ご無沙汰ついで、というのも変ですが、このたびこのブログ、というか介護ブログを引っ越しました。どうも落ち着かなくて、何回もあちこちを流浪してきました。今度こそ・・・と思っています。もし、よろしかったら覗いてみていただけたらうれしいです。https://yochama99.mur
2012年9月17日施設の敬老会大ホールに集まって施設長からお祝いの言葉が伝えられたり、年祝いの表彰があったり、スタッフからのお祝いコーラスが演奏されたり・・・「夏祭り」に次ぐ大イベント❣このころは、少し離れたところから母にカメラを向けるとちゃんと気づいてくれ
2012年12月28日お昼は“年越しそば”
けさも夢を見た。覚えておいてこのブログに書こう、と思いながら朝食しているうちに忘れてしまっていた。夫がけさ、なんか夢見てた? ふんふん・・・言ってたから。でもまぁほとんど毎朝見てるみたいな感じだけどね。そうなんだ・・・・・・母がベッドの上にちんまり座って
けさがた、母が夢に出てきた。ちょっと久しぶりかも。覚えているのは・・・ということかもしれないけれど。視線を感じてそっちへ目をやると、車椅子に座っているいつもの母。じーっとこっちを見てる。見えてるんだ・・・かあさま、見えてる?母が頷く。母の周囲に目をめぐら
2012年9月28日 撮影この日のお昼ご飯は、このころ少し痩せてきた母を元気づけようと、スタッフさんたちが「お好み焼き&焼肉ランチ」を企画。母も割烹着をつけてもらって頑張った❣キャベツを千切りにしたり・・・あら、わからないわ・・・どうやるの?なんて不安顔だった
2012年8月7日 撮影母は西瓜が大好き♡夏になるとよく面会に行く途中で西瓜を買って持って行ったものだった。たいていは、そのほうが食べやすそうだから、と「ブロック切り西瓜」を買っていた。でも、母は種が気になって仕方ない。そこで、「カット西瓜」にしてみた。母は
2012年7月29日 撮影施設の夏祭りでこの年あたりからだったか、母は目の周りをしょっちゅう赤くただれさせるようになった。なにか、で目や目の周りが痒くなって自分で触っているうちひどくしてしまうらしい。見つけるとスタッフから看護師さんに連絡してもらい、目薬をさし
2012年 7月17日撮影真剣な母の表情❣コーンでなに作るのかなぁ・・・さすがにわたしも10年近く前のこと、思い出せなくて、以前のブログを引っ張り出してみた。ユニット企画で「夕食作り」:大根とにんじん、鶏肉の煮物、バターコーンの炊き込みご飯だった。あのころはスタッ
きのう、夕食の後片付けをしながら夫としゃべっていて、なんのつながりからか「納豆」の話に。わたしは納豆が食べられない❣ 当然、母も食べられない❣ だから、食卓に納豆が登場したことは生まれてこのかた一度もない❣夫は普通に食べられる。だから、たとえばスキーの宿
きのうに続いて 2012年4月29日 撮影施設敷地内さんぽにて施設の東隣りは広いお庭の大きなおうち、四季の庭木など目の保養をさせていただいていた。このころの母は、まだ上を見上げて満開の桜を愛でることができた。ただ、少しずつ歩行にふらつきが出てきて、まっすぐに歩く
母がまだ歩けて結構元気だったころは、あまり写真を撮っていない。もちろんまだおしゃべりもできたし、少しずつ動きに危うさが出始めてもいたから目が離せない、ということもあったか。傍観者になってファインダー越しに母の姿をとらえるより、直接母の顔、表情を見ながら対
爆弾低気圧💣の予報が騒がしかったきのう強風が心配でベランダの物干し竿を取り込んでおいた。でも、きのうの夕方から風が強くはなったが思ったほどではなく、きょうはもう風は静か。その代わりというか、⛄雪。ときおり日が差して明るくはなるが、ほぼ一日中降り続いて、と
「親の家を片付ける」ここ数年、結構話題になっていますよね、新聞や雑誌、確かHow to ~ものの本も出てる。たいていが、親がまだ元気なうちによく話し合って片付けましょう・・・みたいな。うちはもう間に合わない❣せめてまだ住めるような状態の家なら少しは考えようもある
元日は終日深々と雪が降り続きましたが、昨日きょうは穏やかに晴れてくれました。ただ気温は上がらず、外は真っ白雪景色。比較的天候が穏やかな仙台で、12月から雪が降って積もる❣なんてほんとに珍しいこと。このところ暖冬でろくに降らなかったので久しぶり。そういえば、
ちょうどひと月お休みしてしまいました。雪が深々と降る静かな元日です。うちはTVもないし、大晦日とはいえいつもの“フツーの日”と変わりなく11時過ぎにやすみました。例年、近所のお寺では除夜の鐘を撞くのでベッドの中で聞きながら・・・と思っている間もなく眠り込んで
喪中のお知らせをして、4人の方からお悔やみのお便りなどをいただいた。そのうちのおふたりは、長~いおつきあい。そこにはわたしもからんでいるから、なおさらお心のこもったお便りをくださったのかもしれない。Uさんは、父の勤務先の上司の奥さま。わたしが生まれるずっと
喪中のハガキを出して一週間母のお友だちからお便りなどが届いている。母のことを思い出してくださっている、しかも、おひとりなどもう何十年もお会いしていないはず。年賀状だけのおつきあいになっているけれど、それでも忘れずにいて下さること、ほんとにうれしい。けさ、
例年、入所者も家族もスタッフたちも楽しみにしていた“夏祭り”母は、夫の同僚の奥さんが作ってくださった作務衣を着て。“水ヨーヨー”に挑戦❣好奇心旺盛な母は ワクワク・・・(^^♪釣れた~❣こんなの、でした。2011年7月31日 3月11日の大震災からまだ4ヶ月スタッフ
きのう、喪中はがきのことを書いたが、製作中に夫と母の年賀状のことを思い出した。はがきに入れる画像にシクラメンを選んだことから・・・暮れも押し詰まってから、母は慌てて年賀状にとりかかる。もっと早くから少しずつ描いていればいいのにねぇ、でもそんな暇ないのよね
きのう、夫が喪中はがきを作ってくれた。夫の関係者用、母の関係者用、わたしの関係者用、と3種類。例年ならこんな感じで同じように3種類の年賀状を作っていた。12月もクリスマスころになって慌てて作って投函するのだが、喪中はがきはそうはいかない。去年は母の関係とわた
ずいぶん久しぶりのアップになりました。急にいろいろ出てきて・・・もちろんいつかはそうなること、ではあったのですが、現実化してくるとあたふたしてしまいます。それに伴ってやらなければならないことも出てくる。ほとんどは面倒なこと、できれば避けて知らんぷりしたい
( 2011年4月17日 撮影)暗くて寒かった震災施設のみんなで乗り切った❣ いろんなこと、細かいことはいろいろあったけど。余震はしょっちゅうだったけど、なによりそんなことに動じない、テレビでかなり辛い状況が報道されても右から左へ抜けていく認知症はむしろありがた
2011年3月17日施設スタッフたちの温かい見守りで、暖房が効かないユニットでもなんとか風邪もひかず元気でいてくれる。もともと極度の冷え性の母だから、せめて足元だけでも少しでも暖かく・・・わたしのレッグウォーマーをつけてみた。施設で提供されるリハパンもサイズに
2011年3月11日 東日本大震災先日書いたように、この日は母に会いに行かれなかった。結局、夕方には電気も水道も止まって真っ暗!おまけに冷えてきて遠くのサイレンは鳴りやまずとにかく明るいうちに❣半乾きの洗濯物を空間に干す。ダイニングや寝室の倒れていたり散乱して
2011年3月11日 東日本大震災先日書いたように、3日前の8日に義父きっちゃまが亡くなり10日に埋葬をして相馬から戻ってきた。8日から3日間母に面会に行かれなくて心配ではあったが、夕方だし疲れてもいたので明日にしよう。。。そして翌11日、まずはたまっていた洗濯物を
前回、震災前の母の写真をアップした。その続き・・・震災前の3月8日、母のお隣ユニットに入所していた義父きっちゃまが亡くなった。その前年には、最終ステージへ向けてのカンファレンスが行われた。きっちゃまは「COPD」で肺をやられており、在宅酸素療法をしていた。そ
こうして写真をたぐっていると、まだ比較的元気だったころの写真は少ない。このころは、「いい場面、いい表情、記録に残しておきたい、イベントの記録に、etc.」など、目的があって撮っていたように思う。だから、写真だけで一年間を振り返ってもたいした数がない。震災を経
先日拾ってきた栗、皮をむいても傷みや虫食いがほとんどなくて、小粒ながら450グラム余り❣PCでレシピを検索して作ってみた。できるだけ簡単なレシピを選んだから苦労はなかったけれど、味の方は・・・残念ながら“母の味”にはとてもとても追いつかない。甘みが足りなかった
出かけた先でたまたま“栗拾い”(^^♪小さい山栗だけど、これが味がしっかり濃くておいしいのよねぇ。。。ついつい夢中になって結構拾ってきた。栗 でいつも思い出すこと:教わっておけばよかった・・・母も栗が大好き♡ ワンコの散歩をしながら、とか、ちょっと出かけた先
今夜は「十五夜」まだ降ってはこないけどあいにくの曇り空、今夜のお月見🎑は無理そう。まだ東京に住んでいた子どものころ、母はいろいろな年中行事を楽しませてくれた。わたしが兄たちとは10歳以上離れた末っ子で、友だちも少なくて、いつも母にくっついていたからか。また
今朝方、夢を見た。最近、寝つきはよくないし、しょっちゅう目が覚める。熟睡していないからか、よく夢を見る。覚えているのはあまりないけど。。。どこかの若いママさんたちと立ち話? 子どもさんのことで。わたしはほとんど聞き役でああ、そうなのねぇ・・・とか返しなが
震災前は、毎年7月最終日曜日が施設の「夏祭り」入所だけの「夏祭り」でおっとりのんびり和やかで、家族も大勢集まった。(この後は、通所と入所合同の大規模なものになり、「お仕着せイベント」のように感じられた)職員用駐車場を会場に、夕方から。施設のイベントで夕方
2010年7月22日ユニットお仲間キミエさんの娘さんが、知り合いのネイリストさんを呼んで、ボランティア・ネイルサロンなにしろこのころのユニットはほとんどが女性。でもわざわざネイルサロンに行ったり、ネイルケアをしたことなんてないから、興味津々だけどちょっと引いて
このところ「敬老の日」が毎年変わる。こういうのって、重みがなくなったというか、ご都合主義みたいでね、どうも好きになれない、素直になれない。今年の敬老会はどうなんだろう。自治体ごとの敬老会は自粛? それとも「三密を避けて、十分に予防対策をして・・・」実施?
きのうに続いて、夫の思い出話:言いたいことがあるとかあさまもボクも黙っていられないんだよねぇ・・・言わずにはいられない。かあさまは、ひとがどう思うかとか、そんなことまるで気にしない。ときどき、そこまで言っちゃっていいのかよ・・・ってこっちがハラハラするく
夫と話していると、お互いしょっちゅう母の思い出話が登場する。なんの話をしてたのだかは思い出せないんだけど、かあさまがあら、そんなこと知ってるわよ、あたりまえじゃない❣って、さも当然そうに言うんだよ。じゃ、どうして知ってるってわかるんですか? って聞いたら
昨日、義姉に連れられて東京へ行った母、どうしてるかな・・・?久しぶりに会った息子にびっくりしてるかも。もっとも、“息子”のことはすっかり記憶からなくなっていた。でもそれは生きていたあいだの話で、死んでしまうとそんなことは関係なく、生きてきたあれこれをすべ
きょう、母の遺骨が東京へ。仙台駅までタクシー駅で義姉と待ち合わせお昼を食べて、今度は義姉の手で新幹線に乗って東京、兄夫婦の家へ。もうそろそろ着いた頃か。もともとはわたしが子どものころに家族で住んでいた家。その後、兄夫婦が建て直して住んでいる。その際、先々
天気は猛暑❣が続くかと思えばやたら涼しくなってみたり毎晩雷雨⛈とかきょうはお昼前には地震速報のブザーがけたたましく鳴って揺れた!うちのあたりは震度3、津波の心配はないとのことでほっとした。天気の悪い日に揺れると、「あの日」が思い出されて。なんだか疲れる・
施設に入所してからも、できるだけ在宅のころにやっていたことを続けさせたいと思っていた。それもリハビリになるのではないか、と。入所後しばらくしてから、顔なじみで頼りにしていた看護師Aさんからよっちゃまはアリセプトとか認知症の薬は飲んでないの?と聞かれた。実は
先日、朝方に夢を見た。珍しく母が登場❣施設の居室のベッドで横になっている。眠っているようだ。わたしはベッドの脇で母の顔をのぞき込んだり、目を覚まさないかなぁ・・・とか思いながら母の髪の毛をとかすようになでたりしている。すると母がふふふ・・・やだぁ、かあさ
先日、わたしの行きつけの美容室へ母を連れて行ったときの画像をアップした。結局、そのとき一回で終わったように思う。その後はもっぱら施設で毎週月・火・水の3日間オープンする訪問理美容室を利用した。最初のころはわたしが付き添った。言葉で「このくらい」とユニットス
以前はスタッフたちがいろんなことを企画したり提案してくれていた。母が入所した施設は、オープンしてから今年で14、5年くらいになる。義父きっちゃまが入所したのがオープンして一年後。そして母が入所したのがその翌々年だったか。オープンしたころはスタッフがみな若く
母が入所するころだったか、認知症予防や改善を目的に学習療法が話題になった。施設でもスタッフたちで勉強会をしたり担当を決めたりして、積極的に学習療法に取り組むようになった。母も参加していた。(2009年1月5日 撮影)
どういうわけかうちの家族は字が下手!父は、ミミズが這ってるようなやたらちっちゃな字。父の祖父=わたしの曾祖父は、「漢文の先生」だったそうで達筆だったらしい。でも、父はそれを受け継がなかった。母は、これといった特徴はないが、上手とはいえない。おかげで兄もわ
短期記憶は残らなくても 長期記憶は残っている認知症についてよくこう言われる。さっき話したこと、聞いたこと、見たこと、やったことなどは覚えていられない。でも、こどものころのこと、両親や兄弟姉妹のこと、自分がいちばん輝いていた時代のこと、などはよく覚えている
特養ホームでの個展、大小合わせて50点以上もあっただろうか。搬入・搬出、展示作業すべてホームの方たちがやってくれる!というのでやっていただいたようなものだった。一回目の個展の後、数点をホームに寄付した。しかし、あの震災で壁から落ちたかどうかはっきりとはわか
母は、わたしが高校生になると、趣味の活動を始めた。それまでは完全な?“専業主婦”で、出かけるのは日々の買い物とわたしの学校関係の集まりくらい。なにしろ父は母がいないとまったくダメ❣なひとで、帰宅したときに母がいないと大変なことになる。たいていは腹を立てて
入所してから一、二度はわたしの行きつけの美容室へ母を連れて行った。その後は、毎週月~水曜日にオープンする訪問理美容室を利用した。ここだと顔そりもやってもらえるから。カットが1000円、顔剃りが2000円だったと思う。在宅中は、筋向かいが個人経営の美容室。
連日の猛暑❣こちらではいまのところ昨日の33.5℃が最高❣ きょうも33℃くらいはいっているだろう。浜松では昨日が40℃超❣ そしてきょうは41℃超❣ サウナに入っているような感じ?浜松には幼稚園時代の友だちNちゃんのおかあさまがいる。幼稚園・小学校は東京だったが、
(2008年9月16日 撮影)
きょうは“迎え盆”母の新盆この前あっちへ行ったばかりだけど帰ってくるんだよね。暑くて大変・・・?東京の兄のうちにも行くのかな。家は兄が建て直したけど、もともとは母と父と兄とわたしがいた家。毎朝、母の好きなドリンクをあげ、お花の水を取り替えて、お線香をあげ
施設では毎週月・火・水の3日間訪問理美容室がオープン。事前に予約しておくと、理美容師さんがユニットにお迎えに来てくれる。カットにパーマ、カラー、それに顔そりも。入所してしばらくはまだ普通に歩けたし、母もまだ外出を喜んでいたので、いつもわたしが利用していた美
母を入所させたとき、空室は一般棟の特別室だけだった。結構広くてバストイレ付き。一般棟なので、テレビと電話も。でも、母をだまして連れてきたので、母はもうパニック! わたしたち、スタッフたちをさんざん振り回してくれた。翌日には施設の計らいで認知症専門棟へ引っ
「行かなくちゃ❣」と自分を奮い立たせるところがあるのはうれしいこと。「行かなくちゃ❣」ならないところがなくなった・・・台風が来てても、雪が降ってても、いまのように猛暑❣でも、待っているひとがいるってうれしいこと。母は、わりと容赦のないひと、だった。まだ在
母は、おしゃべりと歌うことと食べることが好きだった。わたしがしゃべれなくなったり食べられなくなったらもう終わりだからね。元気なころ、よく言っていた。とにかく食べている写真がやたらと多い。全体の七割くらいかも。食べているときは撮りやすい、ということもあるけ
朝方、夢を見た。実際に母が入所していた施設とは違うようだったが、施設敷地の入り口というか門の外あたりにわたしはいる。そこへ小型のバスのような送迎車のような車が外から戻ってきて門の中へ。車の中にチラッと母が見えたような気がした。いっしょに行ってきたんだ・・
母がいなくなって、変わったこと・夜、寝るとき、枕元に携帯を置かなくなった。いまじゃ、リビングに置きっぱなし。・車で移動中、すぐに取れるような場所に携帯を置いていたのが、バッグの中に転がしている。・風邪もインフルエンザも怖くない! 母に移したら大変! ユニ
母をこちらに連れてきて施設に入所、あれから12年目かあさまって死にそうもないよね、もしかして不死身かも。あとまだ200年くらいはだいじょぶそうだよ。とってもじゃないけどわたしはついていけない。。。そんなふうに笑って過ごしていたけれど、そんな母にもやはり限界
前回書いた施設のケアマネジャーFさんからの電話でよっちゃまが亡くなられた後、あの頃はコロナもだいぶ落ち着いてきていたので限定的ではありますが面会を再開したんですが(予約制で、主な介護者一名のみ入所者居室で15分間の面会)またこのところ県内・市内でも感染者がぽ
先日、運転中に携帯が鳴って・・・もちろん応答できなかった。後で確認したら、母の施設から。もうすべて終わっているはず、なんだろう?気になるのでかけてみたら、ケアマネジャーFさんからだった。実は、よっちゃまの地元の役所からお電話がありまして・・・長寿お祝いの品
骨箱ってかなり大きいうちには仏壇がない。夫は長男(戸籍上は二男だが)で、もう実家はないから、父母・祖父の位牌を持っている。でも、なにしろ狭いアパート暮らし。最近は比較的コンパクトで家具っぽい仏壇もあるが、置き場所もないし、わたしたちにはこどももいないし。
8:30 葬儀場へ葬儀場のスタッフから、斎場ではお顔を見ることができないので、こちらでゆっくりお別れをしてください。お顔に触れていいですよ。先日書いたが、母らしくないような顔だなぁ、でもたしかにかあさまではあるんだけど・・・と思いながら母のほっぺに触りな
母(よっちゃま)は要介護5 施設にお世話になってそろそろ10年 そんな母との日々を綴ります
母(よっちゃま)は要介護5 施設にお世話になってそろそろ10年 そんな母との日々を綴ります
5月21日(木)火葬は隣町の浄祭場にしたが、この日は「友引」のため休み。だから一日母とのんびりゆっくり。葬儀社の方から、納棺のときに入れる品物を用意するように言われていた。すぐに思いついたのが入れ歯❣部分入れ歯だが、数年前にインフルエンザにかかった後、母
きのう、久しぶりに介護友MSさんとランチMSさんのおかあさまは、母とはユニットお仲間だったが、3年前に亡くなった。それからもわたしたちのことをなにかと気にかけてくれて、メールのやり取りをしたり、2,3ヶ月に一度くらいおしゃべりランチをしてきた。彼女はもともと介
「湯かんの儀」最後に薄化粧をしてもらいながら、そして火葬までの間、母の顔を眺めながら思ったこと「生きてはいない」のだから、「生きているのとは違う」顔をしている、ということそこにいるのはたしかに母、なんだけど、いままでしょっちゅう見てきた母じゃない!なんか
昨日までは「納棺の儀」だとばかり思い込んで書いていましたが、いま葬儀社の明細書を見たら「湯かんの儀」とありました。訂正しておきます。なお、費用は¥100,000なんの準備もしていなかったので、母には葬儀社が一般的な葬儀用に準備している「仏衣(¥9,000)」をそのま
午後1時半から 「納棺の儀」納棺師ふたり:三十代半ばくらいの女性と二十代前半?くらいの男性準備が整いましたらご親族様に同席していただくことができますが・・・あまりお辛い場合はこちらでお待ちになっていただいて結構ですし、お気持ち次第で途中で退出されてもかま
きのう7月7日七夕といっても七月の七夕は梅雨の最盛期?で、あまり意識することがない。七夕といえば、やはり旧暦で8月7日。まぁそれはどうでもいいことで、母の四十九日。面白いことに、三七日(みなのか)は母の誕生日(6月9日)、そして四十九日が七夕。忘れないよ
5月20日(水)書き直してもらった死亡診断書を持って葬儀社へ。すでに夫が担当の方と話していた。早速、葬儀の進め方の説明と見積もりを出していただく。菩提寺・墓地は父が入っている埼玉県にある。最終的にはそこに入ることになるが、なにしろ新型コロナウイルスの影響で東
5月20日(水)葬儀社のお迎えを9時にお願いしたので、少し早めに施設へ。総師長が死亡診断書を持って受付玄関ロビーに来てくれた。確かめると、案の定、母の苗字の文字が違っている。面倒なことだが、戸籍では一般的な活字にはないまぎらわしい文字が使われているのだ。ふだ
5月20日(水)とりあえず施設からいったん引き上げて・・・さぁこれからどうする?こうなること、母の生が閉じられること、はもうだいぶ前から覚悟はしていた。ただ、具体的な段取りは、まだ、敢えて、考えてはいなかった。たとえば、母の居室や荷物を整理しておくとか、葬儀
5月20日(水)前回の続き・・・というか、思い出したこと早朝の電話で施設に走り、結局は間に合わなかったのだけれど・・・いつもと変わりない母の姿、表情に気持ちは穏やかに。そこへ、スタッフSさんが来てくれた。きょうは早番でユニット担当なので、下でよっちゃまのお見
早朝 3時20分過ぎ、枕元の携帯が鳴った。しばらく鳴らしていたのだと思う。ぼんやりした頭とからだで携帯に出ると・・・夜勤の看護師I・Kさん:すみません、こんな時間に。よっちゃまなんですけど、呼吸、とまってる・・・⁉みたいな状況なんです。来ていただけますか?
5月19日(火)洗濯物などを届けに行く。持参したもの:ペットボトルのドリンク3本、ビタミン入りゼリー飲料3個、バニラヨーグルト2個、プリン2個、洗濯物受け取ったもの:洗濯物受付スタッフが総師長を呼んでくれて、玄関ロビーで話す。昨日(18日)発熱38℃。クーリングし
5月17日=長兄の命日我が家の“期待の星☆” だった。“天才”タイプではなく、どちらかというと“秀才”?まじめでコツコツ、努力家で、スポーツやほかのことにも興味が広くて、周りにはいつもたくさん友達がいて。。。なにしろわたしより13歳も年上だったから、あまり細
看護師I・Kさんからアイスクリームがなくなりそう・・・と電話があったので買って持って行く。ハーゲンダッツを5種類だったか、母の好きそうな味のものを集めて。受付スタッフがユニットに連絡してくれ、看護師I・Kさんがわざわざ受付まで来てくれた。この前持ってきていただ
日にちが前後しているが、15日まで書き込んでいたのでその続き。5月17日(日)お昼前に電話がかかった。毎週日曜日にはユニットスタッフから一週間の報告の電話が入るからそれだと思って・・・看護師I・Kさん(お隣ユニットの看護師):すみません、きょうよっちゃまユニット
最後の支払いに行く日年金関係の書類に署名をお願いしたかったので総師長にアポをとる電話をした。なにしろわたしも要介護5の母がいるのでいつ呼び出しがかかるか・・・できれば当日の、いらっしゃる直前に「これから行く」とご連絡いただければ確実だと思います。約束の日
うちにあったストック品を渡しながら話していたら看護師I・Kさん:わたしねぇ、よっちゃまに叱られたことがあるんですよ。そのときは、へ~ぇ、って思ったくらいだったんだけど、だんだん時間がたつと、確かにそうなんだ・・・って。よっちゃまに教えられたんですよねぇ。あ
物々交換ではないけれど、残った母のもの(写真、絵、色紙、表彰状など)を受け取り、うちに残っていた・ストックしていたものを施設で使ってもらえるよう渡してきた。ペットボトルのドリンク24本(母の好きな甘めのもの)お尻ふき たぶん15パックかもっとあったかも。なに
4月から面会禁止になったので、居室に置いてある母のものはまったく手つかずだった。なにしろ12年目、荷物だってどんどん増える。衣類や寝具は入れ替えをしていたが、なにしろ整理整頓、片付け下手のわたし。年が明けて、母の様子を見るにつけ、そろそろ片付け始めた方がいい
6月11日(木)5月分の施設利用料の支払いに行く。ほぼ20日分で 79,825 円。うち文書代が 11,000 円、たぶん「死亡診断書」。「看取り加算」がつくかと思っていたが、つかなかったようだ。「寝込んだ・・・」というわけではないからか。前夜まで母としては普通に過ごしていた
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