娘は、兄弟の3人きょうだいで、どちらかと言うとアウトドア派で、病院へ行くのは、外科ばっかりだった。男の子達は、アカンボの頃は、ひ弱で、しょっちゅう熱を出し、脇に抱えて小児科通いしていたものだ。私は要領のキャパが狭い。子育て中は、「仕事80%家事20%」な毎日で、子供にしてやれる事は、できるだけカットしていた。通知表を見た記憶が無いし、3者面談で希望の大学を聞かれ、「京大がいいです~」と言ったら、先生が目を真ん丸にして「な、何故ですか?」「卒業式の時に被り物している学生がいて、ウルトラマンが恰好良かったからです」と言って、呆れられたものだ。編物洋裁も、娘は学校で教わっただけ。家にはミシンも編み機もあったけど、触らせた記憶が無い。その為、娘は我流であれこれ試行錯誤をしてやっていた(ようだ)高校生の時、編物の宿...老兵は去るのみ