chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
tutiinago
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2019/07/07

arrow_drop_down
  • 法華玄義 現代語訳 126

    『法華玄義』現代語訳 126 g.四悉檀によって考察する。 第七に、「四悉檀」によって考察するとは次の通りである。 問う:十種類の「三法」および他のすべての説が、みな「三軌」ならば、ただまさに「三軌」のみとなるはずではないか。なぜいろいろな説を述べるのか。 答える:衆生の能力がさまざまであるので、その能力に従って説き、「四悉檀」の「方便」をもって導くのである(注:大乗経典にさまざまなものがあるのは、それぞれ創作したグループが違うからであり、それ以外の理由はない。しかし、それが明らかになったのは、日本の明治以降である。それまでは、すべての経典は釈迦一人の説法を記したものであり、その経典の間の主張…

  • 法華玄義 現代語訳 125

    『法華玄義』現代語訳 125 ⑧三涅槃 第八に「三涅槃」と「三軌」を類通させれば、次の通りである。「地論宗」の人は、「ただ性浄涅槃と方便涅槃の二つがあるだけである。実相を性浄涅槃と名付け、因を修して成就するのを方便浄涅槃とする」と言っている。ここでは、「理性(りしょう)」を「性浄涅槃」として、因(教えや修行のこと)を修して成就するのを「円浄涅槃」とする。これは意義上のことである。薪が燃え尽きて火が滅すること(注:そもそも涅槃とは、煩悩の火が滅するという概念から生じた言葉であることから、このような表現が用いられる)を、「方便浄涅槃」とする。これは言葉を用いた文の上のことである。もし因を修して成就…

  • 法華玄義 現代語訳 124

    『法華玄義』現代語訳 124 ③三仏性 第三に「三仏性」と「三軌」を類通させれば、「真性軌」は「正因仏性(しょういんぶっしょう・もともと備わっている仏性のこと)」であり、「観照軌」は「了因仏性(りょういんぶっしょう・仏性自ら仏性を照らす智慧のこと)」であり、「資成軌」は「縁因仏性(えんいんぶっしょう)仏性自ら仏性を表わすために行なう行のこと」である。このために、『法華経』に、「あなたは私の子、私はあなたの父である」とあるのは、すなわち「正因仏性」のことである。また『中本起経』に、「私は昔、あなたにこの上ない道を教えるために、一切智の誓願は、なお失っていない」とあるのが、この中の「一切智」はすな…

  • 法華玄義 現代語訳 123

    『法華玄義』現代語訳 123 f.他の三法と照らし合わせる 第六に、他の「三法」と照らし合わせるとは、前に「三軌」の最初と最後を明らかにしたが、すなわちこれは、「縦」に通じることに妨げがないことであり、ここでは、「横」にあらゆる教えを通して、すべて妨げがないことを明らかにするために、あらゆる「三法」を照らし合わせるのである。なぜならば、条件に応じて名称は異なるが、意義を見極めれば同じであることがわかる。それはほぼ十種類に分けることができる。その他は理解すべきである。その十種類とは、①三道、②三識、③三仏性、④三般若、⑤三菩提、⑥三大乗、⑦三身、⑧三涅槃、⑨三宝、⑩三徳である。あらゆる「三法」は…

  • 法華玄義 現代語訳 122

    『法華玄義』現代語訳 122 c.麁と妙を判別する。 第三に、「麁」と「妙」を判別するとは次の通りである。 「三蔵教」は「有為」の福徳において、「三法」を論じて「乗」とする。「四念処」は聞いて生じる「智慧」であり、「教乗」に乗って「四善根」に至る。「四善根」は「行乗」に乗って「見諦」に至る。「見諦」は「証乗」に乗って「無学」に至る。ここに至れば、「方便」となり、「三界」の外に出て、「真」をもって「証」とする。証すれば、もはや運ばれることはない。しかしこれは「方便」であり、真実の乗り物ではないので、『法華経』にあるように、嘆いて自らを責めるようになる。釈迦に「過失でしょうか、過失ではないでしょう…

  • 法華玄義 現代語訳 121

    『法華玄義』現代語訳 121 b.個別に三軌について述べる。 第二に、個別に「三軌」について述べるとは、まず如来が用いる「開合」という「方便」について知るべきである。そうすれば、「三法」を「一大乗」とすることが理解できる。仏は何の教えから、あらゆる「権乗」を開くであろうか。『涅槃経』に「仏性は一つではない」とある。このような数多くの教えを通して「三乗」を説くためである。まさに知るべきである。あらゆる数多くの教えは、結局は「如来蔵」に収められるのである。仏はこの「如来蔵」において、声聞、縁覚、およびあらゆる菩薩の「通教」「別教」の教えを開出するのである。なぜならば、あらゆる教えは「方便」であって…

  • 法華玄義 現代語訳 120

    『法華玄義』現代語訳 120 ◎「三法妙」について詳しく述べる (注:「迹門の十妙」の中の「A.4.2.b.②.(1).Ⅳ広解」の中の、第五番めである「三法妙」の段落となる) 第五に、「三法妙(さんぽうみょう)」について述べるが、「三法妙」とは、すなわち「妙」の「位」が住するところの教えである。「三法」とは「三軌」のことである。「三軌」の「軌」とは軌範(きはん)のことである。言い換えれば、「三法」は軌範そのものである。 ここでは七つの項目によって述べる。一つめは、a.総合的に「三軌」について述べる。二つめは、b.個別に「三軌」について述べる。三つめは、c.「麁」と「妙」を判別する。四つめは、d…

  • 法華玄義 現代語訳 119

    『法華玄義』現代語訳 119 ⑥.j.妙位の初めと終わりを明らかにする。 「第六の位」である「円教」の「位」について述べるにあたっての十番めの項目は、「妙位」の初めと終わりを明らかにすることである。「真如」の教えにおいては、「位」を順番に進めるということはなく、「一地」「二地」というような「位」もない。真理の本性は平等であり、常に自ら寂然としている。どうして最初と最後、始めと終わりを分別できるだろうか。真実に平等の大いなる「智慧」をもって、「法界」を観じれば、相対的なことはないので、相対を作り出す「無明惑」を破り、「智慧」には相対はないということを証できる。この「智慧」においては、始めがないま…

  • 法華玄義 現代語訳 118

    『法華玄義』現代語訳 118 ⑥.i.経典から引用する 「第六の位」である「円教」の「位」について述べるにあたっての九つめの項目は、経典から引用して述べる。これは、『涅槃経』に記されている「五味」の譬喩を引いて「四教」について述べることである。もし「四教」をもってこの譬喩を解釈しなければ、この譬喩は解釈することはできない。もし「五味」の譬喩が「四教」の「位」を判断するものでなければ、信じることは難しい。もし『涅槃経』の経文を信じれば、「位」の意義は明らかにしやすく、あらゆる「位」の意義を解釈すれば、その喩えは理解できる。「五味」の喩えも「四教」もどちらも必要としあって優れているということがわか…

  • 法華玄義 現代語訳 117

    『法華玄義』現代語訳 117 ⑥.h.開麁顕妙について 「第六の位」である「円教」の「位」について述べるにあたっての八つめの項目は、「開麁顕妙」について明らかにすることである。「三乗」を破って「一乗」を顕わす相対的な次元の意義は、前に説いた通りである。「三乗」をそのまま「一乗」とするという絶対的な次元の意義は、前の通りではない。なぜなら、前の「権」は「実」を包んでいるのであり、それは蓮の花が実を包んでいるようなものである。その「権」を開いて「実」を顕わすことは、蓮の花が開いて実が現われるようなものである。この花を離れて別に実はなく、この「麁」を離れて、別に「妙」はないのである。なぜ「麁」を排除…

  • 法華玄義 現代語訳 116

    『法華玄義』現代語訳 116 もし仏が相手の能力に応じて「位」を立てたり廃したりするならば、それは『無量義経』にある通りとなる。「無量の法とは、一法から生じる。いわゆる二道、三法、四果である」とある。「二道」とは、すなわち「頓教」と「漸教」である。「三法」とは、すなわち「三乗」である。「四果」とは、すなわち「四位(須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢)」である。この無量の法は、一法より生じる。なぜならば、「二道」は「頓教」と「漸教」ならば、「頓教」は大道であり、昇ったばかりの太陽はまず高山を照らすようなものである。このことはひとまず置いておく。そしてここで「漸教」の最初について述べれば、これはすなわ…

  • 法華玄義 現代語訳 115

    『法華玄義』現代語訳 115 ⑥.f.位が立てられた意味について 「第六の位」である「円教」の「位」について述べるにあたっての六つめの項目は、「位」が立てられた意味について明らかにすることである。 問う:「権位」がみな「麁」ならば、仏は何の意味をもって「位」を説いたのか。 答える:あらゆる衆生はその心の向かう所同じではない。善を生じる条件も同じではない。過ちを知って悪を改めることも同じではない。同じ説法を聞いても、悟るところが同じではないためである。このため、如来のどんな説法にもみな利益(りやく)がある。もし「三界」の中の願うところに従えば、「蔵教」「通教」の「位」を説く。もし「三界」の外の願…

  • 法華玄義 現代語訳 114

    『法華玄義』現代語訳 114 ⑥.d.功用について「第六の位」である「円教」の「位」について述べるにあたっての四つめの項目は、「功用(くゆう)について明らかにすることである。この「功用」という言葉について、まず二つに分けると、「功」とは、自ら進むことであり、「用」とは、ある物事に利益(りやく)を与えるということである。そしてこの二つを合わせると、正式に他の人々を教化することをいう。「円教」の「五品弟子」の「位」は、真理がまだ明らかに表わされていないといっても、「観心」の「智慧」はすでに完全に備わっている。そこに煩悩の本性はありながら、如来の秘密の蔵を知り、世間のために仏法の最初の拠り所となるに…

  • 法華玄義 現代語訳 113

    『法華玄義』現代語訳 113 ⑥.c.煩悩を抑え断じることについて 「第六の位」である「円教」の「位」について述べるにあたっての三つめの項目は、煩悩を抑え断じることについて明らかにすることである。 「円教」の「位」の最初である「五品弟子位」の人は、すでに「一実諦」の「四諦」を理解する。その心は、一念一念に完全に「法界」の「諸波羅蜜」と相応する。「邪見」「曲見」「偏見」などの誤りがなく、完全に「見思惑」「塵沙惑」「無明惑」を抑えるために、「伏忍」と名付ける。他の諸教の初心に、このような心の状態はない。『涅槃経』に「大乗を学ぶ者は、肉眼があるといっても、その眼を仏眼とする」とある。迦陵頻伽(かりょ…

  • 法華玄義 現代語訳 112

    『法華玄義』現代語訳 112 ⑥.b.Ⅲ.問答 「円教」の「位」の数を明らかにすることにおける三つめは問答である。 問う:「無明」は「仏性」「中道」を覆う。ただ、「四十二品(「十住」「十行」「十廻向」「十地」「等覚」「妙覚」)として断じることでじゅうぶんであるのか。 答える:「無明」は本来存在するものではないとはいえ、あるものではないながらあるのである。それを断じる階級がないのではない。いったん、わかりやすく分ければ「四十二品」となる。しかし、その階級の数は無量無辺である。『大智度論』に「無明の数は非常に多い。このために、その度ごとに「無明」を破る三昧を説くのである」とある。また「どんなもので…

  • 法華玄義 現代語訳 111

    『法華玄義』現代語訳 111 ⑥.b.Ⅱ.経文を引用して証する次に、経文を引用して証することは、あらゆる経典の文を引用して、「位」の数の多少を明らかにすることである。『涅槃経』に「月愛三昧(がつあいざんまい・月の光の増減を禅定に喩えたもの。『涅槃経』に説かれる)は、初めの一日より十五日に至って、光が次第に増長する」とある。また「十六日より三十日に至って、光が次第に損減する」とある。光が増長するのは、十五の「智徳」ある「摩訶般若」をたとえ、光が次第に減るのは、十五の「断徳(だんとく・煩悩を断じる徳)」の煩悩のない「解脱」を喩えている。「十住」「十行」「十廻向」の「三十心」を三つの「智断」として、…

  • 法華玄義 現代語訳 110

    『法華玄義』現代語訳 110 ⑥.b.Ⅰ.2.十信の位「五品」の「位」の次に、「十信」「十住」「十行」「十廻向」「十地」「等覚」「妙覚」の七種によって、「円教」の「位」の段階を明らかにする。七種の第一は「十信」の「位」である。最初に「円教」について聞くことにより、よく「円教」の信仰を起こし、「円教」の行を修し、よく巧みに利益を増し、この「円教」の行をもって利益を五倍にして深く明らかにする。この「円教」の行によって「円教」の「位」に入ることができる。よく「平等法界(びょうどうほうかい・すべてはひとつの真理によって成り立っているため平等だと観じること」を修すことによって「①信心」に入り、よく「慈愍…

  • 法華玄義 現代語訳 109

    『法華玄義』現代語訳 109 ⑥.b.Ⅰ.1.五品の位⑥.b.Ⅰ.1.第一「初随喜品(随喜)」もし人が、前世からの良い業が深く厚いならば、あるいは「善知識(ぜんちしき・仏の教えに導いてくれる人)」に会い、あるいは経典に従って、完全な「妙理」を聞くことができる。その「妙理」とは、ひとつがすべてであり、すべてがひとつであり、ひとつではなく、すべてではなく、不可思議である、ということである。「境妙」の段落で説いた通り、「円教」の「信解(しんげ・信じ受け入れ理解すること)」を起こす。「一心(いっしん・瞬間的な心。一念と同じ)」の中に「十法界」を具すことを信じることは、ひとつの塵に全宇宙の経典の経巻があ…

  • 法華玄義 現代語訳 108

    『法華玄義』現代語訳 108 ⑥第六の位最後に、「第六の位」とは、「最実位」である。すなわち「円教」の「位」である。この「位」について述べるにあたって、十の項目を立てる。a.名称とその意義について分類し、b.「位」の数を明らかにし、c.煩悩を抑え断じることについて明らかにし、d.働きについて明らかにし、e.「麁」「妙」について明らかにし、f.「位」の意味が立てられることについて明らかにし、g.「位」の意味が排除されることについて明らかにし、h.「開麁顕妙」し、i.経典から引用し、j.「妙位」の初めと終わりを明らかにする。 ⑥.a.名称とその意義について分類する名称とその意義について分類するにあ…

  • 法華玄義 現代語訳 107

    『法華玄義』現代語訳 107 ⑤.b.総合的に菩薩の「位」について述べる二つめの、総合的に(注:「四教」を超越してという意味)菩薩の「位」について述べるとは、すなわち『瓔珞経』と『般若経(大品般若経)』と『涅槃経』の三つの経典によることである。まず、『瓔珞経』によって、「位」の数を明らかにする。この経典には七つの「位」がある。それは「十信(じゅっしん)」、「十住(じゅうじゅう)」、「十行(じゅうぎょう)」、「十廻向(じゅうえこう)」、「十地(じゅっち)」、「等覚(とうがく)」、「妙覚地(みょうがくじ)」である。初めの「十信心(じゅうしんじん)」は、すなわち「外凡」である。またこれは「別教」の「…

  • 法華玄義 現代語訳 106

    『法華玄義』現代語訳 106 ⑤大樹「大樹」の「位」とは、「別教」の「位」である。この「位」について述べるにあたって、三つある。一つめは経論の不同をあげ、二つめは総合的に菩薩の「位」について述べ、三つめに「別教」の各「位」について述べる。⑤.a.経論の不同をあげるこの「別教」の名称の意味は、真理の表現である「理」、「煩悩」、「智慧」、煩悩を断じる「断」、これらについての教えがすべて同じではない、つまり「別々」ということである。まさしく、「因縁仮名(いんねんけみょう・因縁によって生じた事柄はすべて仮の個別の名称を持っているということ)」、大河の砂の数ほどの「仏法」、如来の本性である「如来蔵」、常…

  • 法華玄義 現代語訳 105

    『法華玄義』現代語訳 105 ④.b.Ⅱ.十信、三十心、十地 第二に、各別の名称を用いて名付けるとは、すなわち「別教」の名称を取って、「通教」の菩薩の「位」に当てるのである。「別教」の名称とは、すなわち「十信」「三十心(十住+十行+十廻向)」「十地(通教の十地とは異なっている。すなわち歓喜地、離垢地、明地、焰慧地、難勝地、現前地、遠行地、不動地、善慧地、法雲地)」の名称である。「十信」の「位」は、「通教」の義においてはすなわち「乾慧地」、菩薩には「伏忍」である。「三十心」は、「通教」では「性地」、菩薩には「柔順忍」に該当する。「通教」の「八人地」と「見地」はすなわち「別教」の「十地」の最初の「…

  • 法華玄義 現代語訳 104

    『法華玄義』現代語訳 104 ④.b.名別義通 先に「三乗」共の「位」である「十地」について述べたが、次に「名別義通(みょうべつぎつう・名称は別教で、その義は通教という意味。通教の人が次の段階である別教に入りやすくするための教え)」を述べる。そしてここに、さらに二つある。ひとつめは、「三乗」共の「位」の中において、菩薩は別に「忍」の「位」の名を立てるが、意義は「三乗」に共通である。ふたつめは、「別教」の名を用いるが、名称は別であっても、意義は共通である。「通教」の意義はすでに前に述べた通りである。 ④.b.Ⅰ.1.伏忍 菩薩のために別に「1.伏忍」(ぶくにん)、「2.柔順忍(じゅうじゅんにん)…

  • 法華玄義 現代語訳 103

    『法華玄義』現代語訳 103 ④小樹 「小樹」の「位」とは、すなわちこれは「通教」である。「通教」は声聞、縁覚、菩薩の「三乗」に通じる教えである。この「三乗」の人は、共通して言葉を用いない行をもって煩悩を断じ、「第一義諦」に入ることを明らかにする。「体法(たいほう・教えを体得すること)」の「観心」の「智慧」は異ならず、ただ「智慧」の力に強弱があるのみである。そして煩悩が断たれた後に残る「習気(じっけ・残っている気配という意味)」まで尽くされているか、尽くされていないかの違いもある。まず「三乗共」の「十地」の「位」を明らかにし、次に「名別義通(みょうべつぎつう・名称は別教で、その義は通教という意…

  • 法華玄義 現代語訳 102

    『法華玄義』現代語訳 102 ②.b.縁覚 「中の薬草」の「位」の二番目は、「辟支仏(びゃくしぶつ・原語の略音写語)」の「位」である。漢語では「縁覚(えんがく・十二因縁を悟ったという意味)」と翻訳される。この人は前世において福徳が厚く、「神根猛利(じんこんみょうり)」にしてよく「集諦」を観じて仏の道に入った。『大智度論』には「独覚(どっかく・ひとりで悟ったという意味)」あるいは「因縁覚」と称する。もし仏のいない時代に生まれ、自然と道を悟るならば、すなわちその人は「独覚」である。もし仏のいる時代に生まれ、「十二因縁」の教えを聞き、これを受け入れて道を得れば、その人は「因縁覚」と名付けられる。仏の…

  • 法華玄義 現代語訳 101

    『法華玄義』現代語訳 101 第四「見得」 第四に「見得(けんとく)」の「位」とは、「随法行」の人が「修道」に入ることを、「見得」と名付ける。これは能力の高い人が、自ら「智慧」の力をもって教えを見て、真理を見るために、「見得」と名付ける。この人は「修道」にあって、順に「須陀洹」「斯陀含」「阿那含」の「三果」を証す。また「超越(ちょうおつ)」の人が「須陀洹果」を超越して「斯陀含果」を証すること、あるいは「須陀洹果」と「斯陀含果」を超越して「阿那含果」を証することの「二果」もまた「信解」の「位」の中で説明した通りである。ただその異なる点は、能力の高い人であるため、教えに頼らず、あらゆる道具なども用…

  • 法華玄義 現代語訳 100

    『法華玄義』現代語訳 100 〇総相念処 第三に「総相念処(そうそうねんじょ・総相の四念処という意味)」の「位」とは、前にすでに「別相念処」の智慧をもって「四顛倒」を破っているが、ここでは、深く微細な観心の智慧をもって総合的に「四顛倒」を破るのである。あるいは、「境」と「観心」を共に総合的に行じ、「境」を個別として「観心」を総合に行じ、「境」を総合し「観心」を個別的に行じ、あるいは、「五陰」の中、二、三、四、五を総合的に観じることをすべて「総相観」と名付ける。その中で、また巧みな方便をもって、よく「四正勤」、「四如意足」、「七覚支」、「八正道」を生じさせ、速やかに次の教えの段階に入るために、「…

  • 法華玄義 現代語訳 99

    『法華玄義』現代語訳 99 ②中の薬草 「中の薬草」の「位」は、すなわち「a.声聞」と「b.縁覚」の「二乗」である。これはそれぞれの修行の結果に基づいて「位」を判別するのである。以前の解釈の中に、「『成実論』では深く大乗を解き明かし、菩薩の義を解釈するのである」とあるが、これは誤りである。この論主自ら「今正しく自ら三蔵の中の真実の義を明らかにする」と言っているが、この「真実の義」とは「三蔵」であり「空」のことである。論主がこのように述べているのであるから、この教えはそれ以上のものはない。 これすなわち「空」の教えでは、「二十七賢聖(にじゅうしちげんじょう)」における煩悩を抑えて断つ「位」を明ら…

  • 法華玄義 現代語訳 98

    『法華玄義』現代語訳 98 〇日行天(にちぎょうてん) 次に、「日行天」は、須弥山の周りを廻っている宮殿に住んでいる。仏教以外の宗教では、「日曜」、あるいは「星宿(しょうしゅく)」という。その「天」は、概略して三十六億あるという。昔、「七戒(後の説明あり)」を保ち、「増上果(ぞうじょうか・戒によって悪を防いだため得られる結果)」を得た。「風輪(ふうりん・風が常に吹いている空間)」によってその位置を保たれている。この「日行天」などの「大天(だいてん)」は、「二大天」である「持国天」と「毘沙門天」と「四天下」に遊び、空中に遊戯(ゆうげ)して、「五欲」の楽を受け、その心のままに楽しむ。「日行天」は須…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、tutiinagoさんをフォローしませんか?

ハンドル名
tutiinagoさん
ブログタイトル
大乗経典および論書を読む
フォロー
大乗経典および論書を読む

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用