この世界には さまざまな生命が干渉して ひとりひとりの生命は 様々な姿として 様々な境涯として、 顕れる可能性があり ゆえに人の生命には無限の可能性がある。 人が自らの生命の一面を実相と見た時、 生命の他の面はあらゆる姿を消し去り まるで確率が収束するかのように それは実相となる。 量子力学が示す世界が 生命のふるまいを示したものなら 我が生命は無限に広がり あらゆる可能性を秘め、 どんな障害も乗り越えて 自在だということに他ならない。 すべては己自身が己の生命を いかに観るかで決まる。 大聖人様がすでに示し、 創価の3代が現代に蘇らせた哲理は 何の矛盾もなく、 この宇宙を統べる法則であった。
統一教会の問題があり 宗教2世が話題になっておりました。 創価学会の中にも 学会2世、学会3世という言葉があります。 学会1世(とは言わないのですが) 草創期には自ら発心して入会した人が多く 皆さん信仰の為の「動機」がありました。 しかし2世はどうでしょう。 信仰に熱心は両親は 自分を放置して活動に励み わずかに顔を合わせれば 勤行しなさいとか 池田先生のお役に立てる人材になりなさいとか それで素直に信仰する人がいますか? ということで 学会2世で頑張っている人は どこまでも素直な人か 自ら信仰の意味をつかんだ人 しかいないわけです。 しかし本質は違います。 信仰1世と信仰2世では 生きている…
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