由利本荘で作ったものがよかったので許可をいただき庄内に合わせて作ってみました。試作品
御本社の参拝が済んだら破方口から七高山に向かいそこから伏拝に歩いていくと蟲穴があります。そういえば、七高山の所で橋本賢助の鳥海登山案内で【七高山】(しちかうさん)當山第二の高站點で、陸軍一等測量台の置かれた所である。此の先にも矢島口の拜所があるが、行って見ると、當山で見られない河原の石が澤山落ちて居る、そして中には戒名の賛いたのが多い、何でも之は矢島方面の習慣で、わざ〲河原の石を持ち上げて供養をするのだそうな、今に神佛混淆の事が殘つてゐるのである。と書いていますがこれは仮名北ピーク、破方口山の事ですね。これに就いてはこちらの記事をご参照ください。〇蟲穴むしあなは宛さながら蜂はちの巢すの如き巨岩きよがんにして一種の羽蟲ぱむし小孔こあなを出入でいりす農民のうみんは蝗蟲いなむしの害がいを避さけんと慾し此岩いはに紙かみ...蟲穴・稲倉嶽
御本社を出立し七高山に向かいます。此処にも出てきます破方口。大物忌神社に問い合わせても、蕨岡の古老に問い合わせても、鳥海山専門に登っている方に聞いてもわからなかった破方口、当時は普通に言われていたようです。戸口大神、猪山大神などは「史跡鳥海山」でも触れられていません。姉崎岩蔵の「鳥海山史」橋本賢助の「鳥海登山案内」まではいろいろな学者先生の研究論文や資料で言及されますがこの太田宣賢の「鳥海山登山案内記」について記されたものはありません。特に橋本賢助の「鳥海登山案内」では「尚一部は太田氏著『島海山登山案內記』に倣つた所も少くない。」と記しているのですから。国会図書館にあるのですからね。ただの素人の疑問です。御本社の附近には〇戶口とぐちの大神〇猪山ゐやま大神〇新山しんさんの大神〇秋葉あきはの大神〇天照大御神あまてら...御本社から七高山
やっと御本社に到着です。神仏分離前はどのように薬師如来が祀られていたのでしょう。神仏混淆の時代でも御本社、長床といった造りだったので神社建築の様式だったのですね。〇御本社は後うしろろに尨大ぼうだいなる巨巖傲然きよがんごうぜんとして峙そばだち莊重さうぢうの石壘せきるゐは高く四周を圍繞いぎやうし中なかに蕭潔しやうけつ森々しんゝ莊麗瀟洒そうれいしょうしやたる神殿しんでんあり是實に大物忌の大神を鎭齋ちんさいする處にして神境しんきやう靈域れいゐきたり顙稽さうけい拜伏はいふく須すべからく謹つゝしみて天下てんかの泰平たいへい國家こくかの安穩あんをん五穀ごこくの豐饒ぶにようを祈いのり別べつしては寶祚の天壤無窮を祝禱てんしさまのみくらゐのきはまりなからんことをいのりし尙各自てんゞの懇祈ねがひを抽ぬきんで倂あはせて日夕ひごろの御恩...御本社
鳥海山登山案内もまとめるのが結構大変なので今日も寄り道。まずはタトウから、タトウの裏には昭和の文字が入っているので昭和の発行は間違いありません。発行元、発売元は書いてありません。鳥海ブルーライン、鳥海高原ラインの出来る前です。吹浦口は畠中小屋が描いてあります。白井新田からの長坂道、岩野からの二ノ滝口、蕨岡から杉澤を経由する蕨岡口、下草津からの湯ノ台口、同じく下草津から鶴間池を経由するおそらく大台野道(或は日向川沿いの道か)が書いてあります。蕨岡口は既に昔の登拝道ではなくソブ谷地経由の道になっていますし、このはがきの当時はまだソブ谷地小屋が建っていたようです。吹浦、蕨岡両大物忌神社が書いていないということはこの頃既に信仰の登山は薄れていたということです。杉沢からの風景です。西物見からの景色が葉書に残っているのは初...昭和の絵葉書で鳥海登山
午前中快晴、今日も歯医者なので車で行けるところまで。敵とyに撮影しているので出来上がった写真を確認してみると、MFで撮影していたら目も老化しているのでピントを合わせたつもりが駄目だこりゃ。青空が広がっていたのはこの時だけ。すぐに青から灰色の空に変わりました。東北だなあ。10月末なのに紅葉はいまいち。イヌワシを撮影しようと特大望遠レンズを装着した人はいつもいますが撮影できたという人はいるのでしょうか。スノーモービルが頻繁に入山するようになってから営巣も確認できていないようです。大崩れ、名前は何というのでしょう。鹿俣川左岸白沢川溶岩の柱状節理、屏風岩。露頭の高さは100m。古い山と高原地図を見ると「鳥海山随一の6級岩場で、いまだに二登しか果たされていない」とありますが、今もクライミングする人はいるのでしょうか。湯ノ...10月25日の鳥海山
ようやく御本社を望むところまで来ました。〇御濱おはまは鳥海とりのうみの靈湖れいこを遙拜えうはいする處にして大物忌和魂にぎみたまの神を祭る靈湖れいこは〇鳥とりの海うみと稱しようし曾かつて瑞鷄瑞鷄ずゐてう湖畔こはんに啄ついばみたりと是此名の因よりて起る處なる歟か其狀かたち圓滿ゑんまんにして周圍しうゐ數百頃すうひやくけい湖面泓澄こめんあうちようとして深ふかさ計るべからず〇鍋ヶ森なべがもり其西に峙そばだち壘々るゐゝたる岩石疊重がんせきてうぢよう恰鍋あだかもなべを伏せたるが如きを以て名づくと〇伏拜ふしおがみは御本社ごほんしやの遙拜所にして雲烟靉靆うんえんあいたいの間あひだに神殿みやを拜することを得べし伏拜ふしおがみ既すでに塵寰じんくわんにあらず〇御峯おみねの如きは人をして羽化登仙うくわとうせんの感あらしむ〇行者嶽ぎやうじ...伏拝から御本社
河原宿の清流に飛び込んだ後「針の凝れる如き素麺玉霰の如き白玉」を食したら大雪路目指して歩き始めます。大雪路では拝所大雪路を拝しこれから登りです。〇大雪路小雪路おほゆきじこゆきじは千古せんこの雪皚々ゆきがいゞとして宛鱗狀さながらりんじやうを爲なし鬼斧きふを以て削けずれるが如く三伏さんぷくの炎暑尙且凜冽えんしよなほかつりんれつとして悚然しようぜんたらしむ而して此雪路には濃霧細雨のうむさいむの日ひ形狀かたち「ゑもり」に似たるもの所々に匍匐ほふくす俗ぞく呼よんで「龍りうのあらし子こ」といふ人爭ふて之を得んと慾す蓋し婦人血ちの道みちの靈藥くすりなりと莇坂あざみさかは附近に莇あざみの繁茂はんもせるに依よりて此名あり山中屈指ゆびなりの嶮峻けんしゆんにして道細みちほそく岩角銳がんかくするどく羊腸崎嶇ようちやうきく甲脚乙首相接こ...大雪路小雪路莇坂(薊坂)
八丁坂の急な道を登りきると雪解け水の流れる河原宿に着きます。(このころは川原宿と書いたようですが川でも河でもどちらでもよいと思います。)中村不折の描いた河原宿同じころの河原宿の写真夏の朝、河原宿小屋の前は雪渓の雪融け水が流れます。日が昇るとともに水量は増えていきます。遠くに見えるのが大雪路、小雪路。此より山やま益ますゝ高竣氣愈稀薄かうしゆんきいよゝきはく暫しばらくにして川原宿かわはらしゆくに達す祓戶はらひど四柱よはしらの大神を祭る纖塵せんじんを止めざる淸流凜烈せいりうりんれつ肌はだを刺さすさんと慾す然れども人皆先ひとみなさきを爭あらそひ身みを躍をどらして飛込とびこむ滿身まんしん淸絕せいぜつ冷絕れいぜつ意氣いき快曠くわいくわう全まつたく俗塵ぞくぢんを脫だつし恰腋下あだかもえきか羽毛うもうを生しやうじ殆んど將まさに...川原宿に到着す
酒田市立光丘文庫所蔵鳥海山図(写)より(画像使用承諾済)上の図は文化八年(1811年)に登った方が描いたものです。この図を見ると蕨岡口登拝道が良くわかると思います。箸王子より八丁坂茶屋迄の部分をもう少し拡大してみましょう。西物見のあたりから喬木帯にかわります。蓬莱山(鳳来山)の頂上も晴れていれば日本海がきれいに見渡せます。奥院と書いてあるのはこの図では鳳来山の陰にある大澤神社の事です。弦巻池は武具弦巻に由来する鶴間池の本来の呼称、これも図の山の陰にあります。鼓岩の由来も記されていますね。(※注享和の大噴火の後に書かれたものですがその時は既に噴火によって無くなった不動岩、瑠璃の壺の名前も記載されています。尚、図の頂上の部分の説明に「新山ヲ享和山トモ云フ享和年中山焼ノセツ新ニ突出セリ荒神嶽本社ルリ壺ノ辺尽ク落入リ谷...箸王子より河原宿まで
(此処に掲げた記事、写真は以前掲載したものも多くありますが太田宣賢の「鳥海山登山案内記」に沿って改めて書いていますので箇所に応じて再掲しています。)登拝の一行は山先達に連れられて鳳来山を過ぎ箸王子神社までやってきました。今の地名では横堂、昭和の最後までお堂があったところです。横に長い御堂なので横堂。〇箸王子はしわうじの神社は保食うけもちの神かみを祭まつる又社務所しやむしよの出張所ではりあり登山鑑札かんさつに照てらして人員ひとかずを點檢あらためす是登山者保護上ほごじやうの必要たいせつに依る側かたはらに掛茶屋あり酒餠菓子さけもちくわしの類るゐを鬻ひさぐ此より右折みぎにおれして少しく下れば忽たちまち奇岩怪石欝然きがんくわいせきうつぜんたる老樹蜿蜒ろうじゅえんゝたる葛藟陰暗寂寥かつるいいんあんせきれうたり行くこと僅にし...箸王子神社と大澤神社
Takehiro Honda Dark and Mellow
最高に好きな日本のピアニスト。そのアルバムから一曲。TakehiroHondaDarkandMellow左は最後のアルバムMyPianoMyLife05、最高です。右のアルバム米木康志のBassいいですねえ。晩年のこの二枚のアルバムも外せません。50年前の思い出が瓶の蓋から溢れるほど詰まったアルバム。YouDon'tKnowWhatLoveIs之最初のフレーズを聴くだけで時間が半世紀遡ります。要するにすべてのリーダーアルバムがいいのです。CDですべて揃えてしまいました。TakehiroHondaDarkandMellow
さて、登拝者は宿坊を午前一時か二時頃に出立します。まずは下居堂に寄った後熊野神社に向かいそこから褄坂の集落へ向かいいよいよ山道にかかります。下に掲げた文を見るとわかるのですが当時の蕨岡口、本来の蕨岡道は近年の登山地図に書かれているものとは違います。以前紹介したように登山案内図に蕨岡阿口として記載されているものは戦前ソブ鉱石採掘搬出のために作られた嶽ノ腰林道を進み鳳来山へ直登する道です。これは蕨岡の人がつけた道だそうです。今やほぼ廃道。本来の登拝道は以前紹介させていただいた道です。鳥海山登山案内記でも触れられていますが蕨岡道は水場がいたるところにあります。黎明あけがたに取扱やど所を發足いづるすれば夜氣森々やきしんゝ鐵蹄かなぐつの響ひゞきを聞くのみ忽にして〇境外末社けいぐわいまつしや磯前いそさき)神社の前に到る奧お...蕨岡からの登拝宿坊から鳳来山まで
マウスピースをくわえ、唇の上でリードが躍る。音が飛び跳ねるテナーサックス。それに加え益田幹夫の鍵盤の上をコロコロと走り転げ落ちるピアノの音、このアルバム、この一曲のためだけにあります。TakaoUematsu-Invitation
現在歯の大治療中なので遠くへ出かける元気もなし。家で出来ることを少しずつ。歯が上部ってうらやましい。小さい頃は梅干しの種さえバリバリ噛み砕いたのに。ということはさておいて、小冊子、やり始めるとやめられない、止まらない。前にデジタル化してあった「鳥海登山案内」をA4縦書きサイズの原稿に直し、PDFにして製本できるようにしました。Wordは縦書きの場合、表が自動で次ページに送られず半端なものになるので一つ一つ手作業で修正しなければなりません。図版は文章の途中に挿入すると文字領域にしか入れられません。そこで奥の手、図形の挿入で四角形を挿入し、枠線無しとします。その四角形の塗りつぶしで図を選択し、必要な図を挿入すればOKです。表紙の次に空白ページを挿入したのち全体が偶数ページになるようにします。ページ番号ももちろん挿入...鳥海登山案内を製本してみた
さて、明治、大正、そして昭和もいつごろまでの事でしょうか、蕨岡迄やってきた参拝者は宿坊に泊まります。而して夏季なつに至れば參拜者四方より羣來むらがりきたり絡譯として織をるが如しと雖ども各一定おの〱さだまれるの宿坊やどに投とまるするの外ほか叨みだりに他たに宿泊混亂とまりてゆきちがふすることを免ゆるさゞりき然るに王政維新神佛分離しんぶつぶんりせらるゝや修驗しゆげんは悉みなく飾かざりを更あらため世襲せしふの官位くわんゐを解とかれ神社は一定べつだんの神官しんくわんを設けらるゝことゝなれり此を以て各おの〱職しよくを替へ業げふを更あらたむるに至れり然りと雖ども尙なほ神社に奉仕つかへするを以て今いまは參拜者さんぱいしやの便宜を計らんが爲ため一定の鳥海山參拜者取扱所とりあつかひしよを設け以て諸事誠實懇切ばんじていねいしんせつを...明治、大正期の蕨岡宿坊
「鳥海登山案内」も「鳥海山登山案内記」ももちろん縦書き文章です。どちらも同じ体裁の縦長の片手に収まるサイズの本です。これを保存するためにスキャンしてワードに文字を置き換えて読みやすく、しかも保存できるようにしようとしたわけですが、ワードより良い縦書きに特化した何か良いアプリケーションがないものだろうかと。ソースネクストの「縦書きのプロ」というものがありました。原稿用紙の設定も簡単です。だが、しかし、ルビを振ることが出来ません。簡単な小説らしきものやちょっとした町内会の原稿を書く程度ならいいかもしれません。有料ですが時折安く提供されることもあるようです。もう一つはフリーのソフト、TATEditor、フリーソフトでここまでできるのかという優れものです。もちろんルビ振りも可能。だが、しかし、両方とも図版、表の挿入が出...縦書き文章の作成
例の「鳥海山登山案内記」を読んでもらいたい人があったので二三部印刷してみました。家のプリンターはめったに使わないし、そうなるとインクもうまく出てきません。コンビニの方がきれいに印刷できますし、プリンターをメンテナンスするより安上がりです。コンビニのマルチコピー機には便利な小冊子機能というものがありました。折りたためば小冊子になるように両面印刷されて出てきます。これを折るには、(上の写真は出来上がったもの)写真ではちょいとずれていますが、きっちり端の〇印を合わせ、それから折る方の端からではなく、中心部分を押さえそこから左右に潰していきます。これだときれいに揃います。丸印を押さえて端から潰していくとずれて折りたたまれる原因となります。ここがポイントです。さて中綴じするにはホッチキスが、と家の中を探しても見当たりませ...小冊子を作ってみる
太田宣賢編集発行の「鳥海山登山案内記」のうち、◎蕨岡及口の宮◎交通◎登山及夫人の登山の部分をワードに書き込み、すべてルビ振りもやっと完了しました。旧字体、旧仮名の爲OCRは全く使えません。すべて手打ちです。逆に読みながら打つので非常に面白いと思いながら入力できました。もっとも僅か十数頁なのですが、目は疲れる、で結局半月近くかかりました。書き写し終わって思いました。鳥海山は景色や高山植物を見るためだけではないと。これから、しばらくの間◎登山及夫人の登山の部分を読んでいきたいと思います。その前に、この本は大正二年二月廿五日發行發行所酒田町白善書房、本文が書かれたのは明治四十五年以前ということがわかります。「◎登山及夫人の登山」はこんな出だしです。ルビも振ってみました。蕨岡は前に述べたるが如く昔は三十三の僧坊てらがあ...太田宣賢「鳥海山登山案内記」より「登山」の項を読む
二階建て新幹線もついに運行終了です。新型コロナでこのところ全く出歩かなかったのでこの二階建ても最後に乗ることなく終わってしまいました。窓際族なのでいつもえきネットで二階の窓際を予約していました。鉄道オタクではないのですが鉄道は乗るのも見るのも大好きです。新潟駅での羽越本線からの乗り換えも以前は一度階段を下りてから新幹線ホームへまた昇り、だったのですが今は羽越本線「いなほ」から上越新幹線「とき」への乗り換えは反対側(同一)ホームで便利になっています。羽越本線が遅れるとホーム間の改札は駅員さんが「はい、そのまま行ってください」と切符のチェックなしで通してくれます。さて、上越新幹線はいつから走っているのだろうと思っていたらこんな封筒が出てきました。昭和57年(1982年)の開業ですからもう40年近い前の事なんですね。...上越新幹線
KennyDorham、SteepleChaseこの組み合わせいいですねえ。KennyDorhamは大好きだし、SteepleChaseには素敵なアルバムが沢山あります。ジャケットデザインの色使いもGoo-d!Amazonのprimevideoのチャンネルにミュージック・エアSELECTというチャンネルがあり、ジャズのライブの映像もたくさんありました。ライオネル・ハンプトンもありましたし、様々。月額298円なので少し試してみます。KennyDorhamShortStory
しばらく太田宣賢編集発行の「鳥海山登山案内記」について書いていきます。(「書いて行きたいと思います」と書くと、書いていこうと思ったけれど出来なかった、思ったのはほんとです、と言い訳の伏線になるので「書いていきます」と断言しておきましょう)現在の拝殿はそれまでの拝殿が焼失したため明治二十九年に造営されたものです。蕨岡は鳥海山の南麓にして其丘腹に家居す古來鳥海山上鎭座大物忌神社の拜殿一王子大堂(今は口の宮と稱す)の在る處にして拜殿は丘上に在り(古は丘腹にありしが幾多の變遷を經て明治廿八年今の地に建築せり)(中略)元和十年以降元祿二年迄拜殿の造營は領主酒井家の手に成り寬政四年に至り酒田の富豪本閒四郞三郞光丘之を造營し文政十一年領主酒井家及富豪本閒氏其他有志の寄附を以て造營せしが惜哉安政二年炎上せり現今の建物は東北諸縣...太田宣賢編集発行の「鳥海山登山案内記」その2
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由利本荘で作ったものがよかったので許可をいただき庄内に合わせて作ってみました。試作品
大壽和里大祭事(おすわりだいさいじ)塞道絵幕は酒田の小正月の行事である行事である塞道(道祖神)祭の際に各町内の神宿(とや、と読みます。)の塀に飾った幕です。その中の一枚、三方領地替えで庄内に無事残った「大壽和里大祭事-酒井候御安堵祝宴」の様子を描いたものです。全幅9.7m、高さ1.97mの大きなものです。スイカを振舞っているのは『スイカを割る』という言葉や、スイカが熟すことを庄内地方の方言で『すわる』と言うことに、酒井家が『居座る』ことをかけて祝っている、ということです。いやはや、一日中見ていても飽きません。塞道絵幕(大壽和里大祭事)
これはうまい!都知事選
家族がどこかから頂いてきたものをみんなで順番にいただきました。今は扱いが以前ほどではないので仕事先への対処なんかは楽ですが体が楽になるわけじゃなし。ワクチン接種をしてもコロナの変異株には追い付けないようです。ワクチン陰謀論なんていう人もいまだにいるんでしょうねえ。早速検査キットを購入、5個入って650円。鼻の穴に綿棒突っ込んで液に浸し待つことしばし、結果はいかにとみれば。左側TとCに赤い線が現れるのは新型コロナ陽性。右側Cに赤い線一本はインフルエンザ陰性。知人はかかりつけの病院で院内に入れてもらえず、スマホを通して診察だったそうです。市販の解熱、鎮痛薬、風邪薬で対処、対処療法しかないようです。とにかくいつもやる気がないのに輪をかけてやる気が出ない。酒は全く飲む気がしない、本なんて1ページもつらい。体の節々...ついに新型コロナに
鳥瞰図といえば吉田初三郎、金子常光が有名ですがこれは地元出身の佐藤良一郎という人の描いたもの。航路は浦鹽(ウラジオストク)ほかが描き込まれています。画像を右へスクロールすれば吹浦口大物忌神社、蕨岡口大物忌神社が。これは酒田市が観光用パンフレットとして作ったもののようです。この当時日本中で同じようなものが作られました。こういうものは地元にはほとんど残されていません。これ見て観光に訪れてみようという人は、昔はいたんでしょうかね。今と昔では観光の対象の選び方も変わっていますので、でも観光で食べていける地域はほんの一握り。地元には洋上風力を観光の目玉に、などという阿呆も少なからずいるようです。昭和九年
金子常光の山形県絵図より、制作年不明。先に紹介した昭和15年.山形縣鳥瞰圖はこれをもとに書かれたものかもしれません。見ていて飽きないですね。蕨岡口登拝道は昭和三十年代まで多くの人に利用されていました。鳥瞰図で見る鳥海山
昭和十五年の鳥瞰図。このころのものの方が現代の写真のものより色合いもきれいで味わいがあります。鳥海山には蕨岡口と吹浦口が。酒田市の海にはかつてあった大浜海水浴場が。開発された今の方良いかといえば、現代の方が昔より良くなったとばかりは言えないのは多くの人が感じることでしょう。昭和十五年を見る
今日は酒田市役所前でスタンディング(私は仕事で不参加)サクランボテレビニュースより。漁業者の方が6名参加。そりゃそうでしょう、生活の糧とする底引き網の漁場へ数十基の風力発電を建てるのですから。漁ができなくなるのは明らか。山形県は風車建設で漁業に影響が出るとは考えられない、影響があるとしたら新しい漁業を考えればいいと。それでも建設を応援するのはちっぽけな利権に目がくらんだ者ども、日本も終わりか。酒田市役所前での抗議活動
そう遠くない将来、鳥海山を訪れた人々は鳥海山のふもとの醜悪さに驚くことになりそうです。かつての鳥海山を守る会の池田昭二さんらの努力の結果守られた大いなる自然は今や風前の灯です、国策という名の暴力によって。私たちの庄内浜を守ろう
鳥海山矢島口に関して書かれたものといえば姉崎岩蔵の「鳥海山史」、佐藤康「鳥海山日記」は有名ですが登山のパンフレットで矢島口のみ書いてあるのは珍しいです。まだ国定公園にはなっていません。避難小屋の印が七つ釜と氷の薬師の間に書いてありますこれは氷の薬師の避難小屋かもしれません。「鳥海山日記」にも氷の薬師の小屋と出てきま本荘本荘の神社関係の方からも確か氷の薬師に小屋があった、という話は聞いています。「垢離の薬師を祀っている」と別ページには氷の薬師の本来の名前も書いてあります。ガイド料金、強力料金も載っていて面白いですね。払川ヒュッテでは米一升炊くのに40円かかったようです。いくら計量法で規制されたとはいえ、今なお一升という言葉は生きていますし、尺貫法はいろいろなものの単位の中に形を変えて生きています。こういった...昭和36年の鳥海山案内
巨大洋上風力反対のスタンディングに出かける途中、水を張った田に苗を植える直前、しかも快晴で無風という条件が重なるとこんな景色にお目にかかることができます。今日の鳥海山
【全国民必見】再エネの闇の全貌を暴く/再エネ議連会長・柴山氏、河野太郎大臣…利権に群がる議員たち/風力発電の危険性とは?/平井宏治氏が徹底解説③【TheQ&A】4/5【全国民必見】再エネの闇の全貌を暴く/再エネ議連会長・柴山氏、河野太郎大臣…利権に群がる議員たち/風力発電の危険性とは?/平井宏治氏が徹底解説③【TheQ&A】4/5
ずっと昔、仕事の関係でラーメン組合の賛助会員だったので市内のラーメン事情はもう、今は外食も酒飲みもほとんど歩くこともなく、でもたまには家族でラーメン食べに行くかということになり、近くのかつて同級生が作った店へ。一番売れている麻婆ラーメンですが、叉焼が入っていればなあと思ったらメニューにありました。その名も麻婆叉焼ラーメン。少し前なら大盛でも食えたのですが今はもう無理。この辺のラーメンの大盛は二玉、480gほどあると思いました。丼径は30cmでしょうか。こちらは叉焼雲吞麺。どちらの写真も普通盛りです。週末は餃子を作ろうと思いましたが比べられても困るので中止です。久しぶりのラーメン
蕨岡大物忌神社本殿松嶽山鳳来山鳥海山の恥さらし
鳥海山で印象に残るのは何よりも人っ子一人いない風景。いかに多くの登山者が訪れるといっても誰もいない場所、時間、季節はあるものでそこに居合わせた時は最高の空間になります。古い写真の露出オーバーで見るに堪えない写真も少し加工して、名前も「ボタ池盛夏」、何年も足を運んでいませんが河原宿は一番好きなところです。ボタ池盛夏
今日は仕事だったので休みの家族にカメラを渡して適当に撮ってきてと。満開もおそらく今日がピーク。雪融けもだいぶ進みました。今日の中山河川公園
満開にはまだ早いですが人がいないほうがいいので中山河川公園まで。今年も鯉幟がはためいています。並んで建つ各家にあるこれは何だと思いますか。こうして使います。ここは中山堤といい、前を流れる洗沢川はかつては川幅も狭く、河川改修をする数十年前までは暴れ川だったそうです。増水した時にその水が敷地に入らないようにする門だったのです。このようにコの字状になった溝に何段かに板をはめ込み増水の侵入を防ぐためのものです。公園の桜以外にも、最後は花より団子ではなくてかりん糖。一枚食べると手が止まらなくなること必定。ネットでも注文がたてこみ時々入手不能になるそうです。中山河川公園に鯉泳ぐ
今日も晴れ、昨日見た鳥海山と比べると一段と雪融けが進んでいます、いや岸田流に言えば雪融けを加速しています。スタンディングも今日は五人。車の窓から手を振ってくれる人もいます。街を歩けば話しかけてくれる人もあり。風力発電賛成の人は「自然エネルギー利用できて電気も安くなるんじゃない」反対の人は「メガソーラー他の全国の失敗を見てみろ」電気料金は再エネが進むほど高くなります。今年は開花が遅いですが一木だけ満開の桜が。話しかけてくれたおじさんは「これは早桜(はやざくら)というんだ」二週間ぶりのスタンディング
今日はジオパーク会員の方々にまじり胴腹ノ滝参拝道清掃。お堂の左右に湧き出る胴腹ノ滝。川が落ちるのではなく、溶岩壁から湧き出ています。鳥海山の笙ヶ岳、山肌の種まき爺さんも現れる準備です。一面オオイヌノキン、いやオオイヌノフグリ。植物の名前は漢字で書くようにしているのですがこればかりは、でも書いておきましょう。大犬の陰嚢。若い女性の口から「オオイヌノフグリよ!」と聞くと、思う親父が変態か。でもこれの実はまさにイヌノフグリ。在来種のイヌノフグリよりも外来種のオオイヌノフグリを見かけます。湧水を利用した農業用水。堰と呼ばれ、鳥海山麓庄内側には様々な堰があります。咲き始めた猩々袴(ショウジョウバカマ)胴腹ノ滝清掃と鳥海山麓湧水散策
古いメモが出てきましたので、WEB上に横書きしても面白くないので絵日記風に。佐藤與一さんは当時の鉾立山荘管理人。昭和最後のころ
白旗史郎はかなり昔から本を読んだり写真集を見ていました。御父君が八幡町出身という縁あってこの地でも何度か写真展が開催されています。今回また開催されましたのでどれどれと。白旗史郎氏愛用の各種用具。昔懐かしいコンロです。館内撮影、SNSへの投稿可、但し写真の単体撮影不可、写真は複数撮影のことということでしたので手持ちのスマホでパシャパシャ。やはり気になるのが鳥海山の写真。雪を纏った新山の夕景。見慣れた景色です。日光黄萓と雲かかる頂上付近。これも見慣れた風景。御浜の景色。鳥海山の写真に限っていえば、いくら著名な写真家の撮影といっても地元の写真家の撮影には、その技量に差はあるかもしれませんが、かなわないでしょう。これは他の方が撮影したものですが鳥海山・飛島ジオパークのポスター。秋田側では風力発電との共存を積極的に...白旗史郎展
こんな高山に来たのははじめてだし怖ろしいような・・・・・・神々こうごうしいような・・・・・・神々かみがみの在おわす所とはこんな所かも知れない・・・・・・清吉新道の斎藤清吉さんの言葉です。先輩Nさんは斎藤清吉さんが御峯口と言うのを何度も聞いたそうです。その時は特にどこだとも気に留めなかったそうですが、そういえばあれはどこの事を言っていたんでしょうと。現在御峯口を知る人はいません。登山案内、地図にも載っていません。昭和中頃までは知られていました。斎藤清吉さんの書いたものをもう少し読んでみましょう。何か所か御峯口が登場します。〇薊坂の急坂を登り、御峯口から七高山を経て新山(頂上)に着いたら六時半だった。〇外輪の御峯口の下百メートルの所に、這松が少し頭を顕している所があるので、そこで大休止。〇間もなく御峯口に到着...御峯口
鳥海山の地図を見ると山頂に御室とあります。大物忌神社のHPでは御室参籠所として宿泊予約を受け付けています。昭文社山と高原地図鳥海山2023より緑で囲んだ所が御室。大物忌神社に御室について問い合わせたのですが無回答。はて御室とは?「御室」と調べても出てくるのは「仁和寺の門跡」等。ところがこれ、山岳信仰を調べていくと、御本社を意味したことが解ります。月山では月山神社本宮がかつては御室と呼ばれていました。山岳信仰関係の本をみると御室(御本社)と出てきます。山頂には大きな建造物を建てられないので小さな室を建て御室と称したようです。鳥海山も信仰の山ですので山頂御本社を現在も御室と称しているのでしょう。御室にお詣りする参拝者のための小屋なので御室参籠所です。物見遊山の登山者の小屋になってはいますがもともとは道者のため...御室
グラスの底に富士山がある富士山グラスは偽物が出回るほど有名ですが、それに劣らず素敵なグラスを作ったのが甲斐駒ヶ岳七丈小屋。甲斐駒ヶ岳ロックグラスは値段も富士山グラスの二倍。でも素敵です。以前甲斐駒ヶ岳へ登った時は黒戸尾根をおっかなびっくり。その時売っていれば必ず買って帰っていたであろうグラスです。鳥海山ロックグラスなんてできないものかなあ、と。金型だけでも相当かかったようです。部屋にいながら鳥海山をグラスの底に見て飲む。だれか作らないかなあと思いつつ、イラストに加工して妄想してみるのでありました。鳥海山グラス
以前紹介した酒田の本間焼、酒田で始まった楽焼ですが、Netflixの映画サンクチュアリ-聖域episode7の26分辺りで龍谷親方がタニマチの伊東の点てた茶を喫する場面、この茶碗が本間焼のように見えます。(画面のスクショです。)赤っぽい地に暗緑色、どうも本間焼のように見えます。我が家にはまだまだありますがすべてこんな色合いです。本間焼についてはヘタな説明よりはこちらをどうぞ。それにしてもサンクチュアリ-聖域は面白すぎて配信開始と同時に見てその後も二回、全八話計三回見てしまいました。本間焼?
毎日鳥海山を眺めながら歩いています.お元気ですか3年前の今日、頂上の小屋でした今夜は朝日連峰3泊目、天狗小屋ですどこを歩いても鳥海の姿はすばらしく〇〇さんいるかなあ・・・きっと影鳥海、見れただろうと思いながら歩いていました明日下山・・・.こうも天気に恵まれると・・・・・・現実の下界の世界には帰りたくないものですね.今回も単独行.18㎏の荷を背負いながら.トンボに、”おーい、少しづつ、荷物を持ってくれないかなー.”青空を走る白い雲に、お―――い、どこまで行くんかねエ~.鳥海山にむかって、〇〇さんによろしく―――.大日岳に感謝しながら歩いていました.☆☆☆☆空には星がいっぱいシュラフの中で書いていますもう一度、星と対話してシュラフの中にもぐりこみ夢の世界に突入です.いつもお便りありがとうございますとても嬉しい...天狗小屋からの便り
RoyHargroveのライブですがLarryWillisのピアノが最高。一曲目、7分過ぎから始まるピアノソロ、11:45からの強烈な4ビートはもう最高。他の曲でもLarryWillisが光っています。もちろんRoyHargroveのNEVERLETMEGOも言わずもがな。RoyHargroveBern2000収録DVDはこれ、ジャケットの文字が読みにくいですがメンバーはRoyHargrove(tp)ShermanIrby(as)LarryWillis(p)GeraldCannon(b)WillieJonesIII(ds)収録曲STRANDEDDEPTHNEVERLETMEGOCARYISMSTHEMESONGCIRCUS怪しいディスクで盤面には"NOTFORSALE"と書いてあります。どこで手に入れたか...RoyHargroveBern2000
VOl.1~Vol.8まで全八枚。以前何度か手を替え品を変え発売されたConsecrationのバラ売りバージョンです。Boxは手放してしまったので今回購入。最初のものよりだいぶ音が良くなっています。やはりBillEvansは別格です。あ~、もうCD置く場所がない。BillEvansLiveatKeystoneKoner1980
もとはいぬか?はい、今朝ほど人間になりました・・・・・・落語元犬でございます。白犬は人間に近いそうで、一度散歩に出ると帰りたがらないそうで、飼い主さんはいつまでも待ち続けます。鳥海山も月山も、今日は雲の中。この辺りは小学校一年生までの遊び場だったので潮の香りを嗅ぎに出かけます。ここはまだ川、遠くに見える灯台の向こうが日本海。午後の日だまりに。今なお残されて。もとはいぬか?
SMPlayer、mp4の動画再生に使っています。強制字幕以外の字幕が表示されないという人のために、字幕の所から「字幕の表示」にチェックを入れます。ここが外れていると字幕が表示されません。市販のBlu-rayディスクはAACSが付随されているので再生できないようです。SMPlayerで字幕が表示されない人のために
特定の誰かの利益になるからやるんでしょうね、風力発電。先に風車を立てた時、そこに住む人は最初反対していたけれど押し切られたそうです。「その際二重戸にしたりクーラーいれたり道路直してもらつたりしたから私らは何も言えない」という発言もあったと。そこで生活する人々に障碍が起きることがわかっているからそういう利得を与えることで騙そうとするんですね。そこに住む人が窓を二重にしたり、エアコンをつけないと生きていけない。窓を開けて自然の風を入れると騒音で暮らせない、こんな不自然、不自由を強いられて生きていかなければならないのです。だいぶ前に立川町に風車が出来た時もそこに住む人は騒音で眠れないといってましたね。なんで暮しと自然を犠牲にしてまで風車を建てければいけないんでしょう。賛成する人は個人に利益があるからですね。スタ...洋上風力は発電はいらない
ある会社の人が電信柱の事を電キン柱というのです。ところが亡きウチの母親は「昔はそう言った」と。本当かな?昔の絵葉書を見るとよく電柱に横の棒が何本もついているのが見えます。電柱にも二種類あって一つは電信柱、もう一つは電力柱(でんりょくちゅう)。左の電柱、横の棒がやたらいっぱいついています。これが電信柱。すなわち電信、電話のための線の柱だったんですね。回線の数だけ線が分かれていて交換局につながっていたから横の棒がいっぱいついていたのだそうです。ということは右側に写っているのは電力柱?ほう、昔の電柱は横の棒がいっぱいついているもんだなあ、秋田の竿灯のようだなあ、とただ漠然と思っていました。何年ごろまでこういう柱だったのか、ちょっと調べただけではまだ発見できていません。電キン柱
先日龍頭寺によったついでに龍頭寺に伝わる胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の写しをいただいてきました。梵字の曼荼羅もいただいてきましたが図の方を。鳥海山は今でこそ大物忌神社がドンと坐していますがもともと神仏混淆、本地垂迹、簡単にいえば寺が神社の上に立つものでした。かつては蕨岡龍頭寺が鳥海山修験のトップでした。胎蔵曼荼羅、説明は下記の通り。「胎蔵曼荼羅は、大日経に説かれる仏の世界を表したもので、大日如来の理法である万物を包容し含蔵することが表現され、すべての仏の王である大日如来を中心として、悟りの境地を極める過程を胎児が成長するように、蓮の花を形どった八葉の中心に如来•菩薩•明王などが配され、大日如来の慈悲と智慧が菩薩たちの力で放射状に広まる様子を表している。」金剛界曼荼羅、説明以下。「金剛界曼荼羅は、金剛頂経に説か...胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅
5/19、5/20、5/21はお祭り。5/20に鳥海山に登ったら御浜の小屋に来ていた小屋番さんから「祭りもしねでくる野郎いだ」と笑われたことがありました。ということは置いておいて、久しぶりに港へ散歩に行ったら、昔は祭は山王祭と言って名前も由緒あるものでしたけれど今は無粋な酒田祭という名前に変えられてしまっています。三社祭を台東区祭と呼び名を変えたと同じこと。今年は港の近くに神宿(とや)と言っていろいろなものを飾るところ、本当は神様を迎えるところがあるのですが、ちょっと覗いたら入口にいきなり「おしん」の像。あんなもの飾って。寄らずに帰りました。屋形船
国土地理院のHPでは全国のデジタル標高地形図を閲覧、ダウンロードできます。見ているだけで飽きません。デジタル標高地形図鳥海山
テレビなんて全く興味ないしNHKが朝ドラなどというものでなにをやっているのかなんて知りませんでしたがインターネットの記事で”「もしや、朝ドラの牧野博士?」鳥海山での写真、元村長宅で発見”というのがありました。(朝日新聞なんて読まないしまして有料の朝日デジタルなんかは間違っても購読しません。)画像の転載は出来ないのでリンクがあるうちにご覧ください。写真には「鳥海登山案内記」の橋本賢助も写っています。写真を提供したのは蕨岡大泉坊の太田幹人さん、この方は「鳥海山登山案内記」の太田宣賢の御子孫ですね。この牧野富太郎が鳥海山に来た時の事が何かに書いてあったと思い探してみたらありました。「斎藤十象随筆集鳥海山とその周辺」の中に在りました。斎藤十象さんは斎藤清吉さん、畠中善弥さんなどと信仰登山から信仰を切り離した鳥海山...鳥海山と牧野富太郎
1976年版の山と高原地図を見た方から、バンバ沢スキー場、何年もたたないうちに地図から消えてしまいました。この頃はあちらこちらスキー場だらけです。時代が変わると風車、自然環境に害をなすものが形を変えて現れてくる繰り返しです。湯ノ台スキー場、石滝山スキー場、泥沢スキー場。湯ノ台スキー場は結構長く地図上には残っていましたが今はありません。こんな狭い範囲に三つのスキー場。儲かると思った人の浅ましさが紙の上に残されています。儲かる事なら何でもやってしまえ
昭文社の「山と高原地図鳥海山」現行の斎藤政広さんに変わったのが2003年から。それ以前の通称池昭、池田昭二版「山と高原地図鳥海山」は最高に面白いです。デザインもだいぶ変わりました。手元にあるのはおそらく最初かその次の1976年版から。昭和から平成まで全部で9冊あります。いつのものか開かないとわからないのでラベルテープを貼っています。山形県ではほとんど売れなかったそうです。松山町かどこかの書店では売れたのがたった一冊、とある本に書いていました。登山道が結構変わっていて面白い事この上なし。滝の小屋への道路も出来たころは未舗装で現在よりだいぶ下が終点です。山と高原地図で楽しむ
いつも見慣れたメルカトル図法で描かれた世界地図。あれ国土の大きさが正確でないのですね。わかり易い解説が書いてあるページがありました。こちら。https://www.nishino-law.com/publics/index/53/detail=1/b_id=90/r_id=2928/下記のサイトは眼でわかります。検索窓に英語で国名を入れます。すると、TheTrueSizeof...試しに「本当のサイズ・・・」のところにJapan、Russiaと入力すると、あれっ、日本ってこんな広さなんだ。ロシアってそんなに大きくないんだ。この色付けて表示された国はマウスで移動できます。メルカトル図法の錯覚
何の気なしに見始めた映画、面白すぎて全八話一気に観てしまいました。最近見た映画ではAvatar:TheWayofWaterが一番面白かったのですがそれ以上です。Netflix限定配信。『サンクチュアリ-聖域-』本予告-Netflix『サンクチュアリ-聖域-』-Netflix