、フリオがスペインに戻って、心変わりをしているのではないか。そんな思いが過ぎっていく。十月に入って、待ちに待った手紙が届いた。手紙には仕事も決まり、両親や家族も優子がスペインに来ることを待ちわびているという内容だった。無邪気に喜べない自分がもどか...フリオとの別れ

  • 父への日記

    今日は帰りが遅くなり、孫たちがいなくなったらギターの練習をしようと思っていたのですが、食事をして自室に戻ったのは10時近くで、近所迷惑になると思い控えました。週に2回から3回は練習をしていて、左手の指にタコができはじめているのですが、まだコード進行がスムーズにできるレベルにはありません。過去の日記を見ていて、この日記をコピペして更新をしようと思い、投稿しています。父は90歳で他界しました。その前は、母が父の介護で体を壊し、父は老人ホームに入っていました。時折、母や妻や子供や孫を連れて訪れていたのですが、体調を壊して亡くなる前に母と妻と訪れた時に、「おまえ、今、なんしヨウトカ。名刺もっとるならクレンカ」というのです。休日なので名刺入れは持ってきていないのですが、免許証入れに万が一のために名刺を入れていたので、父に...父への日記

  • 5人目の孫

    2020.10.18(日曜日)14日に長男の第3子が生まれ、長男の嫁が入院中、孫2人を預かっていました。長男の子供たち2人は天真爛漫で、10分ごとに喜怒哀楽をくり返しています。微笑んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、そして、走ったり、跳んだり、叫んだり・・・・。妻は、いつもより朝早く起きて、2人を幼稚園に送り出す準備をしています。昼間は洗濯や掃除をしても幼稚園のお迎えに出かけます。孫が帰ってくると、妻の言うことを聞かない孫を、妻は叱ったり、抱きしめたり、抱っこしたり、たべもので-服従させたり、いつもとは違った姿で頑張っています。気疲れしていると思います。(妻の母性には頭が下がります。私のことは、そっちのけで、孫に対する母性を全開にしています。私にとっては、少しだけありがたい・・・・)私と妻の家族は、私たち夫婦...5人目の孫

  • 「セカンド ステージ」

    以下は私が50歳、20年近く前に妻に書き連ねた日記です。このときに考えていたような人生は歩んでいませんが、妻とはケンカをしながらも仲良くやっています。まあ、人生とはそんなものだと思っています。「セカンドステージ」平成十五年十一月一六日僕は後一ヶ月余りで五十歳を迎えようとしている。小学生の頃、僕は社会科の先生になりたかった。建築家になりたかった。中学生の頃、僕は小説家になりたかった。映画監督になりたかった。高校生の頃、僕は自分が嫌で嫌で仕方なく、自分自身を見失っていた。大学生の頃、僕は商社マンになって世界を駆けめぐりたいと思っていた。おまえと出逢うまでの僕の将来の夢と言えばこんなものだったと思う。中学生の頃からおまえと出逢うまで書き続けてきた何冊もの日記帳も、今では何処に行ってしまったのかも分からなくなって、その...「セカンドステージ」

  • 第三章 優子とフリオ 出会い(2001年4月)

    今日は8時半に起きて朝食を済ませたのち、午前中を妻とだらだらとテレビを観ながら、途中うとうとしたりして過ごしていました。昼食の後、妻はソフトバンクの試合をテレビ観戦をしたいというので、私は一人でお気に入りの糸島の浜辺の一つへ出かけました。台風14号の影響か、浜辺には強い北西の風が吹ていて、押しては返す波の騒めきや、吹き付ける風の唸り声を浴びながら、玄海島や糸島の小高い山並みを眺めて、一時を過ごしました。(心が洗われました)帰って来ると、長男から、孫2人の幼稚園の運動会の様子を様子がラインで送られてきており、2人で孫の動画を何度も繰り返し見ていました。第三章優子とフリオ出会い(2001年4月)優子は大学を出てから何度も職を変えている。最初は地元最大手の銀行。その銀行にはちょうど三年間働いた。それから四年間は、三ヶ...第三章優子とフリオ出会い(2001年4月)

  • 息子への想い

    2日前から私にとって5人目の孫ですが、息子の嫁が陣痛で入院し(陣痛は落ち着き退院しました)、長男の孫を2人預かっていました。今夜は久しぶりに2人だけの夜です。騒がしいけれど、たのしい2日間でした。妻は、この2日間、急に、子供のように手がかかる夫(私はそうは思っていませんが、妻はそう思っていると思います。私は一人で机に座っているのが好きです)の他に、孫のために朝早く孫のために起きて朝食の準備をし、孫の幼稚園の送り迎え、子守などが加わり、大変だと思いいます。2人だけの生活に戻り、私が赤霧島の水割りを作りに台所に行ったついでに妻のお尻をちょっとだけ触りました。妻は、「youさん。ナンシヨット。触ランデ。警察言うよ。タバコ吸いヨロウガ。酒も飲みすぎ、臭いよ。皆に嫌われトウヨ」と次々に責め立てます。私は妻の言葉を背に自室...息子への想い

  • アルブニヨルの谷間 フリオとその家族

    弟二章アルブニヨルの谷間フリオとその家族優子はいつものスーパーに向かう坂道を自転車で下っていた。大通りを通って行くこともできるのだが、カルロスの自動車修理工場の手前から細い道を下っていけばスーパーまでの近道になるので、いつもカルロスの店の前から右折して急な坂道を下っていた。ホセのレストランを過ぎたところだった。人がやっと一人通れるぐらいの細道から、突然、ホセの娘のマルティナが笑いながら飛び出してきて通せんぼをした。たぶんマルティナは、悪気はなく、優子を脅かそうとしただけだったのだろう。優子が急ブレーキをかけると自転車の後輪が浮き上がり、ほほ一回転する形で転倒した。流産をしていることは病院のベッドで眠りから覚めて間もなくフリオの口から告げられた。「ごめんなさい」やっとの思いでフリオに言った。「優子は謝る必要は無い...アルブニヨルの谷間フリオとその家族

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