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仏教についてのひとりごと https://shawshank-blog.hatenablog.com/

歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのかを探求してきました。 今までの仏教の知識を白紙にして、最古層の仏典から歴史上埋もれてきた仏陀の真意を探ることにしました。 そして、仏陀が説いた法は人類の至宝だとわかりました。

ショーシャンク
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2020/06/29

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  • 何故インドで仏教は滅びたのか

    インドで発祥した仏教ですが、発祥の地インドではいったん仏教は滅んでいます。 現代になって日本人僧侶がカースト下位の人たちのために仏教を布教し仏教徒は少しずつ増えているようですが、やはりヒンドゥー教徒がほとんどで仏教徒はごく少数(1%未満)にしか過ぎません。 なぜでしょうか。 インドでの仏教については、大乗仏教の国日本に生まれた私たちは、こう思っています。少なくとも私はこう思っていました。 ※※※※※ 紀元前5世紀くらいに仏陀によりインドで興った仏教は、アショカ王などの庇護のもの、インド全土に広まっていました。 紀元1世紀ころ大乗仏教が興り、紀元2世紀くらいに稀代の論師龍樹がそれまでの小乗仏教を…

  • 出版業界について

    本の価値とはどういうものでしょうか。 映画業界を喩えとしてみます。 現在、映画で名作と言われる作品は、制作費や広告宣伝費を膨大にかけたメガヒット作品にはほとんどありません。 例えば、今でこそ、名作中の名作と言われる『ショーシャンクの空に』ですが、上映時、興行的には鳴かず飛ばずでした。アカデミー賞などの賞にも無縁でした。 上映されて十年以上は全くの無名映画で、ごく一部のマニアで知られているくらいでした。 私が『ショーシャンク』というハンドルネームをつけたときもそれが映画の名前だと分かる人はほとんどいませんでした。 しかし、今では、名作と言えば、この映画がトップに上がります。 ほとんど誰でも知って…

  • 嘘はやめてほしい

    マニカナでミチオという者がデタラメを書いていますね。 私が、『自分の隣に証券会社の社長がいる』という投稿をして、金持ちアピールしたとのこと。 全くの嘘です。 証券会社の社長でも支店長でもただの営業マンでも、来ているとか、商談しているとか、一度も投稿したことはありません。 私が金融機関との交渉のことに触れたのは、『ドラマ「半沢直樹」で中小企業の社長が銀行の担当に土下座して融資を頼むシーンがあります。しかし、私は自分の会社が倒産寸前だったときでも、日本で最大の銀行の支店長に対しても「お願い」したことはありません。金融庁の通達などを示して、「こうこうこうだからお宅の銀行は私の会社に融資しなければなら…

  • 『仏陀の真意』第2章「仏陀の言葉の本当の意味」第13項『戒律』

    【戒律】 最初期の仏教においては、戒律はたったひとつだけでした。 少なくとも、仏陀の弟子が1250人を超えるまでは、具足戒はひとつでした。 舎利弗と目連が250人を引き連れてやってきて弟子入りしたときも、仏陀に『尊いお方よ、私たちは幸あるお方のもとで出家して、具足戒を得たいと存じます。』というと、仏陀は 『来なさい。比丘たちよ。真理は善く説かれた。梵行を修して、正しく苦を滅ぼしなさい。』と言いました。 これが、具足戒となったと最古の仏伝には書かれています。 すなわち、最初期の仏教には、『梵行を修して、正しく苦を滅ぼしなさい』というたったひとつの戒律だけでした。 梵行とは、パーリ語でbrahma…

  • 『仏陀の真意』第2章「仏陀の言葉の本当の意味」第12項『天上天下唯我独尊』

    【天上天下唯我独尊】 『天上天下唯我独尊』と言う言葉は、仏陀が成道してから初めて遇ったウパカに対して答えたときの偈から来ています。【われは一切勝者、一切知者である。一切の法のために縛せられず、すべてを捨てて、渇愛尽きて解脱した。みずから覚りて誰をか師といおう。われには師もない。等しい者もない。この世にはわれに比すべき者はない。ただひとりなる正等覚者にして、清く涼やかなる涅槃を得たのである。】 この【この世にはわれに比すべき者はない】が、【天上天下唯我独尊】の伝説になったと見ています。 中部経典『聖求経』(片山一良訳)ではこうあります。 神々をふくむ世界において 私に比肩する者はなし 私は世界の…

  • 『仏陀の真意』第2章「仏陀の言葉の本当の意味」第9項『中道』

    【中道】 初転法輪のときに、苦行の道でもなく快楽の道でもなく、中道を行く、と説かれます。このことから、中道とは、苦行と快楽の中間の道のことだと思う人が多いです。極端な禁欲生活でもなく、極端な快楽耽溺でもない、その中間のほどほど禁欲、ほどほど快楽で度を過ぎないことだろうという解釈です。 仏陀は、初転法輪のときにこう説きました。 なんじらは、まさに知るべきである。 世には二つの極端がある。出家の行者はそれを学んではならぬ。二つの極端とは何であろうか。 一つには、もろもろの欲に愛著することである。それは卑しく、凡夫のわざであって、聖ではない。益するところはない。 二つには、自ら苦しめることである。そ…

  • 『仏陀の真意』第2章「仏陀の言葉の本当の意味」第6項『煩悩』

    【煩悩】 一般的には、煩悩とは欲望のことだと思われています。 欲望をなるべく少なくしていくこと、足るを知るということが煩悩をなくしていくことだと言う人は多いです。 ところが本能も欲望です。食欲を否定すると死んでしまいますし、性欲を否定すると人類は絶滅します。 だから、欲望はなくならない、煩悩はなくならないものだろうということになっていきました。 もっと時代が下れば、煩悩はあるがままでよい、とか、煩悩がなければ菩提に近づけないとか言われ始め、煩悩即菩提と言う言葉が流行していきます。 しかし、仏陀はそうは言いませんでした。 煩悩を滅して解脱したと言ったのです。 煩悩とは束縛のことです。 精神の自由…

  • 『仏陀の真意』第2章「仏陀の言葉の本当の意味」第5項『空』

    【空】 今の仏教の根本教理と見なされ最も重要視されている【空】ですが、実は、歴史上の仏陀はあまり説いていません。 最古層の仏典『スッタニパータ』で【空】が説かれているのは 【つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。 そうすれば死を乗り超えることができるであろう。 このように世界を観ずる人を〈死の王〉は見ることがない。】 の箇所くらいです。 それでは、仏陀がスッタニパータで説いた【世界を空なりと観ぜよ】の【空】とはどういう意味でしょうか。 それを解明するには、『ダンマパダ』の 【世の中は泡沫のごとしと見よ。 世の中はかげろうのごとしと見よ。 世の中をこのように観…

  • 『仏陀の真意』第2章「仏陀の言葉の本当の意味」第4項『縁起』

    【縁起】 現代の日本で『縁起』と言えば、宗派を超えて、次のような意味に解され、説かれることが多いです。 『私たちは自分以外の無数の存在に生かされている。だから自分なんてない。家族や会社や近所の人たちは当然だけど、今食べている米や野菜を作ってくれた農家さん、それを運ぶ人、それを売る人、いま食べて生きることができているのは、そういう無数の人に支えられていて生かされている。それをご縁という。わたしたちは、縁起によって生かされている命だ。ご縁というのはありがたいもの。ご縁を大切に。』 これが日本仏教の『縁起』です。 しかし、歴史上の仏陀が説いた縁起とは全く違います。仏陀がこのような意味で『縁起』と言う…

  • 枯渇している人には

    マニカナで、凡人さんという私は初めてお見かけした人が、私の著書『仏陀の真意』を紹介してくださっています。 もちろん、とても有り難いことなのですけど、実は私は、実社会でも、自分が仏教の本を出版したことはほとんど言っていません。 仏教に興味のない人、仏教をほとんど知らない人にはわざわざ言わないのです。 ですから、実生活で私が本を出したことを知っている人はほんの十数人くらいです。 顧問弁護士や顧問税理士は出版社との出版契約の時に相談したところ、『出版されたら必ず買いますのでその本にサインください。』などと冗談言われたので、仕方なく本ができたときに送りましたが、どちらも仏教には全く興味のない人たちです…

  • 在庫切れについて

    いま、私の著書『仏陀の真意』が、Amazonにて在庫切れとなって1週間以上経っており、ご質問のメールをいくつかいただいております。 出版社に問い合わせたところ、6月28日には、Amazonにも在庫がある状態になるとのことです。 現在、Amazonを見ると、中古本が1429円から4125円、新品は4455円から4785円で売られているようです。 6月28日には、新品が定価通りの1650円で豊富に補充される予定ですので、それまでお待ちください。

  • 十二縁起は解明されてこなかった

    十二縁起の話題が出たので、手元の仏教解説書などを無作為に見てみると、驚くことにほとんど十二縁起を解説したものがないですね。 田上太秀『仏教の真実』、植木雅俊『仏教、本当の教え』、中村元他『ブッダの人と思想』、ワールポラ・ラーフラ『ブッダが説いたこと』、早島鏡正『ゴータマ・ブッダ』など、アトランダムに開いてみましたが、十二縁起の解説は一冊もなかったです。 仮にあったとしても、原始仏典を無視して、ただ勝手に十二個の項目を脈絡もなく訳しただけのものばかりであり、到底、瞑想できるものではありません。 十二縁起は、仏陀が成道の時に瞑想した極めて重要な法です。 その解説が正しいかどうかは、まずは、縁起の公…

  • 十二縁起の真実

    たま (153.242.203.5) 2023-06-20 19:09:48 とても参考になるブログです ありがとう御座います たまさん、コメント、ありがとうございます。 十二縁起につき補足しますと、 Aがあれば Bがあり Aが生じるが故に Bが生じる Aがなければ Bはなく Aが滅するが故に Bが滅する この縁起の公式が、十二の項目にすべて当てはまらなくてはいけません。 つまり、 無明があれば 行があり 無明が生じるが故に 行が生じる 無明がなければ 行はなく 無明が滅するが故に 行が滅する 行があれば 識があり 行が生じるが故に 識が生じる 行がなければ 識はなく 行が滅するが故に 識が滅…

  • 十二縁起とは

    id:Nirala 2023-06-19 19:49:42 ショーシャンク様はじめまして、niralaといいます。 今日、心解脱、慧解脱をググっていて此方のblogへたどり着きました。 ショーシャンク様は、相当な努力をされ学ばれたんだと思われます、 そのような方のblogを読ませていただけた縁に感謝いたします。 仏陀の理法としての十二縁起ですが 中村元先生『原始仏典』において、仏伝P20の菩提樹のもとでさとりを開く、にある 『 時に世尊はその夜の初更において、 縁起〔の理法〕を順逆の順序に従って良く考えられた。』 とあります、 ここにおいては、行の代わりに【生活作用】の文言が入っています、 そ…

  • 大乗仏教側の主張について

    仏教は、古くから、大乗仏教側からの『小乗仏教蔑視』と部派仏教からの『大乗非仏説』という構図で対立してきました。 近年は、文献学の発展により、どの仏典がより古層かということが明らかになってきており、原始仏典に基づく派の『大乗非仏説』が大きく勢力を伸ばしています。 いまのままでは、大乗非仏説の大波に仏教界は吞まれてしまう勢いです。 これに対し、大乗仏教側は、文献学を貶したり、中村元を個人攻撃したりするばかりです。 大乗仏教側からの反論という形で、『大乗非仏説をすべて論破した』というようなYouTubeもありましたので、アップします。 これのどこがおかしいでしょうか。 www.youtube.com…

  • dukkha(苦)の語源

    マニカナに貼られていたサイトに、dukkhaの語源について書かれたものがあり、私の疑念が晴れましたので、ここに触れます。 私は著書『仏陀の真意』にこう書きました。 部派仏教になってからは、「dukkhaとは苦しみという意味ではない。空しいとか無価値という意味である」というような解釈になっていきます。 しかし、仏陀のいうdukkhaとは、苦、苦しみです。激痛といってもいいくらいの苦しみです。 すべての人には矢があたっているのです。矢に貫かれているのです。それも、毒矢です。 苦しみ以外の何物でもありません。空しいとか無価値というものではありません。 仏陀とその直弟子の時代、つまり根本分裂が起きる前…

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