本日も体調は悪くめまい。 午前中は横になっておりました。 血糖値は高い日が続いています。 とにかくめまいと耳鳴り。。。 ご飯やお菓子を作っている時はなんとかなっていますが。 今日は突然、夫よりLINE。 車の契約した。 ・・・。 しかも中古車。 実は娘がディーラーに就職しました。 車は娘の会社で買おうということに当然なります。 車好きの夫はこれに文句を言っていました。 そもそもこれにも腹は立っていたのですが…。 娘の会社で中古車を買うことにしたという連絡。 約束しましたよね、もう中古車は買わないと。 現在は夫のお気に入りの中古車。 その前はエボリューション(←これアホみたいに高い) その前レビ…
毎日ため息交じりの生活です。 余談ですが、とりわけAmazonの北村有起哉さんと高野志穂さんご夫婦のCMを見るとため息に拍車がかかるのは私だけでしょうか(笑)。 あの頃に戻ろうにもどこに戻ればよいのか私は迷子になりそうです(笑)。 さて、行動派の娘は着々と引っ越しの準備を進めています。 休日は不動産屋や電気屋さん巡り。 一方息子は、突如仕事に行かなくなり、やっと退職。 会社に散々迷惑をかけました。 辞めるなとは言わないけれど、せめて筋を通せよ…。 そんなこんなで、健康保険や年金の手続きもままならないまま大阪に行くようです。 友達の家に転がり込むようです。 対照的な二人です。 もう、どこでどうな…
私の夫は結婚して24年間、私の両親のことをお父さん・お母さんと呼んだことはありません。 何と呼んでいたか思い当たりません(笑)。 要は接点を作らなかったので呼ぶ必要がなかったということです。 それは母が余命宣告をされてからも変わりませんでした。 母が入院している間、一度も病院を訪れたことがありませんでした。 体調を尋ねてきたこともほとんどありません。 在宅看護になってからも母の顔を見に来ようともしませんでした。 在宅看護中、母は3度ほど救急車で運ばれたことがありました。 いつ家に帰れるか分からない。 どんな状況に陥るか分からない。 もちろん病院から夫に連絡しますよね。 なんとか家に帰ると・・…
祖母を送った後、すぐに私は就職しました。 何と言ってもお金が必要だったので。 生活がかかっていました。 夫の給料日前にはお財布の中に小銭が数枚しかないなんてことは珍しくありませんでした。お買い物と言えばモヤシとエノキ(笑)。 しかし母の介護もあるためフルで働くことはできません。 パートで学童保育の支援員として働きました。 普段はまだよいのですが、夏休みなど長期休業には朝から晩まで10時間の勤務。 朝は5時前に起きて家事をする。 朝・昼・夜の母と子どもたちのご飯の支度をして仕事に行きます。 クタクタになって帰って晩ごはんを食べてまた家事をする。 子どもたちの勉強も見る。 床に就くのは1時2時。…
私はおばあちゃん子でした。 だから祖母の介護も嫌ではありませんでした。 祖母は母が回復して間もなく胃癌に。 ステージ4。 高齢ということもあり告知はしませんでしたが、本人は気が付いていたのだと思います。 祖母は在宅でギリギリまで生活をしましたが、特に不平不満を言うこともなく過ごしました。 毎週病院に連れて行ったり薬を飲ませたり、食事の用意をしたりというのが私の仕事。 亡くなる1か月前から医者の勧めで入院しました。 毎日お見舞いに行き洗濯物を持って帰って持って行き。 年末を迎え祖母は家に帰りたがりました。 医師は帰れる状態ではない。 今動かすと命を縮めることになる。 と言いましたが、本人の強い…
母は私が1歳の時にリンパ腺癌を発症しました。 運よく一命をとりとめたのですが、その後も色々と病気をしました。 私が結婚して5年ほど経った時、髄膜炎に罹り頸椎損傷。 頸椎をワイヤーで固定して首は稼働しなくなりました。 後遺症として右腕は動かなくなり、左手も手首から先しか動かせなくなりました。 1年の闘病。 この間は特に大変でした。 私は仕事を辞めて母の介護と育児に専念することになりました。 私にとっては大切な母親。 天職と思っていた仕事を辞めることも苦ではありませんでした。 しかし、この思いもすぐに打ち砕かれます(笑)。 母にとって頼りになるのは自分の姉。 姉さえ傍にいてくれればよいという…。…
息子は子どもの頃からちょっと変わった子でした。 予定より一か月早く生まれました。 仕事に行っていて産気づき、【明日から産休取ります】と言って午後から早退しました(笑)。 出産の準備を何もしておらず、帰宅後あわてて産着やおむつを洗い、二階のベランダに干し、自分の入院の準備をしました。 すると破水!! 向かいの家にいる両親に【破水したみたい】と伝えると・・・。 母は【気のせいでしょう】。 そう言い残して父と一緒に潮干狩りに行ってしまいました(笑)。 2歳の娘を連れてタクシーを呼んで病院に行きました。 即入院。 娘を迎えに来た夫に連れていかれる娘はギャン泣き。 だってほぼ知らないおじさんですから(笑…
今日は箸休めのお話。 夫の両親との関係は・・・。 今やゼロです。 結婚してから息子が小学校を卒業するくらいまでは盆正月、彼岸のお墓参りに行っていました。 しかし、夫との関係が完全崩壊してから一度も夫の実家へは行っていません。 そもそも、結婚前に義父に言われた暴言がトラウマです。 そして娘を出産して初めて夫の実家を訪ねたお盆。 親族が集まる中、ある伯母が【孫は可愛いでしょう】というと義父は 【外の孫なんて可愛いわけない】と言い放ちました。 今の私ならば、あの舅ののことだからそのくらいのことは言うでしょうと思えるのですが、当時私は若かった(笑)。 ショックで帰宅して泣きました。 娘の七五三のお祝い…
よく他人様にいわれること。 【よく今まで我慢したよね。離婚しようと思わなかったの?】 家の中のことをあまり話さない私ですが、愚痴をこぼせる3人のママ友がいます。 彼女たちによく言われていました。 1人は既に離婚していて【別れた旦那より酷いよ】と言われたこともありました(笑)。 出産直後、離婚したい時期がありました。 娘の面倒をみてくれない夫に嫌気がさしました。 当時は私は正社員として働いていたので子ども一人くらいなら何とかなりました。 娘と二人で暮らすために、しっかりお金の計算までしたことがあります。 多分、両親も夫を家族に迎えたことを後悔していたと思います。 口に出したことはないですが。。…
毎日ため息しかでません。夜、お風呂に入ると涙しかこぼれません。何が普通かと言われると分からないけど、穏やかに普通の生活がしたいだけですが…。どうやらそんな日は来ないようです(笑)。さて、前回の続き。 娘の奇怪な言動。 どうやら幼い日の娘は夫を父親と思っていない? お父さんとはわかっているけれど、父さんって何なのかわかっていない? ということです。 赤ちゃんの頃はお風呂に入れてもらったのは片手で数えるほど。 人見知りが始まると…。 もちろん泣きます(笑)。 だってほとんど見たことないんだから。 近頃、娘が妙なことを言いました。 【幼稚園の頃、父の日だからお父さんの絵をかきましょうってなった時、お…
いまでこそワンオペって言葉がありますが、二十数年前にはこんな言葉は聞いたことなかったわ。 まさに我が家の子育てはワンオペ。 ちょっと懐かしい思い出話。 娘は出産直後からちょっと手のかかる子でした。 出産した病院では決まった時間に授乳室にみんな集まって授乳するルールでした。 退院後は否が応でもお母さんは子育てに追われるので、入院中は基本的に母子が離れて過ごすというスタンス。 結構衛生面も厳しくて、祖父母と赤ちゃんの面会も窓越しというものでした。 さて、娘。 よく泣く子。 よく飲む子。 だったのです。 看護師さんが何をやっても泣き止まないといって、一日に他のお母さんよりも2回ほど多く授乳していまし…
夫は結婚以来よく働きます。 休日も仕事に行きます。 365日仕事に行きます(笑)。 外に女がいる様子もないです(笑)。 そのような生活には慣れました。 さて、結婚当初の話。 毎日仕事で午前様。 時計の針がてっぺんを回らないと帰っては来ません。 結婚して5、6年程そんな日々が続きましたかね。 結婚して半年ほどで娘を妊娠しました。 つわりがひどく、何も食べることができない状態でした。 それでも私も仕事に行く毎日。 家事分担などありません。 家事は全て私のお仕事。 あまりにもつわりがひどく大変だったので夫を残してしばらく実家を頼ることにしました。 実家暮らし二日目、夫から電話がかかてきました。 【い…
突然ですが、お付き合いから結婚式までの間ってどんな風に過ごすものなのでしょうか? 結納が終わり、結婚式の話が進む中、今思えば普通じゃない状況だったと思います。 式場を選び結婚式までの間で、どのくらいの回数二人で式場に足を運ぶものなのでしょうか? 私と夫の場合・・・。 式場探しに1回。 契約に1回。 前撮りに1回。 結婚式当日に1回。 計4回。 少なくない? 少なすぎひん? 仕事で忙しいとか何とかで一緒に式場に行くことはこの程度。 私は一人でせっせと式場に通い段取りをしたわけです(笑)。 要は面倒なこと、自分の気分がのらないことに夫は参加しない人だったということです。 仲良く二人で式場にきて相談…
これだけははっきりしていること。 人生最大のしくじり地点は結婚。 これは誰が何と言おうとそうなのです(笑)。 これまでは小さな分岐点で失敗したにすぎなかったのです。 ここは大きく人生を左右する分岐点を大間違いしたんだなあ(笑)。 そもそも結婚の第一条件は【養子であること】。 特にお金持ちの家でもなく、旧家でもないにも拘らず養子であることが条件でした。 私は一人っ子。 結局、親の面倒を見る人間を手放してはならないという発想だったのでしょうね。 もう洗脳ですよ。 幼い時から大人たちに【養子を貰え】を言われて育てば選択肢はなくなりますよ(笑)。 まず最初のお見合い。 一回りも年が上でバブルがはじけて…
過去を振り返ってみたところで戻っては来ないのは分かってはいるのですが、なんだかモヤモヤするので、日々過去を振り返って嫌だったことを吐き出してみることにしました(笑)。 これでちょっとはすっきりするかな。 これでちょっとは次に進めるかな。 すこしずつ毒を吐くことにしました。 第一しくじり地点は昨日の通り。 bucketlist100.hateblo.jp 第二しくじり地点はここかなあ…。 大学院進学断念。 地元の私大に4年間通いました。 就職という段階ですっかりバブルははじけて消えました(笑)。 年齢がばれちゃいますな(笑)。 前年まで大学中の廊下にはためいていた就職募集案内はほぼなくなっていま…
ずーっとあまり幸せではない日が続いていたのに、ここ一年は普通に過ごせていただけに只今とても気分が沈んでいます。 人生のどのあたりで間違っていたのかと考えます。 考えたって戻れるわけでないし、仕方ないのだけれど考えてしまいます。 そもそも、この家に生まれてきたことが間違いだったと思えるのですが、50年近くも生きてりゃ何処かのタイミングでこの人生を抜け出すべく抗うべきだったのだろうとも思います。 大学受験は自分の進学したかった大学を受験することすら許してはもらえませんでした。 県外の私大。 【一人っ子の一人娘だから県外には出さない。】 【女は学を付けたところで仕方ない。養子を貰って家を継がなければ…
今日も息子は引きこもり。 会社に連絡するよう再三説得しましたが逆切れされて終わり。。。 恩のある社長さんに申し訳ないばかりです。 何だかしんどいわ。。。 子どもなんて産まなきゃよかった。。。 (これを考えると娘がかわいそうだな。。。) (息子もしんどい思いをしているんだろうしな。。。) 結婚なんてしなきゃよかった。。。 夫は子どもと向き合うこともなく、私と向き合うこともない人です。 この家に生まれてこなければよかった。。。 アラフィフにして生まれてこなければよかったと思うとは思ってもみませんでした。 家のためにしか生きてこざるを得なかったことへの後悔しかない。。。 子どもたちにはそういう後悔は…
今朝、無断欠勤中の息子の会社の社長さんから私に電話がありました。 もう仕事に行くつもりはないようだとお伝えしました。 そうですかとのお返事。 会社に返却するものがあるので連絡をとのことでした。 息子に伝えましたが、どうしたモノやらわかりません。 今年進学した大阪の友人を頼って行くようです。 もう好きにしたらええがな。 何遍人を裏切るねん。 よそ様のお宅ではごく当たり前のことのようですが、この一年は普通に仕事に通って普通に会話をして幸せでした。 病気はいろいろ発症しましたが、心の健康は保たれました。 5年間、学校に行かず家の壁に穴を空けまくり、夜間徘徊を繰り返す息子がまともに社会人をしていること…
またしても問題が発生している我が家です。 高校中退の息子。 息子の友人のお父様の会社に就職させていただいて1年2か月。 等々仕事に行かなくなりました。 しかも無断欠勤3日目。 ため息しか出ません。 別の友人を頼って大阪に出るのだそうです。 その友人だって大学生。 親にぶら下がって生きています。 そこにぶら下がろうっていうのですから、ほとほと呆れます。 3年きちんと務めて大阪に行く約束でした。 またしても私は裏切られたわけです。 まあ、薄々気が付いてはいましたが。 今大阪に行ったとてコロナ禍。 感染のリスクもあるし。 まずバイトなんかないでしょう。 もう好きにしてください。 今までも好きなように…
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