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小島てつを「人生が見えるから俳句は面白い」ブログ版 https://kojima-tetsuo328.blog.jp/

俳句は、自身の心を表現する短い詩です。喜怒哀楽を表現できる五七五、計十七文字(十七語韻)のショート・ポエムなのです。当然そこには、さまざま人生が描かれます。さあ、俳句の楽しい扉を私とくぐりませんか。

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2019/08/18

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  • 遠山のあの色まぎれもなく桜 伊藤トキノ

    今年の桜は、新型コロナウィルスの影響で、花見されることもなく、散ってゆくしかない。なんとも寂しそうである。花の美しさは、例年と変わらないのだから、ひとしおそう思うのである。さてこの句、遠くの山の中腹あたり、はっきりと桜のいろが塊になって見えたという句。あ

  • 十六歳は時限爆弾花ぐもり 大高 翔

    十六歳というと高校1〜2年生ぐらい、もっとも多感な時である。自分に目覚め、将来を考えはじめる。大人になりきれない年代だから、大人のごまかしがイヤだと思い、反抗してしまう。たれもが通った道であろう。その年代のもやもやを「花ぐもり」に仮託した。桜満開の頃の曇

  • ひと駅を歩いてみるか花の雨 矢野誠一

    季語は「花の雨」、桜が咲いているころに降る雨のこと。晴れた空の下で味わいたい桜の花だが、無情な雨はゆっくり立ち止まることもままならず、花のことはやや脇に寄せられてしまう。それでも花見の客は多いのであろう。駅までの道は、人、人、人で混みあっている。雨であれ

  • おくれ来し人のまとひし落花かな 山本洋子

    落花はいうまでもなく落ちてきた桜の花びらのこと。「おくれ来し人」とは、遅れて来た人のこと。パーティーかなにかの会合に遅刻して現れたその人ということだ。その人、よく見ると、肩などに桜の花びらが着いているではないか、という驚きがそのまま一句になっている。遅れ

  • 缶切りを後(うしろ)へ進め花の冷え 松本裕子

    今年(令和2年)の連休中の3月22日、関東は桜の満開の時を迎えた。ただそのあと、北風が吹いたりして、寒い日が続いている。こんな陽気を「花冷え」という。まだ開いたばかりの花びらだが、風には弱く、すぐに散りはじめてしまう。花見は今週いっぱいはできると思うが、新型コ

  • すみれ束解くや光陰こぼれ落つ 鍵和田秞子

    鍵和田秞子(かぎわだ・ゆうこ)さん、このたび日本詩歌文学館賞を受賞された。おめでたい限りである。さて、掲句は、何年か前の作であるが、鍵和田さんの句は、情緒をもろに表すことなく、硬質な抒情で観念的に納得させていく作法で、師の中村草田男ゆずりの作法である。そん

  • 産声(うぶごえ)はあたたかな声鳥雲に 遠藤由樹子

    この句、季語は「鳥雲に」である。俳句をつくらない人にはわかりにくい季語であるかもしれない。鳥が雲に上がるというような意味だ。春になると、鳥たちも活気にあふれて空高く舞い上がる。春の初めは三寒四温だが、だんだん暖かくなってくる。そうすると、鳥たちも元気に空

  • 春ショール巻いて時間の戻るなら 甲斐由起子

    春とはいえ、まだ寒い日が続いていることが多い。冬はマフラーが必需品だったが、それほど寒さを感じなくなった春、和服の女性の場合、ショールを巻いて出かけることが多い。ショールは、なかなかの小道具でもある。巻いている立ち姿が美しいのだ。だから、和服を着る機会の

  • 春光に瀬戸の島々紛れ込む 檜 紀代

    この句の本意は、あまねく降り注ぐ春の光の中に、瀬戸内の海が広がっている、その光の眩ゆさに、いくつかある小さな島々も見えなくなっているというのだ。光に隠されたようで、なんとも不思議だけれど、それだけ光が強いということである。「紛れ込む」とは、擬人化した表現

  • 春の旅海から山に入りけり 大串 章

    この句、「海から山」をどう解釈するかであろう。海の旅といえ船旅を思う。山旅といえば登山、ハイキングなどがある。一つのツアーで海から山へと続けて出かけた、というふうにも理解できるし、海の旅もした、山の旅もしたな、と、それらを回想しつつ、イメージの中で一つの

  • うららかや右も左も親しき木 堀本裕樹

    うららかな陽気は、人のこころをとろかし解放する。目の前には、右といわず左といわず、大きな森が広がる。森は冬の寂しさから少しずつ脱皮しつつある。冬、樹木は枯葉を散らし、枯木となる。しかし今、枯木から木の芽が伸びつつある。その木の芽は、やがて美しい葉を着け、

  • 西行忌(さいぎょうき)海山歩きゐて独り 和泉 好

    西行は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、日本各地を歩いて和歌を詠んだ僧侶にして歌人として有名。「嘆けとて月やはものを思はするかこ  ち顔なるわが涙かな」(「小倉百人一首」86番)「願はくは花の下にて春死なむそのきさらきの望月のころ」等の歌が知られている。

  • 擦り剥きし膝を揃へて雛の客 黛まどか

    明日は3月3日、雛祭りである。今もなん段もある雛段を設置し、みやびやかな雛人形を飾っている家庭がどのくらいあるかはわからないが、公共施設やホテルのロビーなどに飾られているのを目にすることがある。見ると、やはり、その華やかさや懐かしさについうっとりするのは、

  • 日のかけら集めて散らす蕗の薹(ふきのとう) 野木桃花

    蕗の薹は春の訪れを知らせる、明るい植物。小さな植物ながら、人のこころをほっこりとさせてくれるところがある。道端で見つけたりすると、はっと嬉しくなる。掲句、蕗の薹はまさに「日のかけら」だという。それを「集めて」、そして「散らす」、そんな動きをする可愛い姿か

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