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2019/07/07

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  • 法華玄義 現代語訳 173

    『法華玄義』現代語訳 173 B.2.5.喩えについて ここで、三つの喩えをもって、「体」についての正しい見解と誤った見解を明らかにする。そしてそれに兼ねて「開合」「破会」などの意義についても述べる。 まず、三種の獣がいたとする。その獣たちが河を渡る際、同じく水に入る。この三種の獣は強いものと弱いものの区別がある。河には底がある。三種の獣のうち、兎と馬は力が弱いので、向こう岸に渡ることができるといっても、浮いてしまって深く水の底まで足はつかない。一方、大きい象は力が強いので、河底を歩いて渡ることができる。この三種の獣は、声聞と縁覚と菩薩の三人を喩え、水は「即空」を喩え、底は「不空」を喩える。声…

  • 法華玄義 現代語訳 172

    『法華玄義』現代語訳 172 B.2.4.偏った教えについて あらゆる大乗経典において、声聞と縁覚の「二乗」の人と同じように、「方便」を帯びて説く者の言葉が記されているが、それは名称が同じであるので、その意義についての解釈は注意して分別しなければならない。『大智度論』に「三乗の人は、同じように言葉にならない教えによって煩悩を断じる」とある通りである(注:つまり声聞も縁覚も菩薩も、苦を断じることにおいては同じ教えによる、ということ)。『中論』に「諸法の実相は、三人共に得る」とあるのは、「二乗」の人は、共に言葉にならない教えを受けて、自ら「苦」から出ることを求めるといっても、大いなる「慈悲」がない…

  • 法華玄義 現代語訳 171

    『法華玄義』現代語訳 171 B.2.広く誤った解釈をあげる 経典の正しい「体」は玄妙を絶しており、容易に知ることはできない。また、誤った教えや未熟な教えは、正しく完全な教えを乱す。たとえば、魚の目が真珠の中に入ったら紛らわしくなるようなものである。このため、ここでは誤った解釈を指摘しなければならない。そのために、六つの項目を立てる。一つめは、凡夫の典籍についてであり、二つめは、外道の典籍についてであり、三つめは、小乗においてであり、四つめは、偏った教えについてであり、五つめは、喩えについてであり、六つめは、悟りについてである。 B.2.1.凡夫の典籍について 『大智度論』に「世の典籍において…

  • 法華玄義 現代語訳 170

    『法華玄義』現代語訳 170 B.1.2.体を述べる意義について そもそも、「体」を述べる意義とは何か。『大智度論』に、「あらゆる小乗の経典は、もし無常、無我、涅槃の三つの項目をあげて小乗の印とするならば、すなわちそれは仏の教えである。そしてこれにそって修行すれば、道を得て、逆に、この三つの教えの印がなければ、悪魔の教えとなる。一方、大乗の経典は、ただ一つの教えの印があるのみである。それは諸法実相である。そのような教えを記す経典をみな了義経と名付け、それによって大いなる道を得る。もしこの実相の印がなければ、悪魔の教えである」とある。このために舎利弗は「世尊は実道を説き、悪魔にはこれがない」と言…

  • 法華玄義 現代語訳 169

    『法華玄義』現代語訳 169 B.顕体 第二に「顕体(けんたい)」とは(注:最初の「五重玄義」の項目があげられている箇所では、「弁体(べんたい)」となっていたが、ここでは「顕体」となっているので、それに従う)、前の「釈名」では総合的に説いたが、そのため、文義が広く漫然としていた。ここからは、特に要点を絞って、正式に経典の本体を顕わし、直接、「真性軌」を述べる。「真性軌」の他に、「観照軌」と「資成軌」がないわけではないが、理解しやすくするために、「真性軌」のみを説く。後に、「明宗」と「論用」を述べるが、その場合も「真性軌」がないわけではないが、その項目の名前に合った説き方をする。 「顕体」の「体…

  • 法華玄義 現代語訳 168

    『法華玄義』現代語訳 168 A.4.2.d.⑤観心をもって経を明らかにする 以上述べてきたことに基づいて、四つの項目(第一は無翻の立場において。第二は有翻の立場において。第三は有翻と無翻を融合する立場において。第四は法を経る立場において)において観心を立てる。 ⑤.第一.無翻の立場において 「無翻」の立場の観心において、六つの項目(Ⅰ.心に善悪のあらゆる心を含む。Ⅱ.心は法の本である。Ⅲ.心に発せられる過程を含む。Ⅳ.心に泉のように涌き出るという意味を含む。Ⅴ.心に花輪を結ぶことを含む。Ⅵ.墨の縄という意味を含む)を立てる。 ⑤.第一.Ⅰ.心に善悪のあらゆる心を含む まさに知るべきである。こ…

  • 法華玄義 現代語訳 167

    『法華玄義』現代語訳 167 墨の色が「経」であることが、法の本とするということは、次の通りである。もし墨の文字において「瞋恚」を生じれば、他者の寿命を断じる。もし墨の文字において「愛」を起こして、盗みや姦淫をして、さらに墨の文字において「愚痴」を起こして「邪見」を生じれば、まさに知るべきである。墨の文字は、地獄、餓鬼、畜生、修羅の「四趣」の本となる。もし墨の文字において「慈悲」を起こして、平等な心が生じ、さらに「正見」が生じれば、まさに知るべきである。墨の文字は、人、天の本となる。もし墨の文字が「果報」の「無記(むき:善でもなく悪でもないこと)」であると知れば、「無記」は「苦諦」である。「果…

  • 法華玄義 現代語訳 166

    『法華玄義』現代語訳 166 A.4.2.d.④法によって経を明らかにする もし「経」という言葉を正しい翻訳の言葉とするならば、どのような法が「経」なのであろうか。古い解釈に三種ある。一つめは、声をもって「経」とする。仏は世にあって、尊い金口(こんく)をもって教えを説いたように、ただ声の音声をもって教えを明らかにし、聞く者に道を得させた。このために、声をもって「経」とするのである。『大品般若経』に「善知識に従って聞く」とある。二つめは、形あるものをもって「経」とする。もし仏が世にあれば、声をもって「経」とすることができるが、世を去れば、紙や墨をもって伝え保たれる。まさに形あるものをもって「経」…

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