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  • 前12世紀「海の民」の侵入でAll Clear

    【「海の民」】には必ずといってよいほど「なぞの」という言葉がつきます。彼らは【前12】世紀に地中海から【エジプト】・【小アジア】・【メソポタミア】に侵入し、その地にあったヒッタイト帝国やミタンニ王国を滅ぼしています。ただし、新王国はこのときは滅びませんでしたが、以前のようにオリエント世界に影響力を持つような国ではなくなってしまいました。このように、海の民はそれまでインド=ヨーロッパ語族の世界であったメソポタミアに混乱をもたらし、全てを無にしたのです。前12世紀からオリエント世界はまったく新しい世界が始まりました。前12世紀「海の民」の侵入でAllClear

  • アッシリアがオリエントを統一しました

    アッシリアによるオリエントの統一前12世紀、なぞの「海の民」の進入で大混乱におちいっていたメソポタミア地方でしたが、【メソポタミア北部】から新しい民族が勢力を付けてきました。それが【アッシリア】です。アッシリアは前7世紀になるとメソポタミアを統一すると、地中海東岸の民族を攻撃しました。ヘブライ人の【イスラエル】王国を【サルゴン2世】が征服したのは【前722】年のことです。ついで、アッサルハドンはフェニキア人の都市国家【シドン】と【ティルス】の港を破壊します。石積みの防波堤や船着場を破壊したのです。この戦いに敗れたフェニキア人は、北アフリカの【カルタゴ】などに逃れるほかありませんでした。海上貿易を独占していたフェニキア人の港が破壊されたというチャンスを逃さず、フェニキア人にとって代わって地中海の海上貿易に乗り出し...アッシリアがオリエントを統一しました

  • 古代オリエント世界 1万年前の世界

    (2)古代オリエント世界1万年前の世界<o:p></o:p>今から1万年前に地球環境は激変しました。気温が上昇し、海水面が数10メートル上昇しました。これにより日本列島と大陸を結んでいた陸地は水没してしまいました。日本列島が誕生したわけです。日本列島に取り残された人々は、もともと、南から島々を伝わって、黒潮の魚を追って日本まで来た人々でした。島々が水没したため、彼らのカヌーでは南に戻れません。ナウマン像を追って大陸から入ってきた人々も、帰ることができませんでした。彼らが日本人のルーツと考えられています。一方、現在のイラクやイスラエルでは、温暖化によって【農耕】が始まりました。イラク北東部の【ジャルモ】やイスラエルの死海北岸の【イェリコ】にその遺跡を見ることができます。ジャルモ遺跡の住居跡から約200人程度の人口...古代オリエント世界1万年前の世界

  • オリエント世界(1)農耕の開始

    古代オリエント世界1万年前の世界今から1万年前に地球環境は激変しました。気温が上昇し、海水面が数10メートル上昇しました。これにより日本列島と大陸を結んでいた陸地は水没してしまいました。日本列島が誕生したわけです。日本列島に取り残された人々は、もともと、南から島々を伝わって、黒潮の魚を追って日本まで来た人々でした。島々が水没したため、彼らのカヌーでは南に戻れません。ナウマン像を追って大陸から入ってきた人々も、帰ることができませんでした。彼らが日本人のルーツと考えられています。一方、現在のイラクやイスラエルでは、温暖化によって【農耕】が始まりました。イラク北東部の【ジャルモ】やイスラエルの死海北岸の【イェリコ】にその遺跡を見ることができます。ジャルモ遺跡の住居跡から約200人程度の人口があったと考えられ、小麦、ヒ...オリエント世界(1)農耕の開始

  • 楔形文字

    【ペルセポリス】はアケメネス朝ペルシアの都。この町は当時パルーサと呼ばれていた。この町を破壊したのは【アレクサンドロス大王】です。彼がこの町を破壊したとき、保管されていた【粘土板】が焼かれ(粘土が焼かれると植木鉢のようになるでしょ)、その焼き固められた粘土板は2000年以上の歳月にも風化することなく保存されたわけです。まさに偶然。この【ペルセポリス碑文】から【楔形文字】の解読研究が始まったわけです。この【ドイツ】人【グロテフェント】の努力を受け継いだのが、【イギリス】人の【ローリンソン】でした。彼はグロテフェントの研究に加え、【ダレイオス1世】の業績を讃えた【ベヒストゥーン碑文】の解読を行い、約5000年前に使用されていた楔形文字の解読に成功したのです。楔形文字の解読により古代オリエント史研究は飛躍的に進歩しま...楔形文字

  • シュメール文明のチェックポイント

    シュメール文明で古代メソポタミア文明の幕が開きました。1週間かけて勉強した古代メソポタミアの歴史のチェックをしていきます。では、シュメール文明のチェック・ポイントから・・・⑴シュメール文明が始まった時期は?=前2700⑵使われていた文字は?=楔形文字(粘土板を使用)⑶シュメール人の民族系統は?=不明⑷代表的な都市国家は?=ラガシュ,ウル,ウルク,ウンマなど(このうちウルが最大でユーフラテス河付近にあった)⑸シュメール文明の特徴は?=�神殿が政治・経済の中心だった�神権政治が行われていた�ジグラット(聖塔)が都市のシンボル�60進法を使用した�太陰暦の使用した�彩文土器の使用した�古代インドのインダス文明との交流があった�犂スキ、舟、車、などを発明した�ギルガメシュ神話(ウルク)の洪水伝説�1週7日制(占星術)シ...シュメール文明のチェックポイント

  • ツタンカーメン

    【ツタンカーメン】は【新王国】第【18】王朝の少年王で、【黄金のマスク】の発見で有名な王です。イクナートンの腹違いの弟であろうと考えられています。イクナートンがなくなった後、【アモン】を祭る【テーベ】の神官たちに押されてテーベに都を戻し、ツタンク・アモンと名乗りました。在位9年18歳で死去したため、王墓の建設がまにあわず、【テーベ】近くの【王家の谷】にある大臣の墓に葬られました。それから3300年後、イギリス人【ハワード=カーター】が1922年に発掘し、王のミイラには黄金のマスクが被せられていたわけです。ツタンカーメンの黄金のメスク考古学者ハワード=カーターがルクソールでツタンカーメンの墓を発掘ツタンカーメン

  • ファラオ

    ギリシアの歴史家【ヘロドトス】は「【エジプトはナイルのたまもの】」という言葉を残しました。彼は【前5】世紀の歴史家ですが、ピラミッドについても多数の奴隷に労働によって作られたと、書き残しました。【カイロ】の対岸にある【ギザ】という場所に【3大ピラミッド】があります。【クフ】王のピラミッドが最大ですが、カフラー王やメンカフラー王のピラミッドも巨大なものです。彼らのようなエジプトの王を【ファラオ】とよびました。現在ではピラミッドはファラオの墓ではないのでは??と考えられています。このような大ピラミッドは【古王国】時代の【第4】王朝にさかんに作られました。それより以前、上エジプト(ナイル川【上流】地域のことをそうよびます)から登場して、下エジプト(ナイルの【デルタ】地帯)を征服し、最初のファラオになったのは【メネス】...ファラオ

  • アケメネス朝ペルシア(1)建国期

    4王国分立時代の【メディア】を倒して【ペルシス】地方から拡大していったのが【アケメネス朝ペルシア】です。【前550】年に建国し【前330】年に【アレクサンドロス】大王によって滅ぼされました。約220年間の歴史ですが、世界史で扱う時期は限られていて、王も建国期から全盛期までの4人と、最後の国王だけです。建国者は【キュロス2世】といいます。ペルシスから【メディア】王国を滅ぼし、さらにメソポタミアの【バビロン】も征服した業績を残しています。しかし、彼の名を世界の歴史にとどめさせたのは、彼が戦争で勝利したことではなく、【前538】年に約50年間バビロンで奴隷としてとどめられていた【ユダ】の人々を解放し、故郷のイェルサレムに戻したことでしょう。その結果、ユダの人々(ユダヤ人)は【前6】世紀に【イェルサレム】に戻ると【神殿...アケメネス朝ペルシア(1)建国期

  • 文化と文明

    文化とは、その民族がしている習慣のことで、他の民族からは「何でそんなことする??」といった感じの習慣です。たとえば、箸の使い方なんか、どうでもいいじゃん!?と言われたら、だけど、なんとなくうまく説明できないけど、やっぱ、箸の使い方にはルールというか、マナーがあるんだ!!としか、言えないようなものが、文化です。一方、文明は、どの民族にも広く受け入れられている習慣です。キリスト教はさまざまな民族が信仰している宗教ですから、文明といえます。でも、神道は日本人しか信仰していませんから、これは日本の文化です。文明を世界に発信して民族は、世界史でも限られた民族しかいません。文化と文明

  • 古代オリエント史を説明すると・・・

    ※概観古代オリエント史はティグリス・ユーフラテス河流域のメソポタミア地方と、ナイル河流域のエジプトの2地域が中心となっている。これに地中海東岸地域とアナトリア(小アジア)を加えて考えていけばよい。これら地域毎に分けて古代オリエント史を考えることが多いのだが、じつはオリエント世界全体を掌握しながら、時代区分を行って見ていくほうが理解し易いのである。すなわち、シュメールから始まった古代文明が、農耕文明としてチグリス・ユーフラテス河流域で成熟していき前18世紀のバビロニアで集大成される時期が『第1期』。この時期ではエジプトも同等レベルの文明を完成させたといえる。次いで前20世紀頃の中央アジアから始まった遊牧民族の大移動が古代オリエント世界にも波及してきた時期が『第2期』である。『第2期』を理解するためには古代世界の中...古代オリエント史を説明すると・・・

  • 都市国家の成立

    古代【メソポタミア】の都市国家は、大河が洪水であふれても水没しない、少し小高い丘の上に作られました。小高い丘の周囲は城壁で囲われ、数少ない有効な土地を守ります。水没した都市国家の周囲の水が引くと、そこには上流から豊かな土砂が運ばれ、労少なくして肥沃な土地を手にすることができたのです。こうして【前2700年】ころに、【ティグリス河】と【ユーフラテス河】に挟まれた地域の下流近くに、いくつかの【シュメール人】の【都市国家】が誕生したわけです。都市国家の成立

  • ウル=ナンム法典

    現存する最古の法典は、【ウル第3王朝】時代の「【ウル=ナンム法典】」です。1952年にこの「ウル=ナンム法典」が発見されました。それまで、紀元前1750年のものとされる「【ハンムラビ法典】」が最古の法典とされていましたが、「ウル=ナンム法典」はそれよりも古いものであり、現存する最古の法典です。残念ながら、全ての条文が残されているわけではなく、残存する35条の本文には、殺人、盗み、傷害、離婚、農地の荒廃などについての刑罰が規定されています。ハンムラビ法典の特徴である「【目には目を、歯に歯を】」の原則はうたわれていません。ウル=ナンム法典

  • ハンムラビ法典

    【ハンムラビ法典】の特徴は「【身分法】」と「【復讐法】」であるということです。なぜこの2点が特徴といえるのか?それは現在の我々が使っている法律からみて、この2点が大きな違いだからです。「身分法」というのは、「【同じ罪を犯したのにもかかわらず、その人物の身分によって刑罰に差がある】」、ということです。また、「復讐法」とは、「【犯した罪と同様の内容の刑罰を与える】」、というもの。確かに、現在ではかなもちだから刑罰が軽くなるということはないですし、交通事故で他人の肩を骨折させてしまったからといって、過失があった人の肩を骨折させるという刑罰はしていません。ハンムラビ法典のレリーフと楔形文字 ハンムラビ法典

  • アッカド王国サルゴン1世とウル第3王朝のウルナンム王

    【シュメール】文明が衰退すると、代わって【アッカド】人(セム語族)の【サルゴン1世】がメソポタミアの南にある都市国家を征服しました。しかし、彼らもまもなく滅亡し、【シュメール】人の一部が【ウル】の町を復活させました。これが【ウル第3王朝】です。このウルの町で成立したウル第3王朝の王【ウルナンムは】、法律を残しています。われわれは彼が作った【ウルナンム法典】のうちのわずかしか目にすることはできませんが、今、発見された現存する人類【最古の法典】といえます。アッカド王国サルゴン1世とウル第3王朝のウルナンム王

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