農作業図鐔元廣農作業図鐔元廣田植えの時期の農村風景。牛が主題であるかのように描かれている。安親の山水風農村の風景図鐔とは趣が全く異なる。鄙びた、土臭い中に生命感が強く示されているのだが、描写には洗練味が感じられる。元廣は京都の大月派に学んだ金工。作風は、大月風よりも後藤風の印象が強いところが特徴。農作業図鐔元廣MotohiroTsuba
牛図鐔庄内牛図鐔庄内素朴な土臭い印象がある鐔。庄内というと東北地方の田舎と思われがちだが、北前船が運んでくる文化は多大で、決して田舎くさい作品を製作していたわけではない。庄内金工は真鍮地の作品を遺していることからの極めであろうか。極めは別として、牛のおどけたような表情が面白い。日本刀専門店銀座長州屋牛図鐔庄内
巴牛図鐔庄内巴牛図鐔庄内庄名金工と極められた、巴状に構成された鐔。先に紹介した春田派の鐔と同じ構成。春田派の説明で、他に例がないような説明をしたが、この相似形はどのように見たらよいのだろうか。庄内の鐔は真鍮地。鉄地とは違った風合いであり、当然、迫りくる何かが違ってくる。この面白さは何だ。□巴牛図鐔庄内ShounaiTsuba
巴牛図鐔春田巴牛図鐔春田甲冑師の流れを汲む春田派の、図柄だけでなく鉄味もまた力強く魅力的な作。寝そべっている牛を下から見ているところが面白いし、他にない構成。牛というと、多くが横から見ているのだが、下から眺め、また真上から眺めた図は一際強みが感じられる。角が下に曲がって伸びている様子も強みがある。巴牛図鐔春田HarutaTsuba
松樹に牛図鐔西垣勘平松樹に牛図鐔西垣勘平夕暮れ時、遠く沈む夕日を背景に、牛が影絵となっている。陰影が面白い作。松樹は肥後金工によくみられる遠見の松。牛の身体に毛彫が施されてはいるのだが強くなく、牛はほぼ陰影。西垣勘平の特徴が良く現れている。肥後金工も古正阿弥の影響を受けている。肥後金工の作の中には、現在、古正阿弥や正阿弥と極められているものがある。肥後金工の作であっても、古正阿弥や正阿弥の特徴が顕著であり、無銘であるがため、そのように極めなければならないのであろう。松樹に牛図鐔西垣勘平KanpeiTsuba
放牛図鐔古正阿弥放牛図鐔古正阿弥室町時代の透かし鐔。陰影は江戸時代の写実味のあるものとは異なって古拙ながら味わいが格別。鄙びた感じがあり、やはり馬とは異なった力が感じられる。古正阿弥とは、江戸時代に各地で活躍した正阿弥派の祖流。鐔工個人ではなく、このような作風の鐔を製作していた一類を指すものであり、特に時代の上がるものを古正阿弥と呼び分けている。日本刀専門店銀座長州屋放牛図鐔古正阿弥Ko-ShoamiTsuba
牛図鐔長藩武信牛図鐔長藩武信長州鐔工の牛図。裏面には橋が描かれている。これも牛は橋を渡ることが許されないことを意味しているのだろうか。長州鐔工としてはあまり見ない題材のように思われる。鐔の丸みを活かした構成で、力強さが魅力となっている。牛図鐔長藩武信TakenobuTsuba
放牛図鐔知識放牛図鐔知識薩摩金工知識派の作と極められた鐔。柳の下で草を食む牛。鉄地一色の造り込みで、牛の背中を、常にない体毛の密集した様子まで彫り描いている。薩摩金工は、装飾性よりも実用的な鐔を製作している。だからというわけでもないだろうが、この鐔では図柄は簡潔な筋彫とされている。特に力強い印象がある。日本刀専門店銀座長州屋放牛図鐔知識ChishikiTsuba
牛馬図鐔愛壽牛馬図鐔愛壽馬と牛を対比させている。馬は軍陣で高級武将が備えたもの。荷車を引く牛とはおのずから存在感が異なる。だが馬はあまり長い時間を走れないという。牛はかなり粘り強く働く。牛には馬のような颯爽とした印象はないが、働きの質量が異なる。それぞれの長所を対比したものであろう。牛馬図鐔愛壽AitoshiTsuba
梅に牛図鐔林正光梅に牛図鐔林正光梅と牛の組み合わせは風雅だ。九州の大宰府に左遷された菅原道真のあとを追ってきた牛が、道真の危機に際してこれを助けたという。そのような伝説から、天神社には牛の像が必ずある。だが、この鐔は、放牧の牛と、梅の取り合わせで季節を表現したものであろう。牧場の柵が裏面に描かれている。林正光は江戸末期の会津正阿弥派。梅に牛図鐔林正光MasamitsuTsuba
放牛図鐔直之放牛図鐔直之令和3年、丑年ということもあり、思い立って牛の図柄の彫り描かれた作品群を眺めている。これは、のんびりとした風景。牛というと十牛図が良く知られているも、広い野原でのんびりと草を食んでいる様子も図に採られる。ここでは桜の花が添えられて季節が明確。先に紹介した水牛図とは全く異なる世界観である。放牛図鐔直之NaoyukiTsuba
水牛図小柄浜野政随水牛図小柄浜野政随この迫力は政随の特徴。単に渡河の牛を描いているだけだが、牛の息遣いが聞こえてきそうな、臨場感がある。以前、政随の杜鵑図小柄を紹介したことがある。それに似て、情緒的景観を全否定しているかのような、生命の凄味を感じさせる出来となっている。水牛図小柄浜野政随SyozuiKozuka
牛引き図小柄浜野矩随牛引き図小柄浜野矩随矩随は浜野政随門下の名工の一人。奈良派の政随に、同門で先達の安親を手本とした作品があるように、矩随もまた安親に倣った作品を遺している。牛を引く姿には安親ほどの厳しさは感じられないものの、農村の景色らしいのんびりとした空気感が窺える。牛引き図小柄浜野矩随
山水図鐔安親山水図鐔安親江戸に出てきたばかりの安親が製作した山水図鐔。農村の風景の中に牛引きがいる。先の鐔とは牛の存在感が異なる。海辺の村の全体の様子を俯瞰で捉えようとしている。牛は添景であり、主題ではない。これも安親が世に出ようと苦悩し研鑽している頃の作品である。山水図鐔安親YssuchikaTsuba
牛引き図鐔安親牛引き図鐔安親必死の形相で牛を引く農夫だが、牛はびくとも動かない。これも十牛から得た題材。「十牛」とは、禅の教えを学び得た程度を十段階に表現したもの。牛を引こう(禅を習得しよう)とするも容易には学び得ない。そんな状況だが、むしろ、農村の景色として捉えた方が楽しい。国を離れて江戸に出た安親が、最新の技術を学んで羽ばたこうとするも、容易には受け入れられない。十牛に擬え、この頃の自らの状況を農村の景色として表現したものかもしれない。牛引き図鐔安親YasuchikaTsuba
放牛図小柄堀江放牛図小柄堀江鶴丸紋の扇が添え描かれていることから、この家紋を用いた武家の持ち物であろう。とても端正、すっくと背を伸ばしている牛は、所持者の姿を映したものと捉えて良いだろう。放牛図小柄堀江HorieKozuka
放牛図二所物 吉岡因幡介 Yoshiokainabanosuke Futatokoro
放牛図二所物吉岡因幡介放牛図二所物吉岡因幡介吉岡因幡介も代々が幕府の御用を勤めた武家金工。後藤の作とは明らかに印象が異なる。図の採り方が異なる。横すわりしているような後ろ姿は、後藤家では採らないだろう。放牛図二所物吉岡因幡介YoshiokainabanosukeFutatokoro
放牛図三所物 江川利光 Toshimitsu Mitokoromono
放牛図三所物江川利光放牛図三所物江川利光後藤家に倣った作。漆黒の赤銅魚子地に金の牛が鮮やか。図の採り方、高彫表現による牛の姿格好、顔つきなど後藤の作によく似ている。何となく目に優しさが感じられるのは筆者の思いがあるからだろうか。頗る良くできた三所物である。放牛図三所物江川利光ToshimitsuMitokoromono
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