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  • パリ凱旋門屋上からスケッチ モンマルトル方面

    凱旋門屋上からスケッチモンマルトル方面これは、5分間スケッチです。ハガキサイズの大きさだと持ち運びが簡単で、ポケットサイズです。ちいさい12色の軽い絵の具なり。現場でこれを描いている時に、現場の監視人が私の後ろに立って、じっと腕組みして邪魔する観光客の警備をしてくれた(?)のには感心したのを今も覚えています。あとで、パリではアーテストには、異常なほど理解があるのだと聞きました。パリ凱旋門屋上からスケッチモンマルトル方面

  • セーヌ川を部屋から窓越しに

    これは、実景が下の写真、中央の緑の木が絵の右端の柳です。そちら方面からのスケッチになります。長い建物はルーブルの方です。少し絵の写真がピンとずれた感じ。室内と遠景とのピントがあってない感じ。12月の最初の週に開催された市民展に出した作品です。題名は<シシリエンヌ>。フオーレの作曲した題名をつけました。彼は、私の好きなパリの作曲家です。セーヌ川を部屋から窓越しに

  • ベネチアの観光船着場

    ベネチアへのひとり旅の水彩画です。サン・マルコ広場への。25年前ころのスケッチになるでしょうか。随分と今頃とは違っているでしょうか。20国以上の世界へのスケッチ旅の初期ころです。以前は海の推移が高くなったりしなかったのです。随分世界の気候なども変化しているようです。ベネチアの観光船着場

  • セーヌ川スケッチ散歩

    セーヌ川を芸術橋方面から、大聖堂をスケッチした思い出のラフスケッチなり。短いスケッチのやり方で時間的にゆっくりできない時に、ペン書きあら水彩描き。時間的には10分以内で、軽い画用紙のものを、持ち歩いていたものです。右側方面には、ナポレオンの墓地があって、観光客のとても多い場所です。セーヌ川スケッチ散歩

  • 北佐久郡軽井沢町でのスケッチ 思い出

    わが世界の旅を始めたのは、日本の旅を、全県を終えた後のことだった。それは、大学生時代の終わりに近い頃だった。それから卒業して、就職して長い間仕事で忙しく生活をしていた。仕事を熱心に続ける生活が続いた。夏季には休暇で何回も信州に出かけていた。この掲載の絵は、信州で描いた時、それは信州のあの事件があった頃のこと。時期があたると思い出した。テレビで見た場所の近くの宿のあたりで、知り合いの別荘や宿屋に泊まって、そのころにスケッチ描きに夢中だった。それで、今考えると、浅間山荘事件は、1972年(昭和47年)2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある保養所「浅間山荘」において連合赤軍の残党が人質をとって立てこもった事件があったと思い出した。思い出がなんか忘れていても、思い出すものだ、、。さて、世界...北佐久郡軽井沢町でのスケッチ思い出

  • 瀬戸大橋 スケッチ 岡山から

    瀬戸大橋もすでに年月が沢山過ぎてしまった。こちらの橋は、坂出から岡山までの橋です。少し前に高松から岡山の橋上の、電気の故障で6時間も客を乗せたまま停車したとか、、、、、。約6時間後、救助に向かった下り列車に乗り換えて岡山方面へ移動した。2024/11/10のだったそう。瀬戸大橋スケッチ岡山から

  • パリのセーヌ川シテ島でスケッチを

    パリのセーヌ川シテ島でスケッチをしたのは、もう随分過去のことです。今年は、オリンピックがパリで開催されて、懐かしいことでその頃は、まだ絵を学びに行っていた頃のこと。ノートルダム大聖堂が火災で焼失した直前の時期でした。それはダイアナ妃がお亡くなりになった時でした。その為よく覚えています。ちょうど絵の中の地面が私が座って描いた場所になります。シテ島の観光場所になります。パリのセーヌ川シテ島でスケッチを

  • 高松市の栗林公園 スケッチを

    春の思い出のスケッチを描いておりました。なんか寒くなってしまった。高松市の栗林公園スケッチを

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ラムアート絵画クラブ、世界遺産、ヨーロッパ、田舎、街角、デッサン、スケッチ旅行。サイクリング趣味、健康に自転車で走ります
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