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ブログタイトル
歴史で旅する
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歴史を学んで、情景を思い浮かべれば、いつでも、どこからでも旅はできる。 隙間時間を使って、旅をしませんか? ※歴史好きの私の自由研究まとめブログです✧٩(ˊωˋ*)و✧
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ブログ村参加:2020/10/04

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ゆこさんの新着記事

1件〜30件

  • ブログ追記のお知らせ④

    いつもご覧くださり、ありがとうございます(*´▽`*) 州や都市の位置関係が分かりやすいように、過去記事に地図を追加しました。 2020年9月16日にUPした…

  • 李賢の最期

     高宗の体調が悪い日が続き、武后は「陛下の病気を治せる者には、褒美を与える」と言って、高宗の病気を治してくれる者を探しました。 すると、明崇儼という陰陽師が、…

  • ブログ追記のお知らせ③

    いつもご覧くださり、ありがとうございます(*´▽`*) 州や都市の位置関係が分かりやすいように、過去記事に地図を追加しました。 2020年9月13日にUPした…

  • 太平公主の嫁入り

     尼寺に住み、道士となって、吐蕃に嫁がずに済んだ太平公主。→ 詳しくは 「魏元忠」 吐蕃が太平公主の降嫁を諦めたことを確認すると、太平公主を宮中に戻しました。…

  • ブログ追記のお知らせ②

    いつもご覧くださり、ありがとうございます(*´▽`*) 州や都市の位置関係が分かりやすいように、過去記事に地図を追加しました。 2020年9月8日にUPした、…

  • 武后の秘書・上官婉児

     678年、武后は、上官婉児という14歳の少女を秘書にしました。 上官婉児の姓に、ピンときた人もいるのではないでしょうか。 そう、上官婉児は、長孫無忌を失った…

  • 皇太子・李賢の成長

     毒殺された李弘に続いて、皇太子に即位したのは李賢です。 この時、李賢は21歳でしたが、太子妃に房氏を迎えていて、既に、李光順、李守礼、守義という3人の男の子…

  • ブログ追記のお知らせ①

    いつもご覧くださり、ありがとうございます(*´▽`*) 則天武后について、引き続き調べていたところ、追記したい話がありましたので、過去記事に追記しました。 2…

  • 外交と兵法に長けた裴行倹

     674年、ペルシャから、ビルスが亡命してきました。 ビルスはペルシャで400年以上続いた、ササン王朝の最期の王・ヤスディギルトの子どもで、ヤスディギルトが殺…

  • 李弘の最期

     心優しい李弘に感動してきた高宗に対し、「将来、その優しさが仇になるかもしれない」と心配していた武后。 また、自分の地位を脅かす李弘を、武后は邪魔に思っていま…

  • 12箇条の政治主張

     臣下が認め、高宗が嫉妬するほどの武后の政治手腕。武后はどのように政治手腕を磨いたのでしょうか。 初めて宮廷入りした時に、武后は内文学館に通っていましたね。→…

  • 幽閉された二公主

     ある日、李弘は20年間も幽閉されている2人の女性に出会いました。 この2人の女性は、蕭淑妃の娘・義陽公主と宣白公主でした。蕭淑妃は、655年に、王皇后と一緒…

  • 李弘の結婚

     武后の地位を脅かす存在となっていた皇太子・李弘。 武后は李弘を邪魔に思い始めましたが、李弘は皇太子としてはもちろん、将来の皇帝としてふさわしかったのでしょう…

  • 武承嗣

     671年、武氏の後継ぎだった賀蘭敏之を殺した武后は、異母兄弟である武元爽の長子・武承嗣を後継ぎ候補としました。 武元爽と一緒に、振州(海南省三亜市)に流され…

  • 武敏之の最期

     671年、皇太子・李弘が20歳の時、武后は太子妃を迎えることにしました。 太子妃に選ばれたのは、司衛少卿(兵器を管理する役所の次官)・楊思倹の娘(以下、楊氏…

  • 武后と李弘の確執

     「門閥貴族出身の高官や将軍の子弟は、有能ではない」という魏元忠の言葉を受けて、武后は高官を一新しようとしていました。→ 詳しくは 「魏元忠」 魏元忠の言うと…

  • 皇太子・李弘の成長

     武后と高宗の間には、李弘、李賢、李顕、李旦という男の子、太平公主(令月)という女の子がいました。 まず、皇太子に即位したのは李弘です。李弘が生まれた経緯を振…

  • 武氏の後継ぎ・武敏之

     武后は武氏を誰に継がせるか、頭を悩ませていました。 武照は三姉妹の次女です。姉の韓国夫人は毒殺してしまいました。妹は早くに亡くなりました。例え、姉妹が生きて…

  • 魏元忠

     吐蕃の侵攻に手をこまねいていた高宗。 すると、吐蕃が、「武后の娘・太平公主を吐蕃の国王に嫁がせれば、唐を攻めない」と条件を提示してきました。 太平公主は、武…

  • 吐蕃の侵攻

     高句麗が滅亡して間もなく、吐蕃が嶺南に侵攻してきました。唐軍は休む暇がありませんねヾ(・ω・`;)ノ 吐蕃は弄讃干武(ソンツェンガンポ)が、現在のチベットに…

  • 高句麗征討

     660年に唐軍が高句麗を大破したものの、その後も、高句麗は唐の領土に侵入していました。→ 詳しくは 「垂簾の政」 そこで、高宗は再び高句麗を征討することにし…

  • 李義府の最期

     武后が皇后になる前から、武后に取り入っていた李義府。武后が皇后になった後も、李義府は武后に取り入り続け、今や宰相となって、官吏の人事を任されていました。 官…

  • 魏国夫人の最期

     韓国夫人には、故・慶蘭越石との間に、賀蘭敏之という息子、賀蘭敏月という娘がいました。 母に先立たれた賀蘭敏月を不憫に思った高宗は、賀蘭敏月に魏国夫人の称号を…

  • ランキング参加のお知らせ

    いつもご愛読くださり、ありがとうございます✨ 皆様のアクセス、感想が、めちゃくちゃ励みになっています(人''▽`) そこで、ブログランキングに参加することにし…

  • 韓国夫人の最期

     持病の風眩が悪化した高宗は、上奏に目を通すことができなくなりました。 そこで、武后は「私が代わりに目を通しましょう」とかって出て、政務をどんどんこなしていき…

  • 安定公主の葬儀

     武后が李弘を出産し、昭儀として宮廷入りした後、自身にとって、第二子となる娘を出産していましたよね。 その娘は名前を付けられる前に、謎の死を遂げました。 娘を…

  • 廃妃の危機

     664年、高宗の耳に信じられない話が飛び込んできました。 高官の王伏勝が、「武后が祈祷師・郭行真を呼んで、まじないをしています」と密告したんです。 高宗が臣…

  • 封禅の大儀@泰山

     王皇后派を完全に排除した659年。許敬宗は、高宗に、「是非とも、封禅の大儀を行うべきです」と言いました。 封禅とは、国が繁栄していることを、皇帝が天地に感謝…

  • 垂簾の政

     高宗は生まれつき身体が弱く、持病がありました。風眩(ふうげん)という病気で、頭に血がたまって、次第に目が見えなくなるんです。 高宗を心配した武后は、「陛下は…

  • 王皇后派の最期

     王皇后と蕭淑妃を排除した武后が次に行ったのは、自分が皇后になることに反対していた高官、つまり、王皇后派を完全に排除すること。 長孫無忌、褚遂良、韓瑗、来済は…

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