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仏教についてのひとりごと https://shawshank-blog.hatenablog.com/

歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのかを探求してきました。 今までの仏教の知識を白紙にして、最古層の仏典から歴史上埋もれてきた仏陀の真意を探ることにしました。 そして、仏陀が説いた法は人類の至宝だとわかりました。

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2020/06/29

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  • 誰でも簡単なら何故?

    ある、親鸞系の人のYouTubeを見ていて、疑問に思ったことを書いておきます。 その人は無量寿経などの浄土三部経を、仏陀の出世の本懐だとし、最高最深だとします。 それはいいのです。 大乗仏教の場合、不立文字を標榜する禅宗以外は所依の経典を立てます。 そして、その経典が、最高最深であるとします。 華厳宗では華厳経、天台宗や日蓮宗では法華経、真言宗では大日経、が最高だとそれぞれの宗派で主張します。 それはそれでいいと思いますし、その解説に納得できる部分も多いです。 ただ、浄土系のYouTubeを見ていて、論理的に疑問に思いました。 その動画では、『法華経は難解難入の教えでほとんど誰も実行できない。…

  • 法華経嘱累品『余深法中 示教利喜』について

    法華経嘱累品にこうあります。 若有衆生 不信受者 当於如来 余深法中 示教利喜 この一文をもって、 『法華経を信じることができない衆生には、深法が説いてある如来の他の経典を示して導きなさい』という意味だと解説している人がいました。 そして、その『他の経典』とは、『深法』という言葉が書いてある、ある宗派の所依の経典だという解釈です。 なかなか面白い解釈です。 しかし、この一文の本当の意味は何でしょうか。 サンスクリット本からの直接訳では、ここの箇所は、 『そして、信仰の心のない者たちを唆かして、この経説を信ずるようにせよ。』 です。 サンスクリット原本では、『他の経典』という意味はないようです。

  • 『インド大乗仏教の虚像と断片』第3章「仏陀の遺骨と比丘の仕事」

    第3章では、大乗仏典の内、全く流布されなかった経典『摩訶迦葉会』について考察しています。 この大乗経典において、比丘の仕事は2つ、瞑想と読誦だとされます。 それなのに、菩薩乗を信奉するある比丘たちや、声聞乗を信奉するある比丘たちは、食や衣や名声のために如来の遺骨と仏塔への礼拝や供養の行為をする、とあります。 そして、仏陀の言葉として、「比丘たちは止観の行に精進すべきである。信仰心の篤いバラモンと在家者たちがいれば彼らが私の遺骨に対して舎利供養をするだろう」と語ったとし、しかし、「愚か者の比丘は、ヨーガ、修行、説法、読誦を放棄し、生計のために遺骨の供養をしている」と語ります。 このような記述が最…

  • 提婆達多の謎

    提婆達多は、増一阿含経では、仏弟子でありながら仏陀を殺そうとした大悪人とされています。 しかし、5世紀にインドを旅した法顕によると、その時には、提婆達多の教団はネパール国境付近で存続していたと言います。 つまり、提婆達多派の教団は、仏陀のサンガから出て行ってから、少なくとも1000年近くは存続していたことになります。 大乗仏典の法華経の提婆達多品は、提婆達多が未来世において如来となるとされています。これを解釈して法華経は悪人も成仏することを説いたとなっていますが、しかし、法華経提婆達多品では、提婆達多が悪人として描かれていません。 むしろ、前世では、仏陀の師であったとなっています。 提婆達多の…

  • 『インド大乗仏教の虚像と断片』第2章「金剛般若の「その地点は塔廟となるだろう」という成句」

    第2章では、多くの大乗仏典において、遺骨崇拝を批判し、経典崇拝を優位にしていると結論しています。 ただ、法華経は遺骨崇拝と経典崇拝を同等に見ているとの指摘です。 遺骨崇拝批判は法華経より前の時代に成立した経典群に見られるのに対し、法華経はストゥーパ、遺骨崇拝の支配的地位と折り合いをつけたようにショペンは見ているようです。 しかし、私は、そのような流れというよりは、大乗仏典はかなりバラバラに発生したものだと考えており、個々の作者の悟りを表明したものですから、内容は違っていて当然だと思っています。 大乗仏典に共通するのは、部派仏教への批判であり、部派仏教が仏陀の真意からかけ離れたという憤りだと考え…

  • 『インド大乗仏教の虚像と断片』第1章「大乗とインド仏教中期」

    グレゴリー・ショペンの『インド大乗仏教の虚像と断片』は、第一章から衝撃的な結論を導き出します。 そのほとんどは、『大乗仏教興起時代 インドの僧院生活』でも述べられていることでしたが、第1章の最後にこうあります。 ※※※※※ われわれは大乗がインドの外で活動した主要な動機を暴露したことになろう。 社会的な環境の中で安全に落ち着いていた既存の部派仏教グループは、移動する動機をほとんど持っていない。 インドを出て行く強い動機を持っていたのは、経済上の資源、社会的名声、及び政治的権力に、ほとんどあるいは限定された接近しか持てなかった、周辺的な者たちなのだ。 大乗仏教徒は不成功に終わった者たちなのである…

  • グレゴリー・ショペン『インド大乗仏教の虚像と断片』

    グレゴリー・ショペン『インド大乗仏教の虚像と断片』について、書いていきます。 まずは、大まかな目次の紹介と、それから、具体的な内容について考察していきます。 おおまかなあらすじは次の通りです。 ※※※※※ この四半世紀でもっとも影響力のある仏教学者と評されるグレゴリー・ショーペン。彼の手にかかると、経典の何気ない一節が、ありふれた寄進碑銘が、ほとんど注目されない仏典が、新たな相貌を見せ始め、インド仏教の生きた世界を語りだす。【虚像】では、初・中期大乗の一般的な展開を検討する。第1章では、中国で主流となった大乗が、インド仏教中期では周辺的な少数派であったことを例証する。第2章では、『金剛般若』の…

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