『法華玄義』現代語訳 185 B.6.遍く諸行の体について述べる 諸行の「体」について述べるにあたり、四つの項目を立てる。一つめは1.諸行の同異について、二つめは2.経による行について、三つめは3.「麁」と「妙」の判別、四つめは4.「開麁顕妙」である。 B.6.1.諸行の同異について 教えを受けて「行」を立てるにあたっては、「信行」と「法行」を出ない。能力の劣った者は教えを聞くことによって理解を得て、その理解に従って「行」を立てるために「信行」と名付ける。能力の優れた者は自ら理解し、その理解に従って「行」を立てるために「法行」と名付ける。この二つの「行」は「四教」に通じる。「三蔵教」の「信行」…
『法華玄義』現代語訳 184 B.4.4.開顕を示す 問う:『中論』は、まず大乗の門を明らかにし、後に「二乗」の門を明らかにしている。ここではなぜまず小乗の門を明らかにし、後に大乗の門を明らかにしているのか。 答える:『中論』は、当時の人が誤った見解によって病を起こすために、まず大乗の教えによって病を取り除き、後に真理に入る門を示しているのである。『法華経』には誤った見解の病はない。ただ草庵に住めば、必ず「方便」の門を開いて、円満な真実の相を示すべきである。このために、先に小乗の門を列挙して、次に大乗の門を明らかにするのである。開いたり破ったりすることは適宜に行なわれれば、それぞれに美がある。…
『法華玄義』現代語訳 183 B.4.3.b.あらゆる門について「麁」と「妙」を判断する まず「三蔵教」の「四門」について明らかにする。この「四門」はすべて「能通」である。「四門」に執着すれば、共にみな妨げとなる。「門」が成就されることと「門」が退けられることと「麁」と「妙」に優劣はない。これは一概に判断できない。もし法に従って言葉を発せば「有門」は俗であり、道に入るためには拙い。「空門」は真理に近く、道に入るためには巧みである。このために『大智度論』に「能力の劣った人のために生空(しょうくう・事象的に空を説くこと)を説き、能力の高い人には法空(ほうくう・理法的に空を説くこと)を説く」とあるの…
『法華玄義』現代語訳 182 B.4.3.門の麁妙を示す 門の「麁」と「妙」を述べるにあたって、二つの項目を立てる。一つめは、「能所」について「麁」と「妙」を判断し、二つめは、あらゆる門について「麁」と「妙」を判断する。 B.4.3.a.「能所」について「麁」と「妙」を判断する 「能」と「所」について、四種がある。門は「能通(通る主体という意味)」であり、理法は「所通(通って至る所という意味)」である。自ら「能通」が「麁」であり、「所通」もまた「麁」であるものと、「能通」が「妙」であり、「所通」は「麁」であるものと、「能通」が「麁」であり、「所通」は「妙」であるものと、「能通」が「妙」であり、…
『法華玄義』現代語訳 181 B.4.2.b.④.Ⅱ.円観を明らかにする すでに「四門」を述べてきたが、今、「有門」によって「観法」を修す。「観法」において「別教」の「有門」の観法を明らかにするに際して、並べて記せば十の意義がある(注:「蔵教」「通教(実際には記述欠落と考えられる)」「別教」と同様に、ここから「十法成乗観」について記されることとなる)。 第一.観不思議境 前の「蔵教」「通教」「別教」のそれぞれ「四門」、合計十二の門が「思議」の門であるのに対して、「不思議境」と名付けられる。「不思議境」は、すなわち「一実」の「四諦」である。つまり、生死の「苦諦」は、不可思議であり、「即空」「即仮…
『法華玄義』現代語訳 180 第四.次第・不次第 もし「有」をもって門とすれば、門によって修行する場合、次第する段階の差がある。微かなことから著しいことに至るまで、一つの行の中に無量の行が含まれることはなく、最後の「非空非有門」までこれは同じである。これは「別教」の「四門」の相である。 もし「有」をもって門とすれば、すべての法は「有門」に赴く。門によって修行する場合、同じくすべての行は「有門」の行に赴く。一つの行がそのまま無量の行であることを、「遍行」と名付ける。最後の「非空非有門」までこれは同じである。これは「円教」の「四門」の相である。 また次に、「別教」の門に「円教」の行があり、「円教」…
『法華玄義』現代語訳 179 B.4.2.b.④.円教について (注:これ以降、「B.4.2.b.概略的に門に入る観法を示す」の最後の四番目の「円教」について述べられるが、この箇所は非常に長い)。 「円教」における「実相」に入る門の観法を明らかにするにあたって、第一に「Ⅰ.円門」を明らかにし、第二に「Ⅱ.円観」を明らかにする。 B.4.2.b.④.Ⅰ.円門を明らかにする 前に述べた「蔵教」の門は、実在に対する認識を滅して真理に通じる(析空観)。その意義を得ることができなければ、多くの争いが起こる。「通教」の「体空観」は、実在を幻と見て真理に通じ、人に争いが起こりようのない法を示す。「別教」の門…
『法華玄義』現代語訳 178 B.4.2.b.②.通教について 次に「通教」の「有門」の観法を明らかにするに際して、並べて記せば十の意義がある。その名称を列挙する(注:これは欠落しているようである)。すべての実在はみな幻が作り出した幻化であると体得し理解する。声聞と縁覚と菩薩の三人の発心が同じとしても、また細かな違いがある。『中論』の師が「この中は大乗の菩薩である」と言っている。しかし今、それは間違いであると言う。『般若経』には「声聞、縁覚を得ようとすれば、まさに般若を学ぶべきである」とある。『大智度論』に「声聞および縁覚の解脱と涅槃の道は、みな般若より出る」とある。経論には「これは大乗である…
『法華玄義』現代語訳 177 第四.破法遍 「有」を見て道を得ることを成就することは、心を「禅定」と「智慧」に安住させることである。「五停心」の後、「共念処(ぐうねんじょ・戒律と禅定の中において智慧を明らかにすること)」を修す時は、「不浄観」などを帯びて、遍くあらゆる実在に対する認識を破れば、事象と理法の観法を共に成就する。「五停心」の後、単に「性念処(しょうねんじょ・単に智慧のみを明らかにすること)」を修す時は、一向に理法の観法である。「無常」の「智慧」をもって、遍くあらゆる誤った見解を破る場合、この観法は『中論』の下巻の二つの章で明らかにされている通りである。仏は最初、教えを説いた時、他の…
『法華玄義』現代語訳 176 B.4.2.門に入る観法を示す 門に入る観法について述べるにあたって、二つの項目を立てる。まず概略的に門が通じる場所を示し、次に概略的に門に入る観法を示す。 B.4.2.a.概略的に門が通じる場所を示す 通じるところの教えの門は、「四教」にそれぞれ「四門」があって、合計十六あるとしても、通じる対象である理法はただ「偏真(偏った真理)」と「円真(円満な真理)」の二つのみである。前の「八門」はみな「偏真」に入り、後の「八門」はみな「円真」に入る。それはどうしてであろうか。「偏真」といっても理法はひとつであって、その門が八つあるとしなければならないのではないか。「三蔵教…
『法華玄義』現代語訳 175 B.4.実相に入る門を明らかにする 「実相」は幽玄であり微妙であり、その理法は深い淵のようである。断崖絶壁に登る時、非常に長い梯子を使うように、真実の源に一致しようと願うならば、必ず教えと修行による。このために、教えと修行をもって門とする。『法華経』には「仏の教えの門をもって、三界の苦から出る」とある。また「仏の弟子は道を行じ終わって、来世に仏になることができる」とある。門は良く通じるという意味による。ここに、概略的に四つの項目を立てる。一つめは「概略的に門の相を示し」、二つめは「門に入る観を示し」、三つめは「麁妙を示し」、四つめは「開顕を示す」。 B.4.1.概…
『法華玄義』現代語訳 174 B.3.一法の異名 「一法(=一実諦)」の異名について述べるにあたって、四つの項目を立てる。一つめは、異名を挙げ、二つめは、異名を解釈し、三つめは、喩えによって述べ、四つめは、「四随」について述べる。 B.3.1.異名を挙げる 「実相」の「体」は「一法」のみであるが、仏はさまざまな名称としてそれを説いている。たとえば、「妙有(みょうう)」「真善妙色」「実際」「畢竟空」「如如」「涅槃」「虚空仏性」「如来蔵」「中実理心」「非有非無」「中道」「第一義諦」「微妙寂滅(みみょうじゃくめつ)」などと名付けられる。このような無量の異なる名称は、すべて「実相」の別名である。「実相…
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