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温泉クンの旅日記 https://blog.goo.ne.jp/onsendaisuki-gogo

温泉巡り好き、旅好き、堂社物詣好き、物見遊山好き、老舗酒場好き、食べ歩き好き、読書好き・・・ROMでけっこうご覧あれ!

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2019/12/28

  • 京都・伏見、醍醐寺「三宝院」(2)

    <京都・伏見、醍醐寺「三宝院」(2)>まだ傘の花も咲いていないようだし、では、太閤が設計したというご自慢の庭とやらをじっくりと拝見しようじゃないか。「ほぉー、素晴らしい!これを秀吉が作庭したのか・・・」目の前の中島二つだが、樹齢600年以上といわれる五葉松が覆っている手前のが「亀島」。その右隣が「鶴島」で、すぐ左の石橋が鶴の首にあたり、いまにも五葉松の鶴が飛び立とうとしている躍動感を表しているそうだ。池の向こう岸の樹林のなかに、醍醐寺全体の復興に尽力した秀吉の恩に報いるために豊臣秀吉を祀る社、「豊国大明神」が建立された。(ジツに変化に富んだ庭園なので、桜の木が少なくても充分に良さそうだな・・・)三宝院のどこかに移し植えたとしても、庭園は、実際に桜は少ないのかもしれない・・・。慶長3年(1598年)、<醍醐...京都・伏見、醍醐寺「三宝院」(2)

  • 京都・伏見、醍醐寺「三宝院」(1)

    <京都・伏見、醍醐寺「三宝院」(1)>豊臣秀吉が「醍醐の花見」といわれる大規模な花見を開催したことで有名な、醍醐寺の「総門」は、奈良と京都を結ぶ旧奈良街道に面して建っていて、下醍醐、上醍醐と続く広大な寺への入り口となっている。本日は残念ながら桜にはまだまだ早く、あいにくの雨だ。だが、一度は来てみたかった寺なのでへこたれることも一切なく、云いようもない嬉しさのほうが勝っている。(やっぱりバスを利用すればよかったか・・・)醍醐寺は、京都市営の地下鉄東西線の醍醐駅から徒歩10分ということで“軽い”と考えていたのだが、実際には低いがひと山越す、登り下りの路だったため倍の時間を要してしまったのだ。総門から境内に入ると、左側に三宝院、まっすぐな広い道は「桜の馬場」と呼ばれ、正面にはみえるのが西大門(仁王門)だ。桜の馬...京都・伏見、醍醐寺「三宝院」(1)

  • 二条城前、喫茶チロルと神泉苑(2)

    <二条城前、喫茶チロルと神泉苑(2)>「神泉苑(しんせんえん)」は、平安京大内裏に接して造営された「禁苑」であった。「禁苑(禁園ともいう)」とは、皇居の庭、天皇のための庭園だ。現在は東寺真言宗の寺院で、本堂「利生殿」の本尊は聖観世音菩薩である。法成就池(ほうじょうじゅいけ)のほとりには「増運弁財天」が祀られ、こちらは財宝を授けてくれるそうだ。他には鎮守稲荷社もあるようだ。(「禁苑」というわりには、いやにせせこましいなあ・・・)神泉苑はかつて広大な池に船を浮かべて、天皇たちが船遊びや釣り、放隼(隼狩り)、桜の花見、詩宴など宮中行事や宴遊が盛んに行われていたという。かつての敷地は現在の30倍と広大であったが、それを徳川家康が二条城を築くために潰されたわかり、なるほどと納得する。神泉苑といえば、雨乞い・祈雨修法...二条城前、喫茶チロルと神泉苑(2)

  • 二条城前、喫茶チロルと神泉苑(1)

    <二条城前、喫茶チロルと神泉苑(1)>桜でも紅葉の季節でもないので、銀閣寺に向かう“哲学の道”はとても静かな雰囲気に包まれていた。(ああ、なんかこう、無性にトーストが食べたくなってきやがった・・・)哲学の道は、哲学者西田幾多郎が毎朝この道を歩いて思索に耽ったそうだが、頭が空っぽでお花畑なわたしには、まあせいぜい“トースト”ぐらいの食い物が浮かぶのが関の山。でも贅沢な京名物の“いもぼう”なんぞが浮かばぬのが、可愛いかも。哲学の道沿いには喫茶店やカフェなどいくつかあるのだが、店先のメニューは観光客目当てのモノばかりだった。店に入れば、バカ高い観光客向け値段のトーストがあるかもしれないが、なかった場合を考えると代替案もなく二の足を踏む。哲学の道ではその昔、突然、“抹茶”を飲みたくなって、あろうことか正式っぽいお...二条城前、喫茶チロルと神泉苑(1)

  • 京都・嵯峨、愛宕念仏寺(2)

    <京都・嵯峨、愛宕念仏寺(2)>山門を入ると、すぐに階段路をあがるのだが、そのすぐ目の前の斜面から、羅漢像が並んでいた。わたしが羅漢に多少でもハマり始めてしまったのは最近で、箱根の寺に行ったときからだ。境内にある羅漢たちは、すべて参拝者たちの手によって作られたもので、それぞれが想いを込めて彫りあげて奉納されたものだそうだ。ところで<愛宕寺>を「あたごでら」でなく「おたぎでら」と読むのはなぜか。そしてもうひとつ、寺の名は<愛宕寺>なのに<愛宕念仏寺>と呼ばれるのはなぜなんだろうか。どうしても気になって調べてみた。「愛宕(おたぎ)寺」だが、もとは奈良時代に現在の東山松原通の地、六波羅蜜寺の近くに建てられたと伝わる古刹で、当時この地を「山城国・愛宕郡(おたぎごうり)」と言っていたために「おたぎ」と名付けられた。...京都・嵯峨、愛宕念仏寺(2)

  • 京都・嵯峨、愛宕念仏寺(1)

    <京都・嵯峨、愛宕念仏寺(1)>山城国と丹波国の国境、愛宕山(あたごさん)の山頂に建つのは「愛宕(あたご)神社」で、その参道の山麓入口に建つこの寺は「愛宕念仏寺」である。「愛宕念仏寺」の読みだが「あたごねんぶつじ」ではなく、「おたぎねんぶつじ」と読むからややこしい。すぐ前にある京都バスの停留所も「愛宕寺前(おたぎでらまえ)」と読む。停留所へいき、バスの時刻表の、本数少ない帰りの候補時間を頭に刻みこむ。今回はこの寺にある、千二百躰ともいわれる石造の羅漢を観賞しに訪れたのだ。参道入口の「愛宕念仏寺」から「愛宕神社」へは、徒歩で90分から120分掛かる。しかも当然のことだが、山頂への山路だからきつい。愛宕神社には、あの長谷川平蔵も参詣に訪れている。『平蔵は、忠吾をつれての、愛宕山・参詣をおもいたった。愛宕山は京...京都・嵯峨、愛宕念仏寺(1)

  • 京都・東山、東福寺(3)

    <京都・東山、東福寺(3)>「もォー、ここまで出かかっているんだけどなあ・・・」見覚えのある<本坊庭園(方丈)>に向かって足を運びながら、呟いてしまう。紅葉の東福寺を初訪問した時期について、前回、こう書いた。『JR東海が「そうだ京都、行こう。」キャンペーンを開始したのが約30年前の1993年の秋だから、訪れたのはたしかそれよりずっと前だったはずだ。』三門を覚えていなかったことで記憶力の自信喪失に陥り、とことん凹んでしまったわたしとしては、ここでなんとか己の失地回復を図りたい。「ずっと前」などと曖昧模糊でなく、もう少し時期を追求して突き止め、せめて一縷の望みとしたい。(自己満足したいだけじゃねーの)観光客の動向に気を使って、「通天橋」絡みの写真に人を映り込ませないのはひと苦労するのだが、まあまあの画像が撮れ...京都・東山、東福寺(3)

  • 京都・東山、東福寺(2)

    <京都・東山、東福寺(2)>(さてさて、久しぶりの通天橋だぞ・・・)思わずスキップしたくなってしまう。わたしにとって東福寺といえば、通天橋(つうてんきょう)なのだ。ひとつだけ残念なのは、<青もみじ>にもまだ二カ月ほど早い時期だということである。(ここ、ここ!)中央あたりには、渓谷を一望できる、見晴らしのいい“張出し舞台”のような部分がある。東福寺の境内を、東西に横切るように流れる渓谷が「洗玉澗(せんぎょくかん)」である。正面右手奥に見える屋根が、臥雲橋だ。洗玉澗には一筋の川が流れており、その上に「東福寺三名橋」とよばれる<臥雲橋(がうんきょう)>、<通天橋>、<偃月橋(えんげつきょう)>の3つの橋が架かっている。駅から歩いてくると一番目の、最も下流に架かっている橋である<臥雲橋>は、境内ではなく公道の間に...京都・東山、東福寺(2)

  • 読んだ本 2024年3月と4月

    <読んだ本2024年3月と4月>1月末から突然、インスタグラムで俳句をスタートさせちゃった経緯は次の通りである。友人を通じて、「インスタグラムで俳句を始めたいので、ぜひ指南していただきたい」との依頼があった。他人に指南など、まだインスタグラム歴が1年に満たないわたしなのだが、友人の手前もあって無碍にお断りもならず、時間を(そこそこたっぷり)戴けるのならばの条件付きで引き受けてしまったのだ。早い話が、いずれやってみようと思っていて、「きっかけ」待ちだったのだ。いくつかのアプリを検討した結果「Phonto(フォント)」という無料アプリを使ってみることにした。ところが、こいつ(アプリ)が悪さをするのである。充電中に、警告音が鳴って、見ると「スマホにゴミが溜まっているから、至急に掃除しないと大変なことになるぞ!」...読んだ本2024年3月と4月

  • 京都・東山、東福寺(1)

    <京都・東山、東福寺(1)>藤原氏の嫡流である関白「九条道家」は、嘉禎2年(1236年)、法性寺の寺域に新たな寺院の建立を発願し、静岡茶の始祖としても知られる聖一国師「円爾弁円(えんにべんねん)」を開山として、建長7年(1256)に寺院を完成させた。そして、「東大寺」と「興福寺」を範にとって一文字ずつもらい「東福寺」と名付けたのである。(東福寺にも、こんな立派な『三門』があったとは・・・)京都で、立派な山門といえば、まずは知恩院と南禅寺だろうと思っていたのだ。なんてこったい!東福寺には何度も来ていたのに・・・まるで覚えていなかったと軽いショックを受ける。自分は記憶力のいいほうだと秘かに思っていたのにと、なんとも情けなくなる。もっとも、経験上、<コイツの記憶力はほどほどだな>と思わせたほうが、世渡りがけっこ...京都・東山、東福寺(1)

  • 埼玉・熊谷、星渓園とフライ焼そば

    <埼玉・熊谷、星渓園とフライ焼そば>(あと、開店まで50分か・・・)腕時計をみて思わず呟く。熊谷駅から“熊谷桜”が咲く石上寺に行く途中で発見した、“行田フライ”が食べられる(ついでになんと缶ビールとか缶酎ハイも呑めちゃって、もしかしたらスパスパ喫煙できるかもの)ゴキゲンな食堂である。“星渓園”でけっこう時間を潰したはずなのに、まだ小1時間も待たねばならないとは・・・。石上寺のすぐ隣にある“星渓園(せいけいえん)”は、慶応から明治にかけて熊谷市の発展に功績を残した“竹井澹如(たけいたんじょ)”翁が設けた別邸である。「玉の池」を中心に木や竹を植え、名石を集めて回遊式庭園をつくられている。昭和初期、この地を訪れた“前大徳牧宗”禅師が、この別邸を「星溪園」と命名した。その後、昭和25年に熊谷市が譲り受け、市の名勝...埼玉・熊谷、星渓園とフライ焼そば

  • 埼玉・熊谷、石上寺の熊谷桜

    <埼玉・熊谷、石上寺の熊谷桜>JR熊谷駅の北口(正面口)を出たところで、スマホの地図で進行方向を確認し、おおまかな略図を頭に叩きこむ。駅前ロータリーに設置してあるブロンズ像は、地元の武将「熊谷直実(くまがいなおざね)」だ。今日の目的地である「石上寺(せきじょうじ)」へは、最寄駅の秩父鉄道・上熊谷駅から徒歩5分とのことだが、JR熊谷駅からでも徒歩10分強足らずと知り、わたしは迷わず熊谷駅からの歩きのほうを選択したのだ。(あいかわらず歩くのが好っきやのォー)「おっ、ここだ!」石上寺(せきじょうじ)は真言宗智山派の寺で、山号は「星河山」、本尊は「千手観音」である。(間に合わなかった、かな・・・)山門を入って一見したところ、桜は盛りをとうに過ぎているようだった。本堂前の階段の昇り口のところに、「熊谷桜葉桜になりま...埼玉・熊谷、石上寺の熊谷桜

  • 栃木、鹿沼名物のニラ蕎麦

    <栃木、鹿沼名物のニラ蕎麦>“渡良瀬橋のついで”という名目のもと、ついに訪れた「新鹿沼」駅。栃木には、佐野の「大根そば」、鹿沼の「ニラそば」、日光市や栃木市の「寒晒しそば」、栃木東部の「八溝そば」など、いろいろな蕎麦があるのだがわたしが最も興味が持ったのはニラそばだった。ニラそばの誕生については、どうやら次のような経緯だそうだ。『鹿沼市は戦後、ニラの栽培が盛んになった。鹿沼では客人が来たときに蕎麦を打ってもてなし、客人が帰った後に、栽培したニラを茹でて蕎麦と一緒に家族で食べるようになったことからニラ蕎麦が誕生したと言われている。約40年前に鹿沼市にある蕎麦屋で商品化され、その後提供店舗が増えていった・・・。』つまりは客人が食べて減った蕎麦を、ニラで混ぜて増量したのだろう。あえかな香りの蕎麦に、ニンニクに近...栃木、鹿沼名物のニラ蕎麦

  • 『♪渡良瀬橋』の聖地巡礼(2)

    <『♪渡良瀬橋』の聖地巡礼(2)>こちらの八雲神社は、立派な手水舎もあって、なんか安心した。こうでなくっちゃ。帰ってからよくよく調べてみると、足利には5つの八雲神社があり特定されていないため、訪れた観光客の混乱にならないように「足利市観光協会」は、格式も規模もある「足利公園近くにある八雲神社」を歌詞の“八雲神社”と暫定的に決めたのだという。(頼むぜ、こちとらはホント混乱しちまったよ)「八雲(やぐも)神社」は、貞観11年(869年)に清和天皇の勅定により「素盞嗚男命(すさのおのみこと)」他二神を祀ったのが始まりという。主祭神の素戔嗚尊は、開運厄除の神として知られる。八雲神社には、平将門の乱の際には「藤原秀郷」が戦勝祈願し、前九年の役および後三年の役の際には「源頼義」と「源義家」が戦勝祈願している。平成24年...『♪渡良瀬橋』の聖地巡礼(2)

  • 『♪渡良瀬橋』の聖地巡礼(1)

    <『♪渡良瀬橋』の聖地巡礼(1)>森高千里の曲であるという「渡良瀬橋」を初めて聴いたのは、ずいぶん昔の、たしか送別会だったか、歓送迎会だったと思う。一次会の出席者の殆どが二次会のカラオケにも出席して、誰もが退職者に敬意を表して進んで唄ってくれて、幹事のわたしを喜ばせた。渡良瀬橋で見る夕日をあなたはとても好きだったわきれいなとこで育ったねここに住みたいと言った電車にゆられこの街まであなたは会いに来てくれたわ私は今もあの頃を忘れられず生きてますふだん控えめな同僚女性が選んで唄ったその曲だが、唄い方がうまかったせいか、わたしの脳裡に歌詞が鮮やかに情景を紡ぎだし、「渡良瀬橋」と「八雲神社」の固有名詞とともに心にくっきり残ったのである。「えっ、ここが、あの『渡良瀬橋』で唄われた『八雲神社』なの?」あまりにも侘びしす...『♪渡良瀬橋』の聖地巡礼(1)

  • 奈良、東大寺・大仏殿(4)

    <奈良、東大寺・大仏殿(4)>本尊の大仏と両側の脇侍を、構図も考えずにパシャパシャと撮り終えて、たっぷりの満足感に包まれた。「たしか足立美術館も撮影フリ―だったな・・・」島根の安来にある「足立美術館」を訪ねた記事の中でこう書いた。『「庭園もまた一幅の絵画である」これは創設者の言葉である。美術館といえば、イコール撮影禁止が常識だがここの庭園は撮影が許可されている。太っ腹でなんとも素晴らしい。千葉の猫の美術館に続いての撮影フリーだ。もっとも来館する客の数が半端ではなく多いので、人を入れずに写すのが大変そうだが。』たいていどこの神社仏閣では建物内部は撮影禁止ばかりで、ましてや本尊の仏像は肉眼での観賞だけに限られるのに・・・。東大寺金堂でのこの<撮影OK>も、きっと人気寺社ベストテン1位押し上げに貢献しているに違...奈良、東大寺・大仏殿(4)

  • 奈良、東大寺・大仏殿(3)

    <奈良、東大寺・大仏殿(3)>大仏を格納している「大仏殿」は、間口約57メートル、奥行約50メートル、高さ約48メートルで、世界最大級の木造建築である。(さあショー・タイムだ!)いよいよその大仏殿に足を一歩踏み込む。「えっ、嘘だろ!みんな写真を撮ってるじゃんか!?」ついつい、素っ頓狂な声をだしてしまう。周りの観光客が次々と振りむいたので、慌てて口を噤んだ。信じがたいが、ここって写真を撮っていいンだ!ただしフラッシュは誰も使っていないようだ。嬉しくてついハイテンションになってしまう。東大寺金堂の本尊である<大仏>は、正式名称は「盧舎那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)」といい、親しみを込め「奈良の大仏さん」とも呼ばれ、お釈迦さまの身長を10倍して無限大の宇宙を表現したものとされている。大仏像の高さは15メートル近...奈良、東大寺・大仏殿(3)

  • 読んだ本 2024年1月と2月

    <読んだ本2024年1月と2月>1月末から突然、インスタグラムで俳句をスタートさせちゃいましたが、この経緯は次回に。昨春にインスタグラムを始めたせいでか、なんとなーく訪問者数が増えた気がする。「フォローワー」も「いいね」の数もあいかわらず<極少>、「コメント」に至ってはいつもゼロのブログなのだが、週1回更新なのに1週間の訪問者数が5000人を超えることがけっこうあるのだから、なんかニンマリとしてしまう。ネットの世界が気まぐれなのは承知のうえで、一喜一憂のせめて“一喜”ぐらいさせていただくわい。旅する前の下準備では、目的地(神社仏閣や名物の店など)へのマップ、アクセスと営業時間などは調べるが、それ以外の予備知識は持たずに旅をする。そんでもってはンで記事を書く段階で、後追いになるが、詳しく調べるのが「流儀」な...読んだ本2024年1月と2月

  • 奈良、東大寺・大仏殿(2)

    <奈良、東大寺・大仏殿(2)>(まさか、正門の“南大門(なんだいもん)であんなに時間食うとは思わなかったな・・・)そういえば、京都・東寺の方は同じ字だけれど読みが“南大門(みなみだいもん)”だったな・・・いろいろと難しいのォ。あの、はるか真正面に見えるのが大仏殿だろう。ほんとうに真っ直ぐの、これこそ大仏一直線である。歩いていると、やがて、右側に池がみえてきた。「鏡池(かがみいけ)」である。池に、柄の付いた鏡のような形の小島があり、そのことから「鏡池」という名前が付けられた。島には音楽・智恵・財物の女神、弁財天を祀る厳島神社が建っていて、池には天然記念物の「ワタカ」という珍しい魚が生息しているそうだ。穏やかな池の水面をみててハタと気がつき、慌てて引き返し、池の畔から「中門」と後ろの「大仏殿」を、池越しのショ...奈良、東大寺・大仏殿(2)

  • 奈良、東大寺・大仏殿(1)

    <奈良、東大寺・大仏殿(1)>京都府の神社仏閣数「約4700」まではいかないが、奈良県も約1800ヶ所の神社と、約1400ヶ所の寺、計「3200」の神社仏閣と、予想通り多い。(因みに全国で1番神社仏閣が多いのは愛知県で、約7800ヶ所)ところで奈良の神社仏閣の人気ベスト5だが、1位「東大寺」、2位「長谷寺」、3位「法隆寺」、4位「大神神社」、5位「東大寺・二月堂」だそうだ。いや~、参詣を主目的にとしてわたしが既に訪れた2ヶ所(長谷寺と大神神社)ともランクインしているとはなんとも嬉しい限りだ。「あそこに見える、どデカイ門が南大門だな・・・」時計をみると、もうすぐ朝の8時だ。東大寺の拝観時間は、春から秋(4月~10月)が朝7時半から、晩秋から早春(11月~3月)が朝8時からとなっている。南大門前へとつづく参道...奈良、東大寺・大仏殿(1)

  • 京都・九条、東寺(2)

    <京都・九条、東寺(2)>「桜が咲いたころなら、この構図の五重塔も、なかなかいいンでないかい!」おっといけない。五重塔はそろそろ切りあげて、前後してしまうけども、本堂を参拝せねば。いくらなんでも、五重塔だけで東寺を後にするわけにはいかない。よし、金堂に向かおう。延暦15年(796年)に東寺が創建され、最初に工事がはじめられたのが「金堂」である。以後600年以上、威風堂々とその姿を残していたが文明18年(1486年)に焼失し、現在の建物は、あの関ヶ原の合戦後に落慶したものだ。金堂は東寺の本堂で、宋の様式を取り入れた“天竺様”と“和様”を組み合わせた建物で、屋根の中央の切り上げは、東大寺大仏殿や平等院鳳凰堂にも見られる形だそうである。金堂前は弘法市のため撮影できず、後ろ姿の画像はやむを得ない。金堂の内部には、...京都・九条、東寺(2)

  • 京都・九条、東寺(1)

    <京都・九条、東寺(1)>京都のランドマークといえば、すぐ思い浮かぶのは<京都タワー>ともうひとつ、東寺の<五重塔>だろう。大阪以西への出張のとき、京都駅を新幹線が出るとすぐ左側に見えてくる塔が東寺の五重の塔だ。それを往復で、何度も何度もみた。その、京都らしいひとつの風景を瞬間に胸に刻みつけ、いつか訪れてみたいなと思うほんの滴(しずく)ほどの“念望”をその都度持ったのはわたしだけだろうか。(駅からも近いし、この際行ってみるか・・・渉成園も訪れたことだし、な)東寺は京都駅八条口をでれば、歩いても15ほどしかかからない。歩くのが大の苦手だったり、灼熱の猛暑日やひどい雨模様の日なら、近鉄の京都線でひと駅先の「東寺駅」で降りれば距離を半分節約できる。平安建都の際に、都の南玄関「羅城門」の東に作られた「東寺」は、正...京都・九条、東寺(1)

  • 東本願寺別邸、渉成園(3)

    <東本願寺別邸、渉成園(3)>渉成園の敷地は綺麗な正方形に近く、一辺が100間(約189メートル)だったので、俗に「百間屋敷」とも言われていた。東本願寺の飛地境内に渉成園が造られたきっかけについては、こんなエピソードがある。秀吉が残した西本願寺には立派な庭園(飛雲閣庭園や虎渓の庭)があったのにも関わらず、東本願寺にはなかった。これでは徳川家の面子(メンツ)がつぶれてしまう。負けず嫌いの徳川家(?)としては秀吉の造った西本願寺の庭園に負けじと、東本願寺に庭を造ることになったという。<石川丈山が趣向を凝らして作庭したという「丹楓渓(たんぷうけい)と印月池の間を進み、向岸の縮遠亭のある北大島に渡る木造橋「回棹廊(かいとうろう)」に辿りつく。紅葉の季節に丹楓渓を再訪してみたいものだ。廊橋は桧皮葺切妻造唐破風屋根に...東本願寺別邸、渉成園(3)

  • 東本願寺別邸、渉成園(2)

    <東本願寺別邸、渉成園(2)>(ちょっと面白い、個性的な建築物だな・・・)園林堂の前にある「傍花閣(ぼうかかく)」だ。「花の傍にある館」という意味で、園では“要”の位置を占めている。門のようでもあり、高見台のようでもあり、禅宗の三門と呼ぶ楼門に似ている。左右側面に階段がある、ユニークな形の建物で、階上には四畳半の部屋がある。その部屋の窓を開けて、園内の桜の木を愛でながら茶を愉しめる。「閬風亭(ろうふうてい)」は南端にある大書院。印月池を臨み、東山の丘陵地帯を背景にした景色を眺めることができる南端の広間がある、渉成園の中で最も大きな客殿だ。ゆるやかな屋根の、寄棟造桟瓦葺で銅板葺の軒を深く出して、実に穏やかで悠然たる外観だ。なお、閬風亭は江戸時代後期の「安政の大火(1864年)」で焼失し、翌年に再建された。「...東本願寺別邸、渉成園(2)

  • 東本願寺別邸、渉成園(1)

    <東本願寺別邸、渉成園(1)>京都府にある神社仏閣数だが、寺で3,000余、神社で1,700余の約4,700あるという。京都市内に限っても、寺で約1,700、神社で約800、合わせて2,500あるので、年に100カ所を無鉄砲に巡ったとしてもたっぷり25年掛かる。堂社物詣マニアも観光客も、それぞれ「訪れる寺社を選ぶ」のに悩みひと苦労するのは必至である。つまり堂社物詣において訪れる目標“数”は持つのは烏滸の沙汰といっていい。京都には着いたのは午後2時前だった。京都駅の近くにとった宿泊予定のホテルのチェックインタイムは午後3時である。さて、どうしようか。よし、まずはともかく、背中のザックをホテルに預けるとしよう。たいていの京都のホテルは、観光客が到着したときから出発するまでの間、快く荷物を預かってくれる。京都タ...東本願寺別邸、渉成園(1)

  • 謹賀新年 2024年

    <謹賀新年2024年>新年あけましておめでとうございます本年も皆さまのご多幸とご健康を心からお祈り申しあげます―長崎・平戸、千里ヶ浜―いまなんらかの事情で旅できない人にはあのころそのころの懐かしい記憶や気持ちや情景を一瞬でも呼び起こせればといまも旅する人には「そこ行ってみたい」みたいなという一抹の旅情を掻きたてられればとただただ願っています本年もなにとぞご愛顧のほどよろしくお願い申しあげます2024年1月1日温泉クン謹賀新年2024年

  • 読んだ本 2023年11月と12月

    <読んだ本2023年11月と12月>「やっと、“鬼レンチャン投稿”を完了したぞ!」週に一回更新のブログに加えて、インスタグラムの投稿をスタートしたのが今年の春、3月15日である。そしてある日、ご挨拶代わりに、全国の都道府県の画像の投稿することを思いついた。(仕事だけで行った沖縄を除く、46都道府県)人間、何事も目標を持つのが大事というこっちゃ。ついに、11月30日、242投稿、492画像で、無事完了。12月からはゆっくりペースの投稿に変更しちゃったのだ。ブログの長い文章にほとほと厭気がさすようなら、くれぐれも「温泉クンのインスタ」のフォローをお願いしますね。「念仏寺にいく前に、ちょっとだけ寄り道していきましょう。この先にまだ紅葉している見ごろの樹があるので」嵐山方面から来た人力車の車夫が、路地を曲がりなが...読んだ本2023年11月と12月

  • 京都・京田辺、酬恩庵一休寺(2)

    <京都・京田辺、酬恩庵一休寺(2)>酬恩庵一休寺を訪れるのであれば、脚力に自信があってもバスの使用(二名以上ならタクシー奮発するのもいいかも)をお薦めする。新田辺駅から1.5キロ、徒歩25分というが最短経路をとった場合であり、路を間違えると丘陵地なのでけっこう悲惨なことになる。間一髪で逃して、長い待ち時間ができたとしても辛抱したほうが賢い。歩いて、しかも路を間違えてしまったわたしはとんだ大失敗。江戸時代の文化人・「石川丈山」が終の棲家として建てた「詩仙堂」を訪ねた記事で、わたしはこう書いた。『丈山は小堀遠州、本阿弥光悦、松花堂昭乗、林羅山らとともに江戸時代初期の「寛永文化」を支えたひとりで、『渉成園(東本願寺)』や『酬恩庵(一休寺)庭園』、洛北の『蓮華寺庭園』などの作庭に関わったという。丈山の関わりのある...京都・京田辺、酬恩庵一休寺(2)

  • 京都・京田辺、酬恩庵一休寺(1)

    <京都・京田辺、酬恩庵一休寺(1)>京都の南、京田辺にある臨済宗大徳寺派の寺院「酬恩庵一休寺」の総門である。「酬恩庵」は、1288年から1293年の間に禅の道場として草創されたのが始まりであるとされているのだが、1330年前半の兵火にあい衰退してしまう。1456年に、禅僧として名高い<一休宗純>によって再興され、宗祖の恩に報いるという意味を込めて「酬恩庵」と名づけたと伝えられている。いまでは「一休寺」と呼ばれ広く親しまれている。一休は81歳で大徳寺住職となったときも、ここ酬恩庵を居として通われ、88歳で亡くなるまで晩年を過ごした。境内に建てられた廟所(宗純王廟)に埋葬されている。総門をくぐってすぐ左に、一休禅師墨蹟碑「諸悪莫作、衆善奉行(悪いことはするな、よいことをせよの意)」の石碑があった。一休さんの書...京都・京田辺、酬恩庵一休寺(1)

  • 京都・東寺通、殿田食堂のうどん

    <京都・東寺通、殿田食堂のうどん>(さあて、そろそろホテルに戻ってチェックインでもするか・・・)東本願寺の別邸「渉成園」の観光をサクッとすませ、門を後に歩きだす。京都駅の構内を通り抜け、ホテルへ向かっていると、なんか小腹が空いてきた。それに喉も乾いている。移動の電車の中でおにぎり二個を食べたきりであった。そうだ!先ほどチラリと見た店にいってみるとしよう。まずはホテルに荷物を預けにいくのに往復したとき、客が次々に吸い込まれていく蕎麦屋らしき店があったのだ。(ここだ!殿田というのか・・・)あとで調べると、この店は昭和38年(1963年)創業の老舗食堂「殿田食堂」だった。店に入り、腰を降ろしメニューを手にとった。冷たい麺類を探すがぜんぜんみつからない。悩んでいるのをみかねたのか、人気メニューをいくつか奨めてくれ...京都・東寺通、殿田食堂のうどん

  • 奈良・桜井、長谷寺(4)

    <奈良・桜井、長谷寺(4)>奈良県にかつてあった「榛原」と言う地名を「はいばら」と読み、現在でも駅名として残っている。この榛原の読みがなかなか覚えられない。しょうがない、「はいばら、はいばら、はいばら」と呪文のように唱えて脳に擦り込むしかないか。榛原の由来だが、かつて「榛の木(はんのき=カバノキ科の落葉樹)」がこの辺りに自生していたらしい。桜井市の「長谷寺駅」の隣駅である宇陀市の「榛原駅」に到着すると、計るように駅前で行儀よく待っていた送迎バスに吸い込まれるように乗りこんでしまい、あれよあれよという間に本日の宿「美榛苑(みはるえん)」に運ばれた。チェックイン手続きを済ませ、部屋の鍵をもらったとたん“ただの温泉バカ”の素に戻ってしまい、部屋に荷物を置き、電光石火で浴衣に着替えるとタオルを引っつかみいつもどお...奈良・桜井、長谷寺(4)

  • 奈良・桜井、長谷寺(3)

    <奈良・桜井、長谷寺(3)>長谷寺だが、”奈良大和路の花の御寺”といわれるほど、四季折々の花が季節ごとに異なる表情を見せてくれるのも魅力となっている。冬から春にかけては冬桜、蠟梅、椿などや、長谷寺の代名詞という7000株の牡丹が咲き誇る。また、吉野と並ぶ1000年来の桜の名所でもある。夏は初瀬山の新緑、そして山内のいたるところに3000株のアジサイが色とりどりに咲き乱れる。秋には楓やイチョウの木々も色づき、萩、彼岸花、金木犀など秋を代表する花々が見頃になるそうだ。花だけではなく寺内には長谷六坊や開山堂、五重塔とかのいろいろ見どころもあるようだ。もとより本日のわたしの目的は本堂参拝のみ、寺内の見どころや花のことなど一切考慮の外だが、観光を兼ねて参拝するのなら調べてから訪れたほうがいい。稲妻形に折れ曲がる登廊...奈良・桜井、長谷寺(3)

  • 奈良・桜井、長谷寺(2)

    <奈良・桜井、長谷寺(2)>平安時代から長谷寺(西国8番)は、京都の清水寺(西国16番)、滋賀の石山寺(西国13番)と並んで「三観音」の一角とされ、人々から絶大な信仰を受けていた。枕草子や蜻蛉日記、更科日記などにも、長谷寺への参拝について載っていて、時の権力者である「藤原道長」も参拝したと言われている。下廊と呼ばれる長い階段を昇り詰めると、直角に右に折れる中廊の階段が延びていた。(ここから右に延びる登廊は、少しは短かそうだ・・・)中廊を昇ると、左に直角に延びる最後の上廊である。息が切れてきたが、ここはもう一気にいくしかない。長い階段制覇には、とにかく“こんぴら参り”の経験が役に立つ。(やった!登廊を登りきったぞ)広場のような正面に「愛染堂」が、そして左手に目指した本堂があった。少し休んで息が整うのを待った...奈良・桜井、長谷寺(2)

  • 奈良・桜井、長谷寺(1)

    <奈良・桜井、長谷寺(1)>参拝メインで観光は少なめと決めたこの日、大神神社の次の目的地は長谷寺であった。三輪からJR万葉まほろば線に乗り、次の桜井駅で近鉄線に乗換えて長谷寺駅まで行くつもりが、三輪駅での長い待ち時間を利用して調べたら、桜井駅から長谷寺参道口というところまで桜井市のコミュニティーバスが出ていることを知った。コミュニティーバスなどまだ一度も乗ったことがないのでぜひとも体験してみたい。桜井駅に着き速足でバス乗り場を探し、運よく、一時間に一本あるかないかの少ない本数のバスに飛び乗って、参道口のバス停まで行けたのであった。スマホの道案内どおりの道順を辿り、急坂を大汗かいて登り、下っていくと左側に長谷寺があった。「ん!?」よせばいいのに振り返って、参道商店街をみつけて愕然とする。しまったァーッ!なん...奈良・桜井、長谷寺(1)

  • 奈良・三輪、大神神社 (3)

    <奈良・三輪、大神神社(3)>(ここ大神神社に、わたしは“呼び出された”気がしてならない・・・)仏縁ならぬ神縁だろう・・・拝殿に向かって歩きながら、強く思う。今まで気にならなかった“ある神社”のことが急に気になりだしたり、行きたくなったりすることがあるそうだ。奈良の大神神社も、参拝する人は“神社に呼ばれる”と言われており、呼ばれた人が参拝することが多いという。“呼ばれる”神社はどこの神社からでもというわけでなく、限られていて、伊勢神宮や天河神社などいくつかあるそうだ。拝殿で参拝し、係累の病気平癒、家内・知人・そして自身の息災と幸運を時間をかけて真剣に祈念した。大物主神は国造りの神様であり、医薬や方除など生活全般の守護神として知られ、大神神社は金運や縁結び、病気平癒や交通安全など数多くのご利益があるという。...奈良・三輪、大神神社(3)

  • 読んだ本 2023年9月と10月

    <読んだ本2023年9月と10月>いまではもうひと昔前の話だよといわれそうだが、北海道・道東の知床あたりを車で走らせていると、運よくエゾシカと出逢うことがあった。森の中で、いきなり“ビキニ美人のボンドガール”に出くわしたようなものだ。(古くさいけどジツにわかりやすい表現)舞いあがってしまって、ただただ目を見開き、胸をときめかせながらも思わずブレーキペダルを踏みこみ、車を止めてカメラを探してしまう。奈良では、鹿は神の使いとして手厚く保護されている。朝の通勤で忙しいなか、でかい面して、ゆっくり堂々と車道を横断しているのを見守らなければならない。奈良は鹿天国なのだ。最初は珍しいものだから可愛いなどと思っているが、だんだん麻痺している。広大な奈良公園だけでなく、東大寺、春日大社、興福寺と、どこへいってもウジャウジ...読んだ本2023年9月と10月

  • 奈良・三輪、大神神社 (2)

    <奈良・三輪、大神神社(2)>三輪駅は出口が一カ所しかなく、いったん南側(神社とは逆側)に出てから商店街を抜けて参道に入り、万葉まほろば線の線路を渡らないと大神神社には行けない。書くと長そうだが、なに徒歩で10分とはかからず、意外と近い。ひっそりと建つ、大神神社の一ノ鳥居。ふつうは三輪駅からは最短距離で二ノ鳥居に向かうので、周囲はまったくの無人だ。わたしは作法にほんのちょっとだけ拘り、ちょいと遠回りしたのだった。今回は寄らなかったが、近くに建つ「大鳥居」は昭和59年(1984年)の昭和天皇のご親拝記念と御在位60年を奉祝して建立、昭和61年(1986年)に竣工された鳥居だ。高さが32.2メートル、柱間は23メートルにも及び、その材質は耐候性鋼板で、耐久年数はなんと千三百年と言われる堅牢で立派な鳥居だそうだ...奈良・三輪、大神神社(2)

  • 奈良・三輪、大神神社 (1)

    <奈良・三輪、大神神社(1)>朝の奈良駅・・・。(こっち側にもないようだな。まあ、あきらめるとするか・・・)喫煙者に厳しそうな京都駅でも、その気で探せば構内とすぐ外に九カ所くらい設置してある喫煙所だが、奈良駅ではどうしてもみつけることができなかった。JR「万葉まほろば線」王寺行きの電車がホームに入線してきた。奈良駅から、和歌山線に接続する大和高田市の高田駅までを結ぶ鉄道路線である「桜井線」は、2010年から「万葉まほろば線」という愛称がもっぱら使用されている。これに乗って、奈良から三輪まで行くつもりである。所要時間は24分、ごく短い旅路だ。奈良駅を出ると、難読な名前だが妙に記憶に残りそうな名の駅がしばらく続く。まずは、京(平城京)の果て(終わるところ)に由来する「京終(きょうばて)駅」。次に「帯解(おびと...奈良・三輪、大神神社(1)

  • 京都・宇治、平等院鳳凰堂(2)

    <京都・宇治、平等院鳳凰堂(2)>涼しげなミストをたっぷり浴びながら、お目当ての鳳凰堂へ急ぐ。撮影するなら順光になる午前中がお薦めで、午後からは逆光になり、シルエット写真や夕日バックの写真を狙うほうがいいらしい。「お、見えてきたぞ!」子どものころから見なれた10円玉の裏側と、まったく同じ図柄の光景が目の前に出現した。昭和26年(1951年)に、この特徴ある、日本の代表的な文化財「鳳凰堂」が10円硬貨に選ばれたのだ。10円玉に刻印された鳳凰堂だが、ジツは改修前の明治のものであり、中堂の基礎部分が石垣のようにブツブツだが、実物はツルっとしているそうだ。と、これは細かすぎて肉眼ではよくわからず、どうでもいいか。旅先の天気はどうにもままならない。朝の天気で思い立った日帰り旅を別として、まさに運否天賦である。どこま...京都・宇治、平等院鳳凰堂(2)

  • 京都・宇治、平等院鳳凰堂(1)

    <京都・宇治、平等院(1)>JR宇治駅に着いたのは、予定通りの丁度8時だった。早朝に起きて、昨日買い求めて冷蔵してあった志津屋の<ふんわりオムレツサンド>を食べてから、平等院の拝観が8時半からのため、かなりの時間を潰したのだった。ところで、玉子の価格の高騰もあるのだろうがオムレツサンドの600円は美味しいが、ちと高い。看板商品の<京かるね>と<ペッパーかるね>の2個でも510円なのだから。横浜から車で中国・九州などの西方面へいくときに、ネックとなるのが<名・京・阪・神>だ。名古屋から京都、大阪、神戸までを、未明のうちに一気に抜ければ、あとは旅がぐっと楽になる。いつだったかの九州旅で、浜名湖サービスエリアで軽く仮眠のはずが、きつい仕事終わりの出発のためか思ったより眠ってしまった。京都に入って名神高速が混雑し...京都・宇治、平等院鳳凰堂(1)

  • 岐阜・大垣、中華そばと水まんじゅう

    <岐阜・大垣、中華そばと水まんじゅう>旅先でメシを食うなら、観光客目当ての店は避け、できるだけ地元客で繁盛している店を選ぶのがベストだ。もちろん、長時間利用となる呑むほうの酒場でも同じである。繁華な商店街というより静かな住宅街といったなかの、すこし奥まった場所にあった「朝日屋」。店前のスペースが駐車場なので、遠くからは容易にはみつけにくい。(やれやれ、ついに見つけたぞ!」三度目の挑戦で<ようやく>である。いつものように地図を頭に叩き込んだまではいいが、駅の逆側を探しまわってしまったのが、一度目。地下鉄でもないのにとんだドジぶりだ。中途半端にスマホのナビを頼って、あと一歩のところで「こんな住宅ばかりの場所にあるわけがないだろ!」と勝手に疑心暗鬼に陥り断念したのが二度目だった。このままでは3年目に入ってしまう...岐阜・大垣、中華そばと水まんじゅう

  • 滋賀・堅田、浮御堂(2)

    <滋賀・堅田、浮御堂(2)>とても小さな浮御堂なので、すぐに裏側に出てしまった。たしか、広重の浮世絵「堅田の落雁」は、この沖合あたりから浮御堂を描いた構図だった。湖のこの方角は、雄琴温泉とか大津方面であろう。浮御堂への湖上の架け橋を戻ると、岸辺で振り返って、浮御堂の風景を脳裡にしっかりと刻み込んだ。浮御堂の手前にある、入母屋造の三間堂の「観音堂」は満月寺の本堂で、内部には本尊木造<聖観音座像>を安置している。残念ながら後で知ったのだが、ここの内部の立派な天井画をぜひとも鑑賞したほうがよかったらしい。楼門のそばに、五月雨に濡れた浮御堂の美しさを詠んだ「阿波野青畝(あわのせいほ)」の向碑が立っていた。五月雨の雨垂ばかり浮御堂青畝は山口誓子や山口素十、水原秋桜子らとともに「ホトトギスの四S」と称された昭和初期の...滋賀・堅田、浮御堂(2)

  • 滋賀・堅田、浮御堂(1)

    <滋賀・堅田、浮御堂(1)>(どうやら着いたようだな・・・)左手に、海門山満月寺の山門らしきものがみえた。やれやれ、首に巻く乾いてしまったタオルで顔の汗を拭う。前に、おごと温泉に泊まったとき、ホテルから浮御堂までは約4キロ、徒歩では1時間くらい掛かるとフロントで言われ、「そんな遠いのかよ!」といったん諦めた。江戸後期の浮世絵師「歌川広重」によって描かれた、彼の代表作の一つである名所絵『近江八景』をネットで観るにおよび、俄然、浮御堂へ行ってみたくなったのであった。今日は堅田(かたた)駅から歩いたのだが、距離で1.7キロ、ざっと20分は掛かった。山門(楼門)は扉のない竜宮造りで、その漆喰塗りのしっかりとした基部をもつ姿をみて、規模の差こそあれ佐賀の武雄温泉街のシンボルの楼門を思いだしてしまった。(オォー、これ...滋賀・堅田、浮御堂(1)

  • 川越・喜多院の五百羅漢

    <川越・喜多院の五百羅漢>千二百年近い歴史があり、「川越大師」の別名を持つ、天台宗の寺院「喜多院」。正式には「星野山無量寿寺(むりょうじゅじ)喜多院」という。現在の「喜多院」という名を称するようになったのは徳川家康のころよりで、「南光坊天海」が住職として寺に入ってからである。天海僧正は、家康の懐刀といわれるほど信頼をえて、家康・秀忠・家光の三代にわたり顧問役をつとめた。天海は生年不詳、長命な人物で謎が多い。そして、明智光秀も生年不詳、天海とほぼ同時代に生きた人物だったことから、「光秀が天海となり、豊臣氏を滅ぼして恨みを晴らした」という、<光秀=天海>説を唱えるものがでてきた。さらには、徳川秀忠の「秀」は光秀の「秀」を、徳川家光の「光」は光秀の「光」をとったとか。まあ、歴史とは、義経=成日思汗(ジンギスカン...川越・喜多院の五百羅漢

  • 読んだ本 2023年7月と8月

    <読んだ本2023年7月と8月><ねえーねぇー、インスタグラム投稿の『鬼レンチャン』に挑戦してるじゃんか!>超“どアップ”で出たな、化けネ・・・じゃなかった、海ちゃん。まったく、こいつは厭なタイミングで痛いところに爪を立ててきやがる・・・。なんてったってインスタグラム、一眼レフなどを使用した高解像度の撮影機材プラス最新加工技術を駆使した「映え写真」の群れのなかに、こちとらは、「写るんダス」みたいなお手軽馬鹿チョンデジカメのスナップ写真だからな。まあ、皆さんの”映え写真”もたっぷりコストを掛けてるだろうけど、わいの”スナップ写真”だって移動&宿泊諸経費がしこたま掛かっておるわいな。<あいかわらず、無尽蔵の情熱量なんだね。ビートルズの「エイト・ディズ・ア・ウィーク」みたいな(週8クラスの)暴走ぶりで、怖いくら...読んだ本2023年7月と8月

  • 京都・一乗寺、詩仙堂(3)

    <京都・一乗寺、詩仙堂(3)>さすがに、ここは永平寺の末寺である。『永平寺の修行の中心は座禅であるが、回廊掃除などの作務(さむ)も「動の座禅」といわれる。』と前にも書いたとおり、詩仙堂は建物と庭の、どこもかしこも掃除がいきとどいていて気もちいい。哲学者サルトルが言う通り、「掃除は芸術」なのだ。詩仙堂を訪れるなら、とくに春(5月下旬)の皐月と、秋(11月下旬)の紅葉は格別である。紅葉は例年、11月上旬ごろからヤマモミジやイロハモミジ、オオモミジ、カキなどが色付きはじめ、11月中旬から下旬ごろにかけてが<見頃>となる。詩仙堂の記事(1)で、『丈山は16歳で徳川家康に武将として仕え、大坂夏の陣で功名を立てた後、徳川家を離れ90歳で没するまで文化人として清貧の日々をおくった。』と、さらりと書いたが、大坂夏の陣に参...京都・一乗寺、詩仙堂(3)

  • 京都・一乗寺、詩仙堂(2)

    <京都・一乗寺、詩仙堂(2)>詩仙堂だが、1986年(昭和61年)に英国王室チャールズ皇太子と故ダイアナ妃が訪問されたことでも有名で、堂内にはその際の記念写真も飾られている。(詩仙堂の堂内は撮影が禁止されているので、ご注意を)外履きのサンダルを穿いて庭に降りる。さあて、ここからは撮影が自由にできる。しかも独り占めでの満喫、ときたもんだ。詩仙堂の中心となる建物は「凹凸窠(おうとつか)」と呼ばれる。なんでも、「でこぼこした土地(山の斜面)に建てた住居」という意味だそうで、実際に回遊式庭園をたっぷり散策すると、なるほど斜面の土地だと納得する。堂上の<楼>の部分は「嘯月楼(しょうげつろう)」といい、玄関の上の三階部分で、建物の中から紅葉が眺められるそうだ。右手遠くに見える建物は茶室「残月軒」だろうか。庭の周りには...京都・一乗寺、詩仙堂(2)

  • 京都・一乗寺、詩仙堂(1)

    <京都・一乗寺、詩仙堂(1)>開門のほぼ9時ジャストに、苔むした小さな門「小有洞(しょうゆうどう)」の前に到着した。左に建つ石柱をよく見ると「詩仙堂」と彫られている。その日、旅では超早起きなわたしは、詩仙堂が遅い開門時間なので、逸る気持ちを押さえてまずは煙草が吸える「高木珈琲」のモーニングで時間調整した。「詩仙堂って意外と近いんだ!」あるとき調べてみて、そう気がついた。詩仙堂は紅葉の名所だが、紅葉はすでに終わっているからきっと空いているだろう。よし、行ってみるか、という気分になったというわけだ。祇園四条から京阪本線に乗って終点の出町柳駅に行き、そこから「えいでん」に乗り換えて四駅目の一乗寺駅まで、スムーズに行けば30分とかからない。そして駅からは徒歩で15分ばかりである。小有洞をくぐり、静かで、風情のある...京都・一乗寺、詩仙堂(1)

  • 大原・寂光院と、嵯峨野・常寂光寺

    <大原・寂光院と、嵯峨野・常寂光寺>大原の寂光院と、嵯峨野にある常寂光寺は、なんか名前が似ていて観光客にはちょっと紛らわしい。(えっ、もしかしてオレだけ?)「三千院」から大原の里をぶらぶら歩いて30分足らず、そう遠くない場所にひっそりと建つ天台宗の尼寺「寂光院」。聖徳太子が父である用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられるこの尼寺には、悲話がある第3代住持の「建礼門院徳子」は平清盛の娘、高倉天皇の中宮でもあり、安徳天皇の生母でもある。高倉天皇、平清盛が没した後、木曽義仲により都を追われた徳子は、壇ノ浦で源氏に攻められ、安徳天皇とともに入水するが、皮肉にも源氏の手により救われる、徳子は出家し寂光院に入る。そんなある日、舅である「後白河法皇」が訪ねてきて、庵で向かい合い、徳子は<六道語り>を始める。清盛...大原・寂光院と、嵯峨野・常寂光寺

  • 嵯峨野、化野念仏寺で出会った名言

    <嵯峨野、化野念仏寺で出会った名言>京都・嵯峨野、化野(あだしの)念仏寺の参道。浄土宗に属する寺院で、本尊は阿弥陀如来、寺の名は正しくは「華西山東漸院念仏寺」という。往古より化野の山野に散乱埋没していた、無縁仏を集め、阿弥陀如来の説法を聴く人々をなぞらえて配列安祀してある「西院の河原」。石塔・石仏の数は八千体を超える。無縁仏の霊にローソクをお供えする「千灯供養」は、晩夏の夕暮れにおこなわれ、光と闇と石仏が織りなす光景は浄土具現の感があり、多くの参詣があるそうだ。たしか、ドラマ「赤い霊柩車」シリーズのオープニングにもよく出てくるシーンだ。しかし、ここに来たのは別にドラマの聖地巡礼に来たわけではない。(今でも、まだある・・・のだろうか?)竹林の観賞も本堂参詣さえも割愛させていただいて、先を急ぐ。たしか地蔵堂の...嵯峨野、化野念仏寺で出会った名言

  • 京都・嵯峨野、大覚寺の大沢池(2)

    <京都・嵯峨野、大覚寺の大沢池(2)>遷都千二百年の歴史ある京都では、あちこちいたるところで過ぎた時代を感じることができる。「この小径だ!」小さな「放生(ほうじょう)池」と広い大沢池の間の、護摩堂へと延びる弓状にゆるく曲がる、畦道みたいなか細い径にたしかに見覚えがあった。時代劇ドラマの主役やら脇役らの登場人物が、小径を歩むシーンを思い浮かべる。「護摩堂」は不動明王を祀る二間四方、方形造瓦葺の外装がまだ新しいお堂で、月に一度護摩を修している。新品の建物を“エイジング”といって加工して古めかし江戸時代の雰囲気を醸し出すことができるそうで、撮影時には一時的にそれを施すのだろう。あるいは、お堂のシーンだけ別の古いのを使うとか、お堂を映さないという奥の手もあるのだ。大沢池に面した土手でのんびり釣りをしている、侍や火...京都・嵯峨野、大覚寺の大沢池(2)

  • 京都・嵯峨野、大覚寺の大沢池(1)

    <京都・嵯峨野、大覚寺の大沢池(1)>京都の観光は、基本“歩き”だと思う。車で来たとしてもそれはホテルに置いて、公共交通機関を利用して、できるだけ歩いて観光するのが賢明で得策だ。旅のパートーナー選びには、まずは<食の趣味嗜好が近い>ことだが、京都旅だと<健脚>も必須条件である。観光スポットを二つ、三つ廻っただけで、ため息に涙目なんてえのはジツに困る。勘弁してほしい。嵐山駅から足に自信があれば、渡月橋、野宮神社、天龍寺、大河内山荘、常寂光寺、落柿舎、二尊院、祇王寺、化野念仏寺、清涼寺、大覚寺などの嵐山・嵯峨野の観光スポットを一気に巡ることができる。わたしは嵐山駅を出ると、少しだけ遠回りになるが野宮(ののみや)神社に通じる「竹林の小径」に寄っていくことにした。渡る風にさやさやと耳に囁く葉ずれの音、やわらかく身...京都・嵯峨野、大覚寺の大沢池(1)

  • 松本、烏城と十割ざるそば

    <松本、烏城と十割ざるそば>(ひゃー!今日はなんか、背景のアルプスがとっても綺麗だ・・・)松本に来ると、近場で便利なのでわたしはたいてい城を見にくる。いままでにこの城を何度か同じアングルで撮っているが、空気がとことん澄んでいるせいか一番“抜けがいい”ように思えた。「烏(からす)城」こと「松本城」である。天守壁面に塗られた黒漆の艶めいた色が美しいことから、別名「烏城」と呼ばれているのだが、最近になってそんな文献は存在しないとしてHP上で「松本城の別名とされる“烏城”は誤りで、別名は“深志城”である」と主張しているそうだ。もしかしたらどこかの城にでも気をつかっているのであろうか。固いこといわず、世間に既に広まってしまった“烏城”でいいではないかと思う。松本駅に着くと、とりあえず予約した近場のホテルに荷物を預け...松本、烏城と十割ざるそば

  • 読んだ本 2023年5月と6月

    <読んだ本2023年5月と6月>少年だったころ、ためた小銭を持って、我が町だけでなく、チビには旅みたいに遠い隣町のお好み焼き屋まで食べ歩いたものである。ヘラでぎゅうぎゅう押しつけてペッタンコになったやつとか、贅沢に生地に山芋を混ぜて焼き上がりがキツネ色になったやつとか。どれもどえりゃー旨かったな。北九州の若松に、どうしてもいってみたいお好み焼き屋がある。ただ、そんなアホな目的だけで九州に行くわけにもいかず、ひたすら機会を狙っている。歴史小説と映画「のぼうの城」の舞台となった「忍(おし)城」に沿った路を南に向かう。時の領主「成田長親(なりたながちか)」はたった500人の軍勢で、石田三成が率いる2万の豊臣軍に喧嘩を売った。長親は、領民たちから「(でく)のぼう」と呼ばれて親しまれていたそうである。秩父線行田市駅...読んだ本2023年5月と6月

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