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2019/04/13

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  • 世界の光ですか

    マタイの福音書5:14-15『あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。』光は決して隠すことが出来ないものです。その光を人の前に照らさないといけないです。光を照らす時に、神様がそれによって栄光を受けると言われました。人間は元々光ではないです。光であるイエス様によってその光を反射します。神様を信じる人は、主によって良いものをたくさん受けました。その中に光もあります。元々は暗闇だった人間でしたが、光である主が心の中に入って下さった時から、心の中に光が出来ました。その光を、今度は闇の中にいる人の所へ行って照らすように語りました。闇の中にいる人にとって必要なものは光です。暗闇の道...世界の光ですか

  • 御霊の実は良い実

    ガラテヤ5:22-23『しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。』私たちが御霊に満たされ、御霊に導かれて歩むならば、御霊の実は自然と結ばれます。御霊の実は熱心に働いて得る実ではないです。御霊が働いて結ばれる実です。御霊が働くような環境を自分の中に造るならば、御霊は自由に働きます。御霊が悲しむもの、御霊が忌み嫌うものが心の中に多く存在するならば、御霊の働きは妨害されます。自由に働くことが出来ないです。御霊は聖い方ですから聖いものを好みます。心の中をきれいな環境にし、御霊が喜ぶものを取り入れます。そうすると、そこから良い実がたくさん出て来ます。御霊抜きに御霊の実は結ばれることがないことを知りましょう。【関連聖句】ヨハネの福音書15:5『わた...御霊の実は良い実

  • みなに仕える者になりなさい

    マタイの福音書20:26-28『あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」』権力を欲しがる人は、人の上に立ちたい人です。そして権力を使って人々を支配します。人々はその権力者によって自由も権利も奪われ、奴隷のような生活をします。腐敗した権力、共産主義ではよくあることです。本当に良い権力者は人に仕える人です。国民の声を聞き、国民に仕える人です。どの国でもこのような人がリーダーであるならば、その国は良くなります。人々は安心し...みなに仕える者になりなさい

  • 神様との良い関係

    申命記13:4『あなたがたの神、主に従って歩み、主を恐れなければならない。主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがらなければならない。』結婚して仲良く暮らす夫婦もいれば、結婚して仲が悪くなる夫婦もいます。二人の関係を悪くする何らかの原因があるので仲が悪くなります。仲良くするためには、悪くさせる原因が改善されないと仲良くなることはないです。信仰生活の中身は神との関係です。良い信仰生活は神との関係が良いですが、悪い信仰生活には神との間に問題があることです。ほとんどは人間が問題の原因を作ります。神との良い関係の基本は『主に従って歩み、主を恐れ、主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがること』です。これを守るならば神との関係はとても良いです。しかし守らず自分勝手にやるならば関係が壊れます。そこからあ...神様との良い関係

  • 心を一つにして祈るならば

    マタイの福音書18:19-20『まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」』世界のために、大きな問題のために祈る時があります。自分の力に負えないことがあります。戦争などがあると世界中で祈る人が増えます。住む場所が違っても一つの心で祈ります。大きな岩を一人の力で動かすことは出来ませんが、みんなが力を合わせると動かすことも出来ます。信じる者の力は自分の中にあるのではなく、祈ることにあります。神様は祈りを聞いて下さいます。祈りを聞く神様はその祈りに答えるために働きます。沢山の人が同じことに対して祈るならば、...心を一つにして祈るならば

  • 不可能がない主

    創世記18:14『主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」』ある人が『私には不可能がない』と言うならば、それは真っ赤な嘘です。人間は不可能だらけです。出来ることはわずかです。造られたものには力がなく限界だらけです。しかし創造主だけは不可能がありません。この世界を見るとわかります。不可能があるものが、このような世界を造ることは無理です。不可能がないからこそ、この世界を造ることが出来ました。肉眼で見えないような生き物もたくさん存在します。何の目的で作られたか分かりませんが、そのようなものも数えきれないほどたくさん存在します。不思議がいっぱいですが、それは不可能のない神様だから出来ることです。常識だけで物事を判明しようとすること...不可能がない主

  • いつまでも変わらない主

    へブル13:8『イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。』祈りの中でもよく使うことばが、今日のことばです。言うだけでも心が満たされる感じがします。ですから、とても好きなことばです。自然も環境も人間もすべて変わりますし、また消えていきます。ですから頼ることが出来ないです。でも変わらない方がおられます。その方がイエス・キリストです。イエス・キリストだけは永遠に変わらない方です。キリストを信頼する者は決して失望することがないと言われるのも、変わらない方だからです。実際にキリストによって失望させられたことは全くありません。自分の思い通りにならないので、勝手にイエス様に腹を立てて失望したことはありますが、それは神の御心を受け入れない自分に問題があり、イエス様に問題があるのではないです。変わらない方なの...いつまでも変わらない主

  • 主は私の助け手です

    へブル13:6『そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」』どれほどこの言葉によって力を受け、平安を受け、慰めを受けたかわかりません。ことば通りに主に頼った時に、主は私の助け手になって下さいました。いつも自分と共にいて自分を助けて下さいました。恐れないように勇気を与えて下さいました。財産や権力が自分を守るのではないです。力を与えるのでもないです。財産がある人、権力を持つ人には余計な不安が増えます。人が信用できなくなるので、心の中には不安と恐れが増えます。しかし目に見えない生きておられる神が、自分の助け手であることほど安心出来るものは他に存在しないです。今まで守られ、平安な生活が出来たのも主のおかげです。世のものはないですが、主が自分の財...主は私の助け手です

  • 手をきよめ、心を清くしなさい

    ヤコブ4:8『神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。』コロナが流行っているので、どの店の入り口にも消毒液があって、ある所は強制的にさせられます。強制的でないところでも人々は手を消毒します。病気にかかることは嫌だからと、みんなが一日何度も消毒します。それを見て、クリスチャンとして、手は消毒しても心をきよめることに、人々がまったく関心がないことが残念だなと思います。世の中で一番汚れているところは人間の心です。心は汚物よりも汚いです。神様は罪人の心は腐っていて悪臭が出ていると語っておられます。心をきよめるためには、神の前に出て自分の罪をさらけ出して悔い改めることです。赦しを求めることです。自分ではきよめることが出来ないで...手をきよめ、心を清くしなさい

  • 大胆に神の前に出るためには

    第1ヨハネ3:21-22『愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行っているからです。』アダムとエバに罪がない時は、エデンの園で神と仲良く歩みました。裸であっても恥ずかしくありませんでした。しかし罪を犯した後、状況が変わりました。裸であることが恥ずかしくなりました。それでいちじくの葉で腰の覆いを作りました。その後、神の前に出ることが出来ず、隠れました。自分たちの姿を見せたくなかったです。神との良い関係が壊れてしまいました。悪いことをすると良心の呵責があるので、大胆に振る舞うことが出来ないです。神様はうわべよりも心を見る方ですから、心に責められるものがあると、無意識的に神の...大胆に神の前に出るためには

  • 愛のない者

    第1ヨハネ4:8『愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。』愛のある人と愛のない人を想像して見ると、正反対の姿が思い浮かびます。愛のある人から流れるものは温かさ、親切、寛容などの良いものですが、愛のない人から流れるものは冷たさ、頑ななこころ、厳しさ、怒りなど悪いものが流れます。神は愛です。神の子と言いながらも、愛がないならば、その人はまだ神を知らない人です。なぜならば、今日の聖書のことばがそのように言うからです。愛の神様に出会い、その愛を受けているならば、心に愛があるはずです。愛があるならば、それが自然に現れます。心に喜びがあると笑顔になります。心に憂いがあると顔は曇ります。心に愛があるならば、愛の顔になります。愛が冷めていく時代の中に私たちは生きています。愛がなくなると、愛は貴重なものになり...愛のない者

  • 寛容な心を持つ

    ピリピ4:5『あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。』人間は自己中心ですから、他人に対して寛容な心があまりないです。他人の小さな失敗や過ちに対しても厳しいことが多いです。ですから神様は、信じる者に対して寛容な心を持つようにと言われました。寛容な心は他人を受け入れる広い心です。色んな人間がいるので、他人を受け入れるためには「寛容」という広い心が必要です。みなさんの心の器はどれ位の大きさでしょうか。寛容な心は大きな器です。器が小さいことは、心が狭いということです。寛容な人がたくさんいればいるほど、世の中は平和になり、争いが少なくなります。寛容な心を持つと、心が平安になり人生も楽しくなります。狭い心はとても息苦しいです。寛容な人は人に恵みを与え、人を憐れみます。ですから神様も寛容な人を祝福...寛容な心を持つ

  • 矛盾した行動をする人は偽り者

    第1ヨハネ4:20-21『神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。』苦い水と甘い水が同じ井戸から出ることはないです。苦いか甘いか、です。愛は心からするものです。もし心に愛があるならば、その人は神様も兄弟も愛します。しかし心に憎しみがあるならば、神様も兄弟も憎みます。あまりにも簡単な原理ですが、私たちは矛盾した行動を取ります。「神様は愛するが、兄弟は愛せない」と言います。それが矛盾であることにも気付いていないです。自分が偽り者であることにも気付いていないです。もし誰かを憎んでいるならば、自分には愛がないことに気付きましょう。憎しみを持ち...矛盾した行動をする人は偽り者

  • 心にみことばを住まわせる

    コロサイ3:16『キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。』みことばを心に住まわせることは、みことばの種を心の畑に蒔くことです。そのことばを霊の糧にして、みことばに従います。みことば抜きの信仰生活はありえないです。しかし今日多くの信徒たちが、みことばを聞くだけで満足し、心にみことばの種を蒔かないです。種が蒔かれていないので芽も出ないし、花も咲かず、実りもないです。そのため信仰生活に活気も喜びもなく、乾いた地のようになっています。心の状態が荒れているならば霊の状態も同じです。荒れ地を豊かな地にするためには、神との関係回復が大切です。聞く耳をもってみことばを聞き、みことばに従うことです。神の命令...心にみことばを住まわせる

  • 互いに愛し合いなさい

    ヨハネの福音書13:34『あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』『互いに愛し合いなさい』という戒めは、新しい戒めでしょうか。そうではないです。レビ記19:18『復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。』ということばがあります。イエス様がレビ記のことばを知らなくて、新しい戒めと言ったのでしょうか。そんなことはないです。それなのに、なぜ新しい戒めとして『互いに愛し合いなさい』と言ったでしょうか。人間の愛を見た主は、それが神の言う愛し合う姿ではなかったからです。神を信じない人でも熱い愛を持っている人は多いです。献身的で犠牲的な愛も多いです。そういう人...互いに愛し合いなさい

  • 苦難のしもべメシアの預言

    イザヤ書42:1-9『見よ。わたしのささえるわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしが選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に公義をもたらす。彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。彼は衰えず、くじけない。ついには、地に公義を打ち立てる。島々も、そのおしえを待ち望む。天を造り出し、これを引き延べ、地とその産物を押し広め、その上の民に息を与え、この上を歩む者に霊を授けた神なる主はこう仰せられる。「わたし、主は、義をもってあなたを召し、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約とし、国々の光とする。こうして、見えない目を開き、囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。わたしは主、これ...苦難のしもべメシアの預言

  • 毎日を喜びの日にする

    箴言15:15『悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。』心配性の人は一年中心配から解放されることはないです。心配そのものが悩みになっている人が多いです。そういう人は自分の心配事を紙に書いてみたら良いですね。そして時間が経ってから自分が心配したことが実際に起こったかどうかをチェックしてみることです。心配したのに何も起こらなかったならば、それは無駄な心配なので捨てることです。色々な思いを整理しないと、それが悩みの種になって心を重くし、不安にさせます。ゆとりがないと息苦しくなりますので、心や頭を整理すると心も頭も軽くなります。また心にゆとりがないと楽しむことが出来ないです。楽しめる環境を心の中にまず作ることです。喜びも憂いも自分の心次第です。毎日を恵みの日、楽しみの日にするためには...毎日を喜びの日にする

  • 重荷を負って疲れている人

    マタイの福音書11:28『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』コロナと言うとんでもないウイルスによって、全世界が受けた被害と損失は測り知れないものです。そして今も続いています。自然発生のものではなく、人間がわざわざ作ったもので人間が苦しむという悲惨な出来事です。2年以上も続く中で、どれほど多くの人たちが疲れ果ててしまったか分かりません。体の苦しみ、生活の悩み、経済の負担、仕事の悩みなど、重荷を負っている人も、以前にも増してきました。憐れみ深い神様は人々を呼んでいます。『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』と。すべてに恵まれている人は神を求めません。しかし苦しくなると頼れるも...重荷を負って疲れている人

  • 神の深い愛と導き

    第1列王記19:7-8『それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と言った。そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。』神の深い愛を体験しないと、いくら聞いてもその愛が分かりません。実際に愛を受けても、鈍くてその愛を感じない人も多いです。また、自分が受けて当たり前と思う人間も神の愛を感じません。エリヤが失意に陥った時に、神は彼に対して厳しいことはせず、御使いを遣わして世話をしました。力を得て立ち上がるように優しく世話をしました。倒れた人、失敗した人、失望した人を立ちあがらせるために世話するのも愛です。愛はソフトですが、ものすごい力があります。神は愛です。ですから、取るに足りない私たちに対しても忍耐し...神の深い愛と導き

  • 不法がはびこる世界

    マタイの福音書24:12『不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。』アメリカやカナダは、誰もがイメージする自由な国、民主主義、表現の自由がある国として疑いがなかったです。しかし今はまるで共産主義の国のようになってしまいました。自分たちと異なる意見を出す人たちを不法に逮捕し、自分たちの仲間たちは暴力的なことをやっても逮捕もせずに手を出さないです。応援までします。それを見て不法がはびこると、このようになってしまうんだと思っています。国の中が分裂して、互いに敵対しています。悪い指導者が国のかじをとると、とんでもないことが起こります。互いに愛し合うことを邪魔し、敵対するように仕向けます。悪い指導者をそのままにすると、国も社会も生活も家庭もすべて壊れてしまいます。今の時代もそうですが、これからの時代はもっと...不法がはびこる世界

  • 感謝を習慣にする

    詩篇136:1-3『主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。主の主であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。』一緒にいて一番疲れる人は、否定的なことば、不平不満、つぶやき、悪口を言う人です。聞く耳が汚れ、そのことばから流れる陰気な気運で心までも汚れます。そしてすごくストレスを感じるので、出来るだけそういう人は避けます。心を守るためにはそうするしかないです。自分の口からいつも汚物が出て来ると想像して見て下さい。気持ち悪くて耐えられないと思います。汚いことばは汚物と同じです。心にあるものが口からことばになって出て来ます。ことばはその人の心と人格を表しますので、良いことばを使うようにしないといけないです。感謝のことば、褒めることば、...感謝を習慣にする

  • 陽気な心と陰気な心

    箴言17:22『陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。』私たちの心と体は別々のものではなく、互いに関わりながら影響を受けています。陽気な心はまるで体に良い食べ物や薬のように健康を良くしますが、陰気な心は悪いものを体に与えて不健康になり、骨までも枯らします。突然、息子を失ったお母さんが一日で黒い髪が白髪になってしまったと聞いたことがあります。心の中に一気に悪いものが入ったことで起こったと思います。心に必要なものはいのちであり、光です。その両方は主から来ます。詩篇27:1『主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。』陰気なものはサタンから来ます。心を闇で満たし、体を悪くさせます。闇の力を心に住まわせてはいけないです。闇を追い出すのは難しくないです。光である主...陽気な心と陰気な心

  • 無知な心は暗闇

    ローマ1:21『それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。』神を知っていながら神に反抗して生きる人と、神を知らないで反抗して生きる人、どちらがもっとダメな人でしょうか。知っていながら反抗する人です。神を知っていると言いながら、教会に行って礼拝をささげることも、聖書を読むことも、祈りも、信仰の行動もほとんどしないならば、その信仰は生きた信仰でしょうか。死んだ信仰です。生きた信仰にはそれなりの実が結ばれます。神を知っていながらも肉の実しか結ばない人は毒麦、もみ殻、やぎと呼ばれ、御国ではなく、外の暗闇に追い出されると聖書に書いてあります。信仰ある人は神をあがめながら神と共に歩みます。神のみこころを行いながら、神を知ることを切...無知な心は暗闇

  • 優しさと思いやりのあるイエス様

    ヨハネの福音書6:11『そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。』イエス様は王の王、主の主、最高の権威と権力を持っていらっしゃる方なのに、権威と権力で人々を支配したり、脅したことがない方です。反対に人のことをいつも考え、謙遜になって、まるでしもべのように仕えました。誰よりも優しく思いやりのある方でした。空腹である人々を見てかわいそうに思い、彼らの腹を満たすためにパンの奇跡を行いました。自分の力を見せつけるために奇跡を行ったのではなく、空腹な人たちに食べさせるために奇跡を行いました。父なる神に感謝の祈りをささげ、神にすべての栄光をささげました。イエス様は今も私たちに対して関心があります。私たちのために備えて下さる...優しさと思いやりのあるイエス様

  • 主に感謝と賛美をささげる

    詩篇147:7『感謝をもって主に歌え。立琴でわれらの神にほめ歌を歌え。』毎日詩篇を読み、一日賛美を5曲歌いながら神様に礼拝しています。もちろん出来ない時もありますが、出来る時はしています。詩篇を読むと、それを書いた人と一つの心になって、一緒に神に祈りと賛美をささげている思いになります。一緒に感謝をささげます。それが恵みです。詩篇を書いた人たちは、へブル12章1節に出てくる信仰の多くの証人たちです。へブル12:1『こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。』信仰の先祖たちと信仰を一つにして神様に感謝と祈り、賛美をささげましょう。詩篇95:2『感謝...主に感謝と賛美をささげる

  • 主のみわざを知らせよ

    詩篇105:1『主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。』クリスチャンの間では、神の恵みを分かち合うことが多いです。礼拝の中でも証の時間があります。受けた恵みに対して感謝をささげることは良いことです。しかしそこで終わってはいけないです。信じない人の前でも主の恵み、みわざを知らせることです。神を知らない人は、それによって神を知ることが出来ます。サマリヤの女の姿を見て下さい。人の目を避けて生きていた女でしたが、イエス様に出会ってからすぐに町に走って行き、人々に言いました。『来て見て下さい。私がしたことを、すべて私に話した人がいます。もしかすると、この方がキリストなのでしょうか。』そこで人々は町を出て、イエス様の所に来ました。そしてその町の多くのサマリヤ人がイエス様を信じました。証言する人...主のみわざを知らせよ

  • 主の名によってすること

    コロサイ3:17『あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。』主イエスの名は悪霊を追い出す時に、祈りの終わりだけに使うことばではないです。日々の生活全般において、自分が何かをする時には、主から頼まれたことをするようにやることです。会社で社長から仕事を頼まれると、よく聞いて社長の指示通りのことをします。勝手に自分がしたいようには出来ないです。給料をもらう以上、その指示に従わないといけないです。キリストにあって新しく生まれ変わった人は、キリストの使節です。キリストの命令によって動く使節です。その自覚を持って行動することが大切です。自分の勝手な行動がキリストや教会、信徒たちに恥をかかせます。すべてを主イエスの名によってなし、主に拠って...主の名によってすること

  • できるものならと言うのか

    マルコの福音書9:21-24『イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」』主が語った多くのことばが福音書の中にありますが、よく思い出すことばが『できるものなら、というのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。』のことばです。疑いが出た時、弱さが出た時、勇気がない時に思い出すことばです。信仰があるならばもっとうまく...できるものならと言うのか

  • 福音を伝え、弟子を作る

    マタイの福音書28:19-20『それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」』救われた後に一人でも魂を主に導いたことがありますか。そして神のことばで誰かを育てたことがありますか。ないならば悔い改めて下さい。そして、まずは一人の人に福音を伝えて下さい。私は救われた後にあらゆる手段を使って福音を伝えました。路傍伝道、文書伝道、訪問伝道を一人でしました。救われたことが嬉しくて恥ずかしさも忘れて、日本語も下手なのに福音を伝えました。今は毎日このようにブログを使って福音を伝えています。福音伝道は死に至る...福音を伝え、弟子を作る

  • 主が愛したように愛する

    ヨハネの福音書15:12『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。』主の愛はアガペーの愛です。アガペーの愛は神の愛です。罪人であり、神の敵として歩んでいた人間に対する無条件の愛、犠牲の愛です。一方的な愛です。人間には存在しない愛です。しかし主は、私たちにアガペーの愛で互いに愛し合うようにと戒めを与えました。人間の価値観では出来ない愛ですから、自分の肉の思いを殺し、主のことばに従順する思いで、愛さなければなりません。敵を愛する愛もアガペーの愛です。人の罪を赦すのもアガペーの愛です。人の利益のために自分を犠牲にするのもアガペーの愛です。この愛で互いに愛し合うことが主からの新しい戒めです。【関連聖句】第1ヨハネ3:11『互いに愛し合うべきであるということは、あなたがた...主が愛したように愛する

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