やらなくてはならないことが残っている。積み残した課題がある。悩みの種がまだ片付かない。読まねばならないことがまだあった。言っておかねばならないことがある。明日にしよう。今度にしよう。そうして、また持ち越しだ。
「持ち越す」というキーワードからお題にし、ブログを綴っています。ここ最近は日本人の一番持ち越してきたといわざるを得ない皇室のことが中心です。不定期更新。
秋篠宮家は即刻、皇籍を離脱すべきである。 秋篠宮が言った「皇族は外交は出来ませんから」という小さな言葉には引っかかるものがある。 自身が言う親善の目的も意味不明で、「外交は出来ない」というのであれば何のための外遊な
ある筋から、このサイトの美智子についての記事が「誹謗中傷に当たる」との指摘を受けて、非常に驚いている。 我々日本国民の財産であり、極めて公的なものである皇室についての批判が「誹謗中傷」とされるのは考え方として全く理解できない。
美智子が「プライバシーだ」と激怒した乱れた生活と放埒の中身を国民はとうに分かっている。 美智子とテニスに明け暮れた明仁がいかに異常な生活だったか、昭和天皇はよく嘆かれていたものだ。 今の秋篠宮も同じだ。 その立場に
こうして邪悪な美智子は、今や、皇室を追われたことを逆手に取ってさえいる。 意味のない「上皇」なる称号さえ僭称し、二重権威の権力闘争さえ躊躇しない。 もともとありもしなかった「上皇旗」さえ創作し、引退表明して立場を追われたことす
兄に先んじて結婚を弟にさせ、それも昭和天皇の喪中であることも無視した異例の結婚であった。 美智子は秋篠宮の嫁となった紀子を大いに可愛がった。 性戯だけに長けたような次男の嫁であったが、出自が美智子よりは劣っていたため、美智子は
次女も同じくICUへと進んだ。 皇室との付き合いの長い学習院に秋篠宮家はツバをかけ、自由気ままができると伝統を捨てた。 そうして乱交と淫蕩へと二人の娘を走らせた。 二人とも、その母親を見ているのだから、無理もなかっ
美智子が利用し、溺愛し、自分の新時代の皇室の証とばかり、甘やかし続けてきた秋篠宮であった。 そうして次男の長女に婚約騒動が起きる。 因果は巡る。 美智子とともに秋篠宮の立場は急速に凋落してゆくのである。 これまで次
そして美智子は衣装にこだわり、外出のたびに新調した。 その頭の珍妙な皿のようなものも含め、これまで残ったその衣装は6トンになるという。 まさに令和の時代の持ち越しである。 その衣装の重さが6トンというなら、国民の税
そんな美智子は人前ではまず自分が先を歩こうとし、夫を杖代わりさえする。 まさに女帝同然、自分の立場を逸脱して前面にしゃしゃり出ているのである。 常に美智子はずいっと夫より前に出て、まず自分が脚光を浴びよ
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