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2020/08/28

  • ありがたきコメントより

    以前の記事に、義理のお母様のほのぼのとしていて、そして世相を反映したコメントを寄せて下さったjeanloiseの文言を掲載します。ご本人の承諾は得ています。「ランダムにブログを閲覧している途中で発見。イントロの小寄道さんらしい説明にクスっとなりました。そして逆バージョンになるかもしれませんが、義母のハナシを思い出しました。相方の両親は、南仏マルセイユ近郊に住んでいるのですが、ある日義母から相方に電話があり、私たちがプレゼントした財布をなくしたと申し訳なさそうに嘆いていたそうです。その日、運転中にヒッチハイク女子3人を乗せ、途中である彼女らの目的地で下ろしたのはいいものの、家に帰って財布の入ったポシェットを盗まれていたことに気づいたとか。身分証明、運転免許、健康保険カード、銀行カード一式が入っていたとか。す...ありがたきコメントより

  • ご愛読ありがとうございました

    月日、小寄道は永眠いたしました。享年は73歳になります。生前より皆様のご愛読に感謝し、本ブログを書き続けられる。それこそが自分の余生を生ききる愉しみだと申しておりました。本当にありがとうございました。なお、このブログはこのまましばらく残したいと存じます。小寄道の妻上記の文章は小寄道が認めたものです。2月26日という日付けを入れて私が書いたものとして投稿すべきだったのですが、ここまで小寄道が用意していた事を分かって頂きたくてそのままにしました。本当に今までお世話になりました。皆様のコメントに励まされ、1年4ヶ月の闘病生活を送れたのだと思います。今は空の上から笑顔で見守ってくれています。ありがとうございました。ご愛読ありがとうございました

  • ジェルメーヌ・リシエほか春の美術展

    ★新収蔵&特別公開ジェルメーヌ・リシエ《蟻》小企画展会期2024.1.23–4.7会場:東京国立近代美術館2Fギャラリー4美術館サイドの紹介記事(転載)フランスの彫刻家ジェルメーヌ・リシエの彫刻《蟻》(1953年)を初公開します。リシエ(1902–59)は、第二次大戦後における女性彫刻家の先駆的存在の一人で、近年その再評価が急速に進んでいます。オーギュスト・ロダンの助手、エミール=アントワーヌ・ブールデルに学び、古典的彫塑の手法を守った点で近代彫刻の正当な継承者と言える一方、人体と自然界・動植物のイメージを有機的に結合させた独自の作風を確立して注目を浴びますが、キャリア全盛期に病に倒れました。リシエと同時期にブールデルに学んだ戦前の日本人彫刻家、リシエに大きな影響を受けた戦後の日本人彫刻家、第二次大戦後の...ジェルメーヌ・リシエほか春の美術展

  • 切れぎれの近況について⑤

    しばらく書けない日が続いた。もうあの世に逝ったんじゃないかと、余計な心配をかけていたら申しわけない。そんなアホな、己惚れている場合じゃないなぞと、お叱りをうけそうな気もする。早い話が気力は減衰し、いろんな箇所のポテンシャルが下がってしまったこと。それが主たる理由。愚痴や弱音を吐くのは、潔よしとしない高潔の士、いやいや多分に高慢ちきな性格が滲みだしている。この書きようにして馬脚をあらわしている。妄言多謝暮れから正月にかけて食欲が落ち、体重は50キロを割った。その後いろいろあって、オピオイド系(モルヒネ系)のクスリを服用することで多少の副作用が生じているが、現状維持はなんとか続いているのでご安心あれ。というより、1日12時間ほども眠りにつく。身体が要求しているとの見解だが、こうもだらだらと横になっているのは如...切れぎれの近況について⑤

  • 初天神ひそりと梅は陽だまりに

    明けましておめでとうございます。新年を飾る年賀のイメージは、ありきたりの梅の花を借りた。昨年から地元の景色を背景にすることをあきらめ、干支の雰囲気だけで正月らしさを演出したのであるが・・。2024年、令和6年の干支は、空想上の動物である「竜」なので、ついに弾が尽きた。梅に似合う「竜」はなかなか見つけられなかった。清少納言は書き残した。「ただ過ぎにすぎるものは、人の齢(よわい)、春夏秋冬、帆上げたる舟・・」すべては過ぎていく、時の流れも、人の生き死にも。帆上げたる湖上の舟は、しーんとして動いてないように見える。夢のなかでぼんやり浮かんでいて、少しも過ぎ去っていかない。永遠にとどまっているかのように見える。ただそれはその時のこと、齢をかさねれば違って見えるかもしれない。俯瞰的にみればそれは過ぎ去りし舟なのだ。...初天神ひそりと梅は陽だまりに

  • 報道写真展、車椅子で観る

    年末の報道写真展を観に日本橋三越へ行った。わが家の恒例行事といったところ。昨年は、正月を家で迎えるための一時的な退院の時だった。去年のブログを読み返すと、食事や病気のことなぞ、ぐだぐだと・・。最後に申し訳程度に、報道写真展に行ったことを書いている。実際は内容がどうだったのか、具体的にふれていないのは何ぞやである。外出すると決めたからには、新鮮な外気を吸い、人々の活力ある動きに元気をいただこう。そんな気持ちが、今の自分にとって最上のクスリである。とはいえ内実は、行くことが決定した二日前から体調は落ち、食欲のない不振状態が続いていた。家を出てみれば、20mほど歩くと息切れし、咳が出て疲れを感じた。ドラクエではないが、毒の呪いをかけられ、歩くたびにHPポイントが減ってしまう。それに等しい消耗度だ。本格的な冬の訪...報道写真展、車椅子で観る

  • ゴジラ-1.0、IMAXで観る

    噂では聞いていたが、IMAX(アイマックス)というシステムを完備した映画館でみる『ゴジラー1.0』は、やはり想像を超えるド迫力だった。この齢でIMAXを経験しないのは悔いが残る。そんな✖✖な、笑わせるなという人はいるだろうが、正直にいえば、死ぬまでには一度観て体感したかったことは確かだ。当然のごとく、小津安二郎をIMAXで見るのはお門違いだ。今回の『ゴジラー1.0』はまさにIMAXを前提にした映画製作であり、もちろん作品のストーリー性、役者たちの渾身の演技も素晴らしく、存分に楽しめたことは言うまでもない。まずは、海外版予告編や映像クリップ集というの見つけた。ここに紹介するのは問題ないと思うが、ストップがかかり削除の憂き目にあうかもしれないので、お早めにどうぞ。『ゴジラー1.0』を、湾曲した大スクリーンと1...ゴジラ-1.0、IMAXで観る

  • 愛猫の死、経惟と弘

    三匹の死んだ猫(部分)長田弘二十年かかって、三匹の猫は、九つのいのちを十分に使い果たして、死んだ。生けるものがこの世に遺せる最後のものは、いまわの際まで生き切るというそのプライドなのではないか。雨を聴きながら、夜、プライドを失わずに、死んでゆくことの難しさについて考えている。上記の詩は、長田弘の『死者の贈り物』という詩集にある「三匹の死んだ猫」の最後の部分である。全体は27行であるから、それほど長い詩ではない。なぜ、冒頭にこの詩を冠したかというと、本棚を整理していたら、荒木経惟の小さな写真集『チロの愛死』が出てきた。病をえて再び見ると、感じ方が違う。避けられない定めは受け入れるしかない・・ただ無性に悲しくなった。で、見終わったあとに、放心の体で書棚の本をつらつらと眺めていたら、長田弘の詩を思いだしたのだ。...愛猫の死、経惟と弘

  • 木口版画家・日輪尊夫の近くへ

    柄澤齊(からさわひとし)著『銀河の棺』のなかの「星より近き」に、すこし読み進むと日輪尊夫(ひわたかお)について書かれた、こんな文章がある。ヒワさんこと日輪尊夫は1941年高知市に生まれ、1992年同市で不帰の人となった。現代の木口版画はこの人に始まる。私がヒワさんの作品と出遇ったのは1970年、銀座の画廊で開かれた個展会場でのことである。友人からすすめられて初めて入った地下の画廊で、その版画を見た時の総毛立つようなショックは今でもはっきり覚えている。白い壁面にかけられた額縁の中の一点一点が、この世に穿たれた深い闇の入り口であり、その中に限界まで圧縮された生命体を思わせる光の粒子が隙間なく蝟集している宇宙━━それはヒワさんの制作が最も旺盛であった時期の作品群、「カルパ」と題された連作と詩画集『卵』の展開で、...木口版画家・日輪尊夫の近くへ

  • 『棟方志功展』その後

    前回のブログの最後に「MOMAT館(所蔵作品展)に足を伸ばした。身体がふるえるような、嬉しい驚きに遭遇したのである」と書き残した。そのことを書く前に、さらに嬉しいトピックを発見した。木口版画家の柄澤齊さんについては、これまで版画芸術家としてだけでなく、文芸・芸術評論やミステリー小説を書く多才な人としても再三紹介している。なので詳しいことは省くが、山梨南アルプスの麓に住む柄澤さんが、最近『棟方志功展』に行ってきたことをフェイスブックで公開されていたのだ!いろいろ前後して申し訳ないが、実はMOMAT館に足を伸ばして、震えるほどの嬉しい真意とは、柄澤齊さんの師匠である日輪尊夫氏の作品、20点ほどが纏まって展示されていたからである!氏の実作品は数点しか見たことがなく、その全容を確認したことがなかった。で、駒込の「...『棟方志功展』その後

  • 生誕120年棟方志功展から

    過日、竹橋の東京国立近代美術館で開催している『棟方志功展メイキング・オブ・ムナカタ』に行ってきた。前回と同様に妻のたっての要望。祝日の前日、陽気はことのほか桂く、文句なしの散歩日和に思えた。疲れることは承知の上だが、ガウディ展のときのような混雑はないとの情報もあり、「まあ、行ってみるか」と重い腰を上げたのである。棟方志功は、子供のころから知っていた。その頃は芸術に特に親しんでいたわけではなく、知らぬまに向こうからやってきた、そんな感じの芸術家である。岡本太郎、山下清、梅原龍三郎、洋画家ではゴッホ、ピカソ、ユトリロらも同列である。当時、地元の芸術家といえば横山大観だが、岡倉天心との相違が分からず、とにかく偉い日本画家というイメージが勝手にこびりついている。棟方志功は、テレビでみたり、映画館でみる本編の間のド...生誕120年棟方志功展から

  • マイナンバーカードの変

    急遽、マイナンバーカードについての私見を覚書として残すことにした。一昨日のこと(11/22)、グーグルニュースのまとめサイト(各メディアの主要トピックニュース・地方新聞含)を読んでいたら、NHKニュースの「暗証番号設定必要ないマイナンバーカード12月中に導入へ」という見出しに目が留まった。記事としては以下の通り(ですます調を直し)。総務省は、認知症の人や高齢者に加え、希望するすべての人にマイナカードの対象を拡大し、来月中に導入する方向で調整を進めている。マイナカードの申請には暗証番号が必要だが、「設定や管理が難しい」という声が多く、当時の総務大臣が暗証番号のないカードを11月に導入する方針を示していた。また、すでに交付されたカードも暗証番号なしに切り替えが可能とのこと。総務省は自治体の準備期間を考慮して、...マイナンバーカードの変

  • 秋の散歩、なじみの銀杏の木へ

    ついこの前、一年以上も遠のいていた谷中墓地に行く。のぼりが辛い蛍坂を見ると、やり切れなさが先に立つ。春先の墓地に行けば、土は匂い立っている。冬は霜が降りるし、夏はいろんな虫が這いつくばっている。秋は桜の葉が黄色から真紅になる。銀杏の実も落ちはじめる。墓地のメイン通りは桜並木で、そこの土は踏み固められて面白くない。古い墓石の間の、人通りのない通路のような、雑草が生えている土がいい。ここは懐かしい、子どものころを思い出す場所だ。五重塔のあったところの近く、銀杏の木はずっと見覚えがあり、下日暮里に降りていく芋坂に出て、羽二重団子の店に降りるための、そう、メルクマール的な大木である。この木に辿りつく前に、了ごん寺さんのめだか、金魚をみる。もう咲き終わったしまった彼岸花も、紅白そろって見事だった。前記事のリンクを貼...秋の散歩、なじみの銀杏の木へ

  • 竹下節子さんのトークを聞きに

    何年ぶりだろうか、竹下さんにお会いできたのは。ほんとにコロナ禍は長く、大きな災いをもたらしたと思う。今年の3月か4月頃にも来日して講演会をなさったはずだが、入院中の身だったので行けなかったのは無念。今回は2回、講演というより軽いトークの会が開催された。来春に出版される本の内容にそった話になるらしい。初回のトークの日は、訪問診療の日で行けず、2回目の日仏会館の方に出席した。竹下さんの集いは、これまで参加者が女性9割ぐらいの印象であったが、今回は7対3、もしくは6対4ぐらいの構成であった。開始が18:30だったので、仕事終わりの男性陣が参加しやすかったのかな。学生風の若い男性もいたし、フランス人らしき男性が2名も出席していた。やはり恵比寿の日仏会館というロケーションが影響していたのであろうか・・。前置はさてお...竹下節子さんのトークを聞きに

  • 多摩永山のブックカフェを訪ねて

    今年のはじめ、神楽坂にデザイン事務所をもつ友人を訪ねた。きけば年内に多摩市に移り住み、仕事を減らしながらブックカフェをつくるとのこと。高齢化にそなえて、彼なりの考えや目算があるのだろう。そういえば、お互いに齢を喰って慌てふためくことのないよう、歳相応の心構えをもちたいものだ、と話し合ったこともあったかな。どちらかといえば東京の下町生まれの小生、新宿より西側のJR中央線沿線や小田急、京王線の私鉄沿線には縁もゆかりもない。但し、武蔵野の台地、森には、文学的な憧憬はあった。さらに奥多摩は、低山ハイキングの絶好地で、多摩市はその足がかりとしても理想的だと思う。これまで市街地の多摩方面はとりわけ行くこともなかったが、多摩ニュータウンなどの大規模団地が少子高齢化の影響でだいぶ様変わりしていると、何やらさびしいニュース...多摩永山のブックカフェを訪ねて

  • 希望のない国、イスラエル

    がんを患って、自分の生死の目途がついたとき、ブログには政治、社会的なテーマは避けようと決めた。なぜなら、昨今、書くことの根拠、エビデンスのことごとくが希薄で、信用のならないものに思えてきた。情報ソースはすべからくメディア経由であり、ITのSNSなどだが、それらはもはや信のおけない媒体であると、自分のなかではほぼ断定している。そうなのだ、自分にはそれらを客観的に取捨選択する確信、判断基準を持ち得なくなった。専門知のない自分がどう足掻いても、地に足をつけたつまり事実に基づいた文章は書けないのではないか、と。実に哀しいことだし、自信(confidens)の喪失でもある。ならば、自分の関心のあること、この齢でも学ぶべきこと、惹かれること、好きなこと、身の周りのほっこりすることを書いていこう、と。そう、決めてからは...希望のない国、イスラエル

  • 只見線・奥只見湖・清津峡、人気スポットへ

    新潟県十日町に近い津南温泉から、只見線の大白川駅へ。いま内外から熱い視線をあびるJR只見線は、福島県会津若松駅と新潟県魚沼市の小出駅を結ぶローカル秘境列車。沿線沿いの幾つかの駅が山間の秘境にあり、四季折々に自然の超絶景が見られ、列車とのコラボレーション写真は旅情をかきたてる。大規模な水害で不通になった区間もあるせいか、単線を走る小さな列車と人を寄せつかせない秘境との構図は、なんとも儚く、そして美しい。その希少さこそ唯一無二であり、消失してしまうものへのノスタルジアを醸成すると言っていい。海外のファンが増えるのも、むべなるかなであろう。鉄道オタクのみならず外国の秘境マニアが訪れるこの路線、去年10月から全線開通した。秋の紅葉を満喫する臨時列車も増車するらしい。小生らはシーズン序の口だから、と軽く考えていたが...只見線・奥只見湖・清津峡、人気スポットへ

  • 信濃から越後の海、ブナ林へ

    信越本線に乗って柿崎から柏崎へ。バスに乗り換えて寺泊に行く。柏崎駅前は、原発の最寄り駅なのであろう、ローカル駅とは思えない景観をみせる。駅前のタクシー乗り場には5,6台のクルマが待機していた。そのうち特急列車がとまったのだろう、まとまった人々が次々にタクシーに乗り込んで行った。半数はスーツ姿であったが、何か技術者を思わせる実直で頭が切れそうな男たち。たぶん柏崎刈羽原発の関係者かしらん。事実上の運転停止命令が出ているはずだが、何やら水面下で東電ならびに利権に群がる輩たちが、再稼働を画策しているんだと。どういう理路で物事をはこぶつもりなのか?まあ、そんなの関係ねぇと、強引にやるんだろう。フォッサマグナの大断層は近いのだ。さらに、大小の断層は、北陸地方を縦横に走っている。再稼働をすすめる人々は、安全性を担保する...信濃から越後の海、ブナ林へ

  • 青天の白馬三山を眺む

    10月は生誕月であるが、罹病してほぼ一年。早ければ3カ月、平均余命・・年の命だと御託宣を受けた。ま、なんとか丸一年を身過ぎ世過ぎ、無事に生きていることを歓びたい。何よりも、読者ほか誰彼問わずに、愚生を案じてくれた方々に感謝の念をあらわしたい。ありがとうございます。また、この日を祈念して、2ヶ月前から計画、準備してくれた妻には、万感の思いをこめて感謝と労いの言葉をとどけます。今日、ほぼ日本全国が秋晴れのなか、特急カイジに乗って長野県松本へ。駅前からバスで白馬三山を臨める「絶景テラス」に直行した。紅葉は始まったばかりで、山全体は部分的に赤と黄色が目立つ。ナナカマドは特に赤色が鮮やかで、心が湧きたつ。ゴンドラで行く「絶景テラス」では、冠雪の白馬岳たちが、どうぞ見てくださいな、と誇らしげに見下ろしていた。いやあ、...青天の白馬三山を眺む

  • 形のない時間の手触り

    ■『ポール・ヴァ―ゼンの植物標本』から堀江敏幸の「記憶の葉緑素」を読む30年ほど前のこと。フランスのリヨン、長距離バスの待ち合わせで2、3時間、待つことに・・。作家の堀江敏幸は、旧聖堂のある広場で古道具屋「オロバンシュ」(※注)にふらっと立ち寄る。書籍コーナーもあったが、理系の雑書が多く、数学、サイエンス系の専門書で占められていた。そのなかに紛れていたルソーの『ある散歩者の夢想』とモーリス・ルブランの『虎の牙』、表紙のくたびれたペーパーバック二冊を手にする。時間はまだたっぷりあったから、店のなかを物色する。おびただしい古道具類のなか、堀江は、薄い緑の細長い筒状の容器になんとなく惹きつけられた。店の主人から、植物採集につかう「胴乱」であることを教えられ、そこからポール・ヴァ―ゼンの話にひろがるのだが・・。こ...形のない時間の手触り

  • 連鎖する偶然、惹かれあう出会い

    スマホのOSはグーグルなので、撮った写真が「フォト」というアプリでクラウド上にストックされる。15GBまでは無料で、まだ10GBも空きがある。だから焦る必要はないのだけれど、古い写真を整理しようと思い立った。過去のストックをさかのぼって整理していたら熊谷守一絵画展(近代美術館※➡注)の写真群があった。そのなかになんと柳原義達の彫刻があった。過日、このブログにも載せた『孤独なる彫刻』という著書のトビラにあった裸婦像である。常設展示館の小さな空間に、等身大よりやや大きな彫刻が並んでいた。兜をかぶったサムライの彫刻は舟越保武の作品で、緊張感と静謐さが漂う彫琢であり、舟越桂の父親であることは承知していたし、『巨岩の花びら』という著書は卒読していたかと思う。彼の作品はどれもがキリスト教に関係するものが多かったので、...連鎖する偶然、惹かれあう出会い

  • 末盛千枝子さんのこと再び

    病院を退院した翌々日だったか、千葉県市原の「湖畔美術館」に行った。➡『末盛千枝子と舟越家の人々』その末盛千枝子さんが、先週月曜日・朝刊の半面記事「あの人に迫る」で近況が特集されていた。10年間続けた「3.11絵本プロジェクトいわて」はいちおう区切りをつけたものの、すべての人に絵本を読んで欲しいという思いは、いまだに尽きることのないご様子だった。御年82歳ながらお元気そうでうらやましい。大震災の1年前に岩手八幡平市に引っ越してから、現地の人々との交流を深めている。そのなかのエピソードが印象に残ったので、覚書として記す。陸前高田の友達の話が忘れられません。信号のある交差点を車で運転していたら、信号が青になったのに前の車が止まったまま動かない。後ろで待っている人たちが「もう青になっているよ」と言うと、前の車の人...末盛千枝子さんのこと再び

  • 夢二式美人に「可愛い」の源泉をみる

    以下の文章はいわば能書きにあたるので、タイトルにある「夢二式美人に『可愛い』の源泉をみる」の結論をはやく読まれたい方はどうぞジャンプされたし「侘び、寂び」と同じように、世界にむけて現代の日本人の精神性あるいは心性を表わす言葉とは何か?議論はあろうが、いちばんの候補といえるのは「可愛い」だ、と思ったのはいつの頃だったか。竹内整一が考察した「やさしさ」に関する一連の著作を読んだときか。それとも、経済学者森嶋通夫の『なぜ日本は没落するのか』を読んだ時か。いずれにしても2000年前後で、「失われた時代」に入ってたと自覚したときと重なる。その頃には、村上隆、奈良美智らの作品が、ジャパンアートとして世界のアートシーンで脚光を浴びていたと思う。彼らが表象したいコンセプトには、たぶん通奏低音として「可愛い」があり、西洋美...夢二式美人に「可愛い」の源泉をみる

  • 竹久夢二が求めた美とは何か

    前回記事の続き竹下夢二(1884~1934年)は、画家としてだけではない、様々な才能に秀でたマルチタレントだった。ウィキをちょいと引用する。・・数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、中でも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる。夢二について知っていることは、ほぼ以上のことに限られていた。現代でいえば、画家、イラストレーター、装丁家、グラフィックデザイナー、詩人、作詞家、童話作家...竹久夢二が求めた美とは何か

  • 本郷弥生あたりの散策

    週に1回訪問してくれる看護師さんは、歩くだけでも筋力がつきますから、といって爽やかに笑う。分かってますよとは言わない。ご心配無用、歩きは好きですからなんて、以前だったら自信たっぷりに返事していたかな。今はもう目で笑いながら、そうですね明日にでも行こうかな、と自然に言える爺さんになった。今回は行き先を本郷方面に向けて、なるべく杖を使わずに歩こうと思い立った。そのかわり本郷へは登り坂なのでタクシーに乗り、東大農学部の中にあるレストランを起点にしたコースに決定。一般開放されたレストラン・アブルボアは、何回か来たことがあり、ランチの小鉢風九種類の惣菜は美味であった。アフリカンテイストの民芸調インテリアも、独特の雰囲気をかもしだして好印象。3年ぶりの再訪であるが・・。それから農学部の裏から異人坂をぬけて、工学部(?...本郷弥生あたりの散策

  • 迷惑かけてもいいんだ

    抗がん剤の影響かとおもうが、手と足の筋力がみるみる失くなった。何かに掴まっていないと安定した姿勢が保てない。杖を使えば、辛(かろ)うじて歩ける。だから入院中には、X線検査やコンビニの買い物に行くときなど、介助してもらって車椅子を利用するように提案された。実際に利用して実感したのは、その便利さ、快適さはもちろん、介助していただく方への感謝である。そして、他人の憐み、同情の視線なぞはあまり感じない(ゼロではなかった)、むしろ優しさを含んだ無視であった。退院したばかりの頃は、自分用の車椅子をよく利用して外食なぞに行ったものだ。千葉の美術館に出かけたのも忘れがたい思い出になった(この辺りのことは当ブログに記している)。その他にも、車椅子や障碍者のことを考え、断片的ではあるが二、三のエピソードを備忘録として残してお...迷惑かけてもいいんだ

  • 三味線の音

    ふたたび永井荷風の話から。いまは亡きアヴァンギャルド詩人・俳人加藤郁乎の『俳人荷風』を読んでいて、江戸文化の素養を磨いた青年荷風について、こんな件があった。長唄や琴を能くした母親ゆずりとはいえ堅気の家庭に育った荷風が三味線の独稽古をはじめたのは遅く、中学校を卒業した明治三十年十九歳のころ、中学二、三年のころ琴古流の二代荒木古童門下の可童に弟子入りして尺八を学んだ。尺八の技術を完成するためには一通り三味線の道をも心得て置く必要があろう、というので三味線を手にした。家族に気付かれぬよう忍び駒をかけあたりを気遣う独稽古であった、と小品文「楽器」に明かしている。荷風の顔は面長で、痩せて背も高そうだ。着流しの、いかにも風流人の出立ちならば、浅草を歩くのも似合ったであろう。若いころからの写真をみても、文豪然とした超然...三味線の音

  • 夏の明るい寂寞かな

    枇杷の実は熟して百合の花は既に散り、昼も蚊の鳴く植込みの蔭には、七度も色を変えるという盛りの長い紫陽花の花さえ早や萎れてしまった。梅雨が過ぎて盆芝居の興行も千秋楽に近づくと誰も彼も避暑に行く。郷里へ帰る。そして、炎暑の明るい寂寞が都会を占領する。永井荷風の随筆集(岩波文庫)にある『夏の町』の冒頭の書き出しである。荷風がほぼ5年間の洋行(アメリカ、フランス)から帰って2年後に書いた随筆だ(発表は明治43年8月、東京散策記ともいえる『日和下駄』の執筆より4年前になる)。28歳という年齢を感じさせない熟達した書きようであり、江戸情緒を感じさせる叙述だ。冒頭にでてくる花たちは、初夏にわが町でも見かけた。お寺さんに自生したり、ご近所の庭先に咲いていて、今や懐かしく感じられる。東京のお盆は明治より新盆だが、旧盆の八月...夏の明るい寂寞かな

  • 柳原義達について、もう少しの話

    前回の続きジェルメーヌ・リシエについてIT検索していたら、興趣をそそられることが多々あった。ちょっと驚いたのは、後期の作品『蟻』(1953)が約3億3千万円で売買されていたこと。所蔵者は東京国立近代美術館、落札者は民間の美術関係会社。超高額だが、世界基準のリシエ評価としては、さもありなんと類推できる。そのほかの美術品の入札についても、想像をめぐらすこと多し。▲リシエ作『蟻』(1953)検索では、「柳原義達」という固有名はかなりの頻度で出た。柳原と矢内原伊作が、リシエについての評論を書いている(雑誌『みずゑ』)。リシエに関する単独の著作物は全くでてこない(無いのだろう)。国会図書館には、柳原名義のリシエに関する著書があるらしいが未確認。各大学の紀要いわゆる論文集には、ジェルメーヌ・リシエの名は散見できたが、...柳原義達について、もう少しの話

  • 女性彫刻家ジェルメーヌ・リシエが遺したもの

    ジェルメーヌ・リシエ(1902~1959)とは、フランスの女性彫刻家であり、ロダン(1840~1917)の高弟であったアントワーヌ・ブールデル(1861-1929)のそのまた愛弟子である。ブールデルは日本各地で巡回展が催されたこともあるが、ロダンほどには馴染みがないかな?いや、「弓を引くヘラクレス」をはじめ多くの彫刻やレリーフなどが各地の美術館に所蔵され、目にされた人は多いのではないか。また、ブールデルは自然主義のロダンの影響を脱して、独自の構築的な彫刻をめざしたとされる。それが、近代日本の彫刻界を牽引した高村光太郎をはじめ、佐藤忠良、舟越保武、後述する柳原義達らに多大なる影響をあたえたといえよう(アカデミズムから離れた在野の彫刻家グループ)。▲弓を引くヘラクレス▲瀕死のケンタウルスさて、ブールデルの弟子...女性彫刻家ジェルメーヌ・リシエが遺したもの

  • 緑は希望の色だ

    夏のそら流れる雲ああひとり好きないろみどりああひとり若いころに緑色が好きになった。ダークグリーンのジャケットを買ったら、女性のアートディレクターが新宿二丁目の人たちの好みだわ、と言ったことを思いだした。後でその理由を知ったが、好きなものにさしたる理由や根拠はない。緑は植物の葉緑素が根源であり、すべての生命の源でもある。だからというわけではない。緑はわたしにとって、希望のいろだ。春夏秋冬に緑はある。けっしていろあせない。ひかりを糧にしていのちをつくる。最近、フランスの諺を知った。”Tantqu'ilyadelavie,ilyadel'espoir.”「命がある限り、希望はある」ぐらいの意味で、単純直截ながらも力強いことばだ。「緑がある限り、命はある」と言いかえてもおかしくない。さしずめ日本なら「命あってのモ...緑は希望の色だ

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