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歴史で旅する https://ameblo.jp/rekitabi

歴史を学んで、情景を思い浮かべれば、いつでも、どこからでも旅はできる。 隙間時間を使って、旅をしませんか? ※歴史好きの私の自由研究まとめブログです✧٩(ˊωˋ*)و✧

ゆこ
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2020/10/04

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  • 名将・王忠嗣

     玄宗が安禄山を慕い、李林甫が安禄山を重用する中、安禄山の謀反を上奏する者がいました。 河西、隴右、朔方、河東の4節度使を兼任していた王忠嗣です。 王忠嗣は突…

  • 李林甫の横暴③

     李林甫に排除されたくない官僚は、保身のために、李林甫に従いました。 玄宗から政務を任されていた李林甫は、官僚を自分の邸宅に呼び寄せて、政務を行いました。形式…

  • 李林甫の横暴②

     李適之に続いて、排除されたのが韋堅と皇甫惟明の二人です。 韋堅は京兆府(陝西省西安市)出身。もともと李林甫と仲が良かったんですが、・玄宗が韋堅を気に入るよう…

  • 李林甫の横暴①

     玄宗のプライドを傷つけた周子諒を登用した張九齢。「人を見る目がなかった」として張九齢は、荊州(湖北省一帯)に流罪されました。 『張九齢の左遷』玄宗と武恵妃の…

  • 李白

     宮中に咲く牡丹を見た玄宗は、「この牡丹と楊貴妃をかけて、詩を作ってほしい」と言って、詩人・李白に依頼しました。 大の酒好きの李白は、ほろ酔いの中、「清平調詞…

  • 楊貴妃の嫉妬

     746年、曲江(長安の東南にある池)のそばで、宴会が開かれました。玄宗と楊貴妃はもちろん、楊貴妃の姉・三国夫人(韓国夫人、虢国夫人、秦国夫人)も出席しました…

  • 楊貴妃の養子・安禄山

     契丹と奚を破り、殺された二人の公主の復讐を果たした安禄山は、早速、玄宗に呼び出されました。 宮廷を訪れた安禄山は、玄宗と楊貴妃に会うと、まず、楊貴妃に拝礼し…

  • ヒーロー・安禄山

     745年、玄宗は契丹に静楽公主を、溪に宜芳公主を嫁がせることにしました。静楽公主は玄宗の第15皇女の信成公主の娘(外孫)、宜芳公主は玄宗の伯父・中宗の第4皇…

  • 楊貴妃伝説

     楊貴妃といえば、クレオパトラ、小野小町と並んで、世界三大美女に数えられていますが、実際には、どのような美女だったのでしょうか。 歴史書によると、楊貴妃の体型…

  • 楊貴妃誕生

    女道士になって5年が経った745年、楊玉環は貴妃に冊立されました。(以下、楊玉環 → 楊貴妃) この時、楊貴妃は27歳、玄宗は61歳でした。なんと、年の差34…

  • 巨漢・安禄山⑥

    743年、驃騎大将軍に抜擢された安禄山に、部下・蘇孝韞が言いました。 「今年の科挙は、裏口合格した者がいるらしいですよ」 科挙制度について、武将上がりの安禄山…

  • 巨漢・安禄山⑤

    契丹と奚の罠にはまり、死刑を免れたとはいえ、肩書を奪われ、全てを失った安禄山。後のない安禄山は、必死のパッチで努力し、名誉挽回します。 努力の結果、740年に…

  • 巨漢・安禄山④

    節度使には朝廷に使者を派遣して、任務報告をする義務があります。 733年、張守珪は安禄山を使者に選び、長安に報告に行かせました。この時、安禄山は出世を確信した…

  • 巨漢・安禄山③

    733年、安禄山に転機が訪れます。 ある日、安禄山は羊を盗んで捕まり、窃盗罪で死刑になる予定でした。刑が執行される、まさにその時、安禄山は范陽(河北省及び北京…

  • 巨漢・安禄山②

    突厥の名門である母・阿史徳氏が突厥の有力者・安延偃と再婚し、裕福な暮らしをしていた安禄山。 ところが、安禄山一家は、なんと、突厥の内紛に巻き込まれてしまいます…

  • 巨漢・安禄山①

    玄宗が楊玉環を出家させた頃、頻繁に宮廷を訪れる者がいました。 お腹の肉が膝を隠すほど太っていた、安禄山です。なんやねん、この紹介は(笑)いや、しかし、安禄山が…

  • 【お知らせ】宮城県のブランド鶏・森林どりを紹介しています

    歴史とは全く関係ありませんが、お知らせさせてください✨ 姉妹サイト・ブログで旅するにて、宮城県のブランド鶏・森林どりを紹介しています。 【宮城県】森林どりって…

  • 玄宗の呼び出し

    皇太子になれなかった第十八子・李瑁と、宮中で静かに暮らすものだと思っていた楊玉環。 ところが、740年、楊玉環が22歳の時に、誰もが予想できなかった事態が起こ…

  • 楊玉環

    第十八子・李瑁の妃である楊玉環は、719年に蜀州(四川省成都市)で生まれました。  玉環はその名の通り、玉で作った環を表しています。 中国では、昔から「玉には…

  • 武恵妃の死

    李瑁派である李林甫が張九齢を排除し、皇太子・李瑛は廃されたうえに自害し、武恵妃は「今度こそ、李瑁が皇太子になれる」とホッとしましたが、間もなく、武恵妃は亡くな…

  • 張九齢の左遷

    玄宗と武恵妃の信頼を得て宰相になった李林甫。張九齢が味方をしていた皇太子・李瑛は廃されたうえに、自害し、張九齢の権力は弱まっていました。 張九齢と長い間対立し…

  • 皇太子・李瑛の廃位

     皇后になりたいという願いを叶えられなかった武恵妃のもう一つの願いは、第四子(第十八皇子)・李瑁を皇太子にすること。 武恵妃は皇太子・李瑛とその母・趙麗妃を排…

  • 【お知らせ】姉妹サイト「ブログで旅する」開設のお知らせ

    いつもご覧くださり、ありがとうございます✨たくさんの方が読んでくださっていることが励みになっています(人''▽`)💕「歴史で旅する」の姉妹サイト「ブログで旅…

  • 李瑁の結婚

     武恵妃が産んだ第十八皇子・李瑁は、玄宗の兄・李憲(713年に、李成器から改名)夫婦のもとで育ちました。 『側室・武氏②』 玄宗は武氏との間に授かった子どもを…

  • 張九齢 VS 李林甫②

     教養はあるけれども、融通がきかない張九齢と、身の振り方が上手だけれども、教養がない李林甫。 張九齢と李林甫は、同じ年に宰相に任命されました。いわば、同期です…

  • 張九齢 VS 李林甫①

     いつの時代も、宮廷では寵愛争い、皇太子争いが繰り広げられていますが、臣下同士の争いもあります。臣下の中でも、特に宰相陣は派閥をつくって、激しく争っていました…

  • 李林甫の台頭

     朝廷で大きな権力をもっていた宰相・張九齢。張九齢と対立していたのが、同じく宰相の李林甫でした。 李林甫は隴西郡(甘粛省東南部)の出身で、唐の初代皇帝・高祖の…

  • 張九齢の台頭

     姚崇や宋璟が宮廷を去った後、朝廷で大きな権力をもっていたのが張九齢です。 張九齢は曲江(広東省韶関市)の出身で、702年に、25歳の若さで科挙の進士科に合格…

  • 玄宗の生い立ちと逸話

     玄宗について、長々とブログを書くつもりなので、順番が前後してスミマセンが、ここで、玄宗の生い立ちを紹介させていただければと思います。 李隆基(後の玄宗)は、…

  • 武恵妃誕生

     武氏は則天武后の従兄である武攸士の娘。3人が幼くして亡くなったとはいえ、玄宗との間に7人もの子どもを授かった武氏は、則天武后と血の繋がりがあるせいか、野心を…

  • 側室・武氏②

     玄宗は武氏との間に授かった子どもを皇太子にしようと思っていましたが、皆幼くして亡くなってしまいました。 亡くなってしまっては、皇太子に冊立できません。 皇太…

  • 側室・武氏①

     王皇后が「子どもを授かりたい」と思っていたところ、新たなライバルが現れました。 則天武后の従兄である武攸士の娘・武氏です。 710年に起きたクーデターによっ…

  • 玄宗の3人の側室

     玄宗には30人もの后妃がいました。妻・王皇后との間には子どもを授かりませんでしたが、側室との間には、30人の男の子、29人の女の子、合計59人もの子どもを授…

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