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がんになって思うこと https://femalelion.hatenablog.com/

がんになって思うこと。40歳少しで突然まさかのがんになった女医が思った事を書いていきます。

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2019/05/31

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  • オシャレをするぞ

    病気が治ったらオシャレをしようと思っていた。 髪の毛はないけれど、オシャレをしてウィッグをして堂々としようと思っていた。これまで着なかったようや鮮やかな色を着たり、可愛い靴を履いて。 治療が終わって、急に暑くなったのと、退院したので外出する機会が増えたせいで、夏バテのせいか体力の回復に予想以上に時間がかかってしまっている。 何日か前から、ようやく新しいスカートをはいて外出できるようになった。バーキンを持ってランチにも行けた。 これからも堂々とオシャレをするぞ。 がんになったけど、生き生きと素敵に生きれる人になろう。 自分ががんになったことで、世の中のために何ができるのかまだわからないけど、まず…

  • サバイバー枠

    もし治療をしていなかったら、今は生きていない私である。 サバイバー枠で生きている。 今日、少し体調が回復してきたので、久しぶりに子供のお迎えに行った。 少しオシャレをしている私を見て、子供がとても嬉しそうだった。 またそのスカートはいてランチ行こうねと言っていた。 生きていることに感謝。 以前までは当たり前で、オシャレをして子供とランチに行くなんて些細な事だった。 今の私にはとても貴重なことで、この幸せがずっと続くことを祈っている。 サバイバー枠の人は、きっとそうやって祈りながら生きているだろうな。

  • 最後のジーラスタ

    最後のジーラスタの副作用にかなり苦しめられた。 ジーラスタ この薬が出るまでは、抗がん剤の治療で白血球が下がる人には毎日毎日注射をうって上がるのを確認していたのだけど、ジーラスタが出てからは、1回皮下に打つと持続的にあげてくれて1週間で上がっているという薬。1週間早く退院して外来でみれるというメリットのため、患者にとっても医者にとっても、なんて良い薬が出たんだ!という希望の薬である。 しかしこれは打てば打つほど副作用が強くなり参る。体力がなくなってくる中で39度近い高熱が出て、頭から足まであちこちが痛い。この副作用が抗がん剤の治療より辛いいう人もいるくらいだ。 今回もこの3日間ほど、本当に苦し…

  • 生きてここにいることを

    私が元気に生きてここにいる事を、こんなにも周りが嬉しく思ってくれる。 いつも優しい夫も、今まで以上に優しくなって、きっと、私が生きてここにいるだけでそれだけでいいと思ってくれている。 寂しい思いをたくさんさせた子供たちも、私がいる事で安心して安定している。私にしんどい思いをさせまいとお手伝いをしたり、できるだけ自分のことを頑張ってくれる。 私の両親も、夫の両親も、私が生きている事で、安心して過ごしてくれる。 自分が生きてここにいる事が、こんなに周りを幸せにする事だったなんて今まで気付かなかったな。

  • どうしてがんになったのか。

    今日で抗がん剤治療が全て終了する。 長くてつらい治療だった。 どうしてがんになったのか、何度も何度も思った。 私のがんでわかってる範囲の予後不良因子は遺伝子検査ではひっかからなかった。 担当医は、ストレスが1番原因かなと言っていた。 ストレスかぁ、そんなに私はストレスを溜める体質だったのかなと思った。 確かにこの5年くらいストレスがたくさんあった。家を買ったり、アメリカに住んだり、子供のお受験だったり、ママ友のストレスだったり、子供の教育だったり。 これからは気楽に生きていこう。家族が元気だったら他の事は全くたいしたことではない。 嫌な人との付き合い方も、私にとっては課題だった。 挨拶だけタイ…

  • 脱毛について

    抗がん剤1クール目が始まってから、1週間くらい経った時に髪の毛が抜け始めた。2、3日は少しずつ抜けてきたように思ったが、突然ドッサリと抜けるようになり、シャンプーすると抜けた髪の毛が抜けていない髪にドッサリ絡みついてハサミで切らないと取れないような状況になった。 ドライヤーで乾かす時にも悲しいほど抜けて、抜けた髪を掃除をしないといけないストレスで頭がおかしくなりそうになった。 10日目くらいにはこれ以上抜けないくらいになった。ほぼ髪の毛が抜け落ちてストレスがかなり減った。 抜ける恐怖から解放された。 髪の毛が抜けるくらい、命があるなら耐えれると思っていたけどあんなに悲しいなんて。 陰毛について…

  • 神様には消されている運命

    抗がん剤 R-EPOCH療法 飲んでいる薬 バクタ アシクロビル レバフロキサシン タケプロン 2月に抗がん剤が始まってから毎日飲んでいる。 抗がん剤の副作用で一時的に心機能が低下したので、3月からは ビソプロロールフマル酸塩 という薬も飲んでいる。 これらの薬のおかげで感染や胃潰瘍などが防げている。心臓の機能も戻ってきた。 医学の進歩のおかげで生かされていると感じる。 だけど、神様のプログラムではもう私は消されてる運命だったんだなとよく思う。20年前なら完治は難しかっただろう。 無宗教だけど、神様にはすでに消されている運命。今の私はどの領域で生きているのだろう。そしてこれからはどうやって生き…

  • 看護師たちについて

    私の抗がん剤の副作用 便秘 手足の痺れ 吐き気 浮腫み 貧血 白血球減少 その他 とにかくしんどい、だるい。 こんな化学兵器を4日間も首から犬のように持続で繋がれる。 その間、看護師が点滴交換、血圧、体温チェックなどでベッドに訪れる。 若いのになぜかタメ語で最初から話してくる看護師に、イラっとする事もあった。我慢するのもアホらしくなり注意した事もある。 他にも、がん患者への配慮が、患者になった事がないからわからないのかと思ってしまう事が何度かあった。 看護師のちょっとした一言にもナーバスになって反抗的になった事もある。 最後の抗がん剤治療を迎えて、体はしんどいけど気持ちは今までと全然違う。看護…

  • 抗がん剤最終クール

    今日から最終クールの治療が始まった。今日は3時間ほどの抗がん剤点滴。 明日から24時間×4日間の抗がん剤治療。これが本当に長くてつらい。 だけど最終クールだ。 がんとわかった時は、私の人生これまでかと思った。 優しくて家事も育児もなんでもしてくれる同職の夫と結婚して、可愛くて賢い娘と息子を授かって幸せすぎる人生でうまく行き過ぎていると思っていたら、やっぱりこんな早くに私の人生の終わりが待ってたんだなーと思った。 呼吸器外科で生検をして血液のがんとわかり血液内科を受診した。かっこよくて優しい女医さんに、半年の化学療法をして完治を目指すと言ってもらった時は、半年くらいなんだって耐えれる、それでまた…

  • 子供を残して死ねない。

    がんと診断されて、何よりもまず考えたのは、もちろん子供のことだ。 きっと、子供がいる人はみんなそうだろうと思う。 私がいなくなったら、誰が私の代わりに子供たちに母親の愛情を伝えるのかということ。 私はどうして2人も子供を生んだんだろう、どうして結婚したんだろう。 あと5年生きれたら、いやあと10年、、、それでも足りない、せめて子供2人が大学に行くまでは生きていてあげないといけない。 夫にも、もし私が死んだら、新しいお母さんを探すようにと言った。 次のお母さんは、優しいお母さんがいいけど、教育もしっかりしてほしいしなどと考えていた。 いろいろ考えたけど、子供の為に、やっぱり自分が死ぬわけにいかな…

  • 両親への気持ち

    がんになった事を、出来る事なら両親には言いたくなかった。 姉に、両親に言いたくないと言ってみたけど、そんなわけにいかないからと言われ、夫にも言うよと言われた。 結局、手術をした日に何の種類のがんかわかったので、夫から両親にがんだと告げられた。 どんな思いで聞いただろう。きっと立っているのもやっとだっただろうな。 今は、私が治る事を祈りながら、自分たちが死ぬまでに精一杯出来る事をしてあげないといけないと思ってくれているのだと思う。親の使命として、少しでも私の負担をとって、栄養を採らせて治療に専念して生きさせることに日々頑張ってくれている。 こんな歳になって、両親に改めて世話になった。最初はお互い…

  • 同い年のがんトモ

    再入院したら、10日前まで状態が悪くて個室管理されていた同い年のがんトモが、酸素も外れて元気に歩いて総室にいた。 とても嬉しかった! 病棟で出会った同い年のがんトモと、絶対に生きてここから出ること、あと40年生きることを約束していた。 お互い治療がつらい時は、がんばれ!と素直に励まし合って、本当につらそうな時には声をかけない、 少し元気そうな時は、アイスを差し入れしたり、一緒に生きて出れるよう、同い年のがんトモだからこそ、分かり合える気持ちがある。 50歳、60歳、70歳、80歳を迎える時、元気?と連絡とりあえたら嬉しいな。

  • 生きないといけないという義務

    ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気がある。運動神経がどんどん弱っていって、ほっておくと呼吸筋麻痺で死亡してしまう病気だ。 だから医師の立場としては、呼吸筋麻痺が起きた時に人工呼吸器を装着するかどうかの選択を患者さんと家族にしていただく。 私はこの病気の専門であり、これまでも何人も診断し、人工呼吸器を装着するかの説明などもしてきた。 人工呼吸器をいったん装着してしまうと倫理上、取り外しはできない。 人工呼吸器を装着していて生き続けるのは本人もとてもつらいし、家族も支えて生活していくというのは大変なことであるため、積極的には人工呼吸器装着を進めないよう昔勤めていた病院の部長から言われた事がある…

  • 池江璃花子選手の言葉

    治療は続いており、体調が優れない日もあります。そんな日は、一日が過ぎるのをひたすら待って、とにかく一日一日を何とか乗り越えています。 もう病院には戻りたくない!と思う時もありますが、人生の中のたった数ケ月間だと思って自分を奮い立たせてます。 これは私の気持ちと全く同じ。まさにそのまま。 がんには、本当に種類がたくさんある。その中には、医学の進歩を信じて頑張れば完全寛解するがんもある。 そんながんの多くは、池江選手や私のがんである、血液のがんである。 血液のがんでも、寛解できないものもたくさんある。がんと言っても人それぞれだ。 固形癌が進行している場合、池江選手のようなこんな言葉は言えない。自分…

  • 医者について

    医者が、がん患者になって、よくわかったこと。 医者のひとことがとんなに気になるか。 医者が病室に来てくれるとどんなに心強いか。 医者が少しでも前向きな言葉を言ってくれるとどんなに1日明るく過ごせるか。 医者の言うネガティヴなひとことで、どれだけ絶望的に不安に思うか。 信頼している医者の側なら、つらい治療もなんとか耐えられということ。 自分が医者に戻れたら、絶対に忘れない。

  • がん治療中 総室での入院生活

    がんになったら、個室ではなく総室に入るべし これが、私が入院生活で思ったことである。 自分は個室に入る人間と思っていた。よく知らない人と一緒に同じ部屋で毎日寝るなんて無理、同じがんの人と慰め合うなんて嫌だと思っていたと思う。 抗がん剤治療を始めて、しんどくてつらくてメソメソして、、、個室で1人で耐えるなんてできない! そう思って総室、4人部屋に移ったところ、、、 長い入院生活をしている患者さんとの共同生活が始まる。 病状は人によって違えども、思いやり合い、励まし合い、一緒に泣き合い、家族にも話せない気持ちを同室の人には話せるような関係になる。 私が点滴中に食欲がなくてまいっていたら、これなら食…

  • がん患者の日常、そして周りの支援

    昨日は外来受診の日だった。白血球130好中級70 無菌病棟じゃなくて、外来にそんな患者もいるのです。抗がん剤の合間の退院期間に外来で、白血球を上げるためのジーラスタという注射をして白血球が上がるのを待つ。 ジーラスタの副作用、全身が痛い。頭が割れるように痛い。 何かに感染して死んでしまうんじゃないか。ジーラスタの副作用で死んでしまうんじゃないか。この痛みはもしかして副作用じゃなくて転移じゃないか。 そんな事を考えながら、怯えながらベッドで横になって過ごす。 周りに本当にお世話になっている。いつも冷静で安定している素晴らしい夫、私がこんな事になって、すぐに近くに引っ越してしてくれた両親、少しでも…

  • まさかという坂

    人生には、まさかという坂がある。 誰かの結婚式で、誰かがスピーチしていた中の言葉だ。だからどうしなさいみたいな内容は全く覚えていない。 私の人生で、これほどまでのまさかの坂、自分が40歳少しで、がんの告知を受けるなんて。 16年間、医者として生きてきた。ある日突然、医者から患者に立場が変わった。 医師からの説明の間、どうして自分が医師からの説明を受けているのか、回診の時、私はなぜベッド側にいるのか、この違和感はなかなか取れるものではなかった。 16年間も医者をしていたのに、恥ずかしながら、がんは他人事だった。 がんを扱う専門医ではなかったし、がん家系でもなかったし、まだ年の近い友達でがんになっ…

  • がんになって思うこと

    ある日突然、がんと診断されたら、何を思うと思いますか? 実際にそうなった時、おそらく、多くの人は、まだ死ねない、死にたくないと思うでしょう。 子供をまだ育てないといけない、配偶者を1人にはできない、孫の面倒を見ないといけない、親より先に死ぬなんてできない、などなど人によって思う事は違っても、どうしてもまだ死ねないのです。 がんの告知を受ける恐怖を想像することができますか? それは泣いて取り乱すほどの恐怖です。 私も告知され、本当は泣いて取り乱したかった。夫に、母に、友人に泣きついて取り乱して抱きしめて欲しかった。不安で不安で、支えてもらいたかった。だけど、それができないんです。だって、生きてい…

  • がん治療中だけどエルメス バーキンを買う。

    今日、我が家にファーストバーキンが来た。 抗がん剤治療中の、一時退院のこの時に、あえてバーキンを買った。 身体はヘロヘロで、もちろん今はバーキンを持って外出なんてできない。 ずっとバーキンが欲しかった。自分でいつかご褒美に買おうと決めていた。だけどやっぱり高額で購入をためらっていた。 がんと診断されて、治療を頑張っている今だから買う。外商担当さんに電話して手に入れた。 これからも生きていくためにバーキンを買った。まだ41歳、これからも元気に堂々と生きていくために。

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