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准胝院のブログ https://ryona.hatenadiary.jp/

准胝佛母の密教祈願道場「准胝院」のブログです。天台寺門宗教師「亮和」が祈願について語ります。

亮和
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2020/03/31

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  • 猫の添い寝

    日本には伝統的に、息を引き取ってから埋葬または火葬にするまでの間の夜、近親者が死者とともに過ごすという風習がある。通夜を「お伽(とぎ)」「夜伽」「添い寝」などといって相続人が死者と添い寝をする例があるのは、その風習によるという。 妻は少しナーバスなところがあり、愛犬の「るびぃ」が亡くなって、荼毘に付すまでの2日間、「るびぃ」の亡骸を安置してる部屋に一人で入れなかった。 その安置の部屋が私の寝室だったので、私は「添い寝」まではいかないものの割と近距離で二日間、熟睡していた(のだが笑) ただ妻は冒頭で紹介した「夜伽」の事が頭にあり、日中私が仕事でいない間、「るびぃ」を一人にしておくのはしのびないと…

  • 無意識と神仏の声

    「無意識のその先に神仏がいる」 ということをこのブログで何度か記事にした事がある。これは現代科学で証明云々なんていうことは土台無理な話だから個々人が「信じる」「信じない」の話になってくる。 「もちろん信じるっちゃ!(宮城弁)」という方は以下の話にもお付き合いください。 無意識の先に神仏がいたとしても、問題なのは無意識から発せられた情報が「個人の無意識」のものなのか、その奥の集合無意識なのか、さらにその先にある神仏からのものなのか区別がつかないということ。 だからきっと二種類の過ちに注意する必要がありそうだ。 ①無意識の声を「神仏の声」と過大評価する ②神仏からの情報を「無意識の情報」と過小評価…

  • 三鈷剣作成中

    荼枳尼天のお経「刀自女経」にある一文、「右手把大刀」について、「三鈷剣」なのか「刀」なのか、記事を書きましたが↓ https://ryona.hatenadiary.jp/entry/2021/07/07/135056修繕中のお像は当初の予定通り「三鈷剣」にしました。あまりに小さいので石粉粘土での作成は難有りで、アルミ板から削り出しました。さすが鉄を鍛錬して作る根性はありませんでしたので(笑)まだ剣側は三鈷になっていませんから「針金+パテ」で形にする予定。

  • 批判の裏に潜む「真の目的」は、エゴのマウンティング

    私が武道・格闘技に目がないのは何度も記事にしている通り、だから毎日お気に入りの格闘家のyoutubeはチェックしている。 人気のYoutubeチャネルは格闘家とはいえ、見な「弁が立つ」人が多く、「講師」が職業の私からすると「格闘技」の話よりも「話のスキル」ばかりに意識が行ってしまうことがしばしば。 そんな「話の旨い」格闘技Youtuberに「細川バレンタイン」という元ボクサーがいる。 さて、その「細川バレンタイン」の動画をわざわざ「仏教ブログ」で紹介するのは、タイトルにあるとおり、仏教の話題で加熱師がちな「批判合戦」でもこの「罠」にハマるリスクが大いにあると思ったからだ。以下動画、最初飛ばして…

  • 「逝って良かった」の真意

    ここ数回、愛犬「るびぃ」のネタばかりで恐縮だが、先日「妻」との話で少し思うことがあったので記しておきます。 妻は,先だって旅立った「るびぃ」を「はやく逝けてよかったね」と表現した。 「良かった?」 ペットの死を「良かった」と表現するのはとても違和感があるが、妻に言わせると二か月前に「最初の発作」で「るびぃ」はすでに「亡くなった」という。 「いやいや、二か月生きたでしょ?」 と突っ込みたくなるが、実は私にも思い当たる節がある。 発作の後のるびぃは所謂「認知症状」になって「我を失った」のは紛れもない事実。その認知症状も改善に向かっていたのはこのブログでも触れたとおりだが、それでも「我を取り戻す」こ…

  • 雲に乗る黄狐

    荼枳尼天さまの頭に乗せる「黄狐」 仏画に見るお姿は、置物のように小さ過ぎて(頭に頂くので仕方ないが)遠目に見えないものが多い。だから頭の上だとどうしても小さくならざるを得ないので思い切って雲にのせて、お姿も大きくした。大きいと言っても女神さまの身体に対してリアルな狐のサイズ感だと思う。 るびぃの件で、数日バタバタしていたが仏像修繕(作成?)という日常がようやく戻ってきた……記事が参考になったらクリック↓お願いします!にほんブログ村

  • 悲しさとは違う「喪失感」の正体

    愛犬「るびぃ」への沢山のお悔みのお言葉、改めまして感謝申し上げます。 二夜、「るびぃ」の亡骸と共にしましたが本日、無事に荼毘に付すことができました。 恥ずかしながら「るびぃ」の死によって、この歳ではじめて「喪失感」という感情に襲われました。 近しい人の死としては、母の死を経験していますが、「悲しい」という感情はもちろん強烈にあったのですが、正直今回のような「喪失感」はなかったように記憶しています。 誤解のないように言っておくと、これは「母よりも犬の方が大切だった」という話ではありません。人生の「別れ」としては母との死別の方が当然、より悲しいものでした。 では、今回の喪失感は何なのだろうか?と考…

  • ご報告 愛犬るびぃのこと

    先日、記事にした回復傾向だった愛犬るびぃ。昨日の昼間は、いつになく絶好調だった。久しくなかった「餌の催促」に元気に鳴いた。 散歩も足腰が大分戻って足取りも軽かった。「ああ、もう直ぐ全治するかも」 そんな期待をもしていた。 そしてどうしても取れなかったオムツも外して元通りのるびぃが帰ってきたと思った。…… …… …… 夜、本尊供と理趣分の行を終えてリビングに戻るといつもは寝て静かしているはずのるびぃの「柵の中」からガチャガチャと異音がする。「おや?」と思い柵の中にいる「るびぃ」を見て言葉を失った。 2ヶ月全く出ていなかった「てんかん発作」をおこしてきたのだ。しかも、口から溢れる「泡」の量からして…

  • 持持にみる「剣」と「刀」の違い

    「左手持如意宝珠、右手把大刀」 先日、少し話題にした荼枳尼天のお経「刀自女経」の一節。 如意宝珠を持し大刀を把むと読める。 だから 手元にある破損した荼枳尼天のお像を「刀自女経」のお姿に修繕する際に、結構悩んでいる。 理由は右手に持つのは「剣」ではなく「刀」になっているから。「書き間違え?」かもしれないし、「刀」も「剣」も区別していない、という線もある。 「いやいや、刀も剣も似たようなもんだろ?」 ですか? ……果たしてそうだろうか? 手元に「諸宗仏像図彙」という江戸時代の「仏像事典」がある。これは有名な書物なのでご存知の方も多いと思うが、なんと800もの図像が紹介されている。 この「諸宗仏像…

  • るびぃ……まだまだ生きるぞ!

    愛犬「るびぃ」が、脳の疾患で重篤な発作を起こし、「もうダメかも」と覚悟した事を、記事何度か触れた。 ryona.hatenadiary.jp ryona.hatenadiary.jp丁度、不動尊華水供の加他行修行中だったため急遽「るびぃ」の病気平癒を願目に加えて祈った。当時、何とか発作は無くなり急は乗り越えた事を実感した。しかし後遺症として「認知症」を患い「徘徊」「夜中の奇声」「飼い主がわからない」「糞尿のコントロールができない=オムツがはずせない」等の症状か残った。これついては「助かっただけでも」と御の字と感じていた。しかしである…… 散歩を楽しむまでに回復しています。ほとんど「何も理解でき…

  • 一日一回だけ

    昔、武術の業を習得するためには、一日何回の反復練習が必要なのかよく考えた。当時、結局結論は出ずに「なるべく数多く繰り返すことが肝要だ」という大雑把な理解でいた。 皆さんも何かを習得するためには悩まれた事あるのではないでしょうか?スポーツ、習い事、語学、etc…… 私は元来「多趣味」なので何かを始めてはすぐ飽きてしまうということがある。「面倒になってくる」「上達が目に見えない」等が継続しない理由でしょうか。 そんな私も、最近になって全く別の考えをするようになった。それがタイトルにある「一日一回でいいじゃないか?」というアイデア。 「え?一回だけ?そんな楽でいいの?」と思われるだろうか? ただ、こ…

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