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2019/08/22

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  • 千人同心街道、忍城の行田宿

    四月も晦日、今日から3日は連休も「一休み」というところ。尤も、未だ十一連休中の方も多いだろう。かく言う私は三百六十五連休。千人同心街道ウォーク5日目の続き。行田市水城公園での朝食休憩を終わり街道ウォークに戻るところ。大きな池と公園通りを挟んだ緑地帯を抜けて街道に戻ると商店街。各商店には雪国の「がんぎ」を思わせる庇が続く。関東平野のやや北部とはいえ、そんなに雪が降るところではない。埼玉県1・2位の地銀、埼玉りそなと武蔵野が並ぶ交差点で街道は右折して行田宿(忍宿とも)となる。真っすぐ進むと秩父本線行田駅。左に行くと行田市役所の先、忍(オシ)城址である。数年前の夏に訪れているのでパス。左手の武蔵野銀行行田支店前に高札場跡碑が立つ。この建物は昭和9年竣工の国登録有形文化財。モダンな鉄筋コンクリート造りの建物は「忍...千人同心街道、忍城の行田宿

  • 千人同心街道5日目、吹上宿から行田へ

    まず昨日の東北道逆走事故の続き。逆走車はやはり黒磯板室ICの上り車線から降りて料金所に向かう道を逆に入ったようだ。現場の写真を見ると矢印表示で侵入禁止をしているが意図すれば可能である。NEXCO東日本によれば管内約500のICのうち、交通量の少ない40のICに同様の信号式平面交差があるという。となると地形的制約ではなくコスト面からとなる。もちろん論外である。 さて順延していた八王子千人同心街道の5日目である。早朝高崎線の吹上駅に着く。吹上は鴻巣市、岩槻と並ぶ「ひな人形まち」。前回のゴール、高崎線の踏切から細い街道を北に辿ると旧国道17号に出る。その手前で左折して来た中山道と合流し100mほど一緒になる。千人同心街道は点線のように行く方がスムーズに旧国道17号を横切るのだが「50mほどクランクしていた」と言...千人同心街道5日目、吹上宿から行田へ

  • 東北道の逆走死亡事故に思う

    大型連休初日の一昨夜、東北道で逆走があり3人が死亡するという痛ましい事故が起きた。逆走の起点になったと言われる黒磯板室ICを地図アプリを拡大して想像してみる。多分、上り線から料金所へ向かう道と料金所から上り線へ向かう道が交差し信号で振り分けている。交差しないように左右振り分けることも可能だが、急カーブの危険を避けるためにあえて信号で減速させる。そうせざるを得なかったのは、安全な立体交差のループ道が造れない理由、例えば茶色の線が山肌であるという地形的な理由があったのだろう。信号のあるインター内の道路はあちこちにあるだろうが、以前墓参でよく通っていた上信越道坂城ICの下り線もそうだった。この坂城ICは前後に長いトンネルがあり山肌を切り崩したところで地形的な制約がある。坂城には両親の生家や墓があるが、最近は電車...東北道の逆走死亡事故に思う

  • 今朝の江戸川、川霧と日の出

    今朝の江戸川は川霧、日の出と共に一気に引いて行く。千人同心街道5日目は明日からに変更。今朝の江戸川、川霧と日の出

  • 千人同心街道、松山宿から吹上へ

    千人同心街道ウォーク4日目の終盤である。大型ホームセンターとコンビニの交差点から街道は県道66号となる。旧松山町が周辺と合併して市制となる際、松山市では愛媛の先輩松山市と重なるため「東の」松山市ということで東松山市となった。が、旧宿場名としてはあくまで松山宿である。前回東松山宿と書いたのは間違い、訂正しておく。東武東上線、東松山駅への交差点から駅方向を見る。最近改修されたのだろう、ずいぶんと立派な道である。植樹されて間もないハナミズキが楚々と咲く。この先から松山宿がはじまった。左手には下沼公園、もう少し前なら桜満開であったろう。この先には街道沿いらしい旧家がポツポツと建つ。松山神社の入口にあるのは八雲神社。江戸初期(安政6年)のものという彫刻が唐破風の向拝や社殿全体に施される。彫工飯田仙之助が三人の弟子に...千人同心街道、松山宿から吹上へ

  • 宝塚脱線事故二十年

    京都の事務所に出社してあまり時間が経たない、まだ朝方という時刻だった。「尼崎で大きな電車事故が起きたようですよ」とネットニュースを見た女子社員が言う。尼崎、電車といえば自社の工場が宝塚線、東海道本線のすぐ近くにある。すぐ工場長に電話すると「そう、大きな事故のようだ、うちの工場からも社員を救助活動支援に出している」と言う。そのうち刻々と事故の詳細が明らかになって行った。そして会社の友人の娘さんが犠牲になったことを知る。春に大学生になったばかり。宝塚市での葬儀ではバスケをやっていた娘さんのチームメイトや後輩たちの嗚咽が続き、出棺時には青すぎる空に凄まじい慟哭が響いた。 今日はこの事故に関する一冊の本を紹介して終わろう。この事故で妻と妹を失った浅野弥三一(ヤサカズ)氏のJR西日本との折衝の記録である。あるとこ...宝塚脱線事故二十年

  • 都幾川から東松山へ

    千人同心街道4日目の続き。高坂宿から都幾(トキ)川に突き当たった街道は河川敷を斜めに横断してから渡っていた。その河川敷を進んでも結局は国道407号が渡る橋の袂まで戻ることになる。ここでうっかりミスコース。東武東上線と並行して都幾川を渡る東松山橋へ向かう交差点まで進んでしまう。方向感覚が90度ずれていた。少し戻って都幾川リバーサイドパークに下りる道を探す。やっと河川敷の公園への降り口に着くが工事のためかネットが張られ先へは進めない。昔の旅人が小川を渡ったという「板橋」を遠望して、来た道を少し戻り住宅街へと上がる。高濟寺の先で河川敷を回る土手道へ繋がる真新しい石段を見つける。このあたりいろいろ改修工事が行われたようだ。スタートして2時間、サンドイッチの朝食を兼ねて休憩とする。約1キロ、左に右にと大きく湾曲する...都幾川から東松山へ

  • 八王子千人同心街道4日目

    4日目のスタートは東武東上線の北坂戸駅。駅舎や北坂戸団地造成で街道は寸断されているが、団地を抜けたところで一部旧道の名残がある。まだ通勤時間帯の7時過ぎ、東武東上線を潜り越辺(オッペ)川を渡る高坂橋(国道407号)へ向かう道は車が多く歩道が無いので歩き難い道。10分ほどで橋の袂に着く。「オッペ」という珍しい川の名の由来は諸説あるらしいがアイヌ語説が有力という。朝の7時台は本数が多いせいか電車がけっこう頻繁に越辺川を渡って行く。朝日を浴びた電車が川面に写るなかなかの景色である。街道は東武線の鉄橋あたりで渡って対岸に上がった後、北に向かう国道を縫うようにジグザグに進んだようである。橋から数百メートルで街道は国道から左への分岐道で復活するが、川越街道の延長といえる児玉道が右後方から合流する。その道標を確認する...八王子千人同心街道4日目

  • 咲き始めた八重桜を愛でる

    昨日、江戸川の土手で川霧と日の出を見た後の帰路、マイパーク早稲田公園で咲き始めた八重桜を愛でる。八王子千人同心街道4日目の歩行記は再び延期、明日から一泊で5日目、最終6日目を歩いた後でじっくりとアップしよう。という訳で、明日、明後日のブログはお休みとなる。咲き始めた八重桜を愛でる

  • 伊能忠敬に因み今日は地図の日

    しばらく「今日は○○の日」を書いていないが、ウォーカーとしては今日の「地図の日」は書かかないといけない。江戸の末期(1800年)に伊能忠敬が蝦夷(北海道)に向け第一次測量の旅に出た日である。井上ひさしは「四千万歩の男」で忠敬の一歩は三尺(90センチ)と書くが、試しにやってみると飛び跳ねるように歩かないと無理である。尤も身長が2メートルくらいあれば別であるが。今朝の「天声人語」によれば忠敬の一歩は69センチだったとある。当時としては身長が高い方だったろう。因みに私は65センチで距離換算している。速歩でやっと70センチ。忠敬一行は第一次測量の旅で往復3,200キロを180日で歩いたという。割り算すれば一日平均18キロ。雨などで休みの日もあったろうから実際は25キロくらいだったのかも知れない。もちろん測量しなが...伊能忠敬に因み今日は地図の日

  • 関税交渉、日本は世界のモルモット?

    トランプとの関税交渉、特使赤沢経済再生相は「格下と会っているのに(それを)感じさせない」とトランプを持ち上げる。自党からも野党からも「格下」発言にクレームがつく。いち早く交渉に駆けつけた日本を世界は「モルモット」と評して見守る。 昨日は八王子千人同心街道の4日目を歩いて来た。一昨日、急用で途中で終わった3日目の後半をやっつけよう。高萩宿を過ぎたあたりから始まった杉並木は鶴ヶ島市に入っても続く。杉を挟んで車道より1メートルほど下がった歩道は歩きやすい上、桜の木もラップし、茶畑も広がるなど情緒たっぷりである。国道407号のバイパスを横切ると街道は一般道になり杉並木も終わり。代わって桜並木となる。このあたりにあったという陣屋跡の碑は見逃すが、その先の脚折才道木(スネオリサイドギ)交差点の地蔵像、庚申塔、道標...関税交渉、日本は世界のモルモット?

  • 千人同心街道3日目の後半

    10時半、川越線武蔵高萩駅で遅い朝食、トイレ休憩として後半を出発。ここまで7キロ、ゴールの坂戸までのちょうど中間点である。駅入口から表通りに出て少し行くと、高萩小前の分岐から歩き損ねた旧街道が合流。この先で狭い歩道を進んで来る胸に名札を付けた年配の女性群二十人ほどの列に遭遇し道を譲る。殿(シンガリ)の年配男性に訊くと、ここ高萩の歴史遺跡を巡るウォーキング会といい、手作り風の冊子をくれる。「高萩」交差点を左折し川越線のガードを潜ったあたりからが高萩宿。何となく歩きながら貰った冊子を見ると、通り過ぎたガード脇に「金毘羅大権現」「石尊大権現」碑があるというので引き返す。口碑を読むと、右側の「石尊大権現」塔の右側面に「高萩驛下宿」と彫られているとあるので早速確認。驛は宿場のことで、ここは問屋(トイヤ)跡という。...千人同心街道3日目の後半

  • gooブログ、おまえもか!

    このgooブログが終わる(11/18)という。Yahooから移って5年半。次はどこへ移るか、いっそ止めるか。それは置いておいて、八王子千人同心街道ウォーク3日目の歩行記である。早朝の西武池袋線入間市駅の北口を出発。北口はまだ開発工事中の雰囲気である。すぐに国道16号を渡る河原町交差点。支流の霞川を渡ってから約1キロ先で入間川を渡る。歩く道は橋へ向かう緩い坂道になるが、昔の街道は左手、少し上流の「根岸の渡し」を通っていた。豊水(トヨミズ)橋から見る下流方向、減勢工の脇に魚道が設けられている。左岸の桜並木が満開、春爛漫!渡ってすぐ右手の旧道に入ると根岸宿がはじまる。問屋(トイヤ)跡という旧家の土塀に龍が彫られた欄間。根岸宿が終わり再び国道407号に戻る。坂道の両側は鷺宮製作所や日本電波工業などの工業地帯。上...gooブログ、おまえもか!

  • ともかく始まった大阪万博

    雨の中、今日から始まる大阪万博、コロナなどによる物価高騰もあり当初の予算計画を大幅に上回る建設費。人出不足で工事も難航し遅れた。それらの負担は大阪府民や国民に。55年前の大阪万博、故郷信州の家族は兄の勤める会社施設を使い2泊3日で行ったが、故郷を離れた遠い地でハチャメチャな学生生活を送る私はおいてけぼり。今回も行く予定はない。 さて、昨日は千人同心街道の3日目、入間~坂戸(16キロ)を歩いた。中二日で2日目の筋肉痛が残るが、数少ない好天日、桜が咲くうちにと急遽出発したのでブログはお休みとなった。その前の2日目の歩行記の続きは、横田基地を過ぎた箱根ヶ崎宿から先の中盤である。このあたりは狭山丘陵の西の端で緩いアップダウンがある。駒形富士に向かうY字分岐に子育て地蔵(箱根坂地蔵尊)。下りになった交差点、狭山神社...ともかく始まった大阪万博

  • トランプの踏み絵

    不均衡貿易額を理由にしたる理不尽な計算によるトランプの相互関税はまるで「踏み絵」である。対抗措置を取らない国には90日の猶予で「ディール(取引)」を迫る。「お願えでございます代官様、何とぞお慈悲を」とひれ伏すのを待つかのようである。そして唯一中国は敢然と絵を踏んだ。自動車、鉄鋼を人質に取られている日本は何を「ディール」するのか。 八王子千人同心街道ウォーク、2日目の続きである。拝島駅北側の玉川上水を渡った旧街道がJR3線を長い陸橋で渡って来た国道16号に戻ると米軍横田基地の脇に出る。「280m先で歩道がなくなり自転車は通行できません」の表示が立つ。と言われてもしばらく片側2.5車線の国道を渡る信号はない。一旦歩道は金網で遮られるがその先も歩けそう、行くしかない。1キロ先の第5ゲート前の信号でやっと反対側に...トランプの踏み絵

  • 千人同心街道2日目は拝島駅から

    八高線、五日市線、青梅線のJR3線と西武拝島線の拝島駅が2日目のスタート。千人同心街道(以下街道)は国道16号から分かれ拝島駅の北の端を「開かずの踏切」で横切っていたが今はない。早朝の拝島駅は乗降客も未だまばら。コンコースの端から前回ゴールの南口を眺める。コンコースのステンド絵がダイナミックである。拝島駅の北口を出てしばらく線路沿いを歩いたファミマの先の駐車場脇(桜の前)が旧街道なのだが、うっかりと国道16号が渡る大きな陸橋まで歩いてしまう。舗装された小公園になっている。そこに架かるのが「どんぐり橋」、その下を流れるのは玉川上水である。どんぐり橋から眺める下流の橋が「日光橋」であろう。江戸時代、日光東照宮の警護に当たった半農半士の同心たちが通った八王子千人同心街道、街道沿いの住民たちは「日光街道」と呼んだ...千人同心街道2日目は拝島駅から

  • 江戸川の夜明け

    久々江戸川の土手から日の出を眺める。菜の花も桜も満開、春爛漫。これから千人同心街道ウォーク2日目へ。江戸川の夜明け

  • 千人同心街道、ひよどり山越えで拝島へ

    八王子の花街に寄り道した後の千人同心街道ウォークは拝島までの残り約10キロを歩く。浅川を渡った先の「ひよどり山」越えは国道16号を離れ、約2キロで比高(標高差)60メートルのアップダウン。自然を残した小宮公園と八王子御殿と呼ばれるサブちゃんの豪邸があるところでもある。最初の九十九折を上ったところの「うかい亭」はステーキハウス。中央道八王子インター脇に下りたところの「鶯啼庵」は会席料亭。いずれも普通人ではなかなか手が届かない高級店で、きっとサブちゃんの御用達店だろう。そのすぐ先の「普通の」蕎麦屋で昼食を摂り、多摩川を国道16号の拝島橋で渡って土手下の旧道に降りたところが千人同心街道最初の宿場「拝島宿」跡。名残りは全くないが拝島大師(大日堂)がある。小荷田(コニタ)の交差点で再び国道16号となり拝島駅でゴール...千人同心街道、ひよどり山越えで拝島へ

  • 八王子花街へ寄り道

    八王子千人同心街道ウォークの初日。千人同心たちが住んでいたというあたり、「千人同心屋敷跡記念碑」が建つ追分交差点から甲州街道を東(東京方向)に進む。西八王子駅から約2キロの木幡交差点で甲州街道から分かれて北に分岐する国道16号が千人同心街道だが、更に東(八王子駅方向)に進み八王子の花街に寄り道。甲州街道で最大の宿場町だった八王子宿。今でも検番、置屋、料亭の三業組合がまとまり十数名の芸者衆がいるという。八王子駅から斜め北東に伸びる広い歩行者道(西放射道路)の中間に花街が残る。その花街の一画、観光案内所である「まちなか休憩所」に寄るべく10時の開店に合わせて今日は遅めの出発とした。女性係員と話すうち今日は2階で八王子織物の展示があるというので上がってみる。養蚕と絹織物が盛んだった八王子は「桑都」と呼ばれるよう...八王子花街へ寄り道

  • 八王子千人同心街道

    再三の寒の戻りや季節外れの夏日などの天候不順?で延び延びになっていた今年の街道ウォーク。昨日、八王子千人同心街道の初日を歩いて来た。今日はその第1回で街道のはじまりについて。江戸の西の守り役立った八王子千人同心が世の安定化に伴い本来の役目がなくなり、日光東照宮の火消し番(警護役)として通った道が千人同心街道で、八王子から約90キロの栃木県佐野で日光例幣使街道に合流する。スタートは中央線の西八王子駅。駅前から甲州街道(国道20号)に出る通りの車止めの頭部が日光東照宮の警備(火消し番)に向かう千人同心が被った陣笠を模している。甲州街道を少し八王子駅寄りに戻ったところに「千人町交差点」。そこから数百メートルで甲州街道と陣馬街道の「追分(交差点)」。その角に「千人同心屋敷跡記念碑」が立つ。このあたりに千人同心たち...八王子千人同心街道

  • 「国難」トランプ関税、石破政権を救うか

    韓国は尹(ユン)大統領が罷免され保守与党がピンチだが、日本ではトランプ関税対応を「国難」とする石破政権が挙国一致の経済対策が必要として一息つけるかもしれない。世界一斉株安で数百兆円が消えたという。いろいろなことが「国難」に隠れてしまうことだろう。しかし「ならぬことならぬものです」の会津武士道を日本国民は示さなくてならない。 久々の好天、地元の桜を愛でる夕方にはこれも久々の上弦の月「国難」トランプ関税、石破政権を救うか

  • 霧と桜とトランプ関税

    戦後の自由貿易体制を一気に覆すトランプ関税がいよいよ発動する。それを象徴するかのように、今年度(4月)に入って初めて晴れと言う今朝は一面の霧の風景。霧に霞む早稲田団地の桜並木を抜けて久々に江戸川の土手に上がる。視界は200メートルほどか。霧と桜とトランプ関税

  • 朝ドラ「あんぱん」とある国の首相

    今週から始まった朝ドラ「あんぱん」は、漫画「アンパンマン」の作者、やなせたかしと妻・暢(のぶ)の波乱の物語。「ある国の首相」との関係は・・・、ご想像にまかせよう。「自民党の中ではマシな方」と言われた石破首相だが丁寧と言うよりネットリとした語り口はあまり好きではない。3/29の朝日「多事奏論」で辛口の高橋純子編集委員は石破首相を「恐るべき鈍さ」と斬る。安倍一強が推し進めた「無理が通れば道理が引っ込む」路線に対して、「道理が通らないこと」をしないだけで「政治が変わった」ことになるはずなのだが「恐るべき鈍さ」を露呈しているという。一つは差別発言の杉田水脈議員の「公認」。「強烈な違和感」と国会で言いながらの公認は、国民感情への「鈍さ」としか言いようがない。「水脈通して道理が引っ込む」と憤る高橋氏、蓋し名言である。...朝ドラ「あんぱん」とある国の首相

  • 女子アナ上納の社会的制裁は如何

    もういい加減にしてくれと言いたくなるフジテレビのセクハラ問題。昨日の「第三者委員会」会見で、フジテレビが女子アナをタレントに「上納」したことは間違いないようだ。今後の社会的制裁は如何。 毎日のウォーキングで25年前の「伊能ウォーク隊」の足跡を辿る「バーチャル日本一周ウォーク」。先月(3月)中に最終Ⅴステージをゴールする予定だったが、約30Kmを残してしまった。2月に一日平均で八千歩近く歩き、暖かくなる3月は軽く八千歩を超えて東京・日比谷公園へのゴールは楽勝のはずだったが、諸般の事情で六千歩台半ばに留まり横浜までとなった。諸般の事情はいろいろあるが、一つは波状的な寒の戻りと夏日という天候問題。この歳になると寒くても暑くても「歩かない」理由になる。次は選抜高校野球のテレビ観戦。初陣の地元浦和実業の快進撃もあり...女子アナ上納の社会的制裁は如何

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