今日の命がクマにやられるかやられないか、森に任せようと、傘を持って入って行った。 湖の周りだったけれど、クマかイノシシがこちらに気が付いていた。木の実の入った大きな糞が落ちていて、獣臭さが風に乗ってきていた。 アシカのような声や、キジバト、草の中を移動する音、森のなかは1人でいるとかなりの雑音だらけだった。
創作のアイデア、それに通ずる物事、雑記などを残します。 厳密な文章を心がけています。
かけだしの画家。 色々つくりたい、独学好き。
夢で先生から返事があったのに、よく思い出せない。 「このままー、としてるの? ーーーーーーーーー ーーならだと思うよ。」 3行ほどあった文章が思い出せない。 先生から来るはずないと一度疑って読んだのを覚えている。 また夢にしてくれとメッセージを送る。
通院、診察を待っていたら壁を隔てて親子が話し合っていた。 というよりも母親が何やら捲し立てていて、子どもは朦朧として、父親は我関せずでへらへらとしたような雰囲気だった。 だんだん捲し立ては強くなり、「私があなたを守ってやっている、あなたは一人では生きていけない、私は従軍看護婦だからお国のために頑張っている、男は汚れているが私の言いつけを守れば汚れない男になる」 という内容だった。被害者意識など個人的な物事の肥大化、政治的思想の偏りから、統合失調の気を感じた。 しかし診察にかかるのは子どもらしい。 どうやらその子は朝まで座らされてその説教を聞かされていたよう。向精神薬も服用したのか、ぐったりとし…
感謝をフェアプレーを示す道具として用い出すと、本質からずれていく。"何々したからあなたはいい子"など、条件付きの愛情を受けた人ではないかと思う。キリスト教的でもある。 もしくは社会的合図として使っている人もいるが、掛け合いだけになるといけない。自分から産み出る感謝以外は憎しみの種になって、言葉の呪いにしかならない。人から与えられたから感謝するのは感謝ではなくて、恩の相殺。 なんだかこの人の感謝は薄っぺらで、言っていないのと同じだと感じるものだが、逆に真に絶望したことがあるのだろうという人の感謝は、いつも言葉になる前に伝わってくる。 何か無くした人が再び得たとき、本当の感情が動く。 誰かれ好かれ…
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今日の命がクマにやられるかやられないか、森に任せようと、傘を持って入って行った。 湖の周りだったけれど、クマかイノシシがこちらに気が付いていた。木の実の入った大きな糞が落ちていて、獣臭さが風に乗ってきていた。 アシカのような声や、キジバト、草の中を移動する音、森のなかは1人でいるとかなりの雑音だらけだった。
部屋のなかをこれで満たしたら居心地が良さそう。 昨日の龍の色を忘れないようにスケッチ。
白い大きな龍の一部、もふもふと毛が生えていてゆっくり泳いでいた。 よく見ると電気の玉のような光があって綺麗だったけれど、見たことがない雰囲気だった。 龍につれてさまざまな妖怪たちが、お稲荷さんの木がある方から流れて来ていた。手を振るとやや不思議な顔をしてこちらに振り返してくれた。 今立っている新住宅は消えていて、潰された田んぼが青々としていた。
湖は眠っている人が多いから遊泳しないであげてほしい。手を合わせたり、静かに語ったりする場所になるといいけれど。
皆が必要なことをやっているように見えて、それに負けてしまいそうになる。 それがハッタリだとわかっている。 金と名声と体裁のために手数を増やすことを、私は本当にやりたいですか。 また先生に届かぬメールを出して確認した。不思議と答えが見えてくる。何でもやりなよって言ってくれるんだろうな。
部屋の外で人が喋っている声は、いつもろくな音ではないから、どきどきとしてくる。 課題でこのような機構の作品を作った時に、嫌な音に聞こえないと批評がついた。もともと私のことが気に入らない先生だったが、部屋のしきりが厚い良い家に住んでいたか、穏やかな家庭だったかのどちらかだと思った。 そして"嫌な音"になるまでにはもっとわかりやすい激しさなどが必要なのだろう。 憎み合っているもの同士住んでいると、普通の音も嫌な音に聞こえる。嫌な者の出す音ということだから。 私にとっては嫌な者ではなく怖い者だけれど。 そう書いてみて、音の種類の方を考えるべきだったと思う。 この夜は音が終わるまで、達観したおだやかな…
--- 3月12日は私の生まれた日で、3月11日は日本の北東側で多くの人が亡くなりました。18回目の誕生日はお祝いをせず、死者の数をラジオで聞いていました。人が死に終わったというように、被災した人へ向けて、歌や物資を届けたり、何かしたいという人が大勢現れました。その状況は今まで何も省みることがなかった人が、大きな命の出来事に直面しあわてているように感じられました。普段人を蹴散らしているような人でさえ、思いやりということを模倣していましたが、相変わらず生きることと死ぬことや自分自身を省みることはなかったので、今、戦争の可能性を生むか生まざるかの問題で迷っているのでしょう。戦争が起こりうることを人…
〆切前のこのアドレナリンがいつも出ていたらいいのに...と思いつつ、次の本の準備も勢いでやってしまおう! 一方で、展示は多くの人を巻き込むので、勢いだけではできない。(自分は) 今日はなぜか夢の中で、レコードプレイヤーを買わなくちゃいけないという気持ちに支配されていた。何を再生したかったのか。 音楽を流すことを、"再生"というのは面白いなと思う。
味方のような顔をしていつもこの人は、嫌なことを言ったりしてきたりするな...と鬱屈した気持ちで、もうこの人は近くしていなくてもいいなと思っていた。 最初私を嫌いだと思っていたのは覆らなかったのかも。傷ついた女の人は、こういう無理をする。 祖母とあっちで焼き魚を食べてこっちに戻ってきた朝、何か栄養と引き換えに手放そうと思った。 嫌いなわけではないけれど、課題が全然違う人とはあまり深く関われないんだなと気が付いた。遠くから応援はさせてもらおうと思う。 自分のことを頑張って。
世の中には救えないものもいると思いたくはなかったが、支配的な性格の人間がそうなのではないかと感じた。 支配的であることは、依存的であることに内包されている。依存できない状態を解消しようとする動きとして支配がある。 毎日続くとどうにも疲れてしまって、朝吐き気がして退散した。一度は頭が壊れてしまったが、今は耐えられる神経回路になっているのを感じた。 逃げ出したいときは、部屋の天井に何度も自分を吊り下げて溜飲を下げる。 あの時私が死のうと思ったのは私のせいだが、味方がいないと気がついたことは動機になった。 支配は家族ではない、常に見張ったり報告したり脅したり気をつけさせることが愛情ではない。寂しい人…
アメシロで駄目になっていた隣の家の桜、婆さまがお骨になった後に満開になった。
103歳にならずとも - 厳密な記録、甘いものを添えて。
隣の婆さまが亡くなったことを夕方聞かされた。本当は金曜の夜に、お風呂に入ったままだったそうだ。 毎日外の様子を見るために少しだけ開けていた障子。そのままになっていたから、亡くなっているとは思わなかった。 ヒートショックか何かで、苦しまずに逝ったことを願う。気持ちの強い人だったけど、1人で苦しんで行ってほしくはなかった。 人が先に逝ってしまうたび、挨拶もなく去ってしまうことが不思議で、当たり前になっていかない。 隣の庭の桜の木はアメシロにやられて、この先は切られてしまうと思う。春にはそこの小屋に子猫が迷い込んで鳴いていたりしていた。 なんとお坊さんも具合が良くないようで、うちの3回忌も隣の爺さま…
木造、昔の本家だろうか。今年亡くなった祖父の兄弟の人が戸の外に立っていて、心地良さそうな外の光が漏れていた。奥さんも隣に立っていた。 家には祖母の叔父の人があがって、香典を頂きつつ葬儀の相談をしていた。誰のなのかはわからない。 あちらの世界に完全に行ってしまって、こっちに戻るまでこちらのことを忘れてしまっていた。こっちの生活があったことを起きてじわじわと思い出す。 あっちが心地良すぎたが、こちらのことをもう少し頑張ろうという気にもなった。私は前世の人の記憶が強すぎる。流してもらってからは今の人生になじんでいる。 今日は今日で例の如く大きな白い階段を、この間の白熊の人に見守られながら登っていた。…
右耳だけお囃子のような耳鳴り。これは面白いから治さないでおきたい。 先生の命日が過ぎて、ちょうどこの日に帰天されたのを聞いたのだった。あの時の晩もヒャラヒャラと楽しげな音がしていた。
持たざる者も持つことができて、多くを持つ者もそれらと引き換えたくなるもの... いつも損なわれた物や者によって現される。
関東沿岸を破壊してしまえば大半は停止させてしまうことができる現状。 空爆も地震も、皆で受ければ怖くないのか。 昨日の朝刊で地方創生の取り組みが、逆に国力の一都集中を加速させてしまったことが指摘されていた。 日本という土地柄、狭く高く高く積み上げるゲームには向いていない。何となく危惧し始めた会社などは、東京からやや移動し始めている。 "自分が死ぬとき皆も死んでくれたら安心"という友人の言葉を思い出す。幸も不幸も他人のなかに依存しているような、胎児の思い出で街は出来ている。
やることは無限にあるので、あぁやりたいことがないと嘆く人の、時間と心と体を奪えたらいい。そしてやりたいことが見つかったら解放してやる。 あまりに沢山のことを忘れていくので、主治医に内緒で薬を飲むのをやめた。そうしたら眠くてしょうがない。世界はいちいち刺激的です。 気が触れるくらいがちょうどいいんだろう。 酒もタバコも薬もやらずに、しらふで気が触れているほうがいい。嘘がないのは気持ちがいい。
姉を歯医者に連れて行くと、足を引きずって玄関を出てきた。階段を踏み外して捻挫したらしい。どちらにどのように捻ったか、どこまでどう痛いか、痛みの伝わり方を聞いて応急処置をした。酷使した筋肉を痛めたわけでないから、消炎を優先してロキソニンテープにした。 加えてクロスのテーピング。 おそらく骨折ではないと感じたが、念のためでまたひとつ病院通いが増えてしまうかもしれない。 一方で私も送るはずの荷物を忘れて出てきてしまい、ぽんこつが雁首揃えているようで笑ってしまった。少し疲れた誕生日。 人からものを貰ったりお金を使われると落ち込んでしまうクセが抜けず。嬉しくありがたく落ち込んでいます。
経理事務をお手伝いしていたころに少しご一緒した方が亡くなった。29歳、自分より若い方が亡くなるのは悲しいと聞いていたが、実際そうだった。 おそらくスキルス性の、ステージ4の胃がんだったそうだ。背骨に転移してからはあっという間。私も数日前に聞かされて、数日後の彼の誕生日に逝かれたらしい。 彼はどうしても死なねばならないのかとサイコロを振ってみたら、"空白""物事の始まり終わり'''神"がでたので、ああもう神のところに行くってことなのねと思っていた。それでも認めはしなかった、人間なので。 仕事上直接の関わりは少なかったけれど、休憩時間によく笑わせてもらった。 冷蔵庫の電源をもらってラップトップ作業…
今日の命がクマにやられるかやられないか、森に任せようと、傘を持って入って行った。 湖の周りだったけれど、クマかイノシシがこちらに気が付いていた。木の実の入った大きな糞が落ちていて、獣臭さが風に乗ってきていた。 アシカのような声や、キジバト、草の中を移動する音、森のなかは1人でいるとかなりの雑音だらけだった。
部屋のなかをこれで満たしたら居心地が良さそう。 昨日の龍の色を忘れないようにスケッチ。
白い大きな龍の一部、もふもふと毛が生えていてゆっくり泳いでいた。 よく見ると電気の玉のような光があって綺麗だったけれど、見たことがない雰囲気だった。 龍につれてさまざまな妖怪たちが、お稲荷さんの木がある方から流れて来ていた。手を振るとやや不思議な顔をしてこちらに振り返してくれた。 今立っている新住宅は消えていて、潰された田んぼが青々としていた。
湖は眠っている人が多いから遊泳しないであげてほしい。手を合わせたり、静かに語ったりする場所になるといいけれど。
皆が必要なことをやっているように見えて、それに負けてしまいそうになる。 それがハッタリだとわかっている。 金と名声と体裁のために手数を増やすことを、私は本当にやりたいですか。 また先生に届かぬメールを出して確認した。不思議と答えが見えてくる。何でもやりなよって言ってくれるんだろうな。
部屋の外で人が喋っている声は、いつもろくな音ではないから、どきどきとしてくる。 課題でこのような機構の作品を作った時に、嫌な音に聞こえないと批評がついた。もともと私のことが気に入らない先生だったが、部屋のしきりが厚い良い家に住んでいたか、穏やかな家庭だったかのどちらかだと思った。 そして"嫌な音"になるまでにはもっとわかりやすい激しさなどが必要なのだろう。 憎み合っているもの同士住んでいると、普通の音も嫌な音に聞こえる。嫌な者の出す音ということだから。 私にとっては嫌な者ではなく怖い者だけれど。 そう書いてみて、音の種類の方を考えるべきだったと思う。 この夜は音が終わるまで、達観したおだやかな…
--- 3月12日は私の生まれた日で、3月11日は日本の北東側で多くの人が亡くなりました。18回目の誕生日はお祝いをせず、死者の数をラジオで聞いていました。人が死に終わったというように、被災した人へ向けて、歌や物資を届けたり、何かしたいという人が大勢現れました。その状況は今まで何も省みることがなかった人が、大きな命の出来事に直面しあわてているように感じられました。普段人を蹴散らしているような人でさえ、思いやりということを模倣していましたが、相変わらず生きることと死ぬことや自分自身を省みることはなかったので、今、戦争の可能性を生むか生まざるかの問題で迷っているのでしょう。戦争が起こりうることを人…
〆切前のこのアドレナリンがいつも出ていたらいいのに...と思いつつ、次の本の準備も勢いでやってしまおう! 一方で、展示は多くの人を巻き込むので、勢いだけではできない。(自分は) 今日はなぜか夢の中で、レコードプレイヤーを買わなくちゃいけないという気持ちに支配されていた。何を再生したかったのか。 音楽を流すことを、"再生"というのは面白いなと思う。
味方のような顔をしていつもこの人は、嫌なことを言ったりしてきたりするな...と鬱屈した気持ちで、もうこの人は近くしていなくてもいいなと思っていた。 最初私を嫌いだと思っていたのは覆らなかったのかも。傷ついた女の人は、こういう無理をする。 祖母とあっちで焼き魚を食べてこっちに戻ってきた朝、何か栄養と引き換えに手放そうと思った。 嫌いなわけではないけれど、課題が全然違う人とはあまり深く関われないんだなと気が付いた。遠くから応援はさせてもらおうと思う。 自分のことを頑張って。
世の中には救えないものもいると思いたくはなかったが、支配的な性格の人間がそうなのではないかと感じた。 支配的であることは、依存的であることに内包されている。依存できない状態を解消しようとする動きとして支配がある。 毎日続くとどうにも疲れてしまって、朝吐き気がして退散した。一度は頭が壊れてしまったが、今は耐えられる神経回路になっているのを感じた。 逃げ出したいときは、部屋の天井に何度も自分を吊り下げて溜飲を下げる。 あの時私が死のうと思ったのは私のせいだが、味方がいないと気がついたことは動機になった。 支配は家族ではない、常に見張ったり報告したり脅したり気をつけさせることが愛情ではない。寂しい人…
アメシロで駄目になっていた隣の家の桜、婆さまがお骨になった後に満開になった。
103歳にならずとも - 厳密な記録、甘いものを添えて。
隣の婆さまが亡くなったことを夕方聞かされた。本当は金曜の夜に、お風呂に入ったままだったそうだ。 毎日外の様子を見るために少しだけ開けていた障子。そのままになっていたから、亡くなっているとは思わなかった。 ヒートショックか何かで、苦しまずに逝ったことを願う。気持ちの強い人だったけど、1人で苦しんで行ってほしくはなかった。 人が先に逝ってしまうたび、挨拶もなく去ってしまうことが不思議で、当たり前になっていかない。 隣の庭の桜の木はアメシロにやられて、この先は切られてしまうと思う。春にはそこの小屋に子猫が迷い込んで鳴いていたりしていた。 なんとお坊さんも具合が良くないようで、うちの3回忌も隣の爺さま…
木造、昔の本家だろうか。今年亡くなった祖父の兄弟の人が戸の外に立っていて、心地良さそうな外の光が漏れていた。奥さんも隣に立っていた。 家には祖母の叔父の人があがって、香典を頂きつつ葬儀の相談をしていた。誰のなのかはわからない。 あちらの世界に完全に行ってしまって、こっちに戻るまでこちらのことを忘れてしまっていた。こっちの生活があったことを起きてじわじわと思い出す。 あっちが心地良すぎたが、こちらのことをもう少し頑張ろうという気にもなった。私は前世の人の記憶が強すぎる。流してもらってからは今の人生になじんでいる。 今日は今日で例の如く大きな白い階段を、この間の白熊の人に見守られながら登っていた。…
右耳だけお囃子のような耳鳴り。これは面白いから治さないでおきたい。 先生の命日が過ぎて、ちょうどこの日に帰天されたのを聞いたのだった。あの時の晩もヒャラヒャラと楽しげな音がしていた。
持たざる者も持つことができて、多くを持つ者もそれらと引き換えたくなるもの... いつも損なわれた物や者によって現される。
関東沿岸を破壊してしまえば大半は停止させてしまうことができる現状。 空爆も地震も、皆で受ければ怖くないのか。 昨日の朝刊で地方創生の取り組みが、逆に国力の一都集中を加速させてしまったことが指摘されていた。 日本という土地柄、狭く高く高く積み上げるゲームには向いていない。何となく危惧し始めた会社などは、東京からやや移動し始めている。 "自分が死ぬとき皆も死んでくれたら安心"という友人の言葉を思い出す。幸も不幸も他人のなかに依存しているような、胎児の思い出で街は出来ている。
やることは無限にあるので、あぁやりたいことがないと嘆く人の、時間と心と体を奪えたらいい。そしてやりたいことが見つかったら解放してやる。 あまりに沢山のことを忘れていくので、主治医に内緒で薬を飲むのをやめた。そうしたら眠くてしょうがない。世界はいちいち刺激的です。 気が触れるくらいがちょうどいいんだろう。 酒もタバコも薬もやらずに、しらふで気が触れているほうがいい。嘘がないのは気持ちがいい。
姉を歯医者に連れて行くと、足を引きずって玄関を出てきた。階段を踏み外して捻挫したらしい。どちらにどのように捻ったか、どこまでどう痛いか、痛みの伝わり方を聞いて応急処置をした。酷使した筋肉を痛めたわけでないから、消炎を優先してロキソニンテープにした。 加えてクロスのテーピング。 おそらく骨折ではないと感じたが、念のためでまたひとつ病院通いが増えてしまうかもしれない。 一方で私も送るはずの荷物を忘れて出てきてしまい、ぽんこつが雁首揃えているようで笑ってしまった。少し疲れた誕生日。 人からものを貰ったりお金を使われると落ち込んでしまうクセが抜けず。嬉しくありがたく落ち込んでいます。
経理事務をお手伝いしていたころに少しご一緒した方が亡くなった。29歳、自分より若い方が亡くなるのは悲しいと聞いていたが、実際そうだった。 おそらくスキルス性の、ステージ4の胃がんだったそうだ。背骨に転移してからはあっという間。私も数日前に聞かされて、数日後の彼の誕生日に逝かれたらしい。 彼はどうしても死なねばならないのかとサイコロを振ってみたら、"空白""物事の始まり終わり'''神"がでたので、ああもう神のところに行くってことなのねと思っていた。それでも認めはしなかった、人間なので。 仕事上直接の関わりは少なかったけれど、休憩時間によく笑わせてもらった。 冷蔵庫の電源をもらってラップトップ作業…