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鳥海山近郷夜話 https://blog.goo.ne.jp/ayasiiojisann

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

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2019/08/17

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  • 太田宣賢編集発行の「鳥海山登山案内記」

    太田宣賢編集発行の「鳥海山登山案内記」を読んでいるのですが大正期の橋本賢助「鳥海登山案内」に比べて遥かに難解な表現、漢字を大量に用いて書かれています。同じ明治でも漱石、二葉亭の様な文学者とは全く違った表現、言語の使いようです。「口の宮の結構に至りては樓廓輪煥粉壁丹靑を避け畫梁鏤桁の飾を施さずと雖ども而かも宏莊端麗自威嚴あり」、こんな表現が随所に登場します。ルビは振ってありますがこう読みます。「くちのみやのさまにいたりてはあまりぴかぴかせぬようにしをさけくどくどしいのかざりをほどこさずといえどもしかもおほわにきれいみずからいげんあり」いや、ふつう読めねえわ。明治の人はすらすら読んだんですかねえ。今「口の宮」と「登山」の項についてデジタル化最中。こんな表現なのでOCRはほぼ使えません。PDF化したものを画面左に配置...太田宣賢編集発行の「鳥海山登山案内記」

  • 鳥海山の山小屋料金

    大物忌神社の山小屋宿泊料金、今季は終了しましたが今年の分を見ると素泊まりでなんと税別七千円。コロナの影響で寝具はなし。これに食事が朝夕の二食がつくとなんと10,000円です。鳥海山の山小屋の宿泊料金はどのように変遷=値上がりしてきたのでしょう。斎藤政広さんんの「山と高原地図鳥海山・月山」では2013年版ですが宿泊料金の記載はありませんでした。インターネットの発達によって簡単に調べられるし、料金の変動に出版物の改定が追いついていかない、不正確な情報を届けてしまうことになるのでやむを得ない事とは思われます。WEB上では過去の山小屋料金の情報を調べるのは不可能のようです。手元にある資料で宿泊料金の書いてあるのは、「秋田の山歩き」(1987年、無明舎出版)、「東北の避難小屋144」(2002年、随想舎)、「山と高原地図...鳥海山の山小屋料金

  • 南ノコマイ

    25000地形図を見るとポツンと南ノコマイという文字が目立ちます。コマイって何だろうと思いますよね。月光川ダムができる前の「山と高原地図鳥海山」1976年版を見てみましょう。月光川ダム建設予定地と表記されています。ここで川が一本になっていますね。三つの俣に分かれているので三の俣といいます。此処にも南ノコマイが書かれています。次は1999年版の「山と高原地図鳥海山」です。月光川ダムは完成しています。南ノコマイも記載されています。これが執筆者が斎藤政広さんに代わってからの「山と高原地図鳥海山」2013年版では、南ノコマイは場所を変えて南ノコメとしてあります。かつての南ノコマイは西ノコメ、さらには中ノコメがその間に書いてあります。これは本来の三の俣に表記を戻そうとしたのでしょう。二の滝口狭霧橋の所には西ノコメと表記が...南ノコマイ

  • 萬助小舎 二五周年記念誌より

    自分は鳥海山登りを山岳部やどこかの山岳会に入って覚えたわけでないし、ただ登りたいと思って独学で登り始めたので守備範囲は大変狭いです。かつての仕事で知り合った鳥海山好きの連中と一緒に登るくらい、あとはいつも一人。その中に神社の小屋をよく知る人がいたのでお浜、山頂、河原宿の小屋に寄らせてもらった程度です。なので萬助小舎にはなじみはありません。この記念誌の皆さんの思い出話はスルーなのですが、その中に面白い話がいくつかありますので紹介させて戴きます。池田昭二さんは言わずと知れた「山と高原地図鳥海山」のかつての筆者。その「山と高原地図鳥海山」は毎年一万数千部だしているのに地元では売れなかったという話は面白いですね。松山町の書店では一年間で一部しか売れなかったとか。また鳥海山の登山道は廃道も含めると二十もあったという話。百...萬助小舎二五周年記念誌より

  • 波浪注意報

    今朝NHKのニュースをみていたら、「波浪注意報」を「ハルオチュウイホウ」と発音しています。そういえば昔から「ハルオチュウイホウ」といっていました。NHKには日本語のわかる人はいないのでしょうか。「波浪注意報」は「ハロウチュウイホウ」と読みます。もちろん表記上です。実際耳に聞こえる時は「ハローチュウイホー」です。決して「ハルオチュウイホウ」ではありません。「ハルオチュウイホウ」ならば「春雄注意報」の文字になります。この辺のアナウンサーの訛りがひどいだけなのでしょうか。波浪注意報

  • 鳥海山登山案内記 太田宣賢

    「鳥海山登山案内記太田宣賢」この本の現物を捜しているのですが未だ出会っていません。かろうじて国会図書館にはありました。コピー申請できるのですが、当初誤って表紙、目次等のみ依頼してしまいました。改めて全文コピー依頼するとこれは却下。著作権が消滅していないため1/2以上のコピーは出来ないのだそうです。まあいいか、と思い放置していたのですが思いなおし、先日再度1/2を超えないようにコピー依頼してみました。先ほどコピー完了、送付の知らせが来たので楽しみです。太田宣賢氏は蕨岡宿坊の方、かつて蕨岡というのは独特の社会だったようです。周辺とは話す言葉も異なっていたとも聞きますし、宿坊でない者との身分差もあったとも聞きます。神仏分離令による蕨岡社会の変遷については偉い先生方も触れていません。今も宿坊の名前は残っていますが宿坊と...鳥海山登山案内記太田宣賢

  • 山で珈琲を飲むために

    山に複数で行くときにコーヒーを淹れますがいつも困るのがコーヒーポット。金属製は重いし、ガラスでは割れてしまう。そこで見つけたのがこれ。曙産業コーヒーサーバーストロン400ブラックTW-3730本体重量:148g曙産業自宅でもしょっちゅうガラス製のポットは割ってしまうので家用は大きめのもの、出かける時はこれを使います。コーヒードリッパーのアウトドア用はワールドクリエイトViVドリッパーコーヒー折りたたみ2カップブラック59976サイズ:幅10.8×奥行11.5×高さ7cm(折りたたんだ状態:高さ2.7cm)ワールドクリエイト(WORLDCREATE,INC.)金属製の折り畳みドリッパーはコーヒーポット次第ですが安定が悪いです。これは安定がいいです。お湯を沸かすポットはこちら、カクセークッカーステンレスケトルPP-...山で珈琲を飲むために

  • 道迷いによる遭難

    鳥海山ではありませんがこんな事例が紹介されています。ナレーションは上手とは言えませんが大変参考になる動画です。思い込みと判断ミスによる道迷い遭難~南ア・荒川三山~油断は禁物!思い込みによる道迷い遭難事例~唐松尾山~道迷いによる遭難

  • 鳥海山と津軽三味線

    津軽三味線を聴くと今から42年前の山行が思い出されます。その当時はこちらに住んでいなかったので10月のある日、鳥海山荘に泊まり翌早朝湯ノ台から沢追分、横堂を経由して山頂、そして七五三掛の崩落寸前の道、御浜から大平と歩きます。誰にも会うことはありませんでした。ただ、新山山頂で七高山山頂にいた人と会話したことだけ覚えています。写真は西物見を過ぎたあたりでしょうか、獣臭が漂っていたことも覚えています。当時はカメラもオリンパスペンというハーフサイズのカメラ。36枚撮りのフィルムで72枚写せるというものです。夕方大平に下山し、飛び込みで大平山荘に泊まりました。予約もしていなかったのではじめは断られたのですが従業員の方が奥まで聞きに行ってくれてなんとか泊めていただきました。風呂は枯葉が浮かぶいいお湯だったことも昨日の様に覚...鳥海山と津軽三味線

  • 無花果甘露煮

    にかほの「いちじくいち」は安くて物もいいのですが新型コロナウイルスの影響で残念ながら今年は中止だそうです。秋田県側から眺める鳥海山も好きなので新山、七高山の双耳峰を右手に見ながらいちじくを買いに行く予定でしたが残念。近くのスーパーで買ってきたもので今年の一回目作りました。簡単ですよ。さっと洗ってヘタ取って、水分を拭き取り、いちじく1㎏に砂糖200g、それに酢を45㏄、水は一切使いません。あとは鍋で煮るだけ。沸騰してきたら落し蓋をしてコトコト煮詰めます。ぜひお試しあれ。無花果甘露煮

  • 酒・ウヰスキー・アル中

    殿山泰司のJAMJAM日記を読んでいたら思い出しました。新宿のんべい横丁、いやのんべい横丁は渋谷、新宿だからしょんべん横丁、すなわちハーモニカ横丁か。自分で行った記憶があるような、無いような。同級生がそこで飲んでいたところ、よれよれのおっさんが飛び込んできて、カウンターに50円玉をバチンと置き、「アリス・ホワイトの中!」。ハイヨッと目の前に出されるとグイッと一息にのみ、ごっそさん、といって出ていったと。同級生は口を開けてみていたそうです。日本橋三越でアルバイトをしていた時、なぜか酒の試飲コーナー。マイ水筒を持参して試飲の酒をなんでもいいからごちゃ混ぜに詰めて持ち帰る人もいるんですね。ある日来たオヤジは「シュインはここですか?」シュインなんかしていません、試飲です。そのオヤジ試飲の紙コップを手に取りますが手はブル...酒・ウヰスキー・アル中

  • 只今読書中

    ーア、秋だ!誰だか禿山の向ふを通ると見えて、から車の香が虚空に響きわたッた……二葉亭訳のツルゲーネフのあひびきの一節、わずかこれだけで秋を十分に感じさせてくれます。天気がいいので山に行こうと思ったのですが、やることがありすぎて……山も登り始めると中毒になるのですが、酒やたばこと同じ、あるいはギャンブル中毒とまで同様に。山毛欅の森にも行きたいのですが熊さんと友達にはなりたくないし、只今読書中の標識を立てておきましょう。今月も買いすぎてしまったようです。写真にあるのはその一部。山ほどあった本も喫煙時代のものはヤニで汚れ、また紙質の悪いものも劣化が激しく特別な本以外は軽トラの荷台一台分くらい資源ごみで処分してしまいましたが購入はやめられませんん。CDももう買わないようにしようと思ったのですがこれもまた少し増えつつあり...只今読書中

  • Are You Hungry?

    目新しいカップ麺が発売されると、つい買ってみたくなります。味は二の次、まだ食してはいません。他にもう二種類ありましたが、カップヌードルの味噌味はしょっぱすぎるし、豚骨と合体、豚骨もあまり好みではないので略。もう一つも略。それにしてもこういうものを考えるっていうのはNISSIN、楽しんでますね、それを発売する経営陣の柔軟さ。カップヌードルは1971年発売ですから、東京で初めて出会ったのが1972年。当時は100円でした袋ラーメンが売り出し出5食100円で買えることもあった時代。自動販売機でカップヌードルを買うと自販機から大橋巨泉の下品な声があたりに流れ嫌な思いをしたものです。うちのなくなった母親はカップヌードルの事を名前を覚えられずに"ヌードカップル"といっていました。ところで、焼きそばUFOに当初はパイナップル...AreYouHungry?

  • 凍死したK君

    積雪期の遭難は除外して書いています。積雪期に登る人はそれなりの経験も技術もあるだろうと思いますので書いていません。安全だと思われる無雪期にある山の怖さを知っておかなければいけないでしょう。秋田県側は鳥海山の遭難に関してかなり古い資料ですが秋田岳連二五周年記念誌に「鳥海山遭難者(秋田県側)」というものがあるそうです。斎藤重一さんの紹介する所によれば、一九一九年(大)八月五日、先達と先達に率いられた二名が天候の急変による遭難死したとあります。先達は外輪の岩場で転落死、二少年も七高山から新山へ向かう火口内壁で凍死したという事例です。遭難、凍死は盛夏でも起こりえます。しかも現在皆さんが外輪から新山へ向かう道です。山形県側は事故があったという程度しか例が見当たりません。あったとしても主催は公開されていないのでしょう。令和...凍死したK君

  • スペイン風邪、コロナ

    二度目のコロナワクチンも肩の痛みだけで終わりましたが、世の中はいろんな人がいるもので、今日の新聞でもSNSでコロナワクチン陰謀説やら拡散しまくっていたり、挙句の果てはデモ迄するとか。これがどこか遠くの話だと思っていたら、なんと知人はコロナ予防に効く聖水を買わないかと勧められたといいます。その値段8,000円。どれくらい入っているのか何日持つのかはわかりませんが、飲んでいる本人曰く、これを飲んでいるからコロナには罹らない、だからワクチン接種はしない、ということなのだそうです。流言飛語がネットワークの力を借りてより強力になっているのですね。こんな映像がありました。映像の世紀プレミアム第17集「人類の危機」ちょっと長いですがと休み休みでも見てみましょう。スペイン風邪、コロナ

  • 道迷い

    遭難で結構多いのが道に迷うこと。「道迷い」として分類されているようです。遭難しないためにも「山の遭難情報」というページがありますのでゆっくりと目を通すことをお勧めします。鳥海山では天気が良くても道迷いが出ます。よくあったのが、外輪尾根を下りながら伏拝岳から御浜へ行くつもりで河原宿方向へ向かったという例。幸い周囲の登山者に助けられたというのはよく聞きました。8月の快晴の日、山頂から千蛇谷を下るといい残したのを最後に消えた年配の方。なぜか山頂を最後にそのあと誰もあった人が出てきませんでした。千蛇を七五三掛へ登らずにそのまま中島台へ向かってしまったのではないか、という話も出ましたが本当のことはわかりません。道に迷うというのは、自分で迷ったと気がついたときにはかなり深入りしてしまった時の方が多いのではないでしょうか。一...道迷い

  • 昭和十年代のお嬢さんたち

    遭難の話が続いたので一休み。古い写真のカラー化は面白いです。おそらく皆さん十代初め。着物に袴に足袋に下駄。でも手に持っているものはバイオリンに洋傘。この地方での最先端のファッションだったのでしょうか。そういえば大学の卒業式で女子学生は今もこういう格好、今はもうしませんか?昭和十年代のお嬢さんたち

  • 鳥海山日記・遭難死

    山小屋の管理人さんが書いたものでこれほど面白いものはありません。今も鳥海山の管理人さんがWEB上に日記のようなものを公開していますけど鳥海山の場合は管理人とは言えません。だって常に側に雇用主の大物忌神社の神職の方が側にいるのですから。あの仕事は昔は炊き(かしき)と言いました。飯炊きという意味です。常に管理者が側にいれば書くことが出来ないこともあるでしょう。山小屋の管理人、従業員が書いて公開しているものはいっぱい出版されていますけれど人が読むことを前提に書かれているので時間を共有する凄みはありません。そこでこの鳥海山日記を読んでみましょう。今まで何度読み返したかしれません。鳥海山日記は矢島口祓川ヒュッテの管理人だった佐藤康さんの残したものです。康新道の開削の記録も載っています。この中でも一番記憶に残っているのが昭...鳥海山日記・遭難死

  • 湯ノ台鉱泉

    池昭さんの「忘れがたい山」を出してきて見ていたら、「親をだましての青沢越」でこの本は始まるのですがその最初の数行、「湯の台の杉本屋に遊びに行く」と言い残して、実は方向ちがいの青沢越へと向かったのば一九五五年(昭和三〇)、大晦日のことである。当時誰ひとり越えた事のない。"厳冬期出羽丘陵横断"なんて言えば、おふくろが心配するにちがいない、との配慮からであった。そのころ、冬になると訪れる人の絶える杉本屋(むかしの湯の台鉱泉)には、栗田さんというらう品の良いおばあちゃんが一人冬ごもりをしており、たまに訪ねて行くと人恋しさあってか、大いに歓待してくれたものである。最初に読んだときは杉本屋なんてのもあったのか、くらいで読み飛ばしていたのですが、ひょいとメモを思い出し読み返してみると、杉本屋というのは蕨岡の山本坊、鳥海さんの...湯ノ台鉱泉

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