私は、インターラーケンの方から、ここサンモリッツへ移動したのですけど、なんて、山の美しさとのどかな平野部分が気に入りました。もう2度と行くことはありませんが、この頃のウンザリする暑さに過去の爽やかさを、思い出したら、、、、、気持ち涼しいかと、だめ、やはり暑いですう。サンモリッツ山景色のどかで美しい
世界わがスケッチの旅紹介。ヨーロッパ、地中海地方、エジプト、イスラエルなど24国、国内旅行等。ラムアート絵画クラブ。
凱旋門屋上からスケッチモンマルトル方面これは、5分間スケッチです。ハガキサイズの大きさだと持ち運びが簡単で、ポケットサイズです。ちいさい12色の軽い絵の具なり。現場でこれを描いている時に、現場の監視人が私の後ろに立って、じっと腕組みして邪魔する観光客の警備をしてくれた(?)のには感心したのを今も覚えています。あとで、パリではアーテストには、異常なほど理解があるのだと聞きました。パリ凱旋門屋上からスケッチモンマルトル方面
これは、実景が下の写真、中央の緑の木が絵の右端の柳です。そちら方面からのスケッチになります。長い建物はルーブルの方です。少し絵の写真がピンとずれた感じ。室内と遠景とのピントがあってない感じ。12月の最初の週に開催された市民展に出した作品です。題名は<シシリエンヌ>。フオーレの作曲した題名をつけました。彼は、私の好きなパリの作曲家です。セーヌ川を部屋から窓越しに
ベネチアへのひとり旅の水彩画です。サン・マルコ広場への。25年前ころのスケッチになるでしょうか。随分と今頃とは違っているでしょうか。20国以上の世界へのスケッチ旅の初期ころです。以前は海の推移が高くなったりしなかったのです。随分世界の気候なども変化しているようです。ベネチアの観光船着場
セーヌ川を芸術橋方面から、大聖堂をスケッチした思い出のラフスケッチなり。短いスケッチのやり方で時間的にゆっくりできない時に、ペン書きあら水彩描き。時間的には10分以内で、軽い画用紙のものを、持ち歩いていたものです。右側方面には、ナポレオンの墓地があって、観光客のとても多い場所です。セーヌ川スケッチ散歩
わが世界の旅を始めたのは、日本の旅を、全県を終えた後のことだった。それは、大学生時代の終わりに近い頃だった。それから卒業して、就職して長い間仕事で忙しく生活をしていた。仕事を熱心に続ける生活が続いた。夏季には休暇で何回も信州に出かけていた。この掲載の絵は、信州で描いた時、それは信州のあの事件があった頃のこと。時期があたると思い出した。テレビで見た場所の近くの宿のあたりで、知り合いの別荘や宿屋に泊まって、そのころにスケッチ描きに夢中だった。それで、今考えると、浅間山荘事件は、1972年(昭和47年)2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある保養所「浅間山荘」において連合赤軍の残党が人質をとって立てこもった事件があったと思い出した。思い出がなんか忘れていても、思い出すものだ、、。さて、世界...北佐久郡軽井沢町でのスケッチ思い出
瀬戸大橋もすでに年月が沢山過ぎてしまった。こちらの橋は、坂出から岡山までの橋です。少し前に高松から岡山の橋上の、電気の故障で6時間も客を乗せたまま停車したとか、、、、、。約6時間後、救助に向かった下り列車に乗り換えて岡山方面へ移動した。2024/11/10のだったそう。瀬戸大橋スケッチ岡山から
パリのセーヌ川シテ島でスケッチをしたのは、もう随分過去のことです。今年は、オリンピックがパリで開催されて、懐かしいことでその頃は、まだ絵を学びに行っていた頃のこと。ノートルダム大聖堂が火災で焼失した直前の時期でした。それはダイアナ妃がお亡くなりになった時でした。その為よく覚えています。ちょうど絵の中の地面が私が座って描いた場所になります。シテ島の観光場所になります。パリのセーヌ川シテ島でスケッチを
春の思い出のスケッチを描いておりました。なんか寒くなってしまった。高松市の栗林公園スケッチを
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私は、インターラーケンの方から、ここサンモリッツへ移動したのですけど、なんて、山の美しさとのどかな平野部分が気に入りました。もう2度と行くことはありませんが、この頃のウンザリする暑さに過去の爽やかさを、思い出したら、、、、、気持ち涼しいかと、だめ、やはり暑いですう。サンモリッツ山景色のどかで美しい
この場所は、チエコのプラハです。川は、ブルタヴァ川で、マーネス橋です。世界一の景色だと思って、このベンチにかけてスケッチしました。右側の方に座りました。当時は、チエコスロバキアと呼ばれた時代です。結局のところ、スロバキアにも行きましたので、後日2か国に行ったことになります。あまりにも綺麗な街なので、ひとしお記憶に残っています。このベンチに座り、スケッチしていると、たくさんの観光客が来ます。いろんな外国の言葉が飛び交います。^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^再掲。サンモリッツの山道を歩いてのスケッチ。もう、暫くしたら、このブログも別のお宿へさよならでしょう。なんか、、、、、どうしょうかと思ってます。他のブログへ引っ越しか、どこへ行ったら同じように、簡単にできるのでしょうか。悩んでます。こ...随分前のプラハでのスケッチ
ネットで今、見てみると、私の絵は随分以前のスケッチで、私のスケッチは、面影だけで時の流れを感じます。実際の世界の風景など、変化しています。ネットで観れる現在の風景も、遺跡などはかわっていませんが、まわりとか街中の道路とか、細かいものは、よくわかります。それに、駅などもなんか、もう変わってしまって、、、、どこかわかりません。そりゃそうです、もう、今、参っております。下の絵なんか、ネットとは違って、同じなのは塔とか、古い建物なんかのみ。ある意味、それも懐かしい。さて、サルラの旧市街で一番賑やかなリベルテ広場。ローマとナポリの間をパスで廻る。フィレンツェから移動する。別に、方向はいい。良き景色のモチーフに感動を期待しての、旅だった。この一枚のスケッチの時間は、いつもどおりで5分間くらい。バスのトイレ休憩や、バス...フランスの旅の過去スケッチサルラ
なんか、このブログ終わりがきそうですね。どこかの無料ブログへと思いながら、どこがいいのか、わかりません。で、絵の保存をし始めました。水面に出てきたので、滑るようにスケッチをしました。餌を投げたので、たくさんよってきました。何も考えることなく、鉛筆を走らせると、元気な感じが楽しいです。目が物言ってます。餌、もう終わりかって。ケチるなって、言ってそう。イタリアベニスの運河スケッチ
アムス川の終点に、偶然。船溜り港の感じ。観光地ではないが、スケッチ。これは、予想外、計画したわけではなくて、海辺に出てしまった。それで、これも絵になる、絵にして見たい。どうでしょうか。自分では、何か、感じてしまった。日本でもこの雰囲気と同じものを思いました。ブラブラと無計画のひとり旅のスケッチ旅、若き日の、、、、思い出。アムステルダムの海辺にスケッチ
広い道路ですよね。今思うと電車の線路だったと思うけど、これじゃ線路にはデッサン的には、見えないよね。多分最後に時間切れ、だったかも。次々とスケッチに歩き回ってたから、とにかく速書きのくせは、あの頃に会得したんです。ベルギースケッチ時々思い出す
ポルトガルパリから時間は、どのくらいだったか忘れた。2時間の飛行機だったかな、、、、。私がポルトガルへの旅で広い海を背景にしたおりに、またりっぱな橋の上から見た時になんて世界は広いんだろうと、立ち尽くしたのを経験した。このポルトの街がきれいに輝いて見えた。えー、こんな輝く景色があったんだ。どうせひとり旅、このあざやかな色の街を、じっくりと見つめておかねば、人生が勿体無いと。ポルトガルパリから時間は、
特にどうという事もない。ちょっと昼休みに、通りかかったので、メモ代わりにスケッチをした。そしたら、若干名の人々が話しか、それとも説明していたのか、目の前にやってきて、しばらく話をしてました。聞こえませんが、地元の言葉でした。ベネチアの市民広場でのひと時。スケッチ
とってもいい港でした。この景色も本当に、適した音楽が聞こえてきそうです。なんか、恋愛映画の一場面のような、前に見たような、フランス映画ですけど。思い出さない。ドロミテ山脈を見上げる。イタリアの方から、バスで向かって行ったのですが、険しい山の方へは、行けませんから。この辺からスケッチ。フランスの港町でスケッチ。
オランダアムステルダムのデッサンから色塗り途中この橋を気に入ってぜひ描きたいと思った。それが、オランダへ最初行きたいと願った理由だった。映画で見たのだが、その場所はよくわからなかった。市内の遊覧ならそこへ行けるだろうと、自由な時間を作れる旅はどうしたら。そこで、行きと帰りの交通便利な計画を考えた。それと市内の地図を調べて、頭に入れた。英語は、世界の有名な都市なら、通じるだろうと思っていた。最近、テレビで朝ドラを見ていたのだが、全く同じ経験をしたような、気がして小さい頃小学生の頃を思い出した。朝ラジオ基礎英語だ。眠いのにそれが聞きたかった。母に起こしてもらって、3年間それを聞いた。よく聞きながら、眠ったことも多い。でも中学の一年生の終わりには、頭の中に中学校の英語の勉強は終わってしまっていた。そして高一年の...オランダアムステルダムのデッサンから
この場所の絵の両側も描いているんですけど、どこへ、、、でも雰囲気はわかります。海の色がすごい素敵です。チエファルにてスケッチ地中海のスケッチその一部
下方へ行く道が描けているでしょうか。上へ、あるいは下への道の傾きは描くときの注意が必要。それは、ちょっとした線の表現でわかるようにするのです。今回は、時間が限られたので、線が重要な要素です。色彩の描く時間は、余裕がありませんでした。ブルターニュまでは、もう出かけることはないでしょう。ロクロナンサンロアンチャーチスケッチ
ポルトベーネレをスケッチしたのは、、、、、、イタリアを回ってスケッチをしていたのは、もう随分前のこと。どうやって、と言っても。一人旅の場合は、よく覚えていない。なにせ、24カ国なので、スケッチの場所を探して回ってた。ヒッチハイク、歩き、バス、鉄道。たいていは、ユースで調べてから歩く。妻と共に行った部分にツィては、妻が覚えていてくれるので、思い出す事が多い。でも考えている事、内容が少し違っているので、私の旅の目的とは離れる。妻の旅の目的は、聖書の歴史が大部分を占めている。したがって旅行の目的が異なる。つまりモーセが、、、イスラエルの民族が生活移動し、エジプトから脱出移動した道やトルコ、ギリシャ、米国その他の国など、、、での移動の村や町の遺跡など、イスラエル聖書の旅であって、私と同行した旅は異質である。この絵...ポルトベーネレイタリアスケッチ
オンフルール港町スケッチの旅この町からの、本当に訪問したいところは、モネです。高知県のモネの庭をスケッチに行ったことを覚えています。本当の庭がここから近くにあるんです。高知のスケッチも多分あると思うので、、、、、。探してみましょう。オンフルール港町スケッチの旅
イタリアなんか雰囲気が心地よいこういった所は、人通りが少なくて、スケッチが静かで感じ豊かで面白い。まるで故郷的に、、、、、、。ベネチア小運河通りスケッチ
オランダユトレヒトデハール城スケッチオランダの各地をスケッチして回ったひとり旅。静かな城の敷地にあって、なんか古城の空気がおちツィてて、一人その時間を独り占めしていました。ネットで調べると、ここの説明はいっぱいあるので、省略しますが、その時の気持ちは、、、、、、日本となんか関係がある感じ。城の中の、一部屋に日本の江戸時代に何か親しみのある品物を見つけて、交流がこの城にあったのかと、、、。それって嬉しいと感じたのか、誰が交流していたのかと。なんか、遠く離れた日本の国とは、ここまで親しみか。時間を、、、待てばさらに、感想を述べて見たいが、さて、、、、。ちょっと、この城のことを、ネットで調べてみると、もうカードの時代です。私が行った30年前ころだと、支払いとか申し込みとか全くネットの時代になってしまって、私が今...オランダユトレヒトデハール城スケッチ
デトバンク村へのスケッチこれは、ローテンブルクの街から歩いて20分くらいのところでしたかな。前の街は、あまりにも有名な所でしたから、とても人が多すぎて、スケッチはこの後になりました。近いですからね。今思いましたが、右の家の色を塗ってませんが、これはちょっと左が重いですね。塗り残しと言えばそうですけど、これは、時間が足りなくなった、と理由にしてもいいかな。それとも黙っていて、これって調子のバランスです。・・・・・・・・・・・・・今、これってサインが逆になっているのに気づきました。なんか不思議な感覚だったんです。どうして裏から見た絵になっているのでしょうか。やっと古い絵ですが、たったの今、感覚がおかしい理由が判明しました。裏表が治ったら、その時掲載を正します。訂正が終了しました。サインが左になりました。デトバンク村へのスケッチ訂正済み
以前に夏に信州へ出かけることが多くあって、家族で行っておりました。もう30年以上前の頃です。車の往復で家族で行っておりました。もう道も、随分変わっているでしょう。忘れてしまいました。でも山は、変わってないかも。信州のアルプススケッチ夏に
アムステルダム・スキポール空港から車で約40分と聞いていた。それで、空港で入場券付チケットを購入しバスを利用した。これが一番便利だと教えてくれた。ここは、チューリップと花園がきれいな田園がまわりいっぱい。ゔょうど春間近のときだった。キューケンホフの公園へオランダ
最初に行ったのは50年たったのだろうか。若き時に、歩いたことがあった。明日香村だ。2度め行ったのは、5年前だろうか。で、スケッチもしたのが残っている。何もかも変わったが、変わらない山河が静かに待っていた。古墳群も整備されたが、、、、、飛鳥時代とその古代への記憶は薄れてしまった。 何かしら思い出すのは、何だったのかな。当時の記憶を日記から思い起こしながら、、、、。人生はあっと言う間に通り過ぎる。スケッチをした。一日の短い時間だ。と言っても、朝の4時半から起きて。バス予約の、駅に行き、きっちり駅前の5時半迎えのバスが来た。客は、途中で少しづつ増えていく。半分くらいが、歴史好きな年を重ねた常連さんみたい。高速道路のパーキングで、トイレ休憩だ。奈良までいくので、その時間は、1分でも早く行きたいと、添乗員さんが、...奈良の遺跡古いスケッチ帳から
聖書のスケッチ旅キリアテ ヤリム世界スケッチの旅イスラエルの巻キリアテ ヤリムの解説です。わたしが、イスラエルにスケッチ旅をした時期は、ニューヨークのビルが倒れた時のすぐ後の時期で、世界からテロを心配して、訪問旅人たちがほとんど無かった時期でした。でも、エルサレムでは、バスが黒焦げになった車を見ました。 エルサレムの西方向に約11kmにあった古代イスラエルの町。イスラエル人のカナン侵入以前には,バール神の聖所があった。「預言者サムエル」の時代に,ペリシテ人から取戻した「契約の箱」がこの町に30年間安置された。ここはまた,預言者ウリヤの出身地であった(エレミヤ書26・20~23)。参考聖書箇所20 主しゅの名なによって預言よげんした人ひとがほかにもあった。すなわちキリアテ・ヤリムのシマヤの子こウリヤである。...聖書のスケッチ旅キリアテヤリム
梅雨時のしょうぶ思い出のスケッチ梅雨は、ほんとに毎日降ったり、ぽつりぽつりだったり、曇り空が急に降り出したりと、めったに太陽が照るのも少なかった時のもの。今年は、暑くて花がたくさん萎んで午後は描けない。しかし、それでも雨の合間に、しょうぶ園に通って、少ない時間に多少なりともスケッチができますように。そのうち、3枚を掲載しておくことに。一枚30分はかかってしまいました。/////自転車でサイクリングも出かけようとも思えないし熱い、好きな映画のバックミュージックの歌詞を訳してみようかと思った。そのまま直訳しても、これはわからないので、意味を考えてみよう。過去の番組に谷川俊太郎(たにかわしゅんたろう、1931年12月15日~)氏がゲスト出演されておられた。ことばの魔法使いみたいに、感性の優れた表現に、私はとても...梅雨時のしょうぶスケッチ(菖蒲園で)
奈良の遺跡のスケッチ遠い思い出スケッチをしながら、遺跡のガイドバスツアーでまわった。そのガイドさんは、専属の有名説明者だった。全国的に名前の通った方だった。彼が場所と歴史を説明して、回った。その説明の時間は、おそらく一箇所10分くらいづつ。そして他へ歩いて移動して進むのが通例だった。私は、説明を聴きながら、その場でメモスケッチをしていった。その一部をここに掲載する。この旅は、コロナのはやる以前のもので、開催中止になって終わっていたのだが、それからは開催があったかどうか知らない。なんか宣伝もみていない。 さて、記憶がよみがえってこない。絵をみて考えて見たいと思った。わかる都度に、説明文章は加えていくことにしよう。 と、ここまで、、、、、jpg載らない。はて、写真ですが、うまく絵が表現する方法が、、、、、、奈良の遺跡のスケッチ遠い思い出
//////// キンデルダイクにて風車をスケッチオランダ ●キンデルダイク村は、ロッテルダムから南東の方向、20km。19基の風車。キンデルダイク村とは、子供の堤防の意味。干拓用の風車。羽の長さは、28mもあるそうだ。●風車の近くによって見ると、住む家のようになっていて、面白そうだ。大きな羽がゆっくりと回る。この小さな川というか、海に水を流すための水路だ。この水路にそって長~く小道が続いていて、快適な風をうけてスケッチをしていると気持ちが良い。のどか。長閑。のどか。この景色のある場所には、売店もあってお土産も売っている。つまりは、とても有名な場所なのだ。多くの観光客が、この風車を見たことだろう。 /////// キューケンホーフ世界わがポタスケッチの自転車道オランダ今日の一枚は、オランダのキューケン...世界わがスケッチの旅オランダアムステルダム
ロンドンヴィクトリアタワーズガーデンスケッチロンドンの国会議事堂、ビッグベンのとなりにヴィクトリアタワーズガーデンがあって、小柄な公園ってところである。ウエストミンスター寺院の通りの方は、観光客が多くて人通りが激しい。しかし、ここはかなり静かで落ち着く。北側から入ってくると、ウエストミンスター宮殿がちらりと見えて面白いなって感じたものだ。一日一枚をめどに、あとはのんびりウオーキング。ひとり旅なので、別に時間に制限があるわけじゃないし、美術館をさがして時間をゆっくり使う。ロンドンに美術の学校があって、そこには、併設というか、隣接の美術館があって、中学校、高校で見た美術の教科書にのってる絵がたくさん、そのまま掲げてある。フランスのルーブルでは、一人の画家が一部屋を使うような感じをしたが、そこでは、別々にいい作...ロンドンヴィクトリアタワーズガーデンスケッチ
前のに続けて、ずうっと以前に現地に旅した所を、スケッチ紹介します。最近は、コロナ以後の旅はしていません。思い出の場所を整理しています。記憶のある所を、なんとか。今回の世界スケッチの旅トルコの巻トルコの峡谷をこの足で動いた場所です。パウロさんが、第2次と3次の伝道の旅をして通った道です。今は、おそらく綺麗な舗装道だと思いますが、私が行った時は、道の横にゴロゴロと石切が転がっており、時にハチミツ売りが収穫物を並べて売っておりました。さて、聖書の話ですが、パウロが伝道して歩いた頃は、キリスト教は、まだ人々が知らないような地方の宗教だったような時代であったようです。パウロによって、この峠を越えて、つまりタウルス山脈を越えて小アジアからヨーロッパへとキリスト教が広がったと思います。大変な峠で、急勾配でなかなかです。...聖書のスケッチ旅キリキヤの門
テレビを見ていたら、思い出してしまった。もう随分年数が経っている。今から30年より以上前のこと。パリがずいぶん変化している。賑わいのある部分でなく、観光客のいかない一部の区域が大きく変わったようである。街の様子が、、、画面で説明されていた。街のウインドウがガラスが割られたり住人の楽しそうな会話とか、消えてなんか寂しくなっていたり、区域には活気もなく、怖いような歩きたくなくなる感じの街角、そんなところの解説が紹介されていた。ここに私が現場で40年前にスケッチを描いたのを掲載。モンマルトルの川、運河のところ。かなり有名な場所だった。気ままに、好きな場所を描いてまわった日々だった。セーヌ川でもスケッチをして歩いた。ある日に、たくさんのパトカーが走り回ったこともあって、英国のダイアナ妃が交通事故でなくなったことを...思い出の画パリの遠い日スケッチの日々だった
この記事を、思い出している今日だった。2024年3月4日です。これは、コロナでちょっとした旅をスケッチしながら楽しんでいた日々の記憶。コロナがその後、旅を遠慮して行かなくなったので、もうそろそろ行けるかなと思い、なんか、懐かしくなってきたのです。過去の記事を思い出しながら、これからの計画を始めたいと思います。それで、この2019年の過去の記事を、読んだら、、、、、もう動き出してもいいかなって、みなさん思いませんか? どうですか?過去の記事を再掲。 ///////////////////////// 剣山の近辺の世界農業遺産の指定が2年前になされた。その理由を現地のガイドさんに案内してもらって、昨日の土曜日16日に行ってきました。妻が邪馬台国の徳島説を16年前から調べている。それで、天空の農業遺産を見て...徳島の世界農業遺産をスケッチ
思い出すこと、、、、 最初にトロントに空路でわたり、つぎに赤毛のアンで有名なプリンス・エドワード島、そしてモントリオール、ケベックと進むのが。定番であろう。私も最初トロントへと飛んだ。そこには、観光するおなじみのナイヤガラの大滝がある。この滝は、アメリカ滝とカナダ滝がある。私は、カナダ滝から見物しました。ビニールの雨合羽をもらえますけど、滝下の船は赤色のカッパ、滝の横すぐ近くの展望台の入場は黄色いカッパをくれます。長い間それを記念に保管してましたけど、、、あはは。赤毛のアンにもどって、モンゴメリの世界観で気になるところは、本の中にある文章で、注目する名文なのは、『けっきょく、一番幸福な日というのは、単純な、小さな喜びを次々に持ってくる、一日一日のことだと思うわとアンは、語っています。 プリンス・エドワー...カナダの旅のスケッチ一枚はトロントから