何度も書いているけど(すみません🙇)母をデイサービスに行かせた私の一番の目的は昼食を食べてほしいということだったが、だんだん母の認知症や老化が進むにつれて利用の目的が増えてきたその一つが入浴疎開中、知り合いの家に居候しているときお風呂がいつも最後で垢が
何度も書いているけど(すみません🙇)母をデイサービスに行かせた私の一番の目的は昼食を食べてほしいということだったが、だんだん母の認知症や老化が進むにつれて利用の目的が増えてきたその一つが入浴疎開中、知り合いの家に居候しているときお風呂がいつも最後で垢が
何度も書いているけど(すみません🙇)私が母をデイサービスに行かせた目的は、お昼ごはんをちゃんと食べるということであったが、母自身の目的は、お手伝いに行っている(ひとさまのお役に立つ)だったそのため、デイサービスのスタッフさんたちも協力してくださり、母がで
デイサービスに行くようになってお昼ご飯の心配がなくなったヽ(´▽`)/それまでは、ちゃんと食べたか食べないかわからず(おそらく食べていない😓)おそらくお菓子などでお腹を満たしていて持病の高脂血症(もうちょっとで糖尿病💦)がひどくなることを怖れてちゃんとお昼ご
「お手伝いをしに(少しでもひとさまのお役に立ちに)」という目的で母のデイサービス通いは始まった母は仕事をしに行っているという気持ちなので、服装も上は襟の付いた無地のブラウスで下は外出する時は履いたことのなかったズボンそれも黒色😅そして、地味な色の紐付きの
老化が進んだり、認知症になったりして家でひとりで生活するのが難しくなってきたとき、最初に利用する介護サービスは通所型介護サービスデイサービス(通所介護)ではないだろうかまだ特養やグループホームに入るほどではないが自宅でひとりで生活することが難しい期間はけ
母はその後も1回も途中で帰ってきたことはなかったただし、これは、母がデイサービスにすぐに溶け込めたからではなかったデイサービスに行き始めてからしばらくは連絡帳に途中で「もう家に帰る」と言われましたと書かれていたのだったそして、母のデイサービス(のスタッフ)
初めてのケアマネジャーはおおらかでよく笑う大柄な女性だった母は自分が小さかったからか男女かかわらず大きなひとに憧れていたのでこのケアマネのこともすぐに気に入り、大きくってすばらしいですねー😍と何度も繰り返して言い、ケアマネは恥ずかしそうにありがとうござい
最初から要介護1が出たおかげで私の希望どおりデイサービスをそれも週2回も利用することができるようになったヽ(´▽`)/さっそくケアマネが家に資料を持ってきてくれ、デイサービス先を決めることになったデイサービスを選ぶ基準などまったく持っておらずまた優柔不断な私
2012年、母は「認知症」だと診断された2004年に「認知症かな」と思ってから8年経っていた母が存命のとき、よくひとから「いつから認知症?」と聞かれたが、これはかなり難しい質問だと思う母の場合は、少なくとも専門医から「認知症」だと言われた2012年はそうなのだろうが、
日中家にひとりでいて、食事らしい食事をとっていない母にちゃんと昼食をとってもらうためにデイサービスに行ってもらおう!と私自身は決めたもののこれを実現するまでには大きな関門がたくさんあったまず要介護認定を受けてデイサービスをはじめとする介護サービスが受けら
母が認知症かなと思い始めたのが2004年頃…ということは、亡くなる18年前で母が70歳になる少し前のことだ母は日本画の個展をやることになりかなりの数額が必要だったのだが、二度同じものを注文してえらい数の額が家に届いて驚いた😲その後、おつりが計算できなくていつもお
しばらくはデイサービスの入浴に加え、家での入浴も続けられていたが、和式のお風呂だということもあり、足がだんだん上がらなくなりひとりで歩くのが難しくなってきた母を家で入浴させることができなくなった介護者がふたりいればなーとその時ほど思ったことはなかった😢ウ
毎日母をお風呂に入れる余裕と優しさがなくて自分で入れたときは毎日お風呂に入っていたのに私次第でお風呂に入れなくなってしまった母…自分の限界を認めて母に申し訳なく思いながらも割り切ればいいのに母をお風呂に入れてあげられないことに罪の意識が募って精神的にスト
母がひとりでお風呂に入っていたが、ちゃんと体や髪を洗っているのか怪しくなってきたので一緒に入ることにした母とお風呂に一緒に入るのは何十年ぶりだろう幸い?昔ながらの立方体のお風呂なので小さく細くなった母と太ってはいるが😅小さな私がなんとかギリギリ一緒に湯船
母の母、つまり、私の祖母の時代はまだ介護保険制度などなく、その当時は長男が引き取って長男のお嫁さんがお世話をする、というのが多かったように思う今となれば長男がいないひともいれば、子どもが近くに住んでいないひとやさらには子どものいないひともいることを思えば
便秘薬をやめてからだんだんその回数は減っていったもののウンコが出ることがあった1番多かったのは昼食後、ベッドで昼寝をするときと3時半頃起きる時にベッドサイドに立ったときだったデイサービスで入浴する前も割と排便があり、どちらも「立つ」ことによって『腹圧』がか
母は足を曲げて階段を上ったり、イスに座ったりできなくなり…平らなところを歩くのも支えが必要になってスリスリ足でしか歩けなくなり…前にテーブルなどの支えがあっても立っていることが難しくなったそれに平行して便が出にくくなり、毎日便秘薬を飲むようになった便秘薬
家では母の排便を事前に察知できずウンコの後処理に四苦八苦していたが、あとになってみれば、その頃がうらやましいと思えるような状況になってきた…ウンコが出なくなったのだ💦認知症介護者あるあるなのかもしれないが、お母さまの徘徊に悩んでいた介護者友だちがお母さま
家では日中もウンコの失禁や寝ているときにオシッコの失禁があるもののデイサービスではほとんどないデイサービスではスタッフが母がオシッコがたまる間隔やウンコが出そうな雰囲気を察して早めにトイレに誘導してくれるからだ母もリハパンとはいえパンツにオシッコやウンコ
母の介護がだんだん難しくなりうまくできないことが多くなってきたときふつうは泣きたい気持ちになって母にごめんねーと謝るところが自分があまりにも情けなさすぎて不謹慎にもなんと!笑ってしまった💦すると…なんと‼︎ 母も笑ったおまけにかわいい😊とアラカンのおばさ
昨晩ズームでひさしぶりに会議があった肩から上が映るようにパソコンの位置を調整していた時一瞬❓❓❓パソコンはテーヌルの上でイスに座って映しているので、身体は地面に垂直のはずなのに首が左に傾いてるいるぅ〜〜〜😰自分では姿勢を正して上半身を垂直にして座っている
認知症ケアのユマニチュードの4つの柱、「見る」の次は話すをみていきたいと思いますユマニチュードでは、「見ない」ことが「あなたは存在していない」というメッセージを発しているのと同じく、「話さない」ことも「あなたは存在していない」というメッセージを送っているこ
ユマニチュードは、フランスの体育学の専門家のイヴ・ジネストさんとロゼット・マレスコッティさんというひとが考案したケアの技法で、ユマニチュードということばは、英語の「ヒューマニチュード(Humanitude)」で、Human: 人間的な + Attitude: 態度 からきていて、
母が認知症になってから母も初めてだけど自分も初めての経験だったもんでいろいろと混乱して(まったく母中心ではなく自己チューでした😅)むやみやたらと本も買ってしまい、ちゃんと読みもせず、買うことで少し不安を解消していたようだった母が亡くなってからこんなにたく
足浴ができなくなっても寒い季節は容赦なくやってくるデイサービスでお風呂に入った時はまだいいが、そうでない日はほんとうに手足の先がおそろしいほど冷え切っている温かいものを食べても部屋を温かくしてもダメだその頃母の排便がないと週に1回木曜日の日中の定期訪問以外
高齢者の中でも訪問看護師さんにもまあ、手がこんなに冷たい‼️と驚かれるほど母は手先が冷たかった毎日お風呂に入っていた母を家のお風呂に入れてあげられずデイサービスでも週2回しか入れてあげられないという私自身の申し訳なさからも足浴はありがたいものだったいろんな
デイサービスでもほとんどウトウトしているかベッドに横にならせてもらっているかで夕方5時過ぎに帰ってきてからも最初は7時頃まではなんとかもっていたのがますます持たなくなってきて、帰ってきたらすぐに夕食、食べたらすぐに顔を拭いてクリーム塗って歯を磨いてからベッ
母は認知症が進んでも刑事ものの捜査一課長が好きだったどこまでストーリーがわかっているかは不明だったが、主役の内藤剛志さんが好きだったようだストーリーがわからなくなったのか集中力がなくなったのか原因は定かではないが、大好きだった捜査一課長も見なくなって、も
母は病院に運ばれる前の日までデイサービスに通っていた朝は8時40分にデイサービスの車が家まで迎えに来てくれ、夕方5時にデイサービスの車で家まで送ってもらうという規則正しい生活を週5日続けていた夕方5時に帰ってきて、8時過ぎに寝ていた頃は、夕食後の時間の過ごしかた
ことばを失っても…大丈夫大丈夫にしてあげたいなんて思いながら母を介護してきたが、今ふりかえってみると、なんて軽薄だったんだろうと思うことばを失う、ということ自分の言いたいことが言えない、ということ自分の思いや考えを伝えられなくてわかってもらえない、という
母がことばを発することがほとんどなくなり、会話ができなくなって、私は母に話しかけることがほとんどなくなってしまったもう話しても何も返ってこないし、ひとりで一方的に話すのはむなしく、また母の老化が進んでいるのをその都度確認するのも辛く、そんなしんどさから逃
ことばには話し言葉と書き言葉があるが、話し言葉より書き言葉のほうが難しいと直感的に感じる子どもを見ても、ことばの獲得においては、最初は話し言葉から始まり、だいぶん遅れて書き言葉を身につける人間と動物の大きな違いのひとつに「ことば」があるけれど、これは話し
母は上の前歯がどんどんなくなっていき、固いものや、前歯で噛み切らなくてはならないものは食べられなくなっていった。やわらか食のパンフレットをもらったり、作り方の料理本を買って読んだりもしたが、前歯がないにもかかわらず、デイサービスもご飯がおかゆに変わっただ