嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線の終着駅、トロッコ亀岡駅でございます。築堤上にある単式1面1線の高架駅となっております。列車はここで折り返します。到着した列車から降りる乗客と同じ位に乗るために列車を待っていた乗客があるため、狭いホームがごった返し
京都市中京区で生まれ、成人前から関東(東京・埼玉)で暮らし、東京都江戸川区から単身で現在地の岡山市北区に赴任して、早くも10年。最大の趣味は「乗り鉄」かな?WEBのお仕事してるジジイです。
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松尾大社の蓬莱の庭でございます。重森三玲によって1975年(昭和50年)に築庭された庭園でございます。
松尾大社の楼門でございます。高さ約11メートルある大規模な門で、屋根は入母屋造檜皮葺、華美な装飾がない和様系古式の楼門でございます。
松尾大社は酒の神としても信仰され、醸造家からの信仰の篤い神社として有名でございます。本殿の檜皮葺の屋根は「両流造」とも「松尾造」とも称される独特のもので国の重要文化財に指定されておりますですな。境内入り口にある鳥居に掲げられている松尾大神と
阪急嵐山線の松尾大社駅のすぐそば、物集女街道を挟んだ四条通に建つ松尾大社の大鳥居でございます。傍らには酒甕のモニュメントが建っております。松尾大社は酒の神としても信仰され、醸造家からの信仰の篤い神社として有名でございます。
四条通の桂川に架る松尾橋でございます。このコンクリート橋が現在の橋に架け替えられたのは1953年(昭和28年)でございまして、吾輩と同い年でございます。この橋の上流、向かって左側はかつて毎年夏になるとブルトーザーで掘られた仮設プールが設営さ
梅宮大社は境内で猫が飼われていることでも有名なのだそうですな。吾輩の訪問時には拝殿に2匹の黒猫先輩がくつろいでおられましたですわ。
梅津にある梅宮大社でございます。境内の神苑は梅とアジサイなど四季折々の花で有名でございます。吾輩、生まれ育った生家のある西院から松尾に向かって四条通から一直線で到達出来るにも拘らず、今まで一度も来たことがなかった神社でございます。
京都市では近年のヒートアイランド現象や豪雨などによる水害への対策の一環として、雨庭の整備が進められておるのだそうでございます。雨庭とは降った雨水を下水道に直接放流することなく一時的に貯留しゆっくりと地中に浸透させる構造を持った植栽空間のこと
一人ディナーで訪問させていただきました。四条大宮、正確には猪熊綾小路上ルにあるお店、水だき・むつみ焼の「とり伊」さんです。近江牛しゃぶしゃぶを食べたんですが、旨くてリーズナブルなんで、さっそくお気に入りとなりましたですわ。また食べに伺いたい
今話題の近江牛肉ガチャ!自販機だそうです。ど冷えもん自販機でございます。四条大宮交差点そばにございました。色々ありますな~♪
かつては京都本線の特急車として活躍、阪急電鉄の花型車両であった6300系でございます。吾輩が大好きな車両でございまして。特急用車両の座を9300系に譲ったのち、1編成は「京とれいん」への改造、3編成は嵐山線向けに4両編成化の上でリニューアル
阪急電鉄嵐山線の嵐山駅でございます。現在は単線電化の路線である阪急嵐山線の終点駅で、櫛形3面2線の地上駅となっております。新京阪鉄道によって1928年(昭和3年)に開業した当時は、6面5線という巨大なターミナル駅でございました。今も残る3面
法輪寺の多宝塔でございます。1936年(昭和11年)に再建されたものだということですな。朱塗りの塔は対岸や渡月橋からもよく見えますね。
法輪寺の境内にある鎮守社、電電宮でございます。電気・電波の祖神として信仰されております。スマートフォンなどに入れて使うことができるSDメモリーカードのお守りなどを法輪寺の受付で売ってるんだそうですな~。吾輩もWEBが仕事でございますんで、奉
十三参りは数え年13歳になった子供が、虚空蔵菩薩に智恵を授かるために祈願するというものでございます。虚空蔵菩薩が姿を変えたという羊の像が法輪寺にございます。吾輩は来たことがないので智恵は授からずに悪知恵がついてしまったようでございます。それ
名勝嵐山の中腹にある法輪寺でございます。嵯峨の虚空蔵さんとも呼ばれる十三まいりが有名なお寺でございます。吾輩は過去訪れる機会がなくて、こちらには今回初めて伺いましたのでございます。
渡月小橋を渡ってすぐに目に付く十三まいりの看板、法輪寺裏参道入口でございます。ここを通ったことがなかったので、好奇心で通って見ることに致しました。吾輩の前方にも一組の女性二人連れがいらっしゃいましたので、釣られて行ったわけではございませんよ
渡月橋から中之島公園に架かる渡月小橋でございます。この橋は渡月橋に準ずる構造、渡月橋を意識した外観が採用されております。吾輩はかつてこの先から嵐山モンキーパークいわたやまに行くのが好きでね、よく行ってましたですね。懐かしいっす。
桂川に架かる渡月橋でございます。正確には桂川左岸と中之島公園の間に架かる歴史ある橋でございます。史跡かつ名勝である嵐山の、重要な交通手段でございます。一見すると木造の橋に見えるように工夫された鉄筋コンクリート造の橋でございます。と、橋を眺め
桂川に架かる渡月橋でございます。正確には桂川左岸と中之島公園の間に架かる歴史ある橋でございます。史跡かつ名勝である嵐山の、重要な交通手段でございます。一見すると木造の橋に見えるように工夫された鉄筋コンクリート造の橋でございます。
渡月橋のすぐそばにある車折神社嵐山頓宮でございます。春に行われる三船祭は車折神社の祭でございまして、そのための頓宮でございますな。頓宮とは仮の宮、一時的な宮のことで、御旅所と同義ですな。御旅所(おたびしょ)とは、wikipediaによります
桂川の渡月橋の少し上流にある堰、一ノ井堰でございます。葛野大堰(かどのおおい)とも呼ばれます。渡月橋から上流を大堰川と呼びますが、その由来はこの大堰でございます。葛野大堰は,5世紀頃に秦氏が造ったとされております。現在の一ノ井堰は戦後に洛西
嵐山でございます。渡月橋を境に上流が大堰川、下流が桂川と呼ばれますが、近年の地図何かでは桂川と表記されるようになっておりますですな。渡月橋の少し上流に一ノ井堰があって、上流はボート乗り場になっております。保津川下りの着船場にもなっております
嵐山公園亀山地区にある角倉了以翁像でございます。大堰川の改修と、高瀬川を開削した水運の父として有名な方でございます。高瀬川を開削するにあたり、朱印船貿易で得た莫大な私財を投じたそうで、もっともその後の通行料等ですぐに元は取れたらしいですな。
竹林の小径を抜けると嵐山公園亀山地区でございます。その中ほどにある津崎村岡局像でございます。幕末に近衛家に仕えた勤皇活動家、維新の女傑といわれた人ですな。晩年は嵯峨庶民の慈母と言われた方でございます。NHK大河ドラマ「篤姫」では星由里子さん
後醍醐天皇の吉野行宮時代の紫宸殿の様式と伝えられる多宝殿でございます。後醍醐天皇像を祀る祠堂なんですな。
天龍寺多宝殿の横にある平和観音と愛の泉でございます。観音像の前の池には観音様を守る三匹のカエルがおります。親分カエル前の水中には皿が置かれており、投げ銭で皿の中に納まれば幸せになると言われているらしいですな。沢山の硬貨が投げ込まれておりまし
大きな硯石がモニュメントとして設置されておりますが、これは法堂の天井墨画を描くときに実際に使われた硯なのだそうでございます。
竹林の小径から天龍寺北門、その先にある百花苑を散策いたしております。ここも外国人観光客が半数以上を占めておりましたですな。
竹林の小径の途中にある観音彫像、天龍寺北門の北側にある墓地にございます。ここを通る人々は竹林に夢中なんでほとんどが気にも留めずに通過して行きますな。
嵯峨野にございます野宮神社、読みは「ののみや」でございます。人気の高い竹林にあるので、ついでに観光されるような状態になっていますが、本来こちらが主役でございます。黒木鳥居は有名でございますな。吾輩訪問時も境内が外国人観光客で溢れ返っておりま
人でごった返しております、竹林の小径でございます。吾輩は12年前に花灯路の際に来て以来でございます。この人ごみ、70%位は外国人観光客でございます。人が写りこまないように写真撮影するなんざ至難の業でございますですな。凄い人気ですわ。
山陰本線の嵯峨嵐山駅でございます。嵯峨野線の愛称区間に含まれております。複線電化区間にある島式2面4線の地上駅で、南北自由通路のある橋上駅となっております。元の嵯峨駅から1994年(平成6年)に現在の嵯峨嵐山駅へ改称されております。元々山陰
山陰本線のうち、京都駅から園部駅までの間は嵯峨野線の愛称区間に含まれております。コロナ明けでインバウンド客が大挙押し寄せるようになった現在、特に京都駅から嵯峨嵐山駅までの間の混雑っぷりが極めて激しいのでございます。嵯峨嵐山駅までの区間運転列
京都駅の嵯峨野線こと山陰本線ホームでございますが、忍者がおりました。忍者の人形ですが、リアルなんでビックリでございます。この人形は東映太秦映画村、つまり東映太秦撮影所の美術スタッフが制作したものだそうで、極めてリアルなものでございますね。乗
岡山駅の新幹線上りホーム上にある倉敷ぶっかけうどんのふるいちJR岡山駅新幹線上りホーム店でございます。ふるいちのうどんをイオンモール岡山にあるフードコートの店以外で食べるのは初めてでございます。
近畿日本鉄道近鉄京都線の京都駅でございます。頭端式4面4線の高架駅となっております。かつては1階に改札口がありましたが、現在の改札口は東海道新幹線の京都駅中央改札と相対しております。
近鉄丹波橋駅でございます。複線電化区間にある相対式2面2線の地上駅で、京阪本線の丹波橋駅との間に自由通路の連絡通路がある橋上駅となっております。現在では特急を含む全列車の停車する駅でございます。京都市営地下鉄烏丸線から直通して来た京都市交2
近鉄丹波橋駅でございます。複線電化区間にある相対式2面2線の地上駅で、京阪本線の丹波橋駅との間に自由通路の連絡通路がある橋上駅となっております。現在では特急を含む全列車の停車する駅でございます。伊勢志摩ライナー、23000系電車の赤色編成が
四条大橋東詰すなわち京阪電車の祇園四条駅上に設置されている、出雲阿国像でございます。現在の大歌舞伎とチンドン屋の元になったとされている阿国歌舞伎を踊った伝説の人物でございます。平安遷都1200年を記念してここに設置されたものなのだそうですな
祇園は白川大和大路通の大和橋たもとにあるソシアルビルの白川ビルでございます。かつて吾輩は埼玉県在住の頃ですが、ここで従兄の一人がお店をやってましたのでね、何度か来ましたですな。懐かしいっす。
京都市随一の繁華街で歓楽街かつ観光地である祇園の内、末吉町通を東から西に歩いての散策でございます。切り通し辺りは京都らしい風情がございますな。
祇園といえば京都を代表する繁華街かつ歓楽街でございます。祇園会館がある辺りは祇園東と言われる地域になりまして、こちらにもお茶屋さんが多いのでございます。その中にある観亀稲荷神社でございます。
祇園の末吉町通にあるソシアルビル、冨貴ビルでございます。エントランスにある女神像がヨロシおすな~。
https://youtu.be/AQWm29HORLs?si=eJy9THL4faBav3_Z 祇園末吉町通にてお見掛けいたしました、美豚食堂でございます。吾輩の脳内に、♪アホが見る~豚のケツ~♪というフレーズとメロディーが再生されてしま
よしもと祇園花月が入居しているビル、祇園会館の北側にある喫茶店のCOLORADOでございます。玄関部に古いネオンサインであることをわざわざ示す標記がされております。ネオンサインって今ではLED全盛ですが、まだまだ現役のものも沢山あるんでしょ
円山公園内にある櫻洲山人中井弘之像でございます。明治26年(1893年)に京都府知事に就任した方なんですな。書家としても知られる人物なのだそうで。坂本龍馬・後藤象二郎らとの交友もあったのだそうですな。
円山公園内に建てられている働く少年の像でございます。吾輩は小学生高学年の頃から、京都市内で新聞配達をしていた少年時代を過ごしております。この像が建てられたのは昭和37年11月、その少し後から新聞配達をし始めたことになりますですな。この像がこ
国の名勝に指定されている円山公園でございます。池泉回遊式日本庭園となっていることでも有名でございます。園内に円山公園音楽堂がありますが、吾輩は一度だけですがここのステージで演奏した経験がございます。後にロックバンドとなる前身のアマチュアバン
八坂神社境内の末社、日吉社でございます。こちらも重要文化財に指定されております。祭神は大山咋神、大物主神でございます。脇の東北門鳥居をくぐりますと、円山公園となるのでございます。
八坂神社境内の末社、美御前社の前に湧き出ているご神水「美容水」でございます。肌に数滴つけると身も心も綺麗になるという言い伝えがあるのだそうですよ、そこの奥さん(←誰やねんw)。え?余計なお世話ですとな?ああ、そうでっかさいでっかwww
八坂神社境内の末社、美御前社でございます。こちらも重要文化財に指定されております。祭神は容姿端麗であったとの言い伝えから美容の神として信仰が厚い、天照大神と素盞嗚尊の契で生まれた多岐理毘売命、多岐津比売命、市杵島比売命の宗像三女神でございま
八坂神社境内の摂社、悪王子社でございます。重要文化財に指定されております。祭神は素戔嗚尊の荒魂でございます。現代語における「悪」と意味合いが異なり、この悪王子とは強力な王子という意味であり、力の神である素戔嗚尊を表しているのでございます。
八坂神社の境内にある忠盛灯籠でございます。「白河法皇が祇園女御のもとに赴こうとこの辺りを通った時に、前方に鬼のようなものが見えました。討伐を命じられた平忠盛は鬼の正体を見定めるために生け捕りにしたところ、灯籠に明かりを灯そうとしていた社僧で
八坂神社境内にある末社、大神宮社でございます。天照大神、豊受大神が祭神でございます。伊勢神宮京都出張所にあたる社ですなすなわち。
八坂神社の本殿下に龍穴池があり、そこを経由して湧いて出る地下水、祇園の御神水でございます。八坂神社の境内の各所に地下水が湧き出ているのでございます。
舞殿から祇園山鉾収蔵庫の方向に建てられていた時計塔、平安建都1200年記念・結成20周年記念、平成7年 京都みやこライオンズクラブ奉納、とあります。テッペンの屋根の形状、祇園祭山鉾を模したものですな。「和良以」と記されております。「和を以っ
八坂神社の表参道にある正門、南楼門でございます。入母屋造の門でございます。こちらも重要文化財に指定されております。また、隣にある手水舎もまた、重要文化財に指定されております。
八坂神社の舞殿でございます。こちらも重要文化財に指定されております。祇園祭の際には三基の神輿が奉安されます。花街の置屋や付近の料亭から奉納されたたくさんの提灯が周りを取り囲み、これらに毎夜明かりが灯されて、美しくも幻想的な雰囲気となるのでご
八坂神社の境内にある末社の大国主社前に設置されている「大国さまと白うさぎ」の石像でございます。日本神話「因幡の白兎」で大国主神がウサギを助ける場面を描いたものでございますね。鳥取のみならず、ここにもあるのだということを知らなかった吾輩でござ
八坂神社の境内にある末社、大国主社でございます。こちらも重要文化財でございます。
八坂神社の本殿でございます。本殿と拝殿(礼堂)が大屋根ひとつで覆われた1つの建物として建築されており、八坂神社独自の建築様式であり、神社本殿建築としては最大規模、1つの大屋根で覆われた別々の建物故の複雑な内部空間、三方に伸びる又庇などなどの
八坂神社の境内、摂末社でございます。疫神社は摂社で、重要文化財でございます。北向蛭子社は末社で、こちらも重要文化財でございます。
八坂神社の西楼門から境内に入って直ぐの位置にある手水舎でございます。その昔(←どの昔?)、高校生の吾輩は親友と共に「おけらまいり」に訪れた際にこの手水舎付近に出ていた屋台のそばうどん店でそれぞれが一杯のそばを注文して食べ始めたのでございます
八坂神社の西楼門でございます。西大門とも呼ばれておりますな。京都市のメインストリート、四条通が突き当たる祇園のランドマークで、この交差点のことを祇園石段下と呼ぶのでございます。吾輩も京都在住の頃=若かりし頃には大晦日に「おけらまいり」で何度
七条通りに面している猪熊門こと本願寺下間大門でございます。門のある猪熊通の左右に龍谷大学があり、突き当り正面に西本願寺の大玄関門と唐門がございます。吾輩はこの周辺を散策したのはお初なんですよ。
龍谷大学南黌でございます。こちらの建物も国指定重要文化財でございます。龍谷大学の元祖である大宮キャンパスは重要文化財だらけでございます。
龍谷大学北黌でございます。国指定重要文化財でございます。龍谷大学の元祖である大宮キャンパスは重要文化財だらけでございます。
日本三大唐門のひとつとも言われる西本願寺唐門、国宝でございます。豪華絢爛な装飾は見ものでございます。北小路通に面しておりますが、この小路に面している建物や建造物のほとんどが重要文化財なのだという一角ですな。
西本願寺の大玄関門でございます。国登録有形文化財でございます。唐門の隣に位置しております。北小路通に面しておりますが、この小路に面している建物や建造物のほとんどが重要文化財だという一角ですな。
大宮正面、西本願寺の大宮通側にあるこの建物、龍谷大学大宮図書館なんですな。西本願寺の境内なんで、本願寺の施設なんだろうとずっと思ってました。国宝・重要文化財を含む国内外の貴重書が多数所蔵されているのだそうです。
七条大宮の交差点にあったEF66形電気機関車のミニチュアモニュメントでございます。「京都・梅小路みんながつながるプロジェクト」の一環で設置されたものだそうですな。ここだけではなく様々な場所に様々な鉄道にまつわるオブジェが設置されたんだとか。
七条大宮の交差点にあったディーゼル機関車のミニチュアモニュメントでございます。「京都・梅小路みんながつながるプロジェクト」の一環で設置されたものだそうですな。ここだけではなく様々な場所に様々な鉄道にまつわるオブジェが設置されたんだとか。
永観堂こと禅林寺の放生池でございます。弁天池とも呼ばれております。紅葉の名所としても知られております。今は夏のクソ暑い時期ですんで紅葉は見れませんがさぞ美しいだろうなと想像に難くないですね。
永観堂こと禅林寺の境内、画仙堂のところにあった智恵と慈悲の地蔵像でございます。古くから学問が盛んだという禅林寺らしい像でございますですな。
永観堂こと禅林寺の境内にある「わらべの小径」モニュメントでございます。地蔵のような4体の像が乗っている道標となっております。境内に永観堂幼稚園があるのでございます。幼稚園に通じている道、それゆえの「わらべの小径」なのですな。
禅林寺永観堂の弁天池こと放生池にある弁天社でございます。慶応2年(1866年)に大田垣蓮月により建立された、と書いてありましたですな。勿論、紅葉の名所でございます。
永観堂こと禅林寺の南門でございます。永観堂は弁天池とも呼ばれる放生池が有名でございますね。
永観堂こと禅林寺でございます。浄土宗西山禅林寺派の総本山でございます。紅葉の名所として知られておりますですな。
永観堂と南禅寺の間にある東山中学・高等学校でございます。高校の方は吾輩の実の愚弟の出身校でございます。だから何?いや、隣の永観堂に行くんで通りすがっただけなんですわw
鹿ケ谷通にある正的院大寂門でございます。正的院は「元翁本元の塔頭で、元翁は元応元年(1319年)に南禅寺11世として住持し、正慶元年(1332年)に没し、その弟子たちにより南禅寺にも塔所が設けられて正的院となる。住職の松﨑大嶺は、玉川遠州流
南禅寺の塔頭、帰雲院でございます。「塔頭の最初期のものである。開祖は規庵祖円(南院国師)である。南院国師の墓がある。」とのことでございますですな。ここの裏手に水路閣からトンネルを経て来た疎水分線は一旦地上に顔を出す扇ダムがあって、二手に分か
南禅寺の龍渕閣でございます。坐禅会が行われる場所でございます。坐禅ってぇのは姿勢を正して坐った状態で瞑想、精神統一を行うという、禅宗の基本的な修行法でございますですな。うん、吾輩なんぞは、既に悟りの境地に達しているので不要ですな(←アホぬか
南禅寺の本坊および清涼殿でございます。国宝の方丈、小堀遠州作庭の方丈庭園に通じております。今回は暑くて参ったちゃんなのと時間的制約のため、外観のみ見させていただいております。
南禅寺の法堂でございます。中には入っておりませんが「慶長11年(1606年)に豊臣秀頼によって再建されたが、1895年(明治28年)にこたつの火の不始末で焼失した。現在の建物は、1909年(明治42年)に再建されたもの。本尊の釈迦如来坐像を
南禅寺水路閣でございます。全長93.2m、高さ約9mあるレンガ造りの構造物でございます。疎水分線の水路はこの上を通ったのち、若王子までの間トンネルとなり、若王子で再び地上に姿を現します。今や著名な観光地となった「哲学の道」の南端でございます
疏水分線でございます。蹴上発電所取水口から南禅寺水路閣までの間は人が通行できる小道になっております。疏水分線は南禅寺水路閣を過ぎると若王子までトンネルになり、若王子橋あたりで再び地上になると、そこからは銀閣寺道までの水路脇の道が「哲学の道」
琵琶湖疏水から水路式・流込み式の水力発電所である蹴上発電所へ水を送る取水口の付近です。蹴上発電所は今もなお、現役で稼働しているのでございます。落ち葉やゴミなどを取り除くためのベルトコンベアが設置されております。
蹴上疎水公園に建つ田邊朔郎博士像でございます。イケメンでございますな、そう思いません?そこの奥さん(←だから何処の奥さんかって聞いてるやんけw)。21歳で琵琶湖疏水の担当となった方で、「日本初の水力発電所の建設、関門海底トンネルの提言を行う
琵琶湖疏水越流堰でございます。堰によって分けられた水流は蹴上発電所へと続くんじゃなかったですかね。大迫力の流水音でございますが、見続けていて飽きないです。しかし、これだけの流量が琵琶湖から続いているかと思うと琵琶湖の偉大さが分かりますよね。
蹴上インクラインの頂上、琵琶湖疏水蹴上船溜でございます。琵琶湖から大阪までを繋いだ舟運の中継点でございますな。第3トンネルの右手に見えるレトロなレンガ造りの建物は旧御所水道ポンプ室なんですな。
京都市営地下鉄の蹴上駅から三条通の坂を九条山方面に登りますと見えてくる日向大神宮鳥居から参道を登ります。蹴上インクラインの頂上、蹴上船溜は日向大神宮参道でございます。疎水に架かる橋、大神宮橋の右手は今はびわ湖疏水船の蹴上乗下船場になっており
長岡天満宮には霊元上皇御寄進の石鳥居が2基あり、そのうちの1基は二の鳥居なんですが、平成30年(2018)の台風被害で倒壊し、現在は参道脇にモニュメントとして置かれております。
長岡天満宮の中興の祖、中小路宗城と宗康の父子の像が並んで建てられておりました。
長岡天満宮で見掛けた奉納石柱なんですが、何と一億円也と書かれたものを見て驚愕しましたですよ。いつ頃に奉納されたのか気になって日付を確認しましたら平成14年でしたね。お名前がありましたんでググって見ると、京都市にある会社のこの方でしたね。
天神さんと言えば、牛でございます。全国の天満宮には牛の像が数多く奉納されているのでございます。長岡天満宮の手水舎脇にも2体の神牛像がございます。
長岡天満宮本殿脇の臥牛神像でございます。極めて古い石造り彫刻で、「脆くなっているので手を触れないように」との注意書きがされております。
長岡天満宮本殿でございます。京都府の有形文化財に指定されているそうですな。「昭和16年に平安神宮より拝領移築したもの」とのことでございます。
長岡天満宮の境内でございます。吾輩は同じ阪急京都線沿線の西院駅付近で生まれ育ちましたが、ここに来たのは今回が初めてでございます。暑い中でしたのでササっと一周させてもらいましたが、見どころが沢山ありますな。石柱に書かれている「清廉潔白至誠一貫
長岡天満宮参道、八条ヶ池に架かる三連の太鼓橋でございます。中央が旧太鼓橋で、木造の橋、両脇が石造りの橋になっております。風情がありますですな~。
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嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線の終着駅、トロッコ亀岡駅でございます。築堤上にある単式1面1線の高架駅となっております。列車はここで折り返します。到着した列車から降りる乗客と同じ位に乗るために列車を待っていた乗客があるため、狭いホームがごった返し
嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線のトロッコ列車車窓の風景でございます。トロッコ嵯峨駅からトロッコ保津峡駅までの間の桂川沿いはワタクシが中学生の頃に頻繁に遊んだ場所でございます。夏にはここで泳いだのでございます。今では環境が変化しており、もうそれは
懐かしの山陰本線旧線からの景色を楽しむために嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線の一番列車に乗り込むのでございます。ワタクシが乗車する予定の初発便は立席以外売切れでございましたですよ。どえらい人気だな~と思って見ていましたら、インバウンド観光客が70
嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線のトロッコ嵯峨駅でございます。でっかいシャンデリアが天井からぶら下がっております。その下では当日乗車券を求める観光客が長蛇の列を作っております。ワタクシは事前に指定券をばネット購入しておりましたので、余裕のヨッチャ
嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線のトロッコ嵯峨駅の前庭、さざれ石の庭でございます。始発の列車に乗るために開門時間までインバウンド観光客の列に混じっている間に庭を撮影しておりますとそれを見た観光客が真似をして我も我もと撮影し始めるので、苦笑しきりで
トロッコ嵯峨駅の構内にある二宮金次郎像でございます。日本全国の至る所にある二宮金次郎こと二宮尊徳の幼少期の薪を背負って読書をする像はとりわけ全国の小学校に数多くあったわけですが、聞くところにより総数的には京都府内が一番多いっつう話ですな。修
山陰本線の嵯峨嵐山駅でございます。嵯峨野線の愛称も今やすっかり定着した感がありますな。現在の姿になって以来、北口に来た事がなかったので立ち寄ってみました。小振りなロータリーにタクシー乗り場が整備されております。列車が到着する度に観光客が大挙
嵐電嵯峨駅から嵯峨嵐山駅に向かう途中にある蕎麦&珈琲「ばんばん」でございます。オシャレなカフェのようなスタイルの店舗でございますが、ドリンクも提供する「立ち食いそば屋」なのでございますね。立ち食いそばってジャンルでくくると、恐らくは日本一オ
トロッコ嵯峨駅のすぐ近くにある、gazanなるお店が入っている建物なんですが、色んなブツが無造作に並べられております。売り物とかではない様子ですが、収拾されたものなんですかね。一際目立っていたのが丸形ポストもどき。観光客が多数押し寄せる場所
嵐電こと京福電気鉄道嵐山本線の四条大宮駅でございます。この駅には今年の夏に来て以来ですかな。今回乗車した車両は「江ノ電号」でございました。「江ノ電・嵐電姉妹提携」の際に車色を江ノ電カラーにしたモボ631形631号でございますね。今年10月に
最近、京都市内では四条大宮周辺に宿泊することが多いんですが、ふと目に留まった店、お酒の美術館でございます。なんとまあ大仰な店名をつけたもんだな~と思いましたが、後で知ったんですけれど日本国内に100店舗あるんですな。しかも四条大宮が本社所在
https://youtu.be/Xm0XLJ-UxS8?si=Qp8LnLQH1bO2nvi9 2019年の京都さくらパレード交歓コンサートで、京都橘高校吹奏楽部が演奏した京都御池中学校でございます。あ、聖地巡礼ってやつですな。
河原町御池の交差点東側、御池通に設置されたアート作品、アイランド・レイク(水の浮島)でございます。噴水もアートの一部なのだそうです。平安京の神泉苑に代表される庭園の池に通じる御池通にちなんで「水の庭」をテーマとしたのだそうです。御池通の名称
カトリック河原町教会の聖フランシスコザビエル聖堂入り口にある聖母子像でございます。あれ?こんなだったかな?と訝しく思うワタクシがここにいるのでございます。この像の記憶がないのでございます、はい。
カトリック河原町教会でございます。聖堂の名は聖フランシスコザビエル聖堂でございます。ワタクシの故郷みたいなモンですねんここ。付近にはしょっちゅう来ているんですが、聖堂の中に入ったのって多分10年振りか、それ以上カモ知れませんな。ちなみにワタ
カトリック河原町教会の河原町通りを挟んだ向かい側にある看板を見ましたら「世界一暇なラーメン屋」ですと。以前は別の中華料理店だった場所ですな。名古屋で「世界一暇な焼肉屋」ってぇのは見たことありますが、こんなのが出来たんですな~。まだ改装途中の
近鉄特急で近鉄丹波橋駅、そして京阪の丹波橋駅で乗り換えて三条駅を目指します。もう何度乗り換えに利用したか分からないほどにワタクシの乗り換え定番ルートでございまして。快速急行出町柳行、別名コンフォート・サルーンの3000系電車でございます。万
橿原神宮駅から近鉄丹波橋駅まで移動するのでございますが、京都行の特急ビスタカー、正確には30000系電車でございます。ワタクシと同様、かなりのロートルですが、いまだに現役でございます。ダブルデッカー二階席、ここに乗車するのは2年振り位でした
近畿日本鉄道の橿原神宮前駅でございます。標準軌である橿原線の島式2面4線、そのうちの最も外側の1線のみ線路が狭軌でございます。車両検査の際に五位堂検修車庫まで狭軌車両を回送する時や吉野線・南大阪線臨時列車で運行される列車と橿原線の列車との乗
橿原神宮の北参道でございます。普段は広大な敷地全体が閑散としておりますが、正月三が日の初詣や紀元祭が行われる建国記念日、それに毎年4月3日の神武天皇祭の時は参拝者で埋め尽くされるのでございます。人が疎らだと余計に厳かな雰囲気が漂っております