古い街並みとは別に、遊里跡(遊廓・赤線・青線・花街・カフェー街)をぶらりとあてもなく歩いて、とりとめもなく採り続けてきた過去の写真の記録。
古い街並みとは別に、遊里跡(遊廓・赤線・青線・花街・カフェー街)をぶらりとあてもなく歩いて、とりとめもなく採り続けてきた写真の記録です。(観光案内になっていませんのであしからず)。 こうした街並みは時代と共に消えゆく運命で、以前歩いた場所も何かしらの理由で消えたり、新しい別の建物に替わったりとなってゆきます。 拙い写真ですが、こういう町並みが過去にあったという記録になれば。
(石川県金沢市片町)金沢の遊里について、公許の遊廓を2回に分けて取り上げましたが、今回は青の名残りが残る片町へ。「東廓」「主計町」「愛宕」👉こちらへ「西廓」「北廓」「石坂」👉こちらへ『全国女性街ガイド』では、「香林坊裏の青線が発達し、ハモニカ長屋のような屋
(石川県金沢市石坂)金沢遊里の続きです。今回は犀川周辺の遊里、「西廓」「石坂」「北廓」です。前回取り上げた「東廓」「愛宕」「主計町」についてはこちら。金沢遊里の総記もそこで書いてあります。にし茶屋街(西廓)浅野川東岸にある「東廓」に対し、犀川西岸にあるの
(石川県金沢市石坂)裏日本の”京都”金沢も、山中、片山津の発展で女の方はがた落ち気味。戦前、その嬌名をうたわれた若柳流の東廓(現在でも一流)、少し落ちて西川流の西廓、藤間流の主計町、花柳流の北廓、併せて東西南北会に入っている芸者百八十六名(東廓七十名。西
(和歌山県和歌山市「天王新地」)紀州五十五万石の御城下も戦災から面目一新。芸者より赤線が繁昌。阪和新地に三十軒、天王新地に六十五軒、女は合せて四百名。最近は、三年前の風水害で附近の湯浅、御坊辺から素人娘が流れこみ、うまく行くと情緒てんめん。(『全国女性街
「ブログリーダー」を活用して、佐々張ケン太さんをフォローしませんか?