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2019/04/15

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  • -経済制裁から資産封鎖へ-(GHQ焚書図書開封 第123回)

    GHQ焚書図書開封第123回-経済制裁から資産封鎖へ-「米英挑戦の真相」第3章彼等の執った経済圧迫の諸相第3節~第6節経済的にみた資産凍結当時も、現在同様に日本は我慢の国であった。第1次世界大戦後、アメリカの非鉄金属(銅、鉛、錫など)輸出先ヨーロッパは戦争で経済が疲弊し、アメリカの生産業者は輸出不振で生産過剰状態に陥った。生産業者は日本への輸出を望んでいたが、アメリカ政府は、イギリス、中国には支援を惜しまなかったが、日本に対しては1940年(昭和15年)9月の日独伊三国同盟以前から輸出許可制を採用し、徐々にその対象品目を増やして日本への暴圧をかけてきた。日本は、英米と戦争をしていたわけでないのに、通商自由の国際信義を破られたのである。そして、日米開戦の5カ月前の1941(昭和16年)7月には完全に輸出禁止状態と...-経済制裁から資産封鎖へ-(GHQ焚書図書開封第123回)

  • GHQ焚書図書開封 第122回

    ②☆「英米挑戦の真相」第3章彼らの執った経済圧迫の諸相第1節~第2節鉄と屑鉄の問題悪辣な米英蘭による対日石油圧迫の資源戦争のすさまじい様相。石油資源のない日本は消費節約、備蓄している潤滑油、重油の資源割り当て、代用品燃料での対応に苦心惨憺した。石油備蓄が無くなることは敗北を意味していたため、枯渇する前に南方に石油を求めざるを得なくなっていた(この場合、欧米の植民地支配を排除し、現地人との直接貿易により購入する方法を考えていた・・・大東亜共栄圏建設)。米英に屈服か、立ち上がるかの二者選択を迫られていたわけである。欧米からのアジア植民地解放を提言していた日本は立ち上がるほうを選択した。それが、日本の正義であった。米英は、日本の省エネ技術、石油消費規制の中での窮乏生活に耐える国民性、供出による鉄資源の再利用への協力な...GHQ焚書図書開封第122回

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