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2019/08/16

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  • 凰坂峠(岩瀬郡天栄村)

    1 概要 岩瀬郡天栄村を通る国道294号線から,会津方面へと抜ける国道118号線へ入り,羽鳥湖方面へ向かう途中にある峠が,この凰坂峠である。同峠は若干道が細く急勾配の坂道であるが,それでも比較的車の往来は多い場所である。 同峠は昔から,交通事故の多い難所,とのことである。そして,それが原因かは不明なのだが,同峠を走行中,車の前を横切る黒い人影を目撃した,という怪奇現象が発生するという。2 解説 私は同峠をよく利用するが,上記の通り道幅が狭く急勾配,さらには急カーブもあるため,運転をする際には気が抜けない場所と認識している。なるほど,このような場所ならば,確かに交通事故が置きやすそうである(なお…

  • 酢川野幽霊(耶麻郡猪苗代町)

    1 概要 猪苗代の亀ヶ城の何代目かの城代某が,ある日領内巡視に出かけ酢川野村に差し掛かったところ,畑の中に苔むした古びた燈篭があるのを見つけた。 城代は自邸の庭用にこの燈篭が欲しくなり,傍らで畑仕事をしていた老人に燈篭の所有者を尋ねると,老人は「ここには昔寺院があり,この燈篭がいつ誰が建てたのか,今は定かではない。邪魔なので片付けたいと思うのだが,この燈篭を運んだり壊したりすると怨霊の祟りがあるとの言い伝えがあり,そのままにしている。」と答えた。 城代はこれを聞き,怨霊の祟りなどは村人の世迷い事であるとして早速下人に持ち帰らせ,庭の築山の植え込みに立ち置いた。 その夜も更けた頃,御城の御門を叩…

  • 金化猫(会津若松市)

    1 概説 鶴ヶ城郭内の馬場口東側に,加藤明成の士で平田庄五郎という500石取りの武士が住んでいた。庄五郎の老母は大変な猫好きで,孫子よりも猫を可愛がっていた。ある日,老母が諏訪神社を参詣しての帰り,閻魔堂の松原で一匹の赤猫を拾った。その後数年,赤猫は飼われていたが,ある時急に姿を隠してしまった。 老婆は赤猫がいなくなった頃から急に眼を患い,明るいところには出たがらなくなった。親孝行な庄五郎は心配し医者に診てもらうよう勧めたが,老母は頑なに断り,ただ一人暗い部屋に閉じこもり,食事も皆と済ませなくなった。やがて,今度は二人いた下女までが姿を消し,その行方を捜したがようとして消息がつかめなかった。 …

  • 沼沢之怪(大沼郡金山町)

    1 概要 会津の金山谷に,沼沢の沼という大沼がある。この沼の底の深さは測ってはならない,そして,この沼には沼御前という主がいると伝わる。 正徳3年(1713年)5月,金山谷の三右衛門という漁師が,この沼へ暁がけで鴨撃ちに行くと,向こう岸に20歳ばかりの鉄漿をした女性が腰より下を水につけていた。よくよく見ると,その髪の長さは二丈(約6メートル)もあった。 これは不思議な者と思い,三つ玉を鉄砲に込めて狙い済まして撃つと,玉は女の胸板を撃ちぬくと同時に,女は沼に倒れ沈んでいったが,たちまち水底が大雷電の如く鳴りはためいて,波荒く岸を洗った。 また,雲は暗くなり,さしもの大沼の水も虚空に湧き上がり,水…

  • 山姥のかもじ(耶麻郡猪苗代町)

    1 概要 猪苗代の白木城に庄右衛門という杣人が磐梯の山に入った時,巌の上の大松の前に,荷にやら白く長い物が見えたので松の木に上り降ろしてみると,長さ七,八尺(約210~240センチメートル)もあるかもじであった。このかもじは白いこと雪のようで,毛の太さも馬の尾のようであり,人間の髪の及ぶところではない。家に持ち帰り多くの人に見せたが,これが果たしてなんだか分からない,山姥のかもじであろうと伝えた。 世に言う山姥は南蛮国の獣で,その形は老婆のようである。腰に皮がありそれが前後に垂れ下がり,まるでふんどしのようである。人を捕らえては自分の住処に連れて行き,強いて夫婦の語らいを求めるが,自分の心に従…

  • 如丹亡霊(会津若松市)

    1 概要 材木町秀長寺の卓門和尚が,正徳3年(1713年)の秋の末,大仙寺が無住(住職不在)の折,僧侶2,3人と同寺を訪ねて一晩泊まっていたところ,暮れより雨が降りだし,僧侶のいない古寺の寂しさに,皆囲炉裏へ立ち寄り柴を折りくべて,茶を煮出して如丹の噂物語をしていたところ,仏壇の方より22,3歳と思われる美しい僧侶が塗り笠を被り,手に塗り鉢をささげ,杖をつき,しばらく座中を歩き回り,現れては消え,消えては現れ,夜中じゅう迷い歩くのを見たという話である。2 解説 秀長寺は現在も会津若松市材木町に存在する寺で,戊辰戦争時,会津藩家老佐川官兵衛が同寺と隣の住吉神社に伏兵を配置,新政府軍に奇襲を仕掛け…

  • 天狗(会津若松市)

    1 概要 加藤嘉明の士に,小島伝八という者がおり,その一子惣九郎が11歳の春の暮れにどこに行ったのか姿が見えなくなった。伝八は様々な所を訪ねてみたが,その行方は知れなかった。伝八夫婦は嘆き悲しみ,神仏に祈り,巫女や山伏を呼んで様々な祈祷を施した。 ある日,甲賀町に住む古手屋甚七という者が伝八の家を訪れた。そして,甚七が言うには,二十日ばかり前に,暁頃(太陽の昇る前のほの暗い時間),私らは用事があり早く起きて店の戸を開いたところ,大山伏二人が後先に立ちその間に惣九郎様をはさんで東の方向へ道を急いでいたが,一人の山伏が私の所に来て,この辺りに10歳ばかりの子供が履く草鞋の売り物がないか尋ねてきた。…

  • 允殿館大入道(会津若松市)

    1 概要 飯寺村に,庄九郎というものがいた。この者は小力の持ち主で,相撲を取ったり,米俵5,6俵背負い歩いたりするほどであった。 庄九郎には,南町という場所に親類がおり,どうしても行かなくてはならない用事ができ,雨のそぼ降る黄昏時に宿を出て,中野の十文字原を通り,允殿館にある二つ五輪の前から成願寺に出ようと,弘眞院北の細道を通ると,荒神堂の大杉の下に白いものを見つけた。 怪しく思った庄九郎は立ち止まりよく見てみると,その白いものが間近に来た。それは,顔の長さが三尺(約90センチメートル)もある女性で,竹杖をついて髪を振り乱しており,眼は皿のようで,帷子を被り待て待て,と言ってきた。 庄九郎は強…

  • 飯寺村の青五輪(会津若松市)

    1 概要 南山街道にある飯寺村の傍らの右の方にある田んぼの中に大壇があり,その上にさらに大榎が生えている。これを慈現院壇といい,かつて慈現院という山伏が生きながら入定した所とのことで,そのためこの名が付いたと言う者もいる。今でも深夜に訪れると,塚の中にほら貝を吹く音が聞こえるという。 この塚の東向かいに五輪があり,これを青五輪という。この五輪が夜な夜な化けて,慈現院より青五輪までの間に一面鉄の網を張り,往来の人を妨げていた。 ある夜更け過ぎ,南山の男がこの場所を通ったところ,六尺あまりの大山伏と,同じ高さの黒入道が口より火を噴き出し,鉄の網を張り,その網の中に稚児法師や女童の首がいくつもかかっ…

  • 薬師堂の人魂(会津若松市)

    1 概要 天正年間(1573~1593年)のはじめ,会津の城主は蘆名三浦介盛隆という人物であった。 この時代,有罪の者を処刑する場は湯川の東岸であった(現在の花畑という場所である。)。 その頃,只野,片平という両名の者が盛隆に背いたので,両人とその母,妻を湯川河原において串刺しにされた。 只野が妻に対し詠んだ句 浅ましや 身をはただ野に 捨てられて 寝乱れ髪の 串のつらさや 片平の母が詠んだ句 かたひらの うすき情の 替わりつつ ひとへにつらき 夏衣哉 また,寛永年間(1624~1645年),城主が加藤明成の時代,現在の薬師河原において,罪人を処刑していた。 寛永15年(1638年)に島原の乱…

  • 猫魔怪(会津若松市)

    1 概要 会津の加藤明成に使える武士に,武藤小兵衛という200石取りの者が一の町(「一ノ丁」か)に住んでおり,同人は,東沢田村という所から美女を召抱え寵愛していた。 その頃,小兵衛は,伊東三四郎という同じく200石取りで三の町(「三ノ丁」か)に住む者の娘と婚約をしており,小兵衛の母の勧めにより,美女に暇を出し家に帰したが,その美女は東沢田村から鶴沼川や大川を越えて毎晩訪れ,小兵衛と枕を並べ以前のとおり契りを結んでいた。 ある冬の夜,小兵衛は外出後夜更けに屋敷に戻り,いつもどおり美女を待つが,外では大雪が降ってきた。やがて,小兵衛は寝てしまったが,この折,美女は雪をも厭わず現れて障子を開け,小兵…

  • おぼ抱き(河沼郡柳津町)

    1 概要 元禄年間(1688年~1704年),袖山(大沼郡会津美里町)に馬場久左衛門常智なる人物がいた。常智は信仰心が厚く,ある年,柳津の福満虚空蔵へ丑の刻詣りを始めた。 袖山から柳津へは,高田の里を通り,入田沢,大野新田を通り,大平山,そして早坂峠を抜ける必要がある。この困難な道を苦とせず常智は黙々と参詣を続けた。 そして満願の夜のこと。常智はいつもどおり柳津へ向かうと,途中,早坂峠で,前方が急に明るくなったかと思うと,一つの人影が現れた。それは,おぼ(赤子)を抱いて髪をざんばらに垂らした,まだうら若い女であった。 常智は足を止めたが,女の方はすでに常智の姿を認めているらしく,白い顔をほころ…

  • 朱の盤(会津若松市)

    1 概要 慶長3年(1598年),会津の領主が上杉景勝の時代のことである。 神指村に神指城を築くため,領内から役夫が集められていたが,その役夫達の間で,諏訪神社の境内に夜な夜な「朱の盤」という化け物が現れると噂が立った。 そこで,山田角之進という100石取りの武士が,化け物退治をしようとある日の深夜,諏訪神社の森を訪れた。辺りは漆黒の闇で,なんとも薄気味悪く感じていると,ふと,自分の後から何者かも歩いてくる気配を感じたので身構えると,そこにいたのは自分と同じような若侍であった。 角之進はほっとして,若侍に,自分と同じように化け物退治をしに来たのか尋ねるが,若侍は角之進の前に来て足を止めただけで…

  • 天邪鬼(喜多方市)

    1 概要 昔,高寺山に天邪鬼が棲んでおり,この付近一帯を我が物顔で飛び回り横暴に振舞っていた。 ある年のこと,同山西麓にある大原(喜多方市高郷)の村人が天邪鬼の横暴を抑えようと,峰裾に熊野神社を鎮守様として勧請することにしたところ,天邪鬼は大いにへそを曲げ,一夜のうちに新造したばかりの神殿の四方の囲いを破壊した。村人が修理をするとまた天邪鬼が壊してしまった。 こんなことを繰り返していたため,仕方がないのでそのままにしておくと,今度は天邪鬼はご神体の石を持ち出し外に捨ててしまう。村人達が頭を悩ませていたところに,巡錫中の弘法大師が訪れたので,村人は事情を話すと,弘法大師は石灯籠に蛙と蝉の姿を彫り…

  • 山姥(南会津郡桧枝岐村)

    1 概要 昔,毎年秋になると,桧枝岐村に鰹節を売りにくる,鰹彦四郎という商人がいた。 その年も,いつものように馬を引き訪れると,途中,険しい山道の松林の中から山姥が現れ,彦四郎に鰹節を一節くれろと言った。彦四郎は仕方なく一節くれたが,山姥はそれを一口で食べ,さらに一節くれろと言った。彦四郎が再度鰹節を一節くれると,また一口で食べ,さらに一節くれろと言う。 こうしたやりとりを繰り返しているうちに,売り物の鰹節を全て食べられてはかなわないと,馬の手綱を引いて道を急ぐ彦四郎の後を山姥はしつこく後を追いかけてきた。さすがに腹をたてた彦四郎は,「あとはくれられない」と怒鳴ると,山姥は「そういうなら,お前…

  • 足長手長(耶麻郡猪苗代町)

    1 概要 昔,会津盆地は芦谷地で一面に芦が茂り,田畑が少なかった。その頃,磐梯山は「病悩山」と呼ばれており,同山には,「足長」,「手長」という妖怪が住んでいた。 夫の足長は大変に足が長く,会津盆地をひとまたぎにすることができた。また,妻の手長は病悩山に腰を下ろして猪苗代湖の水で顔を洗うことができた。そして,足長が病悩山と明神ヶ岳や博士山の頂上にまたいで立ち,両手を伸ばして雲をかき集め会津盆地を真っ暗にし,手長が猪苗代湖の水をすくい会津盆地にばらまいて雨を降らせることができた。 この二人が暴れると,その叫び声は雷となり天地に響いた。そして,この二人はいつも暴れていたため,当時の会津盆地は陽の差す…

  • 大入道(いわき市)

    1 概要 明治43年(1910年)旧暦2月,いわゆる台湾坊主と称された大時化の際,茨城沖では,茨城県各浜の漁師達数百人が死亡したという。 いわき市江名の浜の人達もこの時に何十人かが死亡しており,その頃,同浜では大入道が現れるという噂があったという, 船で死亡した人達がいると,浜には大入道が現れるといわれている。2 解説 大入道は内陸部に現れるイメージがあるが,海辺にも現れるとされている。 なお,若干時期は違うが,明治43年8月に,東日本の1府15県(なお,東京都は当時「東京府」と呼ばれていた。)を大水害が発生した。関東だけで死者769人,行方不明者78人,家屋全壊・流出5000戸を超えたという…

  • モウレイ船(いわき市)

    1 概要 小雨の時化の夜には,モウレイ(モウレイ船)が出るから気をつけろ,と漁師達は言うという。特に,前に船が沈没したことがある場所はモウレイ船の出る場所である。 モウレイ船は,普通の船は追い風で海上を走るのに対して向かい風に乗り海上を走るという。向かい風の帆のさばきは,よほどの巧みな者でないと船を転覆させられるとのことで,向かい風の中を走る船に気がついたら,モウレイ船だから注意する必要がある。そして,モウレイ船に追われると,とても逃げ切れないという。 また,モウレイ船からは人の声が聞こえるが,人の影は見えないとされる。そして,柄(柄杓)を貸せ,と呼びかけられる。その際,底を抜いた柄杓を貸さな…

  • 大倉川橋(耶麻郡猪苗代町)

    1 概要 福島市から国道115号線を耶麻郡猪苗代町方面に向かう途中,第二磐梯吾妻道路(通称「レークライン」)がある。この道路からは,裏磐梯の小野川湖や秋元湖方面へ抜けることが可能であるが,途中にあるT字路を左折すると,再度国道115号線へ抜ける道がある。この途中に流れる川が大倉川で,同川に架かる橋が大倉川橋である。 同川は渓流釣りで人気のスポットで,この橋付近から入渓し,大物を狙う釣り人もいるようである。 しかし,同橋では,走行中の車の調子が突然不調になり,アクセルを吹かしても速度がでない,また,晴天の日にも関わらず,車には水滴が付いていた,という怪奇現象が発生するという。 そして,この橋では…

  • 松川の塔(福島市)

    1 概要 松川の塔は,JR東北本線金谷川駅~松川駅間のある塔で,西方約200メートルの場所に松川事件の現場がある。 松川事件は戦後まもない昭和24年(1949年)8月17日に発生した列車転覆事件で,3名の死者が発生した。容疑者として20名程の人物が逮捕・裁判にかけられたが,昭和38年(1963年),最高裁判所により全員無罪判決が出された,現在も未解決の事件である(同じ戦後の混乱期に発生した三鷹事件,下山事件とともに,「国鉄三大ミステリー事件」とも称される。)。 この松川の塔は昭和39年(1964年)に設置されたもので,この近くには亡くなられてた3名の慰霊碑も建てられている。 悲劇的な事故が発生…

  • 福島トンネル(福島市)

    1 概要 ここでいう「福島トンネル」とは,東北新幹線用として整備されているトンネルをさしている。 福島駅の上り方面,駅を出てすぐにある長いトンネルが,こお福島トンネルである。平成14年(2002年)にまでの間,開業から20年に渡り線内最長のトンネルである。 さすがにトンネルの中に入ることはできない(当然のことながら,新幹線の線路内に侵入することは刑事罰の対象となる。)が,このトンネル周囲,例えば橋脚下などで,誰もいないにも関わらず不気味な囁き声が聞こえたという怪奇現象が発生するという。 また,現在,同トンネル上には住宅地が整備されているとのことだが,とある幼稚園では,地面の下から何者かのうめき…

  • 国道6号線(相馬市)

    1 概要 相馬市を走る国道6号線,成田地区付近は,事故の多い場所といわれている。話によると,車の前を横切る人影のようなものが見え,ブレーキを踏むとスリップをした,ハンドルを取られたりして事故を起こしてしまう,と訴えた運転手が多くいたという。 そのため,同地では幽霊が出る,事故で死んだ人の幽霊が原因だ,などと囁かれ,魔の国道だといわれているという。2 解説 まずはじめに断るが,この話を見つけた資料は昭和56年初版の本で,恐らく上記の話がなされていたのはさらに昔の話のことと思われる。そのため,現在の国道6号線(バイパス)ではなく,恐らく旧国道6号線のことを指す話ではないかと思われる。 何分古い話で…

  • 天狗(耶麻郡猪苗代町)

    1 概要 昔,ある山に二匹の天狗がおり,互いに勢力を争っていた。しかし,いつまで経っても雌雄が付かず,ある日,相談した結果,角力(すもう)で勝負を漬けることになり,勝った方が磐梯山から飯豊山までの縄張りを一手にするという約束で,勝負はこぶしの花が咲く春の苗代どき,刻限は朧月夜の夜更けということになった。 そして勝負の日,両天狗は組みほぐれつ,互いに自分の力と技を競ったが,その争いがすさまじく,地響きと鼻息はしばらくは遠くの人里までも揺るがしていたが,やがて一方の天狗の力が勝り,勝負は決した。 負けた天狗はたちどころに鼻を折られて烏天狗にされ山を下った。折られた鼻は勝者の天狗に捨てられ,雄国沼ま…

  • 猫魔ヶ嶽の化け猫③(耶麻郡北塩原村)

    1 概要 落合村(現在の耶麻郡磐梯町)のきこり二人が農閑期を利用し,猫魔ヶ嶽に幾月もの泊りがけで薪を伐りに訪れた。山に入ると,早速小屋を作り,木を伐り倒していたが,何日かした後,きこりの一人が斧の柄を折ったため,一度山を下りることになった。 残ったきこりは,夜中,焚き火をしながら山刀を研いでいたところ,小屋の外に何者かが内部を伺う気配を感じた。すると,年のころ二十歳ばかりの美しい顔立ちの女性が小屋の中に入り,「自分は麓の村の某というものだが,ささいなことから夫婦喧嘩をし,親元に帰ろうと逃げてきたが,道に迷ってしまった。一晩でいいから泊めてくれないか。」と言う。きこりは怪しいぞ,と思いながら,そ…

  • 猫魔ヶ嶽の化け猫②(耶麻郡北塩原村)

    1 概要 昔,志津の六三という鉄砲撃ちの名人がいた。 その頃,猫魔ヶ嶽には化け猫が現れ,人畜に危害を加えていた。やがてその事が領主の耳に入り,鉄砲撃ちの名人として名高い六三に化け猫退治が命じられた。 六三は早速山に入る準備をしていると,このことが化け猫に知られてしまい,六三の妻がさらわれてしまった。怒りに燃える六三は,どんなことをしても化け猫を仕留めようとまず山中に小屋がけをし,焚き火をしながら弾丸を作り始めた。 すると,日が暮れた頃,どこからか一匹の子猫が迷い込み,弾丸を作る六三の手元にまとわりつきながら甘い声を出すので,六三は子猫を抱いて火に当てると,子猫はひざの上にあがり気持ちよさそうに…

  • 大入道(耶麻郡猪苗代町)

    1 概要 寛永18年(1639年),柴崎又左衛門という人物が清水端を通りかかると,二メートル半もある,真っ黒な一つ目の大入道が水を呑んでいた。 又佐衛門は剛勇の士であり,刀を抜き斬り付けたところ,大入道は体にも似合わぬ叫び声をあげ,たちまちのうちに逃げ失せた。 その後,久しくしてから,八ケ森に大きな古狸の死骸が腐敗しているのを木地小屋の者が見つけたが,この古狸が一つ目の大入道か定かではない。 しかし,その後,この付近では何の怪しいことも起こらなくなったという。2 解説 この話は,猪苗代城に住んでいたといわれる「亀姫」の話の続きであるが,別の妖怪についてのことでもあり,あえて別稿として記載した。…

  • 亀姫(耶麻郡猪苗代町)

    1 概説 寛永17年(1638年),会津藩主が加藤明成の時代,猪苗代城代は,禄高一万石の堀部主膳という人物であった。 ある年の年末のこと,主膳が一人座敷にいたところ,どこからか「かむろ(童女)」が現れ,「あなたは久しくこの城にありながら,ここの城主にお目見えがない。ご城主はまたとなくお腹立ちになっているが,今日は特別のお計らいにより,お目見えをお受け下さろうとの思し召し。急ぎ身を清め,裃を着用して直ちにまかるように。」と言う。 これを聞いた主膳はかむろを睨み,「本城主は恐れ多くも加藤明成公,そして城代はこの主膳である。他に城主などあろうはずはない。うぬは何奴,とっとと消えるべし。」と一喝した。…

  • 日中の化け猫(喜多方市)

    1 概要 熱塩温泉から北に4キロメートル程奥に入ると,日中という湯治場がある。ぬるいが皮膚病に効くとし,近郷近在に知られた湯治場あった。 昔,この日中の村人の生業は木材を伐り出すことで,山下に留木というものを打ち,山上から伐り落とされる木材をこの木で抑え,一定量に溜まると留木を抜いて木材を川に落とし,川下に運び出していた。 いつの頃からか,ある村に太郎という若者がいた。太郎もまた,木を伐り出していたが,ある時に留木を外した際,つる草に足を取られ落ちてくる木材に巻き込まれ死亡してしまった。 太郎は早くに母を無くし,父と二人暮らしであった。父は太郎の死を嘆き,丁重に葬ったが,葬式も終わると親戚や手…

  • 猫魔ヶ嶽の化け猫①(耶麻郡北塩原村)

    1 概要 現在桧原湖の北端である桧原という寒村に,昔,会津から派遣されていた穴沢善右衛門という侍がいた。 善右衛門は夏になると,妻と磐梯の湯に湯治に出かけており,この年も,妻と磐梯の湯に湯治に来ていた。 ある日のこと,善右衛門は下男と山裾の小さな沼で釣りに来ていた。この沼は大して魚が釣れない沼だが,この日は面白いように釣れたため,夢中で釣りをしているとやがて陽は西に傾いたため,今から湯治場に戻るのは難しいと判断した善右衛門は,近くにある釣り小屋に泊まることにした。 善右衛門と下男は,釣り小屋で釣り上げた魚を串に刺して焚き火であぶり夕食にしていたところ,小屋の入り口を覗く者がいた。それはよく見る…

  • カシャ猫(大沼郡昭和村)

    1 概要 時代は定かではないが,昭和村の大岐という所に老夫婦が住んでいた。子供のない夫婦はいつの頃からか猫を飼い,その猫もいつしか何歳か分からぬほどになっていたが,時折山に行き,山鳥や兔を咥えてくるため,二人は大層喜び可愛がっていた。 ある年のお盆,小野川本村に芝居がかかるとのことで,老爺は泊りがけで出かけたが,老婆は体が弱いこともあり家で留守番することにした。しかし,これといって何もすることもなく,早々と床に入るがなかなか寝付けず,仕方なしに猫相手に「爺さんは今頃どんな芝居を見ているか,自分も見たいなぁ。」と話をしていたところ,猫は隣の部屋に入り、「婆さん,芝居がそんなに見たければ、これから…

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