何度も書いているけど(すみません🙇)母をデイサービスに行かせた私の一番の目的は昼食を食べてほしいということだったが、だんだん母の認知症や老化が進むにつれて利用の目的が増えてきたその一つが入浴疎開中、知り合いの家に居候しているときお風呂がいつも最後で垢が
オヤジぃの足のむくみが一向によくならない😢最初はふくらはぎだけで、それもいったんは細くなりかけていたのにまたむくみ初めて、ついにはふとももまでむくんできた。そして、おとといデイサービスの連絡帳にむくみが腰、背中陰茎にも及んでいますと書かれているのを見たと
現在母は週に5日デイサービスを利用している。デイサービスのない日曜日に加えて、木曜日も家にいる。そして、木曜日には 午後から 訪問看護師さんに来てもらい、排便させてもらっている。1月上旬にオヤジぃが転んでひとりで外を歩くのが危なくなってからは、木曜日はオヤジ
コロナの陽性者が出たことでデイサービスが金土と2日間休みになって日曜日も加えて3日間家にいたせいだろう。ありがたいことに月曜日からデイサービスは再開したもののオヤジぃはいっそう足腰が衰え、自力で立ち上がれないどころか、それまでは両手で手すりを持ってなんとか
昨夕デイサービスから帰宅後母の反応がいつもより悪かった。今日はお休みなのでよく眠れば治るかなーと思い、いつもより睡眠時間を長くしてもどうも反応がよくない。そして、昼食後、目を閉じて表情がしんどそうで、汗が出てきた💦あんなに寝たのに回復しなくなったのかなー
オヤジぃは今のところ自分で立ち上がったり、杖があっても自分ひとりで歩いたりできない状態なので、家でお風呂に入れない。というわけで、デイサービスで車いすごと入浴させてもらうことになったのだが、それが嫌らしく、入りたくないと拒絶するオヤジぃ。。。ケアマネ、訪
オヤジぃがこの1、2週間急激にいろんなところが傷んで、ケアマネも訪問看護師もデイのスタッフもお医者さんもびっくりするほど…転んでからの足のむくみに続き、臀部の皮膚乖離、腰の圧迫骨折、それとは別に右腕の麻痺がひどくなり、気管支喘息にヒューヒュー音もひどくなっ
今日のスケジュール●7:00〜 オヤジぃ起床、食事サポート●9:00〜10:00 オヤジぃの訪問リハビリ●(合間に)オヤジぃの整形外科●10:50〜11:50 オヤジぃの訪問看護●(合間に)母の起床、食事サポート●13:40〜14:40 母の訪問看護●15:00〜15:40 担当者会議(zoom
オヤジぃがいろんなところにトラブルを抱え過ぎていて、それぞれの対応に追われ、ついに間に合わなくなってきて私自身いっぱいいっぱい💦最初は足のむくみだけだったのに足がむくんで動けなくなってきたせいで座るときにも足が耐えられなくてドシンと座ってしまった結果、●
オヤジぃが家の中で動けるように自走式の車いすを借りた。現在は、椅子にいったん座ったら自分ひとりでは立ち上がれないし、自分ひとりでは歩けないので、手の届く範囲のものしか取れない。ちょっと離れたところにあるティッシュペーパーを取りたい時もいちいち私を呼ばない
日曜日はデイサービスが休みなので、母はお昼前まで寝ている。(寝かせている、かな😅)今日は1時過ぎにウツラウツラし出しだが、寝すぎてもいけないと思い、2時くらいまで起こしておこうとYouTubeを映して、母の好きな宇野昌磨くんの北京オリンピックのフィギュアスケートの
オヤジぃの足のむくみがなかなか引かない💦足が重くて、痛くて杖で歩くのが難しくなり、とうとう車いす移動になってしまった💦トイレにも行けないし、間に合わないのでリハパンにバッドだ💦おまけにイスに座るときに腰やお尻をぶつけてしまい、腰やお尻が打ち身で腫れ、お尻
最近母は上を見ていることが多くなった。だいぶん前から母にはなにかが見えるようではあったが、今回のように上を向いてのことではなく、今までとは違った様子だ。デイサービスでも今日はずっと上の方を見てらっしゃいましたと言われたので、きっと母の視線の上のほうになに
オヤジぃが一昨日昨日と血尿が出た(オヤジぃが私に話したのが昨夕だった😓)ので昨晩急遽かかりつけ医のところへ行くことに…いつもオヤジぃを病院に連れて行く時は母がデイサービスに行っているが、今回は夜に行かざるを得ず、夕食後母を早めに寝かせて行くことに。。。そ
オヤジぃのむくみが止まらない😢腎機能がかなり弱っていて利尿剤を使うことができないので、自分で足(身体)を動かすことで血流を良くするしかない。昨晩はいつもお風呂で足浴とシャワーだけしているオヤジぃがなかなかの出てこないのでお風呂をのぞいたら座ってシャワーを
母の介護度変更申請をして、1月上旬に認定調査を受けた結果、要介護5という結果が今日届いた。これまで介護度が上がった時には前よりも介護サービスが介護保険で使えるのでホッとした気持ちが大きかったので、今回もそうだろうと思っていたけど、実際に介護度5と記載された介
オヤジぃの足のむくみが全然良くならない😢足が上がらないので、着替えが困難だし、ベッドから起き上がったり、横たわったりもうまくできない。トイレまで間に合わずに漏らしてしまうこともある。ますますサポートが必要で、母の介助と重なると母のほうはおろそかになったり
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何度も書いているけど(すみません🙇)母をデイサービスに行かせた私の一番の目的は昼食を食べてほしいということだったが、だんだん母の認知症や老化が進むにつれて利用の目的が増えてきたその一つが入浴疎開中、知り合いの家に居候しているときお風呂がいつも最後で垢が
何度も書いているけど(すみません🙇)私が母をデイサービスに行かせた目的は、お昼ごはんをちゃんと食べるということであったが、母自身の目的は、お手伝いに行っている(ひとさまのお役に立つ)だったそのため、デイサービスのスタッフさんたちも協力してくださり、母がで
デイサービスに行くようになってお昼ご飯の心配がなくなったヽ(´▽`)/それまでは、ちゃんと食べたか食べないかわからず(おそらく食べていない😓)おそらくお菓子などでお腹を満たしていて持病の高脂血症(もうちょっとで糖尿病💦)がひどくなることを怖れてちゃんとお昼ご
「お手伝いをしに(少しでもひとさまのお役に立ちに)」という目的で母のデイサービス通いは始まった母は仕事をしに行っているという気持ちなので、服装も上は襟の付いた無地のブラウスで下は外出する時は履いたことのなかったズボンそれも黒色😅そして、地味な色の紐付きの
老化が進んだり、認知症になったりして家でひとりで生活するのが難しくなってきたとき、最初に利用する介護サービスは通所型介護サービスデイサービス(通所介護)ではないだろうかまだ特養やグループホームに入るほどではないが自宅でひとりで生活することが難しい期間はけ
母はその後も1回も途中で帰ってきたことはなかったただし、これは、母がデイサービスにすぐに溶け込めたからではなかったデイサービスに行き始めてからしばらくは連絡帳に途中で「もう家に帰る」と言われましたと書かれていたのだったそして、母のデイサービス(のスタッフ)
初めてのケアマネジャーはおおらかでよく笑う大柄な女性だった母は自分が小さかったからか男女かかわらず大きなひとに憧れていたのでこのケアマネのこともすぐに気に入り、大きくってすばらしいですねー😍と何度も繰り返して言い、ケアマネは恥ずかしそうにありがとうござい
最初から要介護1が出たおかげで私の希望どおりデイサービスをそれも週2回も利用することができるようになったヽ(´▽`)/さっそくケアマネが家に資料を持ってきてくれ、デイサービス先を決めることになったデイサービスを選ぶ基準などまったく持っておらずまた優柔不断な私
2012年、母は「認知症」だと診断された2004年に「認知症かな」と思ってから8年経っていた母が存命のとき、よくひとから「いつから認知症?」と聞かれたが、これはかなり難しい質問だと思う母の場合は、少なくとも専門医から「認知症」だと言われた2012年はそうなのだろうが、
日中家にひとりでいて、食事らしい食事をとっていない母にちゃんと昼食をとってもらうためにデイサービスに行ってもらおう!と私自身は決めたもののこれを実現するまでには大きな関門がたくさんあったまず要介護認定を受けてデイサービスをはじめとする介護サービスが受けら
母が認知症かなと思い始めたのが2004年頃…ということは、亡くなる18年前で母が70歳になる少し前のことだ母は日本画の個展をやることになりかなりの数額が必要だったのだが、二度同じものを注文してえらい数の額が家に届いて驚いた😲その後、おつりが計算できなくていつもお
しばらくはデイサービスの入浴に加え、家での入浴も続けられていたが、和式のお風呂だということもあり、足がだんだん上がらなくなりひとりで歩くのが難しくなってきた母を家で入浴させることができなくなった介護者がふたりいればなーとその時ほど思ったことはなかった😢ウ
毎日母をお風呂に入れる余裕と優しさがなくて自分で入れたときは毎日お風呂に入っていたのに私次第でお風呂に入れなくなってしまった母…自分の限界を認めて母に申し訳なく思いながらも割り切ればいいのに母をお風呂に入れてあげられないことに罪の意識が募って精神的にスト
母がひとりでお風呂に入っていたが、ちゃんと体や髪を洗っているのか怪しくなってきたので一緒に入ることにした母とお風呂に一緒に入るのは何十年ぶりだろう幸い?昔ながらの立方体のお風呂なので小さく細くなった母と太ってはいるが😅小さな私がなんとかギリギリ一緒に湯船
母の母、つまり、私の祖母の時代はまだ介護保険制度などなく、その当時は長男が引き取って長男のお嫁さんがお世話をする、というのが多かったように思う今となれば長男がいないひともいれば、子どもが近くに住んでいないひとやさらには子どものいないひともいることを思えば
便秘薬をやめてからだんだんその回数は減っていったもののウンコが出ることがあった1番多かったのは昼食後、ベッドで昼寝をするときと3時半頃起きる時にベッドサイドに立ったときだったデイサービスで入浴する前も割と排便があり、どちらも「立つ」ことによって『腹圧』がか
母は足を曲げて階段を上ったり、イスに座ったりできなくなり…平らなところを歩くのも支えが必要になってスリスリ足でしか歩けなくなり…前にテーブルなどの支えがあっても立っていることが難しくなったそれに平行して便が出にくくなり、毎日便秘薬を飲むようになった便秘薬
家では母の排便を事前に察知できずウンコの後処理に四苦八苦していたが、あとになってみれば、その頃がうらやましいと思えるような状況になってきた…ウンコが出なくなったのだ💦認知症介護者あるあるなのかもしれないが、お母さまの徘徊に悩んでいた介護者友だちがお母さま
家では日中もウンコの失禁や寝ているときにオシッコの失禁があるもののデイサービスではほとんどないデイサービスではスタッフが母がオシッコがたまる間隔やウンコが出そうな雰囲気を察して早めにトイレに誘導してくれるからだ母もリハパンとはいえパンツにオシッコやウンコ
母の介護がだんだん難しくなりうまくできないことが多くなってきたときふつうは泣きたい気持ちになって母にごめんねーと謝るところが自分があまりにも情けなさすぎて不謹慎にもなんと!笑ってしまった💦すると…なんと‼︎ 母も笑ったおまけにかわいい😊とアラカンのおばさ
父や母をケアしてくれていた介護や医療の専門家は、ケアマネジャー施設のヘルパーさん送迎のバスの運転手さん訪問看護師さん病院の看護師さんかかりつけの内科の先生他のお医者さん訪問歯科の先生訪問リハビリの先生訪問マッサージの先生などであった同じ医療関係者でも一般
母は昨年に入り立てなくなって両側から介助しても歩くことが難しくなって車いすになったその後、車いすで座位を保つことが難しくなってデイサービスでも家でもベッドに横になって寝ている時間がどんどん長くなってきたそして、寝返りも打てなくなった褥瘡のほうは寝ていると
これまで認知症ケアのひとつの技法「ユマニチュード」のコミュニケーションの4つの柱のうちの● 見る● 話す● 触れるを見てきたでも、介護している渦中の介護者はおそらくほとんどが介護の技法を学ぶ余裕なんかないしなにより機会がない(←これが介護者を必要以上に疲れさ
認知症ケアのユマニチュードの3つ目のコミュニケーション技法は、「触れる」です介護者が触れる手が介護される側にたくさんのメッセージを伝えているといいますそして、相手に触れるときの大原則は、つかまないこと触れるときには触れる面積をできるだけ広くして、優しく、下
昨晩ズームでひさしぶりに会議があった肩から上が映るようにパソコンの位置を調整していた時一瞬❓❓❓パソコンはテーヌルの上でイスに座って映しているので、身体は地面に垂直のはずなのに首が左に傾いてるいるぅ〜〜〜😰自分では姿勢を正して上半身を垂直にして座っている
認知症ケアのユマニチュードの4つの柱、「見る」の次は話すをみていきたいと思いますユマニチュードでは、「見ない」ことが「あなたは存在していない」というメッセージを発しているのと同じく、「話さない」ことも「あなたは存在していない」というメッセージを送っているこ
ユマニチュードは、フランスの体育学の専門家のイヴ・ジネストさんとロゼット・マレスコッティさんというひとが考案したケアの技法で、ユマニチュードということばは、英語の「ヒューマニチュード(Humanitude)」で、Human: 人間的な + Attitude: 態度 からきていて、
母が認知症になってから母も初めてだけど自分も初めての経験だったもんでいろいろと混乱して(まったく母中心ではなく自己チューでした😅)むやみやたらと本も買ってしまい、ちゃんと読みもせず、買うことで少し不安を解消していたようだった母が亡くなってからこんなにたく
足浴ができなくなっても寒い季節は容赦なくやってくるデイサービスでお風呂に入った時はまだいいが、そうでない日はほんとうに手足の先がおそろしいほど冷え切っている温かいものを食べても部屋を温かくしてもダメだその頃母の排便がないと週に1回木曜日の日中の定期訪問以外
高齢者の中でも訪問看護師さんにもまあ、手がこんなに冷たい‼️と驚かれるほど母は手先が冷たかった毎日お風呂に入っていた母を家のお風呂に入れてあげられずデイサービスでも週2回しか入れてあげられないという私自身の申し訳なさからも足浴はありがたいものだったいろんな
デイサービスでもほとんどウトウトしているかベッドに横にならせてもらっているかで夕方5時過ぎに帰ってきてからも最初は7時頃まではなんとかもっていたのがますます持たなくなってきて、帰ってきたらすぐに夕食、食べたらすぐに顔を拭いてクリーム塗って歯を磨いてからベッ
母は認知症が進んでも刑事ものの捜査一課長が好きだったどこまでストーリーがわかっているかは不明だったが、主役の内藤剛志さんが好きだったようだストーリーがわからなくなったのか集中力がなくなったのか原因は定かではないが、大好きだった捜査一課長も見なくなって、も
母は病院に運ばれる前の日までデイサービスに通っていた朝は8時40分にデイサービスの車が家まで迎えに来てくれ、夕方5時にデイサービスの車で家まで送ってもらうという規則正しい生活を週5日続けていた夕方5時に帰ってきて、8時過ぎに寝ていた頃は、夕食後の時間の過ごしかた
ことばを失っても…大丈夫大丈夫にしてあげたいなんて思いながら母を介護してきたが、今ふりかえってみると、なんて軽薄だったんだろうと思うことばを失う、ということ自分の言いたいことが言えない、ということ自分の思いや考えを伝えられなくてわかってもらえない、という
母がことばを発することがほとんどなくなり、会話ができなくなって、私は母に話しかけることがほとんどなくなってしまったもう話しても何も返ってこないし、ひとりで一方的に話すのはむなしく、また母の老化が進んでいるのをその都度確認するのも辛く、そんなしんどさから逃
ことばには話し言葉と書き言葉があるが、話し言葉より書き言葉のほうが難しいと直感的に感じる子どもを見ても、ことばの獲得においては、最初は話し言葉から始まり、だいぶん遅れて書き言葉を身につける人間と動物の大きな違いのひとつに「ことば」があるけれど、これは話し
母は上の前歯がどんどんなくなっていき、固いものや、前歯で噛み切らなくてはならないものは食べられなくなっていった。やわらか食のパンフレットをもらったり、作り方の料理本を買って読んだりもしたが、前歯がないにもかかわらず、デイサービスもご飯がおかゆに変わっただ