chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
浦和のたぬき
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/05/18

arrow_drop_down
  • 土門 拳

    手元に2冊の写真集があると言っても文庫本サイズ数年前に酒田の『土門拳記念館』で買い求めたもの大型版を買わなかったのは経済的な理由と旅行中携行するにはその大きさにためらいがあっての事だがそして何より当時、土門拳にどこかしっくりこないものを感じていたからそのことに深い理由はないただ当時の写真仲間の〝風評”に惑わされていたから改めてこの二冊を眺めてみる『腕白小僧がいた』と『古寺を訪ねて』前者で「下町のこどもたち」「筑豊のこどもたち」に度肝を抜かされるされるそこに表現された子供たちのなんと伸びやかなこと赤裸々に写された貧しさそんなものを吹き飛ばす”底抜けの明るさが写真の持つ力で伝わってくる後者の仏像写真に当然ながらとても太刀打ちできないと感じた記念館で仏像の指先を畳一畳ほどの大きさに拡大したのを見せてもらったが機材の違...土門拳

  • 西浦和 薬王院

    通称田島の薬王院で知られる神童山眞光寺薬王院薬師堂に安置された薬師如来を中尊とし、日光菩薩を左脇侍、月光菩薩を右脇侍とする薬師三尊像がぜひ拝観したいものと思うも御開帳は12年に一度『寅年』に限られるらしい今年の干支は子年だから子・丑・寅再来年迄待たねばならない”神童山”の山号由来が知りたいところだ薬師堂内部は非公開十三仏をはじめ興味深い石像があるのだが暑さばかりではなく薬師様が頭からはなれず注意散漫申し訳ないので早めの退散を決める西浦和薬王院

  • 大門宿 大興寺

    天正19年に寺領30石が徳川家康より寄進された真言宗智山派の古刹を観る本堂前の建屋には阿弥陀三尊板石塔婆が金泥が塗られており、南北朝時代の作りで市指定有形文化財となっていると、言うが確認が難しいうっすらとそれらしきが本尊は不動明王但しこれも拝観はかなわない地名「大門」の由来となった山門と(下)三つ葉葵の門扉観音堂・如意輪観音が祀られているとの事ながら・・・・。こちらも残念朝のうちの雨にすっかり意欲をなくしたたが曇り空ながら午後には上がり。横着して電車とバスで前回訪問で途中ダウン、訪問残りの本陣と脇本陣を観て大興寺に至る大門宿完全制覇と胸を張るが多分、探せばもっと、もっと見所があるのかもしれないでもまぁ無理することはないとカエル、、、、、。大門宿大興寺

  • 南浦和 宝性寺

    JR南浦和駅ホームから見渡せるところにある堂々たる本堂街中の寺院この二つが古いものを尊しとする我が偏見から立ち寄ることを拒んでいて”近場”にありながら拝観したことが無かった当院は法事などをする所という考えに偏ることなく、現世を生きる人々が集い・つなぎ・学び、祈るところと位置づけ、生かされたお寺を目指していますとは同院HPに記載ある。宗派は私と異なるも拝観させていただく街の喧騒を忘れて合掌御詠歌講が盛んで講員による祈りの継承がなされ、現在に至っているとかで御詠歌教えにある「集まる」「つなぐ」「学ぶ」「祈る」との「四つの思い」を大切にしているとの事未だ信仰の薄い身はこんなマスクに感心し近くにいた方に訪ねてみる私たちが作りましたご時世ですからとのお答え先入観にあった「格式ばった寺」とは一味違う親近感につい、好感をもっ...南浦和宝性寺

  • 南浦和 御蔵山観音

    南浦和駅近く御蔵山観音(おぐらやま観音)例年ここで節分会が行われ、近くの宝性寺から住職と副住職が出仕し、観音さまの前にて豆まきの豆を加持し法楽を、との事で地元を中心に大勢の参会者があるという小さな観音様ながら通称『花観音』と呼ばれ地元の者なら誰知らぬ者のないこの観音堂での豆まきが春を予感させる年中行事らしいのだが・・・・。年中行事と言えば今日は我ら遊び仲間が寄り合って3か月ぶりの歓談会制限付きながらの自粛解除羽目を外すことなく清遊?に過ごしたそれゆえ「おぐらやま」についての事前・事後の調査も怠り仲間一同が無事にあつまれたことだけを祝い、乾杯。。。でひと時を過ごしたそのための不勉強を謝す次第南浦和御蔵山観音

  • 福聚院観音堂

    さいたま市大谷口交差点そば2階建ての建物は一見、民家と、見紛うほど一階にご本尊清観世音菩薩を祀っているようだが確認できない2階はどうやら地域の集会所を兼ねている様子そのせいか寺院としての荘厳さに乏しい印象立派な墓苑と石仏がありながら檀家ならぬ身は心からの合掌を捧げるのを躊躇するのは叱責されそうだが偽りのない我が心境バスで帰宅の際の通り道でありながら途中下車して立ち寄った事がなかったのは考えてみればそんな不遜なわが想いからこれを反省して遅まきながらの参拝心を込めて福聚院観音堂

  • 大白天神社

    大白天神社初の見参であるさいたま間宮の探すのにチト苦労する所にある天穂日命(あめのほひ)を祭神とするらしい稲穂の神、養蚕の神、木綿の神御利益は五穀豊穣、殖産振興創建は不明ながら江戸時代かららしいそして天神とくれば菅原道真公学問の神だ我がボケた頭にも幾分かの期待が?鳥居も狛犬も新しい先代の狛犬はどうしたんだそちらに会いたかったのだがそれにしても『大白』って何だろう盃の事じゃなかろう日蓮様がらみかな…まさか地名?仙台に太白区とあるけど知らないことはわからないままにしておこう無理に深追いする必要はないそれが長生きの秘訣だと、最近思うことにした懈怠の心を抱いたまま帰宅する大白天神社

  • 前川観音

    山号補陀落山院号清浄院寺号観福寺真言宗智山派の寺院我々の知る「前川観音」はこうした手順を踏まねば正確ではないようだややこしい来歴があってのことだとは思うが所蔵の『前川観音・千住観世音菩薩』は一般には拝ませて貰えないようだ平清盛の嫡流のひ孫六代(平高清)の守り本尊だったというが・・・・。六代は出家(妙覚上人)したものの、源頼朝に捕らえられ、その後斬首されたとも当地に逃れて寛喜2年(1223)入寂したともいうどこかで聞いた話と思ったらいつぞや訪ねた「川口力神社」に全く同じ伝承がよく聞く平家落ち武者伝説観音像という証拠があるから或いはとも思うのだが広い境内は人影もまばらで石仏もあって六代の悲劇的な伝説に思いをはせつつ涼みながら前を走る自動車の喧騒を忘れ一休みのひと時を過ごした前川観音

  • 間宮 氷川大明神

    関東地方を中心に280社ほどあるという氷川神社全国に神社は8000社ほどその中でのこの数字関西、東海・中部には見られないことを思うと多いのか少ないと感じるのか迷うところだしかしながら我が生活圏ではあちこちで見られるとの思いがするのだがこの「氷川神社」大明神と冠してはいてもそれらの中で一番小さそうだ見たところこれだけもちろん狛犬なんて居やしないし賽銭箱もないでも、パワースポットとしてその趣味の人には結構、知られているらしいここさいたま市間宮人口900人弱区画されてない為、樹木や畑が複雑に残り探すのに苦労で一人散歩は道を尋ねるにも出会う人はなし小雨の中、往生した間宮氷川大明神

  • 大門(八坂)神社

    日本橋から1里目の江戸本郷追分を起点とする日光御成道岩淵宿、川口宿、鳩ケ谷宿を経て4番目の宿が大門宿であるこの宿場町7月の祭礼はすべてが祭り一色に染まるという神社は一の鳥居から二の鳥居,三の鳥居まで参道は人々で溢れかえるほどコロナ禍の今年はどうするのか今日の処は出会う人もなくひっそりと・・・。参道狛犬だったのだろうが今は神殿の中に激しい損傷が痛々しい左甚五郎作と伝わる末社の竜の彫り物が迫力で迫る祭りが例年通り行われるのならば是非にも見たいものだが無理だろうな・・・大門(八坂)神社

  • 小さな社と龍神伝説

    厳島神社というと安芸の宮島の大社を思い浮かべてしまうのだがこちらは小さな、小さな、とても小さな畳半畳ほどのさびれたやしろそれらしき由緒書きもないようだ用水のほとり樹木に隠れるように気を付けてみなければ通りすぎてしまうほど関係者か好事家以外はわざわざ訪ねる人はおそらく居るまいと思うのだが地図に載っている限り神社好きの身は一度はお参りしなければと出かけてみる平家びいき、清盛ファンの私だ厳島神社との名の由来くらいは知りたいのだが石に描かれた文字が読めればと思うも生憎漢字の羅列は判読不能お手上げだこんな社だが「見沼の弁天さま」慕われたり龍神伝承のおこりとか日本昔話の舞台であったりとなにかとその世界では知られる処らしい・・・・のだあまりに小さな神社ゆえ信じがたい思いだがネット《見沼の民話・伝説》にはそのように出たいた信じ...小さな社と龍神伝説

  • 浦和不動尊 大禅院

    当院に足を踏み入れたのは深い魂胆があってのことではない雨、降りやまぬ午後指定された打ち合せに少し時間に余裕ができたので雨中のお寺参りそんな軽い気持ちで駅から徒歩1分の当山に来たのだが当山が不動明王を本尊とし修験道に伝わる秘法【柱源護摩】を修法としてその智恵の火で煩悩を焼き、厄を消除し願い事が成就されるようにお祈りをする修養の寺院(HPより)で、あることを知ったのは帰宅後の事そうと知っていれば未だ修業が足らぬことを自覚しいる身、敬遠したのだが修験道の寺はつい最近も訪れている知らぬ事とはいえ立て続けの同様宗派の訪問は何かに背中を押され修行の必要を責められてのことかと考えてしまう勿論、当山では普通の「年中行事」もおこなわれているようだ門前にあった庚申塔(だったらしきもの)写真のボケは雨中の為と腕の至らなさの為ご容赦く...浦和不動尊大禅院

  • お地蔵さん

    さいたま某寺院にて地蔵よりコロナ大明神強いのねマスクすりゃいいってもんじゃないけれど困ったときたすけてくれないほとけさまこんなときゃお地蔵さんだってマスクする自分の身は自分でまもろうっておしえられきょうび地蔵さんだってマスクするお地蔵さん

  • 西堀 醫王寺

    先に訪ねた「須黒稲荷」にほど近いお寺を訪問する醫王寺比較的至近距離に「医王寺」という寺があるがその違いがわからない一体に山号や寺号ってどのようにして名付けるのか一定の決まりがあるのかともに真言宗、豊山派で大日如来を本尊とするのだがこの暑さだ深く詮索するのはやめようか大日堂は非公開当てにはしていなかったとはいえ若干の期待をもって来たのだが石仏写真を撮るだけで退散することにしようか左の像元から座像だったのかそれとも立像の脚が損壊してしまったのだろうかこんなことも気になるが、今日の処は退散するとしよういつかもう一つの医王寺を訪ねることにして西堀醫王寺

  • こんなときゃ 稲荷だってマスクする

    お寺を捜して中浦和駅を降りるその手前に赤い鳥居を見つける予定外のちいさな社になんとなく儲けたような気分さしたる興味も期待もなしに軽く参拝するつもりだったが氏子さんにしゃれた方がおられるのか稲荷のきれいなチェックのマスクに目が釘付けになるどこかに由緒が描かれているのだろうが目はお稲荷さんの口元いや、そのマスクが気になって由緒書き探しは上の空とうとう見つからず子狐にも。俺のところにゃ安倍マスクがやっと届いたばかりだというになんて場違いな不平を漏らすこうしてみると狐顔だって案外かわいいもんだ神様のお使いに失礼かなと思いつつお参りだけはきちんと済ませる狐は春に里に下りて冬には山に帰るというそんな冬にはコロナ騒ぎも収まってのどかに冬景色が見たいものだと念じて次なる目的地を目指すこんなときゃ稲荷だってマスクする

  • 木曽呂 富士塚

    富士塚は誰でもが心安く富士登山が疑似体験できるようにと200年ほど前江戸・高田に築いたのが初めとされる木曾呂富士塚の建立はそれから数年後、当時江戸で流行の富士山信仰の一派丸参講の信者が富士山を模して作ったとの事高さ5.4㍍直径20㍍盛土のお山暑さを避け夕方に訪れたのだが一向に涼しくならずそのため横着して山頂までは登らずに麓を一周しただけで帰るいくつかの石造物がありそれぞれ由緒あるらしく思うもそれを調べる根気がない気力、体力の衰えは暑さによる減退かコロナ疲れか明日こそはと思う木曽呂富士塚

  • 川口市芝高木 大聖不動堂

    大聖不動堂は本山修験宗大行院に祀られている修験宗とは役行者を開祖とし、厳しい山岳修行を通し困苦をしのび修練により悟りを開く日本古来の宗教だとかうーん思わずうなってしまう心身共に鈍ってしまった俺にはとても無理今日の処は参拝のみでご勘弁願う不動堂を拝む背筋を伸ばし敬虔な心で山岳での厳しい修行を免れたい一心で昼前後から降雨予想降る前にと出かけお参りをすませ帰宅とほぼ同時に振り出し今現在にもこの時期らしいしとしと雨が・・・・。こんな不信心者にも仏のささやかながらのご加護があったのやら川口市芝高木大聖不動堂

  • 鬼平犯科帳を読む

    再開した「歩きの会」参加支度をしたところで小雨模様が本降りにこんな時には本読みに限るとこんな時のためにとっておいた時代小説に。かつて山本周五郎から池波正太郎にそして藤沢周平への我が、読書歴だが今日のところはそのうち鬼平の世界に浸ることにする勿論、鬼平・長谷川平蔵がいいが密偵おまさがさらに気に入っている《~役宅にひょっこりあらわれる小太りな少女だったおまさは、すっきりと年増痩せしていた歳は三十を超えたが、肌は江戸の女の常で浅黒いが荒れていずぱっちりとした双眸は昔の面影を宿している》平蔵はおまさの心に未だに燃え続けている火があることを知っているそして平蔵が知っていることをおまさは知っている・・・・・こんなくだりにたまらなくなるのだ『剣客商売』も『仕掛け人藤枝梅安』も悪くないのだが『鬼平犯科帳』にはあるおまさの存在が...鬼平犯科帳を読む

  • 三社託宣ってなんだ

    「我、神仏を尊びて神仏に頼らず」は宮本武蔵の言葉だがどうやら私は「我、神仏を尊びて神仏を知らず」が現状のようだ先般訪ねた関、神明神社の由緒書にあった『三社託宣』が理解不能だったのだそこで午後から雷雨との予報に恐れを感じ自宅でのPC遊びで調べてみる事に東福寺神明神社関の東福寺古刹ではあるが廃寺,再建、移転を経て現在に至っている神明神社は天照大御神を祭神とし、東福寺の守護神として祀られたがその後、東福寺を離れさらに八幡社・春日社・天王社・天神社を合祀したというここで三神(天照大御神、春日大明神、八幡、大菩薩)が揃い神・仏・需が融合し『三社託宣』が下ることになり庶民信仰の対象となった小難しい解説をかいつまんで記せばそんなことになる写真のように今はどことなく荒廃し、大寺・大社の面影はないが我らの守り神大切にしたい因みに...三社託宣ってなんだ

  • さいたま 日向不動堂

    この辺りでよく見かける「お堂」である堂内を見ることは叶わない足立百不動尊巡りの64番だそうだかつての城跡だったんだと、知る興味はそれだけ通り過ぎるつもりが目に留まったものがある歴史的由緒ある地名が行政によってついでだが力石に描かれた文字消滅されることを惜しんで建立とあるこれは何と読むのだろうこれによってお堂の名前も「ひゅうが不動堂」と、呼ぶらしいことを知るでもこの場所の地名はわかりやすく「ひなた」とあるのだが先人が懸念したようにひゅうがはもはや忘れられてしまったのだろうかそういえばさいたま市発足によって誕生した各地の「区・名」も住民感情など全く配慮されないさくら区、だとか緑区、南区、、、、云々日本全国どこにも同様な名を見出すことができる市政の単純な感覚が腹立たしい暑い盛りだがこんなことを考えるのは場違いなことと...さいたま日向不動堂

  • 浦和で古墳を見る

    このところ日本の古代史に絡んだ本を読みすぎたせいか浦和近辺に散在する「古墳」にひかれる浦和に3か所「さいたま市内」迄範囲を広げればもう数か所をかぞえることができるらしいこの暑さだ欲張らずに浦和近辺に限定して古墳ツアーを実行する初めに断っておくが古墳についての知識も更には興味もまるでないのだ土合古墳群と言い旧浦和市に3か所の古墳があるらしいそれを観て廻る事にする【神明神社古墳】直径33㍍高さ4.5㍍の円墳古墳時代後期6~7世紀ごろと看板記載あるがどなたの墓やらの記載はないもちろん墳墓の上に登ることは許されない【日向(ひなた)古墳】直径15㍍高さ2㍍の円墳墳頂には古峰神社がまつられているらしいが確認はできない因みに説明版の設置はないためこれ以上の詳細は不明【本杢古墳】前、古墳から数分のところにあるのだが暑さ負けか足...浦和で古墳を見る

  • 明神社であれこれ思う

    線路際に鎮座する小さな神社ここであれこれ思う自粛モードで行き場のないこの時期ならではの事三社を合祀したのか神明神社と明神神社どんな違いがあるのだろう天照大神を祀った神明社、平将門公を祭神とする明神社二つに関連はなさそうそしてこの庚申塔はなんだ宝暦七年青面金剛像側面に井沼方村講中と刻むどうも三社との関連はなさそうわきを走る鉄道・武蔵野線開通にあたり少しながら移転したようだからその名残か明神神社の履歴を観る将門の末裔奥州相馬氏が祀った相馬小高神社からの分霊を勧請して創建したとあるあの「相馬馬追」の祭事で知られる神社だ馬追と当社との関りは敢えて調べてない稲荷も一緒に祀ったようだが~~。なんでもよろず神様寛容なこの国ならでは寄せ集めと言ったら叱られるかでも何かの御利益があるかもしれない丁寧に参拝をして我が身の無事を祈る明神社であれこれ思う

  • 郷愁が無くもない

    男がそこに立ったのは全くの偶然である神社仏閣巡りを趣味としている男がスマホの地図で「小学校前」信号そば、との情報でそこに来た間近のその小学校に何らの思い入れはないそこは男が少年時代のほんの一時を過ごした場所と気付いたのは目的の寺院について暫くののちである《慈星院》初めての訪問思ったより大きく清楚な境内不動堂も観て廻るどこか心に響く校名そこに対する「記憶」はないが「知識」は男の心の片隅にありもう一度、後戻りする気に、思い出は、何も浮かばないそのはずだ在校は2か月足らず転校後一度も訪ねてない友も恩師も知らず校門の前に引き返したのはほんの少しだけ残っていた郷愁か不動明王の導きか休日の学校は静かで全面芝生の校庭に遊ぶ子等の姿もないさようなら我が『後輩』よコロナなんかに負けるなと、男は心の中で応援する数十年ぶりに見た学校...郷愁が無くもない

  • 前川神社の狛犬 四態

    自分だけのものにしておきたいひとには知らせたくないそんな狛犬が私にはあるだからここに載せずにいたのだが所詮は神社狛犬いつか誰もが見るだろおししまっておけるものでも俺の所有物でもなしと、言う訳で享保5年、石工の名も知れず稚拙でもある改めて見ればどこか《狛犬ばなれ?》したとぼけた顔は愛嬌たっぷりこれが気に入って何度かカメラに収めようとするのだが本殿裏の薄暗がり鉄格子に囲まれ撮りずらい写真を拒否するのか毎度ピンボケばかり今回も!折から茅の輪くぐりの季節か世間に何があろうと季節は巡ってくる問題の狛犬はこの裏祖霊社にこの中に2態の狛犬がこちらにも狛犬が小さいながらもこれが問題!!の狛犬どうですユニークでしょうこちらは大正年間石工は蕨・斉藤勘吉現在の蕨・石勘のご先祖か?「雛が落ちたためカラスが興奮しています・・・・」との張...前川神社の狛犬四態

  • ねこ受難

    いつもの散歩道でこの看板を目にする遠雷に背を押され道を急いでいた夕暮れ時今まで気にも留めていなかったそういえば以前は数匹たむろしていた猫の姿が今日は奥のほうに一匹だけ寝てるのやら起きてるのやら悠然と構えているようだが昼飯はどうした今晩の食事はどうするんだこの調子では誰も餌を運んではくれそうにないだろうに新型コロナの関係で近所の飲食店からの残飯は期待できそうにもないだろうウイルスは猫から人への感染はなさそうだがその心配もあっての給餌禁止か衛生面もあっての事かも事情は分からないが当分受難の日が続きそうだ人間様は今のところ誰の持ち物かそれともノラかしらないペットを気にするだけの余裕はなさそうだよ俺だって同じだねこ受難

  • 東川口 本行寺

    別名「もみじ寺」と呼ばれているようだまだ新しい「慈母観音」と「あおもみじ」が目に付く先に見た西光院とは一転、飾り気のなさが清々しさを感じさせる水子供養もおこなうようでそれもあってか境内のあちこちに慈母観音がいつも見慣れた古色蒼然としたせ石仏とはまるで異なる観音に目を開かされた思いまた来ようもみじが紅葉した時期に観音の美しい姿を拝みにと思いつつ寺を後にする東川口本行寺

  • 東川口 西光院

    私は狐やたぬきではありませんほんとか嘘をつくと為にならんぞ妖怪か?と問われるとどおも・・・よかろう通ってよし立派な御本堂だ周りには石造物がいっぱい中でもお釈迦様像が多いようだ寝釈迦仏もやすらかな寝顔だ好きな一葉観音様も妖しげな笑顔で東京アラートは発令されたものの自粛要請もステップ2少しだけ歩行範囲を拡大し敬遠してた電車移動もほんの一駅、二駅は許されるだろうと、勝手な自己判断混雑,人込み、接触を避けての独り歩き東川口西光院

  • 新井宿 妙蔵寺

    川沿いを4キロほど続く「ヘルシーロード」と呼ばれる散歩道があるこれを歩き通してみようと思い立った昨年秋の事途中、見事な黄葉に誘われ立ち寄った寺院に魅せられ参拝したのが初めで以降何度かの散歩の目的地がいつの間にかここになり以来、数度訪ねているここからさらに末端まで歩いてもよし、徒歩或いはバスで引き返してもよしそんな気楽さと境内の静寂さに誘われての度々の訪問石仏も豊富だ今日は如意輪様の美顔に触れてみる御仏なれど・・・・見とれてしまう世間大変な時だというのに俺はこんなことで良いんだろうかと思いつつ後にする若干の後ろめたさを抱きつつまた来ますよろしくと。。。。新井宿妙蔵寺

  • 川口道合 大徳寺

    うかつにも大変な古刹であったことを知らなかった創立は、1350年前の大化3年、西暦647年のこととされている我が国に仏教伝来から一世紀あまりの事都から見れば辺地のこの地のなんで?大化、といば日本最古の元号であり、奈良時代以前の出来事である弘法大師や徳川家康と、歴史上の大人物も訪れたパワースポット深い歴史を知らず現在の姿だけを観て何気なく見過ごしてきてしまったようだその気で見れば六地蔵にも風格が、真ん中の観音が気になるので拡大してみるゆっくりと石仏探しをしてみようと思いがしたが照り付ける日差しに降参・退散川口道合大徳寺

  • 三つの女体神社 その参

    付島女体神社御祭神はクシイナダヒメあのスサノウノミコトが一目惚れし姫との婚姻を条件に八岐大蛇退治に、見事果たしたと伝わる古代史に残る美女今は地域で縁結び、五穀豊穣の神でもある見沼通船堀の舟運で栄えた大間木村の鎮守社神殿は石段を十数段昇った上に神殿内は邪魔なネットフェンスに囲われ覗くことは出来ない江戸期のこの地は吉田一族の地であり村内のほとんどが吉田姓であったという住んで数十年たつも我が友人に吉田姓はいない今は新住民に席巻されたか末社が2社いずれも詳細は明らかではない今次大戦中にはこんな形での祈りが行われたか今の平和をただただ有難く思う三つの女体神社その参

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、浦和のたぬきさんをフォローしませんか?

ハンドル名
浦和のたぬきさん
ブログタイトル
風来坊の忘備録
フォロー
風来坊の忘備録

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用