『法華玄義』現代語訳 165 A.4.2.d.②有翻を明らかにする 第二に、翻訳する言葉があることについて、五つの項目を立てる。 一つめは、翻訳して「経」とすることである。「経」とは、経由(けいゆ)の意味である。聖人の心と口を経由するからである。さらにまた、この意義によって解釈すると、「教由」「行由」「理由」となる。すべての「修多羅」、すべての他の経典に通じる教え、ある経典に限った個別的な教え、すべての注釈書などは、みな聖人の心と口による。このため、「教由」と名付ける。すべての悟った後の修行、悟りの直前の修行、すべての信心の行、すべての教えによる行は、みな聖人の心と口による。このため、「行由」…
『法華玄義』現代語訳 164 ②少しずつ生じるという意味 ②.a.「教の本」 仏は「四悉檀」をもって説いたが、言辞(ごんじ)が巧みであって、次第に多くの意義を語り、最初、中頃、最後もすべて良く、円満具足することは、海の水が陸から次第に深くなっていくようなものである。 教えを聞く者は、最初は「世界悉檀」を聞き、次第に受け入れていき、教えの相を分別し、少しずつ理解を生じていく。その理解は次第に増長し、明らかに教えの深みに達していく。また遍くあらゆる異なった論書を読み、広く智者の意図を知り、多く聞き知識を増し、ついに成仏するに至る。これは教えにおいて少しずつ理解を生じることである。 ②.b.「行の本…
『法華玄義』現代語訳 163 A.釈名 A.4.正しく解釈する A.4.2.詳細に説き明かす A.4.2.d.経について述べる これまで述べた「釈名」における「法」「妙」「蓮華」の名称の解釈は、『妙法蓮華経』に限られたことであるので、「別名(べつみょう)」の解釈であり、次に述べる「経」の一文字は、他の経典にも共通する名称であるため、この解釈は「通名(つうみょう)」である。この『法華経』の梵語は、「薩達磨分陀利脩多羅(さっだるまぶんだりしゅたら・古代インド語の原語では、サッダルマ・プンダリーカ・スートラとなる)」というべきである。「薩達磨」とは、中国では「妙法」と翻訳し、「分陀利」とは、中国では…
『法華玄義』現代語訳 162 〇蓮華をもって行妙を喩える 蓮華の種は小さいといっても、その中に根、茎、花、葉が備わっていることは「行妙」を喩える。茎は「慈悲」、葉は「智慧」、しべは「三昧」、花が開くことは「解脱」である。また葉は三つの「慈悲」を喩えるが、まず、水を覆う青葉は、衆生の縁の「慈悲」を喩え、水を覆う黄色い葉は、法の縁の「慈悲」を喩え、丸まった葉は無縁の「慈悲」を喩える。つぼみが出てくれば、間もなく花が開くことである。無縁の「慈悲」が成就すれば、間もなく「授記」を得る。また、根、花、種、葉が、人や蜂に「利益」を与えることは、「檀波羅蜜」である。香気は「尸波羅蜜」である。泥から生まれるこ…
『法華玄義』現代語訳 161 〇蓮華をもって十如是の境を喩える(①~⑩) ①たとえば、硬い蓮の実のようである。黒いことは染めがたいことを意味し、硬ければ壊れにくい。四角でもなく丸くもなく、生まれもせず滅びもせず、「劫初」には種もないために生じることがなく、今も初めと異ならないために滅びない。これが蓮の種の相と名付ける。すべての衆生の「自性」の清浄である心もまたこのようである。外からの煩悩に染まることがない。生死が積み重なっても、「心性」は留まることはなく、動かず、生じることなく、滅びることがない。すなわちこれは「仏界」の「如是相」である。『維摩経』に「すべての衆生はすなわち菩提の相である」とあ…
『法華玄義』現代語訳 160 A.4.2.c.④正しく解釈する もし『大集経』によるならば、修行の法の「因果」を蓮華とし、菩薩が蓮華の上に坐ることは、「因」の花、仏の蓮華を礼拝することは、「果」の花である。もし『法華論』によるならば、その住む所の国土を蓮華とする。また菩薩が蓮華の行を修することにより、その報いによって蓮華の国土を得る。まさに知るべきである。国土とそこに住む者の「因果」はすべて蓮華の法である。どうして譬喩が必要であろうか。能力の低い者に、「法性」の蓮華を理解させるために、この世の花を用いて喩えとすることにおいても、妨げはない。 しかし、『法華経』の中の二か所に「優曇鉢華(うどんは…
『法華玄義』現代語訳 159 A.釈名 A.4.正しく解釈する A.4.2.詳細に説き明かす A.4.2.c.蓮華について述べる 蓮華について述べるにあたって、四つの項目を立てる。①「法譬」を定める。②「旧釈」を引用する。③「経論」を引用する。④正しく解釈する。 A.4.2.c.①法譬を定める 「権実」は顕われにくいので、蓮華に喩えて「妙法」を述べるのである。また『法華経』自体に、七つの大きな喩えがあるように、経題においても喩えを用いるのである。 また、蓮華について解釈して、「蓮華は喩えではなく、そのものである」という。たとえば、「劫初(こうしょ・すべての始まり)」には万物には名はなく、聖人が…
『法華玄義』現代語訳 158 第九.利益 「本門の十妙」の解釈における第九は、「利益」である。先に「生身(しょうしん・この世に現われた身)」の「利益」を明らかにし、次に「法身」の「利益」を明らかにする。「生身」は「迹門」と「本門」の両方に「利益」を得る。「迹門」に「会三帰一」し、「開権顕実」して、「生身」の菩薩が「利益」を得るのは、「十妙」の中において「境妙」「三法妙」「感応妙」「神通妙」「説法妙」の「五妙」の「利益」を得る。なぜならば、「境妙」はすべてに通じて、すべてを備えている。「三法妙」は個別的なもので究竟は仏にある。「感応妙」「神通妙」「説法妙」はみな「果」の上の「利益」である。もしま…
『法華玄義』現代語訳 157 第六.料簡 「本門の十妙」の解釈における第六は、「料簡」である。過去現在未来の「三世」について考察する。『法華経』に「如来の自在な神通力と、如来の大いなる勢いと威厳の力と、如来の獅子奮迅の力」とあるのは、すなわちこれは「三世」にわたって衆生に「利益」を与えるという意味の文である。過去に最初に悟りを証するところの「権」と「実」の法を「本」と名付ける。「本」が証されて以降、「方便」をもって他を教化し、「開三顕一」「発迹顕本」することは、最初を指して「本」とするためである。中間の示現、「発迹顕本」もまた最初を指して「本」とするためである。今日における「発迹顕本」もまた、…
『法華玄義』現代語訳 156 ⑦本眷属妙 『法華経』に「このあらゆる菩薩は、下方の空中に住む。彼らは私の子、私はすなわち父である」とある。「下方」とは、「下」を「底」とする。『大品般若経』に「諸法底三昧(しょほうていざんまい)」について記されている。『大智度論』に「智度の大道は、仏が底を究めたことである」とある。まさに知るべきである。このあらゆる菩薩たちは、仏の側にあって智度の底を究めたのである。「空中(=虚空)」とは、「法性虚空」の「寂光」のことである。「本時」の「寂光」は、空中から今の時の「寂光」の空中に出る(注:この時の『法華経』の場面は空中となっているため)。今の時の「寂光」の空中にい…
『法華玄義』現代語訳 155 ③本国土妙 『法華経』に「それ以来、私は常にこの娑婆世界にいて、説法教化し、また他の国においても衆生を導き利益を与えた」とある。この「娑婆」とはすなわち「本時」の「凡聖同居土」である。「他の国」とはすなわち「本時」の「方便有余土」と「実報無障礙土」と「常寂光土」の「三土」である。これは「本時」の真実の「応身」の住むところである。「迹門」の中の国土ではない。 「迹門」の中の国土について述べると、それは一つではない。あるいは「この三千百億の歳月を統括するのは、凡聖同居土である」という。あるいは「西方に国土があり、無勝と名付ける。この国土のあらゆる荘厳については、なお安…
『法華玄義』現代語訳 154 第五.広釈 「本門の十妙」の解釈における第五は、「広釈」である。「本門の十妙」の各項目について詳しく述べる。「本」がなければ「迹」が下されることはない。もしよく「迹」を理解すれば、すなわちまた「本」も知る。しかしまだ理解できない者のために、さらに重ねて分別して説く。ただ「本」の極みにある「法身」は、微妙深遠である。仏がもしそれを説かなければ、弥勒菩薩でさえ理解できない。どうして下の世界にいる者たちが理解できようか。どうして凡夫が理解できようか。しかし、父母が亡くなることは見届けねばならないと同様に、妙来の功徳は知らなければならない。ここで概略的に経典の趣旨によって…
『法華玄義』現代語訳 153 A.4.2.b.②.(2).Ⅱ.本門の十妙を明らかにする。 第二に、「本門」の「十妙」とは、「本因妙」「本果妙」「本国土妙」「本感応妙」「本神通妙」「本説法妙」「本眷属妙」「本涅槃妙」「本寿命妙」「本利益妙」の十種類である。 そして、この「本門の十妙」の解釈において、また十の項目を立てる。第一に「略釈」、第二に「生起の次第」、第三に「本迹の開合を明らかにする」、第四に「文を引いて証する」、第五に「広釈」、第六に「料簡」、第七に「麁妙を論じる」、第八に「権実を結成する」、第九に「利益」、第十に「観心」である。 第一.略釈 「本門の十妙」の解釈における第一は、「略釈」…
『法華玄義』現代語訳 152 A.4.2.b.②.(2)本門の十妙 「妙」について詳しく述べるにあたっての第二は、「本門」における「十妙」を明らかにすることである。ここで二つある。まず、Ⅰ.「本」と「迹」について解釈し、第二にⅡ.「本門の十妙」を明らかにする。 A.4.2.b.②.(2).Ⅰ.本門と迹門について解釈する ここにおいて、六つの項目を立てる。そもそも、次の六種(①~⑥)のように、「本」と「迹」という言葉の用いられ方はさまざまである。①「本」とは「理本」のことである。すなわち「実相一究竟」の道である。「迹」とは、あらゆる実在の「実相」を表現する理法的なことを除いて、その他の事象的なこ…
『法華玄義』現代語訳 151 ④観心の利益について明らかにする 小乗は、心に生じたことでも、まだ身も口も動いていなければ、「業」とはしないことが明らかである。しかし、大乗は、一瞬の罪を作ることでも、それによって無間地獄に堕ちることを明らかにする。無間地獄は、大きな苦しみの報いの世界であり、さらに一瞬のことでも「業」を起こしてしまう場所である。心がわずかに動いてしまうと、重い「業」が作られてしまう。ましてや、「九法界」にそれが備わっていないわけがない。 もしよく心を清めれば、あらゆる「業」は清められる。「浄心観」とは、あらゆる心を観じ、すべての「因縁」によって生じた存在は、「即空」「即仮」「即中…
『法華玄義』現代語訳 150 ③流通の利益について明らかにする 「功徳利益妙」について述べるにあたっての三つめは、「流通(るつう・教えが広められること)の利益について明らかにする」である。ここにおいて三つの項目を立てる。一つめは「a.師を出す」であり、二つめは「b.法を出す」であり、三つめは「c.利益を出す」である。 ③.a.師を出す 経典を広める人は、凡人と聖人に通じていなければならない。「法身」の菩薩は、「四弘誓願」をもってその身を荘厳としている。この国土や他の国土、下の国土や上の国土に対して、「権」と「実」の「七益」「九益」「十益」を得させる。教化の功徳は自分に還って来て、その「法身」を…
『法華玄義』現代語訳 149 ②.b.近益を論じる 「近益(ごんやく)」とは、仏が悟りを開く「寂滅道場」に赴き、初めて悟りを成就して、教えを説き、生死の「苦」を減らす毒の太鼓と、道を増し加える天の太鼓を打って、衆生に「利益」を与え、『法華経』が説かれる直前までの「利益」についてである。『法華経』に至る前に限っては、「利益」もまた浅深の違いがある。煩悩が滅びることにおいても、遅早の違いがある。なぜなら、教えとはもともと聞く相手に合わせるものだからである。聞く相手には、「三界」の中の能力の高い者、低い者、そして「三界」の外の能力の高い者、低い者の四種がある。また教える教主にも、「蔵教」「通教」「別…
『法華玄義』現代語訳 148 第十.実報土の利益 これは「実報土」の人の「利益」である。前に第一から第八の「利益」まで述べた中、別教の「十住」「十行」「十廻向」の「三十心」の人と、円教の「相似即」の人は、まだ生まれ変わる。この人たちは、「方便有余土」にもまた生まれる。そしてすべて「無明」を破り、「実相」を見る者は、この「実報土」に生まれることができるのである。 ただ「無明惑」の数は大変多い「十住」「十行」「十廻向」の三賢と「十地」の十聖は、「実報土」に立脚するが、「果報」がまだ尽きていないので、なお残りの「惑」がある。さらに「王三昧」をもって最後にこれに「利益」を与え、「妙覚位」に至って、時間…
『法華玄義』現代語訳 147 第三.声聞の利益 「声聞」の「利益」とは、もし人が生死にとらわれるならば、死んでさらにこの世に生を受け、さらにまた死んで、それによって精神的に病んで、生まれ変わり死に変わりが際限なく続く。貪欲に覆われ、ヤクが自分の尾を追うように、そこから解き放たれることがない。このために『法華経』に「もし人が苦しみにあい、老病死から離れたいと思うならば、仏はそのために涅槃を説き、あらゆる苦しみを滅ぼし尽くさせる」とある。苦しみから離れたいと決心すれば、出家を求める。そのために、声聞の道を修行するのである。 そして「戒律」だけを保とうとしても、愛(あい・情緒的な煩悩)や見(けん・知…
『法華玄義』現代語訳 146 第二.因の利益 「因」の「利益」とは、「二十五有」の修行の「利益」である。そもそも自分の「利益」のため、あるいは他人の「利益」のための「因果」は、それぞれの意義に従って、両極端をあげて述べれば容易である。しかし、前に述べた「果報」の「利益」については、その場所や時節が異なっているので、一人の人物にまとめて「利益」を語ることは難しい。しかし、修行をする人の「利益」を明らかにする場合、一人の人を想定して、その一人の人の心に無量のわざが起こるとすれば、その意義は解き明かしやすい。このために、一人の人における場合として、「二十五有」の修行の「因」を明らかにする。 「二十五…
『法華玄義』現代語訳 145 ②.a.Ⅱ.十益 次に個別に説けば十種の「利益」となる。第一は「果」の「利益」、第二は「因」の「利益」、第三は「声聞」の「利益」、第四は「縁覚」の「利益」、第五は「蔵教の菩薩」の「利益」、第六は「通教」の「利益」、第七は「別教」の「利益」、第八は「円教」の「利益」、第九は「変易生死」の「利益」、第十は「実報土」の「利益」である。 (注:「七益」の第三である「声聞と縁覚」を二つに分け、「変易生死」と「実報土」を加えて十としている)。 第一.果の利益 「果」の「利益」とは、すなわち「二十五有」の「果報」の「利益」である。まず地獄には八大地獄がある。阿鼻、想、黒縄、衆合…
「ブログリーダー」を活用して、tutiinagoさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。