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2019/05/12

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  • 本郷和人論・リスペクトを込めて

    1,本郷氏の本当の偉大さは、こういう文章を書いても怒らないだろうことである。他の「生きている歴史学者」だと、そうはいきません。本人が許しても、お弟子さんたちが許しません。介護のために早期リタイアして、そもそも非史学科で、2年前から学者の本を趣味で読み始めた僕みたいな人間が、「論」とか言いだしたら嘲笑されます。または単純に怒られます。でもそうすると、コミュニケーションは遮断されてしまうわけです。私は教育学をやってきて、コミュニケーションが教育の基盤であることは明確だと思っているわけです。そういう「教師論」を勉強した人間からすると、一番いけないのが「教祖のように構えている学者」というか簡単に言うと「とっつきにくいやつ」なんですね。対話が成立しない。「黙っておれの言うことを聞いていればいい」というタイプ。これは...本郷和人論・リスペクトを込めて

  • 即興小説「信長の涙」・金ケ崎ののちに

    ある歴史ドラマにリスペクトを込めて。金ケ崎から逃げ帰った信長は岐阜城に戻った。帰蝶は急いで信長の部屋を訪れた。いつもにもまして、信長は孤独に見えた。帰蝶の顔を信長は見た。抑えていた感情がはじけたのだろう。信長は泣き崩れた。「またおれの兵が死んだ。あの権助も死んだ。弥太郎も死んだ。子供のころから親しくしてきた友が死んだ」信長は顔を覆った。「また、、、まただ、、、また殺してしまった」帰蝶は涙を堪えた。ここで泣くわけにはいかない。「信長様のせいではありません。信長様は天下静謐のため尽くしているのです」信長の涙顔が怒りに変わった。「帰蝶、よくそんなことを言えるな。おれの為に働いてくれた家臣が死んだのだ。朝倉は、すぐにも降伏すると思っていた。浅井が裏切った。朝倉の兵も死んだ。浅井の兵も死んだのだ。そしておれは、長政...即興小説「信長の涙」・金ケ崎ののちに

  • どうする家康・第15回・姉川でどうする・感想

    冒頭の「なんやかやで」金ケ崎の戦いは終わって、というナレーションにびっくりしました。「描かない」という選択肢があることに驚いたのです。私は、あまり人の意見に左右されない人間なのですが、ちょっと調べてみるとこうあります。他人様の意見「もう解釈とか脚色というレベルの話でなく、単に若者受けを狙ったつもりだけの史実を大きく逸脱して歪曲したパロディドラマ。フィクションとしてのおもしろさもないどころか、不快の連続。プロデューサーと脚本家に歴史への愛情と敬意ないと、こんな酷いものが出来上がるという事例。」引用終わりここまで辛辣な感想は私は持ちませんでした。ただ参考にはなります。1,大河は全てフィクションで史実ではないのに、なぜこの作品だけが「史実の歪曲感」を強く感じさせるのだろう。2,上記と本質的に同じ問題であるが、「...どうする家康・第15回・姉川でどうする・感想

  • 天皇と「権門体制論」と「東国国家論」、何を考えればいいのか。

    きちんとした文を書く前のウォーミングアップとしての「書き散らし文」なので、文章の質の悪さはご容赦ください。1,天皇の位置さえ考えなければ、権門体制論は単純明快権門体制論(けんもんたいせいろん)は、天皇を度外視すれば、極めて単純である。鎌倉幕府の発生以降、ある時代(荘園消失)まで日本を支配したのは3つの階層である。それは公家、武家・寺家。公家のトップは天皇ではなく治天の君。天皇が治天なら天皇。この3つは荘園を基盤としている点において同じようなものである。だから上級国民として互いに助け合って政治を行った。つまりは「同じ穴のむじな」である。天皇は、、、、「中心にいて彼らをゆるやかに結びつけた」とか「この体制の頂点にいた」とか曖昧な感じで色々言われる。論者によって言い方が違うだけでなく、提唱者の黒田俊雄でさえ、論...天皇と「権門体制論」と「東国国家論」、何を考えればいいのか。

  • 織田信長が足利義昭に送った「17カ条の異見書」。短くて超かんたんな訳。

    織田信長の17カ条の意見書。超かんたん訳です。むろん原文は「ですます体」。1572年、元亀3年9月です。1、参内しろよ。義輝さんは参内しないからあの運命なんだ。2、馬とか欲しいなら用意する。他にねだるな。みっともない。3、「ひいき」してるよな。4、宝物をどっかに移すなよ。5、岩成友通に土地をやるふりして、実際はやってないだろ。6、オレと親しい人間にわざとパワハラしてるだろ。7、ブラック企業か!待遇悪いってオレに言ってきてるぞ。8、若狭の代官の件。早く訴えを処理しろよ。9、小泉の女房が質屋に預けたものまで没収したろ。夫が喧嘩で死んだだけで。10、元亀の年号、不吉なんだよ。変えろよ。11、公家の烏丸。勘当したのに、ワイロもらって許したろ。12、地方からお礼で貰った金。有効利用しないで隠してるだろ。何の為?13...織田信長が足利義昭に送った「17カ条の異見書」。短くて超かんたんな訳。

  • 即興小説「金ケ崎の家康」(1分で読めます)

    浅井が敵に回る。この一報が信長軍を震撼させた時、前線にいた家康は、朝倉総攻撃に備え、信長本陣での軍議に参加するため、戻ってきていた。軍議は短かった。柴田勝家が静かな声で、「両面と戦うという選択もありますな」と信長に進言した。信長連合軍は3万、朝倉浅井軍は2万5千程度と勝家は言った。「勝てぬ戦でもありますまい」信長は彼の癖で小さく首をかしげ、それから「いや、やめておこう。俺は逃げる」と言った。言った時には既に立ち上がり、重い甲冑を長乗馬のために脱ごうとしていた。「しんがりは、藤吉郎と十兵衛光秀」と信長は平然と言った。藤吉郎も光秀もちらと信長の顔を見ただけで何も言わない。なんだ、織田家という家は、、、。家康は腹が立ってならなかった。自分は浅井長政の従軍を主張した。しかし信長は奇襲だからという妙な理由でそれを退...即興小説「金ケ崎の家康」(1分で読めます)

  • 「中学時代のあまり有名ではない芸能人の女子」のお話

    高校に行くと、成績のレベルというのはだいたい一緒なのですが、中学には「全国3位」とかいう化け物のようなやつがいて、体育もできるので本当にオール5なのです。実物を見ました。しかも相対評価ですから、「5」は学年の10パーセントという時代です。私がいくら頑張っても、5は体育と社会科ぐらいだったと思います。一方でとんでもなく学業が苦手な子もいて、先生がオール5の生徒に「学校内家庭教師」を頼んでいました。これも今では考えられない話かも知れません。何が言いたいかとうと「いろんなやつがいたな」ということです。「あまり有名ではない芸能人の女子」もいました。子役で民放の時代劇に一度だけでました。当時AKBがあったら、その下ぐらいのグループに入っていたと思いますが、当時は個人アイドルの時代なので、彼女は有名でないまま高校時代...「中学時代のあまり有名ではない芸能人の女子」のお話

  • どうする家康・金ケ崎の戦い・信長はどうして朝倉を攻めたのか。

    本日は「どうする家康」は選挙でお休みで、来週あたり「金ケ崎の戦い」になると思います。織田信長・徳川家康連合軍が福井県あたりの朝倉義景を攻めて、浅井長政の「裏切りに」にあって負けた戦いです。ただ「負け方が見事」ということで、どっちかというと「勝利の可能性はあったのに、真っ先に戦線を離脱した信長の采配の見事さ」「しんがり、となった秀吉や徳川の見事さ」が強調されることが多いのです。今回はどうなるのかは知りません。そもそも徳川家康が「しんがり」にいたという記録もやや後世のもので、金ケ崎を超えて朝倉を攻めていたのは間違いないのですが、「しんがりとして残った」のかは「やや怪しい」のです。それから「秀吉の大活躍」ですが、たぶんしんがりの大将は池田勝正という人です。でも秀吉の武勇伝として後世に伝わります。ただ秀吉が「しん...どうする家康・金ケ崎の戦い・信長はどうして朝倉を攻めたのか。

  • 織田信長の上洛について、天下一統の異常性

    織田信長はなんで足利義昭を担いで上洛したのでしょう。信長の上洛というのは一種の異常行動で、思いついても実際にやろうとした人間は信長以外いません。朝倉義景は足利義昭を保護しており、何度も上洛の手伝いをしてくれ、と懇願されていましたが、全然そんな気はなく、「京都のことは朝倉とは関係ない」というのが本音であったようです。上杉謙信は13代の足利義輝と仲良しで、「助けてくれ」と言われ、「助けますとも」と応じますが、実際には行動はしませんし、できない状況でもありました。国内に内紛を抱えていたし、武田の存在もありました。また武田信玄などはちょっと持ち上げられ過ぎている武将ですが、冷静に考えてみれば、地方のちょっと強い親分に過ぎないことは明白な人物です。「天下統一」というのは絵にかいた餅であり、信長秀吉家康段階以前は、「...織田信長の上洛について、天下一統の異常性

  • 「どうする家康」・13回・「家康、都へ行く」は多少面白かった。

    特に書くこともなかった「どうする家康」なのですが、やっと時代が私の趣味領域に入ってきました。「家康、都へ行く」。あの足利義昭は「よく考えると」、面白いと思います。よく「義昭を傀儡として大河は描いてきた」といいますが、全くそんなことはなく、「国盗り物語」ではしたたかな策謀家、「黄金の日々」では貴公子然としたイケメン。最近の大河でも「麒麟がくる」などは、おそらく実像以上に「もちあげて」、描いてきました。「朝廷の権威」とかで物事を説明しようとする日本史家には困ったものですが、それに加えて最近は「室町将軍の権威」を過大に評価する歴史家が多い。「どうする家康」の時代考証家でも柴さんとか、平山さんは明確にそういう傾向を持っているように感じます。そういう時代考証家の意見を取り入れながら、おそらく大河史上最も「愚物的な義...「どうする家康」・13回・「家康、都へ行く」は多少面白かった。

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