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2019/08/16

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  • 野木和森林公園(青森県)

    青森市にある野木和公園は,子供の国,ピクニック広場,水辺散策園,林間散策園,ふるさとの森の5つのエリアで構成されている公園で,特に春の時期には桜の名所として市民が憩う公園である。 また,敷地内には灌漑用ため池を拡張した野木和湖も存在しており,かつてはヘラブナ釣りが有名であったほか,時期によっては水鳥も飛来する,自然の多い公園である。 ところが,同公園は自殺の名所であるという噂も多くあるようで,同公園内駐車場にある古びたトイレで首吊り自殺が発生したという噂などがまことしやかに伝えられているそうである。 そしてまた,同公園は心霊スポットであるとも噂されているそうである。同公園を訪れた者の中には,原…

  • 佐倉城(千葉県)

    佐倉城は千葉県佐倉市にある標高約30mの鹿島山に築城された平山城である。 同城は,天文年間(1532~1555年),同地を治めていた千葉親胤が大叔父に当たる鹿島幹胤に築城を命じたが,親胤が暗殺されたために中断,その後,邦胤が再開しようとするも,邦胤も暗殺されてしまいそのままとされた(なお,「鹿島山」の地名は,この鹿島幹胤にちなむそうである。)。 その後,長らく放置されていたが,慶長15年(1610年),徳川家康の命を受けた土井利勝が築城・完成させ,以後,佐倉藩の藩庁として江戸幕府崩壊まで使われていた(なお,文化10年(1813年)には失火により天守が焼失している。)。 明治になると,同6年(1…

  • 滝の城(埼玉県)

    埼玉県所沢市に存在していた滝の城は昭和47年(1972年)に滝の城址公園として整備され,園内にある野球場やテニスコートで汗を流す人々のほか,池で小魚やザリガニを子供達が捕まえて遊んだりするなど,市民の憩いの場として楽しまれている場所となっている。 また,同城の敷地からは,昭和51年(1976年),横穴も発見されており,人骨の一部や金環,ガラス玉,須恵器なども出土しており,城の遺構だけでなく,古墳時代の墳墓も残る,歴史の深い場所なのである。 さて,同城であるが,その築城は治承4年(1180年),源頼朝が挙兵した際に呼応した土豪により築かれたとされているが,確証のない話でその詳細は不明である。 戦…

  • 梵珠山(青森県)

    梵珠山は青森市と五所川原市に跨る標高約468mの山である。 その珍しい名称であるが,奈良時代,東北地方に仏教を布教した,法相宗の道昭上人が釈迦三尊の文殊菩薩の文殊にちなんで,その当時から,またはその後からか,造語で「梵珠」という名が付けられたのだという。 そのような経緯があるためか,古くから霊山とされているそうで,同山には釈迦,文殊,普賢の三尊が奉じられているのだという。 ところで,同山では,人魂ともオーブとも思われる,謎の発光体が多く見られる場所としても有名である。 特に,旧暦の7月9日から10日の未明にかけよく見えるそうなのだが,不思議なことに,見える人と見えない人に分かれるらしい。 かつ…

  • 岩槻城(埼玉県)

    岩槻城は埼玉県さいたま市に存在していた,別名岩附城,岩付城,浮城,白鶴城と呼ばれた平山城である。 従来,同城の築城者は扇谷上杉氏とその家臣太田氏の手により,長禄元年(1457年)に築城されていたとのことであるが,最近では文明10年(1478年)に成田氏の手により築城された旨記載された文献が発見されたとのことで,築城者に関しては両説存在しているようである。 戦国時代に突入すると,大永2年(1522年),太田資頼が同城を奪取して以後,同城は太田氏の居城として機能することになる。 特に,天文15年(1546年),川越の夜戦で北条氏が扇谷上杉氏や山内上杉氏を破り武蔵国の支配を決定的にすると,岩槻城はそ…

  • 上田原の戦い(長野県)

    天文17年(1548年),甲斐国の武田晴信は信濃国にて,北信濃の戦国大名・村上義清と上田原にて交戦する。 天文10年(1541年),父・信虎を駿河国へ追放し武田氏の当主となった晴信は,以降連戦連勝,信濃国へ侵攻するようになる。 対する村上氏の当主・義清は猛将として知られる武将で,同人の時代,村上氏の最盛期を迎えていた。 武田勢約8000,村上勢約5000とされる両軍勢の戦いであるが,当初,武田勢が優勢に戦いを進めていたが,先鋒の板垣勢が敵陣深く突出,勝ちに奢り,そのまま首実検を始めてしまう。 その隙を村上勢は見過ごさず反撃,不意を疲れた板垣勢は崩れ,そのまま勢いに乗じる村上勢は後続の武田勢を突…

  • 千畳敷海岸(青森県)

    西津軽郡深浦町にある千畳敷海岸は,寛政4年(1792年)に発生した地震で隆起したと伝えられる海岸段丘丘面で,それを物珍しく思った津軽藩の殿様が,ここで千畳敷を広げて宴会を開催したことからこの名が付いたとされている。 その後,藩政時代は殿様専用の避暑地として庶民は近付くことを許されなかったとされているが,現在は津軽国定指定公園とされ一般人に開放されている。 この付近の海岸は隆起海岸のため,泳ぐことは適しない場所である(現在は海水プールが設置されている。)。 それだけに事故により亡くなる方が多い場所であり,また,自ら命を絶つ者もいるのだとされている。 そして,そのためだろうか,この場所では,先ほど…

  • 小豆坂の戦い(愛知県)

    愛知県岡崎市にある小豆坂ではかつて2度,尾張国の織田氏と三河国の今川氏(及び松平氏)との間で合戦が繰り広げられた(なお,1度目の戦いが行われたかは後述の通り虚構とする説もある。)。 最初の戦いは天文11年(1542年)のことである。 この時代,尾張国南部に勢力を拡大していた織田信秀(織田信長の父)が,隣国・三河国の松平氏の弱体化していたことを見て,同国へ進出しつつあった。 松平氏は,当主が松平清康の時代,三河国をほぼ平定していたが,天文4年(1535年)に清康が不慮の事故で死亡してしまう。 清康の跡は,その嫡男・広忠が遠江国・駿河国の大名・今川氏の後援を受け家督を継ぐが,その勢力下の政情はなお…

  • 鉢形城(埼玉県)

    鉢形城は埼玉県大里郡寄居町に存在していた平山城で,2つの河川が刻んだ高さ約122mの断崖の上に立つという,天然の要害に守られた城である。 同城は文明8年(1476年),山内上杉氏の家臣・長尾春景が築城したとされている。景春が同城を築城したのは,自身が長尾氏の家督を継げなかったことによる不満が発端で,後,長尾景春の反乱を引き起こすことになる。 その後,同城を巡る攻防としては, 文明10年(1478年) 扇谷上杉氏家宰・太田道灌,同城を攻め落とし,山内上杉氏当主・上杉顕定が同城に入城する。 長享2年(1488年) 扇谷上杉氏と山内上杉氏の間で同城を巡る戦いが発生(この際,同城は落城せず。)。 永正…

  • 夜越山森林公園(青森県)

    夜越山森林公園は東津軽郡平内町にある町営の森林公園で,園内にはサボテン・洋ラン園,スキー場,オートキャンプ場,温泉などが整備されている場所であり,レジャーを楽しむことが出来るスポットと言える。 しかし,実は,同公園は心霊現象が多発しているスポットなのだと言われている。 噂によると,夜間,同公園付近の道路路肩に車を駐車していた者が,目を充血させ口から血を吹き出しながらも笑う謎の女性の幽霊を目撃した,また,同公園内のスキー場でスキーをしていた者が,何者かに肩を引っ張られ点灯した,等といった現象が発生するのだという。 なぜ,この地でそのような幽霊が,また,現象が発生するのか。残念ながらその理由は不明…

  • 笛吹峠の戦い(埼玉県)

    正平7年/文和元年(1352年),南朝方の宗良親王(後醍醐天皇の皇子)が信濃国,新田義興・義宗らが上野国で,北朝方の足利尊氏方を倒すためそれぞれ挙兵した。。 これは,前年から繰り広げられていた,尊氏と弟・直義の間の観音の擾乱の間隙を付いたもので,新田軍は笛吹峠に陣を敷き宗良親王と合流,武蔵国各所で足利軍と戦うが敗北してしまう(武蔵野合戦)。 一連の戦いにおける最後の決着がついた場所が同峠で,敗れた義宗らは越後国へ,宗良親王は信濃国へ逃亡,尊氏はこれを機に関東を制圧する。 同峠ではかなり激しい戦闘が繰り広げられたらしく,同峠の道路工事をした際,大量の人骨が出土したと伝えられている。 そして,現在…

  • 前橋城(群馬県)

    前橋城は群馬県前橋市に存在していた「関東七名城」の一つに数えられていた平城で,古くは厩橋城の名で呼ばれていた(前橋が旧名厩橋と呼ばれていたためである。)。 同城の築城年は不明であるが,15世紀末頃,長野氏の箕輪城の支城として築城された石倉城がその始まりとされているのだという(伝承では,天文3年(1534年),氾濫した利根川が石倉城の本丸や二の丸を崩壊させたために,厩橋城を築城したのだという。)。 sizyuukara-1979.hateblo.jp 厩橋城はその支配者が幾度も変遷している城である。 まず,戦国時代について時系列として記載すると, 天文20年(1551年) 上野国に侵攻してきた北…

  • 月光の滝(青森県)

    青森市にある月光の滝は大正年間(大正8年(1919年)),濱田松實という人物が,大山祇神の夢枕にて月光に照らされる滝を見つけて名付けられたと言われる滝だそうで,東岳の伏流水を水源とし,上流部分には数箇所,水が湧き出ているのだという。 現在,滝には大山祇神が祀られており,神域ということで,同滝を訪れる際には,葱類や肉類(四足)を食した者は入山できないとの注意書が設置されているという。 本来同滝は修験道の修行の場であるのだが,心霊スポットと認識もされているようで,同滝に肝試しに訪れる者が多いのだという。 そして,そのような者の中には,上記の注意書きを守らずに同滝に訪れる者がいるが,そのような者が滝…

  • 小手指原の戦い(埼玉県)

    元弘3年(1333年),新田荘に拠点を持つ新田義貞は鎌倉幕府打倒のために挙兵する。 新田軍は鎌倉街道を進行,入間川にて,幕府軍と対峙,そしてついに,同川を渡った先にある小手指原にて両軍は激突することにある。 本来,幕府軍は新田軍が同川を渡り切る前に攻撃をする予定であったが,新田軍のあまりの進行速度に付いていけず,両軍は遭遇戦の形で小手指原にて激突,その数,30余回となったのだという。 兵力においては幕府軍が優勢であったが,日頃,幕府に対して不満を抱く武蔵国の御家人の援護を受けた新田軍が次第に優勢となり,日没頃になると幕府軍約500,新田軍約300の戦死者を出し,幕府軍は久米川へ,新田軍は入間川…

  • 合浦公園(青森県)

    青森市東部にある合浦公園は,明治12年(1880年)頃,旧弘前藩の庭師の造成したのがその始まりで,明治26年(1894年)に公園として完成した,青森湾に面した都市公園である。 園内には現在は600本の桜の木があるほか,南には八甲田連峰,北には下北半島を望むことができる,景観の美しい市民の憩いの場として親しまれている。 しかしながら,その美しい景観にも関わらず,同公園では自殺者が後を絶たないと言われており,一説には「首吊り公園」などとも呼ばれているのだという。 そのためなのだろうか,心霊スポットとしても認識されているようで,目の前で姿をかき消す美しい女性の幽霊,また,生気のない青い表情を浮かべ,…

  • 松井田城(群馬県)

    松井田城は群馬県安中市に存在していた山城で,別名諏訪城,小屋城,霞ヶ城,堅田城などと呼ばれている。 同城は松井田宿北方に位置し,城の北には碓氷道,東山道が,南川には中山道が通る交通の要衝を,また,碓氷峠に対しての備えという意味のある,重要な拠点であった。 築城年に関しては永禄年間(1558~1570年)初年と言われているが,それ以前から存在していた松井田西城または諏訪城を松井田城の前身とする向きもあり,明確な築城年は不明である。 永禄7年(1564年),松井田城は武田氏の攻撃を受けて開城して以降,武田氏の支配下に置かれていた。 しかし,天正10年(1582年)に武田氏が滅亡すると,北条氏に内通…

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