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仏教についてのひとりごと https://shawshank-blog.hatenablog.com/

歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのかを探求してきました。 今までの仏教の知識を白紙にして、最古層の仏典から歴史上埋もれてきた仏陀の真意を探ることにしました。 そして、仏陀が説いた法は人類の至宝だとわかりました。

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2020/06/29

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  • 清水俊史著『ブッダという男』 ⑦(ブッダとはなにものなのか)

    この本の眼目である、ブッダは平和主義者だったのか、男女平等論者だったのか、階級差別反対論者だったのか、という3つについて考察してきました。 まず、この本の著者は、今までさんざん強調されていた『ブッダの独自性、先駆性』について疑問を投げかけているのだと思います。 このことは、今までの仏教解釈の間違いであったと私も思っています。 古代においても、現代においても、論点の違いはあっても、ブッダの教えを全くの独自で先駆的なもの、唯一無二、空前絶後のもの、誰からも影響を受けていないもの、それまでのすべてを全否定したもの、と強調されてきた歴史があります。 それは、ブッダ在世中からそういう傾向はあったと思いま…

  • 清水俊史著『ブッダという男』 ⑥(ブッダは平和主義者だったのか)

    この著者の『ブッダは平和主義者だったのか』という問いかけは、仏陀のみならず仏教界全体への言及がされていて興味深いものです。 著者は言います。 ※※※※※ 仏教は慈悲の教えであるーそう多くの仏教者が口を揃えて言う。 だが、長い歴史の中で、仏教が殺生や戦争を何らかの形で許容してきたのは事実である。 仏滅から500年ほどしてから成立した大乗経典には、「慈悲の殺人は功徳を生む」といった記述さえ説かれるようになる。 そして、それを根拠にして、アジア・太平洋戦争において日本の仏教教団は、「空」や「一殺多生」などの教理を援用しつつ暴力や戦争を肯定しし、戦時体制を翼賛し続けた。 ※※※※※ これはその通りです…

  • 清水俊史著『ブッダという男』 ⑤(階級差別について)

    カースト制度について この本でも取り上げられている仏陀の言葉があります。 パセーナディ王『四つの階級に差別はあるのでしょうか』 仏陀『私は、解脱には、何ら違いはないと説きます』 仏陀の考えはこの言葉に尽きていると思います。 カースト制度批判が、仏陀の独創でも先駆性でもない、という著者の結論には、全面的に賛同します。 著者は、それは、沙門宗教に共通する思想性の一つだと言います。その通りです。 著者は、それは、バラモン階級が勢いを失ったからだと書いています。 ここの考察が十分ではないでしょう。 私は、ヤージュニャヴァルキヤの先駆性が生んだと思っています。 バラモン教でバラモン階級のヤージュニャヴァ…

  • 清水俊史著『ブッダという男』 ④(男女差別について)

    さて、この『ブッダという男』という本の世間への最大の売りは、最近のブッダ研究が近代的価値観にあてはめて、ブッダは平和主義者で階級差別や男女差別を否定した先駆的人物としてきたことへの批判です。 それらの装飾を剥ぎ取ろうということのようです。 まずは、男女差別の問題です。 この本の主張を一言で言えば、ブッダが女性を蔑視している資料があるのだから、ブッダは男女平等論者ではない、ということのようです。 ブッダが女性を蔑視しているという証拠に、原始仏典の中の次の言葉を挙げています。 『女たちは、男を欲求し、着飾ることを思念し、子を拠り所とし、夫を共有する女(愛人)がいないことに執着し、家庭の支配権を完結…

  • 清水俊史著『ブッダという男』 ③(十二縁起)

    私は、十二縁起を真正面からまともに解説している仏教書を見たことがありません。 はっきり言って、すべての解説は、適当にお茶を濁しています。 何故か。それは本人も分かっていないからです。 そして、十二縁起を瞑想しようとする者がだれもいないからです。 十二縁起は、極めて重要な仏陀の瞑想の内容なのです。 四諦と十二縁起によって成道したのですから。 で、今回、話題の本ということで、この『ブッダという男』には十二縁起をどのように解説しているか、楽しみにしていました。 しかし、『いくつかの因果関係は、そのままでは理解しがたい。』『本書では、それぞれの支分についての細かな議論には立ち入らない』ということで終了…

  • 清水俊史著『ブッダという男』 ②(非我と無我)

    この本には賛同するところは多いですが、 ただ根本的なところで私の考えと全く違うところがあります。 それは、『非我』か『無我』かというところです。 清水氏も挙げているように、仏陀は、 『眼(・耳・鼻・舌・身・意)は自己ならざるものです。自己ならざるものは「これは私のものでない。これは私ではない。これは私の自己ではない」とこのように正しい智慧によって観察されるべきです。』 『諸々の色(・声・香・味・触・法)は無常です。無常であるものは苦です。苦であるものは自己ならざるものです。自己ならざるものは、「これは私のものでない。これは私ではない。これは私の自己ではない」とこのように正しい智慧によって観察さ…

  • 清水俊史著『ブッダという男』

    清水俊史氏という仏教学者が書いた『ブッダという男』という本が、仏教界で話題になっていますので、読んでみました。 アカハラ問題という社会的な話題も大きく寄与して注目度が極めて高い本です。 今までの仏教学や仏教常識に異論を唱えています。 その趣旨にはとても賛同します。 このように、今までの仏教常識にとらわれず、歴史的な権威もいったん白紙にして、自由に仏陀の真意に迫ろうという動きは、これから大きくなっていくことでしょう。 それは、私の『仏陀の真意』にも書いたとおりです。 あらゆる権威を否定して、直に仏陀の人物像や理念に迫りたいという運動が大きくなっていくことを願っています。 さて、読み終えて、賛同す…

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