こんにちは(^^♪くまくまです。伊藤久右衛門でスイーツプレートを堪能し平等院に向かう人の波に逆らうようにやって来たのは景色を見たかったからここ宇治橋から上流の眺望は上手く撮れてない(・・?だけど実際は絶景!!でスマホで写真撮ってる人があちこちにこの辺りに橋が初めて架けられたのは大化二年(六四六)と伝わっているし(宇治橋脇の説明板より)紫式部や藤原道長もこの辺りにあった橋の上からこの景色を眺めたのかな…なん...
ちょっぴり日本史に興味があるくまくま。そんなくまくまがおひとりさまで各地の史跡を訪れ、その場所の歴史に想いを馳せて、自由気ままに感じたことを綴っているブログです。
高遠城跡で写真にトライ!!~仁科盛信 徹底抗戦の地 本丸跡へ~その5
こんにちは(^^♪くまくまです。桜雲橋を渡り問屋門をくぐり本丸跡へ進むくまくますると問屋門の説明板を発見説明板によると別の場所から移築されたものだった…ちょっぴり残念ここからは(・・?戦国時代の面影を探して写真にトライ!!こちらは問屋門から続く石垣同じくこちらも野面積みの石垣続いてこちらは本丸を囲む土塁(・・?の跡こちらもきっと土塁の跡今では桜の名所として知られている高遠城跡本丸跡でちょっぴり往時に想いを馳...
高遠城跡で写真にトライ!!~仁科盛信 徹底抗戦の地 本丸を囲む空堀へ降りてみた~その4
こんにちは(^^♪くまくまです。本丸跡目指しこの階段を駆け上がるくまくま歩きながら下を覗くと…こんな感じさらに進むと桜雲橋へと辿り着いたのだったこの橋は本丸へと架かる橋実は(・・?戦国の世には山本勘助の発案で籠城の際にはここに架かっていた橋を落とす事ができる仕組みがあったとか…気付けば橋の脇には堀の底(・・?へ降りる階段があり堀の底から桜雲橋を見上げてパチリしてみたそれから少し歩いてこの一枚さらに探索をして...
高遠城跡で写真にトライ!!~仁科盛信 徹底抗戦の地 勘助曲輪へ~その3
こんにちは(^^♪くまくまです。大手門跡から次に向かったのは(・・?勘助曲輪武田信玄が高遠城を改修した際城の縄張りを設計したと伝わる山本勘助その山本勘助に由来している勘助曲輪に辿り着いてみると…目の前にあったのはこの景色説明板を発見こちらは勘助曲輪の説明板なんと戦後勘助曲輪は(・・?曲輪周辺の堀は埋め立てられ旧高遠高校のグラウンドとして使われそうして現在では駐車場となっているとのこと…ちょっと残念な気持ち気...
こんにちは(^^♪くまくまです。新年あけましておめでとうございます皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします本年もよろしくお願い申し上げます新しい年が皆様にとって素晴らしい1年になりますように…令和6年 元旦ランキングに参加しています。ポチっと応援よろしくお願いします。...
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こんにちは(^^♪くまくまです。伊藤久右衛門でスイーツプレートを堪能し平等院に向かう人の波に逆らうようにやって来たのは景色を見たかったからここ宇治橋から上流の眺望は上手く撮れてない(・・?だけど実際は絶景!!でスマホで写真撮ってる人があちこちにこの辺りに橋が初めて架けられたのは大化二年(六四六)と伝わっているし(宇治橋脇の説明板より)紫式部や藤原道長もこの辺りにあった橋の上からこの景色を眺めたのかな…なん...
こんにちは(^^♪くまくまです。冬の優しいひだまりの中訪れた京都府宇治市JR宇治駅に降り立ち真っ先に訪れたのは…こちらの伊藤久右衛門JR宇治駅前店創業が天保3年老舗のお茶屋である伊藤久右衛門立派なお店構えでおひとり様では気が引けるけれど勇気を出して(・・?白いのれんをくぐり店の中へそして茶房を目指し奥へと進むくまくま10時30分くらいだったこともありまだお客もまばらだった茶房ひとりで全部食べられるかちょっぴり心配...
こんにちは(^^♪くまくまです。上城戸跡から駐車場に戻り道なりに車で進むと辿り着いたのはこの場所傍らに説明板がありこの山道は城下町から続く嘗ての大手道だった何だかとても険しそうに見えるこの山道は実はその昔京の都へと続く道で後に足利15代将軍となった足利義昭もこの山道を明智光秀とやって来たのかも…なんて想いを馳せるくまくまということでこちらは上城戸跡の外側にある足利義昭が滞在していた御所跡の説明板こちらは...
明けましておめでとうございます私が今夢中になって読んでいる『日日是好日』 森下典子著茶道について綴られているこの本の中にある…「(中略)今日と同じようには二度とならないのよ。だから、一生に一度限りだと思って、その気持ちでやるんですよ」もちろん茶道についての心構えが書かれているのはわかっているけれど…一期一会に繋がるこのフレーズが何故かグッと心に響いたのは明日がまた今日と同じように訪れるときっとどこか...
こんにちは(^^♪くまくまです。下城戸跡からの探索で歩き疲れて一乗谷史跡公園センターに戻って来たくまくまお腹もペコペコなので我慢できず(・・?隣接している一乗谷レストラントでカツカレーセットを黙々と平らげ…今度は車で第3駐車場に移動し目指したのは…上城戸跡こちらは上城戸跡の説明板説明板によると上城戸跡とは…城下町の防禦を目的とし下城戸と対をなす施設で谷幅が狭まり一乗川と山林に挟まれた場所に築かれていて下城戸...
こんにちは(^^♪くまくまです。朝倉景鏡館跡を後にしてしばらく歩いて行くと一乗川に架かる橋に誘われるように…地図も見ず気ままに歩いているので橋を渡って行くと(・・?辿り着いたのは「朝倉権ノ頭」の屋敷跡と伝わる場所こちらは「朝倉権ノ頭」の屋敷跡の説明板「権殿」と呼ばれているこの場所は(・・?嘗ては朝倉氏の詰めの城である「一乗谷城跡」の大手道へと続く位置していたのだったその場所も今ではこんな感じさらにはこんな...
こんにちは(^^♪くまくまです。下城戸跡から歩くこと十数分…辿り着いたのは朝倉景鏡(あさくら かげあきら)館跡こちらは朝倉景鏡館跡の説明板朝倉景鏡とは朝倉義景の従兄弟にあたり朝倉軍の総大将として出陣することもあったけれど朝倉義景を裏切り朝倉家を滅亡に導いた張本人(・・?そんな朝倉景鏡は朝倉家滅亡後…織田信長の家臣となりその織田信長から一字をもらい土橋信鏡(つちはし のぶあきら)と改名していたのだったこちら...
こんにちは(^^♪くまくまです。下城戸跡を満喫して朝倉氏居館跡を目指し歩くことに一乗谷史跡公園センターの駐車場に帰ろうとしているだけ(・・?歩き始めてすぐの一乗川の向こう側ここは出雲谷と呼ばれもし下城戸から敵が侵攻しようとしたら直ぐに駆け付けるための家臣の屋敷があったとされる場所しかし織田信長によって火を放たれ焼き尽くされたこの場所では今では往時の面影は何もなくただ想いを馳せるだけだけど…すると分かりづ...
こんにちは(^^♪くまくまです。先日紅葉を楽しもうと長野県原村を訪れ八ヶ岳自然文化園にあるまるやち湖で写真にトライ!!したくまくますると湖面で楽しそうに遊ぶ水鳥たちがいて…こちらが楽しそうな水鳥たちそしてこちらは湖面に映る紅葉にトライ!!した一枚…波紋で揺らぐ湖面(・・?こちらは湖面に映る紅葉と小さいけれど水鳥たち日差しも弱かったけれどもう少し上手く撮りたいくまくまなのでした(^_-)-☆次回は…いざ!!一乗谷へ~2024...
こんにちは(^^♪くまくまです。歩き疲れていたはずなのに下城戸跡に着いた途端に何故か(・・?元気が出てきてこちらの説明板を発見下城戸とは説明板によると東西の山が迫り、幅が約80mと最も狭まった谷の入口に設けられた重要な防御施設のことでここから1.7㎞上流に設けられた上城戸と共に城下町一乗谷の中心となる城戸ノ内を区画している場所この城戸は朝倉氏の城下町の出入り口に造られた城門のこと同じ説明板に下城戸模式図がある...
こんにちは(^^♪くまくまです。降水確率90%のこの日訪れたのは朝倉氏の夢の跡…一乗谷一乗谷史跡公園センターの駐車場に車を駐めて出発!!したくまくまこちらは一乗谷史跡公園センターにある一乗谷朝倉氏遺構案内図まずは案内図の上方にある下城戸跡を目指して歩き出すと雨を覚悟していたけれどこの日の一乗谷は青空が顔をのぞかせ何故か(・・?日差しが強いそしてただただ下城戸跡を目指して歩くのは予想していたより遠く感じ…後から...
こんにちは(^^♪くまくまです。この日最後に訪れたのは…躑躅ヶ崎館の大手門こちらは武田神社大手門この場所が…武田信玄時代には躑躅ヶ崎館の大手門だった場所今ではその頃の面影はほとんど残っていないけれど…こちらは躑躅ヶ崎館を囲んでいた土塁跡(・・?それから惣堀跡まで歩いて行くとこちらの大手門から惣堀までの再現図を発見・・・説明板より拝借ちょっと気になるこちらは大手石塁と三日月堀について説明板によると…三日月堀は...
こんにちは(^^♪くまくまです。躑躅ヶ崎館跡の主郭で武田信玄の面影を探索するけれど…この場所には武田神社が創建されていて今では面影はほとんど残っていない…ちょっと残念武田信玄の館の面影はきっと…地層の下で眠ってる(・・?そう思いながら西曲輪へと進むくまくまところで西曲輪とは(・・?武田信玄が嫡男・武田義信の結婚に合わせて築造させた曲輪のことちょっと脱線するけれど武田義信とは非業の死を遂げた人物だった西曲輪の...
こんにちは(^^♪くまくまです。武田神社へと続く参道を歩いて行くとこちらの拝殿前に到着武田神社とは(・・?1919(大正8)年に武田信玄を御祭神として創建された神社のこと武田神社は躑躅ヶ崎館跡の主郭に建っていて…ここでこちらの武田神社の絵図を見入り(・・? 凄くわかりづらい絵図きっと躑躅ヶ崎館の主郭の周りは立派な(・・?土塁で囲まれていたと想い遠くを見渡し見つけたのが「姫の井戸のお水」こちらは「姫の井戸のお水」の...
こんにちは(^^♪くまくまです。躑躅ヶ崎館跡(武田神社)へと足を踏み入れようとこちらの橋を渡る途中に橋の下のお堀を眺めると気持ちよさげに泳ぐ鯉がいて…ちょっと見惚れるくまくまそうして歩き始め(・・?こちらの「主郭土塁」についての説明板を発見この説明板の「武田氏館跡曲輪配置図」を拝借して拡大してみた「武田氏館跡曲輪配置図」の赤印の現在地は…今では武田神社の参道だけど実は主郭土塁の一部だった場所土塁の一部だっ...
こんにちは(^^♪くまくまです。信玄ミュージアムで躑躅ヶ崎館跡の見どころをちゃっかり予習(・・?し気が付けば…もうお昼過ぎということで信玄ミュージアムと同じ敷地内にある「蕎麦・カフェ由布姫」でお腹を満たすことにこちらが「蕎麦・カフェ由布姫」のメニューよく見ると(・・?メニューには信玄や謙信などの名前がついていて…甲州名物「陣中鍋信玄ほうとう」が気になるけれど…今日はちょっと暑いから遠慮してこちらはこの日選ん...
こんにちは(^^♪くまくまです。信玄ミュージアムを探索していると…こちらのパネルを発見このパネルによると武田信玄の戦術や理念などを記した『甲陽軍鑑』には透波(すっぱ)と呼ばれる人たちが登場しているとかなんと透波が“すっぱ抜く”ということばの語源かも(・・?と知りびっくり!!こちらは次のパネルすると透波とは…武田信玄のために敵の情報収集する諜報活動をしていた忍びの名称で武田信玄は…敵国で諜報活動した透波が甲斐と...
こんにちは(^^♪くまくまです。信玄ミュージアムへとやって来たくまくまここの常設展示室は無料で写真もOKなので…ちょっぴり写真にトライしたくまくまこちらはジオラマ模型 三方を山に囲まれ扇状地がこれから始まる位置にありまるで武田氏の城下町という扇の要にある躑躅ヶ崎館(・・?武田信玄の父・信虎が躑躅ヶ崎に居館を移したとき甲斐国の政治・経済・文化の中心地に…との願いを込めて甲府(甲斐国の府中)と名付けたこの場所は...
こんにちは(^^♪くまくまです。それは5月のとある日車で中央道を走り昭和甲府ICで中央道を下りてなだらかな坂道を車で上って行くと(・・?坂の途中に山梨大学があってちょっとびっくりしたくまくまそうしてさらに坂道を進むと…目の前には武田神社今では躑躅ヶ崎館跡というよりはきっと武田神社として有名なこの場所今回訪れたのは…戦国武将・武田信玄の居館躑躅ヶ崎館跡武田神社の目の前にこの建物を発見ここは信玄ミュージアムとい...
こんにちは(^^♪くまくまです。晴明神社の境内であちこち見渡して見つけたのは桔梗苑 顕彰板桔梗苑 顕彰板には陰陽師だった安倍晴明の伝説の中から代表的な10の逸話が紹介されていてこちらは花山天皇に関する逸話そしてこちらは藤原道長に関する逸話こんな感じに10の逸話が掲げられているのだったそうしてここ晴明神社の境内で…神秘的な(・・?安倍晴明に想いを馳せているとなぜかキツネの姿が頭から離れなかったくまくまが安倍晴...
こんにちは(^^♪くまくまです。本丸跡目指しこの階段を駆け上がるくまくま歩きながら下を覗くと…こんな感じさらに進むと桜雲橋へと辿り着いたのだったこの橋は本丸へと架かる橋実は(・・?戦国の世には山本勘助の発案で籠城の際にはここに架かっていた橋を落とす事ができる仕組みがあったとか…気付けば橋の脇には堀の底(・・?へ降りる階段があり堀の底から桜雲橋を見上げてパチリしてみたそれから少し歩いてこの一枚さらに探索をして...
こんにちは(^^♪くまくまです。大手門跡から次に向かったのは(・・?勘助曲輪武田信玄が高遠城を改修した際城の縄張りを設計したと伝わる山本勘助その山本勘助に由来している勘助曲輪に辿り着いてみると…目の前にあったのはこの景色説明板を発見こちらは勘助曲輪の説明板なんと戦後勘助曲輪は(・・?曲輪周辺の堀は埋め立てられ旧高遠高校のグラウンドとして使われそうして現在では駐車場となっているとのこと…ちょっと残念な気持ち気...
こんにちは(^^♪くまくまです。新年あけましておめでとうございます皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします本年もよろしくお願い申し上げます新しい年が皆様にとって素晴らしい1年になりますように…令和6年 元旦ランキングに参加しています。ポチっと応援よろしくお願いします。...
こんにちは(^^♪くまくまです。気が付けば(・・?もうすぐ今年も終わり「高遠城跡で写真にトライ!!~仁科盛信 徹底抗戦の地~」も途中のまま年越えに…それでも今年の思い出は…もう一度訪ねたい真田一族の郷…真田町平清盛の面影を探して訪れた若一神社今年もたくさんの方に拙い私のブログに訪問頂き感謝しています本当にありがとうございました(^_-)-☆ランキングに参加しています。ポチっと応援よろしくお願いします。...
こんにちは(^^♪くまくまです。こちらは大手門跡にある石碑今は住宅地と化している(・・?殿坂から大手門目指し出発!!車道を登って行くと車道の脇に階段があり階段を進んで行くと途中で左側に何かを発見その場所にあったのは石垣説明板によるとそれは大手坂石垣だった説明板によると江戸時代に築かれたこの石垣実は仁科盛信が城主の頃には…城の背後を守る断崖で搦手(裏口)だったこの辺り江戸時代になり世の中も安定して来ると高遠...
こんにちは(^^♪くまくまです。武田氏が滅亡した戦い甲州征伐で甲斐へと進軍する織田軍に抵抗することもなく(・・?追い込まれていく武田軍こんな状況の中徹底抗戦したのが高遠城主・仁科盛信武田信玄の五男で武田勝頼の異母弟である仁科盛信は武田軍にとって重要な軍事拠点のひとつ高遠城を死守する為決死の覚悟で抗戦したにもかからず高遠城はわずか一日で落城この高遠城をめぐる戦いは…仁科盛信をはじめ城兵たちに至るまで全員玉...
こんにちは(^^♪くまくまです。座敷わらしが居る家は栄え座敷わらしが去った家は衰退するといわれるけれど座敷わらしが遊ぶ楠として若一神社の御神木・大楠も有名(・・?と知り…びっくり‼こちらが座敷わらしが遊ぶ楠若一神社の座敷わらしについては平清盛に座敷わらしが付いていたけれど平清盛が亡くなると平家から座敷わらしが離れてしまいそれで平家が滅亡したとも言われているとか…この話にもびっくり‼確かに若一神社のお守りには...
こんにちは(^^♪くまくまです。こちらは歩道から若一神社をパチリ若一神社の境内に足を踏み入れると左側にこの社殿 *奥にあるのが社務所ですそして目に留まったのが…平清盛公ゆかりの御神水平清盛公ゆかりの御神水とは(・・?平清盛が熱病のときに体を冷やしたと伝わり今では飲むと運が開ける御神水といわれ自由に持ち帰ることもできる開運出世の水のことそして平清盛公ゆかりの御神水の脇には..平家物語の祇王の歌碑「萌出づるも...
こんにちは(^^♪くまくまです。西八条第の平清盛邸跡にある若一神社の社前には…この看板平清盛公 御創建の社若一神社とは(・・?由緒が書いてあるけど読みづらいということで勝手に要約すると…宝亀3(772)年唐より来ていた威光上人が紀州熊野に御分霊若一王子を奉斎鎮座したけれどその後御神体が土中に隠れてしまい…仁安元(1166)年熊野詣した際に御告げを受け京に帰った平清盛は土中より若一王子の御神体を探し出しこの場所に若...
こんにちは(^^♪くまくまです。ほんとうに私事でごめんなさい家族同然のにゃんこ4匹のうちモモちゃんが昨日病院に連れて行ったら腎不全と診断されそのまま即入院してしまいました今週ちょっと体調が変かもと思ってはいたけれどまさかという想いでいっぱいです先生いわく「よくチュールだけでも食べれてましたね」とのことでしたなぜだか今でも涙がとめどなくあふれる私モモちゃんも今頑張っているはずモモちゃんの生きたいと想う気...
こんにちは(^^♪くまくまです。熱中症目前(・・?のくまくまは…『市電カフェ』の「赤シソジュース」で水分補給し *写真を撮ればよかったとちょっと反省してます次の目的地平清盛の邸宅・西八条殿へと出発なぜか炎天下を七条通から新千本通へと歩き汗を拭き拭き西大路八条の交差点に辿り着き *西大路八条へはこの道が近道ですそしてこの楠を発見!!近づいて…この一枚実はこちらの楠平清盛公御手植楠と伝わるものところでここは何処...
こんにちは(^^♪くまくまです。もしかして(・・?と近づいて行ってみると目指していた西八条第跡の説明板に辿り着いたくまくま この場所は野外ステージの奥ですとここで…時代(とき)は平安末期平家の全盛期平家にとっては我が世の春「平家にあらずんば人にあらず」と平清盛の義弟・平時忠が言ったとか…そんなご時世この説明板の奥には平清盛をはじめ平家一門が邸宅を構えなんと六町(約 60000m2)という広さの中に50もの平家の...
こんにちは(^^♪くまくまです。残暑厳しい京都へとやって来たお目当ては…西八条第跡を訪れるため西八条第とは(・・?六波羅とともに平家の邸宅跡のこと西八条第を目指していざ出発!! 辿り着いたのは梅小路公園の入り口ところが…西八条第が梅小路公園内の何処にあるのかわからないくまくまはしばらく園内を右往左往する羽目になり行ったり来たりしている怪しい人物(・・?さらには暑さで熱中症目前(・・?やっとの思いで何かに引き寄せ...
こんにちは(^^♪くまくまです。前回ご紹介したこちらの石垣…実は三の丸門跡下の石垣ここから本格的(・・?に石垣探検を開始したくまくま二の丸跡の奥へと進み南腰曲輪跡へと続く犬走りで見つけた石垣同じく二の丸跡にある二の丸物見櫓跡の案内板付近から崖(・・?状態になっているところを下りて見つけた石垣こちらは反対側に続く石垣 *二の丸からここに下りるときは足元に注意してくださいそしてこちらは西腰曲輪跡に残る石垣 *...
こんにちは(^^♪くまくまです。夏の終わりのとある日やって来たのは…美濃金山城跡続日本100名城にも選ばれているこの城跡は戦国時代に築かれた山城だけど慶長6(1601)年に破城されたため織豊時代の石垣が残っている貴重(・・?な城跡ということで2022年2月以来の美濃金山城跡へ今回はちょっぴり石垣探検にこちらの登城口からいざ出発!!しばらく道なりに登って行くと崩れかけの(・・?それとも破城の痕跡(・・?の石垣に遭遇したのでし...
こんにちは(^^♪くまくまです。この場所から御屋敷皇大神社をパチリそして辺りを見渡すとこの案内板を発見地図をよく見ると(・・?「厩」があることに気づき「厩」の方向へと歩き出し厩跡の看板までやって来た先程の案内板にあったように方形の土塁に囲まれた厩跡さらに遠くへと続く土塁は…厩の隣の西曲輪跡 ほんとに広い西曲輪とここで(・・?大手門跡や搦手門跡を探索してなかったことに今更気付いたくまくましかし…きっともう一度...
こんにちは(^^♪くまくまです。真田氏本城跡を満喫し次に訪れたのは…真田氏館跡真田氏館跡とは(・・?真田昌幸(幸村の父)までの上田城に移る前の居館のことここで案内板を発見し進んで行く先は…こんな感じもしかして土塁の跡(・・?なんて想いながら進みやっぱり土塁(・・?なんて想うくまくますると辿り着いたのは御屋敷皇大神社の社殿こちらは「真田氏館と御屋敷皇大神社の由緒」についての案内板やって来た御屋敷皇大神社とは…真...
こんにちは(^^♪くまくまです。今日8月29日は社内コンテスト結果は…なんとなく出来レース(・・?という感じでひとりの方がどの競技も優勝で幕を下ろしました一生懸命勉強しましたが付け焼き刃のくまくまはその道のベテランには及びませんでした…残念気を取り直して…こちらは山家神社で見つけたお花たちということで『真田一族の郷へGO!!』再開しますよろしくお願いいたします(^_-)-☆ランキングに参加しています。ポチっと応援よろし...
こんにちは(^^♪くまくまです。5月下旬のことですが武田信玄ゆかりの狼煙台があった蛇峠山この蛇峠山の麓浪合パークで見つけたのが…こちらのシロツメクサそして名前を知らないお花次回に続きますランキングに参加しています。ポチっと応援よろしくお願いします。...
こんにちは(^^♪くまくまです。最近記事の更新が出来ていないのにもかかわらずご訪問いただいている皆様ほんとうにありがとうございます。実は…社内で行われるコンテストに部署を代表して参加することになり筆記と実技の勉強で頭がいっぱいな毎日でしかもこの部署に異動してまだ4ヶ月恥ずかしくないよう頑張りたいと意気込んでいるくまくまコンテスト当日は8月29日それまで猛特訓していきますこちらは四つ葉のクローバー(・・?ラン...