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2019/07/07

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  • 『法華経』現代語訳と解説 その6

    『法華経』現代語訳と解説 その6 諸仏の最初からの誓願は 仏の修した仏道を 普く衆生にも また同じく得させようと願うものである 未来世の諸仏も 百千億 無数のあらゆる法門を説くであろうが それらは実は一乗なのである(注1) 両足を持つ人間の中で最も尊い諸仏は 常に変わることなく その教えの本性はなく 仏となる道は縁に従って表わされると知っている このために一乗を説かれるのである(注2) 一乗の法は常に不変であり 一乗の表われである世間において一乗は常に存在することを 道場において悟られた導師である仏は それを方便を通して説かれるであろう 天人の供養する現在の十方の仏 その数が大河の砂の数ほど多…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その5

    『法華経』現代語訳と解説 その5 その時、世尊は重ねてこの義を述べようと、偈をもって語られた。 僧侶と尼僧の中で 増上慢を抱く者 男子の在家信者の高慢な者 女子の在家信者の不信心な者 このような四衆ら その数五千人 自らその咎を省みることなく 学ぶべきところに欠点があって その傷を守り惜しむ そのような愚か者はすでに出て行った 彼らは会衆の中の粕(かす)である 仏の威徳の故に去って行った その人は福徳少なくして この法を受けるに堪えない 今の会衆には枝葉はない ただ多くの真実の者たちがいる よく聞け舎利弗よ 諸仏所得の法は 無量の方便の力をもって 衆生のために説きたもう 衆生の心の所念 種々の…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その4

    『法華経』現代語訳と解説 その4 その時、世尊は舎利弗に次のように語られた。 「あなたはすでに、三度も熱心に懇願した。どうして説かないことができようか。あなたは今、明らかに聞き、よくこれを思念せよ。私はまさにあなたのために、分別し解き明かそう」。 その言葉を説かれた時、会衆の中の僧侶と尼僧と男女の在家信者たちの五千人は、すぐに座より立って、仏に礼をして退出した。なぜであろうか。この者たちは、罪の根が深く重く、さらに増上慢であって、まだ得ていないものを得たと思い、まだ証(あかし)されていないものを証されたと思っているためである。このような誤りがあるために、この場にいることができなかった。世尊は黙…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その3

    『法華経』現代語訳と解説 その3 妙法蓮華経方便品第二 その時に世尊は、三昧より安らかに立たれ、舎利弗に告げられた。 「諸仏の智慧ははなはだ深く無量である。その智慧の門は理解しがたく入り難い。すべての声聞や辟支仏が知ることのできないものである。なぜなら、仏はかつて百千万億の無数の諸仏に親しく仕え、諸仏の無量の道法を行じ尽くし、勇猛精進して、その名は普く聞えている。はなはだ深く未曾有の法を成就して、適宜に説かれるその意趣は理解し難い。 舎利弗よ。私は成仏して以来、種々の因縁、種々の譬喩をもって、広く言葉を持って教えを述べ、無数の方便をもって、衆生を導き、あらゆる執着を離れさせた。なぜなら、如来は…

  • 『法華経』現代語訳と解説 その2

    『法華経』現代語訳と解説 その2 その時、文殊師利菩薩は弥勒菩薩およびあらゆる大菩薩に次のように語りました。「善き男子たちよ。私が思うに、今、仏である世尊は、大いなる法を説き、大いなる法の雨を降らし、大いなる法の螺(ほらがい)を吹き、大いなる法の鼓を打ち、大いなる法の義を述べようとしておられるのであろう。 あらゆる善き男子たちよ。私が過去、諸仏の国において、この奇瑞と同じことを見たが、仏はその光を放ち終わって、大いなる法を説かれた。このためにまさに知るべきである。今、仏が光を現わされたのも、またこれと同じく、衆生に対して、すべての世間において信じ難い教えを、ことごとく聞いて理解させることを望ま…

  • やさしい『法華経』現代語訳 その1

    やさしい法華経現代語訳 その1 妙法蓮華経序品第一 このように私は聞きました。 ある時、釈迦仏は、インドの王舎城(おうしゃじょう)にある耆闍崛山(ぎしゃくっせん)にいらっしゃいました。 そこには、一万二千人もの偉大な修行者たちが共にいました。これらの人々は、みな悟りを開かれた人たちで、阿羅漢(あらかん)と呼ばれます。煩悩なく、自己をよく制御でき、生死に束縛されることがなく、心の自在を得ていました。 その名をあげますと、次のようになります。 阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)、摩訶迦葉(まかかしょう)、優楼頻螺迦葉(うるびんらかしょう)、伽耶迦葉(がやかしょう)、那提迦葉(なだいかしょう)、舎利…

  • 法華取要抄 その4 (完)

    法華取要抄 その4 疑って言う:多宝仏の証明や十方諸仏の助言、地涌の菩薩の涌出などは、誰のためか。 答える:世間の人々は、『法華経』が説かれたその世のためだと言うだろう。しかし、日蓮は次のように言う。舎利弗や目連などは、この現世においては智慧第一、神通第一の大聖である。また、過去世においては、金竜陀仏や青竜陀仏である。そして未来世においては、舎利弗は華光如来であり、『法華経』の説かれた霊鷲山の会衆においては、三惑をすみやかに断じ尽くした大菩薩であり、本地については、内に菩薩を秘め、外には声聞と現われた古菩薩である。文殊弥勒などの大菩薩は、過去の古仏であり現在では、人々を導くために大菩薩として現…

  • 法華取要抄 その3

    法華取要抄 その3 問う:『法華経』は誰のために説かれたものなのか。 答える:「方便品第二」より「授学無学人記品第九」に至るまでの八品に、二つの意義がある。上より下に向けて、次第通りにこれを読めば、第一は菩薩のため、第二には二乗のため、第三は凡夫のためである(注:この箇所では、将来に仏になる者たちへの約束(記)を中心として説かれているからである)。また、「安楽行品第十四」より「勧持品第十三」、「提婆達多品第十二」、「見宝塔品第十一」、「法師品第十」と逆にこれを読めば、仏の滅後の衆生を中心として説かれたものである(注:特に逆に読む必要もないが、これらが、仏の滅度の後の人々に対する勧めという意味で…

  • 法華取要抄 その2

    法華取要抄 その2 そもそも諸宗の人師たちは、旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず、あるいは新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、あるいは自宗の曲がった解釈に執著して、自らの義に従い、愚かな見解をもって注釈し、それを残して後代に加えているのである。たとえば、木の切り株に当たって死んだ兎を見て、次からは切り株を見守り、また、智慧が丸い扇を見ることによって得られたからと言って、次からは扇のような天の月を仰ぐような誤りを捨てて、理法を直接取る者が智慧のある人である。インドから見れば末端に位置するような論師や、日本において教派を立てた人師の邪義を捨て置いて、もっぱら本となる経論を引き見れば、釈尊の五十年あまりの…

  • 法華取要抄 その1

    法華取要抄 その1 法華取要抄(ほっけしゅようしょう) 文永十一年(1274)五月 五十三歳 富木常忍に与える 身延において 扶桑沙門日蓮、これを述べる。 そもそも、月支国(げっしこく・インドを意味する)より西域を経て中国、日本に渡来するところの経論は、五千七千巻余である。その中の諸経論の勝劣、浅深、難易、先後について、自らの見解に任せて語ることは、その分に及ばない。また人の説に従って、あるいは宗に依つてこれを知る者は、その義において紛糾する。 いわゆる華厳宗では、「一切経の中では、この経(『華厳経』)が第一である」といい、法相宗では、「一切経の中では、『解深密経』が第一である」といい、三論宗…

  • 波木井殿御報

    波木井殿御報(はきいどのごほう・日蓮上人最後の書状。口述筆記) 慎んで申し上げます。 ここまでの道のりは、無事に池上まで着くことができました。その途中、山といい、川といい、それなりに難儀はしましたが、御子息たちに守られて、これと言ったこともなく、ここまで着きました。恐れ入りながら喜んでおります。 後にまた帰りに通る道ではありますが、病の身でありますから、もしものことがあるかもしれません。 しかし、この日本国のどこにおいても身を持て余していたこの身を、九年もの間、帰依されたその御心ざしには言葉もありません。どこで死んでも、墓は身延の沢に置いて下さい。 また、ここまで乗って来た栗鹿毛の馬は、あまり…

  • 種種御振舞御書 その15 (完)

    種種御振舞御書 その15 みな、弘法大師や慈覚大師を謗る人は、どうして用いられようかと思っている。しかし、他人はさておき、安房の国の東西の人々は、この事を信じるべきである。なぜなら、それは眼前している現証があるからである。いのもりの円頓房、清澄の西暁房(さいぎょうぼう)、道義房・かたうみの実智房などは、尊いと言われていた僧であった。しかしその臨終はどうであったかを尋ねてみるべきである。 これらはさておいて、円智房は清澄の大堂において、三年間一字三礼(注:経文の一文字ごとに五体投地をしながら写経すること)の『法華経』を自身で書写し、十巻すべてを暗誦し、五十年の間、昼夜に二部ずつ読まれた。人はみな…

  • 種種御振舞御書 その14

    種種御振舞御書 その14 (注:ここより最後までは、日蓮上人の記した文と思われる)。 もともとわかっていたことではあったが、三度も国を諫めても、用いられなければ国を去るべし、ということで、同年五月十二日に鎌倉を出て、この山(身延山)に入った。 (注:儒教の聖典である『礼記』の、「人臣たるの礼、顕わには諫めず。三たび諫めて聴かざれば、則ち之を逃る」による。『報恩抄』にも、「平左衛門尉(平頼綱)に対面して、さまざまなことを申し上げた中で、今年、蒙古は必ず攻めて来る、と言いました。同じ五月十二日に鎌倉を出て、この身延山に入りました。これはひたすら、父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国の恩に報いようとして…

  • 種種御振舞御書 その13

    種種御振舞御書 その13 (注:この段落の内容は、『報恩抄』にもあり、「文永十一年四月十二日の大風は、東寺第一の智者とされる阿弥陀堂加賀法印が雨ごいした結果の逆風です。善無畏・金剛智・不空の悪法を、少しも違えることなく伝えたためでしょうか。気の毒なことです。気の毒なことです」とある)。 さて、帰って聞いたところによると、同年四月十日より阿弥陀堂法印(加賀法印定清。真言宗の僧侶)が幕府に命じられて、雨ごいの祈祷をした。この法印は東寺第一の智者であり、御室(おむろ・仁和寺のこと)などの諸師、さらに、弘法大師、慈覚大師、智証大師の真言の秘法を鏡にかけたように身に付け、天台宗や華厳宗の諸宗の教えを、み…

  • 種種御振舞御書 その12

    種種御振舞御書 その12 また念仏者が集まって協議した。 「こうなっては、我々は飢え死にしてしまう。どうやって、この法師を亡き者とすることができようか。すでに国中の者も多くは彼に従っている。どうしたらいいものか」と相談し、念仏者の長者の唯阿弥陀仏、真言律宗の長者の性諭房(しょうゆぼう)、良観の弟子の道観などが鎌倉へ走り上って、武蔵守宣時殿(北条宣時)に次のように訴えた。 「この御房が島にいる限り、堂塔一つも残らず、僧侶も一人もいなくなってしまうでしょう。阿弥陀仏を焼き払い、あるいは川に捨て流しています。夜も昼も高い山に登って、日月に向かって大声をあげて、お上を呪詛(じゅそ)しています。その音声…

  • 種種御振舞御書 その11

    種種御振舞御書 その11 (以下にこの訳者の補足の注を記す。 伝染病が流行すれば、もうこれがこの世の終わりの兆候だ、終末だ、とか言い、大きな災害があれば、これは神の裁きだ、終末の始まりだ、などと言い、その言葉を受け入れて、狂信的になる者たちが起こる。まさに今この時も、そのような事が起っている。これは、いつの時代でも同じであり、危機的に見える出来事に対するこの人間の思考が、日蓮上人自身の歩みを大きく左右し、さらに、上人の伝記的記述をゆがめていることは明らかである。 この前後の段落は、すでに述べたように、後の世の創作者が挿入した文であるが、それでも、前の段落の最後には、「このようなことがあり、しば…

  • 種種御振舞御書 その10

    種種御振舞御書 その10 さて、塚原に論争をするために集まって来た者たちはみな帰ったので、去年の十一月から構想を練っていた『開目抄』という文二巻を記した。これは、もし首を切られても、日蓮の身に起った不思議を留めておこうと思って構想を練っていたものである。この文の主旨は次の通りである。 「日蓮によって日本国の存続は決まるのである。たとえば、家に柱がなければ建物として保たれず、人に魂がなければ死人である。日蓮は日本の人の魂である。平左衛門尉はすでに日本の柱を倒してしまった。そのため、今、世の中が乱れて、それということもなく、夢のように偽りの言葉が流れて、北条御一門が同士討ちをし、後には他国から攻め…

  • 種種御振舞御書 その9

    種種御振舞御書 その9 (注:前の段落は、さまざまな人々からの迫害があったからこそ、自分は『法華経』の行者となれたのだ、という内容であり、多くの経典や経論からの引用、そして中国や日本の史実を交えて記されていた。ところが、この段落からは、再び単なる小説のような文体と変わる。それはここからまた、後に創作して挿入された文となるからである)。 このように過ごしていたが、庭には雪が積もって、人も来ることもなく、堂宇には荒々しい隙間風以外に訪れる者もない。『摩訶止観』や『法華経』を読み、口には「南無妙法蓮華経」と唱えて、夜は月星に向って、諸宗の誤りと『法華経』の深い意義を説くほどに、年も改まった。 どこで…

  • 種種御振舞御書 その8

    種種御振舞御書 その8 中国の李陵(りりょう・前漢の軍人)が胡国(ここく・中国から見た異民族。匈奴)に入って巌窟(がんくつ)に閉じ込められたのも、法道三蔵(ほうどうさんぞう・永道。北宋の僧)が微宋皇帝(きそうこうてい・北宋の王。仏教弾圧をして永道に諫められた。一度、永道を追放したが、翌年撤回して再び用いた)皇帝に責められて顔に焼き印を押されて、江南に追放されたのも、今と同じだと思う。 ああ嬉しいことだ。檀王(だんおう・釈迦の過去世の須頭檀王(すずだんおう)のこと)は、阿私仙人(あしせんにん・提婆達多の過去世の姿)に仕えて厳しい修行をして、『法華経』の功徳を得られた。常不軽菩薩は増上慢の比丘たち…

  • 種種御振舞御書 その7

    種種御振舞御書 その7 同年十月十日に依智を立って十月二十八日に佐渡の国へ着いた。 (注:『寺泊御書』の冒頭には、「今月十月なり十日相州愛京郡依智の郷を起つて武蔵の国久目河の宿に付き、十二日を経て越後の国寺泊の津に付きぬ。此れより大海を亘つて佐渡の国に至らんと欲するに、順風定まらず、其の期を知らず、道の間の事心も及ぶこと莫く、又筆にも及ばず。但暗に推し度る可し。又本より存知の上なれば、始めて歎く可きに非ざれば之を止む」とある。訳すと、「今月十日(文永八年・1271)、相州愛京郡依智の郷(現在の神奈川県厚木市)を出発して、武蔵国久目河の宿(現在の東京都東村山市)に着き、十二日間を経て、越後国の寺…

  • 種種御振舞御書 その6

    種種御振舞御書 その6 正午ごろ、依智(えち・厚木市に合併される前は、依知村という地名で残っていた)という所に行き着き、本間六郎左衛門(ほんまろくろうざえもん・本間六郎左衛門尉重連(しげつら)。北条宣時に仕えた武士。佐渡の代官であり、依智にも領地があった)の邸宅へ入った。 酒を取り寄せて、兵士たちに飲ませたところ、彼らは帰ろうとして、頭を下げ、手を合わせて次のように言った。「今まではどのようなお方であるのか知りませんでした。ただ、私たちが信じている阿弥陀仏を謗っていると聞いていたので、憎んでいましたが、目の当たりに拝見すれば、その尊さに感動いたしました。それで、長年称えてきた念仏は捨てます」と…

  • 種種御振舞御書 その5

    種種御振舞御書 その5 そして、十二日の夜、武蔵守殿(注:北条宣時)に預けられた身となっていたが、夜半になって、首を切られるために鎌倉から出た。若宮小路(=若宮大路)に出た時、周りは兵士に囲まれていたが、日蓮は、「おのおの方、騒がないでもらいたい。ほかでもない。八幡大菩薩に最後に申し上げることがある」と言って、馬より降りて大声で叫んだ。 「いかに八幡大菩薩はまことの神か。和気清麻呂(わけのきよまろ)が首をはねられそうになった時、長さ一丈の月と現われ、伝教大師の『法華経』を講義された時は、紫の袈裟を布施されたではないか。今、日蓮は日本で第一の『法華経』の行者である。その上、身に一分の誤りもない。…

  • 種種御振舞御書 その4

    種種御振舞御書 その4 去る文永八年(1271)九月十二日に、幕府からの迫害を被った。その時の迫害は、尋常ではなく非常識極まりないものであった。 了行(りょうこう・幕府転覆の陰謀を企てた僧侶)が謀反を起こし、大夫の律師(だいぶのりっし・鎌倉幕府創建時に活躍した三浦義村の子。出家して良賢と名乗っていた。三浦氏が滅ぼされる時に捕らえられた)が世を乱そうとしていたところを捕えたことをも超えるものである。平左衛門尉が大将となって、数百人の兵士に胴丸と烏帽子を着けさせて、眼をいからし声を荒げてやって来たのである。 そもそもこのことを考えれば、太政入道の平清盛が天下を取りながら、国を滅ぼそうとしたことに似…

  • 種種御振舞御書 その3

    種種御振舞御書 その3 (注:この直前、つまり「その2」の最後の部分の原文は、「仏の御使ひとなのりながら、をくせんは無下の人々なりと申しふくめぬ」となっている。日蓮上人は弟子たちに、幕府からどのような脅しが来ても、仏の使いという自覚をもって、恐れることがないようにと、私(日蓮上人)は、弟子たちに説いたのである、という言葉で終わっているのである。そして原文でも何ら段落分けもなく、今回の文となるわけであるが、この冒頭には、「さりし程に念仏者・持斎・真言師等、自身の智は及ばず、訴状も叶はざれば、上郎尼ごぜんたちにとりつきて、種々にかまへ申す」となっている。訳せば、「こうしているうちに、念仏者や真言律…

  • 種種御振舞御書 その2

    種種御振舞御書 その2 このようなことを知って、日蓮はむしろ喜んで言うのである。これはもとより知っていたことである。雪山童子(せっせんどうじ・釈迦の前世のうちの一人。帝釈天が姿を変えた鬼の説く「諸行無常/是生滅法」という偈を聞いて、その後半の「生滅滅已/寂滅為楽」を聞くために鬼に身を投げたという)は、半偈のために身を投げ、常啼菩薩(じょうたいぼさつ・人々が苦しむ姿を見て、常に泣いていたということからこの名がある。ある時、教えを請いに法涌菩薩のところに行こうとして、その供物を買うために、帝釈天が姿を変えた婆羅門に、自らの骨肉や血を売ろうとした)は身を売り、善財童子(ぜんざいどうじ・『華厳経』に記…

  • 種種御振舞御書 その1

    種種御振舞御書 その1 種種御振舞御書(しゅじゅおんふるまいごしょ) 建治二年(1276年) 五五歳 (注:この書は、建治二年に身延にて、光日房という弟子宛に日蓮上人が記したものということになっているが、実際は、後世、自伝的な内容の短い書が集められて編集されたものである。この中には、日蓮上人の言葉や、その言葉に基づく記述も確かにあるだろうが、一方、特に幕府からの迫害が始まる箇所は急に文体が変わり、まるで演劇の台本のようになる。それは、そのような箇所は後世の創作であるためと考えられる。そもそも、そのような内容は、他の日蓮上人の書には全く見られないものであり、この書にのみ記されているものである。 …

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