金柑の実があちこちに実っているのをみて ふと…幼い頃を思い出した 私の家の裏に住んでいたおばちゃん宅には 金柑の木があって この時期に実をたくさんつけていた ちょこちょこ歩いてご近所巡りをしていた私 裏に住んでるおばちゃん、が Mちゃんきんかんの実、出来てるからいっぱいあげるよ って金柑の木から実を取って 小さい袋に入れて持たせてくれた いくらでも取っていいよ って実を取る方法を幼い私に教えてくれたんだ 木から実をもぎ取ると ほのかに甘くて酸っぱい香りがして 私の好奇心が騒いだ 実を取って おばちゃん、ありがとう っていうと 裏のおばさんは 白い包紙にお菓子を入れて持たせてくれた 私の小さな右…
私の姉は 目に障害があり小学校入学と同時に盲学校の寮に住むことになった… ある日… 親からは何の説明もなく 私と一緒に毎日遊んでいた姉が突然といなくなってしまった… 当時、私は3歳… 本当に突然… 母に毎日毎日姉ちゃんは?どこに行ったん? って聞いた… 市内の学校にいるから、今度会えるのは 夏休みと聞き… 幼い私は姉の帰ってくる日を待ち望んでいた 突然、姉が私の前からいなくなったときの事はよく覚えていない… でも私の心の中にはポッカリ穴の空いた部分があって… その部分を何かで埋めようとしていたのかな… さみしい…さみしい…さみしい… って思いしかない… 待ちに待った夏休み… 姉ちゃんが帰ってく…
小さい頃は犬が怖くて 自分より大きい犬に吠えられたり、飛びつかれたりして恐怖のあまり泣き叫んでいたなぁ… 私が小学校の時 住んでた町には野良犬がたくさんおり、当然その野良犬が子犬を産んでその辺を走り回っているのが日常だった… 学校の帰りにその子犬たちに囲まれて恐怖に慄きながら走って泣きながら家に帰った… 今思うと…子犬たちは遊んでー!遊んでー!って戯れてきてたんだとわかるが… 当時は噛まれるんじゃないかと怖かった… 今でもはっきりと覚えている 小学校4年の時に 友だちの飼っていた犬が子犬を産んだから見にくる?って言うので最初は怖いから嫌だと断っていたが 産まれたばかりだから怖くないよ って言う…
私が小学校低学年の頃 我が家にはお風呂 というものがありませんでした 子どもは夏はタライで行水 冬は2〜3日に一回、親戚の家でもらい湯か、銭湯に行くかどちらかでした 私が小学校低学年の頃は 一般家庭にはほぼお風呂はあったと思います 極貧で子沢山の家に生まれ落ちた私… 運命を受け入れるしか方法はありません お風呂が家にないのが普通ではない と気付いたのは随分経ってからでした… ある日 母から今日は学校が終わったら親戚のおばさんの家に帰るんやで と言われ おばさんの家は小学校の近くで銭湯にも 近かった… 学校が終わっておばさんの家に行くと 既に母が弟2人を連れて私の帰りを待っていた 子どもながらに…
私が小学生低学年だった頃だと思う 市内にサーカス団がやってきていて 当時はすごく珍しくて 同級生がサーカスを観に行って、凄かった!楽しかった!って言うのを聞いては 私も観てみたい と思っていた 3歳年下の弟もサーカスを観に行きたい!と母に連れて行ってもらえるように毎日頼んでいた 私もどうしても観たかったので 毎日弟と一緒に母に連れて行ってもらえるようにお願いをしていた 母はサーカスなんておもしろくないよ、行かない!と何度も却下された しかし、私と弟はどうしても観に行きたかったので毎日毎日繰り返しお願いしていた とうとう、母は私たちの必死の懇願に負けてしまったようで、サーカスの期間が終わる寸前に…
私が高校生まで住んでいた家は 一般家庭からみると貧乏な家庭でした 貧乏子沢山とは 私が生まれ育った家のことである 友だちに7人兄弟というとビックリされたし、私が育った町では町中の人が我が家は子沢山ということを知っていた 小さい町で噂になっていたのだ 友だちの家に遊びに行くと友だちのお母さんが 必ず 7人兄弟ってすごいねー と必ず言われ その雰囲気から恥ずかしい思いを何度もした 恥ずかしい、恥ずかしい そんなことばかり考えていた 何人兄弟?なんて聞かれるのが嫌だった 必ず正直に答えると 驚愕されることがほとんどだった 何人兄弟と聞かれると いつも誤魔化したり、3人兄弟と嘘をついたりしていた… 子…
初めての出産で 何が何だかわからない 当然のように田舎の母に頼るのが一番だと考え 里帰り出産 を決意した 予定日1ヶ月前に 田舎に帰省した… これが間違いだったんだ… 母は暖かく迎えてくれたが… 年老いた父、弟2人… 私が暮らしていた頃の嫌な記憶が フラッシュバックした 過去のどうにもいいようのない暗い、辛い、いたたまれない気分… 逃げ出してしまいたい、夫の住む家に帰りたい!! そうは思っても、妊婦の私はどうすることもできない 夫と離れた寂しさで、声を聞きたくて電話をするが、当時夜遅くまで働いていた夫 帰宅は10時過ぎることが多かった… 実家は田舎で夜7時を過ぎると店は閉まってしまうような場所…
私の結婚式の準備段階でのこと お母様への感謝の手紙を用意してくださいと プランナーさんから言われた 母への感謝の手紙… どういう風に書けばいいか悩んだ… 例題を見ても お母さんに優しくされたとか、こんなエピソードがあったとか…書いてあった… 優しくされた? やさしい…? どんなことだろ… 幼少期から高校卒業までの記憶を辿ってみる… ない… いつも怒られてた記憶しかない… どうしよう… 中学、高校とお弁当は作ってくれてはいたが… 人様に見せれるようなものではなかった… 彩りなんかなくて、茶色… それも白いご飯がおかずの汁で茶色く変色していた… 友達のお弁当は色とりどりで 羨ましいかった 家に帰っ…
家族… 特に母には心を閉ざしていた時期があった 何があって心を閉ざしていたのか はっきりは覚えていないが… 思い出すのは 私が部屋の隅っこで泣いていて 母が、私の側ではなく… 部屋の片隅で泣いている私を じぃーっとみている そう、私の部屋の押入れに 家出をしようとして纏めた荷物を 発見された時だ… 『なんでこんな事をするのか?何をしてるんや?』 酷く責められた… 家には私の居場所がどこにもなく 自由がなく…毎日が息苦しかった… どこか、どこでもいい 知らないところでもいい この不自由さから解き放たれたかった… 思いつめた眼をしていたのだろう私 そのまま母は 私を見つめたままだった… 頭の中が嫌…
私が生まれ育った故郷では 桃の節句が旧暦の4月3日に行われました 故郷の風習で 桃の節句の日には 母がお弁当を作り 家族揃って、近くの海や、山に行ってみんなで食べました うちは貧乏でしたが、桃の節句には豪華なお弁当を作ってくれました 子ども心に嬉しくて嬉しくて… 何日も前から楽しみにしていました お雛様はなかったけれど その時は、そんなことはどうでも良かった 家族みんなで、楽しく出かけ、美味しい食事をする 今では、当たり前の事かもしれないが 当時の私には素晴らしいイベントだった… 自分が女の子を二人を出産し、育てる中で お雛様が欲しかったけれど お雛様は買えませんでした どうしても欲しかったけ…
私の母 私のキオクの中では 常に厳しかった 常に誰かと比べられていた 早く自立したかった この、自分の家族から早く離れたかった 母は父の代わりに働き一生懸命だった 母の帰りを待ちわびてた 『女の子なんやから、手伝うのは当たり前!』 って言われたけど、何を手伝うかも教えてくれない、手伝わなければ、ただ苛立ちをぶつけられた 私は金銭感覚がなく 貰ったお小遣いを1日で使ってしまうような子どもだった ある日 母のタンスを開けると大きな財布が入ってて 中を開けると、何十枚もの一万円札が入っていた… お金無いっていつもいつも言ってるのにいっぱいある!一枚だけならバレないだろう と子ども心の安易な行動に出て…
中学生の頃 昼休みは自宅に帰ってお昼ご飯を食べてました。 今の時代そんなことは出来ないと思うが 田舎の学校で何十年も昔の話。 確か夏の日だったように思う いつものように自宅に帰ると母はいない 父だけ 母も近くの職場から昼休憩は買物をしてから自宅で昼ごはんを食べていた。 その日は私と父だけ 父が嫌いな私は昼ごはんを無言で食べた。 学校に戻る前にトイレに入って用を足した後 私はグラリと目の前が揺れて『危ない!!』と思った時にはトイレの横の窓ガラスに身体ごとぶつかり… 咄嗟に左手で自分の顔を庇った その時 ものすごいガラスの破壊音がして 私の左手首は 深い大きな傷と血が流れた… どうしよう…どうしよ…
思春期真っ只中の頃 私の父 私が物心ついた頃から仕事はしてませんでした なので友だちのお父さんが仕事をしているのが不思議でした 我が家は他の家庭とは違うんだって思い始めて母に何度も「うちのお父ちゃんどうして仕事してないの?」って聞いた 父と母は15歳年齢が離れており 私が思春期を迎える頃には60歳を超えてたと思う。 若い頃から肉体労働をしていたためか身体のあちこちに不調があり仕事が出来なくなったようだ 今の私の年齢であれば年齢的に仕事が出来なくなるのは分かるがその当時はお爺さんのような父が嫌いでたまらなかった 父が働けなくなった頃から 父に代わり母が働き始めた 家事、育児、父の世話…仕事 スト…
小学生になって 1番嫌な教科が算数だった 足し算はまだなんとか出来たけど 引き算が出て来た頃にはサッパリ分からなくなっていた私。 それからどんどん算数が苦手になって… 頭の中に入ってこなくなった 今で言う学習障害? だったなのかな? 他の教科の授業は先生の言っている意味がわかったけどとにかく算数だけは皆無だった 何故?何故?なんでこんなバカなんだろう?といつも思ってた どんどん自信もなくなり意欲もなくなった 先生に個別に教えてもらっても分かったふりしてたことがあったなぁ〜 全く分かってないのに。 社会人になった足し算引き算などはある程度出来るようになったがでも苦手 今でも算数出来る人 尊敬して…
私は7人兄弟 兄三人、姉一人、弟二人 姉は4歳上で幼い頃はいつもくっついていたように思う。 色白で大人しくて優しかった。 すごくすごく大好きだった… 母は姉には優しかった 私には手厳しかった 子ども心に何故?どうして? なんで私ばかり怒るの?? 同じ姉妹なのにこんなに差をつけるのはどうして?と… 姉には目に障害があった 母には姉に対しては不憫でかわいそうと言う思いが強かったのだろう。 そんなことは幼い私にはわかる訳もなく… 私が中学生くらいの時に 「お前は普通に健康に生まれてる、○○ちゃんは何度手術しても治らない、かわいそうだ、同じ女の子なのに」と言われたことがあった。 だから私にはキツく当た…
私が6歳の頃 1番下の弟が生まれた 今思うと自宅出産 親戚のおばちゃんに「お母ちゃんどこ?」って聞くとあっちの部屋にいる、でも今は行ったらあかんと言われた。「なんで?どうして」とは聞けない雰囲気だったと思う… 何時間経ったのか…母が疲れた顔でその部屋から出てきた。母の顔を見ると安心した… 弟が生まれた日だと思うが名前を決める家族会議のようなものが開かれた。 父はこの名前で漢字は2つ候補をあげた。 兄(長男)当時18歳が この漢字の方がいいとその名前に決まった。 その時の様子、父や兄の表情など克明に覚えている。 大人になって母が亡くなった時に兄(長男)に話すとびっくりされた。 弟はとても可愛くて…
思い出せる限り自分の記憶を思い起こしてみようと思います。 わたしは1番古い記憶はたしか4歳くらいだったと思う。 いつも一人で当時の流行りの歌謡曲を歌っていた。 一人でと言うのは記憶の中だ。 その当時私の家族は両親、兄弟6人で暮らしていた。(後に7人兄弟になる) なんでだろ、一人で遊んでいたり、歌を歌っていたりの記憶。 普通に幼稚園、小、中、高校と普通に学校に行って就職、結婚、子育てをし現在はその子どもたちもそれぞれ結婚しかわいい孫たちも誕生した。 その自分の子育ての中でいろんなことがあり自分自身がカウンセリングをすることに… その中で幼少期の記憶を呼び起こす作業があった。 幼少期はとてもさみし…
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