正しいことをなす。だが仲間はない。群れるつもりもない。ひたすら、自分を考え、己を鍛えやるべきことを為す。それが人として生まれたものの使命だ。私はそう信じる。だからこそひとときの休息が楽しいのだ。
サムライと茶の湯はスピリチュアルに結びついている。泰平の世にも備え怠りなく、自己研鑽を忘れない。我々は死ぬまでサムライだから。
「人の足元を見る」という言葉がある。 それは「人の弱みにつけこむ」あるいは「人を値踏みする」というのが真意だ。 江戸の人々はほとんど徒歩で移動した。 参勤交代や色んな制限があったことが功を奏し、江戸時代は逆に人々の移動が盛んだった。 それがよく経済を回...
今は外国人との接点も多くなり、客人だったものが色々と口を出すようになった。 これさいわいとこれを利用して自らの堕落を糊塗しようとするのもいるし、日本文化を破壊しようと画策する者もいる。 なんということはない戦国時代が国境をまたいでいると考えればいい。
器というのは食事をするのに大事なものだ。 現代はそれこそ、幅広く器を選ぶことができる。 器の世界には「民芸運動」というのがある。 結局、取り揃えるのが大事なので何もかもが漆や陶器、瀬戸物にしてもいけないのだ。 確かに江戸の時代はそんなことはで...
忍者とはどのような存在だったか。 時には極端に誇張された物語にされてしまうことから、その実像はあまり定かではなくなってしまった。 「忍び」とも言われ、女性の忍びに関しては「くのいち」という言葉もある。 言葉がある以上はそうした人々がいたことは事実であ...
我々日本人にとって、邪悪さや悪魔というものはあまり近いものではない。 この現代の日本においてもそれは同じだ。 これに対して、キリスト教徒、アメリカ人などは「悪魔」という言葉に反応し、怖れる。 キリスト教徒は悪魔を怖れる。 織田信長が比叡山を焼き討ちにした時、彼は恐ろしい...
江戸時代、印鑑というものはあまり使われなかった。 手書き文字でサインをして通用したというのは、主に大名や役人、社会階層としてはどちらかと言えば上層の人々でのことだった。 「直訴状」とか「血判状」などを出す時、庶民が「自分が...
お金のことを落語なんかでは「銭(ゼニ)」と言っている。 江戸の昔の生活では、庶民は今から見れば「古銭」を日常使っていた。 それは言ってみればコイン。 懐にしまってそれを使う。 日々の銭、毎日の暮らしはコインで足りた。 なけなしのカネでみなが暮らしていた。 細かい金なの...
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