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2019/07/09

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  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    皆様もそうでしょうが沢山の死にゆく人々のうわごとを聞いてきました。昔、親しい神父さんとビールを飲んでいる時に、私が臨終のときに昔の恋人の名前を呼びそうだといいましたら、同じ名前でなくて残念だね、と冷やかされました。幼稚園時代のガールフレンドから始まり、それぞれ名前が違うわけで、臨終のときは誰の名前を言いながら死んでいくのでしょうね?今から修行して臨終のときは「神様」と本気でうわごとを言いたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の心の流れゆく先を天国だと思えばそう感じてくるし地獄だと想えばそう感じる理由は何だろう?暗いと思えば暗いし明るいと思えば明るい。「記憶は嘘をつく」という名作がありますが、お読みになりましたか?1997年第2版の本を私は愛読しています。大脳での想いが人を左右するし、大脳の記憶は案外、いい加減だというお話。講談社、作者はジョン・コートルさん。自分の大脳を盲信すると悲劇に襲われますので注意しましょう。色メガネをかけるとそう見える話ですが、心の世界は本当に不思議な世界です。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    最近の私は領土問題を吹きかけられた時は、その問題は政治家に任せていきましょう、と無理をしてでも、その話題を避けます。あえて楽しい話題、平和を築く話題をするように努力しています。もうこれ以上、領土問題を庶民の私が議論しても空しいばかりだからです。平和構築に命をかけることはやぶさかではありませんが、政治外交の尻馬に乗る危険を感じたからです。現実をどう解釈するか、は私の自由ですから、皆さまも現実をどう解釈するかは他人に侵害されないようにして生きていきましょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    時々買いに行くパン屋さんのおばさまは、とても元気で明るい女性です。年のころは50代?目が合いますと心から二コリとして下さいます。その眼差しは慈眼に満ちていて、人間に深い関心があるまなざしです。他の職員も、食べていく為の仕事として礼儀正しくはしていますが、あまり人間が好きで無い人が、そのパン屋さんで働いていると、この方は夕方ともなると、疲労感を感じるだろうな、と辛くなります。本人に聞いてみないと正確なところは分かりませんが、いきいきと生きている人と、そうでない人とは現実を吟味する力が多少あれば誰にでも分かるものです。その体格の良いおばさまにお客の声がかかるので忙しそうですが、それでも親切にお客をさばいている姿にほれぼれします。パン屋の仕事が大好きなようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    その理由は「現実吟味力」があったからです。生き延びてきた今の自分を褒めてあげましょう。褒める力が生命力なので自分も他者も褒めてあげないと人減は駄目になります。おだてが上手、という事もあるでしょうが、誠実に、素直に自分と他者を見ると、本当に可愛くなります。弱い人間、不安が本質の人間であることを意識しましょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    生き甲斐の心理学を勉強していきますと長い人生での自分の現実吟味力がいかに低かったか思い知らされるので、ついつい修行してこの現実吟味力を高めようと決意します。この修行は学徒としては謙遜な態度で素敵な心構えなのですが、ここでは赤ちゃんから高齢者まで、また、学問があろうが無かろうが、どんな人間にも自然に備わっている現実吟味力を再確認したいのです。赤ちゃんは空腹な自分を吟味して意識化して泣きだします。危険な状況になれば普通の人は危険だ、と意識出来ます。これがここで言いたい現実吟味力です。自分に現実吟味力が無いと思うと自信喪失ですが、人間誰にでも備わっている現実吟味力を信じると、それなりに見えてくるものがあります。自分が本来、所持している現実吟味力を一度、素直に信じて生きてみましょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    意思あるところに道あり。これも古代からの名言です。さてどこに流れたいか、という答えはいかがでしたか?自分の人生の流れゆく先を、どうしたいか?心理療法の仕事を長年していますと殆どの人は諦めています。運命にはさからえない、と。そうかもしれませんが、ここで道が分かれています。運命にはさからえない、と意思する人は、そのような人生を歩いています。意思があれば苦しみが同時に発生しますが、いきいきと明るく元気に歩いています。さてどの領域を優先して考えていきましょうか?比較宗教学とか比較文化学では、この問題を3つに分類して思索します。魂の領域(宗教学)、成育史(生き甲斐の心理学)の領域、身体の領域(基礎医学)の3つです。この3つの領域での「流れゆく先」を一つ一つ思索していきます。楽して手に入れようと思う人は無理でしょう。...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    人は考えた通りの人間になる、とは古代から伝わる名言ですが、100パーセントその通りだとは言えないものの、案外、経験的に、その通りだ、と思います。自分の人生が何処へ流れていくか、という問いかけも重要ですが、この古代からの名言を並列的に考えると、どこに流れるか、という前に、どこへ流れたいかという自問自答をしてみたいと思います。どこへ流れたいですか、と質問すると殆どの人が即答出来ません。何故でしょうね?皆さまも明日まで楽しみながら思索して下さい。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分は将来、何処に流れていくのだろう?と、ふと思います。あまり将来を考えるのも過剰反応を起こしてエネルギーの浪費をするもの考えものです。そうかと言いましてぼーっとして、その問題を避けて通るのも人生を駄目にしていきます。時々は立ち止まり、流れゆく先に想いをはせるのも人生を刺激して、マンネリズムの弊害に陥るのを防げるかもしれません。惰性で生きる事はとても恐ろしい事です。流れゆく先を明るくしておくか、暗いもののままにしておくかは、やはり本人の責任です。この流れゆく先について暫く考えます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    何かを信じて見えてくるものは沢山ありますが、信じた結果、戦争をしかけたり、暴力をふるったりするのは、多分、異常な信じ方でしよう。信じた結果、人を大事にする、平和を愛する、戦争を防ぐ、法治国家での犯罪を減らす、暴力を否定し平和構築に専念する、という結果ならば、その信じ方は健全でしょう。信じる力は強いだけに、この信じて見えてくるもの、見えなくなるもの、をキチンと勉強してもらいたいものです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    歴史をより正確に学ぶ事も楽しいのですが全国各地に散在する伝説もまた楽しいものです。私が疎開していた越後の山奥に面白い話がありました。第二次世界大戦が終わり疎開した所に伝わる民話です。その民話はいつ生まれたのかわかりませんが多分、江戸時代にはすでにあったと思われます。その村の民話ですが、大変貧しく食べるものも困っていた家族がいました。5人の妹と弟がいましたが、優しい一番人上のその娘は、あまりにも貧しい自分の家族の生活振りを何とか助ける為に村の北側にある山の中の小さいけれども底なし沼に行きます。その沼の神様に祈り、自分はこの身をあなた様にささげるので、この沼のほとりに毎日、ご飯を沢山、沼の岸辺に置いて下さいと、大きな石を胸にいたいて飛び込みます。沼の神様はあわれにおもい毎日、大きな大きなおにぎりを一つだけ沼の...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前の話ですが、江ノ島の腰越で勉強会をしていた頃、富士山と江の島が実に美しく良く見えた会場でした。江ノ島と富士山が見えると、人生が何とも楽しくなります。NHKの大河ドラマは世間が何といいましょうとも、私は毎回、興奮して楽しく拝見させていただいています。NHKならではの楽しい番組がありました。それは伝説なのですが、高知県越知町の横倉山確証記の中にあるお話でした。壇ノ浦で入水した安徳天皇が生き延びて、その越知で28歳まで生きていた伝説の話です。草薙の剣が出ていたりします。もうひとつ、宮崎県椎葉の話です。平家追討に出かけた那須大八郎が平家の落ちのびて隠れ住んでいる椎葉に行く、そこでたまたま会う平家の姫様・鶴富姫と恋に落ちて、そこに住み着く話でした。何とも興奮するお話でした。ギリシャ神話にしても世界各地に散在す...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    色々と心配な日本国の行く末ですが、さあ、何が大事なことだろう?国際間の問題、経済の問題、人間関係の問題と山積していますが、ここで一番大事な事は人間の中に潜む魂の定義のようです。人種が違い、国がちがっても、人間が持つ魂は愛そのものであることを信じてみましょう。魂は病むこともなく老いることもなく臨終と共に身体から離脱する知的生命体である、という魂論を信じてみると、人類のそれぞれの成育史と身体は70億とおり存在しているので成育史と身体は戦争を好むかもしれませんが魂は互いに愛しあうことを求めています。この魂を信じれば、何とか平和構築の機会を発見出来そうです。中国、韓国の人々の魂を信じて何とか平和構築の道を探し、平和憲法を大事にしながら、その布石に命をかける時が今の日本人に求められているようです。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前になりましたが、NPO法が改正され役員の任期及び代表権などの登録で法務局を訪問しました。とても親切な係官がいて楽しく勉強しながら遂行できました。世の中にはこんな親切な人もいるものだなあ、と感激しました。さてこうして難しい法務局の登記も完了したからには、あとは、世の中で生き甲斐を求めている人々に役立つ勉強会を全国で展開したいものだと考えながら帰宅しました。生き甲斐の心理学は何の為にこの人生を生きねばならぬのか、押し付けでななく、その人が考えている、その答えを、世界的な理論を使用しながら、その答えを本人にあぶり出してもらう勉強会を展開しています。自分で自分の答えをこのテキストを使用しながら勉強するのはとても楽しいものです。さて、その親切な係官は私たちは、私たちの会報を見ながら素敵な仕事をされていますね、...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    持統天皇をめぐるケースレポートを私たち専門コースの講座生徒は書かねばなりません。何故かと言いますと日本人のアイデンティティーを研究していかないと、この国の人々の生き甲斐を理解することが不可能だからです。万葉集は西暦759年に生まれ現代日本人の美意識を形成しているのが和歌です。そのような飛鳥、奈良時代の精神文化を学ぶ必要があります。この持統天皇は大化の改新の年に生まれは波乱万丈の人生を送り、天皇として最初に火葬された方です。鉄の女と言われたこの天皇を色々と勉強していくと、その時代が面白く学べます。この方に焦点を当てて日本人の性格形成を調べると現代の日本人が理解出来ます。心理療法の理論は西洋で生まれていますので、大和人の個性の美と病理を混濁することを防ぐ為です。比較文化をキチンと学ばないと現代日本人のストレス...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    沢山の親しい人々の死を見てきたわけですが、何とも凄い場面を体験しました。その方は私の心理療法でかかわったかたですが、若い頃から暗い道を歩んでこられ刑務所にも何回か入ったかたです。その方はカトリツクのシスターで看護師の某さんの影響もあり洗礼を受けました。最初は何故、こんな自分は天国へいけるんだ、そんなインチキな洗礼はありえないと侮蔑していましたが、死んだあとの事を考えるとメメントモリという言葉を照れながら言うようになります。かっての仲間が病院を訪問すると、その人が「メメントモリ」という言葉を口にするので、皆、なんじゃそれは、と笑いだすので、人を選んで、その言葉を口にしている姿が忘れられません。色々あって最後は本気で自分の生涯を愛である神様にゆだねたようです。そして最後にこんな自分を天国に招待してくれた神様が...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    メメントモリという意味は「自分の死を想え」という意味ですが決して暗い言葉ではありません。明るく元気に生きる為の言葉です。死という概念が暗い哲学ならば憂鬱になりますが、死を明るく解釈している哲学もありますので、出来れば死を天国への通過儀礼と解釈する哲学を選らんで欲しいものです。この言葉は何回も聞いていましたし、大体の意味も分かりますが、体験的に解釈するのと、頭だけで理解しているのとでは、そうとう違います。その方の臨終は何とも明るいのです。小さな声ですが、今から真っ直ぐ天国に直行出来る喜びに満ち溢れているのです。本当に驚きました。信じている人の力強さを生まれて初めて目の前にしました。この場面は生涯、忘れられません。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    苦しい仕事上のトラブルに巻き込まれ、今後、どうしたらいいのか、私が所属しているコミュニティも上司も私も、どうしていいか、本当に分からない場面に遭遇した時、生きる事自体が嫌になる場合がありました。誰にでもある経験です。自分はこれからどうなるのだろう?と想い悩みます。現実吟味力が試される時です。この厳しい現実をどう吟味するか、その力が試されたわけです。解決方法を誰も知らない場合、担当の私が、どう吟味するか、が最後の生き抜く道なわけです。悔いのない選択が迫られた時、私の選択はこれは神様の試練だ、でした。全力を尽くしたわけですから、あとは愛である神様にゆだねたのです。裁判になりましたが、堂々と法廷で闘い、そして勝ちました。そんな状況まで自分を追い込んだ私の個々の現実吟味力に問題があったようです。初期動作の現実吟味...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    中学時代、私は混乱していました。その混乱感の原因は友達が居ない事からくる愛の孤独感でしたが、小学時代は転校につぐ転校で、更には終戦の混乱による世間の混乱でしたが、そんな事は中学一年生の私には理解出来ませんでした。解決することなく大人になりましたので、具体的な事は記憶にありませんが、私の大脳は、その混乱感だけは、しっかりと覚えていたようです。心理学で学位を取得しても成育史での混乱感は解決していません。大人になり難しい仕事をするようになると、大脳は何故か、中学時代のあの、慌てる少年の大脳に私を追い込みます。複雑な事件に巻き込まれると異常なほど私は慌てます。そんな時、恩師がイメージ療法を教えてくれました。イメージは人を理屈抜きで安心させるようです。良いほうにも、悪いほうにも、イメージ療法は応用出来るので、要注意...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    本屋に行きますと魂とは、という本がありすぎて困ります。下記の定義を疑いながら、これから、あれこれ研究していくと残された自分の人生の正中線がずれません。私が信じている定義は「魂とは永遠不変のもので、老いることもなく、病むこともない、愛そのものでもあり、自由意思をもち、感覚も理解出来る、そして臨終と共に身体から離脱していく知的生命体である」と長年、考え、そして信じています。さて、皆様、万とある魂の定義をギリシャ神話、古事記、旧約聖書、新約聖書、ケルト文化、インド神話、マヤ文明、その他無限の定義を楽しみながら学習して下さい。この勉強は何とも楽しく、人生を豊かにします。定義を学ぶ時、人に恐怖感を与えるものは偽物です。人々に安心感と愛を与え、人々を幸せにする定義以外は本物ではありません。どんな偉い学者が物知り顔で言...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    もともと自分の身辺の森羅万象を見る場合、自分の魂が見ているんだとしたら、今更、魂が存在するかどかの論証は空しくなります。古代の人々は現代人のように科学信仰(証明しないかぎり信じない)という思想はありませんでした。証明出来ないものを信じる傾向のある人を侮蔑する傾向です。愛などというものは科学で証明できません。人を憎んでいるにもかかわらず本人が愛しています、と嘘を言えば、それを証明出来るでしょうか?親の愛を疑えば、全てがうっとおしいものになります。このように世界で一番、人を幸せにしてくれるものは愛なのですが、愛の世界は信じる世界でもあります。魂の存在を信じるには、魂の存在を信じて見えてくるもの、見えなくなるものを研究するに限ります。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    最近ブームの「魂は存在するか?」という本が店頭に沢山並べられています。今も昔も、その時代の求める形で世界的に流行する課題ですが、信じて見えてくる世界なので、科学で答えられると思うところに落とし穴があるようです。信じてみえてくるものが魂の世界、神の愛の世界なので、この視点(信じて見えてくるもの、信じて見えなくなるもの)という比較宗教学の世界を学問として学んで欲しいなあと思います。魂は存在すると信じると何が見えてきますか?この領域を現実吟味力でどう判断するか、思索してみましょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    悔いのない人生をシュミレーションするのは非常に難しいのですが、その理由は多分、あまりにも身辺が激しく変化していく現実に触れるからでしょう。想定外、という言葉が一時流行し、その余りにも不責任な感じに嫌気がさして、最近では「想定外」という言葉を使用する人は信頼されなくなりました。具体的なシュミレーションを描くには条件が激変するので、結局、シュミレーションは危険視されてきます。例えば選挙目当ての政党の約束のようなものです。臨機応変に巧みに生き抜く必要性に迫られ出しています。この臨機応変の智恵がまた難しいのです。外交官になりたい、政治家になりたい、先生になりたい、官僚になりたい、までは何とか描けますが、試験の成績を見ると自信喪失。さてどんなアイデンティティーの統合をすればいいのか、この現実吟味力を発揮してみましょ...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    現実の解釈は案外難しいようです。贔屓目(ひいきめ)という言葉は理性的な人でも陥いる世界です。自分が可愛いのでだれでも現実を贔屓目に解釈するものです。現実の解釈をどう冷静に分析したらいいのでしょうか?私も、誰でも、この解釈が正しく出来れば戦争も喧嘩も激減んしますし愛し愛される関係も上手くいくはづです。神の摂理という哲学的な視点と現実を神学者はどう見ているのでしょうか?一度、尊敬する神父さんに質問してみて下さい。とても意味深い回答があると思います。現実を健全な現実吟味力で解釈出来れば、いかに身辺に天国が存在しているかが理解出来ます。この世は天国か地獄か、一度、楽しみながら思索してみて下さい。愛そのものである全知全能の神様が存在しているとすると、この現実は神の愛と深い関係があるはづです。神仏の愛を信じると見えて...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    現在感じているストレス(不安感、怒り、身体症状、欝、錯乱)は恐るべきものでなく自分が幸福になる為の指針である、という考え方に気づいた人は幸いです。この考え方に統合された人はどんな厳しい現実を迎えても幸せになるでしょう。ストレスは理想と現実のギャップですので、理想が高いほど、ストレスも高いのです。ストレスを見れば、その理想と現実が把握できるわけです。理想の内容を現実吟味力で分析するとストレスを半減出来ます。慌てずに理想を追求しよう、と思えばストレスも半減します。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    現実吟味力を爽やかに明るく発揮して日々逞しく生きたいのは人間の憧れです。応用解釈は後にして、先ず理論をマスターしていきましょう。昨日に続き、下記の視点を生き甲斐の心理学では大事にしていきます。5:自分の問題なのか、相手の問題なのか、混濁していると現実吟味力は発揮されません。この混濁しやすい領域としては、6;理想と現実の混濁、7:思考・感情・行動のバランスが乱れている時、8:心が乱れに乱れ、抑圧、抑制、感情転移、合理化、退行、昇華等の14の防衛機制が病んでいる時、9:プロセススケールが底辺の時、10:信じているものにより、見えるものが違ってきます。以上、10の視点を検討していくと、患者さんの生育史を参考に的確な心理療法が可能となります。昨日と今日の事を、もう少し、わかりやすく解説していきます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    自分の身辺に「現実吟味力」が著しく低い人はいませんか?学問の専門家でも、芸能人でも、政治家でも、どんな職業の人でも、私も環境によっては人の事はいえませんが、とにかく現実吟味力は重要な人生課題です。何故、そうなるか、理論的には明確なのですが、訓練と修行をしないと上手になれません。理論からの視点を書き出してみます。1:自分は何の為にいきているか?これが明確でないと、現実吟味力が低下します。以下、それぞれ欠落していると低下する視点を書き出しますと、2:生き甲斐とは何か、3:自分の魂と生育史と身体を大事にしているか、4:過去の問題なのか現在の問題なのか、将来の問題なのか?この続きは明日書きます。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    大部前の話ですが、私の大好きな源氏物語、徒然草、平家物語でお馴染みの京都の船岡山に遂に行く事が出来て私は本当に幸せものだと感じたことがあります。ラジオ、テレビの番組、心のともしびの録画で1年間、京都に通いました。今更、とお笑いでしょうが、のんびりと優雅に一人で憧れの場所に立つ事がききました。大徳寺から船岡山公園に向かい平地を歩いて、階段をほどほどに上りました。どうしてこんな平地なのに山、なのか不思議でした。公園の小さな頂きに到着して南を見て驚きました。眼下に京都全体が展望できるのです。しかも南側は断崖。成程、と納得。大徳寺あたりはすでに山にあったのを今更、驚いたのは私くらいかも。船岡山の歴史をもう一度勉強しなおしてみます。小さな旅でしたが何と大きな感動を貰えたことか!旅は人生を新鮮にするものだ、と改めて感...自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

  • 自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

    フロイトにしてもエリックバーン、エリクソン、ロジャースにしても色々と調べていくと結構の大変人です。変人という評価は人により相当違いますが、私のことも友人の或人は、紳士だという人、少し個性的だ(ほんとは変人といいたいようです)、明るいが急に無口になる人だ、と評価は様々です。行動の特異性を明るく解釈出来るようになると、その独自の行動個性が本人に良き道を暗示する自然治癒力であることが分かります。場合により天からの恵み、幸福へのシグナルである場合があることを、しっかりと知っておきましょう。自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

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